あのブールで。その山の上で。入り口から。I'll follow you wherever you may go!
top page⇒うぇ〜ん!『共犯新聞』♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DieROCK★ロック パラパラ・・・偏愛書物★Book Oh ! うめぇ〜♪肉体の共犯としての食犯。好物★Gourmet やっぱ、映画館で観たい♪映画★Movie Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!美術★Art
moto_kubo@hotmail.com
2009年
7月

映画
た びたび
他にも何か書くことあった気がするのだけれど忘れてしまったからもう出す。
脳内共犯
としての
映画館

脳味噌共犯 movie days (and movie nights !!)  暗闇の私。≒ 私の暗闇。
やっぱ、映画館で観たい♪『共犯新聞』映画館
Oh ! うめぇ〜♪肉体の共犯としての食犯。『美食狂時代2009』 『2010』 ヴードゥー・ドクターの脳内診察!久保AB-ST元宏の体重
ざらっとした森で見たブライアンのプール。久保元宏 ★ 2009年に買ったモノ! 2010年に買ったモノ! 2011年に買ったモノ! 2014年に買ったモノ!
共犯者からの年賀 状2010年
2009年7月15日 ()
1Pm〜3:10Pm
ユナイテッドシネマ札幌 たまったポイントで \0♪
やっぱ、映画館で観たい♪『愛を読むひと』
監督;スティーブン・ダルドリー
原作;ベルンハルト・シュリンク『朗読者(The Reader)』(1995年発表)
出演;ケイト・ウィンスレット、レイフ・ファインズ、ブルーノ・ガンツ
お布団で。
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
何の説明が無くても、そこがドイツだと分かる。そんな美術が素晴らしい。第二
次世界大戦のドイツで起こった戦争悲劇が物語のかなめにあるので、もちろん舞
台はドイツでなければならないのだが、それとはまったく別に「ドイツ的」であること
の意味について私は感じ入ってしまった。映画を観ながら映画とは別のそこへ脳
味噌が脱線してしまったのは、実は物語がだんだんつまらなくなってゆくから(がく
っ。)なのだが、そんな映画の観方も、たまにはイイだろう。
私が10代に、意識的ではなく読んだ古典が次々と登場する(笑)
私が感じ入ったのは、実際のドイツがどーなのかではなくて、ドイツが私にイメ
ージさせるものについてであり、それは機械そのものと言っていいほどのストイシ
ズムだ。これも一種の(見られる側から見た)「オリエンタリズム」なのだろうが、
ストイシズム=真面目=純粋が誘引したのがナチズムという清潔な土俗主義とで
も呼ぶべき新しい(?)原始宗教であったのだから、カッコ付きの「ドイツ」は私に
とって魅力的な考察の庭だ。その時に、この映画が準備してくれた説得力は上記
に紹介した美術のほかに、主人公の少年時代を演じたデヴィッド・クロスの顔だ。
老教授役のブルーノ・ガンツはもちろん、理想的な(?)「ドイツ」顔だが、クロスの
発見はこの映画の最良の仕事のひとつだと思う。反対に、この映画で第81回アカ
デミー賞の主演女優賞を受賞したケイト・ウィンスレットは、どー見てもイングランド
人の顔で、まったく「ドイツ」顔ではないのが私をシラケさせた。そも&そも、彼女の
憂いを帯びた過剰に知的さをかもし出す顔と演技は、この物語のかなめである文
盲には到底見えない。それはいくら演技力の濃度を上げても辿り着けるものでは
ない。つまり、「物語」的意外性の以前に、「生理的」説得力が無い、ということだ。
同様にウソ臭い設定の映画に映画館で、引き裂かれる。『チェンジリング』があったが、そちらは観客
に疑念がわく前に映画の冒頭に「これは事実だ」と先手を打ったクリント・イースト
ウッド監督の力業で観客に説得力をねじ込むことに成功していた。ではケイト・ウ
ィンスレットの顔(?)がこの映画の設定では説得力がダメならば、誰がこの役に
ふさわしかったのだろうか?・・・適度に文盲の説得力があり、年齢的にそろそろ
この役に挑戦すべきだとすれば、ジェシカ・アルバでは、どーだろーか?・・・そ
れは「生理的」説得力よりも、ただ単に私の「生理的」趣味だが(笑)。
次の映画までの「時間つぶし」に、洋古書店パラパラ・・・『はろー書店』に行く。
ここはいつも悪気は無いんだろーけれど、なんとなく排他的な雰囲気(笑)。
特に、「時間つぶし」にやってきた中年オヤジには冷たい印象(がくっ。)。
地上の人だから、ちゃんと送ってあげようと思っていました。
それでも、ここでやっているライブの企画♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die『ジプシージャズの夜』には、
いつか行ってみたいな♪次回は、2010年4月だとか。
4:30Pm〜5:45Pm
シアター・キノ 特別料金 \1200
やっぱ、映画館で観たい♪『メイプルソープとコレクター』
監督;ジェームズ・クランプ
原題;『BLACK WHITE+GRAY』
出演;ロバート・メイプルソープ、サム・ワグスタッフ、パティ・スミス
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
1989年に43歳でエイズで死んだ天才カメ
ラマンのロバート・メイプルソープと、彼を育
てたコレクターのサム・ワグスタッフのドキュ
メンタリー。知的な文化に少しは興味の有る
人ならばメイプルソープは常識だが、サム・
ワグスタッフを知っているのは、かなりの情
報通か極度のヲタクだ。だから、映画の邦
題も原題には無い「メイプルソープ」を使うが
サムの名前は説明的に「コレクター」として
いる。しかし、この映画の主人公はまちがい
なくサムであり、メイプルソープはサムの歴
史的役割と文化的価値と人間的見魅力を
説明するための添え物にしかすぎない。
1970年代と1980年代のニューヨーク
おいてサムは圧倒的なカリスマ性を帯びた
最重要セレブだった。「セレブ」とゆー単語
は今でこそ日本でも半笑いとともに日常会
話にも使われるようになったが、この映画に
見せつけられるサムの圧倒的な「セレブ」ぶ
りは、悪魔的だと言っていいほど。ニューヨ
ークという超特権的な街は、メイプルソープ
のような才能を発掘するよりも、サムのよう
な純粋の狂気を生き延びらせるからこそ、
特権的なのだと改めて教え込んでくれる。
それでも後世の受け手は作家(=メイプ
ルソープ)の名前と作品を伝承するが、サム
のようなトリックスターは記憶からは消える。
なぜか?それは彼の存在はカテゴライズが
不可能だからだ。つまり、後世の者は情報
として処理できないのだ。もちろんそこで取
りこぼされてゆく魅力は無数に有る。だから
この映画が必要だったのであり、この映画
を情報として流通させるためには、メイプル
ソープという「しるし」が必要だったのだ。もし
かしたら、メイプルソープとはサムが歴史の
記憶として永遠に生きるために仕組んでお
いた呪いそのものなのかもしれない。
蝶を閉じ込める。
経験で一度ですごく学び、次回からもひたすら学び続ける。先まで、そして遠くまでを、近くの現場を見ることで見通す力を得る。
6〜8Pm
ススキノの中華料理屋で、
6月に行った
これぇあ、いい思い出。韓国旅行の「反省会」(?)。

おじさん同士で写真の交換♪私、最高に髪の毛が長い時期だった(笑)。

そうすると自動的に誠実な行動が最もロスなく的確な対応になるという結果が出てしまうだけ、とか、そんなこと。
8:30Pm〜10:47Pm
シアター・キノ 深夜料金 \1200
やっぱ、映画館で観たい♪『ディア・ドクター』
監督&脚本;西川美和
出演;笑福亭鶴瓶、瑛太、余貴美子、井川遥、香川照之、八千草薫
うそうそうそうそうそばっかりいいぃぃぃいい。
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
私は、笑福亭鶴瓶が「生理的」に嫌いだ。
そーゆー理由は、先にあるのではなくて、後
から考えてみるものなんだけど、考えてみる
と(笑)、「情報が少ないくせに、いばる」パタ
ーンで、私の「いばる人は苦手」とゆー有名
な(?)カテゴリーのタイプだからだ、と結論。
で、この映画は鶴瓶の初主演映画。そして
鶴瓶は私のイメージ通りの(?)「情報が少な
いくせに、いばる」役どころを上手に(=つま
り素のまま?)演じている。こりゃ、監督のキ
ャスティング・センスの勝利だ。
鶴瓶は山田洋次監督による2008年公開、
やっぱ、映画館で観たい♪『母べえ』で吉永小百合の「おとうと」を
演じ、再び2010年、同監督作品『おとうと』で
吉永小百合の「おとうと」を演じる。『ディア・ド
クター』は言わば、その間の時期に巨匠監督
から離れてミニ・シアター系の若い女性監督
に料理していただいた作品、とゆー位置づけ
だ。そもそも、西川美和監督は2006年公開、
やっぱ、映画館で観たい♪『ゆれる』で脚本の上手さも印象付け
ていた。しかし、同じように名脚本家でもある
山田洋次との違いは明らかだ。つまり、山田
は鶴瓶を社会の異物と扱うことにより、相対
的に既成の社会の奇妙さをあぶり出そうとし
ている。一方、西川は徹底的に鶴瓶の本来
の人間的「いやらしさ」を写し取ることにより、
それに「うさんくささ」を感じていた周囲の人
間が、しだいに鶴瓶の役に魅力を感じてきた
ピークで、ざっくりと設定そのものを否定し、
置き去りにされてしまった他の登場人物す
べての「置いてけぼり」ぶりが見せ付ける堅
牢だと思っていた社会の一瞬の空白に、観
客に考えるすき間を与えるのだ。西川はかな
り悪意のある女だと私は見た(笑)。そしてそ
れは生産的な悪意なんだよな。すばらしい。
「嫌い」とゆーのもまたひとつの強烈な個性
であるから、鶴瓶を上手に使える監督と脚本
が存在しうるのも当然のことなんだけど、それ
でもやっぱり私は鶴瓶が嫌い(=「苦手」?)
なんだよな(笑)。

text by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2010年2月19日 金曜日 0:56Am)
2009年7月20日 (月・祝)
やっぱ、映画館で観たい♪『ハリー・ポッターと謎のプリンス』
監督;デヴィッド・イェーツ
原作;J・K・ローリング(2005年発表)
出演;ダニエル・ラドクリフ、 ルパート・グリント、エマ・ワトソン
ジム・ブロードベント、ヘレナ・ボナム=カーター、マギー・スミス
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
我々が「物語」に頼ろうとする時は、何か
を「分かろう」とする時だと想う。たとえば、
悪口が好きな人は、「悪口」という形式を使
って周囲の人物に「役割」を与え、自分の
周りの社会を「分かろう」としているのだ。
それが、「物語」だ。その時の最大の目的
は「分かる」であって、それが正しいか間違
っているかは重要ではない。だからその確
認が排除される空間のみで成立する狭い
物語として、手ごろな形式である「悪口」が
いつまでも人気があるのだ。
ではなぜ「分かろう」とするのだろうか?
それは、「不安」だからだ。つまり誰よりも
悪口が好きな人は、誰よりも不安なのだ。
個人ではなくても、集合としての人類も
「不安」な時代には物語を求める。その代
表が、宗教だ。さらに、国家であり、政治
であり、革命であり、戦争であり、家庭であ
り、恋愛だ。それら全ては不安の子供たち
だ。それらの閉じられた物語では、「主人
公」が最も不安を抱えている。むしろ不安
を抱えているからこそ主人公なのだから。
だから最も不安なのは、宗教では教祖で、
国家では王様であり、戦争では隊長で、家
庭では父(がくっ。)で、恋愛では恋人だ。
同様に、不安な時代には優れた「物語」が
生まれ、読まれてきた。フランス革命、明
治維新、ロシア革命、それぞれの時代がま
るで不安だったことの証明のように優れた
小説が大量に書かれた。
そして、『ハリー・ポッター』である(笑)。
私がやっぱ、映画館で観たい♪『天使と悪魔』評で書いたこと
の繰り返しになるが、このベストセラーには
作品の外部へはみ出してゆく意思」が
無い。裏側から言えば、時代の不安の代
弁になっていないのである。しかし、両者と
も世界的に異常なベストセラーを記録して
いる。時代が求めているのに、時代を代弁
していないのである。
でもいっそここまでくると楽だろう。とか、
事故さえおこなさければいいや、とだけ考えていよう。

その理由が、「時代が代弁を拒否している」のであれば、物語は現実逃避の
道具にしかすぎない。それ以外の理由があるとすれば、「時代が不安を求めて
いる」のであろう。たとえば、時代は教祖を、王様を、隊長を、父を、恋人を求め
ているのではないのか。そのための代償として、箱庭療法のようなファンタジー
が準備され、世界中がその壷になだれ込んでゆくのだろう。
ハリー・ポッターも6作目にして16歳になり、ラブコメのような展開すら含んで、
私が上記にあげた不安の主人公としてのキーワードが全部そろってしまった。
現実の世界が求めている「不安」とは、安定した現状では無い他の何か、という
ことだろう。信用ならない保守であれば、むしろ不安なチェンジを求めるのだ。
しかし、チェンジされた先に求められているのは、チェンジが終わった世界
なのだ。変わらなくてもよいようになるために、変わろうとすることと、永久革命は
まったく別のものなのだ。我々が口にすべきなのは、密室で自己保全のために
でっちあげられる「悪口」ではなくて、開けっ放しのドアのままに悩むことだ。そし
てまた、それが正しいか間違っているかは重要ではない。その確認がされてい
る空間が開いていることが重要なのだから。チェンジが終わらない、行き着くとこ
ろが無い、はてしない世界、つまり「物語」は「分かろう」とする道具ではなく、矛
盾がそのまま豊かさということであり、謎が謎のままむきだしになっている世界の
ことを我々はファンタジーと名付けたはずではないか。

2009年7月19日 (日)
うぇ〜ん!義父の一周忌を、札幌のホテルで行った。

そこには我々の自我と、それが作り出す「物語」が関わってくる。(アンダーグラウンド)

ずいぶん多くの方が集まってくれた。改めて義父の大きさを再確認。
「(顔のない)健全な市民」対「顔のある悪党たち」という古典的な対比によって、絵はずいぶん作りやすくなる。(アンダーグラウンド)
義父は1937年8月16日に樺太・真岡(まおか)で長男として生まれた。
1945年の敗戦で樺太にソ連軍が侵攻し、義父の家族も戦火の中、北海道へ。

真岡は『真岡郵便電信局事件(まおかゆうびんでんしんきょくじけん)』として、
映画やテレビ・ドラマなどにもなった悲劇がその時に起きた場所。
1945年8月20日、樺太真岡郡真岡町に、ソ連軍が艦砲射撃を行って侵攻した際、
真岡郵便局電話交換手(当時の郵便局は電信電話も管轄していた)の
女性12名のうち9名が自殺(自決)し3名が生還したという事件。

8歳の義父は長男として、大きな荷物を背負って妹の手を引いたそうだ。
そんな話を、一緒に引き揚げてきた義父のイトコが語ってくれた。
大きな階段を8歳の少年が大きな荷物を持って降りて来る場面は、
私にエイゼンシュタインの映画『戦艦ポチョムキン』を思い出させた。
そして、その話はこの日、初めて語られたという。

この法事から数ヵ月後、私は児童文学者のパラパラ・・・神沢利子と交流するのだが、
彼女も樺太からの引揚者で、樺太を書いた著作も多い。
私が義父の法事で聴いた話が、その時にまた鮮やかによみがえった。
スガイ札幌劇場 たまったポイントで、\0♪
やっぱ、映画館で観たい♪『サンシャイン・クリーニング』
監督;クリスティン・ジェフズ
脚本;ミーガン・ホリー
出演;エイミー・アダムス、エミリー・ブラント、アラン・アーキン、
ジェイソン・スペヴァック、スティーヴ・ザーン、メアリー・リン・ライスカブ、
クリフトン・コリンズ・Jr、エリック・クリスチャン・オルセン、ケヴィン・チャップマン
喪服のネクタイをはずして、どしゃぶりの中、傘も刺さずに1km走って、映画館で雨宿り。 ★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
時折、本編よりも予告編のほうが面白い映
画がある。残念ながら(?)本作も私にとって
はそうだった。よくできた予告編は、それだけ
で短編映画として完成している場合があるん
だけど、それもまた、やっかいなんだけど。
ふたりの負け犬女が、不思議な仕事を起
業する、って物語は社会派ケン・ローチ監督
やっぱ、映画館で観たい♪『この自由な世界で』と同じだけれ
ど、描き方はまったく違う。ケン・ローチはド暗
に描いてねじれた告発を試みたが、こちらは
ラブ・コメの要素も含めたほのぼのテイスト。
もちろん両作とも、不況下の時代背景だから
こそ選ばれた素材であるのだが、同じ欧米で
もイギリス人とアメリカ人ではこうも違うのか、
って社会学のサンプルになりそーなぐらい。
実は『この自由な世界で』の予告編も本編
よりも良かった。しかし、本編を通して観なけ
れば伝わらない空気感があった。しかし『サ
ンシャイン・クリーニング』にはそれが無いの
だ。映画とは2時間前後の時間のことでもあ
ると私は思う。それは情報を詰め込むための
ボリュームとしての時間だけではなく、経過そ
のものが味わせてくれる体験としか言いよう
の無い時間の感覚が映画の重要な身の上の
ひとつだと思う。それはテレビと映画との決定
的な違いのひとつでもあると思う。テレビの時
間はフラットに進むが、映画の時間は濃い。
『サンシャイン・クリーニング』の時間はフラッ
トだったのだ。
確かに、主人公達の過去の時間がインサ
イド・ストーリーとしていくつもからみ合うし、
時間の権化としての老人の扱い方も上手だ。
しかし、この映画のそれらは善意のほのぼの
のための材料として並べられているのに過ぎ
ない。その素材のフラットぶりが時間感覚の
フラットぶりと無縁ではないのだ。過去を複雑
にするだけでは、時間は複雑にはならない
のだ。
どしゃぶりの中、傘も差さないで、喪服を着た短い髪の毛の男が、
マジな顔をしてススキノ方面から走ってきたら、誰もがヤクザと思うだろーな。
私はただ、映画に間に合うように、あわてて走っていたダケなんですけどー。
「情熱」についての、3冊。
で、映画館を出たら雨は上がっていた。
本が濡れないから安心して、パラパラ・・・古本を3冊、買った♪
text by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2010年2月28日 日曜日 4:56Am)

でもいっそここまでくると楽だろう。とか、
2009年7月18日 ()
8:30Pm〜10:18Pm
ユナイテッドシネマ札幌 深夜割引 \1200♪
やっぱ、映画館で観たい♪『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
監督;庵野秀明(総監督)、摩砂雪、鶴巻和哉
脚本;庵野秀明
製作総指揮;大月俊倫、庵野秀明
主・キャラクターデザイン;貞本義行
主・メカニックデザイン;山下いくと
音楽;鷺巣詩郎
出演;緒方恵美、林原めぐみ、宮村優子、坂本真綾、三石琴乃
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
全3部作中の2部が本作だが、1部である
前作やっぱ、映画館のベンチ・シートで観たい♪『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』
の感想文の冒頭に私が書いた「私には、こ
の映画について語る資格が無いような気もし
ますが(笑)」は今でもそーなんだけど、1995
年のテレビ放送によって始まったカルト熱は
本作によって、いよいよ表象文化への侵食
を開始した。それは「得体の知れない」奇怪
な存在であることで他のアニメからの特権性
を得てきた本シリーズにとっては、整理する
ことによって「得体の知れない」魅力を失うと
いうエンターテイメントの罠に自らはまってゆ
く危険行為でもあった。しかし監督は1995年
から自らが進化し、体力も身につけたと判断
したのだろう。本作は手持ちのカードを隠さ
ずに全てさらしながら、さらにそこにエンター
テイメントの力を踏み台に利用して高く飛び
立つことに成功した。
そもそも、アニメーションの語源である、ラ
テン語のanima(アニマ)の意味は霊魂である
のだから、本来は動かない絵がぐにゅぐにゅ
と動き出す「得体の知れない」状態はアニメ
本来の身の上なのだ。それがいつのまにか
テレビ放送のための量産化の手法が安易に
蔓延して、動かない(?)アニメが普及しすぎ
たのだ。もちろんそこには黎明期の手塚治虫
の苦悩と工夫もあるだろうが、たとえばディズ
ニーの『白雪姫』を観れば、その軟体動物と
化した絵にこそアニマ=霊魂の由来を強く感
じさせられる。言うまでもないが、『白雪姫』は
1937年の作品なのだ。生物の動きにともなう
軟体動物のように動かなくてもいい言い訳と
してロボットは優れていたのだが、エヴァンゲ
リヲンはロボットなのにまるで『白雪姫』のよう
に動いた。イメージは意味を支配するのだ。
目玉はいつもホワイト・アウト。

text by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2010年2月23日 火曜日 10:31Pm)

送信日時: 2009年7月12日(日) 8:53Pm
宛先: うぇ〜ん!久保AB-ST元宏

「にれの木」星野桂子さんの応援団長東出センパイからの、
長沼の「絵本家ぽこぺん」での木造校舎展ご案内です。

今回で四回目を迎える、展示会ですが、
木造校舎の写真群の展示とそれにまつわる物語を端緒に、
星野桂子さんの半生と、故郷音江の大地やそこで生きてきた人々や、
コロポックルの伝説まで、かけがえのない、
桂子さんの身体と心の底からの「生命の物語」の集大成になっております。

今回の展示会の圧巻は、木造校舎にまつわる物語に加えて、
新しい物語が合わせて九つ、合本されて桂子さんにしか書くことが出来ない、
比類のない作品として差し出されていることでしょう。

私は、応援団長としての特権で、この作品群を展示会に先駆けて、
全て読ませていただいて、本当に心打たれました。
若くして、「プチレストランにれの木」の経営者として、家族の生活をも担いながら、
ここまでたどり着いたことに、心からの賛辞を送ります。
是非とも開催期間中に、ご覧下さいますようにご案内致します。

今回は、上記に加えて、「ブックボックス田原書店」の「手製本と古書」、
さらに加えて、深川西高の先輩、堀尾時司さんの「木と遊ぶ」の展示も
ありますので、併せてお楽しみ下さい。

期間;2009年7月24日(金)〜8月10日(月)
ただし期間中の火、水、木曜日は定休日でお休みです。
住所;北海道夕張郡長沼町東6線北2番地 電話;0123-88-4406

以上、心から皆さまのご来場をお待ち申し上げて、
星野桂子さんの更なるステップへの、一里塚である
記念すべき本展示会のご案内と致します。
東出センパイから