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久保兄だよ。

アートなオヤジの、文科系★不良日記!


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2004,10,28『共犯新聞』★カウンター、30000!
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若林博士ログ日記2004★ 『第18回 ビール・パーティの白波四人男(がくっ)』 2004,7,31
■今日は、朝から恒例の「沼田町商工会青年部ビール・パーティ」の準備。
連日の暑さもなんの&その、炎天下のアスファルトの上に汗だくで会場造りをし、同時に食材の仕込みもした。

■若林博士は久保から3,000円でビール・パーティ券を買わされたのに、何故か客席でビールを飲まず、ずーっと青年部に混じってオデコに汗して炭を燃やす作業。・・・なんで?

■今年から参加の幌新温泉ほたる館は、クレープを350円で売って適度な売上げ(笑)!
沼田町民をあげてのビール・パーティに、町営温泉も協力できて、町民も大喜び(と、日記には書いておこう。)。
畠山支配人の悪人顔も、笑顔でギョロ目がこぼれそー。

■そこへ、札幌から愛妻の美人画伯をお供に、稚内の美術パーティに向かう途中の竜馬社長が無登録改造車で登場!

■ギョロ目は、オデコが目立たなくなるほど目を飛び出して、「なんじゃー!?この改造車は!?」とタイヤを見ただけで、ハイテンション・ブギ。彼は某ムッシュ・ゴーン合法車の本社設計スタッフであったので、へんな(?)車を見抜くのはチョロQなのだ。
止まらないギョロ目トークに、竜馬社長はさりげなく自慢の押し売りで、改造車のボンネットをボーンとオープン。
「ぐぐうううぉおおお〜!」とギョロ目支配人は樺戸郡にまでとどろく叫びをあげた。
そこには、大蛇の如くトグロを巻く改造のエッセンスが重層的に震えていた・・・。

■思わず、(←っーか、なんでよ?)四人は、懐かしの1970年代暴走族立ちで写真をパチリ。
んで、左から口上。

★日本駄洒落門
 問われて名乗るもおこがましいが、産まれは福島県、十八の年から親に放れ、身の生業も白浪の沖を越えたる横浜働き、タバコ用アルミ箔を製造はすれど喫煙はせず、人に情を横浜から沼田をかけてログハウスで、ワインと噂高札に廻る配附の盥越し、危ねえその身の境界も最早六十に、人間の定めはわずか五十年(←とっくに過ぎてる・笑)、六十余州に隠れのねえ賊徒の首領日本駄洒落門。

★赤星露天風呂
 さてその次は以前はカルロス・ゴーンの中小姓、故主のために切り取りも、鈍き刃の腰越や酔う度にシャベリ過ぎ身の錆を磨ぎなおしても抜き兼ねる、自慢話の深翠り、蛍の都ほたる館、デタラメ仕事の絵手紙から、今牛若と名も高く、忍ぶ姿も人の目にソバ打ち職人、今日ぞ辞表の明け方に消ゆる間近き星月夜、その名も赤星露天風呂。

★弁天小僧がくっ之助
 またその次に列なるは、沼田町の米問屋の児あがり、ふだん着慣れし作業服から髷も長髪にパンク・ヘアー、打ち込む映画館にしっぽりと女に化けた美人局、油断のならぬ空夢もギャラリーに身の破れかぶれ、悪い浮名もススキノ交番の牢へも二度三度、だんだん増える借金数、新宿ロフトの共犯ギグにてパンク・ロッカーと肩書も、ネットにハマってその名さえ、弁天小僧がくっ之助。

★何号?竜馬
 どんじりに控えしは、潮風荒き1960年代のモロトフ・カクテルの松明の曲りなり、人となったる九州そだち、雁の道も谷川の夜船へ乗り込む美術盗人、波にきらめく稲妻の怪獣ブースカに脅す人殺し、背負って立たれぬ罪科は、その身に重きタイル石、悪事千里というからはどうで終いはホテル住まいと覚悟は予てEメール、しかし哀れは身に知らぬ念仏嫌えなこの絵は何号?竜馬。
オデコに汗して


若林博士ログ日記2004★ 『第17回 ぶどう液(笑)のボトル詰め準備!』 2004,7,26
■昨夜、札幌ススキノの行きつけのビストロ「ル・プラ」から、久保がワインの空き瓶をもらってきた。
それを本日、若林博士のログハウス地下室に届けた。

■ほらっ、例の「手造りブドウ液」の瓶詰め用です。
空いたボトルは、ほとんどがフランス・ボルドーの有名シャトーのもの。
入れるブドウ液は・・・(がくっ)。
例年は6月に瓶に詰めるのですが、今年はログハウスの建設を優先(?)していてまだです。
あと、フタに使うコルクを仕入れて準備はオッケー。
8月には瓶詰めをしなきゃ、9月にはもう新ブドウの収穫ですよ〜!
オデコに汗して


展覧会『木嶋 良治 展』 2004,7,25
『木嶋 良治 展』
札幌 ギャラリーどらーる

▲私は木嶋の絵を見ると怖くなる。
反射神経のように発露される感情の「怖さ」の理由を後追いで説明できないものだろうか。例えて言うならば、高層ビルの非常階段の冷たく暗い踊り場に一人で立ち尽くしている感覚であろうか。
 それは木嶋の絵が過激なまでに空間を描こうとしている姿勢から私が得る愚かな疎外感なのかもしれない。これほど広大な世界を描いた絵を見て、なぜ密室的な疎外感を私は感じてしまうのだろうか?陳腐な言い方で恐縮だが、結局は誰もが宇宙の孤児なのではないのか、と感じてしまうからだ。世の中には空だけとか、海だけを描いた絵も多いが彼はそこに建築物を巧みな構図で配置することによって、孤独すら感じさせてしまう永遠の広がりを表現しえた。
 彼の典型的な作品の「凍る海」(100号、2003年)には大きな画面を上下に区切る線のように、横一文字に建築物のゴツゴツしたマチエールが横に伸び、その上下にマチエールを殺したフラットな空と海(または雪か氷)が中央のバニシング・ポイントを挟んで、二種類の「青」となって天地に広がってゆく。単純化した構図ではあるが、良く見ると中央の建築物に細い筆で描かれた細い電柱がリズミカルに並んでおり、具象のリアリズムを支えている。そういった工夫がいたるところに点在しており、画家の辿り着いた過激な空間主義が一朝一夕ではないことを教えてくれる。このマチエール主義と反マチエール主義の奇妙な同居が極端な構図を採用することにより、針の上のダンスのような美しいバランスを獲得しているのだ。
 建築物に象徴されるゴツゴツした肌触りへの作家の興味が爆発しているのが、「水」(60号)だ。
 彼の典型的な作品が画面の上下に天地が分かれているのに対して、ここでは画面上部に荒い肌触りの建築物が画面からはみ出しながらそびえ立ち、半分下が水に建築物の黒い映像を映し出している。ここで見れるのは「凍る海」のような作品の天と地の間にある分水嶺のような建築物の部分の拡大図のようでもある。なんだかいつも気になる幽かな線のような建築物の秘密を拡大してのぞき見るようでもある。
 ここで私が気になるのは、この作品のタイトルはなぜ「海」や「川」や「運河」ではなく「水」なのか?という点である。ここに作家の物語性を拒否する即物性(=唯物性?)を私は感じる。近年ブームであった廃墟への興味にも似た建物そのものへの偏愛を感じるのだ。ただし木嶋と廃墟ブームの決定的な違いは木嶋が物語性と情緒を拒否している点だ。まるで、それらが芸術とは無縁であると宣言しているかのように、木嶋の絵には常に過剰な物語性の代わりに過剰な空間があり、過剰な情緒の代わりに過剰な建築物の
肌触りがある。
 そのポイントが徹底した構図へのこだわりなのであろう。「夏・教会」(6号)の画面の右端に、薄く部分が屹立している教会を見つける時、もうすでに我々は木嶋の嗜好の奴隷になっている。この薄い教会の必然性が絵を見る快楽と共に我々に迫ってくる。そしてそこに細い十字架を見つけた時には、構図の絶対性を確信してしまうのだ。もしかすると、それは自分の感覚を木嶋に先回りされたショックの裏返しなのかもしれない。
 それが私がこの駄文の冒頭に吐露した「怖」のイメージである。人間は本当に新鮮なものに出会った時に自己の持つ価値基準を入れ替えなければならないので、「怖い」と感じるのであろう。ただそれを「新鮮」と凡庸に言いたくはないし、「畏怖」と呼ぶには希望に溢れているし、ましてや「恐怖」などではない。
 誰もがエレベーターを使う高層ビルにでも、ひっそりとした寡黙な腸のように非常階段が準備されている。エレベーターと平行して存在している非常階段の踊り場は何階でもなくただ永遠のように上階があり下階が続いている。
 踊り場の侵入者が「怖い」と感じるのは空間という無限の存在を自覚したからだ。


若林博士ログ日記2004★ 『第16回 ボランティア、カミキリムシ、火事!』 2004,7,24
■朝、Eメールをチェックすると、下記のメールが久保に届いていた。


>To:
>Subject: 大変ご無沙汰してます。
>Date: Fri, 23 Jul 2004 16:37:21 +0900
>
>こんにちは。
>名古屋で相も変わらず陶芸を続けている寺沢です。
>殺人的に暑い日々が続いてますが(こちらでは・・。)、いかがお過ごしですか?
>あんどん祭りの準備も佳境に入って、大変なのでしょうね!・・あらゆる意味で・・
>・。(^m^)
>
>7月の始めに若林さんから「ケータイが変わったよー」とр頂きました。
>その際、メアドが分かればログハウスの画像が送れるから久保さんのHPに書き込ん
>でみて、と言われていたのに、ハッと気付けば時間は流れーー
>今月末〆切の公募展があるのですが、ちっとも進まないよ〜〜っ!!と、泣きながら突
>貫工事中です。(←言い訳。)
>
>そんな事を言いつつ、今日はソワソワして落ち着かないのでこのメールを打っている
>訳ですが・・・。
>
>明日の今頃は、横浜競技場でドキドキしているはず。
>そうです、”THE WHO”を観に行くのです!!!
>
>しかし、夏フェスで初来日なんて、分かるけど信じられないですよ。
>そして、トリはエアロって、どういうこと?!
>失礼すぎるっ!!と怒っていたら、バイト先の若い子が「フーってそんな凄いンすか
>?」。
>・・・・・。
>若い聴衆が多い中、トリでガラガラの状況になったら、もっと失礼か・・・。
>
>ああ、なんか変なテンションで書いてるのでおかしな文章ですね、すみません。
>
>さっさとメアドを記して作業に戻る事にしましょう。
>お手数をいお掛けして申し訳ありませんが、若林さんにお知らせ願えますか。
>
>
>パソメールが変わりました。
>(ご存知とは思いますが)超機械オンチな為、パソコンで個人のアカウントを取るの
>も一苦労。
>色々なアクシデントの山を越え谷を越え(殆どが休息。-З)、何とかこちらでのコ
>ミュニケーション可能となりました。
>よろしくです♪
>
>ケータイの方は、まだ化石の様な機種を使っておりますので、若林さんからの画像は
>・・・。(涙)
>
>では、そろそろ失礼致します。
>皆様にもよろしくお伝えください!
>(もう覚えていないかもしれませんが・・。)


■そんなワケで、このメールをプリント・アウトして若林博士のログ・ハウスに届けた。
添付した写真が、それ。
が、博士は留守。
今日は地元の老人ホーム「和風園」の祭りで、そば打ち同好会もボランティアで参加することになったのだ。
だいたい、博士も老人ホームに入居できる権利がある年齢なのにネ(←失礼!)。
博士は、そば打ち同好会には今年の5月に入ったばかりだが、先日の「ほたる祭り」で大活躍するなど、もうすでに重要なメンバーになっていたのだ。
なんでも、今日は同時に深川の大学のイヴェントにも同好会は参加することとなっていて、会のメンバーを二つに分けての忙しい1日なのだ。
この日は最高気温が31度を記録し、今年最高の暑さになった。
陶芸家の住む名古屋は40度なんだけどね(笑)。
まぁ、博士はそんな暑い一日を、同級生のような(?)老人達へのボランティアで朝の9時から夜8時まで過ごしたワケ。

■で、プリントはドアに挟めて久保は帰宅。

■その夜、夜高あんどん製作をし終えて自宅でビールを飲んでいると、午後10時に電話。
「あー、久保くん。畠山だけど。起きていた?」
「おう、何?」
「ほら、前に言っていたカミキリムシ、捕まえたから今から持っていくよ〜。」
「おおお!」


■以下、「DORAL 坂本 公雄 」さんに送った私のメールのレスを参照のこと(笑)。




DORAL 坂本 公雄 さま
久保元宏でございます。

>あのカミキリは「ヒゲナガカミキリ♂」だそうです。

■なるほど!

>夜行性のカミキリで外灯などにも来るカミキリです。
>
>採取方法(街灯とか網戸とか玄関とか)、採取地の詳しい住所を教えて下さい。
>
>大字とか字がつけば、それも入れてください。

■採取方法・・・・。
実は、これは下記のページにも登場する、
幌新温泉ほたる館の、畠山裕二支配人(42歳)が仕事中、肩にとまったそうです。

http://diary.cgiboy.com/1962/index.cgi?y=2004&m=7#19

フツーの人間であれば、「どぎゃぁあー!」と驚くのですが、
彼は冷静に
「ふん、ふん。あー、カミキリムシ。あ、カミキリムシね。久保クンが捜していたやつだ。」
と、手でつかまえて、
今回届けた箱に入れたそうです。
で、すぐに我が家に来て、届けてくれました。
それが24日(土曜日)午後10時。
それから我が書斎で二人で酒盛り(笑)。
その30分後に、火事(ぎゃふん)。
「あー、オレ、ちょっと火消しに行ってくるわ〜。」
で、修羅場。
農家の大きな納屋が全焼でした。
入り口のシャッターを消防職員が電動ノコギリで切って、私と、私の同級生のデブ(42歳)とで、ホースを持って火の中に入っていきました。
大きい建物とは言え、木造ですので、あちら&こちらに火の手が。
別の同級生のヤーボ(42歳)に、「ヤーボ、屋根が落ちてこないか見ていてくれ!」と叫んで、火の中に入っていきました。
水圧の高いホースは、かなりの力で持たなければなりません。
ようやく42歳コンビで持っている状態です。
外から、屋根に水をかけていて、それが天井の火を通って雨のように私たちに降ってきます。
それが火を通っているので、熱湯になっているのです。ヘルメットをかぶっていなければ、ヤケドをしていたかもしれません。
納屋の中は黒い煙で充満しています。この煙を大量に吸うと、一酸化炭素中毒になってしまいます。しかし、黒い煙の向こうに赤い火が見え、そこに向かって放水しなければなりません。
ふと気が付くと、火の元は乾燥機のようでした。時期柄、収穫したばかりの小麦を夜通し乾燥していたのです。そこからの出火のようでした。
私たちは乾燥機に向けて放水しましたが火はおさまりません。
ふと気がつき、外に出てみると、乾燥機に接続されている灯油タンクのバルブが開きっぱなしでした。そこから太いパイプで納屋に灯油が入って行っているのですが、火事で破壊された乾燥機の灯油入り口も溶けていて、納屋の中には灯油がドンドンと垂れ流される一方だったのです!
それも原因で火は大きくなる一方でした(がくっ)。
で、まずはその灯油タンクのバルブを閉めて、まわりにいる消防団員にトビと呼ばれる長い棒の先に鉄のツメが付いた道具で壁をめくってもらいました。
めくれた壁の向こうには火が狂ったようにとぐろを巻いていました。
そこへ、放水!です。
全てが終ると私の全身は水浸し。帰宅するとクツはもう使えなくなっていました。
足のクルブシから下は灯油臭くなっていました。かなりの灯油が納屋の床にたまっていたのです。それに引火していたら・・・。私とデブは火ダルマでした。
まぁ、ようやく私の「暑い」一日は終りました。


ところで、カミキリムシの採取場所は、
樺戸郡・・・ではなくて、
北海道雨竜郡沼田町字幌新377
幌新温泉ほたる館
でんわ;0164-35-1188
です。

ちなみに、畠山さんからは今朝も電話があり、
「今度は小さいけど、背中が瑠璃色のきれいなカミキリムシを生け捕りしたよー。持っていく?」
と言われました。
彼は、ホテルの朝礼で
「あー、諸君、カミキリムシを見つけたら、私に提出すること。」
と、部下に指示したそうです。本当の話。

そんなことです。

あ、昨日、例の95歳保障の奥様のキッチンの釣り戸棚を全部はずしました。
今週末に天井を新しくする予定です。

では!
博士、お手紙ですよ〜ん♪


若林博士ログ日記2004★ 『第15回 床がだんだん、できてゆく!』 2004,7,23
■若林博士のログハウスは、実質3階建てなんだけど、1階の床はコンクリートの打ちっぱなし。んで、2〜3階の床はログハウスの壁と同じ木材で、フローリング。
これが、単純作業のようで、けっこー頭も使うし、木と木を組み合わせる時には木ヅチで強く打ち込む必要があり、腕も超★疲れる〜。

■そんなワケで、前回のカニ・パーティも、床無しの状態で、ベニヤ板を建設中の梁に乗せて行ったのでした(笑)。

■そんなこともしておられず、とにかく3階部分は写真のようにキレイに床ができてきました。
おお、キレイですなぁ。木って、やっぱいいっすね、博士。と、まったく手伝わない私はニコニコ笑うのであった(がくっ)。

「そーそー、今朝、7時ごろだったかなぁー。自転車に乗った40歳ぐらいのオジサンが、ここのログハウスをじーっと見ているんだよ。
きいたら、高規格道路の建設に札幌から単身赴任で来ている開発局の役人みたいでさー。
”お一人で作っているんですか?”ときいてきたから、どーぞどーぞって、中に入れて見てもらったんだよ。」
もう、ほとんど観光地のような博士のログハウス建設現場であ〜る。


若林博士ログ日記2004★ 『第14回 玄関に明かりがともる!』 2004,7,22
■こつこつと、お一人でログハウスを建設中の博士だが、今日、玄関に明かりがともった。
色々と物色した結果、写真のようなアンティック調の照明を玄関につけてみた。
写真は、ログハウス最上階のベランダのもの。
玄関にも同じようなスタイルの照明をつけた。
夜になると薄明かりがともり、玄関に人が近づくと、センサーに反応して照明が明るくなるという仕組みだ。
ただ、壁を全て作ったので、センサーの穴を開ける場所が無く、これから、ちょいと工夫が必要だ。

■さて、夜のなると幌新温泉でひと風呂浴びて、8月下旬のお祭り「夜高あんどん祭り」の、あんどん製作に向かう。
普通は、沼田町商工会青年部の若者(&家庭に場所の無いオヤジども・笑)のみが集まるのだが、祭り好きの博士は週に数回は製作作業に加わる。

■作業が終わり帰宅すると、ログハウスの玄関のセンサーが博士を確認して、アンティックの照明が明るく迎えてくれた。


若林博士ログ日記2004★ 『第13回 ほたる祭りで、そば三昧!』 2004,7,19
■17日の午前中の料理教室で講師の中国人をビックリさせた若林博士は、その日の午後からは沼田町「幌新温泉ほたる館」で、そば屋に変身していた!

■それと言うのも、趣味が多すぎる(!)博士は春から「沼田町そば打ち同好会・沼田そばうたん会」の会員になっていたのであ〜る。
蛍が飛び交うことで有名な「幌新温泉ほたる館」には、なんと2〜3千匹の蛍が飛び交い、夜道を散歩する美しい姿を見ることが出来ます。時には散歩する人の衣服に蛍が付いたりして、まぁ、なんて幻想的なんでしょー!
なわけで、17日〜19日に同館では恒例の「ほたる祭り2004」が開催され、3日間で約1万人の観光客が訪れたそーである。
その「祭り」の出店として、博士の加わる沼田町そば打ち同好会が参加していたのであーる。

■土曜日、日曜日とソバは大人気で、ついには日曜日は祭りの最中に売り切れ!
終盤は、客に番号札を持ってもらい、その場でソバを手打ちするという「泥縄」式(笑)の自転車操業(?)であったが、客はそのソバ打ちに関心を持ち、思わぬパフォーマンス披露となったわけ。

■祭りの最終日の今日は、そばも売り切れ、メンバーも仕事で集まれないので、シロウトそば屋は休業(笑)。
博士は久保に誘われて、今夜は「客」として祭りに参加。

■まずは、温泉だから、風呂。
いやぁー、連休の最終日、風呂はイモを洗う(?)賑わい。
私はタオルを忘れて、イモを出しながら(←失礼!)露天風呂へ。

■風呂上りに、温泉の管内にある食堂に行くと、そこでホテルの支配人である畠山裕二@巨人が、いなせな衣装に身を包み、そば打ちをしていた!
ソバを喰い飽きていない(?)我々は、ざるソバを注文。450円。
いやぁー、なかなかイケているぜ、畠山支配人!

■支配人と私は生れも育ちも違うが、偶然に同級生であり、なぜか気が合うので飲み友達なんだが、彼のアイディアと行動力には学ぶところが多い。
そば打ちのガラスの横に、絵手紙がかざってあった。
「これ、これ。久保くん、俺が描いたんだよー。」
「ふーん。」
「1枚100円だからね!」
「ゲッ!」
・・・しかし、この祭りの3日間で45枚売れたそうだ・・・。ゲッ。

■そばを食べてから、外に夕涼み。
温泉でほてった体が、外の風に当たると心地よい。
博士は、生ビールを「ゴクリ。」とやり、運転手の私はガマン。
「あ、昨日まで私たちがそば屋をやっていた場所が休憩所になっている。」と、博士。
なるほど。

■まだ夕方の5時30分。蛍が飛び交う時間まで2〜3時間はある。
水辺で、チル・アウトしていると、さきほどの畠山支配人が来た。
「どう?さっきのソバ?」
「いい感じだね。マスコミがほおって置かないんじゃあないの?」
「昨日もさー、読売新聞が取材にきてさー。」
「ほう。」
「蛍の写真を撮りたいっーんだけど、あれ、難しいんだぜ。」
「へぇー。」
「だから、俺が撮影した写真を使えって言ったんだけどさ、やつもプロだからプライドがあって今朝の朝刊をみたら、やっぱ、俺よりヘタクソな写真が1面に使われていたよ(笑)。」
・・・相変わらずの、自慢話である(笑)。

■で、彼のやや広くなってきたオデコを見ると、20個ばかりの蚊に刺されたあと!
わはは。
かなり、写真にねばったよーだなぁ(笑)。
そー言えば、おいおい、私も数箇所、蚊にさされたぞ、いつの間にか!
蛍を保護するために、殺虫剤がまけないので蚊も蛍に負けないぐらいいるのだ!
かゆぃ〜っ!

で、ややオデコの広い博士が生ビールを飲み終えたら、一緒に帰宅したのでした。
蛍も見ないで(がくっ)。
やや広くなってきたオデコを見ると、20個ばかりの蚊に刺されたあと!・・・後ろでは、ギョロメ支配人がっ!


映画『花とアリス』 2004,7,18
 最近、「祈り」について考えている。
 それと言うのも、私の大事な人が突然の難病で入院したからだ。病気に年齢は関係ないかもしれないが、私より若い人が一瞬にして生死を脅かされる病気になる理不尽さに驚くばかりである。こんな時、普通であれば「祈る」のだろうが、祈らないで「祈り」について考えるところが私らしいのかもしれない。
 こうして書いていても「友だち」と言い切らず、「大事な人」と書いてしまう歪みにも自分らしさが出てしまい、また居心地が悪いような気分になってしまう。それでも、技術も無いままに言葉を選びながら愚かな文章を連ねることで何かが楽になるような気もする。それを、「救われる」と呼んでいいのだろうか。それは「祈り」なのだろうか。

 そもそも人はなぜ「祈る」のだろうか。「祈る」のは最終手段なのだろうか。それとも、最初にしなければならないことなのだろうか。

 日曜日だ。3日前に大きな手術を終えた「私の大事な人」の様子を見に札幌の大きな病院に行く。
 そこは、ポスト・モダン建築の外観と、やや狭いシティ・ホテルのような内装を持った病院で、来訪者に先回りの「安心」を準備しているかのようだ。普段なら、先回りの「安心」の押し売りに高度資本主義の臭いを嗅ぎ取り、なにやら鼻白む私だが、何故か今日はその安っぽい魔法にだまされたい気分である。これは「祈り」なのだろうか。

 先回りの「安心」を最近は、「マニュアル」と呼んでいるようだ。昔はそれを、「神」と呼んでいたのだろう。
 太陽に手を合わせる古代人を笑い飛ばせない普遍性が、「祈り」にはあるのかもしれない。

 今朝から報道は、北朝鮮へ亡命した元米軍兵のジェンキンス氏がインドネシアから日本に向かっての飛行機に乗り込んだとのニュースを繰り返している。
 ベトナム、北朝鮮。20世紀の「祈り」が飛行機に乗って、この国に向かっているかのようだ。
 最初に権力によって準備された中国という交渉の舞台をジェンキンス夫人である曽我さんが拒否した時、それまで最も寡黙な北朝鮮拉致帰国者であった彼女の強さに驚かされた人は多かったと思う。さらに再会での接吻シーンは翌日の参議院選挙の投票動向にまで影響があったと見る者もいるほどだ。
 そんな中で再会の場所として選ばれたインドネシアは、最もニュートラルな場所かと言うと、これもかなり怪しい。ジェンキンス一家が表敬訪問したメガワティ大統領はふくよかなオバサンで、いかにも平和そうに見えるが、7月5日の大統領選挙で新党の民主党を率いるユドヨノ前政治・治安担当調整相に1位をとられ、2位にあまんじたのである。決着は9月の決選投票に持ち越されたが、これが流動的な国内情勢の瑣末な表象でしかないほどインドネシア国民もまた北朝鮮や日本の国民と同様に不安をかかえている。

 そう言えば、選挙にも「祈り」は付き物だ。汚れちまった「祈り」は、犬も喰わないだろう。
 米兵が原爆碑に捧げた供物をテレビ・カメラの前で踏みにじった被爆者の映像が忘れられない。「祈り」は「祈り」を踏み潰すことすらできる。
 ジハードなんて、「祈り」と「祈り」の戦いではないか。「祈り」は愛するものを救い、愛さないものを殺す、のか。
 ブッシュ米大統領とビン・ラディンが、それぞれの手に持った千羽鶴を振り回しながら戦っている滑稽な姿が私の脳裏に浮かぶ。

 そんな20世紀の「祈り」が飛行機に乗って、この国に向かっている最中に私の乗用車は札幌の病院に着いた。
 「私の大事な人」は、大きな手術であったことの証明のように6人部屋から病院最上階の個室に移されていた。病室には彼の美しい妻が寄り添っていた。美しさは悲しさを深める役割を持つのだと私は瞬時に学んだ。しかし、病室の空気は明るく、絶望感よりも希望が室内を支配しているのは病人である本人の逞しいユーモアが存在しているからかもしれない。
 会話のできない彼は笑顔で私を迎え、私もいつの間にか彼への質問は「YES」か「NO」で答えることができるものだけをするようになっていて、首を縦と横に振る彼の前で普通に会話が連続してできるのである。重病人である彼が疲れることを考慮する手間を省けば、私にとっては今までどおりの彼と過ごす時間である。
 確かに、手術をすればほぼ全快になると信じていた彼にとっては、あまりにも僅かな進展しか今回の大手術はもたらしてはくれなかったかもしれない。普通の人であれば、大きく落ち込むところだろう。ましてや彼は大きな仕事を複数抱えており、仕事の現場からの彼の消滅は代替のきかない大きな混乱を今も続けていることだろう。実際、今回の突然の発病後に彼が最も激しく泣いたのは彼の上司の前であったそうだ。それは彼の仕事への情熱とプライド、会社の内部と顧客との信頼への涙であったと私は思う。
 私が自分が不運であると感じた「仕事の失敗」や「軽い交通事故」なども、今回の彼の不意の難病の前では不運どころか、ただただ自責に気づかされるだけである。

 「病院に初めて救急車で来た時に、看護婦さんは私が彼の娘と思ったのよ。」と、彼の妻が私の笑いを求めて言う。
 いつもの私なら、「ほう、そりゃーいいことが無かったここ数週間の中で唯一のいいことだね。」と切り返すところだが、その言葉を言っていいものか悩む数秒がユーモアを発するタイミングを失い、結局言えず仕舞い。これも、軽い失語症の構造なのだろうか。

 入院後、言葉を失った彼が初めて発した言葉が「(病院の売店に)行きたい!」であったと言う。
 巨大な組織の中であらゆる情報を集め、自分で解析し、具体的な方法論を導き出すのが彼の仕事であったのだから、外の情報から5分でも隔離されると大きな不安が襲ってくるのであろう。テレビ、新聞、インターネットに携帯電話。映画や音楽情報も含めて。それらから隔離された彼が最初に発した言葉は「病院の売店」に象徴される「情報」を求める叫びであったのだと思う。

 2本の点滴のパイプごしに彼とバランスの悪い会話をしていると、私の耳が退屈したのか目ばかりが過敏になり、私は彼の顔の絵が描きたくなった。
 ふと、ベッドの枕もとに小さなスケッチブックがあるのに私は気づき、「見ていい?」と彼と彼の妻に同時に尋ねた。後で考えると本当はイヤであったのかもしれないが、二人の静かな笑顔を許可と解釈した私は手を伸ばしてスケッチブックを手元によせた。
 開いてあるページには今日の日付と彼の名前が大きく、しかし弱々しく書かれていた。リハビリとしての文字の練習帳なのだ。
 最初のページまでさかのぼってから順番にゆっくりページをめくる。文字が生れたばかりのバンビのように少しづつ立ち上がろうとしている。途中で、はっきりした文字で「売店に行きたい、と初めて言う。」と書いてある。ああ、彼の妻の文字である。このスケッチブックはリハビリの記録であり、彼ら夫婦の日記でもあるのだ。見てはいけなかったのかもしれないと、その時になって鈍感な私はようやく気が付いた。
 途中でページ全体に彼の顔の絵があった。どこか一昔前の少女マンガに出てくる美少年のような絵を妻が描いている時間、この夫婦を不幸であると誰が言えようか。
 私は自分が彼の顔の絵を描く必要が無いことを確認して、スケッチブックを元あった彼の枕元に戻した。

 戻したついでに枕もとにあった朝日新聞を開いて今夜の映画をチェック。
 「おっ、午後5時から蠍座で『花とアリス』をやるぞ。これ今年公開の映画なのに、もう安く観れるんだねぇ。」と、映画館には当分行けない夫婦の前で今夜の予定を決める私。

 病院を後にして再び自分の車に乗ってハンドルを握れば、彼の明るい表情ばかりが目に浮かぶ。とにかく大変なことになったのだ。彼には泣き叫んだり、落ち込んだり、絶望したりする権利があるのだ。それを彼は明るく振舞い、時にはおどけてまでみせる。もし、それが回りの者に対する彼の気遣いであったとしたら……。
 私は無理に車内を冷やそうとするエアコンに弱さと強さを同時に感じながら、また再び、「祈り」について考えてみた。

 車は札幌駅前の通りに近づき、大同生命ビルの横に止める。ここのギャラリーで私の従姉が韓国人画家の個展『金 宗泰(キム・チョンテ)染織絵展』をプロデュースしているのだ。懐かしい螺旋階段を昇りきるとそこは空中庭園になっていて、かつて大学浪人時代に私が時間を潰した空間が24年経った今も保存されている不思議がそこに浮遊していた。20歩ほど歩いて自動ドアをくぐれば再び室内になり、2階建てのギャラリーが展開されている。1階の個展を見ていると頭上から「もとひろー、なにやってんのよ。私のプロデュースはこっちだよ。」と、これまた懐かしい従姉の声が降ってくる。
 どういう理由だか経過だか分からないが、従姉は東京での20年ばかりの生活を引き払い、私から見るとあての無い美術商みたいなことで生計を立てている。今回の個展の画家もDMによれば「韓国で、最も注目されているテキスタル・アーティストの日本初個展」と言うが、どうも私には価値が理解できなかった。あわいピンクやブルーを使った絵本の挿絵のような世界なのだが、この色であれば昨年、テンポラリー・スペースで見た吉田直樹の方が魅力的であり、毒もあった。
 帰り際に従姉は「アート・スペースの赤木クンも初日に来たわよ。」と言う。私と赤木さんが、かすかに知り合いであることを従姉は知っていて言っているのだろうか。

 車を札幌駅併設の大丸デパートの駐車場に入れて、映画の時間まで食事。あと40分ほどしかないので、すぐ食べられるようにラーメンでもと思い、大丸レストラン内のエスニック調の店に入り、「羊肉入りアジアン麺」というのをメニューで選ぶ。テーブルに運ばれていたら、映画まであと25分しかない。すぐ食べよう、と思ったら、辛い!メニューを再確認すると、なんとこの料理「トムヤンクン・ヌードル」のことだった。ううう。ようやく苦労して食べ終わると、映画まであと10分。

 早歩きで大丸デパートから北に歩き、映画館「蠍座」に到着。チケットを買うときに映画館の経営者が「まだ予告の4本目です。間に合いますよ。」と笑顔で言ってくれた。
 これは、「祈り」が通じたのか?

 映画『花とアリス』は岩井俊二が監督、脚本、音楽までやってしまう才能が大爆発の作品。
 特に脚本が上手い。美少女の女子高校生の親友二人が、先輩が記憶喪失になったとだまして繰り広げるラブ・コメディ。古典的な三角関係モノから大きく逸脱してゆく岩井の脚本は完璧すぎて、まるで神話のようですらある。
 主人公は好きになった先輩が気を失ったのを利用して、「センパイは私が好きだと告白したんです。でも、記憶喪失になってそれを忘れたんです。」とだます。
 恋もまた、「祈り」なのか。

 それよりも私が気になったのは美少女の女子高校生の親友二人の「友情」である。
 どんなに仲良くなっても慎重に「私の大事な人」と呼んでしまう私にとって、「友だち」とか「友情」という呼称は使いにくい。ケラケラと笑いながら、時には擬似的な絶好も交えつつ「友情」のカタマリは青春を進めてゆく。あえて「信じている」と確認する必要すらない結束は、映画の後半で二人が知り合った人為的な秘密によって少し裂けはするが、それが今後の「友情」を否定するものではなく、さらに遠い未来までの「約束」のようなものに昇華されてゆく。
 こうして安易に「友情」とか「信じている」とか「約束」といった言葉を使うことによって何かを説明してしまったような気になるのが私は怖い。
 それらの言葉の芯には「祈り」があるのだ。またしても。

 帰りの車に乗ると、ラジオのニュースは曽我さんとジェンキンス氏の一家が無事に日本に到着したことを伝えた。
 ハンドルを握りながら、私は思った。
 「祈り」について考えることもまた、「祈り」なのだ、と。
時には擬似的な絶好も。


若林博士ログ日記2004★ 『第12回 料理教室で、中国人もビックリ!』 2004,7,17
■今日は私の経営する久保商店も参加したガス屋のイヴェント『ためして、ガス展!』(←脱力笑)が行われた。
私も地域のガス協会の役員として、数ヶ月前から準備をしていて、ようやくこの日を迎えた。

■んで、簡単に言えばガス器具を売る展示会なんだけれど、客寄せに色々と企画をしたワケなのさ。
その中の一つが、中国人シェフによる料理教室。
主婦が73名、男性が1名、集まったのさ。
その、1名の男性こそが、若林博士(笑)!

■講師の中国人は、隣町の深川市で中華料理店「志峰飯店(しほうはんてん)」を経営するオーナー・シェフの王志峰(おう・しほう)さんと、弟子の徐峰(じょ・ほう)さん。

■料理は、「チャーシュー・チャーハン」と、バナナの天ぷらが不思議な「バナナとエビの唐辛子炒め」。
料理開始!
ほとんどの主婦は、おっかなびっくり、中国人シェフに聞きながらやっているけど、博士は手際よく、ひとりでスタスタと料理を進める。
それを見ていた中国人シェフ(写真中央の白い服)も、ビックリ!
「アナタ、トテモうまいアルネ!」
博士〜っ!


若林博士ログ日記2004★ 『第11回 恒例の毛ガニ・パーティ!』 2004,7,15
■午後7時半、三々五々と、若林博士のログ・ハウスに人が集まってきた。
まだ、建設の途中で床さえないログハウスに、ベニヤ板をひいて、パーティ会場をでっちあげた博士。
BGMは、大型ゴミの日に拾って来た(笑)ステレオから流れる、ソニー・クラークのジャズ・ピアノ。
「やっぱ、アナログLPはいいねぇ。」とは言うものの、実はこの粗大ゴミ(?)、CDプレイヤーが壊れていたので、レコードしか聴くことができないのだ。
3階に置いてあったスピーカーを、床が無いので、パーティ会場の2階に向けて、下向きに設置。
2階では天井から、ここちよいジャズの音が響き、ログハウス全体がスピーカーになったように良い音が響き渡る。

■「まぁ、すてきー。」
「こんなレストラン、あるよなぁー。」
と、来訪者達。
ただし、パーティ会場の周りには、大工道具がリアルなディスプレイのようにゴロ&ゴロ。

■メインディッシュは、さるる漁協から直接買った500gの毛ガニ。
「う〜ん。今年も身がたっぷりで、美味いなぁ。」
酒は、ビール、すずめワイン2001、すずめワイン2002、ボルドー・ワイン1990、白ワイン、日本酒「久保田・萬壽」、焼酎「たんたかたん」……。
男も女も、飲む&呑む&飲む。ウワバミか、お前らは(笑)?
皆で持ち寄った料理も、いい感じで、酒は深夜1時に飲み尽くし(笑)、おひらき。

「いやー、いいパーティ会場ができたねぇ。こりゃ、ここでやるの定番だわ。」
っーのが、みんなの感想であった。
博士の感想は・・・?
博士〜っ!


若林博士ログ日記2004★ 『第10回 なぜかショールーム珍騒動!』 2004,7,13
■久保の会社はヤミ米屋でありながら、ガス屋でもある。
先日、ガスのお客さんからガスコンロの注文をいただいた。

主婦「ねぇ、ガス屋さん。ついでにシステム・キッチンも買い換えたいのよ〜。」
久保「よーでガス。」

■てなわけで、システム・キッチンの仕事も請け負ったワケ。
で、今日、システム・キッチンのメーカーの社長がわざわざ提案書を持って、このド田舎の沼田町まで来てくれた。
若林博士を「施工アドバイザー(?)」として一緒に、その主婦の自宅へおじゃました。

■主婦は若林博士を見るなり、
主婦「ねぇ、大工さん。」
博士「(…私は大工じゃあないんだけど)あ、あ、何ですか?」
主婦「新しくつけるシステム・キッチンの天板、ステンレスよりいいのないかしら?」
社長「そりゃあー、ピンからキリまで、あらゆる素材、色の天板はご用意できますよ。」
久保「そーでガス。」
主婦「だって、ステンレスじゃあ、掃除がしにくいのよー。」
久保「そーでガス。」
主婦「大工さん、大工さんのとこに見本は無いの?」
博士「(だから、私は大工じゃあないんだけど)あいにく取り寄せなんですよー。」
久保「そーでガス。」
社長「奥さん、システム・キッチンはお客様の要望に一つづつ合わせて、愛知県で受注生産させていただいております、ハイ。」
久保「そーでガス。」
主婦「あら、そーなの?でも実際に見ないと女の私じゃあ分らないわ〜。」
久保「では、奥様だけに特別にショー・ルームにご招待させていただきましょう。」
博士&社長「・・・・えええ?そんなショー・ルームなんてあったっけ、久保さん?」
主婦「そう。見れるの。いいわネ。連れて行って。」
久保「よーでガス。」

そこで、久保&博士&社長&主婦の4人が汚いライトバンにのって、向かった先は・・・。

社長「久保くん、エアコンは無いのかね?このボロ車。」
久保「無いでガス。あ、到着いたしました。」

■そこはなんと、博士の建設中のログハウス(笑)。

主婦「まぁ、すてきなショー・ルーム。」
博士「(小声で)ここはショー・ルームじゃあないしー。私は大工じゃあないしー。」
久保「博士、まぁ、いいじゃあーないっスかぁ(笑)。」
社長「……。」
久保「さぁさぁ、奥さんどうぞ。」
博士「まだ入り口の階段ができていないんですよ。この歩み板で昇ってください。」
主婦「あら〜!怖い〜っ。」

■博士のログハウスの中には、先日、よーやくとりつけたばかりのシステム・キッチンが。

社長「博士、まだここまでしか進んでいないの?このキッチン、かなり前に納品させていただいたんだけれど・・・。家を作らないでパーティばかりやってたんじゃあーないの?」
博士&久保「あははは・・・(冷や汗)。」

主婦「まぁ、ステキ!この天板、いいわねぇ。」
久保「そーでガス。」
社長「こちらは人口大理石になっております。」
主婦「ステンレスから、こっちにするといくらぐらい高くなるの?」
社長「まぁ、数万円ですね。」
久保「さいでガス。」
主婦「なら、こっちにさせてもらうわ。」
久保「奥様、色はいかがにさせていただきガスか?」
主婦「そうねぇ。もうちょっと濃い色が良いわ。」
久保「がってんでガス。」

・・・そんなわけで、若林博士ログハウスは、ひと時の若林ショールームの役割を存分に果たしたのである。
博士〜っ!


若林博士ログ日記2004★『第9回 よーやく、台所に水が通った!』 2004,7,10
■今日の久保は、沼田消防団の団員として(←本当だよ、とほほ。)、『夏季連合演習』を行う。
消防の制服を着て、行進し、日の丸に敬礼し、街頭で消防自動車からホースを引っ張り放水するパフォーマンスを町民の前で演じた。
重たいホースをかかえて水を放水するのは、ある種のカタストロフィもあるが、なんてったって今日の天気は雨!ただでさえ濡れるのに、若輩の団員の私はビショ&ビショ。
・・・ふーっ。
ひとまず、午後4時に終わり、水びたしになって、その後の宴会を抜け出して2時間ほど会社で仕事。

■若林博士のログハウス現場に行けば、なんと、水の音が!
おお!
博士が台所で食器を洗ってる!
・・・って、ふつーの話だけど、昨日まではまだシステムキッチンが付いていなかったので、私はびっくり!
さっきまで消防の服を着て、大量の水をホースでばらまいていたのだけれど、博士の台所の蛇口から流れてくる水の神々しさったら、あら、もう!

■実は5日後の15日に、博士の建設中のログハウスで英会話教室「すずめの学校」の毛がにパーティをするので、それに合わせて、とりあえず、台所を先に作ってみたそーだ。
そんなワケだから、写真を見て分るように、まだまだ他の部分は、床すら貼っていない建設中なんだけどね。
まぁ、それでもパーティというトリガー(?)が博士のログハウスを完成に近づけていくのであった。

■おっと、それから私は、博士のログハウス建設現場を後にして、消防団の深夜まで続くディープな飲み会に戻ったのであった。
・・・以下、秘密(笑)。
博士〜っ!


若林博士ログ日記2004★『第8回 だったんソバ茶を造る!』 2004,7,5
■「だったんソバ」ってご存知ですか?
そう!ルチンの含有率の高い、健康志向のソバです。
昨年、だったんソバの種を我が社が少量ですが入手いたしました。
それを米倉庫の横に植えてみると、なんと生えてきました(←当り前・笑)!

■んで、4kgほどの収穫があったので、それをどうしようかと事務所で考えていると、
そこへ若林博士が米を買いに我が社にやってきました。
「フライパンで炒って、玄米茶のようにして飲んでみましょう。」
さっそく実施。
写真のように、小さめの卵焼き用フライパンで実施。
黒いソバが、加熱によってポップコーンのようにはじけ跳びます。
突然、台所中に飛び跳ねだし、びっくり(笑)!
あわてて、写真で博士が持っている木のマナイタをフタにして押さえ込みました。
皆様も、やるときは、フタを忘れずに〜♪

白い花が咲いたかのような、だったんソバを急須に入れて、
普通に飲みます。
香ばしい香りが立ち上り、ソバ独特の甘味もあります。

■お好みによって、「玄米茶」のように、普通のお茶ッ葉と
ブレンドしてみると、自分の好きな味が見つかるかと思います。

■もちろん、これを粉にひくと、ソバ粉になります。
次回は、ソバに挑戦したいぞー!

■だったんソバ茶は、ルチン成分が多いので「血液がさらさらになる」というのが人気の秘密だそうです。
その他にも『共犯新聞』モンゴル面でのウンチクも楽しみながら、味わってみてはいかがでしょうか?

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/3973/mongolia.htm

■「う〜ん。ワインより売れるかも?」とゆーのが、本日の感想でした(笑)。
博士〜っ!次回は、ソバに挑戦したいぞー!



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