さっちゃんも、プールに行きました。I'll follow you wherever you may go!
top page⇒うぇ~ん!『共犯新聞』♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DieROCK★ロック パラパラ・・・偏 愛書物★Book Oh ! うめぇ~♪ジューシーな豚肉ソティ!好物 ★Gourmet やっぱ、映画館で観たい♪映画★Movie Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!美術★Art
moto_kubo@hotmail.com
2012年
6 月
映画
た びたび
他にも何か書くことあった気がするのだけれど忘れてしまったからもう出す。
脳内共犯
としての
映画館

脳 味噌共犯 movie days (and movie nights !!)  暗闇の私。≒ 私の暗闇。
やっぱ、映画館で観たい♪『共犯新聞』映画館
Oh ! うめぇ~♪肉体の共犯としての食犯。美食狂時代2009』 『2010』
ざらっとした森で見たブライアンのプール。久保元宏 ★ 2009年に買ったモノ! 2010年に買ったモノ!
共犯者からの年賀状2010年


Black book girl not innocnt
ナチの破壊的な占領を目前 にして、スペイン動乱を追憶しながら、
彼女は次のような言葉を書きつらねた。
「わ れわれは善を目ざす時に誤りを犯す。」

大木健
パラパラ・・・『シ モーヌ・ヴェイユの生涯』
勁草書房 1964年

書くことは、整理すること?
10 年間の日記 だから、上から埋まる。
2012年6月8日(金)
9:40Am

『共犯新聞』なんてーのをやっていると、
「どんだけ自分が好きなんだ。」
と、思われるのぐらいは覚悟(?)しちゃってるけれど、
「よく、あんなにいっぱい書くねー。」
とも、思われているようだ。
たとえば今年の5 月に久々に再会したマスコミ業界の旧友たちからも、
「マスコミ仲間の中では久保くんが一番、書いているのでは?(?ほんとか~?)」
とか、「久保くんが一番、文化的な生活をしている。(?それは、どーかな?)」と何度も言われた。
てか、私には書くことや、読むこと&観ること&聴くことで、
この私という居心地の悪い肉体と折り合いをつけながら生きているだけ、なんだけど。
つまり、「内容」と「量」が過 剰であることが『共犯新聞』の身の上だ。

こんなに書いているのに、さらに私は、アナログ日記も書いている。
かつては、超★長文のデジタル日記である居心地の悪い部屋の鍵をどうぞ。『共 犯日記』も書いていたが、飽和状態の果てに休止。
今も書き続けているアナログ日記は、市販の『10年連用日記2004-2013』。
毎日、書くのは3行だけだから、続いているし、過去の同月同日の自分の動向が再確認できるし、
私のよーな、米の相場師には、過去の相場の変動が仕事に役立ったりもする。

さて、そこで再び「どんだけ自分が好きなんだ。」に戻ると、
日記は書いた時点では自分の視線のみによるトリミングの結果だが、
時を経ると、そのトリミングが 過去を腐乱させる場合がある。
『共犯新聞』の本質的にスゴイところは、「内容」&「量」よりも、
過去を消していないところにある。
それは、良く言えば常に自分の言動に責任と自信があるから、だけど、その真逆からも逃げられない。
腐乱しきった生肉倉庫『共犯新聞』へ、ようこそ。

私はその臭い匂いが大好きなので、有名人、無名人を問わず、日 記本を 読むのは大好きだ。
私の書棚から、ちょいと釣り上げても、こ んなに魅力的な日記本がある。どれも面白い。
どの部屋で遊んでもらおうか?
確かに自伝も面白いが、整理さ れたトリミングである自伝よりも、
け だ もののような現場のトリミングの果ての約束が不可能な日記がより面白いのだ。

1: 00Pm2:44Pm
やっぱ、映画館で観たい♪『アンネの追憶』
原題;『Mi ricordo Anna Frank』
監督;アルベルト・ネグリン
原作;アリソン・レスリー・ゴールド
脚本;アルベルト・ネグリン、アンドレア・ポルポラティ、
ガブリエッラ・スキーナ
撮影;エンリコ・ルチディ
音楽;エンニオ・モリコーネ
出演;ロザベル・ラウレンティ・セラーズ、エミリオ・ソルフリッツィ、
モーニ・オビディア、スルディ・パンナ、メシシュ・ガシュパル

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
エンターテ イメントが低 俗で、社会派が高級なのでは、ない。モチーフの選択もすでに表現のうち、とゆー程度のことだ。だから、社会派であることに甘んじて表現が凡庸という手 抜きに『共犯新聞』は厳しい。この作品は、それ。誰もが知っているホロコースト。『アンネの日記』。その完成された物語を、どう表現するかを私は問いたいの だ。
で、あるか ら完成された 物語ほど手を加えるスペースは狭いのだから、表現のハードルは高まる。さらに本作はホロコースト映画が陥りやすい、ナチス=下品で残酷、ユダヤ=優秀で哀 しい民族、とゆー狭い図式に閉じ込められ ており、ドイツ人の多様さどころかパレ スチナ人への反省もまったく無く、まるでユダヤ大資本スポンサーが発注したユダヤ礼賛 プロパガンダ映画のようだ。私 が言いたいのは過大化された「ユダヤ問題」を 正確なサイズに戻せ、とゆー調整ではない。むしろ、「ユ ダヤ問題」とはユ ダヤ人だけではなく、すべての「人間問題」であるのだから、サイズの調整どころかサイズの拡張を私は訴える。そこを描かないユダヤ映 画は、ユダヤ映画ですら、ない。
それでも、 この映画にも いくつかの可能性もあった。原作はアリソン・レスリー・ゴールドが、この映画にも登場するアンネ の親友ハンナ・ホスラーにインタビューした『もうひとつの『アンネの日記』』。また本作には、生き残ったアンネの父親が1970年代の小学校でアンネの回 想を語 る印象的なシーンがあるが、このように映画をアンネ、ハンナ、父親の3つの視点と複雑な時間軸から立体的に構造すれば、より物語性も今日的な社会派メッ セージも深まったと思う。それらが安易におざなりに処理されてしまったために、凡庸なお説教ビデオの範囲を抜け出せなかった。が、実はこの映画はもともと テレビ・ドラマをつなぎあわせて映画にしただけらしい。なんじゃ、それ。
日記というタロットカードの雨。



描く業。
偶 然と意図の交 差点としての、作品。
ぐるぐるぐるぐる目玉の旅は終わらないなり。
訪れた時、宇流画伯は作業中だった。
2: 55Pm
Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる! 独自な視点のほうへ。 宇流奈未
(うりゅう・なみ)
作品展 ~ 終わりなき旅 ~

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
「終わりな き旅」とは、
宇宙の比喩なのだろう。
そして「旅」は物語の比喩だが、
どこまでも永遠に遅延化される
「終わりなき」と物語は対立する。
SFは物語だが、宇宙は物語ではない。
なぜなら宇宙は永遠という静止だから。

宇流のカラー作品には情緒はあるが、
モノクロ作品には情緒も物語も無い。
すべてから等距離の孤独とは
同時にすべてとのつながりを求める
強い想いや切なさがあるのだが、
宇流の作品にはそれも無い。
坂の上の最新作。
作 業していた机 には、目玉だらけ。
鋭敏を見上げる。 花びらとしての惑星。
展 示されていた 中では、もっとも完成度が高い作品。硬質な感覚の快楽。
めくりとられる貴婦人の恥部。 旗を一本。
当 均等に収めら れたパーツ。それは永遠なのか、瞬間なのか、静止なのか。
目玉カルタ。
目 玉(?)は箱 に納めて、切り売り。
矛盾する銀河。 紳士の忘れ物。
着 色されるとロ マンチシズムが降ってくるのは、なぜ?
宇流は、ずば抜けて技術がある
画家でもなく、手法も特に新しくもない。
その意味では本人が意識せずとも
結果的に後ろ向きで、
従来型のアートのよいところを
ピックアップし、再現しようとしている。
だからと言って、観る者を心地よい
ところに落ち着かせようともしない。
おそらく宇流は、先人の狂気を
再現しようとして、手法で止まっている。
つまり、技術よりも芸術とは、
さらに厳しいものであり、
手法よりも表現とは
さらに厳しいものだ、と・ゆーことだ。
過去の芸術=表現を解体し、
全面否定することが、
そのまま
過去の芸術=表現を
全面肯定することになることこそが、
本質的なラジカリズムであり、
創造なのだから。
交差点の黒猫。 水田の理由。
整 理し切らず、 象徴にまでも運びきらないのが宇流の資質か。
天体の、くびれ。 内側からミサイル。
こ のような作品 からは、宇流が骨格から人体を描き出す能力の低さを感じる。
豪胆さを、一粒。
お そらく今回 の個展で、これをやりたかったのだろう。2枚は、つながっている。
宇 流 が公言しているように、100歳で亡くなられた
一原 有徳(いちはら・ありのり、1910年8月23日~2010年10月1日)からの
影響が明らかだ。
一原の作品の圧倒的な存在感は、孤独を恐れない極北の緊張感であり、
それを成させる鋭敏さであり、それが成す自由であり、
それでいながら、孤独と緊張とは正反対の優雅や贅沢にまで辿り着く豊かさだ。

影響(もしくは、「好き」)を公言しているからには、
一原と宇流の差異や距離が気になる。
イギリス人の庭師が、垣根で薔薇を燃やす。
色 の無い空間で は、すべてが矢印である。問われるのは、何の矢印、か。
かけらの気持ち。
静 止も、矢印の うち。
ここから先は、
宇流の資質の問題だ。
宇流は、攻撃とも受け身とも
かけ離れたところで表現をしている。
だから資質が
作品に転嫁されることもなく、
ラジカルな倒錯の構図も無い。
それを個性と呼ぶことも可能だが、
それでは
「終わりなき旅」が
単なる「着地点なき表現」の
ままである危うさから解放されない。
それを、戻す場所へ。
上 記は、私が観 に行った前日。
正面の作品には当初、
左下に大きな半円が描かれていた。
それが、左のように消されている。

最初あった半円は、その濃さで
空間のパースペクティヴの
演出効果を計算したのだろうが、
逆に平面的な欠点が露出したのか。
空間を喰う感。
「当 均等に収め る」ことが上手であることは、空間を恐れること、なのか。
しっぽの気持ち。
日 記とは、厄介 な身体の重さ。
庭が流転すれば、そこは宇宙。
左 下の円はこの 塗り方でいいのか、四角の枠の太さはこれでいいのか。
抜いた刀で、もう一度。
そ のスピードが 印象派を生んだ。
Uは、宇宙のウ。
終 わりがないの は旅か、日常か。


”終わりなき旅”とは、日常のこと。
日常とは、永遠にシームレスである宇宙のメタファー。

3行しか書くことができない日記のつづき。


3: 30Pm

ホテルの一室に
北海道の各地から
米の相場師たちが集まり、
コメ業界の総会。

フクシマ原発で
米の相場は加熱する一方だが、
現物の米が無いときの
価格の上昇は
相場師にとっては
ただただ、
じゃまくさいだけ。
もちろん、
農家にもプラスは無い。
誰のための相場なのか?
テーブルは、回る。壁は踏み越えられる。
米 の相場とは、 終わりなき旅?
トランプ、しよーぜ。
総 会後は、終わ りあるパー ティ♪
皿の上の世界一周旅行。
久しぶりの、サフラン・ライス♪
パー ティの 最中、
私のとなりに座っていた男の
ケータイ電話が鳴り、
「政 府の備蓄米が
8万トン放出され る。」

とのニュースが飛び込んできた。
その後、その男のケータイには、
各地から同じ情報の確認の
電話やメールが続く。
「久保さん、どうやら情報が
日本中を駆け回っているようですよ。」

現在の米の相場は、
かなり加熱してしまっているので、
この放出が
クール・ダウンしてくれるか?
あっというまに過ぎ去ってゆく「今」。
翌 日の新聞には 8ではなく、4万トン。



踊らされるための環境。
雪 まつりに迫る 巨大イヴェント。
6: 00Pm

大通り公園7丁目では、
『YOSAKOI ソーラン祭り』の特設会場が作られ、
なんだか盛り上がっていた。

この祭りの私のイメージは、
山口昌男が1999年の朝日新聞に寄せた意見と同じだ。

つまり、
「竹の子族、あるいは花の応援団風だね」
「でも画一的で、イメージが限られてるなあ」
表情もマニュアルがあるのだろう、
全員が同じような微笑を浮かべ、最後は満面の笑みできめる。
祭りというより、学校の体育祭のマスゲームの印象だ。
「まるで部活。」

確かに、すばらしいんだけど、どうも苦手(苦笑)。
サラ・ムーンによろしく。
正面に桟敷席。裏で出演者が待機。



朝焼けとか、虹とか?
6: 40Pm8:50Pm
やっぱ、映画館で観たい♪『私が、生きる肌』
原題;『La Piel Que Habito』
監督;ペドロ・アルモドバル
原作;ティエリ・ジョンケ
出演;アントニオ・バンデラス、エレナ・アナヤ、マリサ・パレデス

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
まいった。なんせ、予告編やタイトルが共犯して、観 る前からだまされていたのだから!ふ つーあの予告編なら、マッド・サイエンティストが自分の理想のダッチ・ワイフを作り上げる映画か?と思っちゃう。実際、映画の前半は思わせぶりながら、そ のように判断できるように展開する。しかも、その勘違いストーリーであっても面白いのだから、まいった。つまり、面白さの奥に、さらに大きな面白さが隠さ れているのだ。
さすが、やっぱ、映画館で観たい♪『トー ク・トゥ・ハー』の監督だ。ストーリーばかりか映像もラジカルでクリエイティヴだ。たとえば病室に仕掛けた隠しカメラの患者の映像を 巨大なスクリーンで見つめる医者の構図は映画史に残る素晴らしさだ。さらに監督はこれらの先鋭的な表現を、凡庸との紙一重にまで接近させる。ときにはユー モアにまで踏み込む。それでも観客は笑いながら、「これは笑うべきなのか?」と自分の感性をリアル・タイムで疑うことになる。なぜならば観客にとっては今 まで触れられてこなかった自分のセンサーに触れられ、開発されることの連続なのだから。
そんなスト レンジさとぎ りぎりのリアルをつないでいるのが、J=P・ゴルチェの衣装だ。特に唐突に登場するアヴァンギャルドすぎる虎ファッションの男に説得力を持たせるのにゴル チェの才能は不可欠だった。今までもピ ナ・バウシェ やカエターノ・ヴェローゾを起用してきた監督ならではの、芸術の王様としての映画の雑食性のタフネスをまたしても見せつけてくれた。
そこれらを 総動員しての テーマは、やはり「愛」だ。映画は種明かしを小出しにするたびに多様な愛を観客に提示する。その鮮やかさは、愛の種類が映画のグルーヴにすらなっている。 そんな愛の旅の終わりは、日常の愛であるというエンディングを陳腐に感じさせない凄みにまで昇華させてゆく。
それでも欠 点を加えれ ば、テーマの派手さのわりには、静謐すぎる映画文体だろうか。しかし、それが生んだエロティズムは他に代えがたいのだから、またしても監督は特権的な映画 を作り上げたと言える。


11:00Pm

金曜日の夜に自宅へ帰る愛車マークXの中で聴くのは、NHK-FMの渋谷陽一。

俳句は、パンク。今日の一句
その準備の為の荒療治になるだろうな。

蛙汁
谷底で今
煮えたぎる

(久保元宏 2002年6月)

★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴 史から飛び出せ!
たとえば→6月9日の歴史
パリスの路線で続けていれば、ロックは変わった、かも。
ま たしても ミュージシャンの 訃報。
銃で胸を撃ち、自殺したらしい。
それにしても、渋谷陽一の誕生日にボブ・ウェルチの死を知るなんて、できすぎてる。



昨夜の渋 谷陽一のNHK-FM番組ではボブ・ウェルチの曲はかからなかったようだ。
なら、渋谷陽一が知ったのも自分の誕生日に、なのだろうか。

 Happy Birthday to Mr. 青年実業家という楽器。Youichi Shibuya !


赤ずきんを食べ残した夜。
ふ つーこの時間 なら、もう寝なさい!
11: 24Pm

帰宅すれば、真夜中なのにワインを抜栓。
山梨県勝沼の『ぶどうの丘』で試飲して選んだ1本。

シャトレーゼ・ベルフォーレ・ワイナリー
『2009 年 勝沼メルロー樽貯蔵』

メルローの優しいイメージではなく、
舌に鋭角な刺激があるほどの辛口。
だからミディアム・ボディとの自己申告よりも
重たく感じる。
野生を感じる複雑さもある。
もちろんそれは私には褒め言葉であり、
日本のワインは
今、かなり面白くなってきているぞ。

と、1本、ぺろり。
判断する前に遠ざけられるものとの闘い。
ワ インのサカナ が、プリン!がくっ。


text and photographs
by
うぇ~ん!久保AB-ST元宏
(2012年6月18日 月曜日 0:31Am)



Au Fond Du Couloir
そこからは、ぶどう酒が赤い線を、
リ ンゴ酒が黄金(こがね)の線をなして流れていた。

モーパッサン
パラパラ・・・『女の一生』 原題『Une Vie』 1883年
訳;岡田真吉 1937年

先日、古いフランス映画を観ていたら、こんなシーンがあった。
本を読んでいる少年にオトナが、「何を読んでいるのだ?」と問い詰めると、
文学につかまる10年。モーパッサン(1850年8月5日~1893年7月6日)の女は、風。『女の一生』だった。
するとオトナは顔色を変えて、少年を怒った。
どーやら、当時は不良が読む本だったようだ。
確かに、エッチなシーンや、反モラルな展開が多い。
が、今、少年がモーパッサンを読んでいると、ほめられることはあっても、怒られることは、あるまい。
それが文学にとって幸福なのか、不幸なのかを考察するのは興味深いこと。

日本では、どのように受け入れられたのか、ってーと、なんとフランスでの出版の31年後の1914年に白黒&無声で映画化されている。
先日、5月29日に100歳で亡くなった新藤兼人監督も後に妻となる乙羽信子を主演に1953年に『女の一生』とゆー映画を公開している。
これらの映画も含めて、タイトルだけ頂戴したバッタモン(?)『女の一生』や、日本版(?)『女の一生』は
日本では繰り返し映画化、演劇化されてきた。
てなふーに、何度もされたのは、キャッチーなタイトルもさながら、やはり原作の物語の力だろう。

私はモーパッサンは他に短編「未亡人」を読んだぐらいだが、これとて、かな~りストレンジな気持ちにさせてくれる不思議系恋愛小説。

それらは、文学や映画、演劇が猥雑とされながらも、確かな力を持っていた時代の証だろう。

そんな文学史に残るモーパッサンだが、作家活動の時期は、彼が30歳代の、たったの10年間だけ。
その変人ぶりで有名な逸話は、1889年にパリ万博に建ったモーパッサンは、ワッフルを食べたのか?エッフェル塔を嫌い、
「ここだけはパリの中で唯一、エッフェル塔を見なくて済むから」と、エッフェル塔のレストランでばかり食事した、とか。
その年に麻薬中毒になり、気が狂い、自殺をはかり、ついに精神病院にて、パリに死す。
享年43歳。

生まれは、ノルマンディー地方の港町。たぶん、ル・アーヴル。
冒頭に紹介した1937年の岡田訳では、ワインが「ぶどう酒」になっているように、
ここでの「りんご酒」は、ノルマンディーの銘酒、カルヴァドス。

カルヴァドスは、日本では馴染みが薄いが、
1952年のやっぱ、映画館で観たい♪映画バーグマンは、マクドナルド派?『凱旋門』に頻繁に登場し、当時は世界的にブー ムになったそうだ。
原作は『西部戦線異状なし』のドイツ人作家、レマルクで、主演は当時の最高の女優、イングリット・バーグマン。完璧な組み合わせ。

それから、60年。
また映画が私をカルヴァドスに誘った。
先日観た、やっぱ、映画館で観たい♪『ル・アーヴルの靴みがき』、 だ。
言葉と言葉の間に、黄金の酒。
いかつい刑事が、何度も呑むのが、りんごで造るノルマンディーのブランディー、カルヴァドスだ。

ノルマンディーから上陸してきたやつら。
7 種類のカル ヴァドス。
2012年6月3日(日)

誕生日と結婚式は予定できるが、
葬式は、いつも突然。

急に札幌に行くことになり、
グラガーの予想をUPし、
出発。

5:05Pm

せっかく札幌に来たのだから、
と、カルヴァドスを買う。

三越デパートや、
エノテカには売っておらず、
三件目の
ワインショップ・フジヰにあった。
しかも、7種類も。
図書館司書のような酒屋。
一 番、ポピュ ラーなブラーを買った。
6:00Pm

読経、開始。
順番に並んで。
み んな同じ方向 に向かって。
亡 くなった 方は、
敗戦直後から昭和の終焉まで
夕 張炭鉱
電気技師をされていた方。

炭鉱の事故にも
何度も
立ち会ったことだろう。

そして、
「炭鉱の電気技師」
とゆー意味がわからない世代
ばかりの時代が
まもなくやってくる。

7: 10Pm

せっかく札幌に来たのだから(?)、
と、ブックオフでフィンランドとフランスのロック中古CDを2枚、買う。

1 枚は、1992年に発表された
レニングラード・カウボーイズの
『俺たちゃブルックリン生まれ!?』。
バンド名だけではなく、
すべてがフザケているバンド
だが、
なんとシリアスな(?)映画の
『ル・アーブル靴みがき』の
アキ・カウリスマキ監督の
出世作である1990年公開の
『レニングラード・カウボーイズ・
ゴー・アメリカ』の主役(?)の
バンドのセカンド・アルバムだ。
映画が公開された当時は、
誰もがバンドは実在しないと
思っていただろーが、実は、
存在していた!とゆー1枚。
1曲目がメリー・ホプキンの
「悲しき天使」のカバーとゆー
アホさが、すばらしい!
是非、ライブが観たい(笑)♪


2 枚目も映画つながり。
1987年のゴダールの快作映画
やっぱ、映画館で観たい♪『右側に気をつけろ』
世界に知れ渡ったレ・リタミツコの
1993年の4作目『システムD』。
テ ラのRパッケージ愛こそ、すべて。CK100に も選出
されている由緒ある(?)名盤。
イギー・ポップも、参加してる!
切符としての記録。

バンパイアは献血カードを持っているか?
8: 15Pm10: 15Pm
ユナイテッド・シネマ札幌
レイトショー料金 \1200
やっぱ、映画館で観たい♪『ダーク・シャドウ』
原題;『Dark Shadows』
監督;ティム・バートン
脚本;セス・グレアム=スミス
撮影;ブリュノ・デルボネル
出演;ジョニー・デップ、ミシェル・ファイファー、エヴァ・グリーン、
ヘレナ・ボナム=カーター、ベラ・ヒースコート、ガリー・マクグラス、
ジャッキー・アール・ヘイリー、クロエ・グレース・モレッツ

赤い目は、森に置き忘れてはいない。久保の眼
しかし、 バートン=デッ プは素材見っけの天才だなー。今回は、アメリカで1966年から1971年に放送されたテレビ・ドラマが原作。日本で言えば、『怪物くん』かっ?がくっ。 実写版『怪物くん』もキャスティングの妙が楽しめたけれどバートンには、かなわない。なにしろ私は映画の冒頭で、やっぱ、映画館で観たい♪ 『リトル・チルドレン』で ヘンタイ性犯罪者を見事に演じたジャッキー・アール・ヘイリーがハマリ役で登場した段階でこの映画の成功を確信した(笑)。その他にも、ヘレナ・ボナム= カーターも『英国王のスピーチ』よか楽しそうに演じているし、クロエ・グレース・モレッツも『ヒューゴの不思議な発明』よか100倍かわいい。そうそう、 クロエが演じる不良少女(?)の部屋にはイギー・ポップやデヴィッド・ボウイのポスター♪ゴシック調の屋敷でかけられるレコードは、Tレックス♪そう、時 代は1972年。グラム・ロックの時代とバンパイアが生まれた18世紀のグロテスク・ゴシック時代をリミックスする、ってのがバートンがやりたかった、そ も&そものアイディアの発端ではないか?と、想像しながらヲタク度の高い画像を暗闇で観ていたら、ついニヤ&ニヤしてしまった。


0:19Am

沼田町の自宅に帰宅。
さっそく、カルヴァドスを呑む。
呑みながら、「ああ。そう言えば、友部正人の曲にも、あったなぁ。」と、朝は詩人、夜よ、明けるな。を想い出す。
アルバムパッケージ愛こそ、すべて。 『奇跡の果実』は、1994年の作品。
レ・リタ・ミツコ『システムD』の翌年、レニングラード・カウボーイズ『俺たちゃブルックリン生まれ!?』の2年後の作品。
当時の私はイギリスとアメリカのロックに失望し、さっちゃん♪ジャズゆみちゃん♪モーツアルトばかりを聴いていた。
でも、フィンランドとフランスと日本には、こんなに魅力的な音があったんだー。
そして、
「あの曲は、友部さんの詩に、リ クオが曲を付けたんだ。」と想い出せば、
「あのふたりのライブを芦 別のノッキング・ロール!ディランで観た時にも、
あの曲を声の一本道だよ、ふーさん。歌ってくれたな。」
と、想い出しつつ、40度のカルヴァドスを注ぎ足す。

「友部さんは、先月、新宿で観た最初の紅テントの女優もKARAと同じ朝鮮人だったね。唐組の観客席にも、いたな。」
って新しいことも想い出しながら、またカルヴァドスを注ぐ。

いちばん古い手紙から始まる夜。
CD も、酒も、 まわるもの。
カルヴァドスのりんご

作詞、ギター、ハーモニカ&唄;友部正人


ぼくには 見つけられな い自分の翼が
どうやら 君には見える らしい
でもぼく が空を飛んで るところは
君には見 えないらしい
ぼくはた だ日溜まりで
日なが一 日モーパッサンを、暗くなるまで。本 を読んでいる

これじゃ カルヴァドス のりんごだな
ぼくが飛 ぶっていうこ とは
小さいこ ろから自分が 育った
瓶から外 に出られない
空想ばか りが肥大して
人を狂気 に駆り立てる

人だと思 いこんでいた ぼくは
翼で空を 飛んだことが ない
人は何か を想像すれば
空を飛べ ると思ってい たから
君に翼が見えるとしたら
ぼくは空を飛ばない鳥なんだ

パブロ・ピカソの絵の中にいて
ぼくは君を眺めている
夢を見すぎたこのぼくが
窓辺にとまって歌ってる
君が夢から覚めたとき
ぼくが翼で空を飛ぶのを見るだろう

カルヴァドスのりんごは
落ちるってことをまだ知らない
パブロ・ピカソの絵の中の鳥は
きっと大空を飛ぶだろう
狂気は空で羽ばたけば
君への愛に変わるだろう





作曲&ピアノ;リクオ
エレクトリック・ギター;♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieどんと
オルガン&エレクトリック・ギター;KYON
ベース;永井利充
ドラムス;岡地曙裕
下品なほどにフランスの音楽なのだ。
黄 金の線になっ て、りんごが落ちる。
夜の駐車場までの幼い手を。
そ して、ようや く私も今、50歳。
次に彼の部屋を訪れる時には。
ま だあげ初めし 前髪のりんご。
りんごの酒を呑むのさ。黄金の酒を。
氣 志團の元ネタ かっ。
泡になる夜。
ソー ダにも、合 う(笑)。もう夏だね。

つまり、この曲のサポートは、ボ・ガンボスのメンバー。
そしてこの曲を録音してすぐの、同年11月にボ・ガンボスは解散。
どんとは、2000年1月28日にキースと、りんごが落ちてくる。ハワイで脳内出血で、急死。
享年37歳。
私も、この時、37歳。
モーパッサンよか、ずっと若かったんだね。


text and photographs
by
うぇ~ん!久保AB-ST元宏
(2012年6月8日 金曜日 1:57Am)

2012年6月4日 月曜日 午前2時24分私が見るものが何かをいうのはあなたの役目だ 気温11.2℃←■『ダーク・シャドゥ』は私向けの映画だった(笑)。最近、『裏切りのサーカス』とか70年代センスな映画が多い~。
2012年6月3日 日曜日 午後1時59分私が見るものが何かをいうのはあなたの役目だ 気温21.5℃←■これから、札幌へ日帰り葬式へ。喪服で、映画館に行く?
2012年6月1日 金曜日 午前7時39分私が見るものが何かをいうのはあなたの役目だ 気温11.9℃←■昨夜の呑み会のバツ・ゲーム(?)じゃないけど、今朝、初めて役場前のラジオ体操に行った(笑)。今日の目標、映画3本(がくっ。)!