あのブールで。その山の上で。I'll follow you wherever you may go!
top page⇒うぇ〜ん!『共犯新聞』♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DieROCK★ロック パラパラ・・・偏愛書物★Book Oh ! うめぇ〜♪肉体の共犯としての食犯。好物★Gourmet やっぱ、映画館で観たい♪映画★Movie Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!美術★Art
moto_kubo@hotmail.com
2010年12月22日 水曜日 午後5時37分あれからずっと、まだ帰り道。気温-0.4℃←■がんこ職人と、がちんこ2時間。勉強になりました。
2010年
12月
映画
たびたび
他にも何か書くことあった気がするのだけれど忘れてしまったからもう出す。
脳内共犯
としての
映画館

脳味噌共犯 movie days (and movie nights !!) 暗闇の私。≒ 私の暗闇。

From Desolation Row
不均衡進化論。
2010年12月22日(水)
『私はこういうことに気がついたよ。』スチェパン氏は、ある時こう私に囁いた。
『いったいどういうわけで、ああした猛烈な社会主義者や共産主義者が、
同時に底の知れないほどけちんぼで、掻き込み屋で、私有論者なんだろう、
まったく、社会主義者として深みに入れば入るほど、いよいよ私有論者的傾向が烈しくなるんだからねえ・・・・・・
いったいどういうわけだろう?
やっぱり、例の感傷主義から起るのだろうかねえ?』
ドストエフスキーパラパラ・・・『悪霊』 第一編 第二章 八 訳;米川正夫

9:30Am
愛車マークXに一俵を積んで、年末の営業へ、出発♪

10:30Am
アポをとっていたお客さんが、「会議」とかで、
「午後からにしてくれー。」と言われ、
しゃーない、古本屋でも冷やかすか、
と、ぶらり、そっちのほーへ走るが、
「まてよ?」と、映画館に入ってみれば、
あらま、
ちょーどいいタイミング♪
しかも、もうこんな時間なのに、まだモーニング・サービス料金♪
しゃーない、映画でも観るか、って。
・・・おい。
これでも、私よりかはずいぶん軽い。

ふびんと、ロビン。
10:50Am1:15Pm
シネプレックス旭川
「早朝」割引き、\1200♪
やっぱ、映画館で観たい♪『ロビン・フッド』
監督;リドリー・スコット
脚本;ブライアン・ヘルゲランド、イーサン・リーフ、サイラス・ヴォリス
撮影;ジョン・マシソン
音楽;マルク・ストライテンフェルト
出演;ラッセル・クロウ、ケイト・ブランシェット、ウィリアム・ハート、マーク・ストロング

赤い目が山から追い出されるまで。久保の眼
傷の無い玉は美しいが、印象には残らない。この映画の欠点はそれぐらいだが、
それは映画としては致命的でもあるのだから、映画ってやっかいなもんだな、やっぱ
し。たとえば年末&年始、書き入れ時の映画業界には無数の映画が口を開けて観
客を待っているだろーが、その中で『ロビン・フッド』は最も濃密だろう。しかし、魔法
物語のやっぱ、暗闇で観たい♪『ハリー・ポッター』やディズニーSFの『トロン』ばかりが記憶に残ってしま
うことだろう。その理由は『ロビン・フッド』があまりにも濃密で、すき間が無いからで
はないだろうか。観ながら私が思い出したのは1962年の名作『アラビアのロレンス』
だった。こちらもまた超濃密な激大作だったが、いまだに映画史の記憶に残ること
ができているのは、あのだだっぴろい砂漠にモーリス・ジャールの雄大なオーケスト
レーションがかぶさっていたからなんだろうな、と思った。つまり、あの砂漠と音楽は、
濃密な大作の中における「空白」だったのだ。「空白」の存在が時間芸術である映
画に陰影を付けるのだ。と、映画を観ながら他の映画のことを考えているなんて、な
んだかまぬけだったが。
とにかく「歴史もの大作」って、そーゆー落とし穴にはまりやすい。そんな経験から
私も、そーなりそーだなーと冷や冷やしながら観ていたが、途中から「この映画、成
功して欲しいな。」と応援の立場で観ている自分に気がついた。最初は、映画の舞
台である12世紀のイギリス民俗音楽(→ケルト音楽?)を古楽器で演奏しているシ
ーンの効果的な繰り返しが気に入り、次にはジョン王のフレンチ・ロリータ妻や、英
仏の二重スパイであるヒールな海老蔵・顔(?)などのキャスティングのセンスの良
さに気がつき、そもそも日本人にとってはやや弱いルックスであるラッセル・クロウも
よく見れば、がんこで人懐っこい天才シェフ三國清三が演じていると思うと一気に感
情移入がしやすくなった。そして後半にさしかかってから明確に提示され始める映
画の本質的なテーマが今日的でもあり、私は思わず映画の応援をしていたのだ。
そのテーマとは、「法」。かつて神が「法」であり、12世紀当時は王が
「法」だった。しかし民衆の知的レベルの向上が明文化された客観的な
「法」の必要性を求めた。ご存知、イギリスにマグナ・カルタ(大憲章)が
制定されたのは1215年。この「法」はあまりにも横暴で幼稚なジョン王の
権限を抑制するためであった。ジョン王はこの映画『ロビン・フッド』の重
要な登場人物だが、映画はマグナ・カルタの成立までは描いてはいな
い。ジョン王の横暴のピークを描いて映画を終えることで、マグナ・カルタ
を求める民衆の感情を映画観客に染み込ませることに成功している。こ
の「全ては描かない」とゆー手法は優れていて、それは『アラビアのロレ
ンス』が用いた「空白」と同様の効果を生んでいる。
また、「法」の必要性のみでテーマが終わっていれば単純な民主主義
礼賛だが、この映画はその先も暗示している。そのために主役をおとぎ
ばなしから引っ張り出してきた。そのロビン・フッドは、国家の枠組みにい
る者たちからアウト・ローと呼ばれる。これがこの映画の最大のキー・ワ
ードだ。アウト・ロー、つまり「無法者」。ロー(=「法」)からアウト(=「外
れた」)者を主人公に置くことにより、法が生まれる前夜のイギリスに、法
の魅力と危険性を同時に暗示させようとしているのだ。
お正月は、まじにカルタ?
大貫憲章は、今どこ? さて、もうすぐ暮れようとしている2010年。今年のキーワードは「流出」だったと思
う。東浩紀は「今年の漢字」は「漏」だ、と朝日新聞で連載している論壇時評に書い
ていたが、同じ意味だろう。そしてアメリカの雑誌『タイム』が毎年恒例の「今年の人」
にフェースブックの26歳の創始者マーク・ザッカーバーグを選出しようが、実際には
内部告発サイト「ウィキリークス」のジュリアン・アサンジュ編集長であることは間違い
ない。むしろ、それを知りながらも当局の顔色をうかがい過ぎている『タイム』の底の
浅さがまたしても「暴露」=「流出」=「漏」れた、とゆーことだろう。
「ウィキリークス」=ジュリアン・アサンジュに関してはすでに無数の論考が各地で
書かれているが、早い時期にタイミングよく書いたのは2010年11月30日のイギリス
の雑誌『フィナンシャル・タイムズ』の「ウィキリークスはどの国の司法権も及ばな
いように組織されている。」だった。私はこれを読んで、なるほどと思った。我々は
司法権に関してはまるで自然の摂理のように疑う余地の無い当然の環境のように
信じきっている。しかし少し考えればすぐに分かるように、国家の無いところに司法
権は無い。南極大陸に道路交通法違反が無い(?)ように。ウィキリークスの存在
が示した世界の現実はいろいろあるが、この司法権の共同幻想性について気がつ
いた者にはかなり大きなインパクトがあることだろう。「国家」はすでに自らの幻想性
に気がついているから、最近になって「コンプライアンス」をキーワードにでっちあげ
ようとしているのも、このほころびの表れだと見て間違いない。つまり、司法権が及
ばないものが権力を持つことは、12世紀以前の世界に戻ることであり、国家はそれ
を危険だ、アナーキズムだと「法」で取り締まろうとするだろうが、それ自体が国家
の終わりの始まりなのだ。

わたしのロビン・ザンダーさま♪ 以上が私がこの映画を観ながら
主人公の勝利以前に、この映画の
成功を願った理由だ。
朝昼晩、亜傘寿。


映画館から
出てきた私は、
マークXに
積んできた
俵を納品。
職人さんのチェック! メイン・ストリートから
ずいぶん奥の住宅街に入ったところにある
(つまり、場所が分かりにくい)
こだわりの手打ちそば屋に行くと、
「本日終了」の札。

それでも玄関が開いたので声をかけると奥さんが出てきた。
「遠くから来たんだから。」と、中には入れてくれたが
「今日の分のソバはもう無い」。
それでも、なぜか初めて会った
そば屋の主人(65歳)と話が大いに盛り上がる。
テーマは、ユーザーを知らないモノ作りの危機
このテーマだけで、ふたりで2時間ほども話してしまった・・・。

目的を達成するために組織化は有効だが、
組織化は同時に理念の動脈硬化と、教条化を意味する。
その時、
アウト・ローとしての、「職人」(や、「ヤミ米屋」?)が
業界のフレッシュさを常に更新し続けるのではないのか?
では、そのアウト・ローの効用を導入できる組織こそが
21世紀型のモデルとなりうるべきだろう。

古澤満の近著『不均衡進化論』から引用すれば、
変奏曲というスタイルの音楽を聴く楽しみは
変化と不変のバランスの妙にある。
基本の旋律が姿を変え異なる顔を見せながらも
統一感がある。

保守性と革新性のとり合わせが発展を生むという
見方は企業や社会にも通じる。

ってな話。

話していると北見ナンバーのクルマが来た。
「予約していたものですが〜。」
なんと、予約の客だけを相手にしているのか?

どーせゆでたついでなのか、少しばかり私にも出してくれた。
「少しだけど、特別だよ。食べてごらん。」
・・・やわらかいつゆに、苦味のあるソバ。
ふむ。なるほど。
ごちそうさまっ!

それから、さらに顧客まわりをして、帰社。
年末は社長も走るのであ〜る。
(映画も観るけど。)

text by
うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2010年12月26日 日曜日 3:11Am)



2010年12月15日 水曜日 午前0時28分あれからずっと、まだ帰り道。気温-3.5℃←■深川市の東洲館での個展『三木田好恵・小さなメルヘン展』は今日まで。ほんとーは会期中に感想文をUPしたかったけど。ごめんね。
2010年12月13日 月曜日 午前0時51分あれからずっと、まだ帰り道。気温-3.6℃←■映画『ノルウェイの森』は、札幌じゃなくて雪が積もる旭川で観て正解だったかも。
This Bird Has Flown
恋に疲れて。愛に憑かれて。
2010年12月12日(日)
「俺とワタナベの似ているところはね、自分のことを他人に理解してほしいと思っていないところなんだ」
村上春樹パラパラ・・・『ノルウェイの森 下』

花は、ドアの向こうか、こちらか? Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!三木田好恵 「小さなメルヘン」展
2010年12月1日(水)〜15日(水)
アートホール東洲館
赤い目が山から追い出されるまで。久保の眼
日本画の再生が同時多発に行われてい
る現在の情況は、イラストにも影響を与えて
ゆくだろう。なぜなら両者には閉じ込められ
たフラットという共通項があるから。
三木田は描き込むほどに下手さがあらわ
になってゆく。ならば描き込まなければいい
のだろうが、筆は止まらない。それは彼女に
とってのささやかな実験なのだろう。メルヘン
への安住を選択しておきながら、洗練を拒む
ところにオリジナリティが待っている。表現と
はオリジナリティを目的にするものなんだな、
とゆー愛おしい業が不器用さの中に正直に
現れていることを発見するのはまた楽しい。
3Pm
お花畑の、かわいいあの娘に♪
花は、透明な意思?
花は、どこへ行った?


「でも私が正直に話すと、みんな冗談か演技だと思うの。それでときどき何もかも面倒くさくなっちゃうけどね」(ノルウェイの森 上)
6Pm8:24Pm
ディノスシネマズ旭川
「ゲオ・カード」割引き、\1500♪
やっぱ、映画館で観たい♪『ノルウェイの森』
原作;パラパラ・・・村上春樹
監督&脚本;トラン・アン・ユン
撮影;マーク・リー・ピンビン
音楽;ジョニー・グリーンウッド(レディオヘッドのギタリスト)
出演;松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子、玉山鉄二、高良健吾、
霧島れいか、初音映莉子、柄本時生、糸井重里、細野晴臣、高橋幸宏

赤い目が山から追い出されるまで。久保の眼
登場人物の全員が、「ふたまた」をかけている映画。主人公のワタナベ
は、直子と緑と。直子は、ワタナベと死んだキズキと。緑は、ワタナベと恋
人と。永沢は、ハツミと大勢の不特定多数と。ハツミは、永沢と夫と。それ
ぞれが、独自の「ふたまた」をかけている。そして、それぞれの「ふたまた」
のバリエーションの違いをどう表現するかが、製作者側の大きな課題であ
ったと思う。なぜならば、この映画では、どのように「ふたまた」をするかが
どのように自分自身的であるか、なのだから。
「ふたまた」とは具体的なジレンマと、抽象的なパラドックスの現場であ
り、表現や思索の歴史ではニーチェ「善悪の彼岸」、西田幾多郎「絶対矛
盾的自己同意一」、小林秀雄「近代の超克」、サルトル「アイデンティティ
の危機」、山口昌男「文化と両義性」などと繰り返し扱われてきたテーマの
バブル日本版と言えるかも知れない。
もちろん長い原作を映画化するときの宿命で、物語の省略やテーマの
無理な強調の結果、本作では「ふたまた」を強調する心理的(←けっして
「肉体的」ではなく。)ツールとして、セックスが原作以上に印象に残るよう
に組み立てられている。そしてセックスもまた「ふたまた」と同様に、具体
的なジレンマと、抽象的なパラドックスの現場なのだから、テーマは塗り重
ねられている、と言うべきか。
文学とは、無限に続く永遠の「問い」の現場なのだから、むしろ矛盾が
あるから文学(≒愛)がある。そう、それこそがこの作品のテーマだと思う。
「孤独が好きな人間なんていないさ。無理に友だちを作らないだけだよ。そんなことしたってがっかりするだけだもの」(ノルウェイの森 上)
「でも俺はその渇きのもとでしか生きていけない男だし、それが俺なんだ。仕方ないじゃないか」(ノルウェイの森 下)
雑な言い方が許されれば、この世は「ふたまた」の連鎖でバランスが
構築されている、という言い方もできるかもしれない。くだらない例で言え
ば、日米安保があり、アメリカは中国を軍事的に仮想敵国にしながら経
済的には日本を飛び越えて結びつこうと暗躍している。北朝鮮はそんな
彼らから無視されないようにダダっ子のように核実験や韓国への攻撃を
定期的に実施する。中国では中央政治局の意思から乖離して、人民が
漁船で日本や韓国の警備船に突撃を繰り返す。
「ふたまた」の連鎖によるバランスが崩れるのは、たとえば当事者とは
違うものが交差することにより、異なった「ふたまた」カルチャーが衝突す
るとき。いわゆる「修羅場」と呼ばれる「ふたまた」の恋人同士の鉢合わ
せを描いた作品は無数にあるが、この映画は「ふたまた」の概念の衝突
を描く。たとえば、永沢が外務省に就職が決まり、高級レストランの個室
で恋人のハツミと、後輩のワタナベと祝杯を上げながら会話をするシーン
がそれだ。祝杯のムードのまま三人の会話はおだやかに進むが、かつ
て永沢とワタナベがナンパした女性を交換した告白がハツミの問い詰め
によって意味が変わっていく。永沢の女遊びはハツミにとっても承知のこ
とであったから、このような話題が三人の中でされるのは不自然ではな
かったのだが、今回ばかりは永沢が外務省に就職することになり少なく
とも2年は海外勤務によってハツミと離れて暮らすことが情況に摺り込ま
れていたのだ。つまり情況が「正しさ」を支配するのであって、その逆は
無い。しらけてしまった祝杯を終え、ハツミとワタナベは帰宅する同じタ
クシーで会話をし、会話がとぎれた映像にワタナベの単調な声のナレー
ションが「それから永沢さんは海外勤務になり、ハツミさんは他の男性と
結婚した2年後に自殺した。」とかぶさり、まるで事務的に告げられる。お
そらくほとんどの観客はそう言われた瞬間にその意味を整理して理解す
ることはできないだろう。なぜならばそのセリフには突然にあまりにも多く
の情報が詰まっているから。しかし、それは「ふたまた」の異なった概念
同士の衝突であった、と判断すれば読み解けると私は思う。
ところで当初、私はせっかく映像美に優れた監督と撮影陣だから、ス
クリーン環境の良い札幌のシネコンで観ようと思っていたが、タイミング
が合わず旭川で観ることとなった。しかし、映画を観終えて屋外の駐車
場に出たら曇った夜空の向こうに、雑木林と鉄塔にはさまれたかのよう
な月がぼんやりと見える雪明りの北の街がそこにあり、旭川で観ること
がこの映画にふさわしいな、と強く感じた。実際にこの映画は観る前の
予想通り、人間が映っていない場面ほど素晴らしかったのだから。
彼は僕に謝ったが、頭の中ではもう全然別のことを考えはじめているように見えた。(ノルウェイの森 下)


ナイチンゲールも飛んでいくのか。
Norwegian wood ?

Knowing she would !
♪クリックして、見よっ!Norwegian Wood
(This Bird Has Flown)

作詞&作曲;♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DieJohn Lennon (1965年)

I once had a girl,
or should I say,
she once had me
She showed me her room,
isn't it good,
norwegian wood?

She asked me to stay
and she told me to sit anywhere
So I looked around
and I noticed there wasn't a chair

I sat on the rug,
biding my time,
drinking her wine
We talked until two
and then she said,
"It's time for bed"

She told me she worked in the morning
and started to laugh
I told her I didn't
and crawled off to sleep in the bath

And when I awoke
I was alone,
this bird had flown
So I lit a fire,
isn't it good,
norwegian wood?
Is war over me ?緑の森を、赤く燃やせ
(鳥になった森ガール)

共犯意訳;うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2010年12月20日 月曜日 2:27Am)

ちょっと前、ぼくは深夜レストランで、かわいい森ガールをゲットしちゃってさぁ、
ってゆーか、今から考えたら、
むしろ、あの娘がぼくを逆ナンしたんだろーな。
誰でも入れる彼女の家だけど、ふだんは誰も入れない部屋に、ぼくを入れてくれたんだ。とくべつに。
「おっ。オーガニックな造りだね。敷いてあるのは、わら?鳥小屋みたい(笑)。」
「えへ。違うの。わらじゃなくて、畳なの。たぶん・・・ノルウェー風かしら?」

「朝までいて。」って言ってくれてさ、
「てきとーに座って。」とも言われちゃったけど、
あたりを見渡してもノルウェー風の(?)畳の部屋(?)だから、
どこにも椅子は無いし(笑)。

んなもんだから、ぼくはニワトリがタマゴを温めるよーに、あぐらをかいてさ、
まるでタマゴがかえるのを待つよーに、しかるべき時を待ったわけよ。
森ガールと、ちゅーしながら。
でも午前2時まで、ただ志賀直哉について話してただけだよ(うそ)。
そろそろ、あの娘もしびれを切らしたのか、
「あのぉ〜。おふとん、ひいたけど?」、だって。

森ガールは、「わたし、夜明け前に鳥小屋へタマゴをとりに行かなきゃならないから、
ぼちぼち、して(笑)?」って。
てなわけで、ひととーり、いちゃ&いちゃが終わって朝になっても、
ぼくはフリーターだから、まだダラダラとバスタブの中で、こっくり、こっくり朝寝坊♪

で、よーやく目がパッチリ開いたら、
ぼくは、ひとりぼっち。バスタブかと思っていたのは、なんと鳥の巣だった!
とっくの間に、森ガールは鳥になっちまって飛び去ったあとだったみたい。
そしてぼくは、鳥小屋に灯油をブチまき、吸ってたマリワナを、ぽとり。
わら敷きの鳥小屋は、あっとゆー間に全焼し、そのまま緑の森を真っ赤に燃やしつくした。
焼け跡には、ふたりの言葉が透明なひとつの石になって転がってた。これってノルウェー風恋愛ってやつ?



モンスターはツアーに出た。



また、12月の森だね。

text by
うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2010年12月20日 月曜日 2:27Am)



雪はすべてに公平に。フードを求める風土。
めざせ、88点!出発のほかに何がある。

韜晦(とうかい)が
生活の術
凍る都市

(久保元宏 2002年2月)

★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴史から飛び出せ!
たとえば→2月4日の歴史

それとカレンダー

A Happy
Birthday to
Ms. Mikakichi@Lola !

People are strange
when you're a stranger
旅人は、旅人にしか逢えない。
2010年12月10日(金)
もしハティが幽霊でないとすれば、トムが幽霊だということになる。

フィリパ・ピアス パラパラ・・・『トムは真夜中の庭で』 (訳;高杉一郎

0:30Am
今年の5月から、もく&もくと編集をしていた沼田町商工会『記念誌』の原稿が、よーやく完成♪
全90ページ、取材&編集、それを入力、ほぼフル・カラーだから、それなりに大作業だった。

とくに今回、私がこだわったのは、『記念誌』によくある「お祝いの言葉」的投稿ばっかりで全体の
紙面を埋めるのを避けた点。パターン化された「お祝いの言葉」は創造的な編集を阻害する。
「創造的な編集を阻害する」ことは、そのまま資本主義経済や地域活性化の否定でもある。
そこで私が取り入れた手法は、インタビュー。「書きたいこと」よりも、「聞きたいこと」を記録する。
インタビューは、沼田町出身の生まれた町に、言葉を蒔く。寺島実郎と、歴代の商工会長4人に行った。
実は私はこの機会にインタビューしたい(=話を聞きだしたい)人が他にもいたが、断られた(笑)。
活字を硬直化させないための遊戯の心。 創造的なダイアローグの現場をつないでゆくためのメディア。
9:30Am
さっそく、印刷所に入稿。
同様の作業は今まで無数に私はやってきたが、
今回は、活字や写真の全てを含んだ完成されたレイアウト原稿を印刷所に
USBメモリー・スティックにて入稿した。
今までは、手書きやワープロの原稿や、サイズとトリミングを指示した写真など&など、
わんさかでの入稿だったのに、ポケットに入るUSBメモリー・スティック1本だけでいいのだ♪
で、印刷所はかつてのように活字拾い&組みも、レイアウト・デザインもせずに、
基本的には私が作り上げたデーターをプリント・アウトするだけ。
だから10日後ぐらいには、校正刷りが出来上がってきて、年内に発行の予定。
何を見聞きしても企画になる「奇妙な仕事」共犯編集者の眼力。
これは、印刷所に見せるプレゼン用の見本誌。
自宅のカラーコピー機でプリントした原稿を
のりで貼った手作り(笑)。

ろーぷ、ろーぷ、ろーぷ。 10Am
毎月10日は、
消防団の「火防ディー」。
消防の作業服に着替え、
消防署に集まり、
団員たちと
消防自動車に乗り込み、
町内をぐるぐるパトロール。

パトロール後は、ロープ訓練。

12Pm
その後、みんなで昼食をとり、
八千代のつるつるの道路に滑り出す前の、つるつるつるる・・。ラーメン
早喰いした私は、
「これから札幌へ行くから。」
と、お先に帰社。
3Pm
いつものよーに(?)高速道路を
無料である岩見沢まで乗り、札幌へ。

ちょいと時間があるので、
半年ほど前に、かまくら遊び、またやってー♪タテワキさんから
「大学の後輩のスーパー・サラリーマン君は
スーツはいつも、オーダー・メイド。
生地さえこだわらなければ、
安くて、希望のデザインになるんだって〜。
しかも、とーぜん体にフィットするからね♪」
と聞いていたのを突然☆思い出し、
私にとって48歳のオーダー・スーツ初体験。
店員から体の寸法を細かく測ってもらったり、
デザインの打ち合わせをしたり、
かなりリッチな気分を味わえた(笑)。
気持ちはDCブランド15万円以上なのに、
なんと、2万8千875円!ひえ〜。
計られる肉体。からっぽの洋服としての肉体。

スーツは月末までには、出来上がるらしい。
で、私は本日のメインのお仕事があるホテルへ向かい歩く。
その途中、いつものギャラリーの前を通っちゃったから、まぁ、寄る、わな♪
壁の向こう側へ。
個性的な作品群。
あえて言えば統一カラーは、「若さ」か。
4:30Pm
Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!大同ギャラリー
札幌市中央区北3西3 札幌大同生命ビル
電話番号 011-241-8223
2010年12月9日(木)〜14日(火) 10Am〜6Pm (最終日〜5Pm)
無料

3、4階のそれぞれのフロアーに、
札幌大谷大学・短期大学部・美術科の2つのグループ展。

4階 グループ展 『Bobz imagination』
同大学、油彩コースの学生による初のグループ展。F6〜F100号までの作品を展示。

赤い目が山から追い出されるまで。久保の眼
若さの特権とは、「自由」。そして老いの特権とは、その「自由」のくだらなさを知っ
てしまったこと。その時、老いの「知」が創造的なパワーとなりうるか、退屈な自己規
制になるかは、老いるまでの時間で獲得したセンスの質によるだろう。このように老
いのセンスばかりが問われる時代に、若さが表現に向かう価値とは何だろうか。私
は、やはり「自由」のフレッシュさにこそ、その中心があると思う。
本展は、ある意味、「自由」のダダ漏れだ。ただし、それを「まぶしい」と評価するに
は確かに我々はあまりにも偉大な美術史をすでに手に入れてしまっている。いわば、
ポスト美術史の時代の若さだからこそ、めんどくさいんだろーな。それは観る私以上
に、実作者である彼女たち自身が創作のたびに実感していることだろう。
では、なぜ「自由」がこんなにも不自由になってしまったのか?私が思うに、それは
「挑発」の意味が変容したからだと思う。現在という時代は、いくら若者が「自由」に表
現しようが、古典がすでに持っている「挑発」力にはかなわないのである。ゴッホやデ
ュシャンの過激さ、ドストエフスキーや夏目漱石の若さにはかなわないのだ。高齢化
社会は精神社会にも根付いてしまった、のか。嗚呼、やっかいな時代だ。
ならば、「挑発」から「自由」な「自由」を表現すれば良い。本展のすがすがしさは
そこに向かっている。もちろん、それは安易な村意識や、凡庸な田舎臭さとも紙一重
だ。では、女子大生たちよ、半歩だけ老いてみるがよい。そのスリリングさの彼岸
に君たちの若さの特権が約束されていると思う。
3階 グループ展 『O-valley 版画展』
同大学、版画同好会の学生による
初のグループ展。
版画作品を展示。

赤い目が山から追い出されるまで。久保の眼
技法の知識が、表現のセンスに極めて
ダイレクトに表出するジャンルが、版画だ。
覚えたての技法を使ってみる、その行為
自体がチャンス・オペレーションそのもの。
その時、若さは「自由」を泳ぐ。
だから昇ろうぜ、螺旋階段。 透明という理由。
なんだか私が撮った写真のほうが作品っぽいが(笑)、
これは会場風景のスナップ写真。
おれたちゃ、リバプールの船乗りさ♪
ぐるぐるの法則。

5Pm
私の、お仕事、うまい仕事は無いが、うまいコメは、ある?コメの商談会。
いつもは北海道中の米屋が
がばちょんと集まるのに、
この日の出席は、いつもの半分、以下。
商談内容も活気が少ない。
なんだか今年のコメ業界を象徴した
年内最後の商談会だった、かな。

それでも、それぞれの米屋には、
それぞれ独自のマーケットがあるので、
集中して見ていると、情報はある。

むしろ欠席した米屋たちの
気分の動向の情報が得られないのが
不満、もしくは不安、かな。

商談会はいつもは7Pmまでやるのだが、
盛り上がらないので6Pmで打ち切り。
がくっ。
コメットさんの日々。

6Pm
コメの商談会が行われたホテルから、
大通公園のホワイト・イルミネーションを挟んで歩いて、南下。
思わぬ時間が空いたので、
ブック・オフで古本、
レコーズ&レコーズで中古CDを入手。
これを散財と思うか(がくっ。)?
が、なんと、ずいぶん長い時間、探していたものたちが入手できちゃった。
特にCDは、27年間(!)も探していたものだ。
パリ?大博覧会?・・・大寒乱射・・・。

手に入れた本とCDは、それ&ぞれ「半歩だけ老いた」表現者たちからの手紙のようなものばかりだった。
美人版画家、山本容子の自伝パラパラ・・・『マイ・ストーリー』は、
その単調な装丁(=しかし、和田誠の手によるもの)と、
タイトルからは伝わらない、かなり赤裸々な内容。
それは、カバーをはがしたときに彼女のヌード写真がある
ことが読む前から予言している。
美人は美人というだけで、あらかじめ少しの不幸を運命
付けられているのだろうか。いや、それは他人には無関
係なことだろう。不幸も幸福のパーツ、か?
(2004.9.15、初版、新潮社)
定価\1470→古本\750



♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DiePANTAのCDアルバム共犯音楽祭★Music〜音という抽象芸術♪『浚渫・SALVAGE』
が発売された1983年当時、私はB4のコピー用紙の
スタイルだったアナログ時代の『共犯新聞』に紹介記
事を書いた。純粋なファン気質丸出しで興奮気味に、
「PANTAが戻ってきた!」、と。1970年代、日本語で
ロックを目指す者にとってPANTAは「希望」だった。
しかし、私が東京で日本語のロック・バンドを始めた
1981年、PANTAは突然、”スウィート路線”と呼ばれ
るラブ・ソングばかりを歌い始める。それは19歳の私
にはショック以前の意味が分からない「転向」だった。
その路線は2年続き、2枚のアルバムが発売された
が、そこで終わってPANTAは再びロックに戻ってき
た。それがこのアルバムだ。それを祝福した当時の
私だったが、実は実際にこのアルバムを聴いたのは
今日が初めてだ(がくっ。)。当時の私はすでに自分
で日本語のロックを確立しており、たとえPANTAで
あっても眼中に無かったのかもしれない。そして27年
後の今日、31歳のPANTAのロック復活アルバムを
聴いてみると、やはり私には物足りない。確かに観て
きたばかりの映画『ドアーズ』のようなタイトで硬質な
バンド・サウンドは心地よいが、肝心のPANTAの
唱スタイルがオールド・ウェイブかつ、どこか楽天
すぎてロックの身の上である切迫感が希薄なの
だ。
そうか、1983年の段階では私(と、私のバンド)はPA
NTAを超えていたからなんだろうな、と、ずーずーし
くも確信してしまった。
それでもまた一方で、作品の内容とは無関係に「ロッ
クに戻ってきた」とゆー「物語」だけで情況を興奮させ
る存在の強烈さも実感させられた。
そうそう、このアルバムを今まで聴くことがなかった私
だが、タイトルである「浚渫」=「サルベージ」は1983
年からずっと私の重要なキーワードとなって染み付い
ている。私はアルバムの売り上げには貢献できなか
ったが(がくっ。)、PANTAからはこうしてまた糧を得
ていた(笑)。曲や歌詞ではなく、アルバムのタイトル
がシュプレヒコールのように深く訴えかける表現者も
稀有、というか後にも先にもPANTAだけだ。
寺田博は文芸誌の編集長として伝説的存在。特に、
「文壇」というものが存在した最後の名編集長と日本
文学史には記憶されることだろう。その純文学系の
編集長が引退後に出した単行本が、パラパラ・・・『時代劇の
勘どころ』とゆーのだから、驚いたのは私だけではな
いだろう。
(2008.4.20、初版、河出書房新社)
定価\1680→古本\850
芳醇なクリスマス。
偶然にも寺田の本とPANTAのアルバムは、
両方とも鷹が描かれている。

編集者の書いたものは、常に気になる私。
2010年3月28日、朝日新聞の追悼記事。

そして映画館のチケット売り場で、ひとこと、「ドアーズ」と言う、かっこよさ(笑)。
ステージから、パリの書物のほうへ。
7:45Pm9:11Pm
シアターキノ
たまったスタンプ・カード満点で、タダ♪
やっぱ、映画館で観たい♪『ドアーズ / まぼろしの世界』
原題;『When You're Strange』
監督&脚本;トム・ディチロ
出演;ドアーズ:♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieジム・モリソン、ジョン・デンズモア、ロビー・クリーガー、レイ・マンザレク
ナレーション;ジョニー・デップ

赤い目が山から追い出されるまで。久保の眼
つくづくドアーズは特別なバンドだったんだな、と再確認。バンドにベーシストがいなくて、
キーボード奏者が片手でバカ・テクのソロを速や弾きしながら別の片手でベース・ラインを弾
いていた、とか、それでいて演奏は全員シロウトだった、とか、作曲はギタリストがしていたが
練習でジャムりながら曲を完成させてゆくのでレコードでのクレジットは、個人名ではなく民
主的に(?)ドアーズとしたとか、ジムが延々と長い詩を書いてそれをレコーディングしようとし
たがレコード会社から反対されて実現しなかった、とか、ラリって歌えなくなったステージ上の
ジムの代わりにレイが機転を働かせて歌っていた、とか。そして何よりも、恥ずかしがり屋で
客席に向いて歌うことすらできなかったジムが、あの狂気のステージングを繰り返してゆく変
貌の日々。それらがなんと再現ドラマではなくて、全編、当時の映像だけで構成されている
のだ。これらの貴重なフィルムが撮影され、保存されてきたこと、そしてその膨大なフィルム
資料を見事にまとめあげた監督のセンス。これら全てを奇跡と呼ぶと、映画を観ていない者
からは安易な常套句だと笑われるだろうが、映画を観ている最中の者には奇跡に震える瞬
間の連続だ。
まず冒頭に、ぺしゃんこにつぶされた事故車の中からのっそりと出てくるジム・モリソン。さ
すがに、このあまりのも劇的なシーンは現在になってから撮影したそっくりさんフィルムだろう、
と思うとそうじゃない。お蔵入りになっていた幻のドアーズの映画『HWY(ハイウェイ)』の一部
分だという。で、その幽霊のように登場したジムが缶ビールを呑みながら(!)アメ車を爆走さ
せ、カー・ラジオから自分が1971年7月3日にパリで死んだという臨時ニュースを聞く・・・。な
んという導入部!
ドアーズの劇映画はすでにオリバー・ストーン監督による1991年の『ドアーズ』がある。も
ちろん私はそれもリアル・タイムで観た。主演のヴァル・キルマーはジムに似ていたが、やは
り本物のほうが百倍、品があって、千倍、知的だ。あんなにセクシーで、あんなに暴力的なの
に品があり、知的であるとは、いったいどーゆーことだろう。1970年代、ハード・ロックの全盛
期にドアーズの音が古臭かったり、薄く感じられて日本ではまったく売れなかった。この映画
では音源も硬質にミックス・ダウンされているのか、かなりエッジが立っているので今までドア
ーズをまともに聴いてこなかったやつらへの「教育用」としてもいいかもしれない。そして何よ
りもジムのステージ・パフォーマンスはニジンスキーなどの伝説のバレリーナたちの系譜に
入れても遜色がない。いや、バレリーナは型を演じたが、ジムはその瞬間で動いたのだから
神に近いのはジムかも。そう考えると、フィルムの力を感じるし、ジムの表現者としての最初
のキャリアがUCLA映画科の学生だったことを思い出すと、メディア時代の詩を書く天使がほ
んの少し、ひらりと目の前を舞って消えただけだったのだろうな。それが、まぼろしの世界か。

映画館のシステムが「総入れ替わり制」なので、いったん外へ出てから、すぐUタ〜ンして、また同じスクリーンの前に座る。
観客は『ドアーズ』は8割埋まり、次の映画は3人(がくっ。)。
ドアーズ人気、すげえ。
実は『ドアーズ』は、この日が最終日だったのだが、上映期間が当然のように延期された。
さもありなん。
9:45Pm11:11Pm
シアターキノ
レイト・ショー割引き、\1200♪
やっぱ、映画館で観たい♪『彼女が消えた浜辺』
原題;『Darbareye Elly』
英題;『About Elly』
監督&脚本;アスガー・ファルハディ
出演;ゴルシフテェ・ファラナニー、タラネ・アシュスティ

赤い目が山から追い出されるまで。久保の眼
けっしてダメな映画ではないのだが、はたして第59回ベルリン国際映画祭銀熊賞を
受賞するだけの価値がある作品とまでは思えない。
なぜそう思うかと言えば、私ならばこのシチュエーションをもっと劇的に膨らますドラ
マを書き加えたいという欲求が、映画の終わりに近づくことと比例して強く感じていった
からだ。それは観客の想像力が映画を超えていた、とゆーことだと思う。
物語は、イランの首都テヘランからカスピ海沿岸の避暑地にやってきた友人を含む
大家族に起きた数日。大家族の中にひとり、子供の幼稚園の先生だからと同行してき
たエリという美女が突然、浜辺で消えてしまう。それまでは、ほのぼのとした牧歌的な
物語が彼女が消えた後で、実は大家族の誰も彼女の素性どころか本名すら知らなか
った、というミステリーに急展開する。この瞬間から物語は一気に面白くなるのだが、
その謎の回収の仕方が、あまりにもアンチ・クライマックス的。ある意味、やりにげ的。
そこが私の不満であった。
なにも私はドラマチックさや意味を求めて不満なのではない。むしろ、それらは無く
てもいい。しかし、この映画はドラマチックさの種を蒔いておきながら、説明も盛り上げ
もせずに終わってしまうのだから、ルールとして中途半端なのだ。
では、私ならばどーするか?ってーと、まず第一案「大恋愛パターン」は、消えた彼
女は実は婚約者がいたが、別にできた好きな男と逃避行を計画していた。イランでは
婚約しなければ男女交際はできないから、一度婚約してしまうと解消が厳しいのだ。
そこで海に消えたふりをして、駆け落ちをした。
第二案「スパイ大作戦パターン」は、実は彼女は他国のスパイか、自国内のレジス
タンスで、コード・ネームしか知られていない国家にとっては危険人物。幸福な家族の
バカンスに忍び込むことによって、人知れず作戦を進行していた。と、言うのもバカン
スに集まったメンバーそれぞれが国家の機密に少しづつ関わっていたからだ。たとえ
ばある男はトラックの運転手だが、軍事基地への納品許可証を持っている、とか、別
の女は教師だが、その教室内には大統領の娘がいる、とか。
う〜む。・・・どう(笑)?
物語から、物語のほうへ。

翌日も仕事だ。来た道を逆に戻って、2Amに帰宅。

ともかく、トムの家の方がピーターの家よりも、出足がはやかった。
――すくなくとも、トムが木の家のことを手紙に書いて、その手紙が配達され、
こんどはピーターがその手紙を読んで、燃やしてしまうまでのあいだだけは出足がはやかった。

フィリパ・ピアス パラパラ・・・『トムは真夜中の庭で』 (訳;高杉一郎

text by
うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2010年12月16日 木曜日 3:19Am)



2010年12月11日 土曜日 午前3時10分引き返す。気温-2.5℃←■雪が降った後の真夜中の高速道路って、ちょっと怖かったけど(笑)、なんとか盛りだくさんで札幌日帰りツアー完了♪
2010年12月3日 金曜日 午前2時11分ざくざくの帰り道。気温4.0℃←■気温が上がってきたなぁ、札幌は雨か?だったら、めんどくせーなぁ。

The Unfinished New World
新世界は、(いつも)未完成。
2010年12月3日(金)
きっかけは偶然だった。98年12月、新宿の居酒屋で白石かずこさんを囲む会が開かれた夜のことだ。
たまたま座った席の隣が宇野亜喜良さんで、その隣が矢川澄子さんだった。
まるですれ違いざまに突然シュッとマッチが擦られたかのようだった。

松田素子 (「絵本『おみまい』のこと 『ユリイカ』総特集;矢川澄子・不滅の少女)

11Am マークXで、沼田町から札幌市へ。
物語から、物語のほうへ。
1:45Pm4:21Pm
ユナイテッド・シネマ札幌
「毎週金曜日・会員」割引き、\1000♪
やっぱ、映画館で観たい♪『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』
原題;Harry Potter and the Deathly Hallows: Part 1
原作;J・K・ローリング
監督;デヴィッド・イェーツ
脚本;スティーヴ・クローヴス
出演;ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン、ヘレナ・ボナム=カーター

赤い目が山から追い出されるまで。久保の眼
世界中の子供たちの「物語」欲を目覚めさせたファンタジーも、ついに最終章。明るい
ユーモアにあふれていたファンタジーも、章を追うごとにダークなテイストになり、それにと
もない映像も暗くなってゆく。この調子では、完結する次回作は、まっ暗なだけの画面に
声だけ聴こえるのでは?まっ暗なだけの画面なのに3Dってのも、かなりシュールかも。
さて、私がこの映画を分類するならば、ファンタジー映画ではなくて、レジスタンス映画
の系譜に入れる。実際、映画を観ながら私が連想していたのは、やっぱ、映画館で観たい♪『ゲバラ』2部作
であり、やっぱ、映画館で観たい♪『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』であった。絶対的な権力
に立ち向かうために正義感に燃える若者たちが身を隠す森の中で修行しつつ、同時に友
情の確執(=つまり原始的な組織論?)に悩む、とゆー構図は、先行するレジスタンス映
画群と怖いぐらい合致するから。
と、書きながら不覚にも私の脳味噌に浮かんでしまったのは、むしろ『ゲバラ』や『連合
赤軍』のほうがレジスタンス映画ではなくて、『ハリー・ポッター』と同じファンタジー映画な
のではないのか?とゆー恐るべき理論Uターン現象だ。確かに、「革命」や「友情」はファ
ンタジーそのものだ。(さらに意地の悪い私は、「正義」もファンタジーだ、と言い添えたい
のだ、が。)「レジスタンス」とは当事者による「冒険」幻想にしかすぎなく、敵(=「権力」?)
からすれば無関係かつ興味の無い「おとぎばなし」にすぎないのかもしれない。いや、さら
に微分して考察すれば、敵(=「権力」?)はむりくり、反「権力」理論を「おとぎばなし」に
閉じ込めることによって、自らの座を維持しようとするのだ。そしてさらに、その閉じ込め
によって準備される大衆の閉塞感がまた新たな反「権力」「幻想」を生み出してゆく。つま
り「幻想」の裏表に、それぞれが都合のいい「幻想」を捏造してコーティングしているだけ
なのだ。これはある意味、永久運動でもあり、人類史の生命力を更新し続ける原動力な
のかもしれない。そして、だからこそ、ファンタジー(=「物語」)には力があるのだ。我々、
小さき者は幻想(=つまり「かんちがい」。)することによってはじめて、敵に対して有効と
なりうる。それはスペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』の系譜
だ。あ、そうだ!まさしく『ドン・キホーテ』によってレジスタンスとファンタジーは結び付けら
れているのだ。
願わくば、世界中のハリー・ポッター世代の子供たちが大人になったときに、世界を動
かす魅力的な「幻想」を魔法のようにばらまいてくれますように。ア〜メン。

カウントする指。 4:45Pm
毎月行われる
コメ業界の商談会に
忘年会を組み合わせて♪

コメ業界にとっては、
殺人的な相場の年だったが、
「売り上げ額」と
「利益額」は別腹で、
この日も
積極的に売り&買いが行われた。

若くして
9月に亡くなった同業者への
黙祷が冒頭に行われ、
改めて、
「いろいろあった年だったなぁ。」
と実感し、
同時に、
「もう12月か!」
と、今ごろ気がつく。
・・・がくっ。
カウントする血。カウントする皿。

商談会&忘年会が終わってから、二次会に行かずに、ひとりで
シアター・キノへ♪
事前に自宅で上映時間をネットでチェックして、8:15Pmからの
『クジラの島の少女』のニキ・カーロ監督やっぱ、映画館で観たい♪『約束の葡萄畑 あるワイン醸造家の物語』を観るつもりだったんだけど、
もぎり嬢に、「すみません。本日だけ、8:15Pmからの回は上映しないんです・・・。」と言われ、がくっ。

このまま沼田町の自宅に帰るにも中途半端な時間。
このエリアのもう一軒の映画館に行けば、ここの特徴である韓流ドラマ系韓国映画と、マニアックかつヲタ系アニメしかやっていない・・・。
もうこの際、何でもいいから、上映時間が一番近い作品を観ることにした。
そーゆー偶然に賭けるのも、年に一度くらいは、いいだろう〜。

が、映画が始まってすぐに分かった。
この映画、全3部作で、のこりの2つの映画も観なければラストのカタルシスが味わえないようだ・・・。
そ、そこまで、この作品に付き合えるか、オレ?

8:15Pm9:30Pm
ディノスシネマズ札幌劇場
特別価格、\1200♪
やっぱ、映画館で観たい♪『マルドゥック・スクランブル The First Compression 圧縮』
原作&脚本;冲方 丁 (うぶかた・とう) 第24回日本SF大賞受賞作品
監督;工藤進
コンセプトデザイン;菊田幸一
キャラクターデザイン・アニメーションディレクター;鈴木信吾、中井準
出演;林原めぐみ、八嶋智人、東地宏樹、中井和哉、磯部勉

赤い目が山から追い出されるまで。久保の眼
ついうっかり、私が観てしまった2007年の日本のアニメやっぱ、映画館で観たい♪『ピアノの森』などよりは、
はるかに完成度が高い。『ピアノの森』がシネコンで全国ロードショーであったのに、こち
らは、よーやく全国で5ヶ所だけの上映。表現の質とマーケットの量が比例しないのは今
に始まったことではないが、熱烈なファン(=まぁ、ヲタクと呼んだ方が手っ取り早いか。)
がいる業界ですら、こうなんだな、と迷い込んだ異教徒が偶然に熱い信仰の現場を見て
しまったかのよーな気分になってしまった。観客は私を入れて3人だけだったが。
原作が有名らしいが、閉塞感のあるイントロダクション、それをユーモアでつないで、
ラストはバトルで盛り上げる、ってエンターテイメントの常套だから、おそらく「新しい」の
は文体なのだろう。同様に映画化されても、物語よりも、ひんやりした画質や、スミ=黒
を多用したダークなゴシック・テイストは好きなひとにはたまらんっ・だろーなぁ。
また、SFでなければいけない理由について考えてみたが、この映画に関しては未来
都市のハイウェイや、バトルのアイテムなどの技術を空想する愉楽だけしか私には出て
こなかった。15歳の娼婦とか、近親相姦などの刺激的な設定も、刺激のための刺激以
上には考えられず、何よりもそれがSFでなければならない理由は無い。私がこの映画
に圧倒的な不満を感じるのはそこで、そこに不満を感じてしまうから私はSFにのめり込
めないんだろーな。
たぶん、SFが「現在」に対する「未来」として描かれているのが私の不満の中心であ
ると思う。そう描くことで未来にリアリズムを持たせよとしているのだろうが、それではあ
くまでも「現在」の秩序の中の「未来」になってしまう。それは、一種の寓話であり、SFで
は無いと私は思う。「現在」の概念とはまったく違う「未来」の概念を構築せねば、いつま
でたってもSFは歴史的コスプレ寓話の域を脱することはできないだろう。
ちょいと厳しいことを書いてしまったが、この映画が緻密な原作と創造性のあるアニ
メーションの出会いで作られたことは祝福したい。実写映画ですら、それはなかなか望
めない日本映画の情況なのだから。特に原作には『1984年』から『アルジャーノンに
花束を』まで多くの先人の名作SFを咀嚼しきっていると私は見た。斜陽と言われながら
も映画業界の片隅で、このような熱い現場が確実にあることは、希望であることには間
違いないだろう。
縁取りなのか、空白なのか。

ちなみにこの第1部「圧縮」に続く、第2部「燃焼」は2011年秋、第3部「排気」は2012年にそれぞれ公開予定だと言うが、
それまで第1部の内容を憶えていられるか、オレ!?
それと、原作は第24回日本SF大賞を受賞していて有名らしーんだけど(←私はSFにうといからか、まったく知らなかった・・・。)、
なんと、それなのに、全国5カ所でしか上映されないらしい!

1) 関東 東京 テアトル新宿
2) 北海道 北海道 ディノスシネマズ札幌劇場
3) 中部 愛知県 109シネマズ名古屋
4) 近畿 大阪府 シネ・リーブル梅田
5) 九州 福岡県 ユナイテッド・シネマキャナルシティ13

ならば、私が偶然にもこの映画を選んでしまったのは、何かの「運命」なのかも・・・。
「クール・ジャパン」とか「ヲタ・ブーム」とか言われ、ちや&ほやされながらも、ヲタもつらいのね。


それにしても、この日の映画は2本とも、前半と第1部で、結論が分からないちゅうぶらりんなまま、真夜中のハイウェイ275で、11:58Pmに帰宅。

ちゅうぶらりんとは、ストレスなのか、完成への希望なのか。

text by
うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2010年12月7日 火曜日 3:39Am)