さっちゃんも、プールに行きました。I'll follow you wherever you may go!
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moto_kubo@hotmail.com
2013年
1月
映画
た びたび
他にも何か書くことあった気がするのだけれど忘れてしまったからもう出す。
脳内共犯
としての
映画館

脳 味噌共犯 movie days (and movie nights !!)  暗闇の私。≒ 私の暗闇。
やっぱ、映画館で観たい♪『共犯新聞』映画館
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ざらっとした森で見たブライアンのプール。久保元宏 ★ 2009年に買ったモノ! 2010 年に買ったモノ! 2011 年に買ったモノ!
共犯者からの年賀 状2010年

2013年1月28日 月曜日 午前9時22分
うしろのサウンドトラック。 気温-14.5℃←■予告通り(?)この週末は映画6本観た。これで今月、12本。このペースだと今年は144本観る!?

2013 年1月26日(土)天国と、ふるさと。・・・どっちが欲しい?

”傷つくことができる才 能”
もしくは
Around Theりんごが割れるように。World In 2 Days
ランボー 「自分の作品は傑出している… 世界を変える…
誰も僕の域には達しない…
だが違った 世界は何も変わらない 言葉は無力だ」

 ヴェルレーヌ 「そうとは思わない 才能がある
目指した事が異常だったのだ 方向を変えればいい」

 ランボー 「僕の才能をどう使おうと勝手だ」

 ヴェルレーヌ 「やめてはいけない」

映画コミューンでつかまえて。『太 陽と月に背いて』
(1995年、監督;アニエスカ・ホランド)


1月20日(日)に センター試験で小林秀雄を解いてから、私の脳味噌は腹へるヒント小林秀雄モードになっていた。
その試験問題となった評論パラパラ・・・「鐔 (つば)」を小林が書いたのは、私が生れた1962年なので、
私は特にそのころの小林を中心に考えていた。
その時、小林は60歳。
すでに文学界のカリスマになっており、戦争のトラウマからも遠くなり、青山二郎との骨董マイ・ブームも去り、安定していた時期だと思う。
しかし、小林がほんとうに面白く=スゴクなってゆくのは、これからだった。
1945年
昭和20年
1月 「梅原龍三郎」を書く
*「モオツアルト」の執筆や骨董に沈潜する
1946年
44歳
12月 青山二郎らと編集した季刊雑誌『創元』第1輯に、
『モオツァルト』、発表。「短調のモーツアルト」
1952 年
50歳
6月『ゴッホの手紙――書簡によ る伝記』(新 潮社)
12月25日 今日出海とエジプト、ギリシャ、ヨーロッパ、アメリカへ。
1953年
7月4日 帰国。迎えに来た青山二郎と、絶交。
1958年
56歳
4月『近代絵画』(人文書院)、刊行。
モネ論「色とは、壊れた光である」
5月 ベルクソン論「感想」の連載開始(『新潮』)
1962 年
60歳
6 月「鐔」(『芸術新潮』)
1963年
61歳
6月「感想」が56回 で異例の未完 連載打ち切り。
6月26日〜10月14日 ソ連作家同盟の招待で、
安岡章太郎らとソビエト旅行。帰路はヨーロッパで遊ぶ。
11月3日 文化功労者の顕彰。
11月「ネヴァ河」(『朝日新聞』)にソビエト旅行の雑感を次のように書く。
ソルジェニツイン『イワン・デニーソヴィッチの一日』を読んで、
「「コンミュニストの一日」といふものは在り得ない。
コン ミュニストの 「一日」は、原則的に、明日のために供へられ、
未来の 目的によって 食ひ荒されてゐるはず だ、と。」
1965年
1月「本居 宣長」を書き始める。
1976年
12月「本居宣長」の連載、完 結。理由は健康 の異常。
1977年
10月 『本居宣長』(新潮社)連載の三分の一に凝縮し単行本。
1983 年
81歳
1月13日 風邪をこじらせ、鎌倉市の佐藤病院に緊急入院。
3月1日1:40Am 肝不全で、没。
←左は、小林の晩年の年表だ。
通常、小林の代表作は『本居宣長』とされる。
確かに『本居宣長』は11年間も連載され、
そのあげく小林本人が三分の一に削って単行本化した渾身の一冊だ。

私が生前の小林の新刊としてリアル・タイムに体験したのも、これだけ。
当時、私は高校1年生で、今から考えれば、
1977年とは『本居宣長』とセックス・ピストルズの年だった。
なんとゆー年だ!
『本居宣長』は大判でデカくて&ブ厚い書物であり、
それから5年後の1982年に発売された
廣松渉『存在と意味 事的世界観の定礎』第1巻(岩波書店)も
大判でデカくて&ブ厚く、1980年代の書店では、この
図書館で小林秀雄を枕に、愛し合ったよね。ブ厚く&難しい2冊2巻まで出ちゃった〜。
圧倒的な存在感があった。単純に図式化すれば、
右翼の『本居宣長』VS左翼の『存在と意味』って感じで、
両者が書店の書棚の少し離れたところで難しさ(笑)を競っていた。
思えば、この2冊が日本の重厚長大の最後の姿だったかもしれない。

私にはそんな体験もあって、
小林の思想の集大成が『本居宣長』であると疑うことはなかった。
しかし、↑上の晩年の年表で気になるのが
小林は、『本居宣長』の連載が始まる直前まで「感想」を5年間連載していたことだ。
しかも、その5年間とは「鐔」を書くなどしていた充実していた60歳前後。
そして興味深いのは、
小林は「感想」の連載を自ら打ち切ったばかりではなく、
親族ならびに出版元である新潮社に対し、「感 想」を単行本化&全集に入れることを禁止し、自ら封印したのだ。
であるから、彼の死後、ついに2002年6月に単行本化されたことは、小林の読者には事件だった。
もちろん『小林秀雄の恵み』を書いたボウイのセーターで東京大学へ通学したあの頃から。橋本治のように、
「『感想』は小林氏が刊行を望んでいなかったのだから、自分は読まない」と言うのもひとつの判断だ。
つまり単行本化された『感想』は、ブートレッグ(=海賊盤)なのだろう。
『リヴォルバー』や『アビィ・ロード』を聴けば、アウト・テイク集の『アンソロジー』を聴かずともビートルズが分かるところが、ビートルズのすごいところ なのだし。
それでも一方で我らは、
脳味噌で空想のペット・サウンズの夕暮れの犬と電車。『スマイル』を聴こうとする生き物であり、ブライアン・ウィルソンはそれを実現したことも体験してしまった。

では小林が晩年に取り組んだベルクソンと、本居宣長についてカンタンに、おさらい♪
国家が準備される朝。
61歳の自画像
本居 宣長(もとおり・のりなが、1730年6月21日〜1801年11月5日)
江戸時代の国学者、文献学者、医師。
伊勢国松坂(三重県松阪市)の木綿商の父の次男として生まれるが、23歳で京都へ上り、医学と漢学を学ぶ。

28歳で松坂で医師を開業し、かたわら『源氏物語』など、言葉や日本古典を講義し、「もののあはれ」論を説く。
34歳から、現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。
それは、幕藩体制の支配イデオロギーである儒教との対決と して中国の影響を排除し、日本人に深くしみついた「漢心(からごころ)」を除き、日本人の真心 を取り戻せと主張した。これは日本人の同一 性(=アイデンティティ)を形成する作業であり、宣長は日本を最初に主題にした人物とも言われる。
また「迦微(かみ)」≒神を、万物という自 然に宿る人間を超えるものを見る考えと定義し、転換期の神 の再解釈をした。
主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。
鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋(すずのや)」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。

物質は、時間のラブ・ホテル。 アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson、1859年10月18日〜1941年1月4日)
フランスの哲学者。母はアイルランド系ユダヤ人、父はポーランド系ユダヤ人の音楽家。

第一次世界大戦中の1917年・1918年、フランス政府の依頼でアメリカが参戦するよう説得する使節として派遣され た。
大戦後の1922年は、国際連盟の諮 問機関として設立された国際知的協力委員会の委員に任命され、第1回会合では議長となって手腕を振るった(当時の国際連盟事務次長であった新渡戸稲造とも 面識があった)。
1927年、ノーベル文学賞を受賞。
1930年、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を授与。
1941年、気管支炎により他界。晩年は関節炎に苦しみ、ド イツ占領下のパリでユダヤ人として迫害を受け、貧窮する。

「『感想』とは何か」と題した安藤礼二による前田英樹への2003年6月30日に行われたインタビューで、こんな会話がある。
脳味噌が準備される夜。
左下の本で語られていたこと。
安藤 『感想』は、また『本居宣長』の巨大な序章としても読めるわけですね。

前田 『近代絵画』と『本居宣長』をつなぐブリッジでもある。




・・・ ちなみに、このインタビューは10年前なんだけど、
今では前田よりも、インタビュアーの安藤のほうが巨大な思想家として評価が高い。
もしかしたら安藤は、最新型の小林秀雄になれるかもしれないなぁ。

さて、そんなワケで、「感想」は単行本化されなかったが、どーやら重要な作品らしい。

では、なぜ小林は晩年にかかろうとする最後の大仕事にベルクソンを選んだのか?
『共犯新聞』的な推測をすれば、その理由に3人の存在があった、と私は考える。
それは、ぜんぶの研究。西田幾多郎ロンドンとパリを同時に見るマロニエ。サルトルごめんね痔ろう。青山二郎、だ。

日本のスーパー・スター小林秀雄の1952年12月25日〜1953年7月4日のエジプト、ギリシャ、ヨーロッパ、アメリカ旅行は、かなりのカルチャー・ ショックだったと思う。
いや、そのカルチャー・ショックぶりを表面に出さずに、
江戸弁で「べらんめぇ、俺に影響を与えるものは世界中どこにも何もありゃしねぇぜぇ。」と言うのが小林であろう。
ただし、
実はその影響を誰よりも強く、深く、傷つけられるように受けてしまうのが小林の才能の中心であり、
さらに&それを思索とゆー熟成の果てに、きちんと自分の作品にしちまうのが、小林の非凡なところである、と私は解釈している。
だから、7ヶ月以上の欧米体験は、中原中也仕込みの小林の”傷つくことができ る才能”が発揮できる最高のステージであったことは間違いない。

もう森には行かない。
『小林秀雄 全翻訳』
(1981年7月28日、初版(普及版)、講談社)
アラン「精神と情熱に関する八十一章」、
ポオル・ヴァレリイ「テスト氏」
サント・ブウヴ「我が毒」
「ランボオ詩集」
ボオドレエル、ジイド、リヴィエール
この1952年12月25日〜1953年7月4 日、
世界はサルトル・ブームの真っ最中だった。

おりしも、1952年8月からサルトルとカミュの論争が始まり、
たぶん小林も欧米各地で、その論争の経過を耳にし、時には意見を求められたであろう。
おそらく小林にとっても3歳年下=同世代の「天才」サルトルは、
批評を通じて哲学を語る手法の近似からしても気になる存在であっただろう。
東大フランス文学学科を卒業し、
文学者の歴史をフランス文学の翻訳から始めた小林にとっては無視できないはずだったと想像できる。

ただ、小林は、
「なぜサルトルは世界的に有名人で、私は日本の中だけのスーパー・スターなのだろうか?」
と、海外で自問していたのではないのか?
それは、翻訳の問題なのか?
取り上げるテーマが問題なのか?
ならば、日本の古臭い骨董で遊んでいる場合ではないだろう。
もっと世界で通用するテーマにすべきだ。
それは、今ならブーム中のサルトルだろう。
しかし、ここでサルトルを選択するのは、あまりにも小林の趣味では無さすぎる。
・・・と、ゆー風に、ではないだろうか。

そして、帰国後の小林は、まるでサルトル・ブームが無かったかのよーに、サルトルの評論を書かずに、ベルクソンに向かう。
その含羞こそが”傷つくことができる才能”の人、小林らしさで あると私は思う。

小林によって単行本化が封印されたベルクソン論「感想」だが、実は一度だけ単行本化されたことがある。
『新潮』で「感想」の連載が1年たった段階で、1959年7月、東京創元社から単行本『感想』が出版されているのだ。

追記;うぇ〜ん!2013年2月7日 木曜日 11:46Pm久保も、みどりちゃんから、いただいてたんでした〜♪
私が上記に「1959年7月、東京創元社から単行本『感想』が出版」と書いたのは、小林の年表からひねり出した。
しかし、よく考えると、のちに単行本化を禁じる書物を自分で出すか?と思い、それを確認せねばと、またしてもamazon古本で取り寄せた。
 そばに。
商品:510円+配送料・手数料250円 で、合計:760円だった。定価は、380円。1959年7月30日、初版。創元社。・・・もちろん、絶版。
読んでみて、がくっ。
これは、ベルクソン論を書いた連載「感想」ではない。
まったく違う『感想』だった。

まぁ、勘違いしたのは私のほうだから、それはいいんだけど、
でもさぁー雑誌に「感想」を連載中の作者の新刊が『感想』だったら、
この『感想』は、あの「感想」だと、ふつー思うんじゃね?

しかし、このタイトル。
「感想」って。
さすがに最近は無いだろーが、この『感想』が出版された当時は
日本中の高校生が
小林秀雄を読まされて「感想」を書かされていた。
その時に、そのご本人が『感想』を書いてるって、
ジョン・ライドンがアルバムのタイトルを
『アルバム』にするよーなもんじゃね?
星に犬。
うわっ。ベルクソン論じゃないベ。
スモーキーの向こう側。
これはベルクソンを論じているんじゃなくっ て、利用してるだけ。
しかし、それでも、ちょっぴりベルクソンに触れ ている文章もある。
まぁ、
←この程度なんだけどね。



You Can't
Always
Get
What
You Want
よこに。
小林秀雄、恐るべし。

そして、それを確認したかのように、その出版直後の9月に小林は、『文藝春秋』で連載中の大衆向けエッセイ「考へるヒント」で、サルトルについて書いてい る。

これもまた私の仮説だが、小林はベルクソンを一年間の思索としてやっつけた後で、単発エッセイで何気なくサルトルを書くことで、
巨大なサルトル論を完成させようとしたのではないのだろうか。
この場合、”何気なく”とゆーのが、小林にとって最重要だった。
なぜならば、小林にとってサルトルは相対的にベルクソンよりもかなり小さいものだ、とゆー手の込んだ演出が目的だったのだから。
さらに演出を完璧にするために、この連載は6月にエドガー・ポー、7月にプラトン、8月に井伏鱒二について書いてきたのに、
サルトルを書いた翌月の10月は「漫画」と題して妹の夫の漫画家・田河水泡『のらくろ』について書いている。
つまり、「俺にとってはサルトルも、のらくろも同じなのだ。」と言わんばかりである。

また小林がベルクソン論「感想」を書き上げられないままに断念した翌年の1964年に、
サルトルはノーベル文学賞に選ばれたが、「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない」と言って、辞退している。
このかっこよさがまた小林は気に喰わなかっただろーな(笑)。
先に述べたように、ベルクソンは1927年にノーベル文学賞を受賞しているし、サルトルと論争したカミュも1957年に受賞している。
それらの既成事実があるからこそサルトルはノーベル文学賞を思想的デモストレーションとゆー演劇空間の演出として辞退したのであり、
だから、小林はより一層、いら&いらしたんじゃねーのかな?
人間が「怒る」時は自分とは反対 のものを見せられた時だが、「いら&いら」する時とは自分の姿を鏡に映された時だ。

さらに、ベルクソンの葬儀には、若き日の小林が翻訳したポール・ヴァレリーが参列し、言葉を捧げている。

そう考えて行くと、小林をいらいらさせたサルトルのネガとポジの位置にベルクソンがいる、と想像してみる 私なのだ。

こうして書かれたベルクソン論「感想」が突然の連載中止をした同じ月から、
小林は小説家の海辺の幽か。安岡章太郎(やすおか・しょうたろう、1920年5月30日〜2013 年1月26日)、佐々木基一と
4ヶ月間のソビエト旅行に出発する。
6ヶ月間のヨーロッパ旅行が小林にベルクソン論を書かせ、4ヶ月間のソビエト旅行がそれを終わらせたのだ。
そこにも私は、「いら&いら」する小林を見るのだ。
さて、1902年生まれの小林よりも18歳若い安岡章太郎も同じように海外に2度行っている。

小林秀雄
安岡章太 郎
1952年 12月25日〜1953年7月4日 50歳  今日出海とエジプト、ギリシャ、ヨーロッパ、アメリカへ。 32歳  「第三の新人」と呼ばれる。
1960年 11月25日〜1961年5月
40歳  ロックフェラー財団の招きで、アメリカへ留学。
1963年6 月26日〜10月14日 ソ連作家同盟の招待で、ソビエト旅行。帰路は8月から チェコのプラハ、パリで遊ぶ。
ふたりの最も大きな違いは、戦争との距離感であろう。
現在の視線から見れば、より老いた者が戦争体験者で、若い者は平和ボケしている、となるが、彼らの世代では逆転する。
小林は平和期に青春を謳歌し、戦争中は40歳代で、すでに文壇のスーパースターとして軍部へ『近代の超克』として思想的裏付けをしていた。
一方、安岡は24歳で1944年3月に徴兵され満州へ行くが、8月に胸部疾患で入院。その翌日、部隊はフイリッピンへ移動し、レイテ島で全滅す る。
この差は大きいが、ふたりの中間の世代であり小林の親友である大岡昇平も1944年にフィリピンに招集され、1971年に『レイテ戦記』を刊行している。

今まで考察してきたように、小林にとって二度の海外体験は純度の高い抽象的な思索へと導いたが、
安岡は「アメリカに滞在して、当時はまだ厳しかった人種差別の実態を見たことが大きかった」ようで、
さらに小林から「私小説はもういいよ、わかったから歴史を書けよ」と言われ、小説のテーマを社会へ向けた。

ちなみに、連載「考へるヒント」でサルトルについて書かれた「読者」と題したエッセイから少し抜粋してみよう。

・(フランスでは)作品とは、めいめいの孤独を発表する手段

・(アメリカでは)作品とは、孤独から解放されんが為の機会

・批評家はすぐ医者になりたがるが、批評精神は、むしろ患者の側に生きている

・戦争は、文学を生む事は出来ないのは無論だが、
文学を本質的に変化させる力も戦争にはない、
何も彼も文学者たる自分の心がするのだ。

ど うだろう。さすが、必殺のアフォリズム集だ(笑)。

最初のふたつは、サルトルの述懐として書かれてはいるのだが、
小林の長期海外旅行がサルトルを書かせたことが
無意識に告白されている。

また、最後の言葉は、「文学者の戦争責任」が問われていた時期であり、
その代表の一人として血祭りにされることが多かった彼からの解答としても重要だ。

深夜の読書は、腹へるヒント。
私が初めて買った小林秀雄の本は、これ。 19歳の時。

さて、小林にベルクソンを書かせた3人の中のもう一人、西田幾多郎については、ここで、つながる。
「文学者の戦争責任」として血祭りにあげられながら、「反省」とゆー「転向」をした多くの元・国粋文学者がほとんどだった中で、小林は反省も転向もしな かった。
たとえ戦争や敗戦があろーが、自らの思想の連続性を貫いた。
その堂々とした姿勢はまた「左翼」をイラ&イラさせたことだろう。
また&また私の仮説だが、それでも小林は心の中で、めんどくせーな、と思いつつ、
敗戦の直前に死んだ西田幾多郎をうらやましく思ったのではないだろうか。
もし西田が敗戦後も生きていたのなら、小林以上に血祭りにあげられているからだ。ところが西田は神聖化されこそすれ、戦争責任者と非難はされなかった。
その西田も晩年に取り組んでいた哲学者が、ベルクソンなのだ。

小林に先行する世代は、ベルクソンを読んでいた。
たとえば胸に刺さった安全ピンの蝶よ、いずこ。夏 目漱石(なつめ・そうせき、1867年2月9日〜1916年12月9日)は、
ベルクソンの最初の主著である博士論文『意識の直接与件論』をポグソンが英訳した『Time and Free will』を読んでいた。
東北大にある漱石文庫にも、この英訳本があり、その最初のページには漱石の筆跡で、
「哲学書なのにこんなに美しい文章のものはなかなかない」
と、メモが書かれているらしい。
また、小説文学論の果てに。『道草』には、岩波文庫で訳された『物質と記憶』を
「或る仏蘭西の哲学者による記憶に関する最新の説」
と青年に紹介する場面がある。
漱石が読んだ岩波文庫の高橋里美による訳『物質と記憶』はすでに絶版だが、
西田幾多郎が書いた序文だけは、今でも西田の著作集で読める。

そんな気になる(?)『物質と記憶』には、こんなことが書かれている。

いつか君と言った映画が脳味噌でロードショー。
この訳書も、今は絶版。
物質は、空間内に、精神は、空間外にある。両者の移行は、不可能である。
これに対し、精神の、もっとも基本的なはたらきは、
事物の持続の瞬間を、つぎつぎに結ぶことだとすれば、
そして、精神は、このはたらきにおいて、物質と接触し、
また、このはたらきによって、まず、物質から区別されるとすれば、
物質と、十分に発達した精神との間に、
すなわち、たんに非決定というだけでなく、
熟慮反省された行動が可能な精神との間に、無限の段階が 考えられる。
(『物質と記憶 ― 精神と身体の関係について ―』、
訳;岡部聰夫、駿河台出版社、1996年4月)

こ の岡部の訳は、
現在も流通している宇波彰、河野与一の訳よりも読みやすいが、
それでも、2つ目のセンテンスは整理されていない。
2011年に白水社から竹内信夫の新訳が出版されたので、
それに期待♪なんと、しりあがり寿のマンガ付きだ!

小林秀雄の影響で、大岡昇平もベルクソンを読んでいた。
小林が「感想」を執筆している当時、大岡が小林に、
「フランスの若い哲学者が書いた、いいベルクソン論がある」と、ドゥルーズの『ベルクソニスム』(1966年、邦訳『ベルクソンの哲学』)を贈っている。
それを読んだ小林秀雄は、
「ドゥルーズの『ベルクソニスム』は、サルト ルのベルクソン論よりちゃんとしている」
と、言ったらしい(笑)。

ドゥルーズは1995年11月5日にパリの自宅アパートの窓から飛び降り自殺するのだが、
その直後に浅田彰が朝日新聞の11月8日に書いた追悼文には、次のような興味深い指摘が書かれていた。
「ドゥルーズは、そのつど完結した差異の体系として構造を とらえるソシュールより、
た えざる差異化の過程として生の運動をとらえるベルクソンの方に近いのである。」
小林のベルクソン論「感想」の中心話題も、まさに、そこだった。
上記の岡部の訳の「無限の段階」が、浅田が 言う「たえざる差異化の過程」 であろう。

もちろん、サルトルも、最初はベルクソンから哲学に入った。

西田の同僚として京都帝国大学文学部哲学科教授だった黙契の果てにあるものは?九鬼周造(くき・しゅうぞう、1888年2月15日〜1941年5月6日)は、
1921年に東京帝国大学大学院を退学後、1929年まで8年間、ヨーロッパに留学する。
この間、ハイデルベルク大学に留学して、リッケルト、フッサール、ハイデッガーらから直接(!)、哲学を学ぶ。
ところがその新カント派の哲学があまりに「同一性」を確信しすぎていることに苛立って、
フランスへ飛んでサルトルにフランス語を習い、ベルグソンからも直接(おおお!!!)、哲学を学ぶ。
一説では、九鬼がサルトルにベルクソンを教えた、とも言われている。ちょうどベルクソンがノーベル文学賞 を受賞した時だ。
九鬼はドイツよりもフランスの哲学に共感し、直観的な純粋持続の可能性こそ思索を深めるものだと了解して、むしろ「異質性」の重要性に向かうようになる。

日本が真珠湾攻撃をし、太平洋戦争が始まった1941年12月8日。
その1月4日、国際連盟などで活躍したベルクソンだったが、ユダヤ人であったため、ナチスの迫撃から逃げ隠れしながらパリで清貧の中、風邪で死ぬ。81 歳。
ベルクソンから直接学んだ九鬼周蔵も同年5月6日、京都大学の哲学科教授として腹膜炎で死ぬ。53歳。
その九鬼の墓石に揮毫した同僚の西田幾多郎は太平洋戦争の末期、1945年6月7日に鎌倉にて、尿毒症により急逝。74歳。

太平洋戦争は、ベルクソンや九鬼の死の直後に始まり、西田の死の直後、終わる。

西田が最晩年に大日本帝国のアジア侵略を理論づけたように、
ベルクソンも国際知的協力委員会の初代委員長を務めていた1914年、道徳政治学学士院(アカデミー)でアメリカに第一次大戦参戦を促す講演をしている。
その講演は、国際連盟のパンフレット『戦争の意義』(Meaning of the War)として流通した。
その内容は、「ドイツに対するフランスの戦争は、野蛮に対する文明の戦争だ」としたもの。
当時、島崎藤村が妊娠させた姪から逃げるための口実でフランスに留学していたが、そのベルクソンの講演を『仏蘭西だより』(1914年10月15日付け) に書いている。

このように彼らの知性でも戦争は止められなかったが、死者は責められることは無く、生き延びた小林はそれらを背負うこととなる。
つまり、
小林は、死ねなかった西田幾多郎になろうとして、ベルクソンに取り組んだのでは ないだろうか?

1925年、24歳の小林は中原中也の恋人であった長谷川泰子を寝盗り同棲する部屋で、ヴァレリィの全論文を読破し、
ベルクソン、アラン、ドストエフスキー、ポーを愛読した。
ヨーロッパから帰国した小林は、その中でまだベルクソンにだけは落とし前を付けていないことに気が付いたのではないだろうか?

フランス哲学と言えば誰もがサルトルに取り組んだ季節に、ベルクソンに淫することは、
小林にとって数少ない、いら&いらから遠くへ行ける道だったのではないだろうか?

そんな彼をもっとも、いら&いらさせたのが、帰国した小林を能天気な笑顔で迎えてくれた青山二郎だったのではないのか?
その場で小林が青山と絶交するのは、そう考えれば自然なことだ。

こうして小林は、
死ぬことで考えることから脱出した西田幾多郎、
距離を測らねばならない同時代人として無視することで立ち位置を確認したサルトル、
言葉ではない世界の魅力から帰還するために関係を断ち切った青山二郎、
この3人から等距離に立つために、ベルクソンに挑まねばならなかった
のだろう。

さて、小林の思索の遍歴は次の3つの時代に分けられると思う。
芸術論
美学 言語論
1926 年『ランボオ』
1929年『様々なる意匠』
1931年『おふえりや遺文』
1935年『私小説論』
1936年『ドストエフスキイの生活』
1938年『志賀直哉』
1941年『歴史と文学』
1931 年『Xへの手紙』
1943年『無常といふ事』
1946年『モオツァルト』
1949年『私の人生観』
1951年『ゴッホの手紙』
1954年『近代絵画』
1964年『考へるヒント』
1951年『真贋』
1957年『美を求める心』
1963 年『感想』
1977年『本居宣長』

小林のスタートは、若者の特権として先人の魅力を抱きしめ、天才の特権として、それを言葉に置き換えていった。
それが彼の「芸術論」であれば、そこから「美学」をつまみ上げるのは自然な流れであり、その究極は、言葉で言葉を考えるこ とであったのだろう。

小林は美学を論じながら青山二郎と骨董の勝負を繰り返し、そこで懐かしいキーワードに何度も触れる経験をしたのだろう。
それが、試される純粋。純粋経験であり、それはまた西田幾多郎のキー ワードでもあった。
私が大学で哲学を学んだ時のテキストは、東京裁判で民間人として唯一A級戦犯の容疑で起訴された
思想家東京裁判で、東條英機の頭をはたいた大川周明。大川周明(おおかわ・しゅうめい、1886年12月6日〜1957年12月24日)のすすめで
1940〜1942年にエジプトのカイロ大学で学んだ日本 におけるイスラーム研究・第1世代北大にもいたのよね。斎藤信治(さいとう・しんじ、1907年〜1977年)の
『哲学初歩』(1960年)で、浅田彰らポスト・モダンが全盛期の1981年に学ぶにはあまりにもアナクロだったが、ここでも、
「ベルクソンが時間というものの本質を純粋持続として捉える独自の時間論を展開したことは、多分はなお記 憶に新たなことでございましょう。」
と、時代がかった言い回しが、はからずも戦前にベルクソン・ブームらしきものがあったことを想像させる。
この文章は、「ここにはすでに人間のどん底は時間だという考え方が現われ出ている」と続く。
なんと、これらは、さきほど紹介した浅田彰によるドゥルーズの追悼文中の「たえざる差異化の過程として生の運動をとらえるベルクソン」と呼応するわけだ。
AをAとして認識するのか、Aと待ち焦がれたA、またはAそのものと「私」にとって必要なAとでは違うのではないのか、とゆー考察だ。
たとえば、この場合のAがジュースであれば、ジュースそのものと、真夏のノドが渇いているときにマラソン終了後に当たる予定のジュースとでは、違う。
では、Aがモノではなく、言葉そのものである場合はどうだろうか?
ベルクソンは人間が思考するときに使う道具としての言葉の価値を否定する。なぜならば、モノの意味が常に変化するように、言葉の意味も常に変化するから。

この考察方法は、小林には馴染んでいたはずだ。
それなのに小林はベルクソン論「感想」を完成させずに、破棄してしまった。

ここから先は、現代物理学の最先端の土俵で詩を論じることになるので、小林の手に余ったのだろう。
実際にベルクソンは20歳年下のぼくの生まれた街から。アインシュタイン(1879年3月14日〜1955年4月18日)が
相対性理論を発表するとその論文を読み、それに反対する意図で論文『持続と同時性』を発表したぐらいだ。
・・・・・・しかし、のちにベルクソンは『持続と同時性』を自分の著作リストから外した。
それって、小林が「感想」の単行本化&全集入りを禁止したこことダブって見えてしまう。

そんな小林のベルクソン論「感想」が完成しなかった理由を
小林より2歳年上の少年と飛行機のA感覚。稲垣足穂(いながき・たるほ、1900年12月26日〜1977年10月25日)は、
「小林には形而上学がないから」と評し、さらに「ベルクソンとは、未来や他者をも含む宇宙的郷愁だ。」と言った。
足穂はベルクソンの『物質と記憶』を読んで、
 「何事であれ、重大なことは本当にあったかどうかなのではなくて、
たったいま現在のことすらも、遥か遠方の物質の記憶として思い出されてよいということなのである」と、書いた。
さすがに『一千一秒物語』の天才詩人である。飛行機と機械と宇宙(と美少年)を愛したがゆえに、現代物理学と詩を溶け込ませることができたのか。
小林は青山に負けたように、時に巨大な天才の前では、ただの秀才にしか見えないことがある。
もう空には行かない。
当時、足穂が描いていた絵。
足穂は若い頃、絵を描いていて
1920年、19歳の時には水彩画『空中世界』を二科展に出して落選している。
その当時に描いた絵に『自我の真空放電』と題した絵もあり、
著書AからVまでの夜。『人間人形時代』に、下記のように紹介している。

「『自我の真空放電』は、連続スペクトルから火花が出ている所だが、
それが斜めに置かれて、数條に分裂して、停滞凝結が生じている。
これが「空間化しつつある時間」で、勿論ベルクソンの影響である。」

・・・よく分からないが、確かに小林にはたどり着けない世界観である(笑)。

そして小林は安岡章太郎とのソ連&プラハ&パリ旅行をはさんで、『本居宣長』に取り組む。
「感想」から『本居宣長』への小林の連続性について、
先ほど紹介した「『感想』とは何か」での安藤礼二による前田英樹へのインタビューに、こんな会話がある。
読む不自由さからの解放。
右上の本で語られていたこと。
前田 あの先を言おうと思ったら大変なことになるんですよ。
    そんなふうにこの本を書いてしまったということは、
    文芸評論家としては失敗かもしれないけれど、ここまで真っ当なというか、
    ベルクソンに対して全面的に責任を負ったベルクソン論というのは、ちょっとないとも言える。

安藤 それと逆にここまで書いてしまったことによって、
    恐らく小林秀雄は物質とイマージュの二重性を、言 葉として捉えることに
    成功したのではないかと思うんです。

前田 そうですね。今言ったよ うな生の二重性、その二重性のただなかで、
    ではどう語ればいいのかという、その語り方の問題でしょうね。
    宣長論で新しく問題になってくるのはそこでしょう。
    そこから起こる<表現>の問題ですね。




こ んな調子で、彼らは、小林がほめたドゥ ルーズに小林は劣っていないと評価する。

本居宣長は『古事記』を研究したのだが、小林は『古事記』を研究せずに、「『古事記』を研究する本居宣長」を研究した。
このマトリョーシカ他にも何か書くことあった気がするのだけれど忘れてしまったからもう出す。状態こ そ、言語を考える言語なのだ。
ならば私は裏返しに小林にたどり着くために、『古事記』を読み返すことから始めよう。

こうして私が『古事記』を読み返す旅に出たのは、安岡章太郎が午前2時35分、老衰のため東京都の自宅で92歳で死去した日だった。
無知からの解放。
う〜む・・・。そそられる内容だ(笑)。私 には、タイムリーすぎ〜♪
1Pm

滝川市
國學院大學 北海道短期大学部 図書館2階

講演 『古事記 神話の読み方』

国文学科 准教授
月岡 道晴

ずっと待ってたんだ。
私は初めて来た。アポはとっていなかった が、すぐ会場が分かった。
出かけよう君の街へ。
図書館の2階。インテリ風の市民らが前に座 り、学生は後ろで聴講。
今までひとりぼっちで闘っていたんだ。ずっとぼくは。
配られた資料。月岡先生はカツレツも良く、 録音して聴きたいぐらい。
来るべき読者のために。
松山ケンイチ風のイケメン月岡先生は、歌人で、吉田類と句会 も♪
はじめての読者のために。
月岡先生の古書コレクション。かなりディー プな世界だが、ヨダレもの。
書物というタイム・マシンにお願い。
左は1669年『日本書紀』寛文9年版。右 が1644年『古事記』寛永版。
ママ、これ、ちょうだい。
月岡先生は、岡野弘彦の弟子。つーことは、 折口信夫の孫弟子。
『古事記』は、右の黒板に書かれているように、

上つ巻(序、神話)
中つ巻(初代・神武天皇〜15代天皇・応神天皇)
下つ巻(第16代・仁徳天皇〜33代天皇・推古天皇)

の3巻で成っていて、今回は「上つ巻」の講演だった。

『古事記』の目的は、
宇宙の成り立ちと、
現在の天皇を結びつける
ことにあり、
そーゆー意味では、とんでも話であってトーゼンであり、
現在の視線からは、むしろその”とんでも”ぶりを楽しむのが
正しい『古事記』との付き合い方と言えよう。

そんな時、月岡先生のように時にはクツをけり投げたり、
ドラえもんに例えたりしながら語ることができる存在に意味がある。
ヘイ、ダーリング。
月岡先生の講演は、私が『古事記』を整理す ることに役立った。

これから『古事記』を読もうとする人には、私は三浦祐之『口語訳・古事記・完全版』を勧めるが、
この手の書物にネタバレは無用なので、むしろ、あら筋を知っていたほうが、より興味深く読め、だからこそ文体や成立の意図に関心を広める余裕も持てる。
今は、♪ちょっとだけ、見よっ!が あって、便利♪たとえば、下記の2つなんか、とても役に立つ。

初 心者には、こーゆー短くてシンプルなアニメが構造の把握に役立つ。

『古事記』をあきらめる大きな理由に漢字の 読みがあるが、こりゃ、いいよね♪
も う少し、ウンチクが欲しければ、こーゆーのもある♪

こんな先生に習いたかった(笑)。

私は昨年、沼田神社のご近所の神様たち。祭典委員長を務めたが、
一連のダンシング・クィーン2012祭事は神代の時代から同じ(!)習わしだという。
それが本当か、どーか、よりも、そう思い続けている連続性に私の興味は向く。

そして、「連続性」を担保するのが、言葉だ。
小林が「芸術論」から「美学」を経て、ベルクソン論で生産的な迷路を体験し、「言語論」にたどり着いたのは、すごく当然のことなのだ。


國學院大學を後にした私は札幌へ向かい、さらに南下した。
途中、カー・ラジオからはこんな番組が。

HBCラジオしゃーねー写メー。『佐々木幸男JUST FOLK』内の
スタジオ生ライブのコーナーで♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die 扇柳 トールが手伝い、ジェームス・テイラーって、仕立て屋さん?「君は風」が演奏された。

HBCラジオ『佐々木幸男 JUST FOLK』
毎週土曜日3Pm〜5Pm
周波数:1287kHz

また、ここ。同じ道を、何度も〜。
札幌に到着。駐車場から地下鉄へ。

3: 59Pm

今年、最初のコメ業界の商談会。

北海道の各地から集まった同業者が、にこ&にこ笑いながら、
何気にスゴイ価格を、さっと出し、
すすっと交渉され、どぼんと買われる。

私は、ゆめぴりかを売った。
今月2匹目の、ずんずん。さかなごっこ。
なごやかな中にも、瞬間の真剣勝負。

商談会の後、1月なので新年会がある。
その準備をするまで、ちょいと時間があったので、近所へ、ふらり。

5:26Pm

  するってぇーと、ブック・オフに、
こんなのが。→
しかも、初版&帯付き&美麗本。
なんとゆータイミング。

この日の前日に私はamazonで滋賀県の古本屋に
野々上慶一パラパラ・・・『高級な友情 小林秀雄 と青山二郎』
(1989年11月20日、初版、小沢書店、定価2,575円)
商品 1,500円
送料 300円
合計 1,800円
をオーダーしていて、この日の3日後の29日に

箱から箱へ。
届いた。
これで、小林秀雄がらみで当面、読みたい本は全てそろった。
私を、さわって。
白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』
(1991 年7月20日、初版、新潮社、定価1,700円→古本900円)

で、私はスキップしながら、また新年会の会場へ♪

ケーキじゃないよ〜ん。
これ、なーんだ?
5: 54Pm

北海道のコメ屋の社長たちとの
新年会、スタート♪
じょび&じょば。
じょぼ&じょぼ&じょぼ〜。
うぃっす。
んー、これ何?
今日も、呑めるぞ♪
ま、ふつーにサッポロ・ビールっす。
先輩っ、今年も、もうけましょう〜♪
戦中生まれの先輩と、ジャン・ギャバンの魅 力について意見交換♪
キース・リチャード?
親子2代の、お付き合い〜♪
さくさく♪ドテくずし〜。
土手を超えてゆこーよぉ〜♪
まわるまわるよ時代は、まわる。
おー、ふつーに、あるじゃん。
じゃぽん。
色っぽい茶碗蒸し。

とーぜん、2次会へ。
私だけ、映画館へ、すすす。

寿司、悔いねぇ? 1:35Pm3:54Pm
ディノスシネマズ札幌
会員割引き \1500
やっぱ、映画館で観たい♪『デッド寿司』
監督&脚本;井口昇
出演;武田梨奈、松崎しげる、須賀貴匡、仁科貴、亜紗美、村田唯、ジジ・ぶぅ、島津健太郎、手塚とおる、津田寛治
赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
超☆脱力C級映画である。もちろん監督もそれをやり たくて作っているのだから、そーゆー意味じゃ、成功作(?)なんだろうな、これでも。がくっ。
主 役の「モーング娘。」オーディション落選組を始め、さすが低予算映画らしく華のある俳優ゼロ。その中で唯一、お茶の間でも知っているのが松崎しげるだ。ん なもんだから、チラシ、ポスター、宣伝などは主演の次に大きく扱われているが、映画内ではチョイ役。が、2月のグラガとして世界的に注目されているロケット・パンチだニャロメ!ももいろクローバーZのライブに、松崎しげるは4回もゲスト出演しているのだ!これは時代の偉大なるシンクロと呼んでい いだろう。さらに、この映画とほぼ同時期に、いとうせいこうが16年 ぶりに発表した中篇小説パラパラ・・・「想像ラジオ」(『文 藝』2013年春号)にラジオのディスクジョッキーが生放送で松崎しげるの曲を流すのは、偶然?しかも、このディスクジョッキーは実はすでに3・11の津 波で死んでいて、高い木の上に引っかかったまんまの状態の死体=デッド(がくりんこ。)だとゆーダブル偶然?いずれにせよ、映画でも小説でも、松崎しげる は確実に松崎しげるという意味を含んだアイコンとして使われている。ちなみに小説のディスクジョッキーが流す他の曲は、モンキーズ、シナトラ、アントニ オ・カルロス・ジョビン、モーツアルト、ボブ・マーリーだ。これらの中に松崎しげるを入れるところが、いとうが16年間も小説を書かずにディスクジョッ キーをしていた意味の「告白」が読み取れる。しかし、この映画が松崎しげるを出演させた理由はそんな高尚ではなく、たぶんプロデュサーが飲み友達だとか、 主演の女の子と同じプロダクションだとか、そーゆー環境の結果だろう。が、それでいいのだ。その理由の無さ加減が、松崎しげるの理由無き顔の黒さとか、理 由無き声のデカさとか、理由無き元気の良さとか、理由無き首からゴールドのネックレスとなり、結果として理由無きジェームス・ディーン、じゃなくてアイコ ンになっているところが、映画という瞬間の興業=商業芸術の立ち位置なのだから。

せっかく札幌の夜なんだけど、さっき買った白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』を、今スグ、読みたいー。

両手で。
青山二郎が集めた骨董たち。
11: 10Pm


なぜに、まだ0時前なのに、
ひとりでカップ・ヌードル。
しかも、初KING。

それ・は、
フジテレビ『カラマー ゾフの兄弟』の、
ため。

私はかつて、
「21世紀は、
ドストエフスキー・コンプレックス
の時代になるだろう。」
と、予言したが、
どうやら、そうなってきた。

小林秀雄も、同意するだろうな。
でかっ。
小林秀雄は、何度も書いてきた。
ひゃひゃひゃ〜。
何か深いアナロジーを感じる。
目の旅はランダム&ロンパリ。
二流という証明は誰にもできない。
チャンスは何度?
その世界では証明なんかつまらん。
行けよ。
彼らの悩みの美しさも歴史の流れ。
鍵をちょうだい。
流行した思想が、またくり返される。
嗚呼、
形而上学を信用しなくても、種はある。


こうして札幌に泊まった私は、翌日、また5本の映画を観たのだった。
がくっ。

text by うぇ〜ん!久保AB-ST 元宏 (更新日;2013年2月7日 木曜日 1:57Pm)

27 日(日)天国と、ふるさと。・・・どっちが欲しい?

なんでまた私は家族を自宅において、
ひとりで札幌にいるのか、ってーと、
実はこの日、
私の母の裏千家の教室の『初釜』なので、
我が家の女性たちは、まる一日、お忙しいのだ。
今年を始めましょう。
青山二郎&小林秀雄も、柳宗悦も骨董は好きだったが、茶道とは距離を置いた。

静止画像を届ける作業。
杉本の日本美術への回帰。
9Am

NHKテレビ『日曜美術館』
「現代美術作 家・杉本博司 × 国宝・那智瀧図」

私は2005年の杉本博司の個展『時間の終わり』
沼田消防団の旅行中に自由行動を利用して、
東京・六本木ヒルズ内の森美術館で観ている。

杉本は1948年生まれで、
2005年当時もすでに国際的な評価を得ていたが、
「写真家」とゆージャンルのイメージからか、
私には、なんだか、うさん臭く感じていた。

それがオープン仕立ての森美術館の巨大な空間で観ると、
聴音を全て盗まれたような圧倒的なインスタレーションを体感し、
芸術家が思想家と同義語であることを思い出させてくれた。

その杉本が、国宝『那智瀧図』を語る番組だった。
この街で願うためには。
写真とは、時間を止めたい欲望。
そのテレビ番組では紹介されなかったが、 私 は『那智瀧図』と言えば、次の3作を想い出す。
テ レビが紹介した絵。
上から刺さる君。
国宝『那智瀧図』
鎌倉時代、13〜14世紀。
作者は、謎。
スー パー・リアリズム!
見つめる前に跳んでみようじゃないか。
諏訪敦『那智瀧図』2003年
諏訪は1967年、札幌生まれ。
かつて私は諏訪の画集を、沼田消防署の職員であり画家の
Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!吉川博 幸へ、乙画廊を通して結婚祝いに贈った。

つぶやきシローも、やっているのだろうか?ブルトン男爵
2008 年3月7 日 2:27Am
以前、久保さんの友人の御結婚祝いに送った
『諏訪敦作品集』の諏訪敦画伯、美術業界 で、
かなり話題〜時の人になったよ!
香港クリスティーズで、ん千万で落札される し、
この作品集も絶版〜相場1万円らしい!
(あれはサイン入りだから貴重)から、
画家志望の新婚さんにも是非御報告してあげ てね!

国 宝リミックスの話題の”天才”。
じょぼじょぼ。
会田誠『瀧の絵』2010年
国宝『那智瀧図』を意識して描かれた。
さて、こ こで杉本の作品も紹介しないとフェアじゃないから。
ああ、ニューヨークのワールド・トレード・センターは、現代の瀧だったのかもしれないね。
モダニズムの丘へ。
「World Trade Center」1997年、ゼラチン・シルバー・プリント
杉本にとって最高の快楽を感じる焦点距離を探し出す繊細なグレーの諧調。
これは1997年に『建築』シリーズとしていくつものビルディングを撮影したが、
9: 51Am
あかり。
では、映画の国へ。
この一枚はNY9・11すべては美しかった君の想い出として。後、
結果的に「芸術が未来を予見す る」作品となってしまった。
ワールド・トレード・センターは日系2世のミノル・ヤマサキが設計したが、
杉本は後に、
旧 敵性外国人(=日本人)によって設計され、
イスラム過激派によって神風攻撃
さ れた と、語った。


”NY9・11後、結果的に「芸術が未来を予見す る」作品となってしまった。”のは、これも。

直結する道が無い、という自由。
会田誠 戦争画RETURNS・シリーズ 『『紐育空爆 之図(ニューヨーク・くうばく・の・ず)』1996年

バンパイアのセイリング。
10:00Am12: 19Pm
ユナイテッド・シネマ札幌
モーニングショー料金 \1200
やっぱ、映画館で観たい♪『ライフ・オブ・パイ  / トラと漂流した227日』
原題;『Life of Pi』
原作;ヤン・マーテル『パイの物語』
監督;アン・リー
脚本;デヴィッド・マギー、ディーン・ジョーガリス
撮影;クラウディオ・ミランダ
出演;スラージ・シャルマ、イルファン・カーン、アディル・フセイン、タブー、ジェラール・ドパルデュー

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
こ の映画の予告は映画館で何度も観ていたのだが、予告を観れば&観るほど、映画を観たくなくなる予告だった(笑)。だってトラと少年が海を漂流、って、何 よ、それ?インド版ムツゴロウ少年とトラの友情物語かっ?だったのだが、さすが私は相変わらずのうっかりオヤジで、なんとこの映画はやっぱ、映画館で観たい♪『ブロークバッ ク・マウンテン』やっぱ、映画館で観たい♪『ラ スト、コーション』などを手掛けたアン・リー監督の新作だった!
たとえCG技術を駆使しているにしても、圧倒的に美 しい大自然の 映像はシネコン時代の寵児。アン・リーの前作はゆるいB級(?)映画で画像もイマイチだったやっぱ、映画館で観たい♪『ウッドストックがやってく る!』だったので、このギャップもまた驚きなんだけど、しかしテーマの精神は一貫してんなー。えらい。
で、その4作に共通するテーマとは、マイノリティーの文化と戦い、だと思う。マイノリ ティーとゆージャンル分け自体がエドワード・サイー ドパラパラ・・・『オ リエンタリズム』通り、メジャー=勝者側の目線であり、だからこそジャンル分けされること自体が文化の違いの際立ちであり、同時に戦いの始まりと なる。この状況に戦争で臨むのか、文化で臨むのか、とゆー視線がアン・リーには常にある。
この映画は、その地平をもっともソフィストケイテッ ドさせて成功 させた佳作だ。自然という もっとも具体的なものを気が遠くなるほど美しく描いた果てに、それらすべてが抽象になり観客の肉体に棲み付く。そんな宗教体験のような、ドラッグ体験のよ うな、スピリチュアルな体験ができる映画だ。

12:26Pm
映画館から映画館へ移動する途中、少しでも時間があればカバンに忍ばせた、白洲正子パラパラ・・・『いまなぜ青 山二郎なのか』のページをめくる。
12: 43Pm
同じ夢にも。
札幌ファクトリーって、
パリのオルセー美術館に似てる、
って初めて思った。
野生の歓迎の歌。
これは若き日の白洲正子が書いた原稿を、
青山が「目の前でずたずたに」文章を削っていった時の回想。
「これはあんたの一番いいたいこと」と言いつつ削除する青山に、
白洲は「ぶたれる方がましだ」と思いつつも、泣くのではなく、吐く。
ただし、「褒めてくれたのは、小林(秀雄)さんと大岡(昇平)さん」。
それで充分じゃねぇか。
1: 06Pm
リゾート・ホテルの廊下を行こう。
ミーのカーを
駐車場から駐車場へ移動し、
てくてくてくてく。

頭打ちのリズムで行こう♪
鏡湖」って書 いて、「きょうこ」さん?

1: 30Pm

次に観る映画館『蠍座』があるブロックの裏側にある
Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!ギャラリー・エッセへ。

ここは、時に思わぬユニークな個展が開かれるけれど、この日は残念ながら常設展。

常設展だから、何度も観ている作品ばかりなのだが、やはり、岸葉子に気持ちが持っていかれる。彼女は1946年からArtとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!小川マリに学んだんだけど、小川マリの 使う「白」の魅力を受け継いでいる。
花だけで作られた森のことを都市と呼ぶ。
岸葉子「フリューベル広場」が好き。
オルセーの夢の残りを。
日本人の印象派好きの末裔たち。

1:50Pm3:30Pm
蠍座
ポイント・カード満タン \0♪
やっぱ、映画館で観たい♪『会田誠ドキュメンタ リー 駄作の中にだけ俺がいる』
監督;渡辺正悟
撮影;大石英男
ナレーション;岡田裕子(会田誠の妻、画家)
出演;なんか、清原に似てるなぁ〜。会田誠、岡田裕子、会田寅次郎(会田誠の息子)

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
今、気づいたんだけど、「会田誠」って、音は「愛 だ!誠」じゃ ん。往年の少年マンガ『愛と誠』かっ!だが、本名だろーな。たぶん。天才は名付けられた時から、天才だった、ってことかー。
現代美術に対して、「奇をてらうことは簡単だ。」って名言を吐いたのは私だが、重要なのはその先、って戦いを逃げなかったのが会田誠だ。 ニューヨークに住み2003年に死んだパレスチナ人のエドワード・サイードの近著『サイード音楽評論』に、「モーツアルトは(オペラの)登場人物の心情や意志がもたらす合意とは無関係に、人々を翻弄(ほんろう)する、ある抽象的な力を具現することを試みたのだと私は思う。道徳的におよそ不毛な台本を使ったことはその証左である」と書いたが、さ すが☆よく分かっていらっしゃる(笑)。死んでほや&ほやの小沢昭一の 句集『変哲半生記』が絶賛5刷の勢いらしいが、その書評で俳人・中原道夫は軽蔑されることくらい想定内と 書いている。なるほど、この映画の会田誠は小沢昭一だ。素晴らしい。中原が書いた書評が北海道新聞に掲載された2月3日、朝日新聞の書評欄には会田誠への インタビュー「思い出す本、忘れない本」が掲載されていて、会田は三島由紀夫『劇画における若者論』を語り、その締めくくりの「若者は、突拍子もない劇画や漫画に飽きたのちも、これらの与へたものを忘れず自ら 突拍子もない教養を開拓してほしい」を引用している。「突拍子もな」く「奇をてらう」ではなく、「教養」であるところが、ど んなに会田誠がコンセプチュアルであっても、イラストレーターやマンガ家ではなく、画家である理由だろう。
以 上、3つの他人の書評の紹介で会田誠の説明は事足りちゃうんだが、この映画には会田が仕掛けた巨大な暗号とも言うべき、いわゆる「18禁」作品が登場しな い。会田はデビュー段階でそれらを利用したのだが、もはや利用する必要が無くなるほどメジャー&巨匠(?)になった、ってコトもあるだろう。しかし、これ はテレビではなく映画なのだ。監督は何を遠慮したのか?そも&そも、音楽に今どきサティを使うのもいやらしい。「18禁」よりも、いやらしい。それらが もっとも会田誠らしくない。
天才バカボン一代。
パパ、ローリング・ストーン。
よっしー画伯が読んで不快になった、北海道 新聞2013 年2月8日。



RE: 絶賛共犯中!‏
メ〜ル 差出人: エアロで済ます♪よっ しー
送信日時: 2013年2月8日(金) 10:55Pm
宛先: うぇ〜ん!久保AB-ST 元宏
こんばんわ〜
今日の道新朝刊27面ではじめて知った、会田誠。
「芸術」ではなく「性暴力」だと市民団体から抗議、
読みましたか?
へぇ〜〜〜〜〜
18禁部屋ってナニよ?
ネットで調べて見たら、出てきた出てきた
確かに、不快。
これは、漫画じゃないの?
18禁本?のコーナーにあるエロ漫画みたい
(私は読んでないですが!)

森美術館でかなりの客の入りらしい
これを許容する世間っていったい?
どんどん下世話になっていく世間がコワイ

全道展にもこんな絵があるよね
あれはこの人から影響されてるの?
前から絵画のジャンル分けが嫌いなのですが
(油彩、水彩、版画、イラストは絵画じゃない、とかさ)
それにしても、こういう絵は嫌いだ

久保さんはどう思われますか〜?
昨日の、
ピ カソのマリー・テレーズ・ワルテルが僕に恋をする甘いせつない夢をみた。へんてこりんな絵が
オークションで高値で売れた

ってのも、ワカラン私には、ま、わからんことだらけなわけですが

よっしー

うぇ〜ん! 先 日、BSの民放で『会田誠展』の特別番組がやっていて、
私は偶然観たんだけど、さすがにユニークだった。
ロックンロール美学校♪ へー!↑

早速のお返事ありがとーございます!
夜更かしのイメージの久保さんから
朝の6時のメールは驚いた!

会田誠は10数年前から、美術界では話題の人です。

私もそのころから知っていて、
「犬」などの挑発的な作品も初期のころのもので す。

挑発的ながら、画力が凄く、
近年の画家の中では絵の上手さが突出しているので、
挑発と知りながらも美術界は無視できなかったのでしょう。
骨折り整骨アート・スクール♪ へーへー!↑ 確かにウマイ!

ですから、ピカソも青の時代だけで判断できないように、
作家のすべてを抱きしめる作業が
観る側に求められるのでしょうね。

会田もそう言いたいコメントが新聞にも載っていましたよね。
メルヘンのかなた♪ 作家のすべてを抱きしめる作業!!!

観る側にも覚悟が要りますか!

また、安易なモラルは芸術には馴染まないことも重要。
トム・ロビンソンクル〜ソ〜で、1,2,3♪ 安易なモラル、かぁ〜
深いな〜
私は描くのも観るのも素人だな〜

続きは今夜の♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieライブ日々の泡おどり。呑みながら、ね(笑)♪


お次は、地下室にある蠍座から、やや南のJR札幌駅に呑みこまれているエレベーターで垂直に空へ向かうところにある映画館へ。

歩く速度で愛して。
3:50Pm5:45Pm
やっぱ、映画館で観たい♪『カラカラ』
原題;『Karakara』
監督&脚本;クロード・ガニオン
出演;ガブリエル・アルカン、工藤夕貴、富田めぐみ、あったゆういち

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
これはダメだ。悪い意味での観光映画だ。地元人すら も気が付かな い朽ちた壁の美しさや、忘れられようとしている民芸を愛する「先進国」のインテリが、「後進国」=現地の美女とセックスを含めた短い恋人ごっこをする。監 督は逆を描こうとしていても、やはり文化の植民地映画だ。「逆を描こうと」する罪の無さこそが、さらに罪を深くしている。
撮影も雑だ。「観光映画」ならば、せめてカメラの位 置や角度、画 面比率に合わせた風景のトリミングなどを繊細にしてほしかった。それどころか、舞台が沖縄である必然を感じさせてくれる絵が少なすぎだ。仮にもっと悪どい 帝国主義ド観光映画であっても、気が遠くなるような美しい撮影であれば、むしろ私は、そちらを愛するし、その場合は罪の深さが、罪を無くしてくれる・と思 う。
では、どうすれば良かったのか?主人公である初老の インテリ西洋 人の過去や内面と、沖縄の文化や現代政治をもっとシンクロさせる演出をするべきだった。たとえば主人公は沖縄での短い旅の最後に沖縄伝統の織物「芭蕉布」 に出会い、感動し、人間国宝の職人の平良敏子(1920年生まれ)に弟子入りをするが断られる。この経過が物語の連続性のために説明を加える必然のように 短い会話だけで報告される。むしろ、映画はここをきっちりと表現すべきだった。
図式化し過ぎかもしれないが、現在も残っている民衆 の芸能や民芸 は、権力によってお目こぼれしていただいたものだから残っているのだ。その結果、民衆は限られた芸能や民芸に集中的に技術とエネルギーを注ぎ込み、だから こそ高度な文化に育った。その経過と、主人公の過去と内面を結び付けて映画ならではの語法で語れば良かったのだ。そうすれば少なくとも沖縄で撮影した必然 が成り立つ。
ああ、またしても、ここで小沢昭一を想い出している 私がいる。軽蔑されること くらい想定内で あれば地元人に溶け込み、観光映画などにはならなかったのだ。

コリーナ・コリーナ。
チキン・カレー 2倍スパイス \900
映画ハシ ゴの日は、映画を優先するから、
食事どころか水も呑まないで長距離を歩いたりするので、
私のダイエット法は映画鑑賞なのだが、
この日は珍しく次の映画まで、1時間15分あったから。

5: 55Pm

Oh ! うめぇ〜♪ジューシーな豚肉ソティ!カレー研究所 札幌ステラプレイス店
電話;011-209-5105
札幌市中央区北五条西2丁目5番地 札幌ステラプレイス6F
営業時間;11Am〜11Pm (L.O 10:30Pm)

世界各国のカレーが何種類もあるから、この店名(笑)。
BGMは、全曲、ザ・ビートルズ。
映画『ヘルプ!』のインド料理店のシーンを想い出した。

カレーを待ちながら、また白洲正子『いまなぜ青 山二郎なのか』を
ぱらり。
不自由にナイフを。
天下の河上徹太郎も青山二郎にかかると、 「ただの紳士の 白鳥」。
スプーンフル。
小林秀雄はモーツアルトに青山を想ってい た、という白洲 の感傷。

自分の息がカレー臭くないかだけを気にしながら、デパートを、ちょろ&ちょろ。

ピストルから、青いゼリー。
7:00Pm8:45Pm
やっぱ、映画館で観たい♪『BLANKEY JET CITY ・ VANISHING PIONT』
監督;翁長 裕
出演;Blankey Jet City、浅井健一、照井利幸、中村達也

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
最初、この映画の上映日は、1月26日(土)だけの 限定公開だっ た。が、DVD付き前売り券が売れ切れちまったからか、もう1日だけ上映日は延びて私は運良く観ることができた。私が観た回も、ほぼ満席。ただ、私の隣の カップルは「クィーンも、ここで観たわよね。」みたいな幅広い音楽ファンだったが。
伝説のロック・バンドの解散ライブ、とゆーカタルシ スを味わおう と観に来た30歳過ぎの元パンクスもいただろうが、この映画はむしろストレスを増やしただけだろう。そもそも、解散の最終ライブではなく、その日に向けて の最後のツアーに同行した男が手持ちカメラ1台でプライベート半分で撮影した動画をつなぎ合わせたものだから。そーゆー意味では、やっぱ、映画館で観たい♪『ミッシェル・ガン・エレ ファント “THEE MOVIE” / LAST HEAVEN 031011』のほうがロック的カタルシスを味わえるし、映像&編集の完璧さ ではマーティン・スコセッシ監督のやっぱ、映画館で観たい♪『ザ・ロー リング・ストーンズ、シャイン・ア・ライト』に遥かに及ばない。
まず、映画の冒頭から監督自身による長いライナー・ ノーツのよう なものを観客は聞かされる。確かにバンドを愛する熱い(笑)言葉なのだが、この映画を観に来ている客は、みんなこのバンドを愛しているのだから、ただ、た だ、うざい。で、この過剰な監督の愛で映画は最後まで運ばれる。観終わって私に残ったのは、バンドの爆音よりもうるさい監督の愛だった。
もちろん、過剰な愛だからこそ記録できた楽屋裏もあ る。ボーカル &ギターの浅井の狂気の繊細さは有名だが、ベースの照井には浅井以上に常識人としての繊細さがあり、それが解散に向けて息苦しさを増してゆく過程。
また、似たようなチンピラ3人組に見える彼らだが、 演奏が興に乗 るほどに照井はメロディアスなグルーヴを大切にする演奏をし、中村のドラムは直情的なタテノリのパンクに向かう。彼らのライブは毎回最後に「セッション」 と彼らが呼ぶアドリヴの応酬で締めくくられたのだが、そこで二人の快楽原則の差が開いてゆく。そこが解散の必然でもあったのだろう。確かにカタルシスを望 む者は同じ監督の横浜アリーナでのラスト・ライブのビデオ『LAST DANCE』を観ればいいのだろう。1946年、小林秀雄との座談会で埴谷雄高は小林が大学卒業と同時に出版した若書きの翻訳書『ラムボオ詩集』に対し て、「訳者に一種の美への信仰性があるために、かえってその訳文が分からなくなる場合」を意見している。この映画も監督のナルシズムによって、バンドの作 品ではなくなってしまった。

ちなみに、私が選ぶ10年きざみでの日本のロック・バンドは、
1960年代 ジャックス
1970年代 頭脳警察
1980年代 P−Model
1990年代 フリッパーズ・ギター
2000年代 ゆらゆら帝国
だ。
この中で、「1990年代 フリッパーズ・ギター」が浮いている印象を持たれるかもしれないが、
同時期にブランキー・ジェット・シティやミッシェル・ガン・エレファントがいたから、安心して(?)フリッパーズ・ギターを選ぶことができるのだ。

ダイスをころがせ。
北へ。

8: 52Pm

最後の映画を観るために、
ミーのカーの駐車場へ。
チェス盤上のクィーンたちの戦利品。
下水道を走るネズミのように。
背中をさするように。
チェス盤上のネズミ。
象が猫になんて言ったかって?
映画館の暗闇から、現実の暗闇へ。
「君の処で初めて 陶器を買つた 数ケ月前に一生涯、忘れることの出来ない失恋をしてね・・・・・・」と言つて居られましたが、古陶磁を好きになられた直接の原因は、失恋にあるやうです、 やはり女性に苦労して来ないと、美は分からぬものらしい。
広 田煕パラパラ・・・「葱坊主」(1955年)



小林秀雄のこの失恋云々は、私にも心当たりがなくもない。相手はM・Sであろう。
野々上慶一パラパラ・・・『高級な友情  小林秀雄 と青山二郎』(1989年)


キツネ狩りにワインは、いかが?
9:30Pm9:40Pm
ユナイテッド・シネマ札幌
レイトショー料金 \1200
やっぱ、映画館で観たい♪『LOOPER /  ルーパー』
原題;『Looper』
監督&脚本;ライアン・ジョンソン
出演;ブルース・ウィリス、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、エミリー・ブラント、パイパー・ペラーボ、ジェフ・ダニエルズ、ポール・ダノ

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
ハリウッド映画を観る客の心は、わりと広い。 「まぁ、ここまで観 せて(=金をかけて)くれたんだから、いいヒマつぶしにはなったし、明日の知人との話題にちょっと知的なスパイスを加えられるわんわん。」みたいな気持ち で、ほとんど「はい、次っ!」って人生を送られているからである。であるから、この映画もダイ・ハードな有名オヤジが出て、ちょっと変わった設定なところ までで映画代分オッケーな客が多かっただろう。んが、この映画が本当に面白くなり、物語にグルーヴが付きドライヴがかかるのは、トウモロコシ畑に住む少年 が登場してからだ。
また30年後の主人公が上海に住むようになり、一目ぼれの恋をした相手と幸せな日々を送る一連の時系列をスタイリッシュな省略でタイトに 織り込む話法も見事。
この少年の物語と、30年後の恋愛のふたつがこの映 画のテーマ だ。少年の物語が無ければ映画に奥行きは生まれないし、30年後の恋愛が無ければ主人公の行動と物語の設定に説得力が無くなる。これらは映画には必要だ が、巧みに物語に織り込まなければ、無駄に長いだけになったり、複雑なだけの自己満足になってしまったりする。そこに陥らなかっただけで、監督の力量とセ ンスが分かる。
物語は終盤、少年の扱いで大きな展開を迎えるが、この映画の芯は30年後の恋愛の方だろう。30年後の自分から「お前は将来、すばらしい 女に出会うが、その女は殺される。」と言われ、現在の自分は「それは、あんたの問題だ。俺がその女と出会わなければ、その女は死なない。俺は別の女と結婚 する。」と言う。しかし、それでも30年後の自分にとって、その女は出会いたい女なのだ。先ほど書いたように、この女との日々があっさりとしか描かれてい ないので、観客はつい軽視してしまうが、しかし美しく詩的に描かれていることを観客はクライマックスになってからようやく脳味噌でループして想い出す。こ の30年後の恋愛が無ければ一連の事件は必要なかったのだ。つまり、この映画はSF映画の姿をした恋愛映画なのだ。
ルーパー批評
メ〜ル差出人: ♪おにぎり、むしゃ&むしゃ。北海道米、食ってるかー?名前は伏せときます
送信日時: 2013年1月29日(火) 2:42Am
宛先: うぇ〜ん! 久保AB-ST元宏

久保さんこんばんわ〜
つぶやきみると、おそらく?徹夜ですか?(笑)
 
さっき僕はスポ少野球クラブ飲み会お開きの後、徒歩で帰宅した中で妻に今日の飲み会の内容を報告しました・・・・。

今年もうすでに映画を12本観たという久保さんには「ルーパー」共犯新聞にて批評対決といいたいところですがある意味自己啓発で既に温めておいた批評を添 付しますね〜

「時間」というフレーズから観た 映画といえば「タイム」と「Back to the Future」と「ドラえもん」くらいしかないが(笑)、主人公が最期の選択をすることが他と決定的に違うことだとすると、何か考えさせられながら映画館 を出る・・・。「たられば」(もしも自分があの時ああしていたら)はもう考えないことにしようと心に決めて何年にもなるが久しぶりに考えてしまった。自分 自身の後始末・責任・・・高校の頃思い描いていた理想とだいぶかけ離れてしまった今ではあるが、現在幸せなことは間違いない・・・・。・・・・である。 「Loop」ループのerだから輪っかを作る人か?なんて意味かなと思ったがむしろ輪(時間の循環)を断ち切る人なんじゃないか?自分自身の未来を左右で きる人は何物でもなく自分本人の日々の考え方・行動・発言である。もうひとつ、未来を変える為に一番ベターな選択として最期の方法にしたのだがこの予想を 裏切る結末を観て、発想の転換も必要と思った。また、タイムスリップと透明人間が人間の3大したいことだとすると(自由に空を飛ぶ事は半分叶ったとして) 将来は全部叶うかもしれないですね。「不可能なことは想像さえできない」という事を聞いたことがあります。未来の自分が振り返って今の自分に喝を入れられ ないように、日々大事に生きていきたいと思った。久しぶりにブルースゥィルスを観たがやはり年齢の衰えは隠せない。演技もイマイチかな。ダイハード5でも 観て見極めたい。

ポケット・ハープのコロボックル。

なるほど、『ドラえもん』かぁ〜。
そー言えば、CM版『ドラえもん』のジャン・レノも、ブルース・ウィリスも、髪型(?)がドラえもん型だもんなー。

スーツ・ケース、イン・マイ・ハンド〜。

 こうして私は2日間で、また6本の映画を観たのだった。
これで1月、12本。このペースだと今年は144本観る!?

そして&また、おおお☆と、facebook全盛の今だからこそ、facebookでは絶対できな いインターネットのページを作ってみただけだよん。

text by うぇ〜ん!久保AB-ST 元宏 (更新日;2013年2月12日 火曜日 3:21Am)


俳句は、パンク。今日の一句
そのうしろをくぐって、私を抱きしめにきて。
秋やけさ
にゅるりと入る
内視鏡

(久保元宏 2002年9月)

★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴史から飛び出せ!
たとえば→2月9の歴史
テロルの言葉、朝の鳥。
Mr. Dostoyevsky died
!


2013 年1月2日(水)天国と、ふるさと。・・・どっちが欲しい?
Around Theりんごが割れるように。World In A Day
友人、白洲夫妻、
休暇にてスペインへ来訪。
ジャギュアをパリから持って来てもらう。
多謝。

伊丹十三ダンディズムの墓碑銘。『ヨー ロッパ退屈日記』
(原書1965.3→新装版1974.8.10、初版、文藝春秋)
定価\700→古本\300


0: 51Am

夜は千の目を持っている。

元旦の夜に沼田町の自宅をミーのカーで出発し、
真夜中に札幌に到着。
ああ、生かされて。
二葉亭四迷パラパラ・・・『浮雲』を、読 み進める。

7:00Am

起床。
元旦の翌日の私にしては、早起き。

俳句の季語では、「二日」とだけ書くだけで、「一月二日」のこと。
この調子で、「七日」までが「一月〜日」を指す。
それだけ「一月」が特権的な月である、とゆーことだろう。

で、その「二日」を季語にした俳句に、どんなのがあるかってーと、たとえば、こんなの。

沖かけて波ひとつなき二日か な
久保田 万太郎
(くぼた・まんたろう、1889年11月7日〜1963年5月6日)

私が思うには、「沖かけて」は、「起きかけて」のシャレだろう。
元旦に、しこたま酒を呑んで寝坊して、舟をこいで(=居眠りをして)、起きかけたけれど、まだ何も起こらない、おだやかな正月のド真ん中、
ってな意味だろう。
古典落語を愛した江戸っ子らしい、いい句だ。

もうひとつ。

氷上を娼婦の遊ぶ二日か な
秋元 不死男
(あきもと・ふじお、1901年11月3日〜1977年7月25日)

これまた、のどかな昭和の正月二日のスナップ写真である。
「娼婦の」であり、「娼婦と」ではないところに、読み手のツッコミの余地を準備している仕掛けも楽しい。と、私は解釈(笑)。

久保田と秋元は同世代だが、相対する文学観を持っていた。・・・まぁ、そーゆートコが文学の面白いトコなのだが。
有名なのは、1934年の「ミヤコホテル論争」
改造社から創刊されたばかりの俳句雑誌『俳句研究』創刊第2号に掲載された、
日野草城(ひの・そうじょう、1901年7月18日〜1956年1月29日)「ミヤコホテル」10作の評価をめぐる論争だ。

けふより の妻(め)と来て泊(は)つる宵 の春

夜半の春なほ処女(おとめ)なる妻(め)と居りぬ

枕辺の春の灯(ともし)は妻(め)が消しぬ

をみなとはかかるものかも春の闇

バラ匂ふはじめての夜のしらみつつ

妻(め)の額(ぬか)に春の曙はやかりき

うららかな朝のトーストはづかしく

湯あがりの素顔したしく春の昼

永き日や相触れし手は触れしまま

失ひしものを憶(おも)へり花ぐもり

新婚初夜をエロティックに俳句にしたものだが、草城と政江夫人とは新婚旅行はしていない。
つまり、フィクションなのだ。
これが、いろんな処で波紋をひろげる。
秋元不死男は肯定の立場で、
「さまざまの季題が適宜に駆使され、持ち場持ち場によって俳句的役割を演じているのは、
この作品に一種のオーケストラ的効果をさへ挙げさせている。」と述べ ている。

久保田万太郎は反対の立場で、
「草城さんという人のこの新婚旅行の句になるとおんなし連作でも、一句一句決して独立した存在を持っていない。
こうなるとこれは遊びです。」と語っている。

日野と秋元が1901年生まれの当時33歳で、1889年生れの久保田は12歳上の45歳。
当時の12歳、うし年生まれの一回り上は、 激しい世代間戦争をするのに充分だったのだろう。
さらに数年後、40歳を超えた彼らは、今度は文学論を思想にまで結びつけ、対立し合うことになる。

久保田は1942年、国粋主義者の団体であった『日本文学報国会』の劇文学部幹事長を務め、
秋元は1941年2月4日、治安維持法違反の嫌疑で検挙され、1943年2月に保釈されるまで獄中にあった。
また秋元は1947年まで俳号を東京三(ひがし・きょうぞう)と名乗っていたが、「京三東」(きょうさんとう)と読める。
ふたりとも優秀な文学者であったが、時代のリトマス試験紙は、ふたりを違う色に塗り分けた。

その時代とは、太平洋戦争(1941年12月8日〜1945年9月2日)である。
当時の軍事作戦のリーダーたちの年齢を並べれば、久保田と秋元の世代が浮かび上がってくるだろう。
軍事作戦
結果
リーダー
1939年5月11日〜9月16日
ノモンハン事件
独断専行で犠牲者を増大。
辻 政信(つじ・まさのぶ、1902年10月11日〜1961年にラオスで行方不明)
1942年11月30日
ルンガ沖夜戦
日本軍の一方的勝利。
田中 頼三(たなか・らいぞう、1892年4月27日〜1969年7月9日)
1944 年3月8日〜7月3日
イ ンパール作戦
無謀な発案&指揮で惨敗。
牟田口 廉也(むたぐち・れんや、1888年10月7日〜1966年8月2日)
見事な撤退戦を指揮。
宮崎繁三郎(みやざき・しげさぶろう、 1892年1月4日〜1965年8月30日)
1944年10月23日〜25日
レイテ沖海戦
以後、米軍の連戦連勝へ。
小沢 治三郎(おざわ・じさぶろう、1886年10月2日〜1966年11月9日)

冒頭に挙げた、久保田 万太郎「沖かけて波ひとつなき二日かな」と、秋元 不死男「氷上を娼婦の遊ぶ二日かな」の二句だけでは、
まるで同じ作者の句のであるかのように似たセンスがあるのだが、実はここまでも大きな差異があったのだ。
その理由に、俳句という表現形態のユニークさと恐ろしさを 直視しなければ、多くのものを見逃してしまうだろう。
たとえば、現 代詩手帖特集版パラパラ・・・『塚本邦雄の 宇宙 詩魂玲 瓏』の冒頭の座談会でこんなことが語られている。

篠 弘 昭和初期の歌壇における、モ ダニズムとプロレタリア文学の相克がもうひとつ弱 かったということだと思います。
俳句のほうがもっと 強かった。
岡井 隆 詩が一番強い。『詩と詩論』や『文学』の流れが、ヨーロッパの第一次大戦後の文学傾向をかなりダイレクトに 受け取った。
『新興俳句』もいろいろなものを出してきた。
篠 弘 辻井喬さんが『水葬物語』評で、既成のモダニズムシュルレアリスム
そういったもので塚本邦雄をはからないほうがいいと強調していらっしゃる。
歌壇でもそのへんが曖昧でね、モダニズムの流れのなかで塚本邦雄を位置づけていた。
でも必ずしもそうではないリアリズムと、批評性を塚本さんは内在させていた。

このような座談会を読むと、つくづく、短歌や詩は、モダニズム、シュルレアリズム、リアリズムなどを頭で考えてきたことが分かる。
私が思う「俳句という表現形態のユニークさと恐ろしさ」とは、5・7・5という極限の短さゆえの、
省略というモダニズムと、唐突な季語というシュルレアリスムが俳句の身の上なの だから。
そして短歌の5・7・5・7・7の余分な(?)「7・7」こそが、俳句という堅牢さを砕く不安定としての文学的過剰さなのだ。

また、上記の座談会で岡井が例に出している『新興俳句』とは、水原秋桜子を先駆とし、秋元も1934年から参加した俳句の前衛運動だ。
『新興俳句』に参加した秋元と同じ1901年生まれの俳人は、日野草城、山口誓子、西東三鬼がいる。
関係ないが、私の祖父、久保久作も1901年生まれで俳句をやっていた。また、彼らの中では一番、長生きした。

上記で引用した塚本邦雄は歌人ながらも、西東三鬼の影響を大きく受けている。
『塚本邦雄の宇宙 詩魂玲 瓏』を責任編集した斎藤慎爾は、1998年に大著『現代俳句の世界』も責任編集している。
『現代俳句の世界』の巻頭で斎藤は「二十世紀名句辞典」として、塚本に100句を選ばせている。
塚本が選んだ100句に久保田の句は無いが、秋元、日野、山口、西東の句が選ばれている。
これは、偶然か?
少なくとも塚本は、久保田・的なものよりも、1901年生れの4人・的なものを文学的に継承したことは間違いない。

ちなみに塚本が選んだ1901年生れの4人の4句とは、次。

赤き火事 哄笑せしが今日黒し 西東 三鬼

枯を行く覆面の馬美貌なり 山口 誓子

高熱の鶴青空にあだよへり 日野 草城

氷上を娼婦の遊ぶ二日か な 秋元 不死男

「思想犯」としての秋元の俳句には、次のものがある。

降る雪に 胸飾られて捕へらる

木木枯れて手錠の記憶三宅坂

友らいづこ獄窓ひとつづつ寒し

囚人に髪刈られ年逝かんとす

文は鉛筆枝で嘴研ぐ寒雀

獄凍てぬ妻きてわれに礼をなす

出獄のけふきて午後のふところ手

獄を出て触れし枯木と聖き妻

獄門を出て北風に背を押さる

手錠なし納豆の糸箸に引く

獄を出て炬燵愛しむ膝頭

二年や獄出て湯豆腐肩ゆする

歳月の獄忘れめや冬木の瘤

私はつい、「思想犯」と呼んでしまったが、
これらの句を俳人の草間時彦(くさま・ときひこ、1920年5月1日〜2003年5月26日)は、
「これらの句は善良な庶民が故なくして捕らえられての嘆きの詩であり、獄中の生活諷 詠である。
政治犯の体制への烈しい怒りや抵抗の詩ではない。」
と、評しているが、まったく同感だ。

元旦の翌日に、もしかすると前夜を共にした(?)娼婦が遊ぶ姿を見、エロティックな新婚初夜の句を書いた同級生に熱烈な共感を寄せる。
それが「生活」であり、「生活」こそが「思想」なのだろう。
その結果、それが「抵抗」に見えるのならば、観る側こそが「思想犯」なのだ。


またしてものワィルド・サイドを。
ミーのカーは駐車場。地下鉄で〜。

8: 56Am

元旦の翌朝は、一年で一番、ゆるい時間ではないだろうか。
誰もが、なまけることを許されている。

もうこの時間なのだが、
たぶん人口の半分は、まだ布団の中かも。


お正月の朝がゆっくり降りてくる。
狸小路は、まだ眠たそう。

で、今年最初の映画は、最初にふさわしいタイトルと、内容♪

最初のジャンプ。 9:40Am11:19Am
シアター・キノ
お正月特別割引 \1000
やっぱ、映画館で観たい♪『ファースト・ポジショ ン 夢に向かって踊れ!』
原題;『First Position』
監督&製作&編集;ベス・カーグマン
出演;アラン・ベル、ミケーラ・デ・プリンス、ジョアン・セバスチャン・ザモーラ、ミコ・フォーガティ、レベッカ・ハウスネット

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
毎 年、ニューヨークで開催される、アメリカで唯一のバレエコンクール『ユース・アメリカ・グランプリ(YAGP)』を 世界各地から目指して最終選考にまで 残ったイタリア、南米、黒人、日系などの6人の少年や少女を追ったドキュメンタリー。ざっくりとしたストーリーは、上昇志向の勝負だが、フィルムは執拗に バレエダンサーに接近し、才能、努 力、挫折などを饒舌に表現する。特に本選直前に、怪我をしたりナイーヴになってゆくバレリーナたちをナレーション無しでえぐり出す接近は、残酷な行為なが らもむしろ強烈な愛情を感じさせる。これがデビュー作であるというベス・カーグマン監督の才能にも驚く。しかし監督自身も子供時代にバレエを経験した、と ゆーのが映画の勝利の理由だろう。優秀な「見られる者」は、常に優秀な「見る者」であり、さらにもっと優秀な者とは、その両者を結合できる者、とゆーこと だ。「グランプリ」という品評会も、田舎の「見られる」天才が、世界中の天才を「見る」機会であり、そこから抜きん出るためには、この現場でまさに見られ ながら見ることができるか、とゆーことなのだろう。だから、戦いも、表現も、「社会」的なものであるのだ。
やっぱ、映画館で観たい♪ドキュメンタリーの 補助線は「説明」であり、同時に「説明」がドキュメンタリーらしさを弱める敵にもなる。この映画はナレーションを削ることにより生々しさを確保したが、補 助線として観客の「表情」を利用した。たとえばバレエダンサーが成功すれば、すかさず観客が喜ぶ顔を編集で挿入し、失敗すれば複雑な顔を挿入する。表情は 瞬間なので、そのつど撮影している準備は評価するが、こればかりを「説明」に使われると、生々しさも単調になってしまう。
そ の単調さに観客が気が付いた後半、この映画ならではの特権が花開く。世界各地で取材をしてきたバレエダンダーたちがコンクール会場に集まってきたことによ り、カメラが追う少女の後ろでおなじみの少年が練習をしていたり、他の少女が怪我に悩んでいたりする姿が偶然、同じフレームの中に入ってしまう。この 「入ってしまう」と、「編集で挿入」は大きな違いであり、ズーム・インされた者だけが主人公であるという映画の魔法を、別の映画の魔法が打ち消す生々しさ の現場 を観客は体験できる。
つまり、ファースト・ポジションとは、全ての者に公 平で ある、とゆーこと。
「夢に向かって踊れ!」ってサブ・タイトルは、またしても日本の配給会社のセンスを確認させられてしまったが(苦笑)。

同じ映画館で、引き続き♪

11:25Am12:59Pm
シアター・キノ
お正月特別割引 \1000
やっぱ、映画館で観たい♪『チキンとプラム ある バイオリン弾き、最後の夢』
原題;『Poulet aux prunes』、英題;『Chicken with Plums』
監督;マルジャン・サトラピ、ヴァンサン・パロノー
原作;マルジャン・サトラピパラパラ・・・『鶏のプラム煮』(訳; 渋谷豊)
出演;マチュー・アマルリック、ゴルシフテ・ファラハニ、マリア・デ・メディロス、イザベラ・ロッセリーニ、キアラ・マストロヤンニ

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
撮 影機の小型化とデジタル化により、1960年代のヌーヴェル・ヴァーグの手持ち撮影手法が良質に復活してきている、とゆーのが最近の映画のモードでもある と思う。邦画の復活(?)もそこに救われたのも一因だ。そして、そのような擬似的ドキュメンタリー手法の対局がCGや3D技術の高度化による、ほとんどア ニメーションな作り込み手法だ。実は私はその両方に、やや、うんざりしていた。なぜならば、その両方ともが手法に淫しているだけで、作家性から遠ざかって ゆく印象を強 く感じさせられるからだ。私が映画に求めるのは、手法では なく表現なのだ。
だから、その両極の間で作家性と表現に偏執し続けている、「擬似的ドキュメンタリー手法」寄りのタランティーノと、「CGや3D技術」寄 りのティム・バートンが魅力的なのだろう。ただし、欲張りな私はさらに、その両方の融合を求める。その結果、やっぱ、映画館で観たい♪ジャン=ピエール・ジュ ネやっぱ、映画館で観たい♪ミ シェル・ゴンドリーが私のひいき監督となったわけだ。
そ んな私のテイストにストライクな映画がまた出来上がった。監督は、むちむち美女のマルジャン・サトラピと、ひげ&メガネおやじのヴァンサン・パロノー。実 は、こ のお二人ともマンガ家。・・・なるほど!「擬似的ドキュメンタリー手法」と「CGや3D技術」を合体させて表現を強め作家性でまとめ上げるのって、マンガ か!
で、このマンガ家コンビによる前作の映画がやっぱ、映画館で観たい♪『ペ ルセポリス』。ただこちらは、まだ(?)アニメだった。だからこそ、今作の作り込みには惚れちゃう。
映画を最後まで観れば、ステレオ・タイプの物語が裸になってしまうが、それでも味わい深い余韻が後を引くのは、マンガ家ならではの暗い造 形美だからこそであり、それが映画でなければならない理由なのだ。
忘れない。

三日月色の確かな悲しいものが。
午後になれば、正月客も起き出した。

1: 07Pm

この日、観たい映画は6本♪
札幌市内の中心を東西に横切る
アーケード『狸小路』をはさんである
2つの映画館が、それらを上映している。
その上映時間をすべてさらけ出して、
全6本が観られるように時間を組み合わせた。

すると、
狸小路を行ったり&来たりする一日になった、
わけ。
みんなが手に入れたがっている。
年末に買った 古書市を、チラ見。

言葉の主。 1:35Pm3:54Pm
ディノスシネマズ札幌
会員割引き \1500
やっぱ、映画館で観たい♪『もうひとりのシェイク スピア』
原題;『Anonymous』
監督;ローランド・エメリッヒ
脚本;ジョン・オーロフ
出演;リス・エヴァンス、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、ジョエリー・リチャードソン、デヴィッド・シューリス、ゼイヴィア・サミュエル、セバスチャン・ア ルメストロ、レイフ・スポール、ジェイミー・キャンベル・バウアー、デレク・ジャコビ
赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
エ メリッヒ監督は『インデペンデンス・デイ』(1996年)、『GODZILLA』(1998年)、やっぱ、映画館で観たい♪『デイ・アフター・トゥ モロー』(2004年)、やっぱ、映画館で観たい♪ 『2012』(2009年)とゆー地球を壊す専門家だと思っていたら、今回は重厚な文学史もの。だからなのか、今までの全国一斉大ロードショーか ら一転して、なんと国 内では11館のみでの上映。アメリカですら、アート系のシアターで公開ってことだから、つまりは場末館あつかい。やっぱ映画って、そーゆー業界なのね。き びしぃーーーっ。
しかし、映画を年に1本しか観ない客向けの娯楽超大作パニック映画のみを作らされてきた監督が、このようにマニアックな作品を脂が乗って いるうちに作るってぇー姿勢は応援したい。
も ちろんマニアック向けのためなのか(?)、分かりにくい部分もある。たとえば、時間軸が何度も前後するたびに登場する美形男子たちの顔がどれも同じに見え て、脳味噌がパニック映画になっちゃう(がくっ。)。しかし、これも監督がやりたかったことなんだろーと、最後までお付き合いすれば、ちゃんとアッと驚く 展開 が用意されているのは、さすが。
隠れテーマは、テレ ビや映画などの娯楽が無い時代の大衆娯楽としての演劇が、劇中で社会風刺をすることで民衆の心を強くとらえ蜂起に導いた、とゆーフランス革命から150年 前に萌芽した大衆の時代を群集劇で描いた点。ただ、それを煽動したのは大衆の代表では無くて、匿名の知識人だった、ってのも重要な視点。そして映画の原題 は、「匿名」を意味している。
監督は数多くのパニック映画を作り、世界中の大 衆が観てくれたのに、大災害が起こるたびに繰り返される「想定外」とゆー決まり文句に脱力感を感じていたのかもしれない。だって、エメリッヒが描いてきた パニックは超「想定外」以上の想定外なのだから。特に原子力が生んだ怪獣ゴジラを映画化した監督には、日本の3・11への映画の警句の無力感を痛感してい たのかもしれない。シェークスピアの時代から演劇は3D映画にまで「進化」(?)したけれど、大衆芸能が民衆の心をとらえ行動に移させる力は退化したので はないのか?そんな監督の悩める日々が想像できる作品でもあった。

同じ道を、何度も〜。
同じ狸小路を何度も、東へ西へ往復。

3: 59Pm

はいはい、お次の映画まで時間は16分しかない!

すたこら、
同じ道を早歩きで
逆に戻る。

私は、ぐんぐんと人を追い抜いてゆく。
正月の人々は、
誰も私のように急いで歩いちゃいない。
初がくっ。
ずんずん。さかなごっこ。
バーゲンの戦利品を持つ正月客。

4:10Pm6:14Pm
シアター・キノ
お正月特別割引 \1000
やっぱ、映画館で観たい♪『その夜の侍』
監督&原作&脚本;赤堀 雅秋(1971年8月3日〜)初監督
出演;堺雅人、山田孝之、新井浩文、綾野剛、坂井真紀、田口トモロヲ、木南晴夏、谷村美月、高橋努、山田キヌヲ、安藤サクラ、でんでん、峯村リエ、黒田大 輔、小林勝也、三谷昇

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
主 人公が必要以上にブ厚いレンズのメガネをかけていて、ずいぶん後から、それを演じているのが堺雅人だと知った時、この新人監督の才能の大きさを感じた。堺 の魅力は唯一無二の目線であるから、本来ならば堺を使いたい監督は、堺の目を使いたがるはずなのだから。しかし、堺のあまりにも個性的な目は、個性的過ぎ るがゆえに、すでに記号化され、まるで仮面のようになっている。だからこそ、堺の本質的な魅力は仮面をかぶっていることを悟られないままに日常から少しず れた思考を隠しながら生きている部分なのだ。それを、この新人監督は見抜いている。
テー マは、恐怖と狂気の裏表ぶり、だろう。内向的な町工場の青年社長と、けだもののようなひき逃げ犯人。片一方が狂気になれば、もう一方が恐怖におちいる。そ の逆もありえるのが、現代。つまり現代は、「役割分担」社会なのだ。その図式は演劇的だが、なるほど、この監督は劇団『THE SHAMPOO HAT』の旗揚げメンバーであり、全公演の作&演出たまには役者を務めている。この映画の原作の初演も、この劇団の第21回公演として2007年9月29 日から10月8日まで下北沢ザ・スズナリで上演された。ただし、俳優はかぶっていない。演劇での主人公を演じたのは、監督だった。そして映画の主人公に選 ばれたのが、必要以上にブ厚いレンズのメガネをかけた堺なのだ。
新井浩文の使い方も、うまい。固まりかけた俳優・新 井のパブリック・イメージを真逆の役に閉じ込めることで、新井が演じる役柄の内面への観客の想像力を強く刺激することに成功している。
で は、この映画は原題をスルドク描いたのか?いや、このような恐怖や狂気は、平成にも昭和にもあったし、バブル時代にもバブル後にもあった。ただ、そいつが 作業服を着ているか、ちょんまげ&着物かの違いで、恐怖と狂気の間にゆれながら刃物という恐怖と狂気の象徴を持って一人でただ歩く男は侍なのだ。
舞台で鍛えられた作品が、映画として成功するのは嬉しい。今後、監督は舞台のフィルターを利用できずに映画に取り組むことが増えてゆくこ とだろう。これからの成功のカギも、恐怖と狂気をいつまでもリアルに表現できるか、とゆー点だろう。
生活の柄?・・・いや、品。

お正月には、凧あげて♪
ちょっと上を観れば、こんなの。

6: 23Pm

また同じ道を逆方向へ、早歩き。

正月客は朝と比べるとずいぶん増えたが、
せかせかと想定外の早歩き(?)をしている私だけ
別の時間が流れているかのよう。
また明日ね。
ああ、恒例のアレだ。明日、来よう。

ローズ・マリーによろしく。 6:50Pm8:25Pm
ディノスシネマズ札幌
会員割引き \1500
やっぱ、映画館で観たい♪『シェフ! 〜三ツ星レストランの舞台裏へようこそ〜』
原題;『Comme un chef』
監督&脚本;ダニエル・コーエン
出演;ジャン・レノ、ミカエル・ユーン、ラファエル・アゴゲ、ジュリアン・ボワッスリエ、サロメ・ステヴナン

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
最初は1987年の『バベットの晩餐会』だと思う。 いつの間にか、グルメ映画ってゆージャンルができあがっていた。で、この映画もその末裔。だが、どちらかとゆーと、ビリー・ワイルダーの『アパートの鍵貸 します』の系譜だな、こりゃ。
品の良いコメディ。それは映画史が持続した思いがけない発明だった。もちろん私も、その系譜を愛してきた。確かにすべての表現は、幇間 だ。が、その手法はテレビ時代においては同時に、映画の限界でもある。
そ れが理由かどうかは分からないが、私にとって、この映画は充分に楽しめたのだが、どこか居心地が悪かった。映画の最後にジャン・レノが演じるカリスマ・ シェフが肉料理にローズ・マリーを入れようとするのを後輩の天才シェフが拒否する。セオリーを超えようとするのと、グルメ映画のグルメとゆー冠を奪われな いようにする矜持を両立させなければいけないのだ。
だから私は、「心地良いこと」の意味を考えようとし ている。
この映画はもしかしたら、映画史に残る巨大な功績を残すことになるかもしれない。それは、この映画以降のグルメ映画がふたつに分かれるこ とになるだろう、とゆー予感が暗示する映画のジャンルの無軌道時代へのパンドラの匣を開いてしまった、きっかけ映画として。

回る光♪
映画館を出る度に、夜が近づく。

8: 33Pm

今度もまた同じ狸小路を、西へ。

ちゃんと見てろよ。
私は、それだけじゃないぜ。

分かりやすいのは、罠、だ。

嗚呼。
私は、たぶん、準備中なのだろう。
ただ、それが何の準備なのか。
まぁまぁだなー。
狸小路のパフォ−マーが開くのは?

8:45Pm10:40Pm
シアター・キノ
お正月特別割引 \1000
やっぱ、映画館で観たい♪『赤い季節』
監督&脚本;能野哲彦
音楽;SNAKE ON THE BEACH
出演;新井浩文、村上淳、新居延遼明、風吹ジュン、田口トモロヲ、中村達也、チバユウスケ 、イマイアキノブ、永瀬正敏、泉谷しげる

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
日活のノスタルジィ。これ一回だけなら、さすがの私 も許すし、お付き合いして、あ・げ・る。でも、それは祭りだ。目を覚ました後の「表現」で行こうよ、次は。
期待通りでは、ロックでは無い。それは、ヤンキー。お前に力が付いたのでは、ない。パブリック・イメージとは、ステレオ・タイプって、こ とだ。
なぜ私たちはずっと伏し目がちだったのに、手を緩め なかったのか。
チバ、いつか話してあげる。
ピストルの使い方を、間違えるな。
レトロック。

あそこに行きたい♪
二日目の夜が回りながら、終わる。

10: 43Pm

計画通り、6本の映画を観た。

私は、今日、一日で
札幌で6本の映画を観るバカ野郎が、少なくとも数十人いると思っていた。
が、どうやら
そんなヤツは、私、たった、ひとり・だけ、だったようだ。

今日観た6本の映画館に同じ客は、
ただの一人もダブっていなかった。


こうして私の二日は終わった。
明日の主役は、君たち、か?えへ。
ねぐらに帰れば、娘たちが宿題中。

最後に、うぇ〜ん!私の正月の句を 紹介。

初日(はつひ)すら世界同時に見られ ない (久保元宏 2002年1月1日)

一日で世界を回ることは、できない。
だって、世界はりんごが割れるように。回っているのだから。

今年も、よろしく。

text by うぇ〜ん!久保AB-ST 元宏 (更新日;2013年1月15日 水曜日 11:56Pm)