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レストラン★『バスク(函館市)』 2001,7,31
北海道新聞7月26日(木曜日)の夕刊の別紙に、見覚えのある顔がカラーで掲載されていた。

函館市松陰町1の4の、レストラン「バスク」(0138-56-1570)の
オーナーシェフ、深谷宏治さん(54歳)だ。

最初はダレだか分からずに新聞を切り抜いておいた・だけ。
今日になって思い出した。

本棚から、古い雑誌を取り出す。
雑誌『しゃりばり』No.70、1987年12月号。
前号の11月号から引き続き、「レール・フォーラム」の特集をしている。

「レール・フォーラム」とは、
1988年6月から10月まで北海道にて開催された『食の祭典』の前夜祭的イヴェントだった。
札幌から函館まで1987年9月23・24日に、お座敷列車の旅をしながら、
列車の中で「食文化」について語ったり、停車地での美食を楽しむという企画。
参加者の多くは翌年の『食の祭典』での参加(予定)企業の企画課の人間だった・と・思う。
実は、私もその一人だった。

シチュエーションからして、参加者は異様に高揚していた。
が、私は周りが盛り上がるホド、シラケていた。
その時の私の発言が、雑誌『しゃりばり』No.69に掲載されている。

「私は山口(昌男)先生のファンで、この度の先生のお話を興味深く聞かせて頂きましたが、
私が現在仕事をしている食品卸という分野からみると、
食文化の議論と私共の実商売とがどうもうまく結びつかずに困っているところなのです。
文化そのものが商売に結びつくのかどうか。
気がつけば広告代理店だけがもうかっていたというのが現状なのかとも考えてしまうのです。」

これをコーディネーターの大沼芳徳さんが司会として受けて、
食文化研究家の田中千博さんが答えてくれた。

のちに、田中さんと私の深い交流が始まり、彼は私にとって「食文化」の師匠となる。
大沼さんとは、1999年に再会し、彼は雑誌『しゃりばり』の編集長になっており、
私が連載「北の・みらい人」をその誌面で展開するきっかけを作っていただいた。

それにしても、今、レールフォーラムの私の発言を読んでも、あまりの「冷静」さに驚く。
しかし、この直後の1987年11月30日の北海道新聞に、山口昌男さんが、
『「文化」ブームの陰に広告代理店』という私の発言を受けた記事を寄せている。

そう。歴史(?)に詳しい方であればご存知のように、『食の祭典』は大失敗に終わった。
それは、その数年後に起こった日本という国のバブル崩壊の縮図でもあった。

モノを売るよりも、そのモノを売るためのゴミのようなチラシを印刷するヤツラが、
生産者よりも上のヒエラルキーに立つ不自然さは、崩壊してしかるべし。

が、『食の祭典』は意外な副産物も生んだ。
ひとつは、マイルス・ディヴィスの最晩年のライブを主催できたこと。
もうひとつが、この「レール・フォーラム」で生まれた交流だ。

レールフォーラムの列車は函館に着き、6つのレストランに分かれて料理を囲んで食談をした。
今、私の手元にある雑誌『しゃりばり』No.70、1987年12月号には、
レストラン「バスク」において田中千博氏と深谷シェフがスペイン料理をめぐって語っている文と、
二人が並んで写っている写真が掲載されている。

14年前の40歳の深谷シェフは黒々とした前髪をたらしている。
今月の北海道新聞では、すでに初老と化した白髪の優しい笑顔の深谷シェフが見れる。

今年39歳の私にとっても、ちょっと切ない2葉の写真だ・が。

文面は恐ろしいほど、地続きだ。

<例>
@1987年「タラは塩をふって干し、カチンカチンになったものをもどして使います」
 2001年「朝揚がったタラをニンニク油とアサリで煮からめたもので、新鮮でプリプリ」

A1987年「五島軒(=函館の、しにせレストラン)の息子さんとは幼いころからの友達」
 2001年「函館はスペインでよく使われるイカやタコ、イワシが水揚げされる」

B1987年「魚介類は全て生、野菜や果物はできるだけ自分で作る、そうでなければ東京で店を開くのと同じ」
 2001年「その土地のものにこだわり、近海ものの魚介類、近郊で生産された肉や乳製品、無農薬有機栽培で自ら作った野菜などを使う」

これらの意見に、田中氏は1987年に、こうまとめている。

「お料理の最後には、非常に強いお酒が合いますが、
深谷さんのお話は最高のコニャックではなかったかと思います。」


彫刻★『カルヴィン・ハント「トーテム・ポール」』 2001,7,25
昨年、カナダのポートハーディでネイティブ・カナディアンの「クワキトル族」と交流してきた。

彼らは美しいトーテムポールで他の種族と差別できる。
そんな彼らの中で最も尊敬されているトーテムポール製作名人が、カルヴィン・ハント氏。46歳。
今月、我が町に来てトーテム・ポールを作る。
舟で原木がカナダから、ただ今、日本に向かっているのさ。
完成は8月中旬。
8月1日には、旭川のアイヌ人たちとも交流する。
彼に砂澤ビッキについての意見を聞いてみよう。と、思っている。

アイヌとカナダ・ネィテイヴは、もっと&もっと交流すべきだ・よね。

ミステリー小説★『クロフツ「マギル卿最後の旅」』 2001,7,24
いつも想う。
本を読むたびに、「オレって、なんて本を読んでいない人間なんだ」と想う。

今回もいくつかの偶然により、この本を手にした。
その偶然とのめぐり合わせの順番は下記の通り。

@日本経済新聞の日曜版の読書欄に、『西遊記』研究の中野美代子さんのエッセイがあり、
切り抜いておいた。それが、7月1日。

A7月5日に、札幌で、久し振りに入った古本屋で、
安原顕がエディットした『私の好きな海外ミステリー・ベスト5』を買う。
ミステリーには興味の無い私はこの本は出版当時から買うつもりはなかった。
が、重たい本を続けて読んでいるので、気分転換のつもりで買った。
で、その時に「割引券」をもらった。

B翌日に、5日に切り抜いた中野美代子のエッセイを読むと、
ミステリー作家クロフツ(1879〜1957)賛歌!
あわてて前日に買った『ベスト5』を開くと、6人がクロフツを贔屓にしている。
で、興味を持ったが中野氏はクロフツの本は「絶版が多く、古本屋でさがすしかない」と書いている。
詩人の安藤元雄は「『マギル卿最後の旅』が最高傑作だ」と書いている。
が、私はクロフツって名前すら知らなかった。もしくは、気に留めていなかった。

C7日に再び札幌へ出張。
5日にもらった古本屋の「割引券」を期限切れ前に使おうと、古本屋へ。
すると、なんと、クロフツの『マギル卿最後の旅』が売っている!
ロンドンの富豪マギル卿は息子の工場へ出向くといって邸を出たまま、消息を絶ってしまった。北アイルランド警察の捜査では卿の帽子が見つかっただけだった。フレンチ警部がのり出すと、事件はその様相を一変してしまった。
しかも日本初訳、1951年、装丁はのちのジャズ評論家の大家の故・野口久光。味のある表紙!
もちろん、興奮しながら買った。安かった。

D最近、ケルト文化に興味がある私としては、小説の舞台が、
ロンドン⇒北アイルランドのケルト地帯で、あらら。
しかも舞台は小説が書かれた当時の1920年代。アイルランド紛争の記憶も生々しい時期。

Eアイルランドってことで、村上春樹『もし僕らのことばがウイスキーであったなら』を読み返し、
アイルランドのウイスキー「タラモアデュー」を飲みながら、
北アイルランドを旅するたくらみを・ちらり&ちらり。
特に小説の殺人の舞台になった街、ベルファストに大きな興味を持つ。

Fアイルランドっいうと、ジェイムス・ジョイスじゃんか!

G7月22日に札幌のレコーズ&レコーズにて、
中古CDヴァン・モリソン『アストラル・ウィークス』を買う。
このアルバムは、雑誌『ローリング・ストーン』がロックアルバム・ベスト100の7位に選んでいる。
帰りの自動車の中で、その不思議なかっこよさに驚く。

H今日、24日、小説を読み終える。
面白い。1950年代の日本語(=訳)も・面白い。
その直後、火事が町内にあり、ボランティア消防をして黒煙を吸う。
帰宅して、22日に買ったヴァン・モリソンのCDを聴きながら、ライナー・ノーツを読む。
すると!
なんと、ヴァン・モリソンは北アイルランドのベルファスト出身!
しかも、ベルファストの地名をタイトルにした「サイプラス・アヴェニュー」って曲も入ってる。

I私の持っているヴァン・モリソンの音源、ザ・バンド『ラスト・ワルツ』に入っている「キャラヴァン」。
が、その曲の前が、なんと「アイルランドの子守歌」ってタイトル。
このレコードを買ってから20数年経つが、意識しなかった!


■ますます、北アイルランドをレンタカーで旅したくなった。
その前に、ケルト文化の文献をいくつか読んでみたい。


講座★『柴橋伴夫「風の王・砂澤ビッキをめぐって〜その彫刻と精神世界へ〜」』 2001,7,22
だいたい、こんな講座に行くのも変人であるが、参加者10数名。
まるで大学のゼミみたい。ほとんどが還暦意向のトシヨリ。

んが、よい講座だった。
場所はススキノのちょい南の北海道立文学館。
この建物自体が税金の産物。
駐車場は無料!しかし、5台分ほど。でも、楽に止められた。

すべてが「税金」の産物なのに、たった10数名とは、ゼータク。

内容は、アイヌ彫刻家=ビッキを1時間半、講演し、30分デスカッション。

旭川でのタウン誌『カムイ』を編集していた生き証人も、参加していた。
五十嵐広三とビッキの関係も面白かった。

色々、インスパイアされた。
いつか、どこかで私の「言葉」にしたい。


情報★『情報輸入業』 2001,7,20
★都市計画マン・アキラ氏とのメールに、加筆&転載★


>「中心市街地活性化法」のタウン・マネジメント・オーガニゼーションのモデルになっ
>た、BID(Bussines Improved District)やらDMAやら。

■えっ、そんなのあったよなぁ。忘れてた。

>制度も文化も流通も、何かと言えば、「北米では1980年代に・・・。」が枕詞に
>なっちゃって、いやになりますねえ。

■そー、そー。
でも、NYに行くと、たしかにヒントがあふれているよな。
それ自体は悪いことじゃあなくて、魅力的なことだよね。

★問題は、こっそり盗むことの、品の悪さ。


■アキラさんも観たでしょうが、
今年のニューヨークの春は
『エヴォリューション』の黄色いポスターが目立っていました。
なんだか石森章太郎『サイボーグ009』みたいなやつ、ね。
それが、日本では今、
『A.I.』の上映前の時に前宣伝してたよね。
そのちょっとしたタイム・ラグの間で「商売」している人って、タクサンいるのだね。

■私がNYで読んだ新聞の記事にある、
@映画『パール・ハーヴァー』の特殊撮影の方法。
Aアメリカ2代目・大統領の伝記の論評。
の、モロ、パクリが、帰国後に日本のメディアがやっていたのを読んだよ。
我々は、今までも無意識に直輸入の非オリジナルのテクストを読まされていたのね。

メルマガ★『フランス通信』 2001,7,19
ゴダールの新作映画のコトが某メルマガに載っていた。
んで、「引用」しようと・思ったら、なんだか、良い内容なので、長文・転載します。

最近、ゴミなメルマガが多い中で、ここは愛読していますが、
私の贔屓のフレンチ最新情報が、早い速度で送られてきて、スバラシイイ〜・メルマガ。

コイズミ内閣を、ゴダールもベルグソンも知らないからダメという「編集後記」は、いい感じ。



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 ■【4】 パリ映画日記 ■
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○2001年5月19日
「Amour」(97年)
「Profils paysans : l'approche」(2000年)(共にRaymond Depardon/仏)

短篇「Amour」に引き続き、Raymond Depardonの新作で、フランスの田舎の農
民を描くドキュメンタリー三部作の第一部にあたる長篇「Profils paysans :
l'approche」を見る。日本では小川紳介と小川プロが、三里塚から牧野村へ
と移り住みながら農民の生活を撮ったが、フランスでは、「Afriques :
comment ca va avec la douleur ?」(96年)でアフリカを縦断したRaymond
Depardonが今、農村を舞台に三部作を撮ろうとしている。
この「Profils paysans : l'approche」は、固定ショットの長回しで農民た
ちの会話や様々な仕草をじっくり見つめており、目茶苦茶面白い。
ロバート・クレイマーもJohan van der Keukenも亡くなってしまったが、まだ
彼がいてあと二本この続きを撮るというのだから、ドキュメンタリー映画は健
在である。

○2001年5月21日
「Eloge de l'amour」(ジャン=リュック・ゴダール/2001年・スイス)

カンヌ映画祭も昨日で終わり、注目作がすでに何本か映画館で公開されている。
ゴダールのこの新作は、二部構成で、前半ではパリが白黒で撮られ、二年前にさ
かのぼる後半では、ブルターニュ地方がデジタル・ビデオでカラー撮影されてい
る。「勝手に逃げろ/人生」(79年)により商業映画に復帰したゴダールの創作
活動は、「新ドイツ零年」(91年)あたりを境に新たな段階に入ったと思われ
るが、歴史という主題が重視される90年代の模索のひとつの極限としてこの新
作は撮られたと言えるだろう。

「右側に気をつけろ」(87年)で顕著だったバーレスクな身体性は二、三の例
外を除いてほとんど希薄となり、若い娘の顔と身体のイマージュへの執着もか
なり薄くなっている。

つまり、80年代に顕著だった身体の記号としての露呈から遠ざかり、主要な登場
人物たちは立ち尽くすか座りながらひたすら言葉を発し続け、それに無言で横た
わる浮浪者たちの身体が対置されているのだ。

しかも、思考の表象自体が映画の最後で否定されているのだから、登場人物たち
は思考する主体ではなく、純粋な発話装置として機能しているのである。

また、この映画の観念的、思想的枠組みについて大雑把に示すならば、イマー
ジュが存在するためには何らかの物語が必要であり、物語は必然的に歴史と関係
してくるのだから、イマージュは歴史と関わりあうことなくしては存在しえない
という考えが根底にあるようで、レジスタンスとその記憶の継承という主題もこ
の文脈において提示されている。

ただし、「For Ever Mozart」(96年)と違って、表象の遊戯が直接的に溢れてい
るのではないとはいえ、ゴダールの映画の真の魅力はあくまで、露呈する映像と
音響そのもののなかにあるのだから、これら映像と音響から出発せずに、観念的
な要素の分析にのみこだわることは避けねばならない。歴史もまた、イマージュ、
言葉のなかにしか存在し得ないのだ。

○2001年5月22日
「La Chambre du fils」(La stanza del figlio)
(ナンニ・モレッティ/2001年・伊)

一昨日閉幕したカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した作品。
ナンニ・モレッティ自身が演じる精神分析医の主人公は、妻と娘、息子と一緒
に暮らしているが、ある日、息子が事故死してしまい、残された家族は悲嘆に
暮れる。

モレッティの映画では、共産党員の水球選手を主人公にした「赤いシュート」
(89年)が一番だとこれまで思っていたのだが、この新作はそれを超えたので
はないだろうか。叙情的な音楽で盛り上げながらモレッティは完全に観客を泣
かせにはいっており、ここまでやるのはちょっとまずいのではないかと思いな
がらも、私も思いきりはまってしまった。

この映画の素晴らしさは、精神分析といった要素がありながら決してそれを知
的思弁の道具にせず、映画が象徴的意味をまとって重くなることを避けながら、
あくまである一家族の喪の物語を描くことに徹していることにある。
映画は残された家族の反応をじっくりと見つめ、主人公の内面を描こうとしな
がら死んだ息子を画面に召喚する。

映画の映像とは根本的に錯覚によって成り立っており、そこでは目に見えるもの
の自明性などといったものはありえないのだから、映像とは本質的に亡霊のよう
なものである。だから、モレッティによるこの死者の召喚は、まさに映画的な行
為そのものであると言えるだろう。

ラストの海辺のショットは、狂ったように美しい。


○2001年5月23日
「City on Fire」(龍虎風雲)(リンゴ・ラム/87年・香港)

クエンティン・タランティーノの「レザボア・ドッグス」(91年)に影響を与えた
香港のアクション映画で、チョウ・ユンファ扮する主人公が警察の指令でギャング
団に潜入していく様子を描く。ラストは確かに凄いのだけれど、そこに至るまでの
リンゴ・ラムの演出は切れ味が悪くうまくいっていない。リンゴ・ラムは1994年に、
大変素晴らしいクンフー映画、「Le Temple du lotus rouge」を撮ることになる。



○2001年5月24日
「回路」(黒沢清/2001年・日)

今フランスの映画界で最も注目を浴びている日本の現役映画監督は、間違いなく黒
沢清だろう。彼の実力を考えればこれは当然のことである。この新作も今年のカン
ヌ映画祭の「ある視点」部門で上映され、圧倒的に高い評価を受けた。

コンピューターを通じて幽霊がメッセージを送り、それを受け取った人間が次々と
自殺していくというホラー映画だが、コンピューターに幽霊が宿るという筋立ては
映画の真の原動力ではなく、映画は途中から何人かの登場人物たちの生き残りをか
けた抵抗、逃避行へと焦点を合わせていく。実際、「ニンゲン合格」(98年)でサ
ム・ペキンパーにオマージュを捧げた黒沢清が「回路」でやろうとしたことは、
ドン・シーゲルの「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」(56年)をホラー映画と
してリメイクし、世紀の変わり目にある東京に、ボリス・セイガルの「地球最
後の男 オメガマン」(71年)のような廃墟の都市の風景を導入しようという企
てに他ならない。だから黒沢清の野心は極めて高度なもので、ハイテク時代の怪
談を語ることには彼はたいして興味を示していないのだ。

また、私自身は疑問を感じるのだが、登場人物たちにおけるセクシュアリティーの
欠如は、この映画の非常に奇妙な特徴のひとつと言える。どことなく両性具有的な
彼らは、肉体関係を持つことをあらかじめ禁止されており、接吻という行為さえ知
らないようだ。三角関係の露骨な表面化さえ嫌がる彼らは、見せるべき裸身を持た
ず、失うべき肉体さえ持っていないかのようで、生きているうちからすでにどこか
幽霊のようなのである。

しかしながら、男が死ぬ瞬間にはたいした興味も示さず、女の死ばかりに執着する
黒沢清の視点は、根源的にセクシュアルなものであり、この奇妙なずれ、あるいは
抑圧と屈折にこそ、彼の映画的想像力の真の鍵があるようだ。

○2001年5月25日
「Moonstone」(Robert Florey/63年・米)
「Rocket Ship X-M」(カート・ニューマン/50年・米)
シネマテーク・フランセーズのシネマ・ビスにて。

今夜はB級特集だ。
「Moonstone」はテレビ・シリーズ「The Outer Limits」の一本。
「Rocket Ship X-M」は、有名な「蝿男の恐怖」(58年)を撮ったカート・ニュ
ーマンによる低予算のSF映画で、ロケットの乗組員たちが火星に着く話。
高い金をかけて特撮技術に凝らなくても面白いSF映画はいくらでも作れるの
であり、「Rocket Ship X-M」の圧倒的に素晴らしい火星のシーンが、それを見
事に証明している。


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 【5】編集後記
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○ 今日は日曜日。家で仕事をしていたら、NHKの集金の人がやってきた。
テレビはまだ買ってない旨を伝える。が、なおも「学生さんですか?」と
聞かれ、曖昧に首を(縦に)振ったら、「テレビを買った時には」と、
学生用パンフを渡された。学生は長期休暇中は受信料を払わなくていいそうだ。

今のところ、テレビを買う予定はまったくない。
ずっとテレビっこだったのだけれど、あまりの時間の無駄と、つまらなさに
購入希望が薄れてしまった。何より、ニュースでアナウンサーが馬鹿なこと
を言うだけで、むっとしてしまったりなど、精神衛生上よくない。
映画は、DVDを借りてきて、パソコン画面で見ればいいしね。(mouton)

○ アンリ・ベルグソンの「物質と記憶」は、20世紀初頭に西欧で絶大な理論
書 としてもてはやされた。不合理主義の典型としてソレルの「暴力論」やキュ
ビズム、未来派の美学に絶大な影響力を与えたのだ。
ドゥルーズの哲学もベルグソン哲学から生まれたとさえ言われている。

この本で「イマージュ」という重要な概念が提示される。
この「イマージュ」とは、何かのイメージではない。
バシュラール的なあるいはユング的なイマージュでもない。
吉本隆明のマス・イメージ論も関係ない。
「イマージュ」とは、我々の意識から独立してそれ自体で存在する。
「イマージュ」はモノである。
「イマージュ」は知覚された現在に存在するし、私たちの頭の中(過去、未来)
にも存在する。
「イマージュ」は物質と精神、物質と肉体を貫いて作用する。

我々が描く様々な表象は「反射されたイマージュ」であるとベルグソン
は考える。「イマージュ」とはゴダールの「中国の女」的にいえば、現実の
反映ではなく、反映された現実である。

難しい議論のように思えるが経験的に理解することは容易だ。
音楽が現在の時間の流れを切断し、ある過去を突然に現出させる。
これは誰にも経験があるだろう。
音の「イマージュ」のなかに閉じ込められていた過去が不意打ちのように
溢れ出す。
プルーストの『失われた時を求めて』における、紅茶に浸されたマドレーヌ
の味から過去が噴出する例などを想起してもいい。
そこでは、味覚の「イマージュ」中から過去は弾け出すのだ。

こういった経験は、一方に純粋で観念的な記憶があり、他方で実在物とし
てのモノがあるという素朴な二元論を崩壊させる。
物質と記憶は物質=記憶そのものになりうる。
「イマージュ」はその微分過程においては、物質と記憶の両者を区別し、
差異化すると同時に、その積分過程においては両者を物質=記憶と連続化
する。「イマージュ」は物質と精神、物質と肉体を貫いて作用する。

例えばモノを贈与する際に、僕たちは記憶を贈与している。
過去と未来は「イマージュ」によって、現実の様々なモノに散種されて
いるのだ。唯物論的な生の姿勢とは、このようなヴァーチャル(潜在的)
な「イマージュ」の連続性としての多数多様なモノに取り囲まれながら、
いまこの瞬間の私が、思いもかげないモノとの遭遇からアクチュアライズ
(顕在化)していく「イマージュ」の噴出の先に浮かんで漂うサーファー
になることを目指すことである!

優れた芸術家は荒ぶる「イマージュ」の波の中にどっぷり漬かり流されなが
らも、その微妙で複数の流れをクールに観察して、一つの「形」にとり纏め
る。唯物論者は、陽気なサーファーである。彼は多数多様な「イマージュ」
の波の上にありながら、同時にそれらを切り裂いて進むのだ。彼は「イマー
ジュ」の上で軽やかにダンスするのである。

一方で、観念論者は、「イマージュ」の噴出の中で自分を見失い、トラウマを
抱えて沈み込んでしまう。彼は、分厚い織物のような一つの内面を作り上げる。
彼は伝統や、道徳や、重力の法則を固く信じている。彼はサーファーやダンサー
を憎み、その足を引っ張ろうとする。

lievreさんのいうように、「イマージュ」が存在するためには何らかの物語
が必要であり、物語は必然的に歴史と関係してくるのだから、イマージュは
歴史と関わりあうことなくしては存在しえない。しかし、イマージュ・記憶
の継承としての歴史とは、あくまでマテリアルなザラザラしたものなのだ。
ジャン=リュック・ゴダールの「Eloge de l'amour」のように。
中上健二の物語のように。

昨今問題となっている歴史教科書などは、ここでいう歴史とは全く関係ない。
それらは、共同体内部の古臭い表象・イメージを、保守反動家が調子にのって
再びなぞってみせたにすぎない。小泉総理大臣の靖国参拝問題も同断である。
彼らにはゴダールを観てないし、ベルグソンを読んでいない。悲惨だ。

「イマージュ」が、単なる共同体の表象・イメージに堕落したとき、共同体の
夢の檻の中に人は囲い込まれてしまう。
そして、「イマージュ」対抗して、安易で観念的なイメージを次々に生産してい
るのは、下劣なテレビ文化だ。
それらは、沈み込んでしまった観念論者を代弁・大便する役割を担っているの
だから、出来るだけ遠く離れて生活するほうが良いに決まっている。

って最後はオヤジギャグかもしれないが、強引にlievreさんとmoutonさんの議論
を纏めたつもり(笑)(chien)

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新・雑誌★『MILES』『LEON』『Hemingway』 2001,7,18
この秋、中高年向けの新・雑誌が3誌まとめて創刊される。
雑誌の創刊は、いつも、女性誌にしても同じカテゴリーが集中して出てくる。
これって、まず・広告代理店サイドのニーズあり・ってのが、ミエミエだ!

そんなキモチワルイ状況はアキラメテ、雑誌の誌名を見てみよう。
なぜなら、まずは誌名に、編集者のセンスと目的、モード感の位置が分かるからだ。

@徳間書店『MILES(マイルズ)』。40歳代向け。なんじゃ、わし向けか?
で、マイルズってのは、「距離=到達点=目標」と、
ジャズのマイルス・デイヴィスをかけてるんだろう。
このホーム・ページでもマイルス・デイヴィスを語るブーム中なので、これは、ツボ。
んが、徳間って、『週刊・宝石』の敗残のリヴェンジってことでしょ?
「おっぱい見せて」「処女探し」のセンスが、マイルスの名を泣かすなよ!

A主婦の友社『LEON(レオン)』。
780円と、ちょい高めのプライス設定は、女性誌のグラヴィア・センスの準備あり・と、見た。
でも、中年男性が「主婦の友」って、ギャグ?
「レオン」って、映画のジャン・レノのやつだよね?
オヤジ徳間の「マイルス」とのビミョーな距離が、おもしろいね。
ジャン・レノって、女のアイテムだろ?読者層のアイテムじゃあねーよな。
マーケティングのズレを、ちょい・感じる。

B毎日新聞社『Hemingway(ヘミングウエイ)』。50歳代向け。
ぎゃははははは・・・。毎日らしーわな。
50歳代って、団塊の世代。
1960年代は、『朝日ジャーナル』と『少年マガジン』。
1970年代は、『ポパイ』。
1980年代は、『ブルータス』。
1990年代は、ゴルフ雑誌を読んできた日和見主義者のフキダマリ。
「ヘミングウエイ」って、雑誌『エスクァイア』からのイメージのパクリじゃん。
小説家の名前を使って品よく決めたつもりでしょーが、底が浅い。毎日らしいぜ、まったく。
どーせ、しょぼいグラフ雑誌の編集者のリストラ対策だろーな。


■それじゃあ、久保なら、どーいう誌名にするか?って?
⇒『Coltrane(コルトレーン)』、『ピエロ・ルフ』、『鴎外』、
なぁ〜んて、いかが?(笑)
笑われるでしょーが、中途半端なマーケティング・センスとくらべりゃあ、マシ。
ユーザーはコピー・ライターより進化してるんだゼ。


映画★『A.I.』 2001,7,17
なんてったって、スピルバーグ。平日の深夜のレイトショーにも恋人のオンパレード。

今日は、栗山、長沼で仕事。
サッポロ・ファクトリーのレイトショーは、駐車場無料&1,300円サービス映画料金で、
最近のお気に入り。音、イス(足が伸ばせないのがダメだが)、良し。

映画は前半の家庭物語は、なんのことない。
な〜んだ、これなら、予告だけで内容が分かっちゃう。想像どおり。

んが、ジャンク・ロボットの不法投棄のシーンから、画像は面白くなる。
この、ロボットの部品のゴミをあさって、
自分の体にするロボットたちのシーンは、手塚治虫であれば、バカスカ、アイディアを出しそー。

かつてのニューヨークのブロードウエイがモデルっぽいロボットのススキノ(?)とか、
海に沈むニューヨークなんか、よいわ。
あたしなんか、海の中に一瞬写った「ラジオ・シティ」に懐かしさすら感じたよ。
でも、これも、『猿の惑星』2001に対して・ちょい・イジワル。

でもね。これって、やっぱ、金(もちろん、それを生かす「才能」もだ・が)。
同じ台本でも、スピルバーグじゃあなかったら、
こんなに面白くならなかったであろうと・思う。
だって、ストーリーを裸にしてみなよ。別に新鮮なネタでもないゼ。

少年と同じロボットが並ぶシーンや、
ナゾの宇宙人(?)とのセリフ無しの長いスピリチャルなシーンは、
キューブリック(!)っぽい。確かに。
でも、これは、ファンとしてのスピルバーグのオマージュであって、オリジナルじゃあないしね。

まぁ、できすぎたモノに、できぞこないの私が、こんな辺境で一人吼えだが。


ワイン★『続・ワイン密造計画』 2001,7,14
いよいよ、我がワイン、完成。33本。
上澄みの蒸留酒的、きれいなワインがその1。
以下、だんだん果肉の繊維をふくんだワインになり、最後が、その33。

13番は、千歳市の酒屋の福原商店に寄贈。

14番は、やさしい英会話教室「すずめの学校」で試飲。
うまい。成功だ。
ただ、やわらかいリンゴの香りがする。
これは、第2次発酵の手間をさぼったから。

で、今日、21番を呑んだ。
やはり、堅い。
ボトルの残り30%になると、ワインの色も白濁色になり、リンゴ臭も強くなる。

このリンゴの匂いを消す作業が、「マロラクティック発酵」。


ただ、赤ワインは普通、作り出して2年後に呑むのがフツウ。
可能性はあるぞ。
1年半後、バケルゾ!


整髪剤★『Dep』 2001,7,13
私は、コマーシャルに出演したことがない。(←当りマエダァ)
もし、ロッテリア、警視庁、ネッスルからコマーシャル出演を頼まれても断る。(←んな、心配、必要なし)

だが、下記3品のコマーシャル出演を頼まれると、是非、やりたい。(←だいじょーぶ?)
@ゼブラ「蛍光ペン OPTEX ピンク」
A資生堂「タクティクス フェイスクリーム」
BSchwarzkopf & Dep「デップ ウルトラ ホールド ジェル」

これらは、私が15年間愛用している雑貨だ。
ゼブラの蛍光ペンなどは、書斎の中、いたるところに散在してあり、
いつでも本や新聞の切り抜きにマークできるようになっている。
地下鉄でも、歩きながらでも、活字のあるとこ、ゼブラのピンクはかかせない。
私から本を借りると、そのマークおたくぶりにアキレルだろう、akillerさん?

タクティスは、登場当時はコロンも使っていたが、コロンは高校生以来、不要。
しかし、乾燥肌の私には、このフェイスクリームがピッタリ。最近は油ぎってきたけど。
伸び具合も、最高。安いクリームは、薄く広く伸びない。比べてごらん。
オリエンタルで、うるさくないデザインも永い付き合いのポイントかも。

で、デップ。
これは80年代パンク時代からの愛用。
最初はピンクだった。やっぱ、当時はピンクがニューウェーブの象徴だったし。
で、当時は「樽」だったよな。
大ぶりのプラスティックの「樽」の白いフタを開けると、控えめに甘い香りが少しした。
サラリーマンになってから、さらにハードな「オレンジ」にした。
でも、1980年代後半からチューブに変わった。
しかし、チューブは指ですくえる樽と違って、使いきりできず、もったいなく、
最後はハサミで真ん中から切って使い切っていた。今日も、そーした。

1990年代から、私は「1年に1回しか髪を切らない」とゆー、
最初はだれも信じない髪型になり、長髪⇒超・短髪を繰り返してきた。
で、ニューヨークで短髪になった私は、また毎日、デップのお世話になっているのさ。

1980年代後半のヘビメタ君たちは、「ダイエー・スプレー」を愛用したそうだが、
当時、札幌のダイエーの上に住みながら、鼻で笑っていたよ。「趣味ワリー」

でさ、今日、旭川で、「70%増量・340g・¥480(税抜き)」を発見。
価格が同じで、79%増量とは!
容器もチューブからボトルに変わっていた。となりには、まだチューブが陳列されてたよ。
3本買いました。

ついでに、スキップしながらお向かいの中古CD屋「サン・ハウス」で、
・ニール・ヤング『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』(1970)←大男のセンチメンタル。
・ジョージ・アダムス『ナイチンゲール』←アダムス版『バラード』?
を買い、

BookBigBox本店で、古本、
・ポール・ニザン『アデン・アラビア』(1966初版!)←有名な書き出し「ぼくは20歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。」
・ピート・ハミル『ニューヨーク・スケッチブック』(1982初版)←いまだNY後遺症の私。
をGET。

ホッケ(魚じゃないよ)や、高山宏など、欲しい本も沢山あったが、読んでから買いにいこう。

それにしても、ニール・ヤングやポール・ニザンなんて、
まるで人生の欠落部分を埋める買物。

明日もデップで、出勤だ!


ロック★『ブリティッシュ・ロック』 2001,7,12
ビートルズを想いつつ、ブリティッシュ・ロックの独自性を想う。

@脳腫瘍の手術を終えたジョージ・ハリソン君、経過は順調だそーで、なにより。

A君、『ハード・デイズ・ナイト』、観に行ったかね?
わがホームページに、ワイルダー監督の影響についての考察が掲載されとるよ。

B雑誌『スタジオ・ヴォイス』の特集「レヴォリューション・ロック」で、
オノ・ヨーコが評価されていた。いいことだ。

Cなぜか、ポールのベスト盤発売。年々、評価が下がるポール。
評価向上の最後の手段は死ぬことか?
私のHPの「歴史からとびだせ!」でも分かるように、
今日、7月12日はブラインド・フェイスがアメリカで初ライブをした日。1969年に。
で、クラプトンは、このアメリカン・ツアーでデラニー&ボニーにめぐり合い、
アート・ロックを捨てて、アメリカン・レイド・バックの世界へ。
そこで考える「イギリス的」って何だ?
ニッキー・ホプキンスのアルバム『ティンマン・ワズ・ドリーミング』や、
ポールの「マル・オブ・キンタイヤ」なんかを聴くと、これが「イギリス的」と思う・よ。
その「ケルト的」と言っていいのかワカランが、
その感じをサイケにするとポール的『マジカル・ミステリー・ツアー』になるだろうし、
ジェファーソン・エアプレーンやドアーズはやっぱアメリカ的で、
イギリスじゃあ出ないバンドだよね。


映画★『ブロンクス物語』(1993年) 2001,7,11
「やっぱ映画館で観よう」とアジっておいて、テレビ放映の映画で、反則だが。

やっぱ、NHKは面白い。
ロバート・デ・ニーロの1993年の初・監督映画を午後9時からやって、
引き続き、午後11時からデ・ニーロのニューヨーク・アクターズ・スタジオでの
1998年のインタヴュー。
おかげで、立体的にデ・ニーロを楽しめたよ。
デ・ニーロって、グリニッジ・ヴィレッジのブリーカー・ストリート200で生まれたんだってさ。

『ブロンクス物語』は脚本の勝利だが、デ・ニーロの堅実な編集作業の成果でもある。
1960年から1969年までのニューヨークの下町(?)ブロンクスの親子の成長物語。
アカデミー助演賞的、大活躍なのが「音楽」だ。
つまり、街中にドゥー・ワップが流れていた1960年から、
ジョン・コルトレーンのサックスがトランジスタから流れる時代を経て、
1969年のザ・ビートルズの『カム・トゥゲザー』に至るBGM。

黒人街へ、イタ公のガキどもが火炎瓶を盗難車に詰め込んで向かうシーンは、
白人の画面ではクリーム『ストレンジ・ブリュー』、
黒人の画面ではジェームス・ブラウン『イッツ・ア・マンズ・マンズ・マンズ・ワールド』。

ストーリーの大筋は、1950年代以前のホーム・ムービー的だが、
黒人のガールフレンドに主人公がキスを習うシーンのクチビルの光り方や、
ハーフコートの黒人とイタリア系の着こなしの差なんかは、
1970年代のリアリズムの先頭を切り開いてきたデ・ニーロならではの1990年代てきディティール。

ラスト・シーン直後の「父ロバート・デ・ニーロ・シニアに捧ぐ」ってのはヤリスギかもしれないが、
我々は確実に優れた映画監督の誕生に立ちえたのだから、生みの親に感謝も悪くない。

しかし、冷静に考えると、この映画の情報量は莫大な量だ。
無駄になったフイルムもかなりあるだろう。
しかし、完成された映画には、バランスのとれた情報のスムーズな流れがある。
日本の映画は、最近は絵は美しくなってきたが、
やはり編集で、作品を不自然にしているケースが多い。
深作欣二以来、編集軽視の悪癖は変わっていない。
編集が一番好きだった故・キューブリック。リミックスのセンスって、映画にも必要だよな。


ロック★『ザ・ビーチ・ボーイズ「フレンズ」』 2001,7,8
サーファーの軟弱アイテムとして、モヒカン時代の私はビーチ・ボーイズを毛嫌いしていました。
どーも、すみません。

と、ザンゲしたところで、本題。

これ、1968年のビーチ・ボーイズのサイケ・アルバム。
当時の彼らはインド、ヒンズー教のグル、マハリシ・ヨギの教えに首ったけで、
ライブも、マハリシの講義(!)とのカップリングだったようだ。

そのマハリシの教えが、「トランセンデンタル・メディテイション」。
つまり、「超越瞑想思想」。
なにが、つまり・だ!ワケ分からん、とゆー声も、ごもっとも。時代ですなぁ。

アルバムの最終曲が、それモロの「Transcendental Meditation」。
いきなり歌詞が、
「Transcendental Meditation can emancipate a man」。
emancipateって、元・プリンスをご存知の方であれば、代表作のタイトルを思い出すでしょう。
そう、「解放」って意味だぁ。
訳せば、「超越瞑想思想は、人間を解放できる」。
なんだか、『共犯新聞』的!
そー言えばARBの新曲のカップリングに「共犯者」がどーの・こーのってのがある。
石橋凌も、私の詩集『共犯幻想』を持ってたしな。

脱線、ごめん。
で、

それを略して、T・M。TMレボリューションって、ここからとったの!?教えて。

このアルバムは、マニアからは、『TMアルバム』と呼ばれている・そーだ。
『ペット・サウンズ』で、早すぎたサイケをやった彼らの、
サンフランシスコ・フラワー・ムーブメントのサイケ全盛期への回答だ。

キモチいい。それで充分?それがサイケか!?

そして、このアルバムの副産物として、チャールズ・マンソンの猟奇事件も発生。
う〜ん。オウム真理教を、思い出してはイケナイ!これは、純粋なサイケなんですもの。うふふ。


彫刻★『砂澤ビッキ』 2001,7,7
札幌の「芸術の森美術館」へ。
だが、道がチョー混んでいる。しかも、駐車場、満車。
実は今日、PMFの初日だった。知らなかった。
んで、ビッキの前にクラッシック・ライブを野外で楽しむ。無料ざんす。

その、ビッキの会場の入口で元・衆議院議員の五十嵐広三とすれ違う。
「引退した政治家がボディガード無しで、一人で美術館に来るなんて、イケてるんと・ちゃう?
政治家って、ハコモノのオープンの時は、”私のチカラで作ったのよ。次回の投票もたのむね”
的なテープカットにはノコノコ出てくるけど、
美術品が好きで来るのは始めて見た。某Sには、ありえない行為だよな」と、思った。

んが、なんと、会場内の年表を見てビッキり。もとい、ビックリ。

「1959年 旭川にもどり、北海道アンデパンダン展の作家(五十嵐広三、菅原弘記、平間文子ら)との交友始まる。」

げっ。五十嵐って、ゲージュツカだったの?
平間文子って、今の「ヒラマ画廊」のひと?

などと無知丸出しの感想。

さらに年表には、
「1952年 鎌倉に移住。鎌倉在住の文学青年等のサークルに入り、
澁澤龍彦、矢川澄子、三木多聞、土方巽、白石かず子らと交友する。」だって。
うへっ。これって、池田満寿夫や安原顕なんかも出入りしていた伝説のサロンじゃんか!

アイヌ人の木彫り=熊でも彫ってんだろ。
という先入観をお持ちの人々、そこからでも驚きなさい。

年表ついでに、彼は1983年に初めてカナダに行き、ネィティブ・カナディアンと交流。
それまで彼は、アイヌということの特殊性より、
ビッキであることの特殊性を誇示し、アイヌ的作風をあえて避けていた。
が、ネィティブ・カナディアンとの交流で、自分がアイヌであることを意識しての製作に変わる。

この変化は重要で、今回が日本初公開の「Images of British Columbia」の連作は、
圧倒的な個性と、抽象化された普遍性が表現された傑作だ。

巨木のオブジェが多いせいか、巨石のイサム・ノグチを、どこかで私は意識しながら観てしまった。

晩年には「午前三時の玩具」のようなソフィストケイトされて表面も技術もコーティングされた作品も発表している。
しかし、やはり、原木の魂を空間に固定したかのような荒削りの作品に興味は向く。
油絵が、「どこで止めるか」の芸術であるのと同様に、
ビッキは木を粗く削ったり、削る作業を途中で止めたり、
木の前で格闘しながら、「止める」瞬間を選択する気合が、今も作品の前に立つと感じる。

キーワードは「抽象」。
抽象を選んだ作家の重量感あるイメージの広がりが体験できる。

そして、隠れたキーワードが「トーテムポール」。
カナダでトーテムポールを見て回ったビッキの写真も展示されている。
その後作ったビッキの個性的な抽象の作品は、彼のトーテムポールであると言ってもいい。
「民族」の末裔がシャーマンに成って、「民族」の歴史を作品に昇華する。
それがトーテムポールであると、私は思う。

ビッキの評伝『風の王』(響文社、1,800円)が今年、出版された。
それを読んで、ビッキの秘密の末端に少しでも触れたいと・思う。


建築★『磯崎新「ふたたび廃墟になったヒロシマ』 2001,7,6
建築家、磯崎新の建築展「アンビルト/反建築史」が話題だ。
ニューヨークのグッゲンハイム美術館で、美術としての建築を堪能した私にとって、
「建築」をさらに考えるきっかけにもなっている。

タイトルはポスト・モダン的で、ちょい・イヤラシイが、
アンビルトとは、「建たない」という意味。
インポテンツ?
ではなく、計画したのだが、ついに建たなかった作品。
とか、最初からとうてい建てることなど出来ない建築。

最も印象的なのが、「ふたたび廃墟になったヒロシマ」。
原爆投下直後の広島の廃墟に壊れてボロボロの工場を建てる・とゆー絵。

絵!

設計図じゃないんだよね。シルクスクリーンだよ、ウオーホルかよ!(←バカルディ的つっこみ)

建築評論家の飯島洋一は言う。
「いまやトラウマの要因は、
事故や災害だけでなく、
社会構造そのものにも隠れている」



研ぎ澄ませ。
来るべき日のために。


映画★『メトロポリス』 2001,7,5
原作、手塚治虫。脚本、大友克洋。と、くりゃあ、期待もするわな。
でも、ジブリとポケモンに挟まれて、パブリの扱いも少なく、ちょい寂しい上映期間の短さ。

今日の早朝割引で、新さっぽろで観たんだけど、最初の数分、音が出なかった!
それを文句も言わず、だまって見ている観客も、観客だ・が。

んで、映画は、絵が美しい。特に雪の風景の美しさは必見。
おそらく、モデルであるニューヨークの摩天楼に降る雪景色も見てみたいなぁ。

だが、クライマックスは、デジタル・アニメに頼りすぎで、しらける。迫力はあるけどね。

で、ストーリーは手塚オリジナルから、かなり脚色されている。
子供向けにしては、シリアスすぎる。
しかし、主人公のロボット少女の人物の造形が希薄。
クライマックスへの展開にムリがある。

しかし、あの丸っこい絵は、良い。ロートン博士だけは、ちっと雑だけど。
あの初期・手塚の絵が動くだけで、手塚チルドレンの私はオッケーなのよ。


コーヒー★『澤田珈琲「フレンチ・コーヒー」』 2001,7,4
札幌の平岸にある澤田珈琲と・いう喫茶店。
古い石造りの蔵を改造した店舗、流れるクラッシック、ジャズのミニ・ライブを時々する企画。
ウエイトレスの白いシャツなど、良い喫茶店。
おまけに、私の贔屓の中古レコード店、ブックス1/2平岸店のそば。

で、15年程前から、ここのフレンチ・コーヒーを愛飲している。
濃いブラックが好みの私にピッタリ。
いつも豆で4〜800g買っている。

が、ここ半月ほど、味が変わった?

どーも、以前の深みが無い。
毎日、寿司屋みたいな大きな湯飲み茶碗に、
コールタールみたいに濃いコーヒーを入れて呑んでいるので、違いはスグ分かるのよ。

で、最近は、
ドトール・コーヒーの「炭火焼珈琲」を飲んでいる。

フレンチ・コーヒーよ、カム・バック!


追悼★『松本永光(伯方塩業・社長)』 2001,7,2
びっくりした。
いつものよーに、「伯方の塩」でお馴染みの伯方塩業から手紙がきて、開けてみると……。

松本永光、6月15日午前5時30分、急性心筋こうそくで死去。71歳。
料理人の神田川俊郎など、葬儀には多数の参列だったという。

松本さんとは、半年ほど前に札幌の全日空ホテルで会ったのが最後だった。
いつものように奥さんとご一緒で、健康そのもので、トレード・マークの高笑いをしていた・のに。

私と松本さんとは、15年ほど前からのお付き合いで、
長文の文通をしていたのであるが、北海道にくるたびに食事をご馳走になった。
1988年にフランス・ブルゴーニュ・ワイン騎士団から「ワインの騎士」の称号をもらうなどの、
グルメでも知られ、
自然塩存続運動の旗頭であっただけに、日本の食文化に対するダメージも大きいと思う。

日本は、「塩」に無頓着すぎたのだ。
それも、国家権力の塩の独占販売という、
「塩文化」の壊滅が原因である。
これは、もうひとつの「ハンセン病」だ、と、私は思う。

松本さんの意思を見失ってはいけない。



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