あのブールで。その山の上で。I'll follow you wherever you may go!
top page⇒うぇ〜ん!『共犯新聞』♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DieROCK★ロック パラパラ・・・偏愛書物★Book Oh ! うめぇ〜♪肉体の共犯としての食犯。好物★Gourmet やっぱ、映画館で観たい♪映画★Movie Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!美術★Art
moto_kubo@hotmail.com
2009年
4月

映画
た びたび
他にも何か書くことあった気がするのだけれど忘れてしまったからもう出す。
脳内共犯
としての
映画館

脳味噌共犯 movie days (and movie nights !!)  暗闇の私。≒ 私の暗闇。

2009年4月11日 土曜日 午前1時10分←■テレビで映画『宇宙戦争』の裏番組で、『鉄腕アトム』の「青騎士」が発掘&再放送してた!こっちをこそ今、映画にすべき。
2009年4月20日 ()
やっぱ、映画館で観たい♪『愛 のむきだし』
監督&原案&脚本;園子温
挿入歌;ゆらゆら帝国『空洞です』

出演;西島隆弘、満島ひかり、安 藤サクラ、渡部篤郎、大 口広司、渡辺真起子

★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
つい半世紀前までの日本の結婚は、お見合いが主流で、恋愛結婚は 過剰な
もののように感じられていたのではないだろうか?その観念を支えていたのが大
衆のタブー意識だ。「罪を犯してはいけない」との先回りの自己抑制が社会のバ
ランスをキープしていた。恋愛がタブーであり、罪であるとだけ考えると現代では
違和感があるが、そこでキープされていたものとは、「家族」であり、それを相似形
に拡大した万世一系の「国家」であった。「家族」や「国家」を維持するために、
庭に恋愛を持ち込むのはタブーとされ、恋愛をソフィ ストケッドした装置としての
お見合いが広く導入されていたのだと私は考えている。なぜならば、愛は何もかも
をも、「むきだし」にしちまうからだ。権力は、「む きだし」を恐れる。そのために、
近代国家は法というモラルを作り、前近代家族はタブーを利用した。そして、モラル
とタブーは違う。これを混同してはいけない。モラルは現代人の薄汚れた知恵で
あり、タブーとは未開人の愚かな臆病にしかすぎない。
まだ月曜日なんだね。★映画♪むきだしの愛? タブーの対象となるのは、「過剰」なも
の。映画がテレビと比べて「自由」な表現
に観えるのは、相対的に過剰さが保障さ
れているからだ。しかしその分、映画はタ
ブーを侵犯しやすいためにテレビのように
明るい部屋ではなく、暗闇でこっそり観る
ようにできている。
この映画は「過剰」を追求している。ま
ず上映時間が4時間(!)ってのも、かな
り無駄に(笑)過剰だ。たとえばかの名作
『天井桟敷の人々』(190分)や『ベン・ハ
ー』(212分)よりも長い、237分なのだ。ぎ
ゃふん。さらに、過剰な血しぶき、過剰な
スケベ。しかし、「過激」と「過剰」は違う。
過激が現代人の病の蕩尽ならば、過剰
は未開人の健康な祝祭なのだ。
過激な映画のスケベはセックスだが、
過剰なこの映画のスケベは盗撮の「パン
チラ」である(がくっ。)。その脱力感は映
画全体のトーンとして一貫している。しか
しパンチラは、「チラ」だからパンチラなの
であって、過剰に見せられると、パンチラ
とは違うもの(=パンモロ?)になる。連続
して犯され、重ねられる過剰さが生み出す
のは生産のグルーヴである。そこが監督
のあまりにも映画的な仕掛けだ。日常にあ
るものを過剰にすることにより、非日常に
昇華する。そこで誰もまだ見たことのない
ものを監督は見せようとたくらんでいる。そ
の過剰という手法に最も適しているのが、
愛だ。そこまで考えたとき、映画のタイトル
『愛のむきだし』がすばらしくふさわしいと
感心しちゃった。しかし、むきだしじゃない
愛なんか愛と呼べるのだろうか。すべての
愛は過剰なのだ。もしあなたの愛が過剰
でなければ、それは愛ではない。恋愛が
お見合いよりも過剰なように、そうなのだ。

まぁ確かに低予算で残念な大道具や、緊張感の無いカメラ・アング ルの撮影も
多い映画だが、それをもしのぐ過剰の繰り返しにより、タブーを突き抜けた祝祭が
最後に待っている。ただ、記憶喪失になった主人公の男子高校生が記憶を呼び
戻すのは、自分の勃起でふくらんだパンツではなく、愛した少女が自らスカートを
まくり上げて見せる白いパンツであるべきだった。そうすれば、映画中盤のあまり
にも過剰なパンチラ映像の意味がもっとクリアになったことだろう。トラウマも無意
識も過剰の産物なのだから。そしてそれは映画そのものの身の上でもあるのだ。
うぇ〜ん!映画後、☆コーヒーの湯気。アミカに行けば・・・・・・!
★あ、でもサントスに会えたのは良かったか!
2009月7月20日に若林博士のログハウスで、
一緒に朝まで遊んだネパール人のサントスが来ていた♪
ビザの延長に札幌まで来たそうだ。カウンターのとなりの男性と意気投合して、
初対面なのに、ずーっと一緒に呑んでいたそうだ(笑)。この後、さらに朝まで?
★ノンちゃん、久保さんのオーダー忘れたこと申し訳ないって謝ってました(笑)。
おおお♪ある意味、『共犯新聞』オールスターズ(笑)。
ノンちゃんが持っているのは、私が持ってきた
タテワキさんのベトナム土産、エ ビの高級スナック、ビールに合うと大好評♪
この日は、アミカのノンちゃんの誕生日の翌日でもあったんだ よね♪

★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴史から飛び出 せ!
たとえば→4月19日の 歴史
-16kg部会長っ♪
Happy Birthday to 人喰い部会長〜♪Ms.Non !

差出人: パパんが、パンダ。ノンちゃん
送信日時: 2009年4月21日(火) 12:50Pm
宛先: うぇ〜ん!久保AB-ST元宏
こんにちは。
寒いですね。札幌は★ふれ!ふれ!は、応援だけど、雨は、降るなっ!雨です。

昨日はアミカにいらしていただき、ありがとうございました〜〜!!
思わぬ再会に、ちょっと緊張してしまいました。

なんのお構いもできず
というかそれどころかオーダー忘れたり大変失礼いたしました・・・・・
もしも・・・カムバック−16kg♪うれしい。ばんさい!
お土産の
海老おつまみ
おいしかったです〜。
海老満月とか
カッパ海老せんとか
海老をなんとかしてあるもの
が大好きです。
生の海老は
さほどではないのですが、
エビフライとか
海老天とかも好きです。

そんなことを言っているから
チーム−16はどこへ?
って感じなのだ。
札幌場所友の会へ入れ!
またはどすこいクラブ?

『共犯新聞』を開き、
決意を新たにしたのでした
(多分)。

そうそう!

あのあとカウンターに置いてあった
ローラに花束を!みかちゃん作、ア ミカ販売用チーズケーキを
なぜだかサントスとなんばさんが
手でちぎりながら食べていてびっくりしました!!
「うまいうまい」「もぐもぐ」ちょっと目を離した隙に!!油断ならんな。
犬とか猫とか飼っている人の気持ちがわかりました。

でもおいしかったって(笑)

今日は寒いので脂肪があってよかった〜(負け惜しみ)ぷくぷく!!



2009年4月26日 ()
蠍座
二番館料金 \800
やっぱ、映画館で観たい♪『ア ラトリステ』
監督;アグスティン・ディアス・ヤネス
原作;アルトゥーロ・ペレス=レベルテ 『アラトリステ』(El capitan Alatriste)
出演;ヴィゴ・モーテンセン、エドゥアルド・ノリエガ、ウナクス・ウガルデ

★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
昨年公開された『イー スタン・プロミス』でのヴィゴ・モーテンセンがあまりにも良か
ったから、観に行った。で、観たら大河ドラマのダイジェスト版のようなコスチューム・
プレイだった。がくっ。・・・・・・ってところが日本の観客の多くの感想だと思う。私も。
映画は俳優のものじゃなくて、監督のものだから、まぁそりゃとーぜんなんだけど。
ヴィゴ・モーテンセンが出演していれば、ぜんぶ観たい。 それも原作が御当地スペイン他、世界
中で大ベストセラーになった大長編小説
なのだから、それを2時間30分に収めた
監督のご苦労をまずはねぎらうべきか。少
なくとも『レッド・クリフ』のよーに引き絵の
CG大会に終始せず、戦士たちの血や汗
が感じられるアップ画面の演出は評価し
たい。ただ、その迫真の演技と映像に観
客はイマイチ感情移入できないのは、主
人公たち戦士が何のために戦っているの
かが伝わってこないからだ。映画の冒頭
では傭兵として。中盤で、激しい戦闘中
に給料の未払いを上官に訴えるシーンは
そんな意味からも面白い。そこで上官は、
「私も給料はもらっていない。スペインのた
めなら無給でも戦える。」と答える。それを
あぜんと聞いてしまう主人公たちだが、映
画の最後はスペイン対フランスの戦闘シ
ーンで終わる。つまり、描かれていたのは
「国家」とゆー概念が育まれた17世紀な
のである。しかし、私たちはスペインは単
一国家ではなく、複数の文化がパッチワ
ーク状に組み合わさってなんとか維持さ
れている、とりあえずの共同体であること
を知っている。それはイタリアもそうだし、
フランスであっても、ゆるやかにはそうだ。
だから、何のために戦うのか?の答えが、
国家であることは説得力を持たないのだ。
ならば、国家が未完成の時代背景だから
こそ、そこを追求して描けば傑作になった
かもしれない。つまり、監督が原作を深く
読みきっていなかったのだろう。
たぶん、映画の中で最も観客が分かり
やすく感動するのは、主人公がかつての
恋人が梅毒でおかされてから再会し、長
く持っていたプレゼントをようやく渡せた場
面だろう。この場面が感動しやすいのは、
愛のためなら真剣になれるという図式が丸
見えだからだ。それが「国家」では観客に
伝わらなかったのが、この映画の敗北だ。
うぇ〜ん!映画館を出ると・・・・・・雪!えっ、ま、まさか、今は桜咲く4月下旬 だぞ!
朝、札幌よりも120km北の沼田町は晴れていたぞっ。
確かに、札幌に着いたら★ふれ!ふれ!は、応援だけど、雨は、降るなっ!雨だったけどさ。雪は無いんじゃないの?
いやぁ〜ん、と、べちょ&べちょに濡れながら、ギャラリー・カフェへ。
フラクタルに濡れた髪の毛をぱさ&ぱさしてると、
店内の奥から美人がちょーど帰るとこ。
「久保さん!こんなとこで逢うなんて〜!」人喰い部会長〜♪ノンちゃんなん でした。
Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!『ウキキのメ』
殿村栄一末木智佳子末木繁久 三人展

☆コーヒーの湯気。石の蔵ぎゃらりぃ はやし
札幌市北区北8条西1丁目
電話;011-736-0884

2009年4月23日から28日
11Am〜7Pm (最終日4Pm)
白い春♪。
まだ雪が降 る街よ〜。

★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
子供時代に小さいけれど確実に幸福な記憶が植えつけられたオトナ による、
現在を見てもノスタルジーに見えてしまうとゆー幸福なトラウマ病の告白。
お互いを見詰め合うことはしないけれど、
それ&ぞれが、同じものを見ている、とゆーことに気がつきながら、
今までずっと相手に言わないできたことを「表現」によって告白してしまう展覧会。
キコキコ、遊ぶ。
マンガだよ人生は。
キコキコ、飛ぶ。
おもちゃ感覚の肥大化。
キコキコ、らぶ。
床に、大きなスゴロク♪

末木は、靴を脱いであがる、おやつ喫茶(?)☆コーヒーの湯気。キコキコ商店の店主。
喫茶店だけど、ルインズ 波止場からパスカルズまでのCDを売ってたりもする。
30人も入れば、ぎゅー&ぎゅーなくせに、すげーライブを平気でやる(笑)。
今年のキコキコ商店ライヴ第1弾は、なんと!小川美潮「シュンブンのミ」!
小川とチャクラ時代から共演し、数々のイイ曲を作曲、編曲している
ギタリストの板倉文も♪北海道初!
「これは観ないとイケマセン。」と、末木夫妻が自慢するのも、とーぜんである。
文さん、みしお♪これは観ないとイケマセン。すばらしいはず。きっと。
なにげないけど、なにげなくない。
♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieシュンブンのミ
キコキコ商店 2days 2009

小川美潮(vo)、
板倉 文(g)、
大川俊司(b)

2009年5月22日(金)、23日(土)
開場 19:00 開演 19:30
前売\3500 当日\4000

会場;キコキコ商店
札幌市中央区南12条西6丁目
電話;011-521-0098

それにしても、すげー雪!と、マークXを駐車した場所まで歩く。
この夜、帰宅すれば、ちょうどこの時間にミカキチが書いたメールが届いていた。

大雪
差出人: ローラに花束を!ミカキチ@ろーら嬢
送信日時: 2009年4月26日(月) 6:58Pm
宛先: うぇ〜ん!久保AB-ST元宏

今朝5時、寝る時、外が真っ白でびっくりだったのが
今日1日雪は積もる一方。
仔ブタ色のフリース着て。 一般常識だと、レベルが合わない感じ。
くすみ書房の本 談義パラパラ・・・『柄刀一&松本寛大』も諦めて、家にいるんだけど、
久保兄映画見に来たのだろうか。
もうタイヤ交換してるんじゃないだろうかと心配。。。


同じ札幌と言えども、ミカキチは山の上に住んでいるので、こりゃ、すげえ。
駐車所では、夏タイヤのマークXが、
「雪道は走れねぇ。がくっ。」と、うなだれていた。

春だと、思い込んだら試練の道を〜♪って、かっ!?
じゃ、雪が融けるまで、もう1本♪
現代の西部劇。★映画マスターのマイルストーン♪むきだしの隣人愛?
ユナイテッド・シネマ札幌
たまったポイントで、 \0♪
やっぱ、映画館で観たい♪『グラン・トリノ』
原題;Gran Torino
監督&製作;クリント・イーストウッド
脚本;ニック・シェンク
出演:クリント・イーストウッド、ビー・バン、
アーニー・ハー、クリストファー・カーレイ

★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
イーストウッド演じるヘンクツじじいが、
地下室から大型の冷凍庫を階段で運ぶ
シーンがある。その最後に引き上げる画
面の左半分が、映像としてゆるんでいた。
そんなことは日本映画ではよくあることだ
が、なんせイーストウッド映画だ。しかも彼
は本作と同時に(!)完璧な映像美を監督
の支配下においた『チェンジリ ング』を撮影
しているのだ。この、ゆるんだ画面は本作
では何度も見受けられたので、私はこれ
はイーストウッドが仕掛けた新しい技術で
あることに気がついた。つまり、完璧な映
像ではなく、あえて未熟な映像や演出を
することで、完璧な映画ではたどりつけな
いリアルさを獲得しようとしたのだ。『チェン
ジリング』が完璧で美しい磁器であるとす
れば、本作はざらっとした手触りの陶器の
ようだ。完璧を作り上げることよりも未完成
の美を表現するほうが技術がいるのだ。
私はイーストウッドは、『アラバマ物語』
(1962年)をイメージしてこの映画を準備し
たのではないかと思う。それはリメイクでも
ましてやパクリでもなく、映画には巨大な
財産があるのだ、というメッセージでもある
と思う。新しい才能よ、古い映画をもっと観
よ。それはガレージに眠る名車なのだ。

イーストウッドのやっぱ、映画館で観たい♪君と?『グラン・トリノ』を 観る
差出人: 音江の農家の長男だった林檎の木の下からずっと♪東出センパイ
送信日時: 2009年4月28日 6:12Am
宛先: うぇ〜ん!久保AB-ST元宏

久保さん、
映画をなかなか観れないと、
嘆いている私ですが、
イーストウッドだけは、
いつも何とか、
観続けてきました。
遠い少年時代の
テレビの草創期の
アメリカ製の
連続ドラマのひとつ、
『ローハイド』(懐かしい!)の
頃からの
イーストウッドの
ファンなので。
それともどっちにしても帰るのは帰るのかな?

1昨日、多分久保さんより早く『グラン・トリノ』を観に行って来まし た。
まだまだイーストウッド健在で、何回か観ていてホロリとしました。
最後は何となく、そんな予感がしていて、やはりその通りの展開で、
映画の中とはいえイーストウッドの死が、まったく違和感なく、
それを受け止めている自分にも驚きました
それでは中味のことは、観てのお楽しみということで、この映画の
『共犯新聞』での「★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼」を楽しみにしております。ではまた。
だとしたら、やっぱり私が車で拾いに行った方がいいのかな?
追伸 この映画の音楽を担当しているのは、彼の実子カイルだそうです。
今度は、これも好きな俳優のひとり、
ショーン・ペンの実在した権利活動家、ハーヴィー・ミルクの半生を描いた♪『ミルク』も、観に行こうと思ってます。
それから、ゲバラの映画の後編は、観ることが出来ましたか?
では最後に昨日、「よりみち仲間」の4月号もお送りしました。お元気 で。
まだ一日なんだね。★映画♪どんな一年になるか解らないけれど、無事に過ごしてね。 2009 年4月1日 ()
スガイ・ディノス旭川
「映画の日」割引き \1000
やっぱ、映画館で観たい♪『ウォッチメン』
監督;ザック・スナイダー
原作;アラン・ムーア
原作アメコミ作画;デイヴ・ギボンズ
出演;ジャッキー・アール・ヘイリー、
ジェフリー・ディーン・モーガン

★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
横尾忠則が時代の寵児であった1960
年代後半、話題のイラストレーターにマン
ガを描かせようという声が各所からかかっ
たそうだ。しかし横尾はそれを受けなかっ
た。その理由は、「私は絵描きであり、1枚
1枚が作品だ。マンガであれば1コマ、1コ
マが絵画作品となる。つまりマンガは1枚
の絵画であるコマを何百と描かねばならな
い。私にはそこまでの時間と集中力と興味
が無い。」って感じだったと私は記憶してい
る。その結果、マンガ雑誌『少年マガジン』
の表紙であれば、1枚で済むと担当したの
だが、その仕事がすばらしかったので、世
間はなるほどと納得したものであった。
私も当時は納得したし、表紙のすばらし
さには感動もおぼえた。しかし今、あの時
の横尾の選択は間違っていたのではない
かと私は思う。横尾はマンガというメディア
の本質をあばいたつもりが、実はマンガの
可能性を殺しただけなのではないか、と。
『ウォッチメン』の原作は優れたアメコミ
だそうだ。しかし私にはそんなことはどうで
もいい。映像が手に入れた情報量の多さ
が安っぽくなってしまうCGデフレの時代に
正攻法で回答を示したのだから。必要か
つ重要なのは、ジャンルの越境ではなく
ジャンルの爆発なのだ。
★Now the whole world stands on the brink, standing down into bloody hell.
●今、全世界は崖っぷちに立っている、残酷な地獄を見下ろして立っている。

1980年代のア メリカンコミックの映画化です。コミックを見ていないと、分か
りにくいですが、アメリカにはスーパーヒーロー達がいて、彼らが歴史の裏側で
暗躍し世の中の秩序を守ってきたというものです。彼らはウォッチマンと呼ばれ、
世界の監視人でした。といっても、結構ダークなヒーロー達で、ニクソン大統領
に雇われてベトナム戦争で戦ったり、ケネディ大統領暗殺、映画では出ていませ
んが、ウォーターゲート事件を追っていた記者の殺害などが彼らの仕事と言われ
ています。冷戦時代、ソ連が核軍拡を進め、アフガニスタンに侵攻するなど、地
球の危機が迫まるなか、ヒーローのひとり、コメディアンが殺害されます。そし
て次々にヒーロー達が狙われていきます。犯人は、そしてその目的は何でしょう
か。映画の中ではDr.マンハッタンこと、ジョンは核実験で一旦破壊されます
が甦って無敵の超人に変身しました。彼の力が鍵になります。火星へテレポート
したり、彼だけが素っ裸でウロウロしています。神の域に達したと言いながら、
恋をしたり、最初の彼女が年を取ると、若いガールフレンドに乗り換えたりする
のが俗っぽくていいですね。結局、ソ連とアメリカの核ミサイルによる最終戦争
の火ぶたが切って落とされようとする中、元ヒーローの起業家で、世界一頭が良
いと言われているヴェイトの動きが気になります。現在は、核拡散、地球温暖化
など、世界は崖っぷちに立っているのではないでしょうか。各国が、自国の利益
だけに奔走している時ではありません。

やっぱ、映画館で観たい♪・・・あの席で。『Watchmen/ ウォッチメン』 (2009年)
【監督】ザック・スナイダー
【出演】マリン・アッカーマン(ローリー・ジュスペクツィク/シルク・スペク ター)、
ビリー・クラダップ(ジョン・オスターマン/Dr.マンハッタン)、マシュー・ グード
(エイドリアン・ヴェイト/オジマンディアス)、カーラ・グギーノ(サリー・ジュ ピター
/シルク・スペクター)、ジャッキー・アール・ヘイリー(ウォルター・コバックス /
ロールシャッハ)、ジェフリー・ディーン・モーガン(エドワード・ブレイク/コメ ディアン)
2009年
4月4日 ()
たまったポイントで、 \0♪

やっぱ、映画館で観たい♪『ザ・バンク 堕ちた巨 像』
原題;『The International』
監督&音楽;トム・ティクヴァ
脚本;エリック・ウォーレン・シンガー
出演;クライヴ・オーウェン、
ナオミ・ワッツ、ジャック・マクギー、
アーミン・ミュラー=スタール

ここ10から15年くらい、そういう「相手をたててる」フリしてのすり替えの丸投げを恥知らずにやるやり方すごい増えてるよなー。★映画♪『ザ・バンク 堕ちた巨像』('09『The International』)
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
思えば、ここ数年 の私たちは「希望」と
ゆー言葉に頼りすぎていたと思う。希望
なんか、絶望という荒野に我々が散らばっ
ちまわないように閉じ込めるために与えら
れたフタにしかすぎないのだから。むしろ
我々は、何も書かれていない保険証書の
ような慰めの「希望」と書かれたフタを取り
外して、絶望の荒野に再び立たねばなら
ないのだ。そう、2009年の私たちに課せ
られた仕事は、「負 けた男の美学」を古
臭くすることなのだ。
この映画の姿勢は 昨年の『フィクサー』
と同じだ。『フィクサー』は馬が登場する場
面に代表されるようにより抽象度が高く、
『ザ・バンク』はカーチェイスや印象的な
銃撃戦の演出などの多用でエンターテイ
メント度を高くしているが、姿勢は同じだ。
それはそれぞれのラストに明確に表現さ
れている。『フィクサー』では負けた主人
公がニヒリズムに墜ち込むのではなく、車
中の長回しのジョージ・クルーニーの表情
が悔しさから、「闘い」へ変わるところで。
『ザ・バンク』では、意 思の「リレー」とし
て。つまり、「負けた」で完結させず、まし
てや「希望」 などでお茶を濁さずに「絶
望」を「運ぶ」のだ。それが、「負けた男
の美学」を古臭くするための映画である
理由だ。
映画の最中、突 然、ブッチ・キャシディ
ーとサンダンス・キッドの1970年の映画
『明日に向かって撃て!』になる場面があ
る。監督、わざとやってんなー、なんだけ
ど、そう考えればあの有名なストップモー
ションのラストシーンも「負けた男の美学」
なんかじゃなかった。全ては終わってい
ないのである。何度も権力が手のひらを
返して圧力をかけてくるように、巨大な敵
に囲まれている現代社会では小さな敵が
突然、一緒に戦う仲間に変わる瞬間もあ
るのだ。世の中が複雑なのは敵も、こっ
ちもお互いさまなのだから。そんな瞬間の
ためにも、我々は常に「組織」から自由な
存在でいなければならない。たとえ孤立
した絶望であっても、与えられた希望に
どんな意味があるというのだ。こんなめん
どくさい時代に「負けた」者はむしろ幸せ
だ。なぜならば、もうゲームから降りること
ができるのだから。そんな「悲劇のヒーロ
ー」を、かっこいいと思ってはいけない。
だってこの世 に「終わる」ものなどなに
ひとつ無いのだから。