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久保兄だよ。

アートなオヤジの、文科系★不良日記!


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本★『穂村弘「世界音痴」』 2002,9,23
■また助けられた。
『共犯新聞』インターネット版が文字バケしちゃって困っていたら、サカタからメール。

日付 :
Sun, 22 Sep 2002 19:36

  ■□ サカタともです

// "Kubo Motohiro"-san wrote (on 09/22) //
> 久保です。
> ちなみに、ソースは下記です。
> 下記のソースったって、オイスター・ソースではございません。

 私のところからアップロードしたら直ったようだから、「HP 作成ソ
フト」のアップロード設定になにか特殊な設定(「文字コードを○○に
変換してアップロードする」とか)があったんじゃない?

> htmとhtmlの違いって何ですかぁ?

 別に違いはないんだけど、URL で http://www.geocities.co.jp/
Bookend-Akiko/3973/ とフロントページのファイル名を省略したときに
は、index.html が表示されます。index.htm だとその機能が働かない
だけ。
 ┌───┐
 │サカタ │
 └───┘



■うう。サカタの言うとーり・だった。サーバーに送るソフトFFFTPの送信設定の文字コードを変えると、文字バケは直った。
だいたいこのFFFTPだって、この7月に愛機Mebiusが破壊された時に、わが社の旭川店社員からもらったのだ。「これ、フリー・ソフトですから。」と彼は言ったが、そんなGET方法すら私には分らない。
FFFTPをGETしたら、次はホームページ作成ソフトだ!と思っていたら、多くの方からネット上でGETできるアドレスを教えてもらった。し・しかし、私に出来ることはダウンロードするまで。それ以降はどーにも&こーにも。

と、頭を抱えていたら数年ぶりにノハラさんに再会!わが社に出張の途中で寄ってくれたのだ!
しばらく「懐かしーねぇー!」話をして、ノハラさんが帰り際に経った頃、「実はコンピューターが壊れて、以前、HP作成ソフトも消えたんです。」と言った私に、「分りました。同じヤツ、送ってあげるよ。」。
届きました。ノハラさん、ありがとー。

■ノハラさんとは1998年に北海道道庁が主催する地域づくり交流会「北の・みらい塾」で知り合った人。私より5歳以上は年上だと思う。が、会っ たその日に当時の私が部長だった沼田町商工会青年部のホーム・ページの立ち上げに協力してくれたのだ。その協力がハンパじゃあなくて、サーバー提供から HP作成まで!原稿をワープロなどで作って、郵送すればHPにしてくれると言うのだ。しかも、全て無料。NTT社員のノハラさんが当時出向していた道庁の 外部団体「はまなす財団」のパワーをノハラさんの力で活用させていただいたのだ。
今や、こんな私ですら、HPの更新は自宅でカチャ&カチャなのだが、当時はワケワカランもんだったので、「原稿をワープロなどで作って、郵送すればHPにしてくれる」というコンピューターに触れずにという部分にラッキーと思ったもんだ。
例えば、FTPという言葉もしらず、同じく「北の・みらい塾」で知り合ったコンピューター会社社員の女性に長電話で教えてもらったりした。でも、その時は結局、チンプン&カンプンで終わった。

沼田町商工会青年部のホーム・ページを立ち上げた後に、「北の・みらい塾」のメンバーの洋服屋の若旦那から長距離電話が来て、「いいねぇ。ただ、カウン ターと掲示板が欲しいね。」と言われた。うわー。当時の私はカウンターも掲示板も知らなかった。つい最近の1998年夏のことだ。
「なにソレ?」「HPを見てくれた人の数が分るもの。それと、いちいちコンピューターをいじって更新しなくても、ダレもがどこからでも文章を書き込めるものだよ。」「いいねぇー、それ。」
とゆーことで、さっそく私は「はまなす財団」に電話した。
「えーと、沼田町の久保です。私たちのHPに、見てくれた人の数が分るやつと、ダレでもがどこからでも文字を書き込めるページを付けてくれませんか?」と言うと、相手は「?」。
「あ、久保さん、ちょっと待ってね。」と言われたからしばらくたって、「久保さんがおっしゃった機能は、カウンターと掲示板という名前です。分かりました、数日以内に付けましょう。」。

そんなわけで、数ヶ月、電話と手紙のやりとりでHPを更新してもらった。
しかし、コンテンツの原稿は私のことだから超ボリューム。更新の担当者も、こりゃ・かなわんとなったよーだ。
当時の地域のHPって一度作ると更新しないで死体みたくなっているのが多かったからね。
こんなにガンガン更新するのについて行けなかったんだろう。
で、「ご自分でやりませんか?」と言われ、秋には「はまなす財団」の事務所に呼ばれた。ボジョレー・ヌーボーの解禁日だったのを覚えている。ワインとバケットの匂いがした。
沼田町商工会青年部のメンバー4人で行った。
事務所で、持っていったNECノート・パソコンにFFFTPとHP作成ソフトを入れて、使い方をならった。2時間弱だったと思う。私は理解しなかった。できなかった。


それから半年後の1999年1月15日。成人の日の連休を利用して私は部屋にこもってHPの更新に挑戦した。
あらら。するする。
それから、毎日3ヶ月、睡眠時間4時間で更新しまくった。
今、『共犯新聞』に引き継がれている「英文の沼田町紹介」や「NHKすずらん」「ハワイイ紀行」とかがソレだ。

が、実は当時、私はコンピューターを持っていなかった。まだ古いワープロしか持っていなかったのだ。
沼田町商工会青年部で、久保部長の力で買ったのを自宅に持ち込んでいたのだ。
1999年4月、私は部長をやめ、HP作りからも離れる。

■2000年12月。10年使ったワープロ「NECハイパー7」が壊れる。
21世紀最初の正月、ついに私は自分のコンピューターを持つことになる。

2001年3月31日、39歳の誕生日にHP『共犯新聞』は創刊。



■穂村弘『世界音痴』(2002.4.10)小学館、読了。
著者はコンピューターソフト会社の社員。きっと私なんか原始人なぐらいコンピューターに詳しいんだろーな。
それに、この人、歌人。1990年に歌集『シンジケート』でデビュー。代表作は『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』とゆーヘンなタイトルのやつ。短 歌入門書『短歌という爆弾』は話題になった。っーか、彼はこれでブレイクした。ブレイクしたっーたって、短歌の世界。相変わらず彼はコンピューターソフト 会社の総務課長だ。

私が彼にもっとも接近したのは『共犯新聞』に富岡多恵子の小説『遠い空』の書評を書こうと思って、他の人の書評を検索で探した時にぶつかったHPでだった。
そこのHPの主宰者は短歌を作るOLだった。オフ会に穂村弘も来ているそーで、報告のページにおっしゃれーなキッツサテンに座る彼の写真があったりした。 しかも、穂村弘は彼自身のホームページ『ごーふる・たうんBBS』を主宰している。短歌入門書『短歌という爆弾』には、仲良しクラブ的な同人誌や結社、さ らには短歌HPを推奨している。

なぁ〜んだか、OLに囲まれて、ずいぶん交際上手な人。とゆー印象だった。
で、富岡多恵子がらみの、上記のHPの掲示板に短歌入門書『短歌という爆弾』のことを引用すると、主宰のOL歌人が「『タンバク』、読んだのですね。ほむほむもこの掲示板を読んでいるので喜んでいると思います。」とのレスが来た。
うひゃぁ〜。ほむほむ?タンツボ?・・・もとい、タンバク?
うう。東京は恐ろしいところじゃ。

で、古本屋で穂村弘『世界音痴』を見つけた。
ちょっと迷った。でも読みやすそーだから・買った。


■たとえばこの本を、貴方の部屋のテーブルとかベッドの上にさりげなく置いておく。
きっと貴方の伴侶か恋人が、数日以内にいつもより少し機嫌が良くなっているだろう。そんな時に君が「パンピー」とか「ジャムガリン」とかをさり気なくつぶやいてみたまえ。きっと伴侶か恋人はプッと噴出し、二人は一気にラブラブになるだろう。
つまり、この本は置いてあると手に取りたくなる。流れる回転寿司のターン・テーブル(←こー言うのかなぁ?)の前に魂を抜かれた男が座る。マグロ、タマ ゴ、マグロ、タマゴの列にカッパ巻きが混ざり、赤、黄、赤、黄、黒、黄、赤・・・・・・。カラー写真は幻想を演出。魂を抜かれた男こそ作者の穂村弘。刈り 上げではなく、耳も出ている中途半端な髪型。今どき絶対流行らない黒いフレームのボストン・グラス。ああ、私も2000年4月まで掛けていた。思い出す と・ちょい恥ずかしい。沼田町商工会青年部の部長を引き継ぐ飲み会で無くしたのだ。二重にはずかしー。
そんなダレでも手にとりたくなる不思議な表紙。が、15ページ読んだところで、このボストン・グラスがレンズの入っていない伊達眼鏡であるというコトを知る。そこまで読んだら、もー☆この本のとりこだ。
15ページったって、目次その他を抜けば10ページ目に過ぎない。しかも、1篇が2〜3ページの短いエッセイ。不思議な表紙を手にとって、数行読めば、もー☆この本のトリコなのらー。

■タイトルの「世界音痴」とは、「世間と自然に付き合えられない」自分を称する穂村の造語。
えーっ。私の当初のイメージは、「おっしゃれーなキッツサテン」で自分の短歌の愛読者のOLとナウい(←死語。)会話を楽しむアーバン歌人。ついでにコンピューターも得意。だったのに。

■この本によると、穂村は、飲み会で自然に会話ができない、電車の自由席を選んで座るのが苦手で指定席が好き、洋服屋で緊張してしまい誰が店員か見分けられない、寿司屋で注文ができない、エトセトラ、とゆー・なんとも超ブキヨーな男なのだ。
で、世界の中に入れない人間を「世界音痴」と言うのだそーだ。

■私も音痴だ。運動音痴なおかげで女子にはモテなかった。歌も音痴なので、女の子から「飲みに行きましょー」と言われるとヒク。最近は「飲む」=「カラオ ケ」っぽいし。だから、フランス料理とかカクテル・ラウンジとか、絶対にカラオケの無さそーな店に飲みに行く。しかも、カラオケを避けていることがバレな いように。

しかし、さすがの私でも洋服屋で緊張はしないし、寿司屋のカウンターで「次は白身。今日のネタ、何あるの?」とか言える。
『世界音痴』に書いてあることが笑わせるためのネタじゃあないとしたら、マジすげえ。

ってゆーか、こーゆー人間はIT時代だから増えたんじゃあなくて昔っから・いた。
不器用な高倉健さんも、そーかもしれない。実は本人は六本木の遊び人だったんだけど、映画やCFじゃあ世界音痴に見えないこともない。いや、きっとそーだ。

私のように農村に住んでいると、けっこー・いる。
飲み会でも、オドオドしている人。洋服はいつも同じ人。地下鉄のキップを買ったことが無い人。
でも、そんな人も美味しいトマトを作ったり、ダンプを上手に運転したり、ストーブの分解整備の名人だったりする。

だいたい、男がチャラ&チャラおよーふくを買いに行くなんて近代以降の現象だし。

だから、ほむほむ、嘆くことなかとよ。(←なんで九州弁?)

でも、そんな私の慰めは時の流れに無慈悲なの。

■この本の価値は、そんな「今どきの不器用男。(又は今どきの高倉健。あれ?)」辞典と言うよりも、「昔っから・いた」タイプだが、記録されたこなかったタイプを史上初めて記録した本である点にあると思う。

たとえば、太宰治『人間失格』がある種のタイプを初めて記録したかのように。

■そう。
この本の97%は、単に不器用な30代後半の親と一緒に暮らすパラサイト独身男のダメ話。
笑える。
しかし、ちょこっと残る3%に、ほむほむの文学への意志が石のように転がっているのだ。

中にこんな文がある。ほむほむが自動車運転が下手で白バイから注意された時。

「白バイに乗るような運転エリートには俺の気持ちはわかるまい。じゃあ、あんた短歌つくれるのか?」
う〜む。ビミョーな自信。
つまり、穂村には「文学」への自信がある。それは、「文章力」でもあり、「表現力」「記録力」なのだ。

ちなみに、この本の短い文章にはそれぞれ関連した短歌が文末についている。たとえば、

・夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう
・サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい

こんな短歌読んだことある?今はこんな感じなのねー。

■こんな文章もある。

「携帯電話を買った。そう云うと、「え?今まで持っていなかったの?」と驚かれるが、私の性格を知っている友達は逆に「携帯もついにそこまで普及したか・・・・・・」とつぶやいた。」

今まで人類の歴史の中に、穂村のように世間に馴染めず不器用な人間も沢山いた。しかし、穂村のようにそれを表現&記録できる「文章力」を持っていなかった のだ。不器用な人間は、文章も不器用であったのだ。高倉健も短歌は作れないハズだ。あ、もし作っていたらごめんね、健さんっ。

■さらに、こんな文章もある。

「あの時のメッチェンへの想いを、何かのかたちで残しておくべきであった。もっと早く短歌形式と出会っていれば、と思う。表現の形式を問わず、その時にしか書けないことが確かにあり、後から時間をさかのぼってそこにライブの生命を吹き込むことはできないのだ。」

今、穂村はダメ人間史上初めて彼らの気持ちを文学として記録したのだ。

穂村は文章が上手い。
ホントだよ。
バカなことが話題だし、ぶっとび系の不思議つながりの話題。でも、慎重にみると文章力がある。
その証拠に、ぐいぐい読ませるんだから。しかも面白い。引用されるヘンな短歌にも超現実な作品が多いけど、それは短歌という「詩」だから。それを散文でもやっちゃうんだから、やっぱり文章力がある。

■で、彼は1962年生れだ。私と同じ。ついでに、町田康、松田聖子も同じ。私と町田と松田は早生まれだから、同級生だけど、穂村はどーなんだろ?
私は、もし有名になったら『1962』という本を出版する予定だ。1962年生れの人々にインタビューして回る本(の予定)だ。同時代性を浮かび上げる内容にする(予定だ)。穂村君も入れてあげよう。
なんだか不器用そうで、彼の立場の1962年生まれを代表してもらおう。





■私も、ほむほむのコトをとやかく言えるほどの世界上手ではない。

コンピューターに今回のようにイチイチつまづくのも体系的に理解していないからだ。
そのつど問題が発生。そのつど、つまづく。
どんどん進化&便利になってゆくソフトが、コンピューターの基本を知らずとも、その化粧された表層だけで付き合えられる環境を作ってくれている。私はそれのほんの一部分をいじっているだけなのだ。


■そして今日、民主党の党首選挙が行われた。鳩山由紀夫が再選された。
鳩山のヒヨワなイメージが、そのまま党のイメージにまっすぐ結びついているのは否定できない。
たとえば、自由党は党首=小沢一郎のイメージ通り、寡黙で逞しい雰囲気。
タバコと水割りの匂いのする政治家のイメージは少しずつ変わろうとしているのか?

そして、ヒヨワを表現することこそが、日本を表現することなのではないのか?
穂村は「文章力」で、鳩山は「政治力」で、ソレをすべし。




本★『田中康夫「田中康夫が訊く」』 2002,9,17
■日本とまったく国交のない国、北朝鮮に首相が直接乗り込む。
確かに「歴史的」一日だ。日帰り旅行なので、歴史的「一日」でもある。

■午前6時20分。尾翼に日の丸の付いた専用機が出発。

■午前9時6分。小泉首相、北朝鮮、ピョンヤンに到着。北朝鮮.2キム・ヨンナムが15分後に迎える。

■午前11時。日朝首脳会談。キム・ジョンイル総書記長はコムサ(?)っぽい作業服。

■午後3時。「拉致」被害者の家族が外務省の飯倉公館に揃う。

■午後4時30分。家族に8人死亡、4人生存が知らされる。

■午後5時30分。「日朝ピョンヤン宣言」を調印。日本は北朝鮮に経済援助をすることになる。

■午後5時40分。横綱・貴乃花、隆乃若に勝ち、勝ち越しを決める。

■午後6時30分から、小泉首相記者会見がピョンヤンで開かれた。
日本の放送メディアが北朝鮮から生放送をすること自体、ちょい・びっくり。
これが、例の史上初の「日朝首脳会談」のマトメとゆーわけだ。

この記者会見がもう一点、異質であったのは、会見をする小泉首相の画像の左下に同じく生放送の「拉致」被害者の家族の表情が見比べながら放送されたことだ。
かたや北朝鮮から冷静に報告する小泉首相。
かたや、日本にて小泉首相の報告を一言も漏らさないように息を潜めて耳を傾ける8件11人の「拉致」被害者の家族。
責任感を表情で表現しているかのように、まったく変わらない厳しい表情で語る小泉首相。
それを聞く家族の表情は、小泉首相の言葉により微妙に変化する。
これぞ、まさにライブ。

のちに小泉首相の記者会見は何回もテレビで繰り返されるが、両者の顔を並行して画面にのせたのは、この生放送の時だけだ。

小泉首相の記者会見が数分で終了した後行われた、「拉致」被害者の家族の感想を述べる記者会見は、さらに興味深いものだった。

今日は朝から「拉致」被害者の家族が生放送でテレビに出っ放しだった。
今日まで「拉致」被害者の家族以外の日本国民は、「拉致」問題よりもテポドンや不審船に代表される国家間の緊張の方に関心が大きかったのが正直なところであろうと思う。
それが、やや扇情的な「拉致」被害者の家族のテレビへの大ききな露出が、「拉致こそが日朝問題の第一義」という意識を短時間に日本国民に植え付けた。

私の予想では、日本政府&官僚は拉致問題を、安全保障問題と比較すればほとんど無視に近い扱いであったと思う。
たった11人の生命よりも、将来の日本に突っ込まれるテポドンの方が重要。
さらに言えば、いつ突っ込まれるテポドンよりも、チラチラ現れる不審船に対するユラユラ対応をマスコミ&国民から突っ込まれるイライラ。そっちの方が、11人の生命よりも日本政府&官僚の気になるところだった・と思う。

それが、コペルニクス的転換の発想で、拉致問題を武器にして北朝鮮に乗り込んだわけだ。
ダレがどー見ても拉致問題は北朝鮮が悪い。
そこを突っ込めば、たとえ第二次世界大戦の日本の悪事を言われても、「ら〜ち、らち・らち。」と言うだけで形勢逆転になれるのだ。

この拉致問題を交渉の武器化する作戦が、今回の道場破り的乗り込みにあたっての、ほぼ思いつき的作戦であったという私の考えを裏づけするのは、外務省が12年以上前からこの事実を知っていながら☆ほっぽっていた歴史が証明している。

この作戦はほぼ成功したと言える。
日朝首脳会談の冒頭にキム総書記長の方から先に「拉致して、ごめんピョン。」と言ったのだからして。
NY911一周年にコジツケて数日前に小泉首相はジョージ・W・ブッシュ米大統領と密談ができた。
北朝鮮側にしたら、「悪の枢軸」呼ばわりした世界一の権力者と密談した直後にやってくるんだから、ビビルよなぁー、ふつー。これも小泉演出、ビタリ。

■が、唯一、政府&官僚&コイズミの計算がハズレたのが、やはり拉致がらみだった。
つまり、小泉首相が一番、カッコイー場面になるハズだった午後6時半からの記者会見。
今やタマちゃんに替わって国民アイドルbPに返り咲いた貴乃花が勝ち越しを決め、国民も善玉アドレナリンが噴出している時からまだ1時間も経たない時間。
しかも家庭では夕食。視聴率バッチリの時間帯。
そこへ!拉致問題のヒーロー小泉首相が登場。
んが。小泉首相が映る画面の左隅に「拉致」被害者の家族の苦虫顔も同時中継。こりゃ、コイズミさんもソーゾーもしなかったろーな。
これじゃまるで小泉首相のオーデション番組だ!

そんなコトも知らずに小泉首相は記者会見の時間オーバー後に質問した共同通信の質問にも追加サービスするお慈悲を演出しつつ、さっそうと政府専用機に向かう。
「やぁったぁ〜。オレってバリバリ?」とか内心思いつつ、プレスリーの「ブルー・スェード・シューズ」を鼻歌で歌いつつ(←ちょい脚色過多でした。)、「翼よ、あれがピョンヤンだっピョ〜ン。」であったのだ。

しかし、しっかぁ〜し。
さらにその頃、日本国のテレビは「拉致」被害者の家族の共同記者会見が生放送で行われた。
それまで、ダレがダレだか区別が付かないほど、フツーのオジサン&オバサンの集団であった彼らが、感情を爆発させて一斉に話し出すと、あ〜ららら、こりゃ、一人一人のキャラが立ってきた。
冷静を装いつつも自然と声が震え、咳き込む者。その震えが悲しみであるよりも、怒りであることに視聴者はすぐに気が付く。さらに、その怒りが北朝鮮に向けられたのではなく、政府&官僚&小泉首相に向けられたものであることに気付かされるまでに時間はかからなかった。


●横田めぐみさんの母親は大ぶりのフレームのメガネに髪の毛と襟がグレーの服。「いずれ人は死んでゆきます。めぐみは濃厚な足跡を残してくれた。」と激しい感情の中にも冷静な分析。

●有本恵子さんの母親は大ぶりのフレームに黒い髪の毛と黒っぽい茶色のニット服。「涙も出ませんでした。どういう死に方をしたのかだけは聞きたいと思います。」と自分の感情を冷静に語る。

午前中のテレビ番組で、横田&有本の両母が並ぶと、グレーか黒の違いだけでほぼ双子の老婆にしかみえなかった二人が、こうして結果記者会見ではまったく個性的なキャラに分かれている。言葉は個性を与えるのだ。

●蓮池薫さんの兄。「ただ向こうに行って、おたくは死んでいる。おたくは生きている。それだけを聞いて来るのではなく、追求し、保障するのが国家ではないのか。」

■午後10時。小泉首相が飛行機に乗っている最中、NHKとテレビ朝日はニュース・ショーで「8人死亡でも合意」「合意文章に拉致、不審船の単語 無し」「外交と人命の重さの間でギリギリの迷い」「反発を予想しながら国益を優先」というヒニクめいた報道。けっして前向きに小泉首相の「歴史的」一日を 評価していない。
飛行機が日本についた頃、日本国はコイズミ批判が沸いているであろう。

■感情的になりがちなコイズミ批判を冷静な言葉に集約すれば、蓮池・兄の発言と記者会見で記者が問いただした言葉、「国家犯罪」に集約されると思う。


■一時、「なぜ人を殺してはいけないのか?」というゲームのような質問がこの国でブームになった。
頭脳警察には「指名手配された犯人は殺人許可書を持っていた」という曲がある。
殺人が許可されているワケないじゃぁ〜ん。と、思うかもしれないが、実は殺人が許可されている唯一の組織がある。それが、国家だ。
国家は二通りの殺人手段を持っている。→つまり、「戦争」と「死刑」だ。

時に「戦争」は東京裁判のように「国家犯罪」として裁かれる。
時に「死刑」はニュールンベルグ裁判のように「国家犯罪」として裁かれる。

殺人許可書を持っていても、裁かれるのだ。
つまり、国家より巨大な「超国家」の存在が、国家を裁けるのだ。
たとえば、それは戦勝国という巨大さであったり、国連という巨大さであったりする。

アメリカ?

と、考えれば小さいものから、より巨大なものへ・というサイズがそのままパワーのヒエラルキーと比例することになる。

えーっ?なんかヘンだぞー。
それじゃ、小さく弱いものは大きく強いものを裁く場を持てないのか?

そしてまた、「国家犯罪」とは戦争、拉致のような血なまぐさいものばかりではない。
たとえば、薬害エイズ、狂牛病。もしかすると、諫早湾遮断、原子力発電、道路公団。そして、ダム。
こうした「国家犯罪」を国家の中から糾弾する手段が国家側から巧みに無くされているのだ。

■だから、田中康夫が長野県知事に再選されたことを少し喜びたい。
もちろん、彼は満点知事ではない。しかし、確実にベターであったと思うのだ。

■9月8日。民主党の参院議員だった今井澄(きよし)の葬儀が長野県であった。
今井は1969年1月、東大紛争のとき安田講堂に立てこもった全共闘の防衛隊長だった。
あの機動隊と放水の激しい戦いをした学生運動の一つのクライマックスだった。
その後、新左翼運動は「よど号ハイジャック」事件で北朝鮮に分散。

今井の葬儀会場の献花の中に赤白模様のヘルメットが一つ置いてあったそうだ。

葬儀には民主党の代表選挙が翌日の9日からスタートするせいか、鳩山由紀夫、菅直人、横路孝弘、野田佳彦の候補者4人も参列。
東大医学部卒業後に地域医療の志で医者になった今井と、同じ医者仲間とゆーことで坂口力厚生労働大臣が羽田孜民主党特別代表と共に弔辞を読んだ。

朝日新聞の早野透が、「だが、会場が息をひそめたのは、友人代表としてかつての東大全共闘議長山本義隆氏が白いヒゲを蓄えて現れたときだった。」と、伝説の男=山本義隆の弔辞を記録している。

「あのときの『帝大解体』とは、法案や条約に関して国会に圧力をかけるそれまでの学生運動ではなく、
社会に構造化された権力に立ち向かうことだった。
決意した個人が自分の責任でたたかう市民運動のさきがけだった」
「君が死んだ日、田中康夫氏が圧倒的に長野県知事に再選された。
本当は君はこういう運動をやりたかったのではなかったか。新しい風は吹いている。安心して眠ってほしい。さようなら」

■1980年、超ナンパ小説『なんとなくクリスタル』で、なよなよ&ブランド信仰という超資本主義のバカ息子的に田中康夫が登場した時、まだ東大安田講堂攻防から10年ほどしかたっていない。
北朝鮮が「社会主義」の野望で拉致まくっていた頃。
その時点で、あの山本義隆が田中康夫を自分の意志の後継者として公言するなんて、ダレが予想したであろうか?

■私にとって田中康夫『東京ペログリ日記』(1995年)は新鮮だった。
『なんとなくクリスタル』は、当時、上京直前のオノボリサンとして・とりあえず買って読んだ程度の本だった。それでも、例のトゥー・マッチな注で、パンクの説明が「結局、パンクはジョニー・ロットンだけだった。」とか書いてあって、おっ・と思ったりもしていた。
でも、それからズーッとゴブサタだったのだ。
で、あわてて『なんクリ』から『ペログリ』の間を埋めるべく、古本屋を漁った。すると、初版本が100円でバカスカ買えるのよ〜!
で、小説はツマラン。が、エッセイがいいのよ、これが。特にレストランやスチュワーデス批評が適切で、びっくしー!

■田中は長野県知事に就任する前から「行政はサービス機関である」が持論だった。
今年9月2日の朝日新聞「天声人語」には、そんな田中を上手に説明している。

「田中氏は接客業への関心が極めて高い。
サービスとは何か、を繰り返し論じた。
とりわけ一部の人を特別扱いするサービスを攻撃した。レストラン、ホテル、航空会社などを標的にした。これはそのまま氏の政治スタイルにつながる」

つまり、「私から公を組み立ててゆく」。

そんな田中氏の本領発揮とゆー本が昨年、出版された。
『田中康夫が訊く どう食べるか どう楽しむか』(2001年10月、光文社)だ。
田中康夫が、色んなレストランや日本料理屋に訪れて、プロから外食の楽しみ方を教わるのだ。

ええ?「教わる」?あの辛口の外食バスターが、低姿勢で「教わる」!

それだけで、新鮮な企画と思わせるのも田中康夫のなせるわざ。
だって、プロから教わるのなんて、ぜんぜんフツーじゃんか!

■しかも、この本は雑誌『BRIO』に1999年5月号〜2001年6月号まで連載していたもの。
田中は2000年10月15日に長野県知事に当選している。
つまり、この本は田中の選挙の前後のもう一つの顔でもあるのだ。

あー!ややこしー!
だって、本当はグルメ男が本当の顔で、政治にも詳しいのが、もう一つの顔だったのにねー。

同じく雑誌『GQ』連載の浅田彰との対談「憂国呆談」は、政治をリアルタイムに論じ合っている。これと並行して、外食屋のプロから「天ぷらは塩か、つゆか」とか「舞妓と芸妓の違い」とかを学んでいる。

でも、ちゃぁ〜んと、当選後の写真ではヤッシー・バッジを胸につけていたりする。

■これが雑誌で連載されていたときから、美しくかつ役に立つカラー写真も魅力的だった。
だから、単行本化される時は、大判のグラフ雑誌っぽい本に仕上げるのかと思いきや、わりと地味な表紙。が、よくよく見てると不思議な「品」のある装丁だ。これ、光文社のセンスかな?
中の編集もかなり計算されている。実は手抜きどころか、かなりのレベルの編集技術と努力が本造りにかけられている。

■内容も、刺身につけるワサビは醤油にとかしてもカッコ悪くないとか、かなり実用的。
これ、聞き手がダレでもいいわけじゃあなくて、やはり今までスッチーや飯屋を辛口で切ってきた田中康夫が、へりくだって訊いているところに、読み手も知らなかったことが恥ではなく、なんだか逆に自分も田中康夫なみの知識はあるのよという錯覚にさせちゃう・くすぐり。

■この手法を政治にも同じ視線で持ち込もうとしているのだから、ふーん。

田中が、ゴミ料理人からは訊こうとはしないように、某県議や記者クラブに耳を向けない。
まぁ、コレが通用するかどーかは・どう?彼のキャラなのは確かだけどね。

スッチー&飛行機の批評がまっすぐ、「国家犯罪」にもつながっているって、なんだか魅力なんだけどね。




■コイズミ飛行機が日本国に近づくにつれ、世界からの今回の評価の情報も入ってくる。
悲しみと怒りに染まりだした日本とはウラハラに、アメリカと韓国は「交渉☆大成功!」と喜んでいる。アメリカはさっそく、北朝鮮に核査察にお邪魔するつもりのよーだ。

数人の生命よりも国益か?やはり?

■数人ぐらい拉致したぐらいで、何怒ってるんねん?日本かて、1945年以前はもっとぎょーさんの朝鮮人を拉致して、日本の山奥で強制労働をさせたやないか!?
・・・・・・ってか?
確かに私の生まれ&住んでいるこの町を含めて、北海道には多くの朝鮮人が拉致されて連れてこられた。
しかし、今回、この点も含めて「戦争慰謝料」の話題が出なかったのは「拉致問題」の巨大さよりも、北朝鮮の脆弱さの露呈であると思う。
もしかすると、北朝鮮は危篤状態なのかもしれない。

■午後10時45分。コイズミ専用機、羽田空港に到着。




平常心! 映画★『ジョン・ウー監督「ウィンド・トーカーズ」』 2002,9,8 にこにこ♪
■休日だけど、朝から仕込みに旭川市へ行く。

■午前10時。一段落してから、街をブラブラ。
とりあえず、富貴堂という旭川で一番の老舗の本屋へ。
本屋も大型店が増えた今日、品揃えに工夫が有る。
それでも、2日前に旭川に初進出してきた本屋「ビレッジ・ヴァンガード」の「コダワリ」にはかないやしない・が。

三浦雅士が編集長をするバレエ専門誌『ダンス・マガジン』を立ち読み。
7月に観たキエフ・バレエ団ゴダール+バレエという、まるでウナギ+梅干的食べ合わせの旅。『白鳥の湖』の批評をチェック。
総勢100名以上の大型公演&日本縦断ツアーであったので、さぞ多くのページをさいた大特集があるだろーと思った。
が、たったの2ページ。
しかも、批評は厳しい。
だいたいこんな感じだ。

@前回のほうが良かった。
Aロシアの不況の長期化で、優秀なダンサーが国外に流出している。
B主演のプリマドンナの白鳥の翼を表現する腕の動きは絶品。

Bは「共犯★日記」に書いた感想と同じだが、@&A!そっかー、あれで感動した私はまだまだバレエ鑑賞の初心者であるとゆーワケだ。

■そろそろ映画館も開いただろー・と、旭川で老舗の映画館「旭川劇場」へ。
旭川には9つの映画館スクリーンがあるが、今は私の興味を引く映画はやっていない。
主演が村上春樹HPで話題のニコケイことニコラス・ケイジの『ウィンド・トーカーズ』に消極的ながら決める。

『ウインド・トーカーズ』
製作・監督:ジョン・ウー
出演:ニコラス・ケイジ/クリスチャン・スレーター/アダム・ビーチ
■ 第2次世界大戦下のサイパン島。日本軍と激しい銃撃戦を繰り広げるアメリカ海兵隊のジョ−・エンダーズは、特殊な言語を操るネイティブ・アメリカンのナバ ホ族の暗号通信兵の1人ベン・ヤ−ジ−の護衛と暗号の秘密を守る任務を任される。多くの兵士が命を落とす中、心に傷を持つエンダーズはヤージーによって癒 され、友好を深めていく。しかし、ヤージーが敵の捕虜になる危険が生じれば、どんな犠牲を払っても暗号を守らなければならないという極秘司令も下されてい たのだった…。アクション監督ジョン・ウーが戦争映画で見せる男の友情劇とは?

っーのが、パブリの宣伝文句。

■戦争映画はあまり積極的には観ない私なのだ。
まぁ、そんなコトよりも、この映画館の超レトロ風味にはまいった。
シネコン流行以降、札幌の映画館はソフィストケイト一直線である。
しかし、旭川の映画館で「おっしゃれぇ〜♪」と感じるとこは・無い。←そー言い切れる。
全てが「おっしゃれぇ〜♪」になる必要はないのだが、1件ぐらいあっても良さそーなモンじゃんか?
だいたい、客商売なんだぜ。国内の野球場が「東京ドーム」以降、清潔になったように、映画館ももっとイノヴェーションされているハズなのにね。
旭川は昭和50年あたりで、映画館の経営センスが止まっている。音も悪い。

ところが、ここ映画館「旭川劇場」は昭和30年代で止まってんじゃあ―ねーの?と、ゆーぐらいレトロ&カプリシャス。
@トイレの年代モノのタイル。
A入口の黒幕の処理。
Bなぜか映画が始まる前も真っ暗な館内。←私にはその意味が理解できない。待っている間に寝ちゃうよ、これじゃあー。
C『テレビなんでも鑑定団』に出したくなるイス。→木の肘掛、布にバネの感覚が体を包む昔の学校の先生用のイスみたいな感触のイス。
Dスクリーンの前にステージが広く取ってある。→歌謡ショーができるぞぉ。

■ここまでレトロなら、レトロ路線のコンセプトでデコレイトしたら、いーかも。
札幌や東京に住む往年の映画マニアが行くと、懐かしくなる映画館だろーね。
でも、行政もダレも、ここを保存しようとは行動しないだろーね。

だいたい、かつての文部省は黒澤明に章をあげるという意見が出たときに、「映画って興行でしょ?だからダメ。」と却下したんだからね。


■さて、映画が始まる。
監督は、ジョン・ウー。漢字では、呉宇森。1946年、中国・広東省生まれ。5歳で香港に移住。19歳で実験映画を撮り始め、73年に『カラテ愚連隊』で 監督デビュー。チョウ・ユンファ主演の『男たちの挽歌』(86年)で注目を浴び、93年に『ハード・ターゲット』でハリウッド進出。現在は米国在住。

『男たちの挽歌』では、ピストルのドンパチ、飛び散る血。っーことで、風貌からも映画『この男、凶暴につき』の北野”ビート”武と私はイメージがダブっていた。
路線に変動は無いものの、ホンコン映画からハリウッド映画に移った彼は、1998年にハリウッドの二大俳優、ジョン・トラボルタとニコラス・ケイジが共演 するアクション映画『フェイス/オフ』で、自ら「アクションだけでなく、人物も描けることを証明できた」と語る成功を収めた。興味深いのは、同映画にて彼 が「二人はクロサワ(黒澤明)映画のミフネ(三船敏郎)とナカダイ(仲代達矢)のような関係」とインタビューに答えていた点である。
映画を「教養」として体系的に観てきて、自分なりにソシャクしている背景がうかがわれる。

■映画創りとは、もちろん芸術活動ではあるが同時に土木工事のような苦労&体力&知恵が必要な作業だ。
映画も土木工事も、一番エライ人を「監督」と呼ぶのは日本語の正しい敷衍化であると思う。

そー言った意味で、小規模土木工事=ホンコン映画から、大型土木工事=ハリウッド映画に転身したジョン・ウー「監督」は、まったく性格の違う組織を瞬時にオーガナイズした点からも、天性の「監督」であると言えると・思う。
特に、この『ウィンド・トーカーズ』は『スターウォーズ・エピソード2』や『オースティンパワーズ・ゴールドメンバーズ』に隠れて宣伝がちょいジミだが、なんとMGM史上最高の1億2千万ドルの制作費がかかっているのだ!私が見た時は映画館に9人しかいなかったけどね。
映画史にはグリフィス、エイゼンシュタインの黎明期から、ビリー・ワイルダー、キューブリックと、アメリカ以外の文化圏からハリウッドに進出して成功した偉大なる「監督」の系譜がある。

確かに日本人の海外での活躍も目立つ時代になってきた。
しかし、イチローが世界サイズになっても、一プレイヤーとしての才能であり、海外で「監督」としてのオーガニゼーションの才能で認められた日本人はまだいないのではないのか?
あれほど英語がペラ&ペ〜ラな長嶋茂雄にしてすら、海外の野球チームから監督のオファーが無いのである。(笑)

映画に話題を戻せば、小津安二郎にしても、今日、9月8日に第59回ベネチア国際映画祭で前衛的な作品に与えられるコントロコレンテ部門の審査員特別賞を『六月の蛇』で受賞した塚本晋也(42歳)にしても、日本の映画産業というサイズ内での才能であるということだ。
大島渚のフランスでの『マックス・モナ・ムール』も彼の代表作とは言い難いし、あの黒澤明にしても、『トラ!トラ!トラ!』はリタイアしてしまった。

もちろん、ハリウッド映画が最高なわけじゃーない。
ただ、日本人が出来ない越境が、中国人にして香港育ちのジョン・ウーにはできたのだ。
その事実は、何か日本人のある種の限界を暗示しているように感じてならない。


■しかもこの映画の舞台は第二次世界大戦の日本VSアメリカ。
監督は中国人。
う〜む。色々とソーゾーしちゃうよね。

映画のテーマは単純だ。「友情」。
かつての無敵の600万部発行の少年マンガ雑誌、『週刊少年ジャンプ』の有名な読者調査は、
・一番心あたたまることは・・・・・・友情
・一番大切に思うことは・・・・・・努力
・一番嬉しいことは・・・・・・勝利
の三つの言葉であった。(西村繁男『さらば わが青春の『少年ジャンプ』26ページより)

■この21世紀の最新映画も、まったく同じコンセプトの”少年ジャンプ映画”と言っていいかもしれない。

■ただ、この『ウィンド・トーカーズ』が新しい点は太平洋戦争に、ネィティヴ・アメリカンの視点を導入したことだ。
ストーリーのポイントが、ネィテヴ・アメリカン、ナバホ族の言語。これが、日本人には分からないので、これを暗号に使えば解読はされまい。とゆーこと。
当時の日本人の暗号解読能力のレベルは高かったらしい。しかし、ついにナバホ語の暗号だけは日本軍は解読できなかったらしい。
タイトルも、風(Wind)を話す人(Talker)という詩的な俗称からなる。
このシステムにより、差別されていたインディアン=ナバホ族が一気にアメリカ軍にとって重要な存在になる。

■戦争の大好きなアメリカのブッシュ大統領は、去年のNY911の直前の2001年7月26日、第一期のコード・トーカーズ29名に名誉勲章を授与した。
なんで今ごろ?
んじゃ、この映画も、そーゆー共和党のプロパガンダ映画か?

■戦争とは、敵と味方。この単純な二項対立を、日本人VSアメリカ人だけではなく、ネィティヴ・アメリカンという支点を加え、さらに監督は中国人。この複数の支点が、問題をどんどん相対的にしてゆく。私は、それには感心した。
ただ、それらをハダカにすれば、ただの単純な「友情」物語にすぎないのだが。

■支点の複雑化として、こんなアイディアも映画に印象的なシーンとして出てくる。
ナバホ族の暗号係の吹くケーナのような縦笛に、米兵がハーモニカでからみ、アンサンブルのジャム・セッションをする。何度も行ううちに複雑な表現ができてくる。
これは正に異文化との融合の比喩である。ちょい安易だが、ジョン・ウー監督の一面でもある。
映画のモチーフを全て単純に「友情」に収斂してしまうのではなくて、「友情」を超えた文化交流への可能性みたいなもう一歩が表現できないのかと、考えながらこのシーンを見ていた。

ちなみに、このケーナみたいな縦笛を吹くナバホの男はちょい小太りがっちり系でオヤブン肌っぽくて、なんだかジョン・ウー監督を彷彿させる。監督も意識していたんじゃあないのかな?
この男が日本兵に暗号解読のために捕虜にされそうな時に、暗号の秘密を守るという命令を遵守する理由から、ニコラス・ケイジの演ずる軍曹は味方なのにッ殺 してしまう。これで、暗号は日本軍にバレなかった。だが、白人はただ単にナバホ族を暗号解読機械としてしか見ていなかったのか・と、「友情」論の変奏曲が 映画の後半に展開される。

とにかく、一色のグローヴァリズムよりも、より複数の支点の存在への想像力こそが戦争を陳腐化させる有効な知性であるのだから。

■あと、この映画の他の特徴として、ジェフリー・キンボール(=映画『M:I-2』でもジョン・ウー監督と組んだ。)による撮影なのか、色彩の統一がある。
映画の冒頭はナバホ族の住むアメリカの広大な原野。その赤土の、薄いピンクを含んだカーキ色。名作『アラビアのロレンス』が砂漠を美しく撮影したのを思い出させる。
で、シーンはナチュラルに太平洋の激戦地へとなるのだが、今度は米軍兵の軍服のカーキ色が、ナバホ族の大地とつながって目に馴染む。
戦争シーンは残酷なのだが、超越して存在する大自然の美しさ。それは撮影の色へのこだわりが見事に表現していた。



■映画を観終わって午後1時30分。映画館近くの「銀嶺食堂」で食事。
ここには初めて入った。映画館もレトロだったが、ここも超★レトロ。なんだか昭和30年で時間が止まっているみたいだ。

外観なんて、北海道第二の都市=旭川の中心部にあっていいのか?とゆーぐらい昭和してる。
気持ちは恐る&恐るだが、顔は常連のフリでノレンをくぐる。
曲がりカウンターに数席。それと背中合わせに、また数席。意外に狭い。名前ほど大きくない(笑)。
カウンターに座ると、静かな雰囲気の50歳ぐらいの男が静かにスポーツ新聞を手渡してくれる。
「定食っ。」と、常連ぶって言ってみる。
「ゴハンテーですね。」と言って、幽霊のように奥に消える。なんだか足の裏に車輪が付いている様な動きだ。昔のブリキのロボットみたいにさ。
ところで、ゴハンテーって何だ?

スポーツ新聞を見ながら、なにげに店内を探る。
カウンターの向かいにはショー・ケースがあって料理が並んでいる。よくあるロー細工か?
隣に座っている男は10皿ほど並べて豪快に食べている。これが定食か?
カウンターから曲がったところには、初老の夫婦がよくあるように仲が悪い演技をしなければ他人の前では会話が上手にできないといいった口調で午後の予定を議論している。
ああ、カウンターで見えない。一体、彼らは何を食べているんだ?ここでは何が出てくるんだ?

いつのまにか私の前にさっきの男が車輪の音もせずに(←当たり前!)スーッと横滑り的に存在していた。
で、私の前にドンブリご飯大盛り(←おそらく、北海道米。)、薄い大根の漬物2切れ、白身魚のツミレ団子の味噌汁、そして熱いお茶をそっと置く。
水じゃあなくて・お茶とゆーのも、なんだか雰囲気。
カウンター曲がりの初老夫婦が「お会計ぃー。」と言った合図で、車輪男のスィッチが入って、ギー・ガタンと、そちらへ向く。
すると、なんとその男は手のひらほどの小さなソロバンを取り出してパチ&パチと計算して合計を言う。
今時、ソロバンとはクールだぜ!

私は謎のゴハンテーを食べていた。確かに脂の乗った魚ダンゴの味噌汁は美味い。が、ご飯と味噌汁と漬物2枚が定食か?だから、ゴハンテー=ご飯定食か?

と思っていたら、車輪男、転じてソロバン男が、三度いつのまにか前に居て「お決まりですか?」とたずねてくる。
なんて私は鈍感なんだ。カウンターごしにあるショーケースはロー細工の見本料理ではなくて本物なのだ!
よく観ると、鯖味噌やトンカツなどが皿で並んでいる。しかし、価格も品名も書いていない。鯖味噌に見えるが、実はサンマ味噌だったら・どーしよ?トンカツに見えるが、実は白身魚のフライだったら・どーしよ?
「常連」を演ずる身としては、ここはミスれない。
絶対間違えることのないモノをオーダーすべし。
で、「あー、ナス。」ナスビに味噌がかかっているのが目線の高さであったのだ。味噌ではなくて、万が一、デミグラソースであったら困るので(なワケないか。)、「ナス」としか言わないのが味噌。
でもソレだけでは「常連」としては不自然だ。ナスビの隣に陳列してあるのはどうやらメンチカツだ。「それと、メンチカツ。」とすかさず言う。セーフ。ふふ ふ。と、安心した直後に私の灰色の脳味噌に巨大なクエスチョン・マークが飛来してくる。「あっ!メンチカツではなくてハンバーグであったらどーしよ う?」・・・・・・しかし、発言は撤回できないのだ。「常連」のオキテは厳しいのである。それにしても、2m先に水平に置かれた目線の高さの皿の上の丸く て茶色い食物がメンチカツかハンバーグかを当てるのは、ナバホ族でも難しいであろう。

私がこの日ついているのは、Mr.ソロバンが「ナスとメンチカツですね。」とすかさず復唱してくれたことが証明している。

それからMr.ソロバンは「温めてきます。」と言って、皿を持って厨房へ消えた。
「?」
その間に私は、2m前のショー・ケースをチェック。上のほうには日本名物のナポリタン風のケチャップ味のスパゲッティもあるぞ。スパゲッティも「温めて」=チンして食べるのか?こりゃ、伊丹十三に怒られるぞー。

それから私は調子に乗って、水を頼んだり、メンチカツ(←やっぱり、当たっていた!)のそえもののキャベツにかけるマヨネーズをたのんだりした。
マヨネーズがチューブのまま出てくると思ったら、ちゃんと小皿に移されて出てきた。うむむ、あなどれないぞ。

水を持ってきたのは50歳ぐらいのちょい小太りのオバハン。元気がいい。声もちゃんと出ている。
Mr.ソロバンはマスオさんなのか?

「おあいそ」と言って、ソロバンがはじかれ、私は740円払って出てきた。
それが安いか高いかは分からんが、不思議空間の体験は充実していた。
おすすめ空間である。ただし、不思議度を上げるために、是非、行く時は一人で行って欲しい。


■それから私はミーのカーで北海道立旭川美術館へ。
何がやっているかは分からん。時間つぶしだもん。
当日券を買うと、300円。え?安いんじゃーないの?
なんでも開館20周年所蔵品展らしい。
海外の有名美術館はルーブルもメトロポリタンも、基本的には所蔵品展なんだけど、日本は移設企画展を観に行く習慣が付いちゃってるよね。
「所蔵品展」なら元手は少なくていいんだから、300円でも可能なわけか。うむ。良心的。
問題は、私のように何度もココに来ているヘビー・ユーザーの目も満足させる「企画」であるか・どーかとゆー点。

展示のタイトルは、『木彫博物誌〜自然と芸術の語らい〜』。
所蔵品の中の木の彫刻作品を集めた展覧会だ。
ユニークなのは、展示の分類を木の種類ごとに分けたとゆーこと。つまり、「桂(カツラ)」、「水楢(ミズナラ)」、「欅(ケヤキ)」といった素材ごとに コーナーが分かれている。そして、それぞれのコーナーに種類ごとの木の説明を書いたチラシがあり、それらを収集しながら会場を回るゲーム性が用意されてい る。さらにユニークなのが、この美術館が建っているのは常盤公園なんだけど、その常盤公園の中にそれぞれの木が自然に立っていて、それも美術を楽しんだ後 に探して回ろうというオチャメなゲームまで準備されている。
オッケー。いいじゃん。

で、展示されている作品群は私にとってはスデに何度か見ているもの。
有名どころでは、ベストセラー小説『永遠の仔』の表紙にも使われた船越桂の人体『午後にはガンター・グローブにいる』。作者の名はカツラだが、使用している木はクス。
そう、我々一般ピーポーは、「木の彫刻の素材は木。」でいいわけだが、こうして分類されると、木ってかなり違う。色や堅さ。堅いことによって彫刻刀との軋 轢によって生れる木のササクレ。確かに、木を削る前に作者は木の素材を選ぶ時間をたっぷり使ったのであろうと、初めて気が付いた。よく考えると当たり前な んだけどね。寿司にはササニシキとか・みたく。

そのいい例が、砂澤ビッキの『ニツネカムイ』だ。これはダンゴ三兄弟(←古くてスマヌ。)をタテにしたような抽象的な彫刻なんだけど、その3つのダンゴっーか、球と、下でささえている台。これらが別々の種類の木で作られていたのだ!
私は今まで何度もこの作品を見ていたが、同じ種類の木で作ったとばかり思っていた。
ビッキ独特の彫刻刀の跡をワザとのこすワイルドな手法もあってか、素材選びに神経が使われている印象は無かったのである。
それが実は上から、87、63、85……じゃーなくて、クルミ、タモ、クルミ、カツラなのだ!
しかもこの作品のタイトルはアイヌの伝説上の魔人(悪神)のことであり、神話でアイヌ人と戦って頭がチョン切られ、頭と胴体が大きな岩になって、旭川のカムイコタンというところに今でもころがってる・ということらしい。
ははぁーっ!どーもスミマセン、何も知りませんでしたぁー。

と、ゆー具合に勉強になった展示であった。
「所蔵品展」とは、同じ作品を繰り返し並べるダケではなく、こうしてキューレターの「企画」により新しく読み改められてゆくものなんですねぇ。
偏愛されたからこそ、手に入れたんだし、「所蔵品」こそ再生され続けられるべきなんだね。

それと忘れてはいけないのは、旭川市が木の街であるという点。
旭川の産業は古くは木材の伐採であった。そこから派生したのが、家具、建築、パルプ。
戦前までは旭川は軍隊と木材の街と呼ばれた。カラフトも日本であったので、木材と軍隊のノウハウが旭川から北上した。
軍隊は無くなり、自衛隊ができた。自衛隊は倒産しないが、旭川の家具、建築、パルプは大不況で倒産や撤退が続出である。
そんな時に「木」にプライドを持たせる今回の美術館の企画はエライ!


■で、私は今年の初夏にオープンした本屋「宮脇書店」に行ってみる。
昨日、おとつい旭川にオープンした本屋「ビレッジ・バンガード」に行って、狭いながらも、本が好きなんだなぁーと分かる展示に感心したり、あきれたり(?)しながら楽しんだ私はもう一つの今年の話題のオープンをチェケしたかったのよ。

ここは元ダイエー・ハイパーマートがあったとこ。
そう、ダイエー創業者の中内功氏の息子が「企画」したアメリカ型の倉庫をイメージしたレイアウトのディスカウント型スーパーマーケットがぽしゃってしまって、撤退したあとに出来たのが、この宮脇書店だ。ディスカウント家電のヤマダ電気も併設されている。

ふれこみは北・北海道一の書籍の在庫数。期待して行ったよ。
でも、ダメだね。
まず、分類がデタラメ。例えば、大江健三郎が、「新刊」「話題の本」「男性作家」「文芸」と4つのコーナーに分散されていた。「写真集」がエロ雑誌のそば にあり、「写真」が美術書のソバにある。そのことにより、アラーキーに行き場が無くなる。いたるところに『サティスファクション』(=売れている女性の性 の本。)ばかりが並べられている。
もうオープンから数ヶ月経っているのに、棚の修正をしていないのがミエミエだ。
私はとうとう文芸批評のコーナーを探せなかった。
きっとここの店員は本を愛していないのだろう。

■本屋「ビレッジ・バンガード」が入った旭川駅前のファッション・テナント・ビル「EXC!(エクス)」は、撤退した「マルサ」(丸井今井によるデパート)の跡に入って、おとついオープンしたばかりだ。
駅前にダイエーの空家があるのは長野市だ。
旭川の経済人は駅前のデパートの空家を無駄にしなかった。えらい。

同じ空家でも知恵が薄いと「宮脇書店」みたくなるのかなぁ。


■ちょい暗い気持ちで、旭川市民文化会館へ。
午後4時から『高橋千悦子バレエスタジオ 第3回発表会』。
創立5年目の若いバレエ団だが、生徒の数もまぁまぁいて、そこそこ楽しめる。
しかし、中学2年生でバレエを止める子が多いせいか、物足りなさも否めない。
3部構成で、第三部「子供のための創作バレエ 白雪姫」などはオリジナルなのだろうが、けっこうな大作。シロートの子供を仕込んで、ここまでの演出&振り 付けをした主宰の高橋千悦子の才能に、午前中考えた映画監督=土木工事監督のオーガナイザーとしての資質を重ねて考える。
ただ、このオリジナル大作「白雪姫」に力がかかりすぎたのか、第一部、第二部のアラカルト的バレエの振り付けは凡庸かつパターンが少ない。
3〜5歳の子供が数人で踊る場合、手を伸ばす方向や足の開く角度はほとんど統一されていない。
そもそも100名ほどの生徒を主宰と助教師の二人だけで月〜土びっちり4箇所で教えているのだから、無理もないのか?
つまり、細かい統一の訓練よりも、3歳でもステージに立てるという、もっとザックリとした目的へのプランの大胆さ。これも、「監督」の才能であり、判断であろう。

こうしたシロートに混じってゲストのバレエ・ダンサーが三名招待されて踊っていた。
伊藤謙一という札幌で「伊藤謙一バレエスクール」を主宰する男性ダンサーは、高橋千悦子バレエスタジオの2人の中学二年生の女とチャイコフスキー『白鳥の 湖』からの曲で数種類のダンスを「パ・ド・トロワ(=三人の踊り。)」として演じた。最初の踊りは、ジャンプ力に乏しく、ベテラン=ダンサーの晩年という 悲しさを感じさせたが、徐々に踊りがダイナミックかつ高く飛ぶようになった。
これがベテランか!最初が良くてだんだん疲れるのではなく、踊りが上向く。

ハイライトは「谷桃子バレエ団」の高部尚子と、フリーの長瀬伸也という年齢的に旬のダンサーによる第二部最後の「グラン・パ・クラッシック」と題されたコーナーだった。
さすがにバレエ人生の旬の時期なのか、回転するにしてもジャンプするにしても、スゴイ。
シロートのガキの学芸会(ごめん。)を観た直後には、そりゃ、ゴーカすぎるデザート。

でもさ、今朝、本屋で立ち読みしたバレエ雑誌『ダンス・マガジン』におけるキエフ・バレエ団日本公演への辛口批評が頭をよぎる。
私があれほど感動した本場ロシアの三大バレエが、あっさりと切られたのだ。

だからってワケじゃあないけど、高部尚子と長瀬伸也のバレエは確かに早いし高いが、ファンタズマが無い。
100mを9秒で走るのはスゴイけど、バレエは別に2mジャンプしましたかとか、1分間に45回転できますとかいった価値が決定的なスポーツ(!)とは違うのよねー。

私がニューヨークで見たコンテンポラリーの新作バレエには、まったく動かないというジョン・ケージ的な狙いすぎの振り付けもあったが、確かにテクニックは常識であり、その次のファンタズマこそがバレエの本質であった。


■バレエ観劇までは一人で行動していたわけだが、会場で8人と合流して、旭川の老舗の料理屋「天金 本店」4階の個室で懐石料理。
昨日買った古本『田中康夫が訊く どう食べるか どう楽しむか』で、長野県知事(二期目!)の田中康夫ちゃんが、懐石料理の食べ方を料理人に訊いているのを読んでいたので、これまでの食べ方を改めながら食べる。

例えば、
@刺身にワサビを直接付けてから、醤油につけるのではなく、あらかじめ醤油にワサビを溶いておく。なんのことはない、昔やっていた方法に戻っただけ。高級料亭「青柳」のご主人が「こちらのほうが美味しい」と本で言っていた。
A椀もののフタは食べるときに逆さに裏返して左側に置く。そうすれば、フタの裏の模様が見えるから・らしい。しかし、今回のフタの裏には模様が無かった。ガクッ。
Bさらに、椀は食べ終わると、元通りにフタをする。裏返すのは間違い。
C同じようだが、磁器の丸いフタは、逆さにせずに、そのままの向きで置く。上の模様が主役なのだ。
……とかね。


■そんなワケで私の盛りだくさんの日曜日は終わった。
斜陽になっても国費の補助をもらえない芸術産業=映画館。
むしろ個人経営より国費で負担しているケースが多い=美術館。

大英博物館などを見ると分かるが、博物館や美術館は国力の象徴でもあった。
つまり、イギリスはエジプトまで遠征したんだぞ・とか。
ニューヨークには大金持ちが多いからフェルメールが沢山あるんだぞ・とか。
弥勒菩薩は国宝だから海外に流出させません・とか。

映画はフィルムをプリントするから1点ものじゃあないから、国が保護しない?
と、言っている内に日本の戦前のフィルムが海外に流出してんだぞよ。

■じゃあ、小さな個人経営のバレエ教室が、公営の旭川市民文化会館大ホールを借り切ってバレエ発表会を行うことの可能性って、もしかしたら、「商売の館=映画館」と「文化の殿堂=公営美術館」のワクを再構築してゆくヒントなのかもしれない。

中国のヤクザ映画の監督がハリウッド大作の監督になったベクトルは、大胆さへの勇気付けになると思う。

そして、大きいからって甘んじれば、くだらない本屋になってしまう危険性もある。怠惰の誘惑は無知が底辺にある。
問題は在庫数ではなくて、たった1冊の価値を売る側が理解できるかという命がけの勝負。


ラーメン屋全盛の外食産業で、昔ながらのシステムの定食屋=銀嶺食堂。
いつくるか分からない懐石料理の準備を毎日している老舗=天金本店。

ここにも、「分かりやすい」ものが残る進化論の無粋さとは正反対の不器用なオンリー・ワンの価値がある。

旭川市は不況の真ん中にあるし、まだまだそこからの脱出に時間がかかるだろう。
しかし、多くある老舗の個性を楽しんだり、新しく挑戦する姿をキャッチしてゆけば、いつかはウネリがやってくるはずだ。





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