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アートなオヤジの、文科系★不良日記!


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2004,10,29批評★『富田知子 展』論について その2
2004,10,28『共犯新聞』★カウンター、30000!
2004,10,27平常心!批評★『富田知子 展』論について その1
2004,10,26若林博士ログ日記2004★ 『第60回 留守中の訪問者』
2004,10,25テレビ★『NHK・小椋佳の世界』(1976年)

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小説★『戸梶圭太「闇の楽園」』 2001,10,27
20年前に、すれちがいをした少女から、今ごろになってインターネット上で再会。
そして、本を紹介されて、それを今夜、読み終えた。
その紹介の理由が、私のホームページの見た映画に『溺れる魚』があったので、
その原作者が戸梶圭太だからだそーだ。

彼女”ナカノワタリ嬢”自身の感想を、彼女のホーム・ページから引用。


http://www6.airnet.ne.jp/tetu/index.html
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戸梶圭太「ギャングスター・ドライブ」【2001/01/08】

暴力団組長の娘誘拐&カーチェイスのドタバタで始終しています。
スピーディな展開ではあるんだけど、それだけって感じで、
登場人物に魅力が無く、ストーリィもとりたててどうということはない。
キビシイ感想になってしまったけど、すべてにあと一歩という感じ。
他の作品にも言えることなんだけど、感情移入しやすい登場人物がいない、
これは読んでいく上でけっこうマイナスなんじゃないかと思う。


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戸梶圭太「闇の楽園」【2001/01/06】

ある町の町おこしプランをめぐり、
町長一派とその土地を狙うカルト宗教団体との戦いを描いたエンターテインメント。
前作もそうだが、ストーリィに勢いがあってぐいぐい読ませる。
カルト集団の暗躍っぷりが恐ろしく、暴力的で過激な表現がちょいとキツい。
後半、テーマパーク立案者が町に現れてからの人間模様や葛藤を、
もうすこし丁寧に暖かく描いていたら、気持ちの良いストーリィになっていたかも。


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■このひと、ナカノワタリさんは、ガンガン読書しているよーで、
この本もお正月の6日間ほどで読んだようだ。
読みやすいミステリーとはいえ、カバーを抜いて厚さ3cmは、どっしり。

■読者が挫折するのを笑うかのように、
16ページに、登場人物が小説を、
「あまりにもつまらないので17ページで早々と断念してしまった。」
というシカケで、読者を最初から挑発している。

■こーいったミステリー(?)、ひさしぶりでした。
作者が、元テクノ・ミュージシャンくずれ、
舞台が、イナカの「まちおこし」などと、中途半端に身近な本でした。(笑)

■町おこしにかんしては、
「町おこしっていうのはその過程を町の人達が楽しめるようなものでないとうまくいかない」
なぁ〜んてセリフもあったりして、
資料もそれなりにチェックしている作者のマジメな一面も感じたりして。


■それでも、上記のナカノワタリ嬢のHP内「感想」、なるほど。
まぁ、それほど「暴力的で過激な表現がちょいとキツい」ってこともないけど、
花屋が、病室の花に結びついたり、
消防士がクライマックスで水をまいたり、
ディテールが計算されているよね。
これって、ワープロ小説による修正が簡易だからこそってゆーことかもね。

■ギャグもあぶなっかしいが、笑える。
いきなり、有名人リストの最後に「故料治直矢」が出てくるのも、ギャグとしては、
スレスレだが、私は好き。笑った。でもなんで、故料治直矢なんだぁ〜(笑)
一番笑ったのは、井上揚水のCDが唐突に出てくるところでした。

■金持ちの町会議員が、微生物が死んで商売が傾いた悪人に、
「そりゃ可哀相に」と言うが、その悪人にではなくて、
「名も知らぬ微生物に同情した。」とかね。

■買った古本屋には『ギャングスター・ドライブ』も売っていたけど、
ナカノワタリ嬢の「感想」を読むぶんには、食指は動かないね。
まぁ、こういったスピード感のあるエンターテイメントを読むと、
「純文学」が恋しくなるので、次はそちら系を読むか。



展覧会★『人間国宝の世界展』 2001,10,21
「人間国宝」だなんて、オレのマワリじゃあギャグにしかならねーけどよ、
芸術の秋、ってやつを、オレも一発過ごしてきたワケだ。

ヤミ米シーズンの喧騒から、ちょいとジャンプして、
行き当たりバッタリに飛び込んだ、落葉舞い散る、北海道立旭川美術館。
何がやっていても・かまわない。偶然の交通事故のよーな美術体験。それって、ちょいクール?

■いや、ビックリ。
よくはワカリマセン。しかし、1954年創設以降、昨年までに27人が陶芸の「人間国宝」になっているそーだ。
その25人は、私のホーム・ページ表紙から見れる『2001年にGETしたモノ』に名をつらねた。
けどさ、我がホームページの客人じゃあ、黒羽じゅん嬢・以外はチンプンカンプンの名前かも。(失礼!)

■ところで、その『共犯新聞』ゲストブックのご常連様、じゅん嬢の展覧会があるよ。

*作品展のお知らせ!*

旭川の器やさん、藍陶舎にて
10月24日(水)〜31日(水)作品展です。
お近くの方、ぜひお立ち寄りください〜。

内容は・・・
今年の展示会から好評なものをピックアップして、と
思っていましたが、最終的には新作が半数以上になりました。
8,9月と、怪我の為どうなることやらと内心きがきではなかったけど、
磁器の絵付けではけっこうおもしろいものができたと思います。

藍陶舎
旭川市永山6条4丁目9の10
0166‐47‐1961 
火曜日定休


※文責=じゅん嬢。


■と、話しはそれたけど、私の場合、その・じゅん嬢との交流から、磁器&陶器を見る機会がある。
そして、たまたま私の母が裏千家のセンセイなので、我が家には、ちょっとしたウツワがゴロ&ゴロ。

■そして。
あー、そして、我が「戦友」=田原@BOOXBOX@タルバガンさんとの、
「柳宋悦@民芸」論争。
その、「論争」も、このホーム・ページに記録されているよ〜ん。


■でさ、まずは足を踏み入れたわけよ。
最初の展示が、「富本憲吉」の「色絵磁器」シリーズ。
ためしに、キミのコンピューターで、「とみもとけんきち」と打ち込んで変換してごらん。
一発で、「富本憲吉」と出るぜ。
なんてったって陶芸で最初に「人間国宝」になったんだから、クイズ番組に出たけりゃ、覚えておこーゼ。
ファイナル・アンサー?

■んんんんー。で、くやしいが、素晴らしい。
まるで、国宝みたいだ。・・・・・・あれ?

■展示は27人分の大ボリュームだが、キューレターの展示が親切なのか、見やすい。
「分類分け」できるっちゅーのも、「伝統」芸術ならでは。←っちゅーことから・だろーな。

■例えば、その分類で、「備前焼」。
オレは、備前のストイックなクールさが好きなんだけど、今回も4人の「人間国宝」様の作品が出品されている。
最初に、金重陶陽(かねしげ・とうよう)の作品。(←オレは萩本欽一か?)
いいねー。シャープな断面。焼き跡の、素朴だが、野生を感じる生産的な「野蛮」。
この焼いた鉄のような陶器の感覚が好きで、
1990年にオレは備前焼の”一輪挿し”を二つ買って、ある人たちにプレゼントした。

で、次に、藤原啓(ふじわら・けい)の作品っ。
ふむ。『窯変徳利』なぁ〜んて、いいじゃん。欲しーぜ、コレ。
でも、同じ「備前焼」でも、金重の作風とは違って、丸みを帯びている。
金重が「野蛮=縄文」であれば、藤原は「弥生」?
藤原は、焼き跡までも、丸く、なんだか模様のように作為的。
う〜ん・・・・・・。まぁ、いーか。この差異が、作風(=個性)なのかいな。

と、思って、残りの「備前焼」作家の、山本陶秀(やまもと・とうしゅう)、藤原雄(ふじわら・ゆう)の作品を観ると、
なんじゃあこりゃ、藤原啓の流れじゃん。
つまり、私が本来好きな「備前焼」は、金重陶陽の作風で終わっているのだ。
なんだか、丸みと作為のある焼き跡に魅力は感じなくなってしまった。


■こんな実体験が出来るのも、「ホンモノ」を見れる(&比べられる)展覧会ならでは。


■続きまして、私の2001年の探求テーマの一つでもある「民芸」のコーナー。
前出の富本憲吉と同時に人間国宝になった「民芸陶器」の作家が、濱田庄司(はまだ・しょうじ)だ。
彼は1919年(大正8年)、25歳の時に柳宋悦の自宅にバーナード・リーチを訪ねている。

こんなことも、「民芸」をめぐって軽い論争をしたオレには、スリリングな事実なのよ。

展覧会の後半には、バーナード・リーチが益子の濱田庄司の窯を使って製作した『灰釉抜絵碗』も展示されている。

リーチは戦前から柳宋悦との交流を通じて民芸運動をしたイギリス人だが、
そんな彼との国際関係も、最初の人間国宝に濱田を認定した「政治」的意図もあるんだろーね。

ところで、柳宋悦・一派とは離れた位置にあった北大路魯山人と交流もあった荒川豊蔵(あらかわ・とよぞう)も、最初に人間国宝になった4人の一人だ。
ここに、柳宋悦VS北大路魯山人との「政治的」バランスもあったのかも。と、想像するオレでもある。

それでも、「民芸運動」は、柳宋悦やリーチらの後続の島岡達三(しまおか・たつぞう)という、
柳宋悦が開設した「日本民藝館」に1938年に訪れてから作風に目覚めたヒトもいて、
どんどん柳の意思は増殖されて、ムーブメントとして長命なのだ。
そこは、たいしたもんだ。




■その他にも、萩焼きの三輪休和(みわ・きゅうわ)の『紅萩茶碗』、
十一代・三輪休雪の白い色のアヴァンギャルドさ、
清水卯一(しみず・ういち)の『青瓷茶碗』(1980)、
三代・徳田八十吉(とくだ・やそきち)の、『燿彩鉢・黎明』の大衆的な美。
それらは、魅力的だ。



なぁ〜んて、ミナサマには分からない固有名詞が多く出て、ごめんね。
つまり、
オレたちが知らない世界にも、触れる価値のあるモノって、まだまだある。
って、こと。


平常心! テレビ・ドラマ★『清水有生・原作&脚本「42歳の修学旅行」』 2001,10,20
今夜、午後7時半から、NHKで清水有生が脚本を書いた単発のドラマが放送された。
脚本家の清水さんは、私の住む北海道・沼田町をモデルにしたNHK連続テレビ小説『すずらん』の脚本家でもある。

エキストラなどで沼田町民は協力し、清水氏との付き合いも”それなり”にある。

今夜のドラマも、清水氏お得意の人情ドラマ。
元・東京都板橋区役所のケースワーカーを10年経験している清水氏は、
人間を描くのが上手で、登場人物の役割が立っている。

今夜のストーリーは、中学生の修学旅行の時に他校生とのケンカで旅行が中止になった現在42歳の男たちが、修学旅行を再現する・・・・・・、が、そこに色んな騒動が重なり・・・・・・。

我が沼田町がらみのネタも、少々ある。
例えば、
@田中”青大将”邦衛が演じる、当時の担任教師の名前が、「久保」。・・・・・・これは、偶然。
A主人公のリストラ報告担当のエリート・サラリーマンが、実は本人もリストラの対象になっていたのだが、彼のリストラ後の任地が、北海道のカズノコ工場。これ、沼田町にもあります。

主役は、時任三郎。
はまり役だ。
しかし。うーん。この設定に時任じゃあ、あのドラマ『ふぞろいの林檎たち』を連想してしまうぞ。

でも。ま、いっか。

登場人物それぞれの人生が上手にストーリーにからんでいるのは、清水氏の独壇場だ。
これは、ある意味、名人芸。おみごと。

42歳、日本人の平均寿命の半分って意味なのかなぁ?


テレビ・ドラマ★『村上龍・原作&脚本「最後の家族」(テレビ朝日)』 2001,10,18
小説家、村上龍は映画監督でもある。
んが、まったく評価されていない。

しかし、高校生の時に映画『限りなく透明に近いブルー』を観た私は、
夜の竹林の逆光のシーンの美しさが目に焼きついている。
今では、黒澤明『羅生門』などを知っているから、一生懸命な引用と思ってしまうが。

でも、バブル期の映画『トパーズ』。これは、最低&最悪。
『KYOKO』も、ラテンの力にたよっただけ。

ミンナ忘れているけど、龍は武蔵野美術大学出身。
短編集『POST』に添付されているウオーホルきどりのシルクスクリーンは、まあまあの出来。

だから、ゴダールとかフェリーニなんて、龍にとっては日常。のはず?

でも、彼の造る映像には「神」はいない。
安易な暴力やSM、ガラスごしの”こっている”カメラ・アングル・・・・・・、どれもバッカみたい。


今日、龍が原作と脚本を書いたテレビ・ドラマ『最後の家族』の第1回が放送された。
放送前の朝日新聞へのインタヴューに龍は、次のように語っている。

「去年、教育関係のテレビ番組に出演した時に徒労感が残った。
本当に伝えたい人たちは、
裏番組のドラマやバラエティーを見ているんじゃないかと。
とにかく大勢の人に発信したかったから、
地上波の民放での連続ドラマが絶対条件だった」

うん。これは、いい発言。

でもさ、その情熱から生まれた「映像」が最低じゃあ・たまらんぞー。


えーと。理論を語るときに否定的な意味で、
「図式的」
というコトバを使うよね。
龍は、「分かり易い」のが「図式的」であると誤解してしまったのかなぁ。

龍に尋ねたい。
「じゃあ、”文学”って何?」。

この偉大なる実験は、おそらく失敗として終わるだろう。
しかし龍よ。ドストエフスキーだって、日本の安易なテレビのソープ・ドラマの視聴者の人数以上に世界で読まれているんだし。

もう一度、同じ挑戦をしてみようよ。
なんなら、手伝うぜ。


平常心! 小説家★『開高健』 2001,10,16
■今日の北海道新聞(夕刊)に、雑誌『しゃりばり』編集長の大沼芳徳さんの、
小説家・開高健の夫人の「肉筆原稿」に関するエッセイが掲載されていました。

■大沼さんのエッセイのテーマは、未亡人であり既に故人の詩人=牧羊子さんの「肉筆原稿」でした。
先日、北海道文学館で「小熊秀雄・展」で、
小熊の「肉筆原稿」の迫力と魅力に触れた私にはうなずけるところが多いエッセイでした。
この私の文章も「肉筆」ではないし、
代表作を、ちょろ&ちょろとしか読んでいない私が、大・開高を語るのは不遜ですが、
私の開高・観は、「どうも、世間は彼を評価しきれていない」といった感じです。

例の不幸な「開高健・賞」もそうですが、あまりにも振幅の広い人物にたいするカテゴライズの困難さが、世間が「批評」への努力を停止する原因でもあると思います。

「CMコピーライター」、「芥川賞作家」、「ベトナム戦争従軍」、「グルメ」、「釣り」・・・・・・。

これでは、糸井重里+大江健三郎+ロバート・キャパ+田中康夫+野田知佑ですよね。
でも、冷静に考えれば、糸井にも「釣り」の趣味はあるし、
大江も「戦争」に言及しますし、キャパは「グルメ」ですし、田中康夫は「社会派」ですし、
野田は「コピー」上手ですものね。

開高の不幸は、全てに「一流」であってしまったからではないのでしょうか?
もちろん私は「小説家」開高が一番好きです。
『夏の闇』の文章のクオリティが『珠玉』まで持続し続けた奇跡は、日本文学の大きな財産です。
しかし、この麻薬のような饒舌な「文体」よりも、『オーパ!』の高橋昇カメラマンの写真の方が有名ですし、
開高はそれゆえに、読まれずに有名になってしまった「不幸」な作家ではないでしょうか。

たしかに器用であったのですが、
スチュワーデスから、ダム無用論までを「サービス論」の名手として演じる田中康夫の器用さにはかなわないのでしょう。

先に述べた複数の資質を、例えば、「アーネスト・ヘミングウェイ」とマトメてみることもできそうですが、
日本には雑誌『エスクァイア』のように懐のあるメディアが育っていなかったのか、
あまりにも「バロック」的、どこまでも「ルネッサンス」的な彼は、宙に浮いてしまったのでしょうか。

古本屋で、彼の初版本が二束三文で売られているのを見るに付け、不幸は深いと感じます。
その不幸は、彼にとってのそれではなくて、
日本人にとっての不幸。

で、インターネット。
色んな面を持つ彼は、色んな「検索」から引っ張ってこれます。
大沼さんが開高健HPによく登場してくるのも、うなずけるところ。

こうして、魅力ある素材はインターネット上で生き延びる・の・ですが。

はたして、それだけでいいのか?とも想うのです。


↓「開高健・展」の紹介。
http://www.kanabun.or.jp/kaiko.html



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