さっちゃんも、プールに行きました。I'll follow you wherever you may go!
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moto_kubo@hotmail.com
2013年
3 月
映画
た びたび
他にも何か書くことあった気がするのだけれど忘れてしまったからもう出す。
脳内共犯
としての
映画館

脳味噌共犯 movie days (and movie nights !!)  暗闇の私。≒ 私の暗闇。

もういちど会うための。

2013年3月7日 木曜日 午後5時48分プラットホームの白い帽子。 気温2.4℃←■今日の北海道新聞・夕刊に映画『ジャンゴ』の評論が掲載されてるけど、今回も『共犯新聞』感想文の勝ち・だな(笑)。


解放
Unchained Melody
しかし、私にとってとくに気がかりだったのは、
運転台のとなりに坐った黒人がこのいさかいに一と言も口出しするどころか、
坊主刈の頭をまっすぐ正面に向けたきりだったことだ。
その態度は終始一貫、無関心というよりは、まるで別世界からやってきて、
われわれとは何の共通した感情もない、人間以外の何かであるような気さえした。
黒いレインコートの襟を立てて、
まだ子供っぽい顔の(たぶん学生であろう)その黒人に、
私ははじめて「差別」された人間を感じた

安岡章太郎アメリカの言語と、ニッポンの彼岸。『アメリカ感情旅行』
(1962年2月28日、初版、岩波書店)
定価\130→
パラパラ・・・葦書房 古本\200+amazon配送料および手数料\250=\450
朝刊に、 ちょうど1年前に作り始めた
紙芝居の進化形が報道されていた。
ひとときの手記。
久 保商店の事務所で
昨年の3月8日、
初めて見た♪


チャレンジャーは、
チャレンジャーを生む。
2013 年3月1日(土)
チャレンジャーは、チャレンジャーがお好き♪
記事を書いた玉邑記者は札幌へ転勤になり、 最後の地方記事。
9:14Am
Facebookでは、
さっそく今朝の新聞の
『永遠のチャレンジャー』が話題♪

チェーン・チャレンジャー。

どこからでも、どこまでも♪
昨夜、作っておいた
3月の定例議会「一般質問」
プリント・アウトして、
議会事務局へ届ける。

10: 43Am
みんな未来へ出ていくトコロテン♪
新築された沼田小学校での初めての『卒業生を送る会』。
四角い空間を生かした学年ごとのパフォーマンスが順番に繰り広げられる。
「発表会」と言うと、ステージの上だけの二次元的な発想になりがちだが、こうして三次元的パフォーマンスをするのって、3D時代の正しさだなぁ。
最後に我が家の次女が卒業生として学年でダンスを披露。
我が家では長男や長女と比べて次女は、積極的に人の前に出たがらなかったのに、いつの間にかセンターで踊るようになっていて、やや驚き。
学校なんて、ただのハコなんだけど、ちょっと引っ張るだけで☆じゃら&じゃら出てくる不思議なチェ〜ン。
だから、どんな風に「ちょっと引っ張る」か・が、たいせつ。

2: 52Pm
雪の回廊を、いつか帰ろう。
雪が降る中、札幌へ。
3: 59Pm
産地直送の音楽。
カー・テレビに、農民オケが!
もちろ ん、私は何度も
遠くへつれてって。北 海道農民管弦楽団
コンサートに行ってるが、
団長で指揮者の
遠くへつれてって。牧 野時夫マエストロや、
楽団員の遠くへつれてって。quiquら と
不思議な
チェーンで
つながっている。
4: 44Pm
愛さないと見えないものがある。
札幌は先週の大雪が溶けはじめた。

ちょーど、いいタイミングで映画がやっていた♪

肺にダイヤモンド。
5:10Pm6:41Pm
毎月1日は映画の日、\1000♪
やっぱ、映画館で観たい♪『菖蒲』
原題;『Tatarak』、英題;『Sweet rush』
原作;ヤロスワフ・イヴァシュキェヴィッチ『菖蒲』
監督;アンジェイ・ワイダ
脚本;アンジェイ・ワイダ、クリスティナ・ヤンダ
撮影;パヴェウ・エデルマン
出演;クリスティナ・ヤンダ、パヴェウ・シャイダ、ヤン・エングレルト

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
とっ くの間に、映画史の男となっているアンジェイ・ワイダの新作をリアル・タイムで味わえる幸甚。が、しかし、新作とは言え、ご当地ポーランドでの初公開は 2009年だから、日本での公開までに4年もかかっている。すべての日本国民は、ワイダの新作をスグ観ることができないことを、日本の文化の低さだと恥じ るべきだ。
4年も待たされたことは腹立たしいが、4年待った甲 斐がある傑作 だ。映画史の中の男が、誰よりも新しい映画を作り続けていることに、ただただ感動する。
ま ず、なによりもアヴァンギャルドだ。あまりにもアヴァンギャルドすぎるためか、映画が始まる冒頭に、この映画の構成が日本文で説明されている。これは日本 でだけなのか?また、この説明は必要なのか?そんな疑問≒議論も含めて、ワイダ的だ。その構成とは、まず女優クリスティナ・ヤンダが、夫でありワイダ監督 の親友である撮影監督のエドヴァルト・クウォシンスキの病死を悲しむ長い静謐なモノローグから始まり、それがいつしかクリスティナが主役を演じる映画『菖 蒲』になり、そのクライマックスを演じ撮影している真っ最中にロケ地からクリスティナは逃げ、そのまままた夫の死による喪失感を語るドキュメンタリーに 戻ってゆくが、今度はまるでフィルム・ノイズのように映画『菖蒲』の続きが途切れ途切れにインサートされ、美しい混乱のまま映画は終わってゆく。
そ して、映像が美しい。ワイダの白黒時代の名作『地下水道』(1956年)や『灰とダイヤモンド』(1958年)の映像の美しさは永遠だが、私は彼のカラー 時代の映像に美しさを感じてこなかった。『大理石の男』(1976年)や『カティンの森』(2007年)の政治へのコミットメントは素晴らしいが、白黒時 代の映像美を知る我々には老いた巨匠には言い出せない物足りなさがあった。その諦念が一気に払しょくされた美しい映像の連続にワイダは再びキャリアに映像 詩人を明確にマーキングした。
私は今、かつて自分で書いたやっぱ、映画館で観たい♪『カ ティンの森』の感想文を読み返したのだが、そこで私がワイダへの敬愛を言い添えつつ遠慮がちに書いた欠落部分が、本作では見事にクリアされている ことに驚かされた。我々が勇気を持つ瞬間とは、こうして優れた先人が現役で闘っている姿を知る時だ。

私が映画館で観れる映画の数は限られているので(笑)、
映画は新作&その年に公開された作品にできるだけ限るように自分でルールを作っているのだが、
ワイダの「新作」は4年前の映画なのに、非常に今を感じさせてくれた。

6: 44Pm
想い出を見に来た人。
同じ映画を観ていた老人が前を歩く。
い つの間にか
札幌はRCサクセションが聴こえる。雨に なっていた。
8: 07Pm
千の雨。
商談会後、
仲の良い米屋とふたりで雨に濡れながら
少し歩き、
お互いの忙しさを祝福しつつ、
それぞれの駐車場へ溶け込んだ。
6: 53Pm
開いてみた。
夕食を喰いながら、コメの商談会。
7: 47Pm
出してほしい人たち。
成立した売買は紙に書いて貼り出す。

だん&だん激しくなってゆくクレイジー・ラブ雨の中、またしても映画館への螺旋を逆に駆け昇る。

8:30Pm11:27Pm
ユナイテッド・ シネマ札幌
毎月1日は映画の日、\1000♪
やっぱ、映画館で観たい♪『ジャンゴ 繋がれざる者』
原題;『Django Unchained』
監督&脚本;クエンティン・タランティーノ
出演;ジェイミー・フォックス、クリストフ・ヴァルツ、レオナルド・ディカプリオ、ケリー・ワシントン、サミュエル・L・ジャクソン

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の 眼
ピストルで撃たれるたびに、血しぶきだけではなく、 細かくちぎれた肉片も飛ぶ。 なぜなら、タランティーノだから。
そんな風に映像も、画面を覆う極太のレトロな字体 も、なつかしいのかフザケてるのかの観客の判断を待たずにシャッフルされるBGMも、すべてが 過剰。たとえば、主人公が最も不自由な時に、1969年のウッド・ストック・フェスティヴァルでのリッチー・ヘヴンス「フリードム」がBGMに使われる狂 気。
白 人が大好きなマカロニ・ウェスタンを逆輸入しておきながら、白人が最も触れられたくない奴隷制問題をド真ん中に置く性格の悪さを発揮し、そこに近代化を法 と利益で微分化するごとに正義の概念を混乱させ続け、それら全てのアンチ祝祭的混乱をラブ・ストーリーで引きづり回し、物語には無駄な繰り返しやディ ティールで観客の価値観を不安にさせ、いったん終わったと思わせて最高のカタルシスをさっと差し出し消える。
それにしても、奴隷制度に反対する最高の方法とは、 黒人が白人に対抗することではなく、黒人が黒人を殺すことで制度の意味を消す、とは誰もたどり着くことができなかった解放理論ではないか。
も はやタランティーノの映画は、映画とは何かと考え続ける運動だ。もちろんご本人にとっては、そんなことはカンケー無いだろーし、彼がそう思わなくても、い や、そう思わないでやってしまう運動こそ映画という野生の本質だ。彼の映画はもはや観る、とゆーよか、体験する、だ。彼の映画を体験してしまった者は、誰 もが観ながら「これは何なんだ?」と思考するが、それを彼は映画の饒舌で追い詰める。アンジェイ・ワイダが「映画史の男」ならば、タランティーノは「映画 史」ヲタクだが、通常のヲタクは狭いヲタク社会内でサンプリングの芸を確認し合う幸福感がエンジンだが、タランティーノはサンプリングの肉体化、もしくは サンプリングの 解放を行っている。その時、共通言語として幸福感を生むサンプリングは、ひとりの男=タランティーノだけの幸福の独占となり、その度数の高まりは社会との 隔絶を広げ、タランティーノが笑うほどに社会は凍りつく。それを共通言語では、狂気と呼ぶ。ここにヲタクの祝祭的チェーンはちぎれ、絶望の荒野が待ってい る。しかし、それこそが自由なのだ。
つながれたくないメロディ

絵空事を強引に地上へ引きづり寄せたリアリティ。雨の 中、108km北へ帰宅。
0時を過ぎたころ、どこまでが雨だったのか。雪 になる。

頭脳警察の「銃をとれ!」は、 「フリードム」からインスパイアされたのかな。

text by うぇ〜ん!久保AB-ST 元宏 (2013年3月6日 水曜日 2:46Pm)