2011年
11月20日(日)
11:30Am
沼田町で数年前から開催されている
『女性フェスタ』へ♪
その名の通り、
町内に住む女性たちのスキルの競演♪
ある女性は、編み物をし、
ある女性は、塩分の少ない料理を紹介、
ある女性は、手作りのブローチを展示。
みたいな、祭りである。
たまたま私の母も、
ぐーぜん女性なので、
茶道教室の生徒さんを引き連れて
お茶会。 |

▲100円カレーは、スプーン持参で♪ |

▲けっこーな、お手前っす。あざーす。 |

▲母と、お弟子さん。みんな、女性。 |
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▲夜中の3時までやってんだって! |
嫁&小学校5年生の次女と、
深川へ演劇を観に行くが、
やはりこの時間、ハラへった・と、
通りがけに見かけたここに入る。
5:20Pm
めしや 風来坊
〒074-0003 北海道深川市3条10-40
電話;0164-22-8880
ランチ;11Am〜2Pm
ディナー;5Pm〜3Am
ガット・ギターがあったので、
「おっ。」と、見ると近くにある楽譜は
コブクロだったり、
アナログLPが20枚ほど
ディスプレイ(?)されているので、
棚からひとつまみしてみれば、
北島三郎だったり、な店ではあるが、
繊細な定食は、けっこーおすすめかも。 |

▲嫁のハンバーグ定食が、うまそー。 |

▲私は、ざるそばをたぐったんでした。 |
6:30Pm
「炎の猿」や「炎の犬」は、いない。人間だけが炎になれる。
市村正親 『炎の人』
Masachika Ichimura
"The man who fire"
【原作】 三好十郎
【演出】 栗山民也
【美術】 堀尾幸男
【照明】 勝柴次朗
【音響】 井上正弘
【衣裳】 前田文子
【ヘアメイク】 鎌田直樹
【演出助手】 豊田めぐみ
【舞台監督】 加藤 高
【出演】 市村正親、益岡徹、富田靖子、今井朋彦、銀粉蝶、
原康義、さとうこうじ、渚あき、斉藤直樹、荒木健太朗、野口俊丞、
保 可南、中嶋しゅう、大鷹明良 | |
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久保の眼
■市村ゴッホは、俳優自身のキャラクターが透けて現れ、
真摯になるほどに、どこか滑稽であったり、悲しく見えたりする。
大またで舞台を左右する姿は、私には手塚治虫の初期のマンガに登場する
ケン一かヒゲオヤジに見えた。
それはミュージカル俳優ゆえの過剰な演技なのかもしれないが、
なるほどゴッホという人は、こうだったのかもしれない、
とゆー不思議な説得力もある。
■しかし、それは「ゴッホ」であるから成立する
特例の素材なのではないのか?
とも、私は同時に感じた。
つまり、これが同じ画家であっても、セザンヌやマネやモネや横山大観では、
市村の過剰な演技スタイルは観客を感動させる前にシラケさせるだけだろう。
その証明をこの作品も先回りして提示しており、
益岡徹が演じる抑えた演技のゴーガン(=ゴーギャン)には
誰もが魅了されるだろうし、
さとうこうじが演じる華やかなロートレックには
誰もがパリの夢を分け与えてもらえるだろう。
■では、演技とは模倣か?と問われれば、もちろん、それは違う。
であるから、市村のデフォルメは模倣を超えた技術であることも、
また間違いない。
実際、私は市村の魅力に惹きこまれ、一夜でファンになった。
■で・あるから、これは、市村の問題とゆーよりは、
世間にすりこまれたゴッホの通俗的なイメージのためであろう。
この演劇と同名の映画『炎の人』は、1955年のカーク・ダグラス主演だが、
狂気の天才=ゴッホのイメージを流布したのは、この映画だ。
つまり、我々観客と演劇のスタッフは、「ゴッホ」ではなくて、
映画の「ゴッホ」のイメージを期待し、演じたのかもしれない。
ちなみに映画の原題は、『Lust for Life』であり、
イギー・ポップの名曲 Lust for Lifeも、
ここからきているのか?
ゴッホにしても、イギー・ポップにしても、
パブリック・イメージは本人以上に演劇的なのだ。 |
■さて、パブリック・イメージとは言え、そこを拡大解釈し、
いったん図式的に置き換え、その後、複雑性を加味していこう、
とゆーのが
三好十郎(1902年4月23日〜1958年12月16日)版『炎の人』であり、
今公演もその精神に沿っていたと思う。
『炎の人』は、1950年12月22日に
滝沢修や宇野重吉らが創立した劇団民藝が、
翌1951年に第2回公演『炎の人〜ゴッホ小伝』として初演された。
つまり、その俳優や劇団の性格から、プロレタリア色の強い作品でもあった。
映画『炎の人』が公開される前から、ゴッホにはパブリック・イメージがあったのだ。
■「パブリック・イメージ」と、「プロレタリア色」は、
イデオロギー抜きに考えても、図式的過ぎる作品を作ってしまい、
ある意味、つまらなく、文学的とゆーよりか、
むしろ通俗的な分かりやすさに陥りやすい。
■それを乗り越えようというのが、「複雑性を加味していこう」という工夫である。
本作においては、
回り舞台を利用した場面の展開が、イメージの模様替えを工夫した。
■ストーリーは、大きく分けて5つで、
第一幕
炭鉱の暗い労働者の家で、ゴッホは宣教師として労働者問題に取り組む。
第二幕
ゴッホが貧相な自宅で、恋する売春婦の絵を描きながら、弟テオらと議論する。
第三幕
華やかなパリの画材屋『タンギーの店』に画家が集い、芸術論と青春を語る。
第四幕
アルルでのゴッホとゴーガンの生活。ゴッホは恋人ともすれ違い、しだいに発狂。
第五幕
廃人になったゴッホの前で、郵便局員が観客に向かってゴッホ論を長く語る。
と、それぞれにカラーがまったく違うのが、おみごと。 | |
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■この5つを、さらに3つに分ければ、
リアリズム=第一幕&第二幕
デフォルメ=第三幕&第四幕
となり、最後の長々と語るゴッホ論、とゆーか、
モノローグは、やはり説教臭すぎる。
最後は、こう叫ぶのだから。
「貧しい貧しい心のヴィンセントよ!
同じ貧しい心の日本人が今、小さな花束をあなたにささげて
人間にして英雄 炎の人、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホに拍手をおくる!
飛んで来て、聞け 拍手をおくる!」
う〜ん。これ、どうよ。
確かに初演の1951年の日本では
「貧しい」は積極的なメッセージであったのだろう。
そーゆー意味では「民俗学的資料」としては価値のあるセリフかもしれない。
しかし、詩としてはレベルは低いし、
俳優の大きな声の力を借りなくては説得力も無い。
■ただ、私は1951年の日本は近代の終わりにいたのだ、
と思えば興味深かった。
つまり、その後の日本は近代から現代になり、高度経済成長を迎える。
そして近代の始まりは、
ゴッホが耳を切った瞬間であり、発狂した1889年ではないだろうか。
なぜならば、
「リアリズム」のゴッホとは、「プロレタリア=労働者」のゴッホであり、
「デフォルメ」のゴッホとは、「アーティスト=表現者」のゴッホであったのであり、
この両者の自己同一性のゆらぎこそが、近代の始まりであり、
分裂こそが近代的「病(やまい)」であると私は思うからだ。
では、近代とは病か?・・・・・・私は、あえて「そうだ。」と答える。
近代以前の人類は、自己同一性からはみ出ることは無かった。
芸術にめぐりあってしまったゴッホが狂ったのは、
ロンドンで文学にめぐりあってしまって神経症になった夏目漱石のように
世界同時多発だった。
論理(ロゴス)とパトス(情念)の分裂の炎が、人間を人間にしたのだ。
■市村ゴッホは、その分裂の推移を
もっとデリケートに演じ分ければよかったのだろう。
あまりにも、最初からエキセントリックに悩むゴッホにしすぎてしまった。 |
▼ちなみに、会場で配られたアンケートには、私はこう書いた。
ところで、
ゴッホと言えば、
私は東京に住んでいた
1983年8月18〜21日に
哲学者の西田幾多郎(1870年〜1945年6月7日)の生地、
石川県宇ノ気町で開かれた
西田の研究講座に参加した。
その中の東京在住の参加者で、
『東京無学会』という哲学の研究会を作り、
毎月、富士短期大学の哲学のゼミ研究室に集まり、
講師を呼んで勉強したり、議論したりしていた。
その会はふつーに大学教授とかも参加していて、
オーストラリア人とドイツ語で哲学の議論をしたり、
私にはとうてい追いつかない秀才の集まりだった。
で、定期的に研究誌『炬火』を発行し、
論文を発表していた。
もちろん、私も書いていたわけで、
まったくもってお恥ずかしい内容だが、
そこでゴッホとニーチェが発狂したのが
同じ1889年であることについても
書いたことがあった。 |

▲これは1985年2月発行の、第14号。 |
▲掲載されている私の論文(?)の題。 |
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▼私の論文に載せた、1889年をめぐる年表。
▲1889年、ニーチェとゴッホは狂い、ヒットラーとハイデッガーが生まれ、
西田は中学校を落第し、明治憲法が発布された。 |
▼さらに私の論文は、こう展開する。がくっ。
▲しかし、こんな汚い殴り書きを
哲学の論文集に掲載していいのか? |
それから私は、世界中でゴッホの絵を観てきたわけなんだけど。
▲1996年4月16日、パリのオルセー美術館で。
私の前にいる4歳児の現在が、この記事のずーっと上の最初のとこで100円カレーを食べているロンゲ。
このゴッホの『肖像画』は、ニーチェとともに発狂した1889年の作品。
もちろん、右耳はすでに無い。