| Politics 政治 ・・・共犯の現場
自
民党の終わり方。
(更新日;2007年6月27日 0:33Am)
Constitution of Japan★『日本国憲法』という前衛 (更新日; 2007年6月27日 0:33Am) ミャンマー軍政 を、考える。 ★ビ ルマ VS ミャンマー text by 久保AB-ST元宏 (2007年8月23日 2:33Pm) |
![]() ▲2011年3月21日、沼田町の幌新 温泉ほたる館で、カツレツを喰う♪ |
二元代表制の彼岸 Orangeカツレツ と オレンジ
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統一地方選挙の年、だそーだ。 私の住む北海道の沼田町でも、 無風のまま現 職の町長が4選されるかと思っていたら、 告示の約1ヶ月前、つまり、ほぼ突然に 役場の議会事務局長が立候補し、 どーやら選挙になりそう。 立候補する者にとっては無風のまま選挙が無いのが楽だろーけど、 とーぜん、有権者にとって「無風」って、 最大の権利のひとつである投票の権利が剥奪されるってコトだから、 選挙があるほーが健康的で は、ある。 しかも今回の新人候補の出馬のタイミングは、 明らかに現職が立候補を取り下げることができない ギリギリのタイミングまで出馬の表明を引っ張っての立候補っぽくて、 明らかに、 「町長になる」 ことよりも、 「町長選挙を経て」+「町長になる」、とゆーメッセージ性が読み取れる。 繰り返すが、 「立候補する者にとっては無風のまま選挙が無いのが楽」なのだから、 「町長選挙を経て」を大前提に置くのは、 たぶん、 立候補者よりも、そのブレーンたちの考え、なのだろう。 |
![]() ▲カツレツを喰ったあとは、自宅でオレ ンジを取り出す。 |
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![]() ▲オレンジの皮は、外側からしかむけな い。 |
では、 「選挙があるほーが健康的」なのならば、 その新人候補のブレーンの考えは「健康的」、なのか? 私はもちろん大枠では「健康的」だと考えるが、 「選挙」後の「しこり」を 体験している者には、 まったく同じものが「不健康」に見えるのだ。 実際、20数年前、ここ沼田町でも 町を二分する激しい町長選挙が行われ、 当然のように、みにくい「しこり」が 残ったようだ。 そいつは、どー考えても健康的よか、不健康な感じ、だ。 で、それは私の親の世代の激しい選挙の記憶であり、 その次に町長が交代する時には、 まるでおみごとな手品のよーに、選挙が無く無風だった。 とーぜん、無風には「しこり」は残らず、 多くの町民は「しこり」のトラウマから解放されたわけだった。 しかし、まてよ。 「しこり」のトラウマを生理的に町民が拒否するときに、 町民は同時に自らの権利である選挙権を放棄しているのだ。 歴史的に見ればこの構図は、 権力から町民に与えられた権利を、 権力が町民からむりやり剥奪することなく、 町民自らが放棄していることとなる。 つまり、「選挙」とゆーシステムそのものに、 権利を放棄する時限爆弾が仕掛けられている、ってことだ。 |
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政治の空白は、
田舎だけではなく世界中の国家の政府がそうだ。 その原因のひとつが、選挙の消耗と ゆーシステムにある。 政治家は、初級の政治家になる前に、 優秀な選挙屋に ならねばならない。 それが「小沢一郎」以前の政治家の典型だったのかもしれないし、 これからも続く政治≒選挙の内包するシステムなのかもしれない。 その消耗やトラウマを餌に肥えるギラギラした肉食人種も、 かつてはこの国にたくさんいたが、 今はむしろそれから目をそむける草食人種(?)が多い。 利口な人間は、わざわざその悪しきシステムに、はまろうとしないのだ。 この沼田町でもそうだ。 農家には、農協の理事や、農業委員、農 民協、土地改良区の 役員などの名誉ある役付けがあり、そこに付きさえすれば わざわざ消耗とトラウマのリスクのある選挙が付きまとう 町議会議員になどなろうとはしない。 それはかつてよりも議員のステイタスが下がったからかもしれない。 そもそも農業人口が大減少し、議員以外の役に付く者さえ減っている。 だから、日本中の多くの地方議員は成り手が減少し、 量の減少は質の減少を誘発し、 県民&市民&町民の目からの地方議会のテーマは、 議員「数」と「報酬(=給料)」の削減に 向かれている。 しかし、それは私に言わせれば、議会の自殺行為だ。 そもそも議会とは直接民主主義が 不可能であった時代の 代替措置としての間接民主主義であったのに過ぎない。 ITインフラが普及した現在、むしろ議員は減らすべきではな く、 増やすべきだ。 少なくとも人口の100分の1は必要だ。 4千人の町なら、議員は40人。3千人の町なら、30人。 議員が増えた分、給料は減らしてもいいし、国会の大臣のように 各議員を役場(=市役所)の課長クラスにポジションさせる方法で より職員と共に仕事ができるようにするのも、いいかも。 |
![]() ▲オレンジのインクで秘密の手紙をした ため、いつか炎で、あぶり出し。 |
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![]() ▲オレンジの血管は、白い。 |
つまりは、選挙は、選挙である前に政治で
なければならない。 選挙屋である前に、政治家でなければならない。 では私は? ・・・私の「政治」活動(と、言えるかな?)は、 むしろ「思想」活動かもしれないな。
私の親の世代が選挙で「しこり」を作ってしまったために、長い間、 政治家をめざす者が減り、政治の空白を作ってしまったのならば、 私の世代は、「しこり」の無い選挙を行うのが、 次の世代への責任だ。 そのためには、町長の権限 を相対的に減少するべきだ。 なぜならば、町長の権限が圧倒的に大きいために、 町長のポジションを得ることが全てを得ることにつながる、 とゆー幻想を産み、その幻想が「しこり」のトラウマを準備するからだ。 なにしろ、「議員の仕事は町 長から補助金をより多くもらうこと。」と、 まことしやかに言われている市町村があまりにも多いのだから。 沼田町ではなく一般論として言うが、日本の地方政治は、 議会と首長(=町長、市長、知事など。)をそれぞれ直接公選し、 議会に議決機関、 首長に執行機関の役割があたえられている。 これを「二元代表制」と呼ぶのだが、これが機能し
ていないのだ。
実際には、執行のチェックをする議会の召集権は首長にあるのだ。その延長で、立法活動が首長に集中し、議会はオール与党化し、 質問の事前通告と答弁のすり合わせで審議が形 骸化し、 ついに議員は首長にばかりすり寄り、町民へ報告も意見集約もしない。 これらを改善し、町長の権限が減れば、 町長選挙の勝敗が、あたかも「オール・オア・ナッシング」のような 幻想を打破できるのではないだろうか。 激しい選挙ができる町ならば、 議会においても激しい議論ができるはずだ。 もちろん、「激しい選挙」も「激しい議論」も、 町民にとって生産的なものであって、「激しい悪口」では無い。 |
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町長の権限を相対的に低くするために、 議会の権力を相対的に高めればいいのだ・として、 では、どーすればいいのか? さて、ここからが私の出番(笑)。 議会が民意を反映する具体的な政策を立案し、実行までするのだ。 そりゃ、とーぜん・かもしれない。 しかし、それがなかなかされてこなかった。その原因もまた、選挙なのだ。 選挙は、近い考えの議員ほど、近い考えの有権者からの票を奪い合う。 つまり、選挙が議員同士の結束を弱めるの だ。 ここにも、選挙がはらんでいる消耗とトラウマの元凶がある。 この選挙による議員の消耗で得を するのは、 二元代表制により選ばれるもう一方の首長か、 議員に使われる(?)役場の職員か?「得」という言葉が強いとしても、 議員定数を減らそうとする動きには有利なはずだ。 ひとまず、それは仕方が無いこととしておこう。 (しかし、私はいつかはこのシステムも変えてやるつもりだ。)
ならば、選挙後に議員が結束することで、まずは数で体力をつけよう。それを、既成の用語では「会派」と呼ぶ。 が、田舎政治の「会派」とは中央の政党の下部組織にしかすぎない。 つまりは、国政選挙のための準備クラブ活動であり、 ここにも選挙の消耗とトラウマの影が仕組まれている。 私が言う「会派」とは、それらから自由であり、政党よりも町民のものだ。 そのためには大きなテーマや、抽象的な教条主義はまず避ける。 であるから、国政選挙につながる党議拘束など、もってのほかだ。 で、私が発案したのが、「ワンテーマ会派」だ。 政治思想が100%合わなくてもかまわない。 このテーマだけで、集まり、実現すれば、名残惜しむことなく会派は解散。 それでいーじゃん。 また次のテーマを実現するために会派を作ればいいんだから。 これで町長選挙だけが「しこり」の原因にならぬよう、 町政の権力を分散できる、かも(笑)。 そして言うまでもないことだが、これは町長にとってもプラスになる。 |
![]() ▲ゴッド・セイヴ・ザ・ クィーーーーーーーーーン! |
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![]() ▲そして、オレンジ型の空白が生まれ る。 |
カツレツにも、オレンジにも皮があるけれど、
カツレツの皮は、中の肉とは違う素材である小麦粉やタマゴから作られ、 オレンジの皮は、オレンジの一部だ。 カツレツの皮は、中の肉が食べられるように、美味しく作られ、 オレンジの皮は、中身を食べられないように守るため、にがい。 カツレツの皮は、カツレツとともに食べられ、 オレンジの皮は、食べ残される。 むかれたオレンジの皮は、 失われたオレンジの中身をいつまでも想うかのように、 オレンジ型の空白をそのまま私に見せる。 喰われたカツレツの皮は、 私の肉の中で、カツレツの中の肉と一緒に ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃに ひとつになっていることでしょう。 残されたオレンジの皮の孤独を、オレンジは知らない。 でも、 カツレツの皮の幸福を、中の肉が感じているとも限らない。 |