さっちゃんも、プールを観たの。I'll follow you wherever you may go!
top page⇒うぇ〜ん!『共犯新聞』♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DieROCK★ロック パラパラ・・・偏愛書物★Book Oh ! うめぇ〜♪肉体の共犯としての食犯。好物★Gourmet やっぱ、映画館で観たい♪映画★Movie Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!美術★Art
moto_kubo@hotmail.com
2010年11月
映画たびたび
他にも何か書くことあった気がするのだけれど忘れてしまったからもう出す。
脳味噌共犯
脳内共犯としての映画館
暗闇の私。≒ 私の暗闇。
movie days
(and movie nights !!)

やっぱ、映画館で観たい♪『共犯新聞』映画館
Oh ! うめぇ〜♪肉体の共犯としての食犯。『美食狂時代2009』
ざらっとした森で見たブライアンのプール。久保元宏 ★ 2009年に買ったモノ! 2010年に買ったモノ!
夜高あんどん祭り
2010年 ★クリックすると、♪2010年へ♪6〜7月 ★クリックすると、♪2010年へ♪7月28日 ★クリックすると、♪2010年へ♪8月24日

2010年12月21日 火曜日 午後2時10分あれからずっと、まだ帰り道。気温0.6℃←■アイヌと北方史見直しの渡辺京二と島津佑子の仕事が、これからの極東アジアの現実政治に大きなヒントと影響を与えたらいいな。
2010年12月6日 月曜日 午前1時59分ざくざくの帰り道。気温3.6℃←■日曜日のNHK教育テレビ『トルストイの家出』は、映画『終着駅』のダイジェストみたいな内容だったけど、田中泯の声はやっぱ、いいな。
2010年11月23日 火曜日 勤労感謝の日 午後12時11分太陽を追いかけて、月に追い抜かれて。気温3.7℃←■トルストイとドビュッシーの中間としてのラヴェルについて考えていたら、昼ご飯になっちゃった。


届かぬとこでも 夢に見るから 岩のしとねで 君と眠るよ さざ波は ただ さざ波と
体をこすって それだけで嬉しい

あがた森魚「大理石に春を告げよ」
共犯音楽祭★Music〜音という抽象芸術♪『ピロスマニア海へ行く』
(1994.1.26、キティレコード)より

2010年11月19日 ()

1:40Pm
Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!ギャラリー・エッセ 『常設展』
いつか白を描くために。
岸葉子は、まるで背骨が無いかのような幸福な浮遊感。
誰もいない画廊で、逢うために。
雑多な画家の油彩が集められた『常設展』だが、
カラフルでピースフルな統一感があり、
私は勝手にパリの午後のコーヒー・タイムを連想した。
いつまでも大胆で新しいのは、愛と同じか。

2Pm3:46Pm
蠍座
「スタンプ・カード」満点で、\無料♪
やっぱ、映画館で観たい♪『告白』
監督&脚本:中島哲也
原作;湊かなえパラパラ・・・『告白』(双葉社)
主題歌;Radiohead「Last Flowers」
出演;松たか子、岡田将生、木村佳乃、芦田愛菜
赤い目が山から転げ落ちて、どこどこ行くの。久保の眼
2006年に公開されたやっぱ、映画館で観たい♪『嫌われ松子の一生』によって中島哲也は、
その独特な編集リズム感覚で私にとって気になる監督となった。しかし多
くの観客にとっては、彼の特徴は「きらめくCG技術」であっただろうが、本
作によってやはり彼の本質は「編集リズム」であることが明確になった。
日本映画にはエキストラで登場した子役が数年後にスターなっていたり
才能を輝かせる場合が多いが、たぶん本作も後に、「あの『告白』にも出
演していた××」と形容される子役の宝が多くいることだろう。しかし、それ
でもしょせん彼らはまだほぼ無名な子役であり、表現力には限界があった
はずだ。それを監督は巧みな演出で自然体の演技をさせることで原作の
凄みを再現させ、さらに撮り溜めたそれらの映像をコラージュする時にお
得意の「独特な編集リズム感覚」で、擬似的なドキュメンタリー効果と奇妙
な感覚を同居させた見事な世界観に仕上げたのだ。
一方、「きらめくCG技術」は映画全体には出てこないのだが、最後にま
とめてドカーン!と、出される。確かに工夫している映像だが、いまいち安
っぽい。このシーンのクオリティが作品の成功を左右したはずなので残念。
と、技術論ばかり書いたが、これらの技術とセンスを駆使して構築してい
るのが、息苦しい閉塞感。絶望の先にまた塗られる新しい絶望。このテイス
トも中島監督のこれまでの作品が持っていたユーモアが全て排除されてい
る。中島の持つ個性的なユーモアをともなうヒューマニズムに期待して観に
来る観客を見事に裏切ろうとしている。そこまでして監督が表現したかった
ことは、あらゆるヒューマニズムの擬制だと思う。舞台となる学校には、元
気や勇気、友情、仲間、教育、信頼、努力などの前向きなヒューマニズム
があふれている。しかし、それらは実は学校という閉じられた演劇空間の
中でだけの強要されている借り物の概念なのではないのか?誰もが当たり
前であると思ってきた学校の概念も、実は押し付けられてきただけにすぎ
ない、ということを告白しようとしたのだ。それは家庭や少年法の既成概念
を疑う地平でもある。現実を疑うことは絶望かもしれないが、現実が閉塞し
ているのであれば、その方法だけが書き換えられる未来もあるはずだ。
記憶と告白と、つぐない。

後出しジャンケン地獄! 5Pm
ホテルの部屋で、恒例の♪おにぎり、むしゃ&むしゃ。やっぱ、具は明太子〜!コメの商談会。
冒頭に、東京で元・食糧庁長官の高木勇樹(1943年生まれ)の講演会を聞いてきたばかり、という某社長がスピーチ。

「いくら♪おにぎり、むしゃ&むしゃ。やっぱ、具は明太子〜!環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の反対運動が盛り上がっても、なしくずし的に、実施されるだろう。
なぜならばTPPは民主党が突然言い出したのではなく、自民党政権時代にすでに官僚が準備していたものだから。」

つまり、民主党も自民党も賛成するのだから、実施はまちがいない、という考察。なるほど。

「さらにコメの流通業界の役所である食糧庁はすでに2003年7月1日に廃止され、
まるで入れ替わるように2009年9月1日に消費者庁が作られ、
明らかに消費者の地位は上がり、我々のようなコメの流通会社は不利な立場に向かっている。」

「この二つを総合して考えれば、コメは中長期的には安値に向かうであろうから、
コメ屋としては、それを織り込んで相場と在庫の体力を維持して乗り切らねばならない。」

てなコト。
で、私はこの商談会ではコメを買うつもりで来たんだけど、反対にコメ60kgを100俵売った(笑)。

7:40Pm
ビールが無くて、人生と言えるだろうか。居酒屋 ゆかり
札幌市北区北18条西5丁目2-3 高田ビル 1F 電話;011-717-0148
足あとか?爪あとか?地下鉄・南北線「北18条駅」を降りて、最近食べた美味いもの!ゴクリ!ラーメン大将の手前を左。
定休日;日曜日
世の中、色んな飲み屋があるけど、
店主が東京大学名誉教授の居酒屋って、信じられる?
おいっ、スター!
前日、常呂に調査に行った帰りに仕入れてきた生牡蠣♪うまっ。
そう、このお方♪
宇田川 洋
(うたがわ・ひろし、東京大学名誉教授)

サロマから戻ってきたばかり〜♪
日本酒片手に、お料理する博士♪
1944年2月、札幌市生まれ。
北海道教育大学卒業。
学生時代から
北海道のオホーツク海側にある
常呂遺跡の発掘に関わり、
1976年より東京大学「常呂実習施設」
にて発掘、調査、研究。
現在、東京大学名誉教授、
(財)北海道生涯学習協会会長。

自分で打った手打ちうどんと
日本酒の店がやりたくて、
東大考古学部の教授を退官した後に
居酒屋「ゆかり」を開業。

アイヌ研究とオホーツク文化の研究で
多くの実績を残し、著書も多数。

「オホーツク考古学」と言えば、
『共犯新聞』の常連、
くらくらクラッシックが、いつまでも新しい理由♪quiqu先生の父も
北大の名誉教授として
同じ研究をされているので、
宇田川博士にそれを言うと、
「よ〜く知ってますよ。
年齢も私と同じですし(笑)。」
とか。なんだ、友人かっ。
やっぱ、イッツ・ア・スモール・ワールド!
カラスの好物!
蛾が大発生と言えば、すぐ資料!
北大のそばの古本屋さんにもあるよ〜♪
博士の著書も店で売ってます(笑)♪
無難ぎんなん♪
焼き銀杏に、漬け物♪日本酒の親友。
内臓のような深み♪
ホタテの耳の漬け込み。複雑な濃さ♪
この厚さがちょーどいい♪
カウンターの隣の方がオーダーした
Oh ! うめぇ〜♪肉体の共犯としての食犯。エゾ鹿のルイベ
「うまそうですね〜♪」と、言ってみると、
「いっこ、喰うか?」
「は、はい!いただきます!」
生ショウガを乗せて、岩塩で♪
・・・とろ〜り。う、うまいっ!
我ら、地球人♪
そんなワケで、初対面の隣の席の方々と仲良くなっちゃった(笑)♪
左から、アイヌ研究家の宇田川洋博士、アイヌ協会の支部長、ミュージシャンの♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DieToyToyくん、で、久保(がくっ。)。
もちろん、支部長もToyToyくんもアイヌ人で、私は生まれて初めてアイヌと一緒に深酒をすることになった〜(笑)♪
そう&そう、店内には
アイヌ人アーティストのArtとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!砂澤ビッキの作品が何気なく、大量に展示!
アイヌ支部長は1954年生まれ。
純粋なアイヌではなくハーフらしいが、
饒舌にアイヌの歴史を語ってくれた。

支部長は、「シャモ(=日本人)とは
永遠に戦ってゆく。」、と言う。

私が、
「アイヌの”戦い”の目的は何ですか?」
と聞くと、
「北海道をアイヌ国に独立することだ。」
と、おっしゃるから、
「それって、可能ですか?」
と、また聞くと、
「いや。ダメだべな。」
と言うものだから私は、
「権利の拡大の比喩としての"戦い"?」
と言ってみたら、
またたくさん話してくれた(笑)。

とにかく、楽しい出会い、
有意義な夜だった♪
いいじゃん、これ♪
我らの会話が盛り上がっていたら、
宇田川博士がこっそりと、
ToyToyくんのファーストCDアルバム
共犯音楽祭★Music〜音という抽象芸術♪『INONNO』をかけてくれた。
トンコリって、キング・クリムゾンだよね♪
ビッキは飛んでいったけれど♪
可動式の鳥は、後期の作風だね〜。
木を削り、気になる♪
手前の重厚なオブジェ、いい味!
みのがさない♪
ビッキの春画。
脱がさない台所の侵入者♪
モデルは、ビッキが愛した人らしい。
ざくざく、氷で呑む♪
アイヌ談義になると博士も楽しそう。
最後に私が言ったのは、こう。
「私は
国家に幻想を持っていないんです。
たとえば
ガザからの手紙には。パレスチナ人が
イスラエルから理不尽な
迫害を受けていれば、
私は”戦い”にシンパシーを感じます。
でも、パレスチナ人が
国家を作りたい、と言い出したら
私はシラケちゃうんです。
たとえば、
権力の集積体として国家があるように、
文化の窓口として民族があれば
いいと思います。
つまり、国家と平行して文化が
存在しているのです。
パラレル・ワールドのように。
そして国家間の組織が国連のように
文化間の国際組織を作るべきです。」

居酒屋「ゆかり」には宇田川博士がその酒人生(笑)で選んできた、かなりの種類の日本酒が揃っているんだけど、
結局、私はこの店の全種類の日本酒を呑んだと思う(笑)。
なんだ&かんだと私は翌朝の、3Amまで呑んでいた。
★スポーツ!グルメ!井内 正樹 さん、またやっちゃいました朝帰り。すみません(がくっ。)。


text by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2010年11月21日 日曜日 2:58Pm)


伝説の
さっちゃんも、プールを観たの。始発駅ブライアンが浮かんでいた、あの光を掬うために。待合室プー横丁でつかまえて。終着駅ミックが開いた詩集から蝶が、ほら。途中下車
自分にまったく欠けていると思われる
この万人の福祉のために活動できる能力というものは、
ひょっとすると、けっしてすぐれた資質ではなくて、
かえって、なにかの欠如を意味するものなのではあるまいか。
もっともそれはなにも善良で、正直で、潔白な願望や、趣味の欠如というのではなく、
生命力の欠如とか、心情と呼ばれるものの欠如とか、
人びとが自分の前に無数に開けている人生行路のうちからただ一つを選び、
ただそれだけを希求するあの衝動の欠如とかいったものなのではなかろうか。
レフ・トルストイパラパラ・・・『アンナ・カレーニナ』
「第三編1」(1878年) 訳;木村浩

Remember to let her into your heart
2010年11月6日 ()
カ・イ・カ・ン・・・・・・ 6:30Pm

私の職業である♪おにぎり、むしゃ&むしゃ。やっぱ、具は明太子〜!コメの業界には、いくつかの定期的な商談会があり、
そこでコメが売買される。そのひとつに参加してきた。毎月、札幌で開かれ
るこの商談会は、1969年から続く会だから、もう41年目だ。そして、会場
として使われてきた建物が老朽化され、来年、建て直しされることになった。
であるから、この建物で行う最後の商談会の日となった。

私の会社からは41年前には、私の父が参加しており、10数年前までは私
の叔父が参加していて、それを引き継いで今では私が参加している。

そも&そも、「商談会」とゆーのも、かなり多義的だ。まず、その場で瞬時に
「売り」と「買い」が、まるで瞬間のパフォーマンスのように行われ、それが記
録されるのだが、それと平行して成立しない商談も無数に発生はするのだ
が、それは記録されない。しかし、成立しない商談も情報としての価値は高
い。商談会に参加している各社の社長たちにとっては、この商談会だけで
商売をしているワケではなく、むしろ、それ以外こそが本番であり、時にはア
クロバットな相場を切り抜けているのが日常だ。であるから成立した商談の
幸福などはすでに周知の現状の相場環境をなぞっているだけであるから、
情報としては価値が無いのだ。むしろ成立しなかった不幸な商談を横目で
見ているほうが、帰社してからの商売に役に立つ場合が多かったりもする。
さらに言えば、商談会で語られなかったことこそが重要である場合もあるか
ら、何が語られたか、よりも何が語られなかったか、をキャッチする能力が
求められていたりもする。

相場師に求められる能力とは、「見えるもの」よりも「見えないもの」をキャッ
チする想像力。誰もが「見えるもの」や「分かりやすい」ものでは、相場の差
異を創造することなどできない。「分かりやすい」ものよりも、「分かりにくい」
ものにこそ商売のヒントが潜んでいるのだから。つまり、「想像」によって「創
造」するのだ。

Nowhere Market !

とにも&かくにも、コメの相場師とは、因果な商売だ(笑)。
長い間、その舞台となった建物が取り壊される最後の商談会であった。

9Pm10:48Pm
ユナイテッド・シネマ札幌
「深夜」割引き、\1200♪
やっぱ、映画館で観たい♪『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』
原題;Nowhere Boy
監督;サム・テイラー=ウッド
原作;ジュリア・ベアード
脚本;マット・グリーンハルシュ
出演;クリスティン・スコット・トーマス、アーロン・ジョンソン、アンヌ=マリー・ダフ、
トーマス・サングスター、デヴィッド・モリッシー、オフィリア・ラヴィボンド
赤い目が山から追い出されるまで。久保の眼
コマが回るときのように、人間も中心に一本の芯が無ければ不安定になる。しか
し、やがて人間は不安定になってでもいいから、その一本の芯を疑い始める。私は
それが人間が人間である理由ですらあると思う。一本の芯を疑うことに至る外的理
由は、情報の吸収能力と咀嚼能力と判断能力の自己分裂からであるし、内的理由
は青春期を迎えて過剰になる悲しい肉体からだ。
映画に限らず、古今東西の表現はそれをテーマにしてきたものが多い。その系
譜に続く作品がまたもうひとつ作られた。男子高校生である主人公は、叔父と叔
母に育てられ、純粋に育つ。しかし、叔父が突然亡くなったことにより、まるで方向
を失ったコマのように精神のバランスを失い、実の両親の存在に惹かれてゆく。厳
粛な叔母とは違い、その妹でありながら母は奔放であり、主人公は母の「奔放」を
「自由」と微妙に誤読することによって、一本の芯への疑いを強めてゆく。
しかし、一本の芯への疑いは、別の一本の芯への移行を意味するのでは無か
った。なぜならば、一度、疑うことを覚えてしまうと、永遠に疑いは連鎖されてゆく
からだ。つまり、一本の芯が他の芯と入れ替えることが決定的なのではなく、疑い
を覚えたことが決定的だったのだ。
器用な人間であれば、多重的な芯を同心円のように同時に生きることも可能だ
ろうが、まだ疑いを覚えたての少年には叔母と母といういびつな楕円の不安定に
ならざるを得なかった。同時に少年の肉体は、少年の意志とは別に性的な過剰さ
を増してゆき、その内的理由は、叔母でも母でもない第三の芯を激しく求めること
になる。その時に、少年は芯を探すのではなく、自分が芯になろうとする。それが
「表現」だ。孤独な外的理由と、過剰な内的理由が飽和状態になったときに少年の
目の前に現れたロックン・ロールは何よりも魅力的な「表現」手段だった。
マイ・マミー・イズ・・・・・・

言い忘れたが、この映画はジョン・レノンの高校時代の物語だ。ジョンの熱狂的なファンは世界中にいるので、下手な作品を作ってしまっては最悪だ。な
にしろ熱狂的なファンはこの手の映画を観る時は好意的な態度よりも、いきおい粗探しに向かい、少しでも自分のジョン・レノン観からズレていれば激しく糾
弾するものだから。だから、少しでも利口ならばこんな映画を作ろうなんて思わないハズだ。しかし、作ってしまった。監督は1967年3月4日生まれの女性で、
ジョンを演じたアーロン・ジョンソンは1990年6月13日生まれで、なんと二人は2009年に結婚し、ひとりの子供もいる。23歳年上の女房だ。いや、別にいいん
だが、それにしても19歳の男が42歳の女を選ぶか?ふつー。まぁ、愛こそはすけべすべてなんだろう。すてきなことだと思います。いや、ほんと。
かく言う私も、♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieジョン・レノンの「熱狂的なファン」、だ。たぶん、世界中でジョンをもっとも理解している人物の100人には入ると思う。と、考えているヤ
ツだって100万人はいるだろう。とにかく、表現のモチーフにしようとするには、かなりやっかいな人物なのだ。で、そんな私が観ても、この映画はなか&なか
よくできている、と感じた。まず、かなりヲタク的ディティールは満足させることができるようには作られている。たとえば、ジョンの最初のバンドであるクォリーメ
ンのライブはファンならば目に焼きついている写真でおなじみのスタイルが再現されている。写真で何度も観てきた静止画が動画として音と一緒に飛び込ん
でくるのだから、もうそれだけで長年のファンは持っていかれる。さらに、それに追い討ちを喰らわすのが、このライブ風景を箱型の手持ちカメラで撮影してい
る男が一瞬だけ観客の群集の中に映されるのをジョンのファンであれば見逃さないだろう。そして、「ああ、この男が私が長年見てきたジョンの最初のライブ
を撮影してくれた恩人なのだな。ありがとう。」だなんて思っちゃうのだ。バカだねぇ〜。その他にも、ジョンの部屋の壁に貼られているクレヨン画が、ジョン・レ
ノンの1974年のアルバム『Walls and Bridges』(邦題『心の壁、愛の橋』)のジャケット・デザインに使われた彼の幼少期の絵だったりするし。もーたまらん。
だん&だん、ただのファンの告白みたいな文章になってきたが、もうひとつだけ書いておきたい。それはタイトルの『Nowhere Boy』だが、これはもちろん、
ジョンによるビートルズ時代の曲「Nowhere Man」から来ている。邦題が「ひとりぼっちのあいつ」なものだから、ずいぶん長い間、私は「Nowhere」を「どこにも
いない」=「珍しい」=「孤独な」のイメージで捉えていたが、映画の中でジョンが教師から「お前の成績と態度では、どこにも就職できないぞ!」とヒステリー
気味に怒られるシーンで、「Nowhere」とは「どこにもお前の行く場所(=進学先&就職先)は無い」の意味だと知らされた。な〜るホド。で、ビートルズがこの
「Nowhere Man」を発表した次のアルバムには、ポール・マッカートニーが「Here, There And Everywhere」を発表しているが、両曲とも印象的な美しいコーラ
スで始まるところなど、これはもしかしたらポールからジョンへのアンサー・ソングなのではないか?って思っちゃった。
いかん。ビートルズの話題になると止まらない。すでに映画以上に書いてしまっている。それでも、まだ書くのだが、私が中学時代に隣の席に座っていたヤ
ツが、ぺっちゃんこにつぶした学生カバンに白いマジック・インキで、ビートルズの曲名を書いてカッコつけていたのだが、そこに「Nowhere Man」と書くつもり
がスペースを間違えて、「Now here Man」と書いてカッコつけていた。おいおい、それじゃ、「ひとりぼっちのあいつ」じゃなくて、「今、ここにいる男」で、ほぼ
真逆の意味じゃん!と指摘したことが今でも忘れられない(がくっ。)。そんなことを思い出しながら映画を観に行く前に高校3年生の私の息子に、「ノーウェア
ボーイを観に行くよ。」と言うと、「裸の少年のハナシね。」と、言われた。「?」だったんだけど、映画を観ている最中に分かった。おいそれは「No Wear Boy」
だろっ!それにしても1970年代の高校生にとって「Nowhere Man」=「ひとりぼっちのあいつ」ってタイトルは一般常識だったのだが、今の高校生はまったく知
らないのだね〜。当たり前か!?ちなみに、「No Weather Boy」なら、「能天気少年」となる。
このようなファン心理を満足させてくれたことには監督に感謝をしたいが、もちろん映画の評価の基準はそこには無い。当たり前だ〜。さらに言えば、たと
えジョン・レノンの存在が無かったとしても、この映画はどこまで魅力的でありえるか、という視点が重要なのだ。

text by
うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2010年11月9日 火曜日 4:35Am)



行くあてが無いから(笑)、そのまま、もう1本♪

お前ら、プロレスラーか、ディープ・パープルかっ?!
11Pm0:53Am
ユナイテッド・シネマ札幌
「深夜」割引き、\1200♪
やっぱ、映画館で観たい♪『エクスペンダブルズ』
原題;The Expendables
監督&脚本(共同)&主役;シルベスター・スタローン
原作;ジュリア・ベアード
脚本;デイヴ・カラーハン
出演;ドルフ・ラングレン、ミッキー・ローク、アーノルド・シュワルツネッガー、
ブルース・ウィルス、ジェット・リー、ジゼル・イティエ、エリック・ロバーツ
赤い目が山から追い出されるまで。久保の眼
映画は、金がかかる産業。であるから、巨大プロジェクトほどリスクを避ける。
リスクを避けようとする時の企画担当者の最大の仕事とは、過去の成功事例を
羅列し、それを踏襲した原案を提案することによって、上司とスポンサーに説
得力をつけること、だと思う。「成功事例」と言えば、ずいぶんビジネスライクだ
が、ようは「二番煎じ」こそがリスク回避のテクニックだとゆーこと。経営面から
すれば、それは優れた選択であろうが、そのために大作映画ほど既視感を呼
ぶつまんない映画が多いのも、この理由からであろう。たとえば、これから12月
3日に公開になるやっぱ、映画館で観たい♪『キス&キル』は、明らかにやっぱ、映画館で観たい♪『Mr. & Mrs. スミス』
成功事例の下に通った企画だろう。(観ていないけど、分かる。たぶん、そんな
程度の内容だろう。少なくとも予告編は、『Mr. & Mrs.スミス』のマーケットを明ら
かにターゲットにしていた。つまり、デート用♪)
で、本作の場合は出演者を観ただけで、それがそのまま成功事例の羅列に
なっている。『ロッキー』、『ランボー』、『ダイ・ハード』・・・。さらにそれらを束ね
たコンセプトは、ミッキー・ロークの復活作やっぱ、映画館で観たい♪『レスラー』だろう。つまり伝説
のヒーローたちの「あの人は、今?」。もしくは、後期高齢者時代の応援歌?
それに付けられたタイトル「エクスペンダブルズ」の意味は、なんと「消耗品」。
自虐ネタかっ!
たしかに、この手の共和党映画(←私の造語〜。)は、ギャグすれすれの脳
の足りなさが売りでもある。今回、ワン・シーンだけ友情出演(?)しているシュワ
ルツネッガーの演技の下手さはご愛嬌だとしても、つっこみどころ満載の映画
であることは間違いない。できれば映画館にビールを持ち込んで、大勢でゲラ
ゲラ大笑いしながら観るべき作品なのかもしれないな。それ、いつかやってみた
い(笑)。

言い忘れたが、この映画はシルベスター・スタローンが監督&脚本(共同)&主役の大活躍をしている。ご存知のように1970年にポルノ映画に初主演し
た彼は、1975年、29歳の時、3日で書き上げた脚本『ロッキー』の主演でアカデミー作品賞を取り、同シリーズや『ランボー』シリーズでは監督も兼ねてき
た。つまり、彼は俳優であると同時に脚本家であり、監督なのだ。その彼の人生の集大成(?)のような幕の内弁当が、本作なのだろう。
そして、今、東京などのミニ・シアター系でやっぱ、映画館で観たい♪『リトル・ランボーズ』が上映されている真っ最中だ。この映画は1980年代のイギリス郊外に住む10歳ほ
どの2人の少年がスタローンの映画『ランボー』のマニアになってしまい、「ランボーの息子」を主人公とした自主映画を作る、とゆー友情の物語だ。ミニ・
シアターに通う観客は『ランボー』など観たことが無いか、少なくとも積極的に語りたくは無いはずだ。そんな観客に向けて『ランボー』を熱く語る少年の友
情の映画が上映されているのだから、いやぁ、映画って本当に面白いもんですね〜♪

2010年11月7日 ()
さらに翌日も、映画三昧♪
11Am1:02Pm
ゲオ・ディノスシネマズ札幌劇場
「早朝」割引き、\1200♪
やっぱ、映画館で観たい♪『終着駅 ― トルストイ最後の旅』
原題;The Last Station
監督&脚本;マイケル・ホフマン
原作;ジェイ・パリニ『終着駅 ― トルストイ最後の旅』
出演;ヘレン・ミレン、クリストファー・プラマー、ポール・ジアマッティ
赤い目が山から追い出されるまで。久保の眼
「尊敬」とは、やっかいなものだ。始まりは尊敬される側が、する
側へ送る一方通行のメッセージからだが、お互いの関係に尊敬が
誕生してからは、尊敬する側が、される側へ尊敬のイメージを一方
通行で押し付けることになりやすいからだ。そのイメージを拡大し、
流通させようとするときに、「主義」が生まれる。その作業の過程で、
流通によってより浸透させようという意思が加えられるとき、「主義」
には流通(=別の言葉で言えば、「オルグ」。)という目的を持つ必
要が加えられ、当初の一方通行のメッセージの目的が書き換えら
れやすいからだ。それは、尊敬する側の熱意が強いほど起こるの
だから、やっかいなのだ。尊敬の浸透が進めば、尊敬する側は、さ
れる側に完璧を求めるようになる。たとえば元々のメッセージとはま
ったく無関係な聖人君主であることを当然の権利のように求める。
それがさらにエスカレートして、「尊敬」が「主義」以上にソフィストケ
イトされたものが、「宗教」だが、もうそこまで行くと、始まりの尊敬と
は別のものになる。単なる流通物になるのだ。
この映画の主人公は、世界中から尊敬され、ついにはその「主
義」に共感する人々が集まり、農園を作ってしまうほどだ。それはあ
と一歩で「宗教」になる直前の飽和状態のようですらある。主人公も
尊敬に値する人物であるから、年齢の加算に尊敬は比例し、最晩
年がもっとも尊敬された時期となり、それが映画のテーマに結びつ
く。
尊敬されすぎた主人公は、自分で種をまいた尊敬の重みで息苦
しさを感じるようになる。しかし、種をまいた責任と、晩年という体力
の低下が、いつの間にか過剰な尊敬に受け身になることを消極的
に選択していた。
その尊敬をはさんでの、される側のメッセージと、する側のイメー
ジの不一致の拡大に敏感な者が、ひとりいた。それが、尊敬される
側の妻である。膨らみすぎた尊敬と「主義」が、一気に「宗教」にな
ればその流通は爆発的にスムーズになるはずであり、周囲の弟子
たちはそれを望む。しかし、「宗教」になってしまうことで失われてし
まう輝きもまた多くあるはずだ。妻はそれを直感で感じていたのだ。
文豪は羊飼いになった。

言い忘れたが、この映画は文豪トルストイの晩年の日々を亡くなるまで描いたものだ。トルストイの妻と言えば、「世界三大悪妻」とまで言わ
れ続けている。しかし、その見方は尊敬する側からの一方通行にしかすぎないのではないのか?とゆーのが、この映画のテーマだと思う。
作中に、妻の行為によってトルストイが尊敬の呪縛から解き放たれる印象的なシーンがいくつかある。たとえば、野外での食事中に尊敬す
る側がトルストイの演説を録音したレコードを蓄音機で聴かせるのだが、トルストイはそれが聴くに堪えなくなり、立ち上がって席を離れようとす
る。そこで妻はすかさずレコードをダンス音楽に変え、笑顔にもどったトルストイとその場でダンスを踊るのだ。もうひとつは寝室で妻のちょっか
いにノッたトルストイがニワトリのものまねをするシーンだ。ここには、尊敬の的の文豪ではなく、自由主義者トルストイがいる。もともとトルスト
イは思想家である前に、小説家なのだ。人間臭くて、当たり前なのだ。

白い蛇が逃げる道。
「金比羅定食」 \980
1:30Pm
Oh ! うめぇ〜♪肉体の共犯としての食犯。うどん 一久 (いっきゅう)
札幌市中央区南2条西1丁目広和ビルNO.21 1F
電話;011-210-7719
11:30Am〜5Pm
6Pm〜麺終了まで (10Pmころが目安)
不定休
赤い目が山から追い出されるまで。久保の舌
狸小路から迷路のように一本奥に入ったところに
ぽつん、とあるのを発見。まだ発展途上の味、かな。
まっすぐ降りてゆく私の中の白いものたち。
出してるのではなく、食べてるとこ。

日本画の同人誌的路地。
元祖スーパー・フラットとしての日本画!
2:30Pm
Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!さいとうgallery
展覧会『COOPさっぽろ文化教室 日本画30周年記念展』
赤い目が山から追い出されるまで。久保の眼
極端な例(?)は村上隆が日本画出身だ、とゆーことだが、
会田誠や山口晃、岡村桂三郎、松井冬子などのように今や油
絵よりも日本画こそが絵画表現の最先端のようですらある中、
本展覧会のように愚直に日本画の伝統を踏襲しているのが、
このようなカルチャー・センターである、とゆーのも、なんだか、
小説がアンチ・リアリズムに向かう大ブームの中、地方の同人
誌ではいまだにリアリズムで書かれ続けている関係に似ている
と感じた。
カルチャーセンターとは言え、どの作家も平均点以上の作
品を描いている。それは講師である中野邦昭の指導のたまも
のでもあるのだろう。ちなみに「生徒」22人中、男性が1人だと
いうのも、何かの(?)縮図のようだ。
ただ大きな作品よりも小品のほうに私は魅力を感じた。大き
な作品であっても、緊張感なり世界観を広げて維持できるかど
うかが、プロの画家への壁のように感じた。
空気が逃げる方法。
中野邦昭の大きな作品「シャボン玉」。

白く光る指を、いっぽんだけでも。
3:10Pm5:07Pm
ゲオ・ディノスシネマズ札幌劇場
「ゲオ・カード」割引き、\1500♪
やっぱ、映画館で観たい♪『メッセージ そして、愛が残る』
原題;Afterwards
監督&脚本; ジル・ブルドス
原作;ミシェル・スピノザパラパラ・・・『メッセージ そして、愛が残る』
撮影;リー・ピンピン
出演;ロマン・デュリス、ジョン・マルコビッチ、エバンジェリン・リリー
赤い目が山から追い出されるまで。久保の眼
バカバカしいぐらいに、ありえないハナシに説得力を持たせるため
には、徹底的にリアリズムで描くのがいいようだ。この映画は、健康
であっても突然の事故などで死が近い人を見抜く超能力が描かれて
いる。まさにバカバカしいぐらいに、ありえないハナシだ。こんな設定
など、『ドラえもん』ですら描かないだろう。しかしトーンを抑えた色調
や、独特のやや遅いテンポとリズムで進む物語の進行や、無駄なユ
ーモアを極力排除したクールさ、俳優の集中力などで、確実に設定
に説得力を持たせた。それは単純なリアリズムではなくて、かなり新
しい挑戦でもあるから、この1963年生まれのフランス人女性監督は、
かなり優秀だ。
さて、この難しい設定で何を訴えたかったのか?テーマは「和解」
だ。主人公の敏腕弁護士ネイサンは、かつて幼い息子を事故で失っ
てから心を閉ざしてしまい、仕事が優秀であるばかりに、常に事務的
な発想で対人する結果、妻と離婚。この主人公の心理こそは、まさに
上記に並べたこの映画独特のリアリズム撮影と同一だ。つまり映画の
トーンは主人公の心理のトーンなのだ。であるから、このトーンに染ま
りながら映画を観ている観客は、いつの間にか心を閉ざした優秀な
男の心理に同化している。これこそが映画が持つ超能力だ。そして、
その閉ざされた心が別れた妻と「和解」する方向へと向かうとき、映
画のトーンは大きく動く。パラパラ・・・『チェンジリング』もそうだったが、ありえ
ない設定に説得力を持たせることさえできれば、そこから大きく心理
を変化させることは容易だ。そこを乗り切れば、観客は息苦しい設定
から解放され、テーマの「和解」を主人公とともに受け入れることがで
きるのだから。

言い忘れたが、この映画は私をふくめて3人の観客しかいなかった。私以外の客のひとりは、主婦っぽい50代で、映画が終わるとスタッフ・
ロールを観ずに帰ったようだった。もうひとりはキャリア・ウーマンっぽい方で、スタッフ・ロールが終わっても熟睡されていた。たぶん私と入れ替
わりに入った掃除係に起こされるまで、ぐっすり寝ていただろう。そーゆー意味では、久々にタルコフスキー的睡眠効果のある映画でもあった。
もちろん私は集中して観ていたので、まったく眠くはならなかったが。

書くという行為は、
結局のところ語りえぬものの輪郭しかなぞれないのだろうか。

これは、朝日新聞2010年10月27日に、作家であり医者でもある南木佳士(なぎ・け
いし、1951年生まれ)が、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』をめぐるエッセイで書い
ていた言葉だ。究極の「厳密」を追求したような書物にでさえ、そう思ってしまうのだか
ら、やはり、「書く」とは地獄なのだろう。

その一方で、こんな言葉もある。
女のことを思ってめそめそする自分、
というものこそ、小説でなければ書けないことではあるまいか。

こちらは、小谷野敦が2009年に出版した新書『私小説のすすめ』の中で、田山花袋
の私小説「蒲団(ふとん)」を擁護して書いた一文だ。ここには「厳密」という価値基準か
ら遠い位置の「書く」がある。物語(=フィクション)でなければ到達できない世界が確実
にある、ということだろう。そしてその力を信じているからこそ、人間には優れた物語に
快感を感じるDNAが埋め込まれているのだろう。

アイロニーではなく、私は映画はやはり「興行」だと思う。その単純な快楽原理でなけ
れば表現できない、どうしようもなさが人間にはある、ということなのだろう。

そして私の今回の映画4本感想日記の冒頭に書いたのは、これだった。
相場師に求められる能力とは、「見えるもの」よりも「見えないもの」をキャッ
チする想像力。誰もが「見えるもの」や「分かりやすい」ものでは、相場の差
異を創造することなどできない。「分かりやすい」ものよりも、「分かりにくい」
ものにこそ商売のヒントが潜んでいるのだから。つまり、「想像」によって「創
造」するのだ。

Nowhere Market !

これは映画のこと、でもあったのだ。
白い帰り道と、透明な蛇。
シアター・キノの入り口には、
パラパラ・・・『海炭市叙景』の応援ボードが掲示されていた。
公開は、2010年12月18日(土)から。


Then you can start to make it better

text by
うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2010年11月11日 木曜日 4:21Am)




2010年11月7日 日曜日 午後10時27分ちいさなグラスを、ひとつだけ。煙の出ない香炉を、とおくにひとつ。気温1.4℃←■今、テレビで放送中のTBS『99年の愛』の学芸会的セリフ棒読み演技を観てると、今朝、映画館で観た『終着駅』のトルストイの妻役の見事さを実感。