Why
Don't We Do It In The Road ?
政治家の肉体、
役人の書類。
2012年2月25
日(土)
病床の万作は脚本執筆の傍ら、評論や随筆を旺盛に
書いた。
よく知られるのは1946
年8月に発表した論考「戦争責任者の問題」だ。
戦後、映画界の戦争責任者を指弾しようとする一部の
主張に対し、
あえて反論を試みたのだ。
「多くの人が、今度の戦争でだまされていたとい
う。
(中略)私の知っている範囲では
おれがだましたのだといった人間はまだ一人も
いない」と
万作は書きだす。
だました人とだまされた人が区別できるという
のは錯覚ではない
か。
末端行政も新聞もラジオも、町会や隣組や婦人会も、
誰かにだまされた者が次に誰かをだました。
そうすることで「日本人全体が夢中になって互いに
だましたりだまされたりしていた」。
万作は「だまされるということ自体がすでに一つの
悪である」と説く。
「批
判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な
盲従に
自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民
全体の
文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本
体なのである」と。
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▲沼田町中の子供たちがインフルエンザB型で病床に。
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▲ギロから、エロ本とCDが交互に届く。
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11Am
ギロ男爵から
最新アルバム、
が届けられた。
タイトルが示すとおり(?)、
彼が父(と、女たち?)を
亡くした前後の私小説・風、なのか?
さらに、その「私」に
3・11&原発事故の「公」がクロスした
肉体の熟成・・・ではなく、
腐乱した作品(=つまり、死体)、か。 |
▲サイン付き!なの♪
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で、CDジャケットも
いつものエロ&モンド系ではなく、
インチキ・ブルーノート風
+
初めてジャケットに作者(?)登場。
が、
ブルーノート風なのに、
活字が手書きフリーハンドなのが、
ブルーノート「風」であるノリ&ツッコミ。
そして最大の芸能ネタ興味は、
このジャケットで
ジャケットを着ているのは誰なのか?
バブル期DCブランドでキメた
若き日のギロ男爵か?
なら隣の清楚な美女は、現ギロ夫人か?
それとも、これは
昭和モダン文学青年だった
若き日の故・ギロ父!?・・・謎。 |
▲先制攻撃。
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▲ローマ帝国からドストエフスキーまでの、種明かし
(?)。
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CDの前半は、ジョン・レノンの私小説アルバム『ジョンの魂』風、
後半はポール・マッカートニーの童謡アルバム『バンド・オン・ザ・ラン』風、か。
もちろん
ギロ男爵のエビデンス(=証拠&根拠)は
架空であることなので
今回のように「私」小説・風が
前面に出てきたことは
ギロ・マニアにとってのお宝であり、
アンチ・ギロ・マニアには攻めどころ、だろう。
それらもCDの後半には
いつもの書誌学的抽象の迷路にからめられ
ポール・マッカートニー味付けのフリをした
ファンタジーという「私」隠しにすりかえられる。
それらを
数学的お上手な演奏の快感法則に
順応させれば、はい1曲できあがり〜♪
ところで、
「書類」が得意な高級役人ほど、SMマニアが多いらしい。
それは、「書類」では追いつけない「肉体」への願望と支配欲か?
架空という「書類」は、
時に私小説というみじめで恥ずかしい「肉体」を路上にさらけ出さねば
持続的更新力を欠き、生き延びられないの・だろう(・か)。
ならば、最も興味深い考察の視点の中心は、
なぜにギロ男爵が、
ここまでジャズ(?)ピアノ・トリオとゆー
スタイルを飽きずに続けているのか、だろう。 |
「先生」と言えば、何
の因果か、私は先日、新党大地の
鈴
木宗男代表の講演チラシを作った。
と、ゆーのも印刷直前のチラシを見せていただいたら、少し手を加えたくなっちゃったもんでー。
▼これが印刷直
前のチラシ♪

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→ |
▼私が、ちゃ&
ちゃ&ちゃっ・とスグに作り直したチラシ。

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▲私が作り直したチラシの冒頭の2行のキャッチ・コピーは、私が町議会議員
になってからのストレスが産んだ(笑)。
私の
デザインの手法はいつも、
「書
類」を
「肉体」にするだけ。
3:15Pm
で、塀の中から出てきたばかりの講演会に行ってきた。
もちろん、ご存知のとーりのトンデモ講演会となったし、
たとえば、
「小泉・元総理&竹中・元総務相がハイエクの市場原理を基本にしていて、
私、鈴木宗男はケインズの公平分配路線だ!」
発言なども、ざっくりしすぎだが、
その「ざっくり」ぶりが彼の魅力の中心であり、
観客は見事に持っていかれていた。
では、なぜ彼の「ざっくり」ぶりは魅力的なんだろう。
なぜならば、そこには「肉体」があるからだ。
国民(=「大衆」。)が行政から受ける説明はいつも「書類」で
あり、
そこには理論や解説はあっても、肉体が無い。
いくら理論や解説が完璧であっても、
相手に届かなければ相手はブラック・ボックスの異形と感じてしまう。
そこに圧倒的に欠落しているのが、肉体なのだ。
つまり、
「肉体」VS「書類」
とは、
「政治家」VS「役
人」
なのか?
役人は公の資料に役人の個人名が出ることを嫌う。
その理由のひとつは、未来の責任を回避するためもあるだろうが、
役人とは抽象的な存在の役人であり、個人ではない、
と定義したいからだろう。
しかし、それが欠落の原因でもある。
ならば肉体を制度化しようと、「検討委員会」や「民間諮問委員会」などが
役員の外付けサーバーのように付けられる。
そこへの国民(=「大衆」。)の期待は大きい。
なぜならば、そこには「書類」に無い「肉体」の匂いがするから。
しかし、それで欠落の全ては埋められるのか?
そして、鈴木宗男、なのである。
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▲中高齢者を中心に多くの人が駆けつけて来た。
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▲食道がん手術などの大きな病気後とは思えないパワフ
ルさ。
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▲講演は100分を大幅に超えた。
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つまりは、説得力、なんだろう。
共感力、と
言い換えてもいい。
人は「書類」からは説得されるが、
共感するのは「肉体」のほうなのだ。
そう考えれば、
「選挙」とは、よく考えられた制度だ。
顔、声、身振り、握手、
汗、走り、笑い、泣く。
イケメン政治家はいても、
イケメン行政マンは、いない。
「いない」のではなく、
顔を持たない抽象的な存在だから、
顔が見えないから、
イケメンかどーか以前なのだから。 |
役人を辞めてテレビに出たがる官僚が
後を絶たないのも、
彼ら自身も「書類」の限界と
「肉体」の可能性に
気がついているからだろう。
では、
「書類」に「肉体」を持たせるのが
政治家、か?
しかし、
政治家の「肉体」を利用して
役人が「書類」を通過させる
場合が多いのが現実ではないだろうか。
リテラシーの冒険と闘いは、続く。 |
▲講演後も参加者との交流が続く。
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5Pm
▲ほほ〜。NECは美しい♪
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私のノート・パソコン愛機VAIOが、
ついに書斎とゆー病床で危篤状態になった。
←そこで、親切くんが来社。PC屋ではなく、農家なのにねー。
なんとメーカーごとの比較リストを作ってきてくれて、
さらに、最新型のNECと東芝のPCも持参して来てくれた♪
現物をさわって確認するのに大型家電店に行く必要がはぶけた(笑)。
「肉体」は「書類」を凌駕する、のか。
彼に言われて気がついた(←超・遅すぎ〜)のだが、
いまだにXPはいいのだが(もちろん7が理想)、
CPUがインテルのcentrinoなのは古すぎで、
今は同じインテルでもCoreの「i5」か「i7」なんだそーだ。
しかもメインメモリーは
私のは「512MB」だが、今は「8GB」が常識で、
ハードディスクドライブは、
私のは「80GB」なんだけど、今は「500GB」から「1TB(テラ)」だそうで!
・・・こりゃ、いつの間にか私のノート・パソコンは、
情報量(=「書類」)が爆発し続ける時代には鈍すぎる「肉体」になっていた、
ってことかー。
むむむ。
電脳時代の「肉体」は、更新こそが持続可能を準備する・のか。 |
7Pm
▲夕食は、好物の湯豆腐を鍋ごと!
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text by 
久
保AB-ST元宏 (2012年2月28日 火曜日 1:19Am)