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2010年11月25日 木曜日 午前0時10分太陽を追いかけて、月に追い抜かれて。気 温-5.2℃←■ノヴァーリスから、清岡卓行へ。翻訳された詩と童話の歪んだ美しさから、どもり詩人の美しい小説へ。
思想の共犯地図

ド イツ・ロマン
German Romanticism




text by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏
(更新日;2010年11月27日
土曜日 1:10Am)
最後は、ナイチンゲールと赤い茸。

ノ ヴァーリスパラパラ・・・『青い花』を読んだ。
古い本だ。
なんと、1801年に書かれた。
そしてこの年をはさむ数年間、ヨーロッパでは「ロマン派」と呼ばれる文化運動が起きた。
1789年に起きたフランス革命が、表現者たちに自由な環境を与えたのが遠因だろうが、
当時のヨーロッパ諸国の文化がそうであったように、国家によってまるで個性が違った。
「フランス・ロマン派」はバルザックらが大きな物語に向かい、
「イギリス・ロマン派」はワーズワースやバイロンが叙情的な啓蒙主義に向かったように。
ノヴァーリスは、「ドイツ・ロマン派」での中心人物であった。

原題の『ハインリッヒ・フォン・オフターディンゲン』は、そのまま主人公の青年の名だ。
この極限まで即物的な原題がなぜ、『青い花』というまるで少女趣味の題になったのか?
もうそこから、物語は始まっている。

脱線の誘惑を振り切って、なるべく系譜を語ろう。
そのストイックさが、また「ドイツ・ロマン派」的でもあるのだから。
口笛だけで小説を書こう。
ノヴァーリス 『青い花』 訳;坂本越郎(1947.10.25、初版、蒼樹社)
定価\100→古本\1250

さて、「ドイツ・ロマン派」とは何か?という問いは、「ドイツとは何か?」と同じ響きがあると断言していいだろう。
ドイツは(当時も、今も?)辺境でありながら科学的である、という矛盾を同一化してきた。
それは、この国が中心に抱え込んでいる暗い森そのもののように幻想的な辺境であった。
それは合理主義と機能主義が、幻想にくるまれることによって、芸術へと昇華する特権的な土地であった。
だからドイツにとっては、バルザック的な物語は単純に見え、バイロン的な啓蒙主義は幼稚に見えたのだと私は思う。

「辺境」であるコンプレックスと、「特権的な土地」であるプライドのバランスが少し崩れると、偏狭な愛国心が捏造されやすい。
それが、ア ドルフ・ヒトラーエキセントリックという才能。(1889年4月20 日〜1945年4月30日)を生みもしたのだろう。
それはまた、ドイツ的「まじめ」さの敗北でもあったと私は思う。

最新型の恋。
ヒトラーの登場を
予言するかのような
芸術運動が、「ドイツ表現主義」であり、
その代表が、ご存知、
1919年、
ドイツのワイマールに設立された
←美術学校『バウハウス(Bauhaus)』と、
1920年に制作された、
ローベルト・ヴィーネ監督による、
サイレント映画『カリガリ博士』だ。→

両者の共通は、
「芸術と技術の新しい統一」
という理念。
それを一言で言えば、「未来」。
しかし、
バウハウスの未来は、明るすぎて、
『カリガリ博士』の未来は、暗すぎた。
土曜の夜に、螺旋形の夢を見る!

その「ドイツ表現主義」とは、
マルクス
♪カール・ハインリヒ・マルクス(Karl Heinrich Marx, 1818年5月5日 - 1883年3月14日)
(1818年5月5日〜1883年3月14日)、
ニー チェ
熱さ、ザムザも、彼岸まで。
(1844年10月15日〜1900年8月25日)、
フ ロイト
お前の透明な下水道の蛇になってやる。
(1856年5月6日〜1939年9月23日)

を知った後のドイツの到達点だと言っていいと思う。
反対に、まだ彼らを知らないドイツの到達点こそが、「ドイツ・ロマン派」だったのだ。

いや。より突っ込んで言うのならば、
「ドイツ・ロマン派」が、彼ら3人を生んだのだ。
「ドイツ・ロマン派」の幻想を科学にしようと悪戦苦闘した19世紀の傷跡こそが、マルクス、ニーチェ、フロイトだったので はないか?

そして彼ら3人の「科学」を再び、「幻想」に引きずり込んだのが20世紀の「ドイツ表現主義」であり、
その引き裂かれた自我のすきまを埋めるために捏造された道化こそが、ヒトラーだったのではないか?

では、「ドイツ表現主義」から100年前、「ドイツ・ロマン派」には、どのような思想地図があったのだろうか。
それは、マルクス、ニーチェ、フロイトの存在が当たり前の現在から考えると、さらなる深く暗い森のようだ。
しかし、魅力的な森であることは間違いない。
そこに足を踏み入れる最初の地図として、私が読んだノヴァーリス『青い花』、1947年の翻訳本の訳者のあとがきを紹介しよう。

文字がシャワー・ルームで消えてゆく。

ここには晩年のノヴァーリスについて書かれているが、
彼はゾフィーという14歳の少女と婚約したが、そのゾフィーはすぐ重病で死んでしまい、ノヴァーリスもまたわずか29歳で死んでしまった こと、などだ。
『青い花』を読み終えたばかりの読者は、引き続き巻末に書かれている、著者のこのエピソードを続けざまに読まされることになるのだが、
誰もがこれを読んでしまうと、物語である『青い花』と、実作者であるノヴァーリスが心地よいめまいのように印象の森で融合してしまうこと だろう。
が、
とにかく、ゲーテとの関係が目を引くではないか。
ノヴァーリスは、もっとも有名な「ドイツ・ロマン派」の作家ゲーテが「現実的すぎて、ロマン的=詩的ではない」との批判的理由で、『青い 花』を書いたというのだ!
また、上記に書かれている「最も古い親友フリードリヒ・シュレーゲル」とは、有名な文学兄弟、シュレーゲル兄弟の弟だ。

では、ここで「ドイツ・ロマン派」の作家を、生まれた順番に並べてみよう。
1749年8月28日〜1832年3月22日

ゲーテ
ウェルテル博士♪ ニーチェは、
ルター訳『聖書』と、
ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』と、
エッカーマン『ゲーテとの対話』の
3冊のみによって、その思索の始点と終点をいつも決めていた。

ちなみに、ゲーテは32歳で貴族になり、ついで内閣主席にまでなり、権力の中で生きる。
1763年3月21日〜1825年11月14日

ジャン・パウル
サルトルよ、勝手にしやがれ! ゲーテとは、思想上で対立。
ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(1744年8月25日〜1803年12月18日)を慕った。
ヘルダーは、カントの哲学に影響を受けた文芸評論家。
ゲーテも、若い無名時代にヘルダーの影響を受けている。

マーラー『交響曲第1番』の表題である『巨人』は、ジャン・パウルの同名作品から。
1767年9月8日〜1845年5月12日

シュレーゲル兄弟 (兄)
アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル
兄は、アプリゲール?
ニーチェは、 シュレーゲルが父方、ヴァーグナーが母方の血筋にあたる親戚。

シェイクスピアの翻訳は、有名。
1772年3月10日〜1829年1月11日

シュレーゲル兄弟 (弟)
フリードリヒ・シュレーゲル
東大よりも。 ノヴァーリスの親友。

おそらく、ノヴァーリスの最初の全集や著作集は、
フリードリヒ・シュレーゲルとティークによる共編によるもの。
たぶん、それが定本となり、のちに、第二次世界大戦までに
ミーノル版、クルクホーン版、カムニッツェル版、フリィデマン版などが刊行。
私が読んだ『青い花』は、クルクホーン版4冊の全集からの阪本越郎、1947年の訳。
1770年3月20日〜1843年6月6日

フリードリッヒ・ヘルダーリン
地獄の恋人♪ 哲学者のハイデッガー(1889年9月26日〜1976年5月26日)は
ヘルダーリンの詩作を介して、現存在を読み取った。

ハイデッガーは、現存在を説明しつつ、詩人と哲学者の役割をこう書いている。
「民族の現存在の真相は、
「根本気分」として、詩人によって根源的に建立される。
このように開被された存在者の原存在は、
哲学者によって概念的に把握され、整えられ、初めて開示される。」
1772年5月2日〜1801年3月25日

ノヴァーリス
英会話は、うさぎ。私は、リス。 ハイネ「ノヴァーリスはどんな生命をも鉱物的結晶にしてしまうアラビアの魔術師である。」

メーテルリンク「ノヴァーリスこそが、精神の究極の表現者。」

ニーチェ「経験や本能にひそむ聖なるものは、ノヴァーリスによって発見された。」

ルカーチ「ノヴァーリスだけがドイツ・ロマン派の唯一の、そして正真正銘の詩人である。」

ベンヤミン「ノヴァーリスは、精神的形象における観察の理論の樹立者。」

ディルタイ「ノヴァーリスの自然は、世界心情そのものである。」
1773年5月31日〜1853年4月28日

ルートヴィヒ・ティーク
時計が止まらない! 1800年、ドイツで初めて「赤ずきん」を
戯曲『小さな赤ずきんの生と死』として作品化した。
1776年1月24日〜1822年6月25日

エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン
好きなミュージシャンは、ホフディランです♪ 日本では、弱小出版社の創土社から、深田甫(ふかだ・はじめ)の個人全訳で
『ホフマン全集』全10巻が1971年から刊行され、1992年に9巻『悪魔の霊液』が
ようやく出版されるが、10巻『評論・書簡・日記・評伝』はまだ未刊のまま。

ホフマンの短編『砂男』は、フロイトの「不気味なもの」理論の恰好のテクスト
さらに、目をえぐりとられる妄想や、レンズ(=目)の売買などの
バタイユ『眼球譚』を連想させる展開もある。
そこには、ドイツ・ロマン派の特徴である疑似科学趣味が読み取れる。
1777年10月18日 - 1811年11月21日

ハインリヒ・フォン・クライスト
ジーザスの危機! 生活が苦しく、世間からも認められないクライストは自殺を決意し、
癌を患った人妻ヘンリエッテ・フォーゲルと共に
ポツダム近郊のヴァンゼー湖畔でピストル自殺した。
1778年9月9日〜1842年7月28日

クレメンス・ブレンターノ
政治家は、ブレません! 1803年、グリム兄弟が収集していた童話集の出版を彼らに薦めていたが、
ブレンターノが 預かった草稿を紛失したため、
むしろ『グリム童話』の出版を遅らせた。
1781年1月26日〜1831年1月21日

アヒム・フォン・アルニム
マニアかっ! ブレンターノとともに収集した民謡集『少年の魔法の角笛』(1806年〜1808年)によって
民族の遺産への国民的自覚を促し,グリム兄弟の民話収集に刺激を与えた。

1809年からベルリンに在住。クライストと『ベルリン夕刊紙』を発刊。

1811年に女流作家のベッティーナ・フォン・アルニムと結婚。
彼女の兄が、親友ブレンターノであった。つまりブレンターノが、義兄になったのだ。
1785年1月4日〜1863年9月20日
ヤーコプ・ルートヴィヒ・カール・グリム

1786年2月24日〜1859年12月16日
ヴィルヘルム・カール・グリム
左が弟のヴィルヘルム。右が兄のヤーコプ。 グリム兄弟。
男5人、女1人の6人兄弟であったが、
長兄ヤーコプ(写真、右)と次兄ヴィルヘルム(左)が童話で有名。

また、ゲルマン語の研究者としてもしられ、
比較言語学を生み出した「グリムの法則」でも知られている。
両者とも教師だったが1837年、大学自治を訴え「ゲッティンゲン七教授事件」で失職。
1788年3月10日〜1857年11月26日

ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ
アイン、ツバイ、トライ、フィア! 25歳から27歳(1813年〜1815年)にかけて、
ナポレオン戦争下で軍役につきながら執筆した
長編『予感と現在』を発表し、ルイーゼ夫人と結婚。

『予感と現在』は
ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』と並ぶ教養小説と言われることもあるが、
アイヒェンドルフの作品群はゲーテほど明確に教養小説の要素を含んでいないため、
素朴な幻想小説、ファンタジー小説として扱われることもある。

こうして見ると、フランスが「革命」や「英雄」ナポレオンに浮かれているすぐとなりで、
ドイツではグリム童話に代表されるように民話=童話への回帰と発掘が進められていたようだ。
それは、「ドイツ的なるもの」の「整理」であったのだろう。
ただし、それが単純で牧歌的な存在で完結しなかったのは、またしてもドイツという特権的な土地が準備していた、あらゆる「関係」から だろう。
その矛盾と複雑さに説得力を持たせたのが、ゲーテの詩であり、
それが「ドイツ的なるもの」を精神の上で「統一」したのであれば、ゲーテが国家の役人に就任したのは必然であったのだろう。

ただし、そこからさえも、はみ出してゆくのが、「文学」だ。
ノヴァーリスの『青い花』には、多くの童話と詩が入っている。
確かに、これはノヴァーリスからのゲーテと、ゲーテ的「ドイツ」の統一への異議申し立ての書物であった。

フランスが「革命」で「近代」に大きく乗り出し、
イギリスが「産業革命」で「現代」にはみ出そうとしているさなか、
ドイツはひたすら、自らの内なる暗い森(=「中世」?)を見つめ続けていたのだ。
しかし、凡庸な「自分探し」ではなく、科学の時代の「電気」と「制度」の中で。
マニエリスムスム住む済む。 それについては、
現代の日本で最高の文学頭脳を持っているひとり、高山宏(1947年10月8日〜)が、
かつてニーチェの言葉「感情の饒舌」を用いて、ノヴァーリスを下記のように解説していた。
ポーとノヴァーリスからロマン派に入り、ロマン派がいかに実は「感情の饒舌」から遠く、
寧ろそれをストイックに抑制しようとして心底に葛藤を抱えていた様子ばかりが目につくぼくなどの世 代にとって、
ワーズワースの抒情詩に(誤って)代表させられる人間真情のストレートな吐露、
「滋味掬(きく)すべき」「神 韻縹渺」の世界などというロマン派をめぐる旧套なイメージなど、
徹底して胡散くさいものにしか見えなかった。
ノヴァーリスが数学趣味に耽溺し、ライプニッツに淵 源するところの普遍記号論の継承者であると知れば、
『青い花』のイメージは一変する。

この高山の説を裏付けたのが、1990年に刊行された
シオドア・ジオルコウスキーの『German Romanticism and Its Institutions (ドイツ・ロマン派とその制度)』だ。
高山は、それを引用しつつ、こう書く。
アイヒェンドルフは公務員、ホフマンは法律家、ノ ヴァーリスにしても鉱山学と法学に沈潜したという具合に、
人間心性(サイキー)の奥処に測鉛をおろした人々とばかり喧伝されてきたドイツ・ロマン派は、
一方では残らず社会的な実務家であった。

面白いことにロマン派台頭期に符節を合わせるかのように成立充実を験(けみ)した五つの制度、
鉱山法 律精神病院大学そして博 物館が分析の叩き台として選ばれ、
それらの制度とのかかわりがロマン派「実務」文学 者たちの言説(ディスクール)を形成していくとともに、
(ここが重要だが)彼らの言説がこれらの制度を形成していったという
有機的な相関構造が400ページの大冊で縷々克明に説き明かされてゆく。
翻訳されているのかなぁ〜?

一方、
日本でパラパラ・・・『青い花』を翻訳し、出版された書物は、 以下。

1936年 第一書房日本最古?訳:田 中克己 (たなか・かつみ、1911年8月1日〜1992年1月15日)

これが『青い花』の、最初の邦訳。また、25歳の田中の最初の本でもある。
最初に訳出した雑誌『コ ギト』1934年6〜10月号連載時には、原題に従って、主人公の青年の名前「ハインリッヒ・フォン・オフター ディンゲン」の題で発表したが、
単行本の刊行時に、『青い花』へと改められた。以後、日本では『青い花』の名で訳出されている。

1938 年 有朋堂 独逸文学叢書『「夜の讃歌」と「青い花」』 全2冊(原文・訳文) 訳;齋藤久雄

1939年 岩波文庫 訳;小牧健夫 (こまき・たけお、1882年11月29日〜1960年7月15日)

1947年 蒼樹社 訳;阪本越郎 (さかもと・えつろう、1906年1月21日〜1969年6月10日)

私が今回、手に入れて読んだのは、これの初版本。
田中や斎藤の訳した『青い花』が箱に入っていたり、豪華な装丁であるの比べて、
阪本訳の本は敗戦直後に出版されたからか、紙も造本もけっして良いとは言えないが、文学の生々しい志が染み込んでいるような造本である。
訳者の阪本は、あとがきで、
「さきに出た訳書に目を通すのが、後から訳すものの義務であるとは思ったが、
田中克己氏訳のものは到頭索し出すことができず、
小牧健夫氏訳のものに教えられる所が多かったことを感謝する。」
と、書いていてこの段階では田中訳は手にとってすらいなかったことが分かる。

戦中、戦後の混乱期の中、青春を終えてしまい、戦争で死ぬこともできなかったアラフォー、40歳前後の阪本が、
幻の田中訳『青い花』を探し回っている姿は、
私には夢で見てしまった青い花を探しに旅に出た主人公ハインリッヒの姿と重なるのだ。

しかし、後に、田中と阪本は交流することとなる。

阿佐ヶ谷ブルー・フラワーズ!
1963年7月8日 田中克己『日本の詩歌』の解説を担当した阪本越郎 と、阿佐ヶ谷の田中の自宅にて。
左、阪本、57歳。右、田中、52歳。
阪本のほうが年長なのだが、文学的先輩として田中への尊敬と緊張の感情が阪本の表情に出ている。
田中が大阪高等学校時代から保田與重郎、竹内好らを友人に持ち、三好達治、佐藤春夫、堀辰雄、立原道造、萩原朔太郎らと交流した文壇人で あったように、
阪本の父は福井県知事でワシントンのイーデスと、パリで。永井荷風の叔父、高見順の異母兄なのであり、文学的環境は引けを取らな かったのだが、
やはり、25歳で『青い花』を訳出し、その邦題をも決めた田中は阪本にとっては永遠のカリスマであったのだろう。
この写真から6年後、阪本は63歳で亡くなる。田中はそれからも1992年まで生き延び、80歳で亡くなる。
それぞれが亡くなった1969年と1992年では、文学の情況はまったく異なって見えたことだろう。

1948年 鳳文書林 訳;齋藤久雄

さらに『青い花』は70年代の書斎派をうならせ、21世紀の新訳ブームにも届いている。

1976年 ノヴァーリス全集 第1巻 作品篇(解説;由良君美) 牧神社 訳;斎藤久雄
1983年 ドイツ・ロマン派全集「ノヴァーリス」 国書刊行会 訳;薗田宗人(そのだ・むねと、1933年〜2004年6月8日)
1989年 岩波文庫 訳;青山隆夫
2006年 ちくま文庫「ノヴァーリス作品集2」 訳;今泉文子


・・・しかし、こんなに何度も訳され、出版されているのに、なぜ日本ではいつまでもマイナー文学なんだろう。
まぁ、そこもまた、そそるところ・なのだが。

そしてまた、これらをながめていると、目隠しをしたまま階段で『青い花』が手渡される日本固有の「ドイツ・ロマン派」の精神のリレーを静 かに感じる。

さて、こうして固有名詞をあげつらうことの意味とは、
清岡卓行が小説『フルートとオーボエ』でモーツアルトの2曲をとらえて書いたことを援用すれば、
彼ら同士のいわば中間にあるはずの、
ふしぎな芸術的空間を思い描く文学的快楽を得ることができるから
だと思う。
そして、それはまた、もうひとつの幻想文学、ドイツ・ロマン派なのではないだろうか。

そしてまた、
夢で見た青い花が忘れられずに、遠い旅に出たハインリッヒが、各地で多くの詩や童話に出会ったように、
我々は本を読み続けるのだろう。
夢でなら。



2010年95日 日曜日 ちょうど一年前には、エルミタージュ・デイト用のチラシが予言のように届きました。 8Amの気 温;18.5℃
「(笑)」を使えば、言い易いメール。ならば、残酷な部分を読みたければ、「(笑)」の前を拾えばよい。
→100日雛で1050円かな。あとは日割りで一日単位で値段が上がっていく。2010年くいしんぼうが、いっぱい。←9月5日(日)お買いもの♪
Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!

古本共和国Bookという旅行。BOOK BIG BOX闘い。


時 間泥棒としての書物。
時間共犯としての古本屋。