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アートなオヤジの、文科系★不良日記!


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本★『関川夏央「退屈な迷宮 「北朝鮮」とは何だったのか」』 2002,10,20
■午前6時半に目覚し時計が激しくなる。
わざとベッドから遠くに置いてある目覚し時計は、テレビの横にあって、いつもの習慣で、のそのそとベッドを出て→手で目覚し時計を止め、同時に、床に置いてある34インチのカラーテレビジョンのスィッチを足でつける。
で、再び&いつものよーに・も一度ベッドにバタン。
あー日曜の早朝テレビ番組って・どーして全ての局が20世紀のNHKみたいなんだぁ?
岩波映画に下請けさせてんかぁー?きっと、北朝鮮のテレビ番組は毎日、こんなんだろーなぁー。

■さて・仕事。と・思ったら。あらら、今日は久し振りに休日だ。
9月中旬に稲刈りが始まってから、ヤミ米屋の我が社は連日、入庫&出庫で日曜&祝日も無しで仕事をしていたが、サスガに今日は休み。忘れてた。

■寝る前に目覚し時計のセットを、やめときゃよかった・のに。
もしくは、目覚し時計を無視して寝ていれば良かった・のに。
目覚し時計を止めること=テレビをつける=テレビを見てしまう=目が覚める・とゆー習慣のシステムが肉体と生活に染み付いてしまった悲しさ=便利さ・よ。
え?止めること?
「止めること」→とめること/やめること。
「止める」と書いて、「とめる」とも「やめる」とも読めるんだ。そーいえば。

つーことは、
@目覚し時計(のセット)を止める。=やめる。
A目覚し時計を止める。=とめる。

「とめる」は「留める=印象に残す」でもあるんだねぇ。



また寝るか?だって、ついさっき午前3時に寝たばかりなんだし。
でも日本版・北朝鮮的テレビ番組をリモコンでグル&グルしていたら、脳味噌がタイクツで乾いてきた。
んじゃ・と、玄関に行って新聞『朝日新聞』『北海道新聞』『日本経済新聞』を持ってくる。

日曜日の新聞には書評欄があるので、脳味噌に優しい。
ムーンライダースの鈴木慶一の部屋には新聞の書評欄の切抜きが無数にコルク・ボードに貼ってあるらしい。おそらく、古い切抜きは新聞紙が変色して黄色くなっているのだろう。そして&さらに、その上に翌週の日曜日の書評の切抜きが貼られる。
「積ん読(=つんどく)」以前の「貼っ読(はっとく←スミマセン、私の造語です。)」。
そして、鈴木慶一の部屋のコルク・ボードは幻の書斎になってゆく。
実際に買われた本の書評の切り抜きはコルク・ボードからは取られて(=採られて&獲られて)、買った本のページに挟まれるのであろう。
じゃ、ついに買われなかった本の書評記事は?買われなかった=変われなかった→記事はドン&ドン、黄色く変色してゆき、紙質もパリパリになってゆく。パリパリになって端が丸くなった黄色い新聞紙はピンでコルクに留められている(=止められている)まま。
そして&ついに&いつか、そのピンで留められた黄色い丸みを帯びた薄い物体は、黄色い蝶になって、標本箱から飛び立つ。


■今日の新聞も北朝鮮から一時帰国している5人の拉致被害者の記事が多くのページにあり、それにサンドウィッチされて、経済がどーの、コンサドーレ札幌がJ2へ戻ドーレ・とか。
昨日の朝日新聞には、奥土祐木子(46歳)さんが17日に級友から花束を受け取り、その中にCD『ザ・タイガース全曲集』が入っていたという。小学校5&6年生で同級だった彼女たちはザ・タイガースのファンだったらしい。小学校の屋上でヒット曲「シー・サイド・バウンド」の振り付けをみんなで覚えた・らしい。
最近、『共犯新聞』ゲスト・ブックでタイガース現役ファン=みづきサンの話を連続してうかがっていたので、「あっそーか、みづきサンは仲井戸麗一(1950年生まれ)のようにザ・ビートルズ来日コンサートに実際行った世代の下の奥土祐木子(46歳)世代か?」と思う。

■そー言えば、拉致被害者5人が帰国した・その夜のテレビ朝日『ニュース・ステーション』で久米宏キャスターが、視聴者に・とゆーよりは5人に直接とゆー口ぶり(←この一見、映画監督ゴダール手法っぽい方法論を自然に利用できるのが、久米宏の「才能」でもある・と思う。)で、
「皆さんが拉致された24年前の1978年、私はTBSテレビで『ザ・ベストテン』という歌番組をやっておりました。皆さんが拉致されたその日、沢田研二さんの「ダーリング」という曲がベスト1を数週続けていました。」と語りかけていた。
あ。そーだ。高校生だった私は、しゃぶった人差し指をテレビ・カメラに向けるアクションで歌う「ダーリング」の沢田研二をスグに思い出し、1978年を思い出した。やるな、久米宏。あの曲のジュリーの衣装は水兵だったけど、拉致被害者5人は水兵に連れられて行っちゃった♪波にちゃぷ&ちゃぷ。もっとも、ジュリーの水兵の衣装のアイディアはザ・ローリング・ストーンズの1969年の超☆名曲「ホンキー・トンク・ウィメン」のレコード・ジャケット写真やビデオ・クリップからだろーけど、さ。


■それにしても、奥土祐木子(46歳)さんがタイガースのファンとは初めて知った。
それよりも私は、拉致被害者5人が帰国する直前に蓮池薫(45歳)さんの兄=透(47歳)さんが、「彼が帰国したら彼が好きだったイーグルスやドゥービー・ブラザーズを聴かせて、あのころを思い出させたい。」とか、帰国した日に空港からのバスの中でCDを見せて「お前、CD知らないだろ?」と聞いたとか、最近のインタビューで「レイナード・スキナードの曲「フリーバード」の歌詞のように返ってきて欲しい。」と答えているのを新聞で読むにつけ、二人がロックを聴いている画像を早く見たい。
んが、今日の新聞のハイライトは、元野球部キャッチャーの蓮池薫さんが昔の仲間と野球をした話題。どーも、ロック・ファンは兄の透さんだけで、薫さんは無理やり聴かされていたのか・な?まだ分らないけど、兄弟でロックと言えば私も他人事じゃあないので気になるところ。

そー言えば、アメリカン・ロック・バンド、レイナード・スキナードはメンバーが飛行機事故で死んだのでやむなく解散したんだっけ。その直前のLPジャケットがメンバーが火で燃えていて、その偶然も当時は話題になったよん。
飛行機事故・・・→よど号ハイジャック、大韓航空爆破事件・・・。


■まぁ、そんなこともそーだが、日曜日の朝刊はまずは「書評」ページである。
私も鈴木慶一ばりに新聞切り抜き魔である。

今日の獲物
@朝日=菅野昭正『変容する文学のなかで』上・下 評者;堀江敏幸
A朝日=別冊太陽編集部『吉田初三郎のパノラマ地図』 評者;木下直之
B朝日=マイケル・パタニティ『アインシュタインをトランクに乗せて』 評者;与那原恵
C朝日=ジュリア・ブラックバーン『黒の画家 フランシスコ・ゴヤ』 評者;青柳いづみこ
D朝日=Cocco『南の島の星の砂』 評者;香山リカ
E朝日=アンガス・フレーザー『ジプシー 民族の歴史と文化』 評者;リービ秀雄
F朝日=美濃部美津子『三人噺』 評者;種村季弘
G日経=白洲正子ほか『白洲正子のきもの』 評者;編集部
H日経=大江健三郎『憂い顔の童子』 評者;小森陽一
I日経=中条省平『反=近代文学史』 評者;菅野昭正

■こうして切り抜いてみると、@でマナイタに載っていた菅野昭正がIでは料理人になっているのが可笑しい。
■それと、新聞の切り抜きは「裏」と「表」があるので、困る。
たとえば上記で言えば、@の裏にAがある。本を両方とも購入した場合、どちらの本に挟めるか・困るのだ。
「コピーすればいいじゃん。」と思われるだろ―が、コピーせずにオリジナルの新聞記事であることも、私としてはウレシイのだ・よん。

■Iの中条省平は雑誌『recoreco』の常連。で、Eの裏には『recoreco』2号でフューチャーされた、美術作家のやなぎみわが「本屋に行こう」という記事の主役で出ている。
ほー。『recoreco』、いい感じじゃんか。

■書評記事の他にも今日の日経には、日経の文学記事記者=浦田憲治が「小林秀雄と美」について特集記事を書いている。その下には吉田美奈子の新作CD『Stable』の紹介記事。新聞の最終ページには、小説家川上弘美のエッセイ。
おー!日経、いーぞ。

と、切り抜いたり&読んだりしていると、午前8時5分。
NHK−BSの書評番組『週刊ブックレビュー』。なんと書評の連続。と思ったら、いきなり評者ゲストが小森陽一で、香山リカ『ぷちナショナリズム症候群』を取り上げている。これまた上記のHの評者がDの評者の本を批評してらぁー。

■それにしても、小森陽一の話し方って、誰かに似ているぞ。
あ、関川夏央だ!
話しているんだから「です・ます」体なんだけど、原稿を読むような話し方。むむむ。似ている。




■あー。ごめん。長文日記、つづきは、明日かあさって書きます。
この下に続けて書くので、またこの欄を再チェックしてね。


<つづきの予告>
なにかと北朝鮮である。
関川夏夫『退屈な迷宮 「北朝鮮」とは何だったのか』(新潮文庫) 『海峡を越えたホームラン』 。『ソウルの練習問題』。



■さて続き。
10月20日の日記を読み返してみると、なんと・まだこの日の午前9時までしか書いていないじゃあないか。
この調子でこの日を書いてゆくと、マルセル・プルーストの小説みたいな一日になっちゃう。
■1日の日記を数日に渡って書く。すると、日記を書いているだけの日の分の日記には、日記を書いているという内容の日記を書くのか?⇒メタ日記のエッシャー的迷路。か?




■えっと、そーだ私はNHK−BSの書評番組『週刊ブックレビュー』を観ていたんだっけ。
http://www.nhk.or.jp/book/review/index.html

この番組の最初のコーナーは3人のゲストが、それぞれ推薦する本を書評する。
小森陽一(東大教授)は1960年生れの香山リカの『ぷちナショナリズム症候群 〜若者たちのニッポン主義〜 』(中央公論新社)を推薦。
小森に続く、藤田香織(書評家)と清水義範(作家)が推薦した著者は共に1963年生まれ。
つまり、夏石鈴子『家内安全』(マガジンハウス)と、諸富祥彦『さみしい男』(筑摩書房)だ。

テレビ演出家にして作家の久世光彦はかつて、「芥川賞の受賞者の年齢が自分の年齢より下であると焦った」と書いていたが、1962年生れの私には、後が無い?

■まぁ私には後も無いかわりに、前も無いんだから。
そんなコトよりも、私にとっての今日の『週刊ブックレビュー』の収穫は清水義範の才能の発見だ。

3人の推薦コーナーの後には、3人の「合評コーナー」が用意されていて、今回、俎上に上がったのが古山高麗雄『妻の部屋』(文藝春秋)だった。

小森の論じ方は相変わらずの、彼が用意している図式に当てはめることによって浮かび上がってくる公式を説明するというパターン。もはや彼が登場した10年前の魅力は残念ながら減少している。
私が小森の書く書評を初めて読んだのは書評誌『リテレール』(メタローグ)1992年冬号であったろうか。表紙は山本容子が描く、マルセル・デュシャンとマン・レイがチェスをしている絵。なんて・ぼくはスノッブ!

10年前のその小森は遠山一行『河上徹太郎私論』を2ページ、書評していた。
ミンナ、河上徹太郎って知ってる?
小森の書評の出だしを引用すれば、「日本の近代批評を確立するうえで、小林秀雄と並んで決定的な役割を果たした河上徹太郎。」だそーだ。ふーん。知ってた?え?忘れてた?ホントかよ、知らなかったんじゃぁーネーの?でも☆ご安心。小森は続けて「しかし、その河上について論じられることは少ない。いや1990年代に入ってからは、読まれることすらなくなりつつある批評家が、河上徹太郎なのかもしれない。」と書く。ふーっ、良かった&良かった。でも、何が良かったんだよっ。その読まれなくなった理由を、小森はこう分析する。

「なぜなのか。それは、小林秀雄よりもはるかに河上徹太郎の方が、私たち日本人の感受性を脅かす批評の書き手だったからなのかもしれない。」

■うまいっ!こー書かれたら、私は興味を持つよ。私にとっての小森陽一への贔屓は、この最初の出会いで決定された。
ちなみにこの書評にはこんな文もある。

・自分を意識した人間は、自分に対して他者になるということにほかならない。
・『日本のアウトサイダー』こそが、「日本」的なもののインサイダーである

■小林秀雄と言えば、今日の日本経済新聞の朝刊に載っていた東京・渋谷の松涛美術館で開催中の「小林秀雄 美を求める心」を報告した浦田憲治の記事は興味深かった。
この展覧会は、ふつーの文学展では生原稿や手紙が展示されるケド、ほとんど・それらが無くて、小林秀雄が論じたりコレクションしていたゴッホ(小林の書いた有名な『ゴッホの手紙』、読んだ?)、セザンヌ、ルオー、梅原龍三郎、富岡鉄斎などが展示してあるんだって。興味あるよね。

■ついでに書けば、私が初めて小森陽一の文章を読んだ10年前のこの『リテレール』(メタローグ)1992年冬号には私の文章も地味に掲載されている。

「私は1号を買うのに、とても苦労しました。私の住む北海道の片田舎、人口5千人の町には本屋そのものがないのですが、近くの深川市、滝川市の本屋にもなく、旭川市にまで行けばあるだろうと思ったけれど、これまたなく(この時の店員の態度はひどかった!)唯一置いてあったお店では、すでに売り切れ。結局、札幌市の”リーブルなにわ”で買いました」(北海道・自営業)

コレは、スーパー・エディター安原顕の編集後記に使われた。あれから・ちょーど10年。同じメタローグの書評誌『recoreco』に再び、私の駄文が地味に載ったのも・ふしぎ。
それにしても、10年前は我が沼田町も人口が5千人いたんだぁ。今や4,500人も切ったもんね。


今も若い小森は10年前は今よりも10歳も若かった。そりゃそーだが、書評家の10年はキツイ。自分のパターンを自分で消費してしまう危険が論じる相手の著者よりも大きいからだ。書評とは、紹介ではないので、ある意味、自分の血肉を切り売りしなければいけない。それが「作品」であれば、血肉を・どんどん拡張してゆくサイケなライト・ショーも可能だが、書評はしょせん書評である。

さっき朝刊から切抜きした、
@朝日=菅野昭正『変容する文学のなかで』上・下 評者;堀江敏幸
にも、こう書いてあった。

「書評や時評、とりわけ後者には、ある程度の速さが求められ、
海から揚がったばかりの鮮魚を現場でさばくに等しい練達の技と、
それを支えるながい思索の蓄積が欠かせない。」

小森に「思索の蓄積」が無いわけではない。

確かに1990年代に展開した小森の夏目漱石論は新鮮だった。しかし、天下の(←なにが天下だ?)朝日新聞にて「文芸時評」筆者に抜擢(←なにがバッテキ?)されていた1999年に出版された『世紀末の予言者・夏目漱石』(講談社)にはスデに彼の脆弱さが露呈してしまっていた。私にとって当時の彼は、ある意味、希望(←なんの?)だったので、この本の自己模倣さには・がっかりだった。翌年出版された三井物産戦略研究所長の寺島実郎『1900年への旅 ―あるいは、道に迷わば年輪を見よ』と合わせて私にとっての世紀末2大がっかり本だったのだ。

つまり、小森も寺島も学んでいる途中の弱さがある。
ソレは「若さ」ではなく、もって生れた資質である。小森(1953年生まれ)と寺島( 1947年生まれ)の年齢のビミョーな差もそれを物語っている。

一度、物事を体系化しようとする。それに「世紀末」をコジツケている。
それが、この2作の共通点だ。
いわば、構造主義における浅田彰『構造と力 記号論を超えて』(勁草書房)の役割である。
しかし・悲しいかな、文学や社会科学は、どーやら哲学よりも簡単であったらしい。
体系化が陳腐に感じてしまうのだ。

そこで浮かび上がってくる(とりあえずの)結論が、文学や社会科学の本質は体系ではない・とゆーこと。
つまり、むしろ・きちっと体系化して整理してしまうと、本質が失われてしまう。

で、あるから、小森のおぼっちゃま&寺島岩石オープンは、この体系の後にこそ魅力的なグチャ&グチャの仕事をしてほしーのだよ。
私は応援してるよ。
道産子の私としては、北海道大学出身の小森、私と同じ沼田町生れの寺島は他人とは思えないのよん。もっとも、私は北大にも三井物産にも入れなかったケド・さ。


■さて、いつもにも増して・なか&なか時間の進まない「共犯☆日記」で、ごめんね。
そんな小森さまと、いちおう魅力的なと形容しておく小太りの30代女=藤田香織嬢、どーみてもサラリーマン管理職のルックスの清水義範による合評が始まった。

今年3月、81歳で亡くなられた、作家・古山高麗雄による、この本『妻の部屋』。
タイトルといい、果物の静物画とゆー・あざとい表紙。ああ、こりゃ老夫婦のココロアタタマルいい話なんじゃろーな。と、私は思っていた。

合評の口火は小森が切り出して、まぁ、先に述べたような平板な分析。
次の、ほっぺたがふくよかな藤田嬢は、明らかにテレビ慣れしていない語り口で、とつとつと感想文を発表する。「若い人にも読んでもらいたいです。」。ふーん。

最後が清水氏なんだけど、だいたい私は彼の小説のタイトル(=たとえば『国語入試問題必勝法』とか、『永遠のジャック&ベティ』とかさぁ。)だけで、読む気が失せていたんだけど、今日の清水義範は、頭が良くてタイクツな小森と、頭が良くなる以前のタイクツさを持っている藤田の後に、冴えた書評を展開した。

なんでも、この『妻の部屋』は戦争小説(!)らしい。
12編の短編で構成されているこの本の中には、愛妻の死、若い頃の友人たち、そしてかつて一兵士として死を間近に見た戦地再訪などが描かれている。
声高に反戦を叫ぶのではなく「落ちこぼれ兵士」として見た戦場を淡々と描く。亡き妻の部屋にこもり、妻の布団の中で50年の夫婦生活を振り返る

清水は、「軍隊でも会社でも家庭でも「駄目な奴」という立場をあえて選んで生きてきたタフで格好いい男の姿が見えてくる。」と言う。なるほど。
さらに、「老人性痴呆症のように、繰り返して同じコトが書かれている」と視聴者を笑わせつつも、「しかし、同じモチーフでも書いた時期が違う。つまり、同じモチーフでも書いた時期が違えば、違う意味が浮かび上がってくる。作者はそれを意識していなかったかもしれないが、結果としてそう書けていることは、作者の偉大なる文学性だ。」とゆーよーなコトを言う。
私は初めて清水義範を認めた。・・・なぁ〜んて、私もエラソーで、ごめんね。



■午前9時。毎週楽しみにしているNHK教育テレビの『新日曜美術館』。今日はピカソの少年時代に、画家の父との関係がテーマ。題して「少年ピカソ〜僕は子どもらしい絵を描かなかった」。
ピカソの父も画家であったけど、息子が14歳(!)の時に才能が自分よりあると知り、筆を折ったというエピソードがテーマの要。

パブロ・ピカソ(1881〜1973)。彼は10代においてすでに完成された画家だった。

番組では、ピカソ少年の最初期の石膏トルソーのデッサンが2枚、紹介されていた。
時代が最初のものは、まだ「輪郭」がのこっているデッサン。
2枚目は、父の助言のもと、「輪郭」を描かずに、「面」の明暗により、質感を表現した作品。
ゲストの美術評論家は、この「輪郭」→「面」の作風の変化を技術の向上として評価していた。
でも、私はピカソ少年が描く独創的な「輪郭」の線に、のちの天才ピカソのキュービズム時代を連想してしまった。


 ピカソ10代の傑作のひとつといわれるのが、父親と妹をモデルにした最初の油彩画『初聖体拝領』である。華々しくしつらえた祭壇の前で、妹・ローラの初聖体拝領を見守る父親。題材も技法もアカデミックなこの大作には、あのピカソを彷彿とさせるものは何もない。14歳で描いたこの絵は並み居る大人たちを押しのけバルセロナの展覧会に入選した。


ピカソが16歳の時に父のサジェスチヨンで描いたという『科学と慈悲』は、ベッドに横たわる病人の左右に立つ医者(=科学)と教会のシスター(=慈悲)の絵なんかは、もー子供の絵じゃあねーよ。でも、この図式、面白いけど、やっぱ古典的。そこがピカソ・パパの限界でもあったんだろーね。

ゲストに、作家の重松清。あの、『日曜日の夕刊』などのピート・ハミル&山田洋次『黄色いハンカチ』的家族愛のチャパツ&無精ひげのお方だ。この外観がオヤブン肌っぽい多作の方も、1963年生まれ。うう。私より1歳若い。
それにしても、父子の葛藤をテーマにピカソを特集する時に、重松清とは、NHKのキャスティング、最近冴えているゾー。
でも、狂気の天才ピカソを重松の書くハートフルな親子モノのワクに閉じ込めるのって、無理がありましたな、NHKさん。意図は良かったんだけどね。

■ソー言えば、小林秀雄はピカソについても書いているのかな?誰か教えて。
ゴッホやモーツアルトよりも、ピカソこそが彼の同時代者なんだしね。


■さて、今日は久し振りの休日だった。北海道立旭川美術館でやっている展覧会『印象派のあゆみ/Impressionism』の最終日だったな、行ってみようか。

■昼飯は、旭川の二幸本店で寿司。こあがりで食べる特上寿司は、イマイチ。

こあがりから、自分の靴を見れば少々くたびれてきた。そー言えばこの靴は2000年の札幌ZEPPでのBECKのオール・スタンディング・ライブや、2001年のニューヨーク歩きまくり旅行にも付き合ってくれたやつだ。もー・そろそろか?

古い靴を履いて、新しい靴を買いに行く。

■古典的なタレ耳の茶色い犬がアド・マークの、Hush Puppyへ。

なぜ・って?今年の2月に買った古雑誌『BUZZ』(2000.3)の「特集;オアシスVSビートルズ」で、オアシスのボーカリスト=リアム・ギャラガーがインタビューの時に自分自身によるスタイリングで現れた時のファッションが、Hush Puppyの靴に、ジーンズ、茶色のコーデュロイのFake of Londonのパーカーだったから。・・・ミーハーだね。
ちなみに、この時にリアムはジャケットを忘れてきて、「代わりに取って来ましょう」と言うカメラマンのアシスタントの女の子に、自分の住所と玄関の暗証番号を告げた!それも、大勢の見知らぬスタッフの前で!・・・大らかなり、UKミュージシャン。

旭川のHush Puppyはワリと狭く、おばはん二人でやっている個人商店っぽい雰囲気。
店内に鮎川誠のポスターがあり、Hush Puppyのアド・キャラクターのようだ。ますますHush Puppy=ロックのイメージだけど、つい最近までの私のイメージはお金持ちのオジサンの靴っーのだったんだけど。

店内にはバーバリの靴も並んでいて、あ・そっか、イギリス靴メーカー好みとゆーワケね。
スクエアなビジネス・シューズにはバーバリの方に☆かっこいーのがあったんだけど、初心貫徹(←なんで?)のために、Hush Puppyをじっくり鑑賞。
で、結局、品番M-7018のカジュアルな靴を選んだ。色はジャワ。深いモス・グリーンだね。黒や茶と違って洋服に会わせにくい色だけど、デザインがシンメトリーではなくて縫い目の曲線のラインが美しく、それがステッチでイヤミ無く浮かび上がるのがこの色だったから、これにした。素材は「Hush Puppyレザー」という、豚革の吟面を起毛したHush Puppyの代表的な素材。これから雪のシーズンなので不便っぽいけど、まぁ、ファッションは機能性よりもデザインだからね。


■で、美術館。
入場料は当日券で1,000円。安い。
でも、同じ美術館で先月見た開館20周年所蔵品展『木彫博物誌〜自然と芸術の語らい〜』は、なんと300円だったよ!砂澤ビッキや、船越桂、ディヴィッド・ナッシュなんかも見れてね。

最近、北海道の美術館は入場客が減ってきていて問題になっているらしーけど、これはポスターと新聞広告のみに頼っている宣伝部の怠慢だね。
やり方では、絶対に美術館は市民のサロンになるよ。
『ゴッホ展』などのパンダには激混みとゆーいびつな状況は打破すべきだぞ。

今回も図録は買わないので、メモをしておこうと、当日券を買う時にチケット売り場の綺麗な女性にエンピツを借りた。すると、メモ用紙も数枚くれた。
で、メモをしながら会場内をランダムに興味の向く方向にいったり、もどったり、同じ絵の前に何度も立ったり。
最終日かつ日本人好みの「印象派」だから混んでいたよ。で、皆様、順路の進行方向に向かって行列しながら鑑賞されていたので、私、ちょい浮いていましたぁ?


■今回の展示作品は、ドイツ・ケルン市ヴァルラフ=リヒャルツ美術館の所蔵品。
皆さん、この「ぶぁるらふ・なんやら」美術館って知っていました?私、知りませんでした。
それでも、コロー、クールベ、ゴッホなど、そーそーたるラインナップだよん。

■この美術館の作品を見る利点とは、
@観光地として選びにくい都市の美術館を、ご近所で体験できる。
A有名ではない美術館なので、レアな作品に巡り逢える。
B小さくてもキラリと光る美術館の存在は旭川美術館にも勇気を与えてくれるんじゃあないだろーか?次回は、ヴァルラフ=リヒャルツ美術館に旭川の所蔵作品を貸し出して、『日本の現代作家展・北海道編』を企画してもらったら?神田一明とか砂沢ビッキとかを貸し出してさ。これこそが、本当のグローバル化なんじゃぁーねーの?
と、言ったところか。


■さて、会場はタイトルの『印象派のあゆみ』通りに、印象派をめぐる作品が時系列に並んでいる。まるで、印象派の年表に迷い込んだようだ。
会場の中央部に、今回出品されている数十人の画家の生きた時代が棒線で並べて書かれた年表がある。それを見ると、印象派の気配はコロー(1796年生まれ)で始まり、ユトリロ(1883年生まれ)で終わっている。その丁度、真ん中あたりには私の大好きなモネ(1840年)が位置している。
なるへそ。

ダダもポップ・アートも体験済みの私たちには、印象派とは、写実主義とアヴァンギャルドの橋渡しの時期である・と、乱暴に位置することもできる。
で、実際に時系列に並んだ数十枚の絵画は、ゆっくりと現代絵画に変わって行く一つの大きなグラデーションの作品みたいだ。

時系列に並ぶ、最初のコーナーは「印象派の誕生へ」。
最初に登場するのはギュスターブ・クールベ(Gustave Courbet、1819〜1877)が海をモチーフに描いた3点。
フランスの海!ラ・メール!
最初の『海辺』は、コローが描く黒に近い深い緑色の森の色に似ている海。いい絵だ。

黒に近い深い緑色の森の色?今日買った靴の色だ。

静謐な写実主義ながら、緑色の海の個性的な色が私をとらえた。
モネの有名な『日の出・印象』が印象派のマニフェストであるとせれば、この作品は日の出を待っている海と言えるかも・ね。
ここではもはやルネッサンス期以前のような物語性は必要ない。言ってみれば、純粋絵画か?

同じ画家の、これに並ぶ『シヨン城』と『海のある岩の風景』は、『海辺』で描かれた海の前景に城や岩が描かれている。
こちらは、ツマラナイ。
私は人格の匂いのするモチーフよりも、あの緑色だけを見ていたいのだ。

中学生の時に、印象派とは、室内で貴族の肖像画や教会の聖書画ばかりを描いていた職業画家が、野外に出て、「光」を発見した作風と習った。
つまり、おかかえモーツアルトから、自我の王ベートーベンへの流れと同じだ。
しかし、そのどちらにも魅力も才能もあるのだが。
と・ゆーことは、そのどちらの作風にもツマラナイものやクダラナイものもある・とゆーこと。

それでも、時代の流れは伝染病のように静かに広がり、本来は古典的な画家であったカール・シェーフの室内画『鴨とほうろう鍋の静物画』(1880年)に、偶然に印象派の萌芽が現れている。
周辺の食器類は、フツーの写実主義なのだが、中央にドカッと置かれた鴨の羽は、写実的とゆーよりは、筆の性質に合わせた画家のストロークが気持ちよく絵具をキャンバスに乗せていったとゆー感じだ。
周辺の写実主義スタイルに比べれば、鴨の羽は一見、雑に描かれた様にも見える。しかし、この筆のストロークが絵に生命感のリズムを与えている。


■そこで私が連想したのは17日に、沼田町「ほたる館」の陶芸館で粘土をこねて陶器を作った経験だ。
作陶の時は粘土をのせたり、くっつけたりするので、最初はゴツゴツ&デコボコの下書きのような状態になる。粘土を指で伸ばせば、きれい&なめらかな表面は簡単に作れる。その表面のツルツル化は一見、作品を「仕上げ」へ向けているように見えるが、つるっとした土の表面よりもデコボコしたり、ザラッとしたり、指のクセのへこみがある方が魅力的である場合が多いのだ。

つまり、重要なのは、
「止めること」→とめること/やめること。


■シェーフが描いた鴨の羽は、「止めること」によって完成することができた作品だ。
あの描きかけのように筆のタッチがドットのように並ぶスタイルを突き詰めると、スラーの点描画に辿り着くんじゃあないのかなぁ?

■このドットのような組合せは、ピカソ少年が父から学んだ「面」の重要性を別の方法で表現したと言える。

で、ピカソ少年が描いてしまった「輪郭」は、展覧会場ではエドゥマール=ジョゼフ・ダンタンの小品『緑の中に座る女性』(1886年)において発見できる。現代的な若い女性を魅力的に描いているこの作品は、その現代性ゆえに私にエドワール・マネを思い出させる。

「面」は現実世界に存在するが、「輪郭」は目に見えない。ただ境界があるだけだ。
印象派のランナーたちは、「面」を色とタッチで分解し、過剰な自我の起立として、自然界に無い「輪郭」にすらこだわってゆくのだ。

■ラトゥール『シャクナゲの枝』(1874年)は、普通の洋画の技法で描いているのに、モロ、日本画の雰囲気。これも、「輪郭」がそう思わせているのかも。和魂洋才?


■ダンタンの横には、ヴィルヘルム・トリューブナー(1851〜1917)『洗礼者ヨハネの首』が並んでいる。これは、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』同様、神話的な生首の絵だ。ここに、ウィーンのクリムトや、パリのギュスターヴ・モローとの同時代性も見て取れる。

■この「印象派の誕生へ」には、クローナーのように、もろ古典的な画家もいる。ディアズもその中の一人だが、彼の『森の道』は、アイルランドのロック・シンガーのヴァン・モリソンのアルバム『テュペロ・ハニー』の茶色い森の風景とそっくりだ。
ロックと言えば、トロイワイヨン(1810〜1865)『牧場の牛』は、まるでピンク・フロイドの『原子心母』のジャケットのような乳牛の絵。
こうして印象派以前の古典的な作風でも、現代に通じる不思議で魅力的な謎は多いのだ。

印象派以前かもしれないが、確かに野外のフツーの風景をテーマにしているものが多い。やっぱ。
展示作品はさすがにドイツの美術館所蔵作品らしくて、ドイツの画家のものも混じっている。
で、意外だがドイツの画家の作品の方が明るく、野外的であるのだ。これは白絵具を多く使っている調合のせいかな?


■さて、次のコーナーに入ると、私のアイドル、マネの作品がある。
有名な『アスパラ』。この十数本束ねたアスパラの静物画が、どーして有名かと言うと、ここから1本転げ落ちたアスパラの絵がオルセー美術館にあるから・とゆーわけ。
でも、私はこの絵には魅力は感じず、なんだか武者小路実篤のナスビみたい・と思っちゃった。

■むしろ感動したのは、あまり知らない画家、マックス・リバーマンの『馬と馬丁』(1912年)だった。今回の展覧会の特徴なのか、この絵も3枚の同じモチーフの馬の絵の中の中央の1枚。でも、左右の1910年と1913年の馬の絵は、ただの上手な絵にしかすぎない。
『馬と馬丁』(1912年)は、まるで、ザ・フーのピート・タウンゼントがギターを弾く時に腕をグルン&グルン振り回すような動きの、筆のストロークのみの絵だ。
動く馬を油絵具でスケッチしちゃった☆とゆースピード感あふれる作品。
絵の右上には、油絵具の白いかたまりがそのままベットリとくっついているほど。
改めて同じ画家の左右のきちんと描いている絵を見ると、線も色も死んでいる。
やっぱ、陶芸と同じ。

■しかし、それでも、マックス・リバーマンには絵の基礎がある。
で、ピエール・ボナールの大きな絵『ボートにて』は、ヘタウマ?
前面中央に描かれた男の服は、薄く単色で塗っただけ。陰影なし。そこに服の襟を乱暴に茶色の絵具の付いた筆で、ササッと描いただけ。その線も別にピカソのように神がかっているワケでもなく、まるで習字のヘタな小学生が教師の目を盗んで半紙に書いた落書きみたいな線。
しかも&しかも、画家は途中で襟の線を描くのを「止めている」。おいおい、最後まで伸ばして洋服らしくミセロヨー、とツッコミたくなるよ。
さらに、ボートの左側の線は膨らみすぎていて、キュービズムとゆーよりは、デッサンの失敗。
でも、魅力的。♪なーんでかなぁ〜。陶芸と、これまた同じ理由?

このボナールの作品は「印象派から20世紀へ」というコーナーに置かれている。やっぱりね。

■で、「印象派から20世紀へ」のコーナーの最初にあるのがゴッホだ。さすがー。
ここで展示されている『クリシー橋』という全体が黄色い絵は、満員御礼の札幌『ゴッホ展』にはなかった魅力を教えてくれる。
つーか、同じ印象派といっても、それまでの画家は、やはり「きちんと描く」ということから解放されていなかったことが分る。ゴッホ、あんたは自由だ。

マジ、このコーナーに入って、いきなりゴッホのこの作品を見せられると、笑っちゃうよ。
なんだか夏休みの絵の宿題を二学期最初の登校日の朝に、少ない絵具で描いてしまった・という風の絵。
このとなりのゴッホのもう一枚の牛の絵は、キャンバスの地がまだ回りに見えている。
ゴッホさん、あんたビンボーだったなら、もっとキャンバスを大切にみっちり書き込みなさい(笑)。

でも、その『星月夜』的グルグル・タッチは、ストロークなんて快楽とは違った、天からの啓示であるよーな。


■先に書いたボナールのように、ゴッホ後は、もうナンでもあり!
ポール・シニック『サモワの習作8 サモワのセーヌ川』なんてのは、ホワイト・ノイズの上に三原色のドットだ!!!スーラどころでは・ない。本当にポツン、ポツンと点があるだけだ。

かつて数年前に札幌で『モネ睡蓮展』を観た。これは、モネの有名な『睡蓮』をテーマに、会場の前半をモネ、後半を現代の作家が『睡蓮』にインスピレーヨンを得て作った作品が展示してあった。
その現代作家たちは、かなり過激で、アルミニウムとか布とか素材も極端だった。
私の横を通り過ぎていった訳知り顔の中年オヤジが、「こーゆーのは見ない」とか言ってすまして帰って行ったが、彼が印象派時代のポール・シニックを見たら、どう思うんだろうか?

■この展覧会『印象派のあゆみ』は旭川を皮切りに全国各地を巡回するよーだ。
お近くに来たら、見たらいいよ。
次は静岡県立美術館で、2002年10月27日(日)〜12月8日(日)

ケルン市立ヴァルラフ=リヒャルツ美術館コルブー財団にもHPがあるので、私が触れた作品もここで・いくつか見れるよ。

■こうして、時系列に印象派を観、さらに一つづつ摘み出すと、それぞれの時代における「役割」や「意味=価値」が見えてくる。さらに、それぞれを別の時代にぶつけた時に、また新しいケミストリーが起こるんだろーね。

■ここで思い出したのが、今朝観たNHK−BSの書評番組『週刊ブックレビュー』における作家・古山高麗雄『妻の部屋』に対する清水義範の書評だ。
それはこの本が、「老人性痴呆症のように、繰り返して同じコトが書かれている」と視聴者を笑わせつつも、「しかし、同じモチーフでも書いた時期が違う。つまり、同じモチーフでも書いた時期が違えば、違う意味が浮かび上がってくる。」とゆーよーなコト。

つまり、偉大なる画家たちの作品は・それはそれで絶対的&普遍的な価値を持つんだけれど、鑑賞する側が想定するイメージや、どんな時代にその作品を見たか、のちに現れた別の画家の登場などによって、その作品は多面的な姿を現してゆく。
たとえば、コローの時期のクールベ『海』と、デュフイの『海』を知ってしまったそれでは、違った見方が可能となる。
ゴッホにしても、死んでから評価されたというのも、ピカソやウォーホルの出現こそが彼の狂気とポップさが浮かび上がってくるというものだ。

■これは絵画だけではなく、全ての事象に言えることだ。
たとえば我が家にある河出書房の「日本文学全集」(1970年3月30日初版、ああ!よど号ハイジャックの前日だ!)には中野重治で1冊が設けられている。今、同じような全集が作られたら、中野重治で1冊になるであろうか?
「しおり」に評伝を書いている桶谷秀昭は、「マルクス主義文学者としての中野重治への批判」と、「芸術家中野重治の鋭敏な感受性への愛惜の情」の間でゆれる心境を吐露している。1970年の段階にして、このテーマなのである。

私は、全てを相対的に捉える主義を言っているのでは無いよ。
ただ、個性的な存在は、優秀な「鏡」になりうる・とゆーコトさ。

たとえば・・・。そう、たとえば、「北朝鮮」だ。
私は実はこの展覧会『印象派のあゆみ』の・まるで年表のような会場の中で、ズッと「北朝鮮」のことを考えていた。
もっとも印象派の時期は、先に述べたようにコローからユトリロの生涯の時間であると最大限に考えても1796年〜1955年だ。ナポレオン戦争の開始から、ワルシャワ条約の成立の時期だ。つまり、フランス革命から、東西冷戦(=日本では自民党と社会党の馴れ合いの55年体制成立。)まで。長いよね。

「北朝鮮」ではどーか?
1796年〜。★お隣の中国では全盛期を過ぎた清朝に「白蓮教徒の乱」が起こり、下層農民が反乱を起こす。これは革命中国の準備のための一つかもしれない。
〜1955年。★1950年に起こった朝鮮戦争は米・国連軍はスグに終結すると思った。が、予想していなかった中国の戦争介入という誤算の結果、長期化泥沼化を招いていた。5年後の1955年、ようやく北朝鮮から中国人民志願軍12個師団が撤退し、年末、金日成は「教条主義と形式主義を一掃し、主体を確立するために」とはじめて「主体」を口にする。

ま、上記のようなコジツケはいくらでもできる。
私がさっきから、カッコ付きで「北朝鮮」と書くのは、関川夏央の本『退屈な迷宮 「北朝鮮」とは何だったのか』(1992.12、新潮社)からきている。
このカッコ「〜」には意味がある。この本は著者が1987年に初めて北朝鮮に旅行したことから、時系列に出版された1992年までの北朝鮮をめぐるエッセイが13編並べられている。その「まえがき」の題が、

朝鮮半島は日本の「戦後」時代を映す鏡である

で、ある。
つまり、北朝鮮はズーッと北朝鮮であったのだが、日本&日本人が戦後に変わってきたために、北朝鮮に対する見方&評価も変わった・とゆーことだ。
著者の関川の興味は日本人が北朝鮮に対する見方の変化を摘み出して、日本人論を展開しようとしている。しかし、表立って声高に日本人論に触れはせず、ひたすら&冷静に北朝鮮のレポート=フィールド・ワークを記録してゆく。その方法が、同時に日本人論になってしまうんだから、やっぱり北朝鮮は「近い国」なのだ。

拉致家族が連日、マスコミに登場する今、日本中の興味は北朝鮮に向けられているし、北朝鮮を擁護する声など無いに等しい。
だが、ソレは小泉首相が北朝鮮に訪問したつい、1ヶ月前からである。
実際、今年の夏に北朝鮮の話題をした日本人は1%もいないんじゃあないんだろーか?

あー、正直に言います。私も・そーです。
ただし、私はこの夏に、この関川夏央の本『退屈な迷宮 「北朝鮮」とは何だったのか』を読んでいた。それは私が先見の明があったからでも、私が拉致家族であるからでもない。
単に、今年の2月16日に、札幌の古書ザリガニヤで買ったからだ。だって安かったんだモノ。初版のハードカバーなのに、100円。いかに北朝鮮が話題から遠かったかが,その値段でよく分る。私も北朝鮮に興味があったわけではなく、著者の関川夏央に興味があったから買っただけ。もし、これが100円じゃあなくて、500円だったら買ってはいなかったかも・ね。その程度です、私。が、こんなにタイミングよく、北朝鮮をめぐる優れた本を偶然に読む触角は私の才能=ラッキーかもね(笑)。

ちなみに、こ時に一緒に買った100円の本は下記。

@トルーマン・カポーティ『冷血』(1967.4)
A三浦雅士『主体の変容 現代文学ノート』(1982)←大江、古井、中上、両村上、吉本を論じてる。
B小林恭二『父』(1999.7) 新潮社
C雑誌『BUZZ』(2000.3)特集;オアシスVSビートルズ、椎名林檎

■そう、Hush Puppyの靴を今日買ったきっかけになったDを買ったのも同じ日なのさ。


■美術館の会場を出て、借りていたエンピツを入場券売りの綺麗な女性に返す。
先の丸くなったエンピツ。


■美術館のロビーでチラシをチェックしていたら、A4変形版で12ページ、中綴じ無しのミニコミ・ペーパー『elan』Vol.11 september2002を見つけた。
「選ん」で良かった♪
表紙に並ぶ記事のタイトルが目を引いた。

・9.11同時多発テロから一年、米国のアートシーンは変わったのか(小倉利丸)
・旅行者の見た『デメーテル』(篠原誠司)
・デメーテル・実業の街に置かれた虚業の美術(堀田真作)
・「現代<版>展」という現代美術展を見た。(安住賢一)
・本が売れなくなったワケ 崩壊する『本』文化の行方(福島誠)

■なんだか、『共犯新聞』みたいだね(笑)。表紙は林田嶺一の油彩『上海事変図』。うむ。

面白ソー、どーせ東京のマニアの通信紙なんだろーな・と思って編集後記を読むと、なんと札幌で作っているらしい。

「かねてから札幌には現代美術に関して問題提起する<場>がないことの不自然と不健全さを感じていた。健全な批評、批判が存在せず、仲良し子よしで現代美術をやっている姿は異常に映り、そこにはある種のいかがわしさが漂っているようにも思えた。また、中央からの一方通行の情報を受信するだけで、地方からの情報を発信するアクションがないことの苛立ちもあった。(抜粋)」(発行・編集責任/浦澤貴雅)

美術館などに置かれている”おかかえ”ちょうちんミニコミとは・どーやら違うようだ。

■北海道立旭川美術館は常盤公園に面しているので、少々寒くなった晩秋の公園で『elan』を読んでみた。
私が特に印象深く読んだのは、帯広でこの夏に開催された『とかち国際現代アート展デメーテル』をめぐる二人の考察だ。
これにはオノ・ヨーコも参加するので興味を持っていたし、なぜか沼田町商工会にもポスターが送られてくるとゆー、JCがらみっぽいノリや、akiller氏の知人が関わっているとか、かえで嬢の会社に届いた招待状を私がいただいた(けど、行かず。だって遠いんだもん。)とか、気になっていた。どーやら大きいイヴェントなんだろーが、どーも報道も告知も薄いし。

いきなり、記事のタイトルに重なる写真は「誰もいないメイン会場入口」だ。
この写真をみて、かつての愚かな行政の失策『世界・食の祭典1988』を思い出した。
それに、記事を書いている人が招待ではなく、自腹で見ているのにも好感が持てた。
二つの記事はまだデメーテルが終了する前に書かれているので、結論は書いてはいないが、評価すべき点は評価しつつも、コトの本質を突く鋭い「時評」になっている・と、私は読んだ。
■たとえば・こーだ。

「アートの名を借りた公共事業」

ううう。
でも、筆者たちは、きちんとそれぞれの作品を個別に(おそらく)的確に批評している。
こういった地道だが、確実な作業の持続は北海道の美術に良い影響を生んでゆく・と・思う。し、そーならなければ未来は無い。
私のような美術オンチですら、この日記の中に「最近、北海道の美術館は入場客が減ってきていて問題になっているらしーけど、これはポスターと新聞広告のみに頼っている宣伝部の怠慢だね。」と書いたように、ひとつづつ潰してゆく問題点は多い。と、同時にそれらの問題点が具体的に羅列できるうちには、未来に希望もある・とゆーことだよね。うん。

■ニューヨークやパリのように、美術が商売になる空間ではあるまいし、北海道はつらいよ・かもしれない。しかし、ここにも北朝鮮と同じレベルの問題が横たわっているんじゃぁーないか?

こう書けば、世間はどう思う/感じるのだろうか?

「アートの名を借りた公共事業」

「社会主義の名を借りた公共事業」

「公共事業の名を借りた社会主義」

「社会主義の名を借りた独裁」


■関川夏夫『退屈な迷宮 「北朝鮮」とは何だったのか」』が出版されたのは1992年。
何度も書いたように、時系列に書かれたこの本は北朝鮮建国以来はじめて日本人が書いた「普通の旅行報告」である1987年から、1992年8月に中韓両国の国交回復による北朝鮮の一層の孤立までが書かれている。

17歳の吉永小百合のアイドル映画『キューポラのある街』が公開されて大ヒットされたのは私が生れた1962年だ。ストーリーは鋳物の街、埼玉県川口市を舞台に、酒乱の父親を持った娘が明るくケナゲに生きるとゆーもの。ラスト・シーンはクラスメートの在日朝鮮人少年が、希望を持って朝鮮に帰って行くのを吉永小百合と浜田光夫が元気に手を振って見送るというもの。このラスト・シーンは、全体のストーリーから考えると、ちょっと唐突っぽいけど、監督の浦山桐郎らは、当時のビンボー克服の象徴としてこのシーンが適切であると創作したのであろう。

私はこの映画で描かれた朝鮮人少年は、今、57歳になっているんだろーけど、どーゆー生活をしているのか興味がある。続編、『テポドンのある街』をビートたけし先生にでも作ってもらおーか?

まぁ、こんな風に、40年前は、日本では北朝鮮は希望の国であったわけだ。
それも、1980年代中盤まではそれを引きずっている方もまだ多かったようだ。
例の社民党のホームページに「拉致問題はでっとあげ」と書かれたのも、そんな流れであろう。
関川の1987年の北朝鮮旅行報告記には、観光バスの前部座席と後部座席に座るグループで北朝鮮の見方が違うという印象的な記述があるけど、当時まではこのように日本人の北朝鮮イメージも分裂していたんだね。

■こーいった意見が分裂している素材を書くには、明晰な分析能力と、確実な取材が求められる。しかも、拉致問題が連日マスコミを賑わす今なら別だが、今年の夏以前には、けっして売れるテーマじゃあなかったハズだ。だから、なをさら徒労と忍耐を伴う作業であると思う。

特に、対象の姿が日々、変わるのだから。

そこには、対象をその瞬間で”「止めること」→とめること/やめること/「留める=印象に残す」”の力技が必要となる。
で・あるから、関川は時系列に書かざるを得なかった。と、思うよ。

もし、書いたことにミスがあっても、それはその時点での北朝鮮という「鏡」に映った日本人の記念写真であると判断すればよいし、それぐらいのスタンスでなければ、想像力を伴う作業はできない。

細かいことをあげつらえば、やはり関川にもミスや読み間違えもある・よ。
たとえば、

「明らかに先進国水準だから、韓国映画がつまらないのも無理はない。やがてはアマチュア・スポーツも弱くなり、学生運動だけは当分つづくだろう。」

とかは、映画『シュリ』以降の大成功や、W杯サッカーやアジア大会の盛り上がりが軽く否定してしまう。

でも、いいんだよ。それで。
だって、「鏡」なんだもん。
「どうなったか」ではなく、「どう(こちらが)おもったか」の方が面白い。

■韓国をめぐる発言や行動をする文学者は多い。特に、川村湊や四方田犬彦は、現地での教育活動も含めて魅力的な仕事をしている。
『海峡を越えたホームラン』や『ソウルの練習問題』が出世作である関川夏央も韓国から入ったのであろう。しかし、長期に渡る北朝鮮ウォッチャーとして、他者とは確実に違う地平を我々に見せてくれている。

■今回の「拉致問題」に関しての関川の発言は、私はまだ一つしか読んでいない。それも、朝日新聞の紙面評議委員としての短いコメントのみだ。

「70年代から80年代、金正日(総書記)が拉致を指揮、実行していたとされる時期、朝日の報道は北に対して過度に好意的だった。その「歴史」をこそ自己検証してもらいたい。」
(朝日新聞、2002年10月7日)

■おそらく、今こそ関川は・あふれんばかりの言葉を脳味噌に蓄えているのであろう。
そして、あえてソシャクした後に、彼の北朝鮮論が発表される日も近いと思う。


■さて&それでも、『退屈な迷宮 「北朝鮮」とは何だったのか」』はスデに10年も前の本だ。この10年間の彼の北朝鮮に対する仕事を読んでみたい。それは、「時系列」と「止める」ことが脳裏で並行して消えなかった今日の私に求められた中間報告だった。

あ!そーだ、滝川市の古本屋に・あったゾ!
行きつけの古本屋の棚をほとんど暗記している私にとっては、古本屋は図書館みたいなものである。

まっすぐ帰宅すれば40分ほどだが、あえて遠回りをして滝川市に行くことにした。

■あった。
関川夏央 NK会・編『北朝鮮の延命戦争 金正日・出口なき逃亡路を読む』(1998)だ。
『退屈な迷宮』を読んでいる最中に気にはなっていたのだが、矢吹伸彦の装画+新潮社センスの装丁の『退屈な迷宮』と違って、もろビジネス書っぽい『北朝鮮の延命戦争』はタイトルからしてもダサ&ダサだったので、買う気がしていなかったのよ。1600円の定価が800円なのも引いた理由。『退屈な迷宮』は定価1700円が100円だったしね。

でも、今回買って良かった。
『退屈な迷宮』を書いてから、関川は「NK会(ノース・コレア会)」を組織して集団で研究をしてきたらしい。1996年にはNK会と共に『北朝鮮軍、動く』も出版していたことを今回知った。そして、1998年のこの『北朝鮮の延命戦争』である。やはり、時系列に研究する意志は続いていたのだ。どーも、文芸評論家としての関川ばかりを読んできたので、改めて驚かされるし、素直に敬服もする。

『北朝鮮の延命戦争』は、いきなり「金正日の非常時逃亡想定路」なんて超機密の地図からスタートする。巻末には、「金正日ファッションの四季と語録」なぁ〜んてゆー・おちゃめなイラストページもある。
つまり、徹底して、実用書なのだ。そこがタイトルから内容まで文学的だった『退屈な迷路』と大幅に違う点だ。
この実用書のスタイルを関川が選ばざるを得なかったほど、彼と日本にとって北朝鮮は切羽詰まった問題となってきていたわけである。

■私はこの本を書いた関川と、ずーっと買わないでいてくれた滝川市民にお礼を言いたい。
で、この古本屋「GEO滝川店」には中古CDも売っている。私は拉致ブラザーズ=蓮池兄弟の好きなイーグルスとドゥービー・ブラザーズを買った。この二つのバンドの音源を買ったのは初めてだ。
イーグルスの買ったアルバムのタイトルが『呪われた夜』っーのも、なんだかさ、拉致の夜っぽかったりして。
偶然にも、蓮池薫さんが拉致された24年前に発表されたアルバム、ドゥービー・ブラザーズ『ミニット・バイ・ミニット』が中古で売っていたので買った。このアルバムは、ドゥービーの全作品の中で最も売れた。もしかしたら、北朝鮮での蓮池薫さんの脳味噌の中には何度もこのアルバムの曲が何度も浮かんできたんじゃあないだろーか。そして、この曲で、彼のロック史は「止め」られていたの・か・も。

私の手元にある渋谷陽一(←小森陽一でも渋井陽子でもない。)『ロックミュージック進化論』には、こんな文章がある。

「しかし、ザ・バンドもドゥービーもイーグルスも出て来ないロック入門書は、余りバランス感覚に優れたものとはいえない。」

これは渋谷陽一が自戒を込めて書いたもの。蓮池兄弟がアメリカン・ロックに熱中したハイ・ティーンの頃、私は渋谷陽一が編集する雑誌『ロッキング・オン』を読んでブリティッシュ・ロックばかり聴いていた。おそらく、蓮池家にはアメリカン・ロックが多く取り上げられる雑誌『ミュージック・マガジン』があったのであろう。

■改めてカントリー音楽がベースにあるイーグルスとドゥービーを聴いても私は、やはり10代の私には必要の無い音であったと思う。
だって、もーその時にはセックス・ピストルズもデビューしていて、高校生の私は長髪を切ってテクノ・カットにしたんだもんな。
それは私と蓮池兄弟との感性と世代の距離なのかもしれない。
ロック・リスナー年表とゆーものがあるのであれば、時系列に私は蓮池兄弟の次に出てくるのかもしれない。
それでも&たとえば、ドゥービー・ブラザーズの7曲目「Sweet Feelin'」の歌い出しなんて、モロ、サザン・オール・スターズの桑田佳祐の声と歌いまわしだ。知らない人が聴いたら最初の30秒は間違えるだろう。
蓮池薫さんが不在だった24年間の日本の音楽界は、そのままサザン・オール・スターズの歴史でもあるわけで、時間は複雑に進んでいる。

■24年の空白。
浪人して、大学で1年ダブった年数だ。
そー考えれば、日本人の多くは24歳までは空白の24年?違うか、akillerさん(笑)。

■そして、細身で「ダーリング」を歌う沢田研二のイメージのまま、24年後の、四角い大顔のジュリーに出会う奥土祐木子(46歳)さんの時間は、「止められ」るんだろーか。



■旭川〜滝川とドライブして、「山頭火・滝川店」で、しょうゆラーメンを食べて帰宅すれば、愛車の前面のバンパーに無数の蛾の死骸がへばりついている。
その薄い黄土色のペラペラの蛾の羽が、印象派のドットの「面」の・ように愛車の顔色を変えていた。
そして、その虫の羽たちが、あの鈴木慶一の部屋のコルク・ボードから飛び立った無数の新聞の書評欄の切抜きであることに気が付いた。
部屋に戻ったら、目覚し時計をセットしなくっちゃ。





■ふーっ。
ようやく10月20日の日記、完成。
1日の日記を書くのに一週間もかかってしまった。今は10月27日の午後10時29分。
この間の日記に書かれなかった空白の7日間は、永遠に拉致されたままに。
じゃあ、どーして★私は書くのか?
何かを・止めたい/留めたい・のか?


HP★『夏野清三郎「書評道場」』 2002,10,18
■書評誌『recoreco』3号に、私の駄文が載った。
そのきっかけとなったHP夏野清三郎「書評道場」をチラリと見てみたら、「書評作品がドシドシ届いていますので、今回は臨時の指導を行います。」とゆーコトで、第九回(2002年10月16日)がUPされていた。
http://www.metalogue.co.jp/dojyo/dojyomain.htm

■んで、今回の末文にこんな文章があった。





10月も半ばを過ぎてしまいました。年内残すところはわずかに2カ月強です(しかも年末年始はまず確実に時間が自由になりません)。
 そこで今から提案。

「来年、貴方は何を読みますか?」

 どういうジャンルを中心にしますか。
 主に何という作家を取り上げますか。
 そのために、どんな教科書や評論、入門書などを読んで補強しますか。
 どの国の文学をメインにしますか。
 どの時代を中心に扱いますか。
 そのために語学を習う必要はありますか。
 学校や仕事だけでなく、同時に読書のスケジュールも書ける手帳は必要ですか。
 各種の辞書はそろっていますか。足りない物はありませんか。
 近くでいちばん充実した図書館はどこですか。
 週末の一日、いや半日、そこに籠もって本を読む覚悟はありますか。
 学生時代に途中で断念した作家や学問はありますか。
 夏休みに、どんな全集を読みますか。
 書評は、どの新聞・雑誌のものを定期的に読むことにしますか。
 読書の疲れを癒す場所・方法を見つけられますか。
 そうした努力を続けるための、体力の維持はどうしますか。
 夏休み、どうせ行くならどんな文学記念館のある町に出かけますか?
 何という作家のゆかりの地を訪ねますか?

 そんな想像をして、自分なりの目標を設定してみて下さい。年末年初の誓いなんて遅すぎます。来年の計画は、今から漠然とでも立ててしまいましょう。
 秋の運動会も定期異動も終わったことだし、そろそろそんな余裕も出てきているころではないでしょうか。
 皆様の、益々のご発展をお祈りしております。

    道場主・夏野清三郎拝





■おおー。そーか、もー年末かよ。
そこで、最近、無限に届く書評に個別のアドバイスを創造する苦しみを味わい始めた夏野センセーからの「来年の計画」アドヴァイスにシンケンに答えてみよーじゃないか!
でもさ、「デタラメ」と「行き当たりばったり」と「フラクタルに伸びる興味」が墓碑銘の私。
今年だって、こんなんだったし。・・・じゃあ、今年と来年の計画を並べることで早めの反省をしてみよっか。「計画」は倒れることができるケド、「反省」はニョキ&ニョキ成長できるし。
■反省は・どーせ私を罵倒するだろーから、その前に私自身が最後まで反省しきれるためのクスリを一振り。関連書籍っーことで、書評誌『recoreco』2号に掲載された藤森かよこチャン(http://www.aynrand2001japan.com/主宰)による上野千鶴子『サヨナラ、学校化社会』の書評文から二行=2錠、大ジョッキに沈める!

・日本の学校社会に巧みに適応できる「日本の秀才」の頭の悪さ
・まともな日本人は、自らを学校に汚染させずに自己教育してきた。

レッツ・ゴー!

「来年、貴方は何を読みますか?」

Q@どういうジャンルを中心にしますか。

■今年;白川静『初期万葉論』を深く読むために、「万葉集」関連書に発展させる・予定だった。
 来年;現代詩の詩人たちが書いた小説をまとめて読んでみたい・けど。


QA主に何という作家を取り上げますか。

■今年;安東次男、古井由吉、竹西寛子、高橋たか子、石川九楊の・予定だった。
 来年;辻征夫、平出隆とかを読んでみたい・けど。


QAそのために、どんな教科書や評論、入門書などを読んで補強しますか。

■今年;ドナルド・キーン『日本文学の歴史1』、大岡信『万葉集』から広がる・予定だった。
 来年;取り合えず三木卓『わが青春の詩人たち』は読んでみたい・けど。


QBどの国の文学をメインにしますか。

■今年;日本の古代からパラレルに、ホッケの描く西洋や、ケルトの迷路の・予定だった。
 来年;大江健三郎の時代から小説家は詩人にコンプレックスを持っていたんだから、フランス詩人小説の系譜も読んでみたい・けど。


QCどの時代を中心に扱いますか。

■今年;古代の・予定だった。
 来年;近世〜現代を扱いたい・けど。


QDそのために語学を習う必要はありますか。

■今年;漢文をマスターする・予定だった。
 来年;フランス語にもう一度挑戦したい・けど。


QE学校や仕事だけでなく、同時に読書のスケジュールも書ける手帳は必要ですか。

■今年;手帳に進捗状況を記入してチェックする・予定だった。
 来年;ノートパソコンに年間プランを作りたい・けど。


QF各種の辞書はそろっていますか。足りない物はありませんか。

■今年;『万葉集』の原書の文字を解読する辞書を入手する・予定だった。
 来年;フランス哲学の辞書が欲しい・けど。


QG近くでいちばん充実した図書館はどこですか。

■今年;旭川市の図書館に通う・予定だった。
 来年;札幌にも行っていない図書館が沢山あるので楽しみだ・けど。


QH週末の一日、いや半日、そこに籠もって本を読む覚悟はありますか。

■今年;せめて忙しくなるヤミ米収穫の時期の前には1ヶ月に1回は籠もる・予定だった。
 来年;もう40歳だし、後が無いので籠もりたい・けど。


QI学生時代に途中で断念した作家や学問はありますか。

■今年;プルースト『失われた時を求めて』を今年こそ読破する・予定だった。
 来年;一級建築士になりたい・けど。


QJ夏休みに、どんな全集を読みますか。

■今年;柳宋悦全集を読む・予定だった。
 来年;ナボコフ全集を読みたい・けど。


QK書評は、どの新聞・雑誌のものを定期的に読むことにしますか。

■今年;日経、朝日、北海道新聞に加えて書評新聞も読む・予定だった。
 来年;ニューヨーク・タイムズ日曜版やイギリスの書評誌もリアル・タイムに読みたい・けど。


QL読書の疲れを癒す場所・方法を見つけられますか。

■今年;ハワイイのホノルル美術館の中庭に一週間通う・予定だった。
 来年;月イチで、ススキノ・グルメ会をやりたい・けど。


QMそうした努力を続けるための、体力の維持はどうしますか。

■今年;早朝ランニングをする・予定だった。
 来年;秋のコメかつぎで肉体美を復活させたい・けど。


QN夏休み、どうせ行くならどんな文学記念館のある町に出かけますか?

■今年;寺山修司記念館に行く・予定だった。
 来年;手塚治虫記念館に行きたい・けど。


QO何という作家のゆかりの地を訪ねますか?

■今年;柿本人麻呂のゆかりの地をゆっくり散策する・予定だった。
 来年;ジョルジュ・バタイユがゴッホの耳切り事件を考察した元の絵と場所を訪ねたい・けど。


・・・ふーっ。全部、答えたぞ。
と、読み返してみて、
しまった!反省と予定のはずが、ただ単に自分のダラシナサの告白をしただけじゃんか!

夏野清三郎センセイ、精進いたしますだ。
自分のダラシナサの告白


雑誌★『山口昌男山脈 No.1』 2002,10,2 ざーざー
『山口昌男山脈 No.1』山口昌男、窪島誠一郎、大江健三郎、榎本了壱、他(めいけい出版)

 文化人類学者の山口昌男は、死後にフロイトや柳田國男のように全集が出版されてから初めて全貌が少し見えてきて、ようやくそこから「山口学」のような彼の知の体系化を基礎とした研究が始まる巨人だ。彼は本を一冊出版するごとに、今まで茫洋としていた世界を驚くべき行動力と鮮やかな感性で「体系化」し続けてきた。しかし、未だ生き続け、日々、新しい著作と同時に新しい「体系」を展開してゆく彼自身の「体系」はフラクタルに拡張する一方で把握が不可能だ。
 だからって死んで欲しいワケじゃあないぞ。生きている。そう、彼と同時に生きているスリリングを楽しもうじゃあないか!だから、雑誌だ。年平均4回の発行で個人雑誌がスタートした。
 創刊号は彼が実行委員長になって北海道各地で同時多発的に開催された『寺山修司展』をめぐる対談を中心に、学生時代の論文や、未発表の「アフリカ通信」、韓国でのスケッチなどなど。
 発行部数は約2千部だという。少ないんじゃないの?売り切れる前に買え!



■と、上記の書評をメタローグの『書評道場』に投稿した。
http://www.metalogue.co.jp/whatnew.html
http://www.metalogue.co.jp/dojyo/syohyoform.html

■この本を読んで、大野明男の名前を久しぶりに見た。元気なのかなぁ?
1983年、東京の高田馬場に「早稲田マスコミ塾」というのができて、そこの企画を彼がやっていた。
彼は1960年前後ブイブイ言わせていた雑誌『思想の科学』系の有名人だった。
1950年の春と秋の二回、東大の自治委員長としてレッドパージ反対闘争を指導し、退学処分。
1968年に『全学連』(講談社)を出版。時流に乗って売れたらしい。私は古本屋で300円で買った。
そんな彼が久しぶりに(?)世間に登場して「早稲田マスコミ塾」を開校したのだ。
その最初の入学試験には、東大、早稲田、慶応などなど、優秀な学生がマスコミ希望者として受験。なぜか、そんな秀才たちにまじって、モヒカン頭のパンクスの私も第一期生になった。作文が良かった・らしい。
現在、その第一期生は、朝日新聞、日本経済新聞、読売新聞、毎日新聞、北海道新聞、NHKなどのエリート記者になっている。
私?ヤミ米屋です。

今は稲刈りシーズン。
とっても忙しいヤミ米屋。
が、山口昌男の人生を見ていると、こりゃいかんと、思うのさ。「忙しい」と思う自分が甘い・と、思うのさ。

たとえば、この『山口昌男山脈 No.1』には彼の2002年4月〜5月の行動が記録されている。
「テラヤマ・ワールド展」、「スカンディナビア展」、「海を渡ったアイヌのコレクション 英国人医師マンローのコレクションから」など、彼が行った展覧会には私も行っている。
同じ北海道にいて、近い好奇心を持っているのだから、ありえる話だ。
が、もちろん、それらの展覧会の間の行動力はナマケモノの私と違い、超☆超人的!

■なんでも、1963年、まだ無名だった山口昌男が雑誌『思想の科学』に論文を書いた時に、『思想の科学』委員会の大野明男が「あんなふざけたものを書いてって問題になった」そうだ。
山口は、そんなことを、こう回想している。

「僕は、それは先見の明があるなって。大野明男は『思想の科学』的なちょろい連中を破壊する力を僕が持っていると認めた最初の人だってね。」

う〜っむ。サスガじゃ。



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