ピンクのクマのプールで、さっちゃんと。I'll follow you wherever you may go!
top page⇒うぇ〜ん!『共犯新聞』♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DieROCK★ロック パラパラ・・・偏愛書物★Book Oh ! うめぇ〜♪グルメとは、肉体共犯!好物★Gourmet やっぱ、映画館で観たい♪映画★Movie Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!美術★Art
moto_kubo@hotmail.com
うぇ〜ん!2010

「購 読誌」と「孤独死」が音以上に存在思想において似ていることについて。
ピンクのクマのプールで、さっちゃんと。『共犯新聞』俺の声が聞こえるか? 夜話@

極私的♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieマイ・ブラッディ・ヴァレ ンタイン試論



♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DieTo Here Knows When
by. My Bloody Valentine
Turn Your head Come back again To here knows when
くるりと
あなたの脳味噌が
また私に戻ってくるのが
いつなのかを私のあそこは知っている

「整理したほうがいい。」と何度となく言われてきた私だが、振り返ってみれば、”微視的な整理と、巨視的な混沌”、もしくは、その逆、だったのではないだ ろうか、と思う。特に私がそれを最も言われたのは、♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die1980年代前半に私がやっていたバンドの音についてだった。なんせ、曲の間中ずっとギター2本が激しく、 かき鳴らされっぱなしなのだから、その音を「整理したほうがいい。」と、言われ続けて来た。しかし、1985年に私がバンドを突然やめて、上手な方のギ ターが1本だけになったら、ずいぶん音がすっきりした。なんだ、そうか。何のことは、ない。うるさかったのは私のギターだけだったのだ。がくっ。 「整理したほうがいい。」のはバンドの音ではなくて、私自身だったのか、なぁ〜んだ&そ〜か(笑)。それで も、その当時の日本のレコーディング・センスは、つまんない音でしか録音しておらず、ラインで録った音にはライブの迫力の立体的なサウンドが記録されるこ とはなく、そこに私の不満は あったのだが、一方で同時に、無知で音響技術にうとい私は、「ライブとレコードの音は違うんだなぁ〜。」などと、勝手に納得するようにもしていた。それが 1990年代になってから、日本のバンドの♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieボアダムスや、♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DieThe Zoobombs♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieナンバーガール♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieスーパーカー♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieギター・ウルフ(笑) のCDの音が爆音ノイズ系のロック・サウンドを記録していることに私は驚いた。よーやく日本のレ コーディング・センスも、ここまでたどり着くことができたのか、と感慨深く感じた。んが、それもまた日本独自のイノヴェーションではなくて、私がロックか ら離れていた1980年代後半に、私が知らないうちにイギリス&アメリカで流行していた「シューゲイザー」と名付けられたサウンドのブームの輸入(=パク リ?)だったのだ。が、当時の私は、ロックから離れていて、そんなこたぁー知らなかった。当時の私はバンドを辞めた1985年以降、ロックをリアル・タイ ムで聴かなくなり、雑誌『ロッキング・オン』も高校1年生であった1977年から毎月買っていたのだが、1986年の9月号を買いそびれたことに 翌月に気が付き、自 分とロックとの距離を実感し、買うのも&読むのも辞めていた。そこで、たった今、超☆久しぶり〜に、私が買い続けていた雑誌『ロッキング・オン』の最後の 一冊、1986 年8月号を共犯書斎の膨大な書物の森から取り出して&読んでみた。ほとんど何も捨てない私は、そーゆー本をすぐ取り出して読めるのだ。なんだ、私は「整 理」上手じゃん。



♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DieSometimes
by. My Bloody Valentine
You can't hide,
oh no,
from the way I feel
あなたは隠れられない
無理よ
私の自慰からは

私が最後に買った、その雑誌『ロッキング・オン』1986年8月号の表紙は、なんと♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieデビッド・ボウイだっ た。しかし、1986年の最新型ボウイは、ジギー・スターダストでも、ベルリン3部作でもなく、ジョージ・ルーカスのSFXファンタジー映画『ラビリン ス』の魔王だった。最悪。そして、巻頭インタビューは、なんと♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieジョン・ライドンだっ た。しかし、1986年の最新型ライドンは、ジョニー・ロットンでも、アヴァンギャルドP.i.Lでもなく、ふつーのハード・ロック・サウンドなアルバム 『アルバム』だった。このアルバムは、私は嫌いではないが、それまでのジョン・ライドンはアルバム1枚ごとに過激に過去を捨てて(=「整理」して?)誰も 聴いたことのない音を毎回聴 かせてくれていたのに、このアルバムで成長&変化を止めた。それは、巻末の新譜レビューでのP−modelの当時の新作アルバム『ワン・パターン』のタイ トル&音とも共通する、嫌 な同時代性だった。そして、ジョン・ライドンに続く日本のロックの巻頭インタビューは、なんと私の大学の先輩であり、私は彼らがアマチュア時代に何度もラ イブを観に行き&ステージに上がっては一緒に踊り、彼らが出演したライブ・ハウスに私のバンドも出演することを目標にしたり・と、色んな意味でお世話に なった♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieザ・ストリート・ス ライダースの村越さんだった。もう何が何だか、訳が分からない。巻末の新譜レビューには私のバンドと一緒にライブ・ハウス『新宿ACB』に何度も 出演していたシェイクス(笑)のデビュー・アルバムも論じられている。私のバンドを客としてライブ・ハウス『原宿クロコダイル』に観に来ていた爆風スラン プがデ ビューしてグラビアに掲載されている。・・・・・・時代は、よーやく私(たち)が描いていたロックの時代になったのか?しかし、これらに巧みに編み込めら れた刺繍糸のように、マドンナ、プリンス、マイケル・ジャクソン、さらにはチェッカーズ(ぎゃふん。)がページの隅から声をあげている。ロックが死んだこ とは、この雑誌の前年に私がバンドを辞めた1985年3月14日と交差するかのように1985年3月28日に発売されたシングル曲「ウィ・アー・ザ・ワー ルド」 のくだらなさが証明していたはずではないか。バンドを辞めた私は2日後に東京から札幌へ引っ越し、就職した会社の新人研修に参加する。街中では、善意の歌 「ウィ・アー・ザ・ワールド」が声高らかにヘビ・ロテされていた。私は新人研修の初日、トイレで手を洗っていたら、自分の両手の指にはめられていた3つほ どのド派手なインド風の指輪が嫌になり、その場ではずした。私は、それから指輪をしていない。そして往生際の悪い私は、それから1年半後、雑誌『ロッキン グ・オン』1986年8月号でボウイ、ライドン、村越さ んに(心の中で)手を合わせて、ロックから離れていった・のだろう。


♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DieSoon
by. My Bloody Valentine
Yeah don't go there
I let you get to me
Yeah yeah
イェーそっちに行かないで
こっちに来させてあげる
イェーイェー

そんな1985年。アイルランドのダブリンで、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは、ミニ・アルバム『ディス・イズ・ユア・ブラッディ・ヴァレン タイン』でインディーズ・デビューして いる。しかし、これ以降、10枚出されたミニ・アルバムやシングル盤は日本では発売されていない。だから、雑誌『ロッキング・オン』経由では私は彼らを知 らなかった。今のようにインターネットやYouTubeが無い時代、世界とリアル・タイムでつながるのは困難だったのだ。ただ、彼ら4人のメンバーの生ま れは、1961年、1962年、1963年、1964年であり、1962年生まれの私とは同世代だ。つまり、デビッド・ボウイでロックに目覚め、セック ス・ピストルズのデビューに立会い、ジョン・ライドンの過激な変貌に共感してきた世代だろう。ただし、↑このデビュー・ミニ・アルバムを聴く限りでは、や はり音は「ラインで録った音にはライブの迫力の立体的なサウンドが記録されることはなく」、彼らの不満はあったのだろう。それが、1988年のミニ・アル バム「ユー・ メイド・ミー・リアライズ」で、彼らはスタジオ録音に「ライブの迫力の立体的なサウンドが記録」できる手法を身に付けた。その手法「シューゲイザー」と は、幾重にも重ねられ たノイジーなギター・サウンドであり、それって、私がバンド時代に「曲の間中ずっとギター2本が激しく、 かき鳴らされっぱなしなのだから、その音を「整理したほうがいい。」と、言われ続けて来た」音なのでは?

さて、私が突然、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインを聴きたくなったのは、今日から一週間前の日曜日、
札幌の駅前に新築された商業テナント・ビルOh ! うめぇ〜♪グルメとは、肉体共犯!『赤れんがテラス』内にできた
Jazzzzzzzzz!! クールの意味を知りたくて。ブルーノート・ジャパンがプロデュースする、
♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die音楽&パラパラ・・・本&Oh ! うめぇ〜♪グルメとは、肉体共犯!食が融合した、まるで『共犯新聞』の ような(?がくっ。)、
誰に会いに行くのかな。ニューヨーク・スタイルのブック・カフェ・レストラン☆コーヒーの湯気。『ブルックリンパーラー札幌』に行ったから。

2014 年9月14日(日)
9:07Pm

レレレのレノンで世界と目が回る〜。
レストランの広い店内の壁は、ぐるりと本棚 ♪
しかも、ニューヨーク・テイスト(?)な私好みの本が多い。
しかも、私が座った席の後ろは、たま&たま音楽の本のコーナーだった。
もちろん(?)店内には、私が持っている本も多い。
9: 13Pm
ジャズの本質を探る旅へ。
ジャズ本のコーナーには、これが。
9: 16Pm
サン・ジェルマン・デ=プレで、つかまえて。
パラパラ・・・ボリス・ヴィアン!大好き。
9: 26Pm
キリマンジャロの塩。
サンティアゴ・デ・クーバ。1,000円。
9: 26Pm
ニール・ヤングに、よろしく。
スパークリング・ワインを注いで呑む。
9: 32Pm
ワーグナーのお土産。
壁に、ルー・リード。嫁は、ペリエ。
9: 54Pm
言葉のシーツ。
そして私は、『ブラック・ノイズ』からの流 れで、
これを手にしてしまった。
9: 51Pm
ぐびズバ。
フローズン・ダイキリ+泡。贅沢。
9: 52Pm
ハイ・ハットが開くまで。
実は、昼の2時から呑んでいる〜。
10: 05Pm
傷の意味。
彼らの代表作、アルバム『ラヴレス』。
10: 14Pm
赤と黒。
最後は、いつののよーに、エスプレッソをダ ブルで。
10: 13Pm
ガラスのうさぎ、何見てはねる。
甘くないチョコレート。

そして、とーぜんのように、私は翌日、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインが活動休止をする前に出した2枚のCDアルバムを、中古で買った。

9月15日(月&祝)
9:07Pm

ジャックスも、2枚だった。

そして帰路、クルマの中で聴いた。
私がマイ・ブラッディ・ヴァレンタインをきちんと聴いたのは、この時が初めて(笑)。

やる気が無いリアル。
共犯音楽祭★Music〜音という抽象芸術♪イズント・エニシング Isn't Anything
発売日;1988年11月1日、クリエイション・レコーズ
定価\1835→中古\950

3年間のインディーズ・シーンの王道から、ついに出た!ファースト・アルバムだ。実は私がバンド時代に最も言われたことは、「(音を)整理しろ。」以上 に、「(お前のギターの)チューニングが狂っている。」だったのだが、なんと!このアルバムの4曲目「(フェン・ユー・メイク)ユー・アー・スティル・イ ン・ア・ドリーム」は、ギターのチューニングが派手に狂っている・らしい。「らしい」とゆーのは、私が音痴だから分からないのだが、どーやら、そうらし い。その狂ったチューニングのギターがかき鳴らされ、アルバム全体を覆っている。かつて1960年代に、「ビー・マイ・ベイビー」をプロデュースしたポッ プ・サウンドの魔術師=フィル・スペクターが作り出すブ厚いサウンドは、快楽を呼ぶ「ウォール・オブ・サウンド」と言われ、ビートルズも憧れてアルバム 『レット・イット・ビー』のプロデュースを託したほどだが、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの「シューゲイザー」は不快を呼ぶ「ウォール・オブ・サウン ド」だ。それは、パンクの熱気と、ニュー・ウェイヴの冷酷を経なければ到達されない音だ。また、そうでありながら、はるか大昔のサイケデリック・サウンド やピンク・フロイドすら連想させるテイストをも含んでいる。これは、ニヒリズムの途中報告ではなくて、ロックの本質だから、その区分と連続性が内包されて いるのだ、と考えるのが自然だろう。たとえばロック・ドラマーは汗を飛ばしながら熱い演奏をする、とゆーステレオ・タイプがあるが、ここで聴かれるドラム は激しい曲なのに、まるでやる気が無いかのような棒立ち感満載なのだ。すべて知っている。それなのに、始めてしまった。そんな終わりからのスタート・ダッ シュのようなデビュー作。
共犯音楽祭★Music〜音という抽象芸術♪ラヴレス Loveless
発売日;1991年11月4日、クリエイション・レコーズ
定価\1835→中古\950

1991年とは、なんとゆー年なのか。かの久保AB-ST元宏の20歳代最後の年にして、日本がバブル崩壊の失われた30年(!)にズブズブ腰まで沈んで ゆくのを誰もケアできずに、湾岸戦争が始まり、イギリスではマイ・ブラッディ・ヴァレンタインが2枚目のアルバムにして長い沈黙を始める『ラヴレス』を発 表し、アメリカでは ニルヴァーナが爆作『ネヴァーマインド』を発表し、日本ではフリッパーズ・ギターが『ヘッド博士の世界塔』を発表した年なのだ。ロック史的に言えば、マ イ・ブラッディ・ヴァレンタインが生んだ「シューゲイザー」は、ニルヴァーナによって「グランジ」として引き継がれる。しかし、1991年に最高傑作を 発表した両者だったが、前者は2013年(←去年だ!)まで続く長い沈黙に入り、後者はフロント・マン=カート・コバーンの猟銃自殺とゆーまるで1960 年代後半のロック・ストーリーのような終わり方をしてしまう。では、これこそがニヒリズムなのか?私なりの解釈は、こうだ。マ イ・ブラッディ・ヴァレンタインには肉体が無くて、ニルヴァーナには肉体しかなかった。だから、マ イ・ブラッディ・ヴァレンタインは溶けるように消えることしかできず、ニルヴァーナは肉体を殺すことしかできなかった。そして、それなのに、いまだに 『ラヴレス』と『ネヴァーマインド』は傑作のまま私たちの前に存在している。表現とは孤独の産物であると同時に、孤独を超えてゆくツールでもある。それな のに完璧すぎる表現は時に、孤独死を準備する。それは残酷な時代の犠牲者なのか?その「答え」は、2013年まで待たねばならなかった。
制度論の地平を拡げる。

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのリーダーにしてノイズ・ギタリストのケヴィン・シールズ(1963年5月21日生まれ、51歳)は、この間、
2008年には、パティ・スミスの詩の朗読にギターをかぶせるアルバム『ザ・コーラル・シー』などを発表。

そして去年、2013年2月2日、マ イ・ブラッディ・ヴァレンタインは
突然、22年ぶりのサード・アルバム『m b v』(←なんちゅータイトルだっ。)を
「本日中」にリリースすることを発表。
CDは店頭やamazonではなくて、英国では、『mbv』のリリースは、ボウイ新曲発表のインディ界ヴァージョンのようなものだった。しかし、どちらが熱いリアクションを呼んだかといえば、『mbv』だ。バンドの公式ウェブサイト君の空気を震わせる。 オンライン販売された。
なモンだから、日本のよーな外タレのプロモーションは、レコード会社がイニシアティヴなダサい国では、お目にかかりにくい。
なのだが&さらに、同年2月5&6日には、大阪『なんばHATCH』での来日ライブやら、続けざまの日本国内ツアーやらフェス参戦すらやっている。

消えたマ イ・ブラッディ・ヴァレンタインは薄墨が濃くなるように浮かんだが、死んだニルヴァーナは復活できない。

そして、ロックはメディアだから、届けられる。

text by. うぇ〜ん!久保AB-ST元宏
(2014年9月20日 土曜日 2:10Am)










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