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moto_kubo@hotmail.com

You Never Give Me Your Money
俺は、世界最小単位の、ひとつの国家だ。
「私は出来つつある、 生まれようとしている文学に興味を持ちます・・・・・・。 私はまだ人の愛するに至らないものなら何にでも惹かれます。 私はスタンダールを前にしてあくびをしたような人にはなりたくないのです。これが私のスノビスムの一番深い形でしょう」

ジャン=ルネ・ユグナンパラパラ・・・『もう一つの青春』 76ページ
(1968年2月15日、初版、晶文社、
原書;
Jean-Rene HUGUENIN『Une autre jeunesse』1965年6月)

2012年5月24日(木)
1:30Pm
シンポジウム
『地域主権改革

北海道の地域課題』


場所;札幌国際ビル8F 国際ホール


1:35Pm~2:30Pm
【第一部】 基調対談
「地域主権改革と自治体の役割」

講師;大森 彌
(おおもり・わたる、東 京大学名誉教授)

聞き手;久田徳二
(ひさだ・とくじ、北海道新聞社論説委員)
保留の背中をさすり合う者たち。
第 二部のシンポジウムに出席する3人も、最前列でメモをしながら真剣に聴いていた。
せ まい会場 に200人ほどがびっちり座っていた。
この内容なら、大きい階段式のホールかな、とも思っていたが、
むしろこの、せまさが、いい。
「シンポジウム」とは、そもそも、酒を呑みながらの饗宴。
お互いの生の声が届く、落語の会場ぐらいの空間がいいのだ。
私にはライブ・ハウスをも連想させたが、そーゆーことだ。

観客は、地方公務員、道庁職員、それらに就職したい学生、
そして、私のような議員。
私の住む沼田町からも役場に就職して2年目の男性がひとり、
あと近 隣の市議会議員や町議会議員も来ていた。
沼田町の議員は私だけだったが、
やはり田植えの時期だから農家の議員には時期が悪い~。
ピアニストは楽譜を政治する。
久 田論説委員 「地方公務員で、仕事が増えてもいい人は?」
新聞は俺の手をインクだらけに汚した。
久 田論説委員 は、少しづつ話題を政局へ向ける。
い きなり、 大森教授は、
「地域(地方)主権という言葉は、
法律用語ではない」
と、アジった。
イナカが国家に対して主権を持つためには、
憲法を改正せねばならない、らしい。

「地域主権」と言えば私には
たとえばルネッサンス期のフィレンツェや、パリ・コミューン、
江戸時代に商人が自由貿易を許可されていた長崎の出島など、
美しい幻想(笑)があるが、幻想には権力の罠が付き物、だ。

実は、地域主権とは、
「権 利の委譲」ではなく、「仕事の委譲」に、
すり替えられている・だけ、なのではないのか?
つまり、「仕事の担当」が国から都道府県へ、市町村へ移った・だけ?
「分権」の美麗と言いつつ、「仕事を下に降ろす」・だけ?

そもそも市町村の職員は元々、仕事が多すぎる。
そこに都道府県が仕事を押し付けるのだから、
「分権」とは、さらに仕事が増えること、なのだろう。

それでも、
「仕事が増えても、地域主権が得られるのであればよい。」
とゆー地方公務員はいるだろうか(笑)。
すかさず、久田論説委員は客席に、
「この中の地方公務員で、仕事が増えてもいい人は?」と
挙手を求めたが、ほんの少しの4人だけだった。
それは彼らがナマケモノなのではない。元々、仕事が多すぎるのだ。

さらに国会は開くごとに法律を作り、
それが地方公務員の仕事になる。

こんな環境では高尚な「地方主権」論を議論する気力も無くなる。
私 が町議会 議員になって痛感したことの裏に、それがある。

たとえば提案型の議員が地方公務員に嫌われるのも、
元々、忙しいから、なのだろう。
その結果、
議 員は提案よりもチェック機能に向かい
地方公務員は議員のチェックをかわす技術を身に着けたものほど
出世する場合がある。

また、地方議員が提案をしようとすれば、
たとえば「病院」制度のように、
国の制度をいじらなければならない課題が壁になる。

これら、ふたつの壁を超える回路を構築しなければ、
「地域主権」は、いつまで経っても
「仕事を下に降ろす」の美しいすり替えにしかすぎないだろう。
キャンセルが好きなパン屋の午後。
大 森教授はソフ トに語りながらも、政治へのストレスを隠さない。
たどりつくためのキーホルダー。
バ ランスある人選。だからこそ開始前の緊張感は、それぞれの引き出しの量を感じさせる。
2: 45Pm~4:30Pm
【第 二部】 シンポジウム
「地域主権改革と北海道の地域課題」

パネリスト:多田 健一郎(北海道副知事)
片山 健也(ニセコ町長)

コメンテーター;山口 二郎(北海道大学教授)

司会;久田徳二(北海道新聞社論説委員)
いわゆる 「平成の大合併」で、北海道の市町村も、
212から179へ減った。
しかし、全国的にみると、減った率は少ない。
それは、面積と人口の割合が他県と乖離しているから、もある。
この大がかりな「国家事業」に北海道が乗らなかった理由に、
北海道の特殊性と、未来へのヒントがあるのかもしれない。

現在の「地域主権」の議論は、「道州制」待望論になりがちだ。
しかし、これもまた、すり替えだ。

国の特別会計をすべて廃止して、
その全額を都道府県に移す
ぐらいのことをすれば効果はあるが、
そうでなければ、「仕事を下に降ろす」のバリエーショであり、
またしても 国が地方を管理しやすくなるだけだ。

その時に国が準備するのが、
アディク ション(=中毒)の政治
その典型例が、原発の存在理由を金でごまかした原発三法だ。
沼田町とて、その甘い誘いには弱い。

そこに陥らないために、 財政民主主義が求められる。
予算の段階から公開の議論を行えばよいのだ。
国の予算には都道府県が、
都道府県の予算には市町村が、
市町村の予算には市民、町民、村民が議論に加わればいいのだ。
その時、「陳情」という言葉は死語になる。
言葉を覚えた腹話術師は。
前半は、ニセコ町長の挑戦と結果への祝福ムード。
週末にも終末にも、あと一日。
徐 々に話題は政 治や、国家の本質論に向かってゆく。
そ のため に、道州制のように「制度を変える」ことよりも、
現 行法でもやること(=やれること)は、
まだある。

と、ゆーのが、片山ニセコ町長の主張だ。

たとえば2011年にニセコ町は、「水 道水源保護条例」を施行した。
これは羊蹄山の天然水に恵まれたニセコ町が、
「水を守る」=「川を守る」=「森を守る」=「人を守る」=「町を守る」
の思想で、2年間、町民主導の議論を重ねて実現した。
しかし、民間人が住んでいる土地の水の権利を条例が制限するのは、
国の法律の私人の財産権や、土地自由の原則に触れる。
国の法律と対立する地方の条例ができてもいい、という姿勢だ。
本件の成立に道庁も協力してくれたらしく、
片山町長は、
「都道府県と自治体が協力して国を動かす。」
ことが可能である、と熱く語った。

これは「地域主権改革」の魅力的な例だろう。
しかし、会場内にいたニセコ町議会議員から、
「町長の発言ほど、ニセコ町はそんなに民主的ではない。」
との発言もあった。
それは一部のエキセントリックな意見なのかもしれないが、
発言の勇気を恐れない町民が多くいる町だからこその施行だろう。

それでいいのだ。
条例は、常に成長すべきなのだから。

つまり、イギリスの政治学者
ジェームズ・ブライス(1838年5月10日~1922年1月22日)が言った、
「地 方自治は民主主義の学校」とは、このことか。
「地域主権改革」の代表が、
大阪の橋下徹市長
だ、
という現在の空気を面白く思わない代表(?)が、山口二郎教授だ。
山口教授は、
「橋 下” 地域主権改革”とは、
大都市エゴイズムだ。」

と、言い切る。
それは、地方を、やっかい払いするコトである、と。
これは、小泉改革の新自由主義への逆行である、と。
つまり、北海道の地方分権と矛盾する、と。

政治とは税金の分配の闘争のことだ。

2001年から2006年の小泉内閣で、地方交付税は 半減した。
その後、この議論が停滞していることに山口教授は、
「交付税の仕事ができる国会議員が少ない。
税の再分配機能が 低下してい る。」
と、大いに不満だ。

田中角栄的”国土の均衡ある発展”と称した、
地方に利益を引く政治は悪だ、と学んできたのが日本の政治だった。
しかし、山口教授は、さらにそれを乗り越えて、
「”選択と集中”ではない政治を期待」する。

国に何をしてもらうかを地方が個別に主張でき、
ナショナル・ミニマム(=国が国民に保障する最低限)も守り、
大都市エゴイズムに流されない政治。

ハシズムは議論を省略し、国会は議論だけでモタモタ。
そんな不毛な両極端を超えるために、
政治学と政治家はいるのではないだろうか。
環境が、声を作る。
山 口教授は、次 の衆議院選挙の展望をどう考えているのか?


シンポジウムが終わると、それほど広くない会議室である会場から約200人が吐き出され、そのままエレベーターに押し込まれた。
会場があった8階から、やや大きめの満員エレベーターが降りている最中、私に感じなれた(?)違和感が襲ってきた。
それは、参加していた約200人が、同じような黒いスーツを着て、髪を短くまとめた清潔な人々であったこと。
確かに優秀な人が集まったシンポジウムだった。
しかしか・・・・・・・・・死?し!
ここには何 かが慎重に取り除かれたような、不健康な清潔さにあふれている印象を私に与 え、
それが無言で垂直に落ちてゆく満員のエレベーターのすきまに立つ私に襲い掛かった違和感の正体のような気がした。
「地域主権」と言いながら、国も、都道府県も、市町村も、同じ匂いの清潔な人々の間だけでのキャッチ・ボールでは、
意味は薄すぎる。
私は、ここに来ない人の代表として、ここに来ている人に向かって、私の言葉で話すのでなければ、議員である意味はない。


で、私は、
平日、札幌市内をクルマではなく歩いて回れるのは久しぶりなので、画廊へ♪


草むしり。
知っ ている画家 を定点観察しながら、全体を鷲づかみする。
4:35Pm
Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!『第27回 北の日本画展』

札幌時計台ギャラリー
札幌市中央区北1条西3丁目
電話;011-241-1831

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
雑誌パラパラ・・・『美術手帖』2008年1月号が松井冬子を特集 し、三瀬夏之介「日本画復活論」を掲載した 少し前から、日本画はスリリングな現場となっていた。それを射程するかのように、北海道では毎年、『北の日本画展』が開催され、日本画の可能性の広さの同 時代性を証明してくれてきた。私も数人の老若男女の日本画家を定点観察するかのように、この展覧会に足を運んで来た。
で、 可能性の広さは深さを生んだか、と問われれば、まだまだ、だ。いや、むしろ非生産的な疲労感の匂いを感じてしまった。可能性の広さは、すべて東京在住の画 家に先行され、そのショックとリスペクトが伏し目がちの模倣になったり、収めどころのない前衛性は原点回帰という言い訳に回収されながら、今年を無事にや り過ごそうとしているように感じる。
ここで日本 画の定義をす るつもりはないが、平面的な画面処理、原色を恐れない彩色、面よりも線に頼る、という西洋絵画のセオリーからすればプリミティヴな手法を、そうではなく絵 画史の最 前線にする職人技術が導いたセンス・オブ・ワンダーである、と私は認識している。だからこそ、日本画はセザンヌやゴッホらに何度も「発見」されてきた。そ こにこそ、画家が日本画を選択する意味があるはずだ。
日本画を現 在、選択する 意味は、マンガから何歩前か、後かの座標軸で闘う、という魅力的な意義もある、と・思う。
つまらない ことを言うよ うだが、先に述べた『美術手帳』で34歳の松井冬子はこう言ってる。美術は技術を伴うパッションの記号化です。技術もなく表現することは無責任でだらしがないと思います。技術の制約があるほうが、逆に表したいことに自由が生まれます。」北 海道の日本画家に欠けているのは、これだ。
手をかけないと、すねちゃう。夜の公園にいる者たち。
笹 山峻弘「~イ ンド紀行~ レー王宮」
日本画家の大家が陥る観光画で収まっていない気迫が心地よい。
日記を書きましょう。 お庭で白ワインが冷えている。
駒澤千波「空ば かり見ていた」
幸せなんだろーな。しかし、表現は幸福よりも不幸を餌食にする。あとは闘い。
少しギターを弾いて。
朝 地信介「無の 奥の存在」
富 田知子の日本画版か?
腰をすこし。
橋本多未「天地」
YESのレコード・ジャケットみたい。
雨の日の祭りのように。
百野道子「雨に唄う」
独特の色は良い。構図が弱い。
猫の留守。
谷地元麗子「まどろみ」
やはりイケイケな大作が観たいなぁ。
螺旋のコスモロジー。デパートで靴を買って。
池田さやか「Gothic & Lolita」
もちろん(?)クリムトの太ももなんだけど、つまりクリムトも日本画なんだ!
ガラスの器に葡萄をひとつ。 待ち構えている訓練の果て。
中野邦昭「はる かII」
たたずまいを描かせたら、さすが。日本画でこう描くのは、かなり難しい。


せっかくだから(?)駐車場の無い映画館へ。


天国との約束。
7:05Pm8:44Pm
やっぱ、映画館で観たい♪『ル・アーヴルの靴みがき』
原題;『Le Havre』
監督&脚本;アキ・カウリスマキ
撮影;ティモ・サルミネン
パンフレット・デザイン;大島依提亜
出演;アンドレ・ウィルム、カティ・オウティネン、イヴリーヌ・ディデ、
ジャン=ピエール・ダルッサン、ブロンダン・ミゲル、エリナ・サロ

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
久々に「映 画は演劇より も写真に近い芸術」とゆー定義を満足させてくれる作品。いや、写真 よりも絵画のように監督は画面を描いている。それは色の配置が完璧であることが証明している。たとえば狭い路地の壁のペンキのはげ具合や、細部の本棚の背 表紙の色に まで計算がある。それは画家が平筆でキャンバスの色調を支配しつつ、細筆で細部を描き込むことで絵画と言う世界の創造主になるように。さらに、ちらっとし か映らないレトロで同時に未来っぽいデザインのストーブや三角のテーブル、バスなど、雑貨マニアには、たまらんっ。その種明かしは、この映画はフィンラン ド人が作った2作目のフランス語映画だ、と言えば皮肉すぎるかもしれないが、なんせ、上映時間中のすべてのカットが 絵葉書になっちゃう完璧さ だ。
なるほど、 ル・アーヴ ルって、こんな街なんだ~。と、思って観ていると最後に海岸沿いに壁のように並ぶ巨大マンションが登場し、今まで観てきたル・アーヴルって現実のル・アー ヴルじゃなくて、アキ・カウリスマキの脳味噌が描いた別のル・アーヴルであると気が付き、がくぜんとした。つまり、我々は一冊の絵本の絵を観てきたのだ。 これこそ 映画だ。
また、登場 人物に若者が いないことも重要だ。不法移民の黒人少年以外は老人ばかり。若くても中年だ。ロック・バンドでさえ老人だ。しかもかっこいい(笑)。
さらに、ほ とんどの切り 替わり場面は、登場人物が演技をする前のスタンバイの静止状態から入る。これ、ぜったいわざとやってる~。映画を全部、自分のものにしようとする監督の圧 倒的な造形意識がここまで全体を支配している映画も珍しいぞー。


うー。ビールが俺を、まちぶせ。
再 開発中の狸 小路ウェウト・サイド。
今 度は、もう一度、テク&テク歩いて、JR札幌駅のほうへ。

9:30Pm11: 30Pm
札幌シ ネマ・フロンティア
レイト・ショー料金、\1200♪
やっぱ、映画館で観たい♪『レンタネコ』
監督&脚本;荻上直子
撮影;阿部一孝
美術;富田麻友美
出演;市川実日子、草村礼 子、光石研、山田真歩、田中圭、小林克也

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
もちろん、 わざとやって るんだろーけど、超ゆる~い映画。同じ監督の作品でも、『かもめ食堂』(2006年)ほど完璧でもなく、『 めがね』(2007年)ほどメッセージ性もなく、『 トイレット』(2010年)ほど前衛性もない。ならばスキルの高い監督がなぜ、ここまで超ゆる~い映画を作ったのか?もしかしたら、3・11以降の「がん ばれニッポン」とか「絆」とゆー、がんばりへの懐疑かもしれない。
で、超ゆる ~い映画なが ら、欠点を探すのに窮する映画でもある。それは、ナマケモノを批判することは簡単でも、縁側でのくつろぎを批判することは誰にもできないことと同じだ。
それでも、 あえて批判す れば、映画内で繰り返される安易なメッセージ臭が私には不快だった。たとえば、「心の穴を埋めましょう。」みたいなやつ。便所の相田みつをカレンダー かっ。こーゆーのはメッセージ以前の「説明」であり、そーゆーつまらん作業はブロガーにまかせておけばいいのだ。監督はただ、映像の愉楽のみを提供してく れればよい。
そーゆー意 味では、市川 実日子は特権的な映画女優だなぁ。60年代のゴ ダール映画に出まくっていたアンナ・カリーナに匹敵する。

空に指。
そー 言えば、60年代アンナ・カリーナの恋人役の常連で、『大人は判ってくれない』の 少年を演じたジャン=ピエール・レオも、さっき観たばっかの『ル・アーヴルの靴みがき』に老人の密告者 として出演していた!ススキノとJR札幌駅を早歩きで2往復したこの日の私のように、私の脳味噌が観たばかりの2本の映画を何度も早歩きで往復し続ける。

マトリョーシカ? この日に観 た2本の映画には、
両方ともぐーぜん、
パイナップルが出てくる。
ほんとに、
ただのぐーぜんなだけなんだけどね。
でも、
いっこのパイナップルの使い方が
あまりにも似ていて、ぎくり。
必要以上に、
この2本の映画の
他の共通点を探しまくってしまった。
新種のネコかっ?
『ル・アーヴルの靴みがき』では、いかつい刑事が庶民が集 まるバーに、パイナップルを持ってやってくる。
一方、『レンタネコ』では、仏壇にパイナップルを供える。
その両者とも、空間の異化の象徴として、パイナップルを唐突に登場させて、品のよいほのかなユーモアの後味を残す。
もちろんパイナップルなんぞを持ち出してこなくても、ふたつの映画は最初からグローバリズムとは別次元の存在だ。
そうであっても、さらにその中に、異物を入れ子状態で忍ばせることで、この固有の世界はより堅牢なものになる。
北海道の地域主権と日本画壇に欠落しているのは、その多様性に可能性を見る姿勢ではないだろうか?

それにしても、この日は、
すすきの→JR札幌駅→狸小路→JR札幌駅→すすきの
と、ほぼ一直線を、ほぼ2往復した。
早歩きで。昼メシ&晩メシ抜きで。
少し、やせた(笑)。

帰宅したのは、2Am
おやすみ(がくっ。)。
かつて『共犯新聞』ゲストブックで使っていた市川実日子の画像~。
座禅カーのキーは、数字の組み合わせで。
駐車料金は「一日券」で、900円。

photograph and text by. うぇ~ん!久保AB-ST元宏
(更新日;2012年5月27日 日曜日 往復する言葉は、音楽。吉田秀和の死を知った日に。11:56Pm)


2012年5月25日 金曜日 午前10時59分文化でしかないエクスタシーはなくて、やはり本能である生殖の土台に載ってるからこその文化だし、とかね。←そしてこう書くとつまらない(笑) 気温18.3℃←■昨日のシンポジウム『地域主権改革と北海道の地域課題』後に、映画2本♪あとは、ウディ・アレンだ(笑)!
2012年5月24日 木曜日 午前10時39分文化でしかないエクスタシーはなくて、やはり本能である生殖の土台に載ってるからこその文化だし、とかね。←そしてこう書くとつまらない(笑) 気温19.3℃←■今日、これから私が参加するシンポジウム『地域主権改革と北海道の地域課題』に、山口二郎は来るのかな?