さっちゃんも、プールに行きました。I'll follow you wherever you may go!
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moto_kubo@hotmail.com
2012年
5 月
映画
た びたび
他にも何か書くことあった気がするのだけれど忘れてしまったからもう出す。
脳内共犯
としての
映画館

脳 味噌共犯 movie days (and movie nights !!)  暗闇の私。≒ 私の暗闇。
やっぱ、映画館で観たい♪『共犯新聞』映画館
Oh ! うめぇ〜♪肉体の共犯としての食犯。美食狂時代2009』 『2010』
ざらっとした森で見たブライアンのプール。久保元宏 ★ 2009年に買ったモノ! 2010 年に買ったモノ!
共犯者からの年賀 状2010年

今年も、12人の使者が!性とやっぱ、映画館で観たい♪映画の撃たれたい夜。革命の死 2012
The death of the revolution of sex and movie.

2012年10月17日、まるで心中のようにふたつの死体が転がり込んできた。
ひとつは、新宿。ひとつは、アムステルダムで。

しかし、もうすこしましな説明を得るためには、わたしの意識してゐない過去へと降りてゆくことが必要で、
そんなゆとりはとてもないし、さしあたり材料が足りない。
やがて揃ふとも思へない。
わたしはそんなふうに考へて、答えを出すことを諦め、
そもそもこれが問ふに価することかと疑ひ
次いで、この種の些末な謎をたくさんかかへて生きるのがわれわれの人生だと自分に納得させたのだつた。

さういふ諦めを自分に強ひることは、これまで何度も練習してゐるから、
わりあひ易しい
のである。

丸谷才一
パラパラ・・・『樹影譚』
(1988年8月1日、初版、文藝春秋)

若松 孝二
(わかまつ こうじ、1936年4月1日〜2012年10月17日)

宮城県遠田郡涌谷町出身の映画監督。
1963年、ピンク映画『甘い罠』で映画監督デビュー。
2007年の
やっぱ、映画館で観たい♪『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』など多作。

2012年10月12日午後10時15分ごろ、
左から来たタクシーにはねられ、意識不明が続いていた。
享年、76歳。

シルビア・クリステル
(Sylvia Kristel、1952年9月28日〜2012年10月17日)

オランダ・ユトレヒト出身の映画女優。
1972年、映画『処女シルビア・クリステル/初体験』でデビュー。
1974年の仏映画やっぱ、映画館で観たい♪『エマニエル夫 人』が大ヒット。

2012年6月に咽頭がんの治療を受けた後、
脳卒中を起こし、危険な状態が続いていた。
享年、60歳。

異物のイヴェント。 世界中で大ヒットした映画『エマニュエル夫人』が、
日本でも大ヒット中していた
1975年8月13日10Amから翌日14日10Amまでの24時間、
東京・新宿のコマ劇場にて『のんすとっぷ24時間』が開かれた。

次々に、舞台に有名人が出てきては、好き勝手なことを言うイベント。
出演者の一部を紹介すると、こーゆーやつら。

青地晨、赤塚不二夫、阿佐田哲也、飛鳥田一雄、生島治郎、
石垣純二、一柳慧、伊丹十三、井上ひさし、宇井純、上田哲、
内田裕也、宇都宮徳馬、榎美沙子、小沢昭一、小沢遼子、
太田薫、太田竜、大西信行、岡本愛彦、岡本太郎、加藤武、
木の実ナナ、紀平てい子、木村武雄、久野収、栗原玲児、
黒澤明、黒田征太郎、児玉誉志夫、小中陽太郎、佐々木更三、
佐藤允彦、佐藤信、新谷のり子、菅原文太、鈴木志郎康、鈴木武樹、
鈴木均、袖井林二郎、田中真理、田原総一朗、高橋晄生、竹中労、
立花隆、龍村仁、田英夫、中村とうよう、中村敦夫、野坂昭如、
ばばこういち、花柳幻舟、原田奈翁雄、深作欣二、藤本義一、
真継伸彦、前田武彦、松岡洋子、松田政男、三上寛、美輪明宏、
八木正生、矢崎泰久、山藤章二、若松孝二、愛川欽也、渥美清、
青島幸男、五木寛之、伊藤一葉、井上清、植草甚一、
加藤登紀子、加納典明、梶芽衣子、篠山j紀信、土本典昭、
内藤国夫、羽仁五郎、不破哲三、深沢七郎、丸山邦男、美濃部亮吉

当時、中学2年生の私は、
こんなイベントがあったことは知らなかったが、
20歳のころ、この報告書『大闘論 われらの戦後30年』を
古本で買い&読んで、刺激をいただいた。

ちなみに中学2年生の私は、
『エマニエル夫人』の存在は知ってはいたが、観れなかった。
がくっ。
『のんすとっぷ24時間』には、
とーぜんのよーに、若松孝二も参加している。
ポルノ女優=田中真理「セックスはおクニのためにするんじゃない」
の次にサングラスで登場した当時39歳の若松は、
パレスチナへの連帯を訴えた。

ちなみに若松のページを構成したのは、
のちの小説家、森詠。
自由をとれ!
こんな人も参加してたー。 人が熱かったのか、時代が熱かったのか。

しかし1970年代は、このイベントの1975年をはさんで、
「しらけ」の時代と呼ばれるようになる。

またしても、過ぎてしまった1960年代を引き留めようとする
敗残兵たちのイベントにすぎなかったのか。

若松のエロ映画は湿度が高く、『エマニエル夫人』は乾いていた。

あれから30年以上が過ぎ、
いつの間にかセックスは気軽に「えっち」と呼ばれるようになり、
明るく語られ、明るくされる(?)ようになった。
まさに『エマニエル夫人』化、だ。

この間、若松は変わらなかった。
どこまでも湿度が高いまま、いつも怒っていた。

『エマニエル夫人』革命は成功し、
若松の革命は幻想だったのか?

『エマニエル夫人』は、みんなが見たいものを見せ、
若松は、みんなが見たくないものを見せつけた。
その両方に官能があるのなら、
乾いた肌の裏側は湿度が高い、とゆーことだろう。

つまり、『エマニエル夫人』は若松の表象であり、
若松は『エマニエル夫人』の裏側なのだ。
私が彼らの死を心中と感じた直観は、
その表と裏が混じり合う甘美な死臭が誘った。
それは1970年代の心中だった。
そして1970年代が心中した後の世界は、
表と裏が入れ替わるかもしれない。

text by
うぇ〜ん!久保AB- ST元宏 (2012年10月20日 土曜日 1:44Am)