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アートなオヤジの、文科系★不良日記!


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2004,10,29批評★『富田知子 展』論について その2
2004,10,28『共犯新聞』★カウンター、30000!
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自然★『雹(ヒョウ)、竜巻、カミナリ』 2001,6,30
昨日の話だ。
午後2時半、オレは倉庫で密造ワインにラベルを貼っていた。
外へ出た。

バラバラ・・・。
まるで某国の188発のマシンガンのような音。
ヒョウが降ってきた。
しかも、3cm大の巨大なヒョウ!
28度の高温の夏に!
下校途中の小学生に容赦なく氷の塊が射撃される。

瞬く間に量は増え、氷の塊が暴力的にアスファルトに叩きつけられる。
さっきまで乾いていたアスファルトが冬のように、真っ白になった。
15分ほどすると、今度は狂ったような温帯性の雨。
そして、カミナリ!

午後5時、仕事の相手からの電話。
「大丈夫ですか!?」
「いやー、すごかった」
「テレビやラジオでは、臨時ニュースがすごいですよ」
「天変地異だよ、まったく」
「どれぐらいの大きさだったのですか?
「3cmぐらいだよ。大きかったよ」
「えっ?」

その時まで、私は知らなかった。
電話の主は、ヒョウよりも、竜巻の話をしていたのだ。
あわててテレビを付けると、臨時ニュースが、
オレの住む沼田町の隣町の北竜町を映している。
インタヴューで、「どんなんでしたかって、あんた、30〜50mはあった」
なに!?3cmじゃあないのか!?

続いて、破壊された家の映像。巨大な竜巻が商店を一瞬に壊して、その向かいの中学校の屋根を吹き飛ばした。車は宙に浮き、女性が骨折した。


ヒョウは夏の季語だが、世界の終わりを見せられた一日だった。


追悼★『ジャック・レモン(アメリカの映画俳優)』 2001,6,29
6月27日に、ジャック・レモンが76歳で死んだ。
死因は、がんによる合併症。
明日、がん検診を受ける私にとっても他人事ではない。か?

ビリー・ワイルダー監督との『お熱いのがお好き』(1959年)、
『アパートの鍵貸します』(1960年)あたりが代表作。

特に、マリリン・モンローとの競演の『お熱いのがお好き』は、
私のこの「日記」の4月18日で、ビートルズ映画への影響について考察したばかりなので、
愛着もある。
あの日の「日記」は、必読だぞ!←と、自分で言う。
後日、メイン・ページの「映画」にもアップしておこう。

先日のニューヨーク旅行中、
テレビでジャック・レモン的コメディアンのドキュメンタリー番組をやっていた。
当時の白黒フイルムと、現在の友人達の証言が交互に出てくる。
面白かった。

で、そのコメディアンの名前を忘れてしまって、
ここで「日記」の手を休めて、3時間、考える。
「たしか名前をとった日本人タレントもいたぞ」と思いつつ、
我が蔵書をあさるが、想いだせない。

ようやく、小林信彦『笑学百科』(1982年刊)の「人名索引」を開いて、一発で分かった。

ジェリー・ルイスである。

「名前をとった日本人タレント」とは、ジェリー藤夫。
顔も似てたし、モロ意識してたね。とは、ニューヨークのテレビで確認済み。

小林信彦の、その本にも、ジェリー・ルイスがいたるところに引用されている。
たとえば・・・
@ザ・ぼんち(左側の人はジェリー・ルイスによく似ている)=ぼんち・おさむ、のコト。
Aサミー・デーヴィス・ジュニアの物真似レコードが何枚かあり、
ジェリー・ルイスの真似など、ぼくは、これらのレコードで覚えた。
B東八郎とジェリー・ルイスをミックスした萩本欽一の動きのスタイル
Cマスコミに登場したころの欽ちゃんは、髪型からして、ジェリー・ルイスにそっくり

又、この本には「ニューヨークの植草さん」なぁ〜んて、
私にとって、キャッチーなコラムも載っている。


えーと、ジャック・レモンから脱線したけど、
彼の残した水脈は深くて豊だ。と、「日記」には書いておこう。


28 消防★『ポンプ操法』 2001,6,28
私は、イナカのボランティア消防団の団員。
で、7月10日に「夏期演習」とゆーのがあり、その練習が今日から始まった。
ただでさえ、毎晩、「夜高あんどん祭り」の”あんどん”製作をPM8からやっているのに、
こりゃ大変。読書量が減る。

んで、今年の私の役割は、よく言えば「花形」。
それを覚えるまでが、タイヘン。

「ポンプ操法」とは、
消防自動車ではなく、自家発電のポンプを利用して火事の火を消すっーこと。
4人1チーム。
私はその「1番員」で、先頭の筒先を持って、水を放水して火を消す。
簡単そうだが、これに、伝統の「型」があり、こまかい「作法」通りにやらねばならない。

んで、重たいホースを丸めて、肩でかついで、走る。走る。また、走る。
かなりの圧力のかかる筒先を、足を踏ん張って持って、火を消す。

なんで、39歳の私がやるのか?
消防は、年功序列で、入団した順番にエラクなる。
30歳を過ぎて入団した私は、まだ使われる。
同級生でも、18〜20歳で入ったヤツらはヨユーで、笑いながら私を見てる。

まだまだ、こんな夜が7月10日まで続く。


ネット購買★『amazon.com/500円引きセール』 2001,6,26
6月30日まで、アマゾンが音楽ソフトを500円引きにするとゆーので、
下記、3枚のCDを申し込んだ。

1部 "ザ・サウンド・オブ・サプライズ" ビル・ブラッフォード=アースワーク
ス (アーティスト); CD; ¥ 2427 (単価)
通常1~2週間以内に発送



1部 "サンフラワー" ザ・ビーチ・ボーイズ (アーティスト), その他; CD;
¥ 2427 (単価)
通常1~2週間以内に発送



1部 "フォレスト・フラワー" チャールス・ロイド (アーティスト), その他;
CD; ¥ 2330 (単価)
お取り寄せ

■いつも、中古で安く買っているので、
500円引かれても、超安いワケじゃあないが、
上記3枚は、中古店ではなかなか出回っていないので、申し込んだ。

届くのが、楽しみ・では・ある。


評論家★『小林秀雄』 2001,6,24
今日は、久しぶりに仕事が全面、オフ。
ゆっくりしたニチヨーの夜は、小林秀雄について・なんぞ・考えてみた。
来年、生誕100年だってね。

私は小林秀雄が死ぬ前に彼の信望者とよく論じ合ったモノでした。
小林の語る「素材」が私の贔屓のモノばかりで、やりにくかったなー。
その時は、コカ・コーラに焼酎を入れて呑んでた。東京調布市でのオハナシ。

たくみなレトリックで、
ランボー、モーツアルト、近代絵画をしゃべくった女タラシの、不良美男子。

「美男子」以外はオレに似てる?

下記の「評論」に飛んで、見てみてネ。

★評論&批評は、深層心理の共犯行為。

あ、そーそー、
明日の朝7時30分から、フジテレビ『めざましテレビ』にジュリー出演。


選曲★『田舎のビール・パーティのBGM』 2001,6,22
今、午後3時。
北海道新聞の夕刊が届きました。
主なニュース

@旭川商工信組・破たん=約41億円の債務超過だって。金融のプロが計算できないって、どーゆーこと?
Aイチロー・打率トップ=こりゃ、もう、世界の宝だね。今までは日本の「秘宝」だったケド。
Bジョン・リー・フッカー死去・83歳=ボ・デイドリーをニューヨークで観れた幸せ。

で、これから午後6時から始まる「沼田町商工会青年部ビールパーティ」のBGMを選曲。

以下
@エリック・ドルフィー『ザ・ファイブ・スポットVOL.1』(1961)
AT.REX『ヴェリー・ヴェスト』
Bブンブンサテライツ『アウト・ラウド』(1998)
C椎名林檎『無罪モラトリアム』(1999)
Dザ・ブリリアント・グリーン『TERRA2001』(1999)
Eエレファントカシマシ『グッドモーニング』(2000)
Fラブ・サイケデリコ『THE GREATEST HITS』(2001)
Gゆらゆら帝国『ゆらゆら帝国V』(2001)

まぁ、私は「受付担当」(笑)だから、
これらを「音響担当」にポイと渡して選曲その他はまかせるのだが。

私のCDコレクションでは、上記がギリギリの「大衆向け」なのサ。
かつてピテカントロプスエレクトスというエッジーなカフェを経営していた、
桑原茂一サンが1980年代後半に「選曲家」なる商売を始めた時には、ナルヘソと・思ったよ。


■で、また私は考える。
「大衆」が喜ぶ音楽(=芸能?)って、何だべ?
たとえば、コイズミ総理大臣。
こりゃあ、84%のポピュリズムだけど、
「大衆」が求めるモノって、コンサバとの微妙な距離が必要だって・コトだよな。
キーワードは、やっぱ「変人」か!?がはは。

それにしても、
ギター・ウルフがダウンタウンの浜ちゃんにイジラレルのは、どーゆーもんかいな。


さて、これからビール・パーティの準備に行ってきます。
また、明日。


クラッシック作曲家★『リスト』 2001,6,21
昨日、リヒテルのCDを聞いて、感動して、
「ちょっとまてよ。リストって、あなどれないんとちゃう?」と、思い、
リストの研究を・ちょっと・してみた。

くわしくは、私のホームページの表紙の「クラッシック」から、
「リスト」のページに飛んでくれぃ!

んで、



リストの人生を追えば、ショパンからワーグナーまで、
音楽の歴史が古典から現代に辿り着く追体験ができる。
生まれた時はモーツアルトの時代で、
没年にフルトベングラーが生まれたなんて、デキスギ。

年表を見れば分かるように、
ショパン、パガニーニの両者の間で音楽コミューンを媒介する。

ジョルジュ・サンドをショパンに紹介したり、
次女コジマがワーグナーと結婚したり、物語たっぷりの人生。

で、作品の歴史も、時代を照らしている。
「ラ・カンパネッラ」や「ため息」のようなロマンティックな曲を経て、
40歳台の「ハンガリー狂詩曲」でエスニックの興味を深め、
最晩年にはついに無調の現代音楽の先見を示す。

それらの背景にも、ゲーテの時代に甘美な曲、
マルクスの時代に「ため息」、
ゴッホの誕生年に「ハンガリー狂詩曲」、
ニーチェの時代に無調。

ちょっと、キメすぎ?

これらを意図的にリストは作曲していたと私は想像する。
たとえば、最も有名な「ハンガリー狂詩曲」だ。
リストはオーストリアとハンガリーの国境で生まれたのに、
実はハンガリー語ができず、
しかもハンガリーの諸文化とも疎遠だった。
岩井宏之は「ハンガリーのジプシーたちの異国趣味が
そこに表現されてはいても、
ハンガリー民族の音楽的伝統は
そこに少しも受け継がれていないのである」と分析する。
そうだとしたら、恐ろしいホドの数学的天才である。

魅力的な人脈と共に、リストを無視することは、
私にはしばらくできないであろう。


クラッシック音楽★『リヒテル「リスト/超絶技巧練習曲集」』 2001,6,20
■『リスト/超絶技巧練習曲集』
1988年(ライブ) PHILIPS

◎晩年のリヒテルの境地が味わえられる。
1曲目の『ポロネーズ第2番』で見せる、
右手の”タメ”は、ジョン・ボーナム並みの重たさ!
リストというと甘美なバラードが有名だが、
リヒテルは、あえてリスト最晩年の実験的な曲も、
取り上げている。
たとえば『灰色の雲』(1881)なんかは、無調だ。
『メフィスト・ポルカ』(1883)の最後の音は、
テーマと無関係な単音だ。
このCDのメインである『超絶技巧練習曲集』の
8曲は、テクニックのおっぴろげで圧巻。
同時に『第8番<狩り>』などで見せる、
激しい情念は若々しくさえある。
そしてCDは名曲『ため息』を経過して終わる。

『ため息』は、フジ子・ヘミングの
カムバック第一作CD『奇蹟のカンパネラ』の1曲目でもある。
フジ子ちゃんには悪いが、リヒテルの貫録勝ちだ。

リヒテルの殺気は、スゴイ。


エジプト学者★『吉村作治』 2001,6,19
昨日に続いて、酔っ払いながらのキーボード操作。で、ごめんね。

私の最初の海外旅行は、1990年のパレスチナである・とゆーのが、通説ですが、
実は「日本人」は、直接、パレスチナに入国できない。
それは、1972年5月30日イスラエル、ロッド空港乱射事件。岡本公三、逮捕による日本人規制だ。
で、他国にトランジットしてからの入国となる。
私は、エジプトのカイロ空港に入ってから、シナイ半島をバスで移動して、アカバから入国した。

たまたまの最初の「外国」にしては、インパクト、巨大。

で、今日、仕事の関係で、東京の商社のヒトと酒。
そのヒトは、1950年生まれ。早稲田大学・教育学部出身。
入学の1968年当時は、「机が降ってくる」時代だったそーだ。
んで、教師になる勉強ができず、
当時、講師だった吉村作治の作った「オリエント研究会」に入ったそーだ。
当時、吉村氏はエジプト人の奥さんと結婚していて、男の子がいたそーだ。
現在は、離婚。

で、私がカイロ博物館に行っただの、ギザのピラミッドに入っただののハナシをすると、
うらやましそうにしていた。
今度、いつか、一緒に、ルクソールへ行こう、と・ゆー無茶な約束をして、
オヤジの飲み会は、終了。


小説家★『堀江敏幸』 2001,6,18
まず、ごめんなさい。
これも、in Japanease.
リアル・タイムの私の感想を「English」で伝えられない不器用をお許しください。

ん〜で、っ。堀江。
ビミョー。微妙だよなー。ホント。

「バカ」では、ない。
だから、次の「評価」へのジャンプが、遠い。

『熊の敷石』、読んだ?
おそらく、最低でも、出版社の売れ行き"予想"よりは売れなかったでしょう。

いい本だぜ。

でもな。

文体をつなげてゆく「作業」は、作者の自信の無さの・代弁者。

代弁者は、時には作者と違う次元で・嘆き叫ぶ。

アンニョンハセヨ。


映画★『マレーナ』 2001,6,17
■今日は映画『マレーナ』(2001年)を観てきました。
なんせ、監督はジュゼッペ・トルナトーレ。
そう。あの『ニュー・シネマ・パラダイス』や『海の上のピアニスト』の監督です。

作品は、一言で言うと、「再生」の物語・だと思います。
舞台はジュゼッペ・トルナトーレ監督の故郷、シチリア島。
『ニュー・シネマ・パラダイス』と同じ。
色っぽい年上の女性と、思春期のストーカー少年の物語に、第二次世界大戦の背景がからむ。
イタリアの「ネオレアリズモ」の流れなのか、少年のエロスや、クライマックスのリンチは、ドキリ。
シチリア島が舞台のネオレアリズモの傑作といえば、
あのルキノ・ヴィスコンティ『揺れる大地』(1948、1990年にリヴァイヴァル)。
小説では、ジョヴァンニ・ヴェルガ『マラヴォリヤ家の人びと』(1881、日本では1990年に邦訳)。
ってなトコロが有名ですが、
ネオレアリズモの文法を周到していながら、美しくも幻想的なのはトルナトーレ監督の独壇場。
特に、1940年代の映画の場面を少年の空想と交わらせるシーンの数々は、
『ニュー・シネマ・パラダイス』に少年時代をダブらせたという、TKB−G@トモキ氏、必見。

かなりシリアスな主題を、「おとぎばなし」にするトルナトーレ監督のチカラワザは、さすが!
やるせない物語を「再生」に昇華する腕前も、さすが。これまた、すでに「古典」かな?

また「女優」っーのは、美人でアタリマエだが、
やはり、主演のモニカ・ベルッチ、
『ムトゥ踊るマハラジャ』主演のミーナ依頼のフェロモン女優でありましょう。

2日前に『ロスト・ソウルズ』を観て、ウィノナ・ライダーの美貌のみ良かったので、
美人と作品との幸福な巡り合わせについても、暗闇で考えさせられたのでした。

映画のあとは、札幌・円山のイタ飯レストラン『Vita』(人生!?)で、
渡りガニのトマトソース・パスタと、子羊のきのこ和え。これも、美味。
本来は、ワインも開けたかったが、車だったし。
そー言えば、周りも、せいぜいグラス・ワインばかり。
唯一のボトル注文者のテーブルには、キリン・ビールのボトルが……。(笑)
やっぱ、日曜の夜のデートにお酒は合わない?いいワインのあるレストランなので、残念。
昨日は札幌・平岸のイタ飯「クッチーナ」でシチリアの白セッコを1本飲んだ。
けど、冷えてなかったぞ!夏に白の辛口を頼む意味、分かってんのか!?
昨日のシチリア(ワイン)を、今日のシチリア(映画)でお返しした結果には・なった・ケド。

で、帰りの車では、CD『春と犬12月号』をBGMにして、2時間後に沼田町に帰宅。
暗くなった帰り道に、ピッタリのBGMで、ないかい?(←ちょい、北海道弁)


■『マレーナ』のホームページ
※なかなか、よくできたHPです。
(と、書いたが2009年に見てみると、もう、ありませんでした〜。)

やっぱ、映画館で観たい♪『マレーナ』 (Malena) 2000年(伊)
稀な人。


演劇★『黒テント+松本大洋「メザス・ヒカリノ・サキニ・アルモノ・若しくは・パラダイス」』 2001,6,15
★TKBキーボードの”とりのでんすけ”さんに、
「久保さんはニューヨークでは芸術三昧でしたね」と、言われつつも、
強欲な我が「脳味噌」は、今宵も札幌で「芸術三昧」。

・中古CDを、「レコーズ&レコーズ」で。
@スヴャトスラフ・リヒテル『リスト/超絶技巧練習曲、ため息』(1988録音)

硬質なピアノの音に、殺気を感じるよ。

Aフジ子・ヘミング『奇蹟のカンパネラ』(1999)

ニューヨークで、真夜中散歩していたら、
カーネギー・ホールにこの人の巨大なポスターが暗闇に浮かんでいた。
最近、オバサンたちのアイドルだけど、私も応援してるゼ。フジ子ちゃん。

Bチボ・マット『ステレオ☆タイプA』(1999.5.26)

これ、780円だったんだけど、もうINじゃあないのかな?私、好きよ。

その後、かでる2・7ホールで、PM7から、演劇。
■黒テント+松本大洋『メザス・ヒカリノ・サキニ・アルモノ・若しくは・パラダイス』

これは、雑誌『しゃりばり』の大沼編集長からの、おさそい。
大沼さんの奥さんが企画したみたい。黒テント、私、これで3回目。

さらに、その後、PM9、サッポロ・ファクトリー、シネマ11にて、
■映画『ロスト・ソウルズ』
ウィノナ・ライダーの美しさばかりが記憶にのこる、中途半端なB級映画。

それぞれ、後日、「日記」などに私の「感想文」を掲載します。
と、こんなお気軽な遊民生活です。


★で、まずは演劇、黒テント+松本大洋『メザス・ヒカリノ・サキニ・アルモノ・若しくは・パラダイス』!

黒テントは11年前にもブレヒト作『三文オペラ』で、北海道に来ている。
私も行った。札幌駅前の広場に、黒テントを張っての公演だった。
その時は、過剰な「言葉」「替え歌」が空回りしているように感じた。

その前に、1982年1月24日(日)に東京調布市グリーンホールで見た。
それは「三里塚」集会、主催が三里塚闘争連帯労農合宿所とゆーヤツで、
黒テントは、三里塚での権力と農民の闘いを劇化していた。
この集会には、白竜、中山ラビのライブもあった。
司会が「***して下さい」とか言うと、
客席から「今の発言は、権力的だ!」「ナンセンス!」「意義なし!」「よし!」と言う雰囲気。
当時19歳の私にとっても、甘えた左翼過激派の孤立した集会に思えた。
それでも、私服警察がウヨウヨしていて、「対決」の時代では、まだ・あった。

そんなワケで、黒テントは、
「三里塚」「ブレヒト」のキーワードからも分かるよーに、そーいった劇団。
ただ、代表&演出の斎藤晴彦サンが、テレビでお馴染みのヒトになっているので、風通しは良い。

劇後、斎藤さんも言ってたが、
「前回の11年前には、松本大洋なぁーんて、私もダレも知らなかった」。

劇団は団員を使い捨て(←それは、決して悪いコトでは無い)しながら生き延びる自転車操業。
ならば、こうして松本大洋という才能との邂逅も、すんばらしーコトだ。

私は(君も?)、松本大洋とは、その名と絵が、
大友克洋に似ているので、二番煎じと思い敬遠していた。
が、今年2001年3月下旬に朝日新聞で数日連載した「時のかたち」というコラムに、びっくり!
短い文章で、自然に「感じた」ことをスケッチしている、が、
それをそのまま固定しないで、書いた瞬間に自分の文章を「客観視」して、
まるで冷たいオブジェ(=死体?)のように、そこにクールな「まなざし」を供える。
それは、けっして「技法」ではなく、松本氏、本来の備わった個性であると・思う。
そう。それって、恐いほど「才能」。

その「才能」が「演劇」に適している・とは嬉しい感動だ。

まず、「演劇」は「時間」&「空間」から逃げられない。
つまり、「映画」や「小説(=マンガ)」では容易な「編集」が無い。
喫茶店が、そのままウサギ狩りの山道になったりする。
そして、それは不便なことではなく、
我々の地平は、常にあらゆる「時間」&「空間」と地続きである・コトを指し示してくれる、
親切な装置なのだ。

その「親切な装置」=演劇を優れた装置にするかどーかが、
「想像力」にかかっている。
作者、舞台装置、演出、役者、衣装、それらの「想像力」を楽しみたい。

で、今回の黒テント。
最初は、とまどった。
まず、役者の発音が悪い。声が小さい。
どーせランダムにイメージを発するのだから、せめて道しるべとしてのセリフは聞きたい。
で、慣れてきた。おっ、聞こえるゾ。
しだいに、「作品」の世界と自分の懐のチューニングが合ってくる。
後半、どんどん展開してゆくイメージの広がり。
「地続き」に差し出されたランダム・イメージは、そのまま現代のコラージュだ。
意外と落としどころは、古典的だが、その羅列が新鮮。

古い役者の古い感性(ex.阪神は今年も〜)、
新しい役者の古い感性(ex.過剰な肉体表現)。
そのどちらも、スデにイデオロギーであり、
「感性」を「肉体」によって「言語化」する仕事の果てしない痛々しさも・感じた。

松本大洋だって、悩んでいる途中の報告として、このホンを書いたのであると思う。
そして、星の数ほどある劇団の中で、黒テントと結びついたのは正解だ。
黒テントは「演劇センター68」と名乗っていた時から、
本当の意味で、「ジャーナルティック」であったのだから。
「一言で言えない」「癒えない」時代であるからこそ、
「地続き」にイメージを舞台にばら撒ける彼らに期待したい。


黒テントのホームページ


手紙★『大江健三郎⇒N・チョムスキー』 2001,6,14
朝日新聞にて、小説家の大江健三郎と、
言語学者のN・チョムスキーとの「往復書簡」が今日から始まった。

1950年以前に生まれている団塊の世代にとって、
チョムスキーは「言語学者」という以上に、前衛政治活動の理論武装テクストとしての位置づけがあった・と・思う。
私のよーな1970年代後半の「ポスト・モダン」思想世代にとっての「言語学者」といえば、
すでに、チョムスキーではなくて、ソシュールだったワケだが。

で、そのチョムスキーが、まだ生きていた。(笑)
これって、宮澤賢治の弟の生存以上に、不思議な体験。
その彼に日本の1950年代青春の「実存主義」のヒーロー=大江健三郎が公開で手紙を交換する。
すごい企画。

あいかわらず、大江は一見、不器用に見えるが、魅力的な文章でつづっている。
そして、彼のポイントが、
「日本の若い人たちに、まずひとりでも抵抗しようとする、
その人格の統一と一貫性が希薄であるように感じられる」
ので、
「私はあなたのお返事をこそ、かれらに媒介したい」
という。

う〜ん。う〜ん。
このマッスグさ。
日本の1950年代青春の「実存主義」のヒーロー=大江健三郎!


病気★『ハンセン病』 2001,6,13
きちっとまとまった「ハンセン病」に関する、私自身の考えも書いておきたい。
が、しかし考えの整理に苦労しているのが正直なトコロ。
(再び)しかし、「考えの整理に苦労」する事例こそ、考察に値するのも、これホント。

そこで、今日までの文献で私が一番、共鳴した文章を中心に語ることにしたい。
(また、そこまでしか・できない)

それは、
朝日新聞2001年5月30日(水曜日)付けの、津島佑子の『文芸時評』だ。

いくつか、抜粋してみよう。
・「イメージ」に対する根深い恐怖
・ハンセン病は人類の歴史上、きわめて「文学的」な病い
・美しい健康体が善であり、病を得た体は罪悪であるという宗教的道徳観念も加わり
・恐怖の「イメージ」がさらに増幅される。

さらに彼女は、上記の考察から、その月に発表された「小説」の評論を展開している。
●吉村萬壱『クチュクチュバーン』
・恐怖を人間喜劇としてひたすら見つめつづける「シマウマ男」が登場すると、
その視線によって、人間たちの恐怖が急激に意味を失っていく。
・この「シマウマ男」に「文学」という別名を与えることもできるだろうか。

●瀬戸正人『輝く船』
・恐怖という差別感を取り除くにはこのような小説を書くしかない、
という痛切な作者の覚悟

●阿部和重『ニッポニアニッポン』
・日本国では中国からトキを借りて、子供を作り、
無理やり、「日本のトキ」を増やそうとしている。
・だからトキを救済するか、さもなければ殺さなければならない。
・まわりから恐怖の的にされてきた少年もまた、
正体のわからない恐怖に追い立てられ、一人きりで懸命に生きている。


複雑な問題は、シンプルに見える日常を、もう一度、混乱に叩き落としてくれる。
そう、
私も「文学」の力をまだ信じているバカ者の一人なのだ。




追悼★『宮澤清六(宮澤賢治の弟)、唐沢俊郎(唐沢俊一&唐沢なをきの父)』 2001,6,12
いつもの日と同じように、
6月12日にも人が死んだ。

97歳で亡くなられた宮澤清六さんは、詩人・宮澤賢治の8歳下の弟。
賢治にまつわる『兄のトランク』(筑摩書房)の著者でもある。
我々にとって、遥かかなたの歴史上の人物である賢治の弟が、今日まで生きていた不思議。
やっぱり、賢治は実在していたんだ、
賢治は架空の存在ではなかったんだ、というマヌケな安心感。

70歳で亡くなられた唐沢俊郎さんは、札幌市東区で「からさわ薬局」を経営していた。
マンガ評論家の唐沢俊一氏は、北海道大学のソバの古本屋で時々見かける。
『人喰い人種』『ガリバー旅行記』といった戦後直後の本を手にしていた。
オレが手にした直後の同じ本だったので、可笑しかったなぁ。
息子、二人ともマンガ道に行っちゃって、薬局はダレが経営してるんだろう?
と、ゆーヘンな感想。



歌手★『澤田研二』 2001,6,11
6月8日に、新曲『あの日は雨』が、
6月20日発売のアルバム『新しい想い出2001』に先行して発売されている。が、未聴。
前作の『来るべき素敵』が、ブットビ名盤だったので、期待。
90年代ジュリーには、ツマラナイ作品もけっこうあったからね。

▼下記がシングルのカップリング。
下山淳+白井良明っーだけで、全ロック・マニアは、聴くべし。

1 あの日は雨 (Single Version) 作詞: 覚 和歌子
作曲: 下山   淳
編曲: 白井 良明
2 コバルトの季節の中で (Live Take) 作詞: 小谷 夏
作曲: 沢田 研二
3 絹の部屋 (Live Take) 作詞: 及川 恒平
作曲: 大野 克夫
M-2.3  2001年1月7日 渋谷公会堂にて収録


翌、6月9日には、頭脳警察の再・復活ライブがあったハズ。が、まだ情報、無し。
彼らの発禁アルバム『頭脳警察 1ST』がリリースされるそーだ。
こちらは、あるルートで私はテープを持っていたが、20年前に、新宿ACBで盗まれた。

ジュリー、1948年生まれ。
PANTA、1950年生まれ。

私、1962年生まれ。



ドラマー★『ビル・ブラッフォード』 2001,6,10
ニューヨークで、ビル・ブラッフォードのライブを体験し、感動覚めやらない直後、
北海道を代表するドラマー=Akiller氏からビルブ(←ブラピでは無い)の音源を5つ借りる。

■ご存知のように、ビルは1968年6月〜1972年7月まで、
イギリスのプログレッシヴ・バンド「YES」に在籍。

「インプロヴィゼーションをやろう」と、ロバート・フィリップにYESから引き抜かれて、
キング・クリムゾンに入る。
その最初のアルバム1973年3月発表の『Larks' Tongues In Aspic(邦題;太陽と戦慄)』を発表。
私としてはこのアルバムから、第一期キング・クリムゾンのラスト・アルバムである1975年の『RED』までが、ビルが音楽世界に最も重要な仕事を残した時期であると思う。
詩人のピーター・シンフィールドが抜けてしまって、
この時期の詩の担当者、リチャード・パーマー・ジェイムスに不満はあるが、それは別の話。
詩に対する不満は、「とーく、とーく、えれふあんと・とーく」の第二期以降にもあるし・ね。

で、忘れてならないのは『Larks' Tongues In Aspic(邦題;太陽と戦慄)』にのみ在籍した、
パーカッショニストのジェイミー・ミューアだ。
彼は、このアルバム後の1973年2月のライブ中にアクシデントを起こし、
そのままステージを降り、消えてしまう。
その後、インドやネパールでチベット仏教の宗派の修行僧として7〜8年を過ごす。
現在は画家。
このワケ分からんオヤジが、ビル・ブラッフォードと、かっちょいいカラミをしているのだ!
Akillerさん、ミューアの音源、あれば貸して下さい(笑&マジ)。

のちにダブル・ドラムスで、よりポリ・リズムを複雑化する源流はミューアとのセッションがあったと、私は思うのです。

で、キン・クリ(←略称の悪い例)解散後、ビルブは中途半端なスーパー・バンド「UK」を結成。
当時、ロンドン・ニューウェーブ全盛の時代、時代錯誤の印象を私は持ったのですが。
皆様はいかがでしたでしょーか?

お利巧なビルブは「UK」にはデビュー・アルバムしか付き合わず、
念願のバンマスになり、「ブラッフォード」を1978年11月に結成。
その1枚目が、今回、Akillerさんが貸してくれた1979年発表『One of a kind』だ。(前置き長スギ!)
で、貸してもらった2枚目がそれを補完するライブ・アルバムの1980年発表『The Bruford Tapes』。
この2枚のキー・パーソンは「UK」からの引きずりメンバー、ギタリストのアラン・ホールズワースであろう。
スーパー・バンド「UK」の4人の中では一番ネームバリューの無かったホールズワースが、
ブラッフォードにくっついてきたのは分かるが、やはり、1枚目で脱退している。
『One of a kind』はビルブ念願のワンマン・バンドにしては、どうもフツーの日本人フュージョン・バンドみたいだ。
そう。プログレとフュージョンの似て否なる距離。
「純粋」ミュージシャンとしては、どっちでも良い演奏ができればイイのでしょーが、こちとらにとっちゃあ、大問題でござる。ニンニン。
『One of a kind』のB面2曲目「The Abingdon Chasp」はホールズワース名義唯一の作曲作品だが、
これなんか私がピーター・シンフィールドとして(笑)参加したTKBにクリソツな音楽傾向だ。
唯一プログレ・コンプレックスなのが「The Sahara of snow」だが。イマイチ不発。
変態ドラムを期待していた当時のプログレ・フアンはどう聴いたのだろう?
これでは良質のプログレ・フアンは、ロンドン「ニューウェーブ」の方に大量流出したのも仕方あるまい。例えば、平沢P-model進サンのよーに。
私も1970年代後半当時の「おこづかい」3千円で、2千5百円でPILやクラッシュのLP、250円で雑誌『ロッキング・オン』、『マンガ少年』か『朝日ジャーナル』を買っていたワケで。
Akillerさんがいつこれらのアルバムを買ったのかは記者発表されていないが、興味のあるトコロではある。
だいたい「DISK UP」というレコード店のビニール袋が懐かしいではないか!?
あたしゃあ、そこでよくヤードバーズなんかをエサ箱あさって、買ったよ。
マイルス『ビッチェス・ブリュー』やPILのアルミのフイルム缶に入った3枚組みも高値で買ったよ、そこで。でも、当時はビルブより、そっちのほーが正統派だったんとちゃう?
どっちも、どっち!か?
それにしても、こげに「周縁」の音源を持っているってコトは、コレクションは何億枚だぁ!?
「DISK UP」って、今はどこかに移転してるの?スタッフはどこ?情報ちょーだいね。

で、ライブ・アルバム『The Bruford Tapes』では、『One of a kind』録音直後なのにホールズワースは早くも脱退している。
代わりに入ったギタリストの名前が「the 'unknown' john clark」とジャケットに記載されていて、笑わせてくれる。
だいたいこのアルバムは前回のアート紙、美麗ジャケットと違い、
クラフト・ダンボール紙に、タイプライター、2色刷り、タイトルも『〜テープ』で、モロ、ブートレッグ様式。
でも、これも正規盤で、日本からもポリドールで出てるのよね。
ライナーノーツが伊藤政則(笑)。「カタストロフィとの戦いが常に存在している」と、いつもながらのバカ解説で笑わせてくれる。いいヤツじゃん。
で、このアルバムはイイ。ビルブのサラリーマンの祝辞的MCも、21世紀のニューヨークと同じ。
演奏に緊張感がある。各パートが他者にからむタイミングが攻撃的で、よろしい。
ところで、「The Sahara of snow (Part two)」の後半で、ベースが「サンシャイン・ラブ」「政治家」「紫の煙」のフレーズを弾くのってマジ?パロディ?
そー言えばビルブはYES時代にクリームの解散コンサートに出演しているのよね。
MCではクールなビルブも、演奏はイラ立っているよーなドラミングで、ちょいパンク。

しかし、現在のビルブのバンド「アースワークス」にギタリストがいないことを考えさせられる。ビルブは1980年以降、自分のリーダー・バンドにはギタリストを必要としていないのだ。
YES時代は、ピーター・バンクス、スティーブ・ハウ、クリムゾン時代はもちろんロバート・フィリップ大先生と、インテリ・ギタリストの音をサポートしていたビルブにとって、
ギタリスト抜きのバンドってのは、コペルニクス的転換のグッド・アイディアだったのかも。

「メロディー」楽器は、進化するとコンサバに落ち易いというパラドキシカルな危険があるのよね。
このアルバムの「One of a kind (Part two)」がいい例。
「無名」ギタリストが一番はりきって、ホールズワースに近い演奏をしている。これがツライ。

で、ビルブのリーダー・バンド「ブラッフォード」は同年、彼らの代表作『Gradually Going Tornado』を発表して、
キング・クリムゾン再開のために解散。

1981〜1884年に3枚のアルバムをクリムゾンで発表。
その最後の曲が『Larks' Tongues In Aspic Part V(邦題;太陽と戦慄 パートV)』というのも暗示的。
クリムゾンはやっぱりフイリップの個人バンドだと私は思うが、この頭が良すぎる男のカラマワリ的ディシプリンにおいても、ビルブのドラムは代替できない絶対性の輝きを持っていた。

1984年。ビルブは、YESの同窓生(?)キーボード、パトリック・モラーツと、
ユニット「モラーツ=ブラッフォード」(←そのマンマやんけ!)を結成。
モラーツは、オルガン・プレイのトニー・ケイ、シンフォニック・プレイのリック・ウェイクマンに続く、キース・エマーソン・タイプのジャズ・プレイが得意のYESの3代目キーボード。
Akillerさんから借りた残りのアナログ盤2枚がこの時期の、
1984年『Music For Piano And Drums』(←そのマンマやんけ!)と、1985年『Flags』。

「ブラッフォード」は結局、ビルブの若書きバンドだったんと・ちゃう?
金と名声が手に入り、自分のバンドを作ったが、どうもパターンをナゾル範囲から出られなかった。
そんな時、グッド・タイミングで、もう一度、バンドのパーツとしてクリムゾンに参加できた。
なんだかんだ言っても、やはりクリムゾンの圧倒的な音の塊はスゴイ。
こうなりゃ、ビルブの音をストレートに楽しむのは、
「ブラッフォード」のよーな中途半端な(←失礼、照)バンドではなくて、
よりシンプルな形態のほうがいいと思っていたのは私だけじゃあないと思う。

当時はすでに彼らの仲間のレーベルからも、「ペンギン・カフェ」や、ニューヨークのジョン・ルーリー率いる「ラウンジ・リザーズ」がデビューしていたし、
イーノとハロルド・バッドの「アンビエント」シリーズも「実験音楽」から、
エリック・サティ再評価の波に乗って市民権を得ようともしていたのだし。

モラーツは安易に電気ピアノや、シンセを使わず、生ピアノとサンプリング・キーボードを使った。それが成功の最大の理由であると思う。
生ピアノは、電気のソレと違い、「メロディー」楽器である前に、「打」楽器であるから。
ジャズでは、生ピはドラム、ベース同様に「リズム」楽器であるのだし。

ここに『Larks' Tongues In Aspic(邦題;太陽と戦慄)』の演奏における、
パーカッショニストのジェイミー・ミューアとビルブのコラボレーションを思い出させる、
と、言ったら、「また久保のコジツケが始まった」と言われるだろうか?

いずれにせよ、『Music For Piano And Drums』は好きなアルバムだ。
今回、Akillerさんから借りたアルバム中、一番欲しいのがコレ。
今にして思えば、このアルバムのタイトルって、ブライアン・イーノ的だよなあ。
やっぱ、製作前からコンセプトはそこにあったのか。?

B面3曲目の「Galatea」は美しい。

しかし、ミニマムばかりじゃあ…と、思って作ったのが1985年『Flags』1曲目「Temples of Joy」なのだろーが、キモチは分かるがツマラナイ。これはモラーツの作曲。
このアルバムでモラーツは「音色」や「メロディー」への興味を積極的に増やしている。
ビルブはやはり2曲目「Split Seconds」タイプをやりたかったのであろう。

ビルブは1986年、自身のカルテットを率いて来日し、そのバンドがそのまま、
今回、2001年5月に私がニューヨークで見たジャズ・ユニット「アースワークス」になる。


『Music For Piano And Drums』で聴かせてくれたストイックな世界にこそ、
「創造性」を感じる私にとって、ビルブの嗜好を指示したい。

で、Akillerさんから借りた最後が、2枚組みのライブCD、キング・クリムゾン『サーカス』。
これは1999年発表だが、デビュー年の1969年のサンフランシスコのヒッピーの聖地のライブ・ハウス”フイルモア・ウエスト”から、1998年のマサチューセッツ州での実験ユニット「プロジェクト2」によるライブまで新旧さまざま。
ライブ&ベスト兼「歴史書」である本作の最も古い音源、フイルモア・ウエストに興味は向く。
この時、ボーカル&ベースの美少年、グレッグ・レイクはキース・エマーソンと意気投合して、
ロバート・フィリップも誘って新しいバンドを作ろうとしていた。のちのEL&Pだ。
そんなコトを考えながら聴く、この「クリムゾン・キングの宮殿」にはメンバー間の複雑さが浮かび上がってくるようだ。
この曲は確か西条秀樹も歌っていたケド、これを聞くと、氷川きよしに歌わせたくなる。
現在のクリムゾンは名曲「RED」の解釈の延長に立ち、「ホラー映画音楽」路線(?)だが、
こういった「ロマン派的誇大妄想」路線(??)も、プログレのもう一つの特徴だったね。
忘れてた。
日本のグループ・サウンズのザ・テンプターズの名盤『5−1=0』に、
「宮殿に通ずる長い橋」という松崎由治の名曲があるが、このプログレっぽい曲は1969年2月発表。
これって、キンクリより早い?
同時代・現象?

んなコトより、ビルブだが、もち初期キンクリに彼はまだ参加していない。
さらに、最新録音の「プロジェクト2」のドラムはエイドリアン・ブリュー(!)なので不参加。
と、言うことは逆に”ビルブが必要な曲は何か”というフィリップが選んだ意図が確認できる・とゆーもの。
もちろん、私も90年代クリムゾンの復活を喜び、『Vroom』(1994)も『Thrak』(1995)も買ったクチだ。(中古だけど・笑)
偉大なるバンドの再結成には毀誉褒貶は付き物だが、「過去の語り口への依存が目立ちすぎる」「6人の馬鹿力が空回り」(松山晋也)という指摘には説得力がある。
それでも、『GOLD WAX』なるブート専門誌1997年45号における1996年ライブのブートの解説、
「1曲目の『Drums』というのは、『B'Bish』タイプのパーカッション・オンリーの曲。
今回のツアーでは、『Circular Improvisation』に取って代わっている。
この様な現代音楽的な曲が増えることは、
6人編成クリムゾンの新しい可能性を追及する上で、良い傾向だと思う」
な〜んてのを読むと、おっ、期待しちゃうよ〜ん、と、思うのである。
ちなみに、このブートには『21世紀〜』が入っていて、ブラッフォードのドラムが暴れまくりで、良いそう。

さて、我が『CIRKUS』に戻れば、CD2枚目の1曲目に1972年の『21世紀〜』が大サーヴィス的に入っている。
が、サックスとヴォーカルが弱い。
この時期のサックスのメル・コリンズは、クリムゾンに1970年2作目『ポセイドンのめざめ』で参加する以前に、「Circus」というバンドにいた。これって偶然?
ヴォーカルのボズ・バレルはシンフィールドとの最後のアルバム1971年4作目『アイランズ』で耽美的な美しい声を聞かせたベーシスト。
この二人をリストラ後、ビルブは加入している。

シンフィールドの「愛と平和」の耽美世界を乗り越えて、より創造的作業の世界を切り開く、
その後の『RED』に行き着くための暴力衝動を裏打ちするための知的なドラムが必要であったのではないか?

まったくフィリップにとってビルブの存在は幸運この上ない。
その後メンバー・チェンジを繰り返すが、常にビルブだけが残っている。

で、我々はさらにその向こうの世界を見たいと彼らに期待するのだ。
確かに、『RED』は行き着いた世界だ。
しかし。
『CIRKUS』の1枚目は15曲、ライブ会場も年代もバラバラだが、「RED組曲」に聞こえてしまう。

「遠く、遠く、えれぇアンタ、遠く」で、恥ずかしくもトーキング・ヘッズのマネまでしたのだから、
このさい再構築も必要でしょう・ね。

デヴィッド・シルビアンをクリムゾンに入れるというアイディアも悪くはなかったが、
私は、この際、今日の結論として、
ボーカリストをイギー・ポップにするべきであると提案したい。
本当はエイドリアン・ブリューを切れ、とも言いたいけど、ヨソ様の迷惑になるし。

90年代以降のイギーの作品には、クリムゾンの求める硬質な暴力性が原石で存在している。
20年の時間が両者の音を近づけた。
イギー⇒ ボウイ⇒ イーノ⇒ フィリップというツナガリもあるし。
坂本龍一とイギーの『リスキー』なんて、良かったじゃん。
あの歌い方で「クリムゾン・キングの宮殿」を歌えば、氷川きよしも、ブッとぶぜ!

詩なんかも、エイドリアン君よりも遥かに知的だしね。

意外と今ごろ、ニューヨークのセント・マークス通りあたりで、
イギーとビルが、寿司バーで日本酒を飲んでいたりして。

それがありえる今日このごろ。



ワイン★『ワイン密造計画「ボトル詰め」』 2001,6,9
ひそかに進めている、我がワイン密造酒計画。
昨年の秋のブドウ摘みから早8ヶ月を超え、
いよいよボトル詰め。

スティールの樽から、ジョーゴで、コーヒーフィルターをあてて、ちょろ&ちょろ。

後半、オリが増え、布で手で絞る。
すると、赤黒くなったブドウの繊維質が、布のスキマから、
突然、ピュッと飛び、壁にビジョッ。
赤い線を作りながら、ゆっくり肉片のような塊が落ちてゆく。

なんだか『ハンニバル』の続きみたい。

で、ワインはフルボトル、35本ほど作れた。もう少し、寝かせる必要あり。



映画★『ハンニバル』 2001,6,8
今ごろ『ハンニバル』の話しをするなんて、
モード界では、現在考えられる「最悪」のタイミング!

まぁな。
『ハンニバル』をミヨーと思って札幌に行ったら、公開前日。
ようやく見た日が、最終日のレイト・ショーPM9:30。

つくづく、いかした人生だぜ!
「オン・ザ・(レイル)ロード」で私のNY『旅行記』を読んでくれた世界中の4人(現在確認数)、いかがでしょう。

そう、やっぱ、自由の女神やエンパイヤー・ステイト・ビルに会ったのよりも、
チャイナ・タウンのニール・ヤングや、チェルシーのアフリカ移民黒人や、アポロ・シアターで臨席したコロンビアで内戦と戦っているドイツ人医師、セント・レジスのマストロヤンニ的マネージャーなど、人との出会いが、ニューヨークだったねぇ。

んで、ヴィレッジ・バンガードの横のイタ飯屋で、
トイレを一緒に待ったレクター博士!
映画で確認したが、やっぱり、似ているぞ!
アンソニーちゃんは、ベジタリアンだそーだけど、会った場所がイタ飯屋のトイレの前なんて、ちょっと出来すぎてないか!?

ワインで真っ赤な顔をしていたヴィレッジのレクター博士は高校教師と名乗ったが。

映画は、思ったより「マンガ的」。
1970年代のパゾリーニを知っているオジサンには、スプラッター・シーンよりも、
タイトル・バックのアンダーワールド(←UKロック・バンド)的デジタル処理に、ホイットニー美術館の現在やっている特集を感じたり、
アンソニーちゃんのピアノにグールドを思い出したり、
柔らかい鳩の死体に「暗示」を与えるのは『エイリアン』文体のスタイリッシュされた手法であると思ったり、
手ぶれカメラに安易な意図を探ろうとしたり、
テーマは「ダンディズム」という意外と古典的な印象。

この続編があるとしたら、レクターは切断した自分の手を自分でつないで出てくると思う。ブラック・ジャックか!?
で、タイトルが『カンニバル』だったりして。

映画館で、「ハンニバルの足跡を追うフイレンツェの旅」という旅行のチラシが大量に配られていた。
おいおい、と思うと、これから上映されるトルナトーレ『マレーナ』もすでに、「シチリア・シネマ紀行」のチラシあり。
ふ〜ん。


上映が終わると、回りはナウいヤング・カップルばかり。
おお、今日は金曜日。仕事帰りのオヤジはオレだけか。
これから、彼らももうひとつのスプタッターな夜を展開するのか?
聞き耳を立てたワケじゃあないが、ほとんどが女が『ハンニバル』を観たくて、男が付き合ったパターンみたい。

愛車に乗ると、ちょうど0時。
NHKニュースで、37歳のオヤジが小学生を大量に切り刻んだというニュース原稿を、「やれやれ、30分おきに同じ原稿を読みっぱなしだぜぇ」というトーンで読むアナウンサー。
なんて『ハンニバル』な夜なんだ!


講座★『神谷忠孝「芥川賞作品を読む」』 2001,6,5
帰国して、ニューヨーク中の日本のたまっている新聞を読む。

朝日新聞の6〜9月のカルチャーセンターの講座が北大の神谷忠孝氏の担当だという小さな広告を発見。
彼の仕事にはひそかに注目しているので、堀江敏幸や多和田葉子をどう解説するか興味あり。

受講する人がいたら、教えて下さい。
それにしても、Pm1〜2:40ってコトは、社会人は受講できないってこと!?
ちょっと寂しい配慮だぞ。


雑誌★『芸術新潮』6月号・特集・バルテュス 2001,6,4
★下記は、某ドラマーからのメールの返事。



■あたしゃ、久保。

>NYにいるんだね

▲もー、帰ってきたよ。

>レノンに会えたかい?

▲ひとりで、
リンカーン・センターで、ニューヨーク・シティ・バレイを見た後、
真夜中24時過ぎに、そこから歩いて、ダコタへ行った。
なるべくジモティーのフリをして、フツーに、ぐるりと回ってみた。
ダコタ・アパートを見上げもせず、触りもせず、普通に、前を向いて歩いた。
ヒッピーが、ドア・マンとレノンの話をしていた。
写真も撮らずに、スグ横の地下鉄駅「72丁目」から、自然なフリをして階段を降りた。
自分の全身の皮膚の毛を、自分で感じながら、階段を降りた。

そして、
セントラル・パークの「ストロベリー・フィールズ」には行くまい、
と、決めた。

>マイルスはいたかい?

▲ビレッジのネオン・サインは、コルトレーンとアリスのジャケットと同じだった。
でも、マイルスに、そんな感傷は相応しくない。
やつはきっと、あの日もどこかのクラブで最新型のピストルを磨いていたはずだ。

そして、そいつが、ぼくだったり、だれかだったりするのがニューヨーク。

>ウォーホールを見たかい?

▲ゲバラさえ、五番街のギャラリーの作品になるニューヨーク。
ウォーホールは、千のファクトリーからプリントされ、
もはやウォーホールを見ない自由さえ与えられない。

でも、ヴェルベットのタンバリンをルーが触れたとき、
誰もが、「アンディは消費される」=「消費が目的」と思っていたハズ。

でも、アンディは消費されるスピードよりも速く、
千のファクトリーから、「生産」され続けている。

>今度、みやげ話を聞かせてください

▲それは、下記で。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/3973/

なんだか、「表紙」が文字バケの病気にかかって、ちょっと困りぎみ。
君の「画面」には、どう映っているのか?


さて、先日、釈迦三尊のベーシストだったカメラマンから、メールをもらった。
ミヤザワ?
で、飯島や、AB-STに触れられているホーム・ページがあったり、
世の中、色んな趣味の人がいるもんだ。

で、
昨夜、ゲンスブールのパーティの事を私のホームページの「日記」に書いて寝ようとしたら、
NHK−BS2で、ゲンスブールとバーキンの映画『スローガン』(1970年)をやっていた。

そんな偶然が電脳世界の楽しさ。
ブラッフォードのライブは、珠玉の世界だった。
あれが、たったの22ドル、しかも当日券で見られるなんて!

帰国して、昨日、
雑誌、『芸術新潮』6月号・特集・バルテュスを買った。
バルテュスが2月に死んだとき、彼に関する本の出版量の少なさに気付いたのだが、
この特集は、いい。
買いなさい。
買いなさい。
買いなさい。
雑誌は、スグ、書店から消える。
少年老い易く、雑誌、買いがたし。

MoMAでみたバルテュスの感動が脳味噌に残っていた私だが、
リルケやナボコフと対等に付き合った人間が、ついさっきまで生きていたなんて、
釈迦三尊でも知るまいに。



▼で、下記は、そのドラマーからの返事。

件名 : 芸術新潮買いました
日付 : Sun, 10 Jun 2001 00:34Am

テラダヤです
もう6〜7年前だと思う。写真家の篠山紀信が
画家のアトリエでの仕事ぶりとその作品の写真
を撮るというドキュメント番組があった。
ただ、その画家がストロボやライトを使うことを
禁じたため篠山氏がひどく苦労していた。
その時の画家がバルテュスだった。
その厳しさ、緊張感が非常に印象に残っている
肉体は年老い弱々しいが、彼の発する緊張感
が周りを圧倒していた。
本の中で彼はコクトーとピアフの命日が同じで
コクトーの死が印象薄になったことを語っている
が、もっと惨めだったのはあとに残されたジャン
マレーだった。10年くらい前に彼はコクトーの
戯曲をひとり芝居で来日していた。年老いた
2枚目役者のひとり芝居はつらい。
バルテュスはコクトーの絵を批判しているが俺は
好きだ。
お正月にBSでやっていた細野晴臣の「イエロー
マジックショー」は、おもしろかった。


中古CD店★『札幌「ブックセンター1/2平岸店」』 2001,6,3
ニューヨークは、友人と二人での個人旅行です。
インターネットでホテルを取ったりと、まったくの「代理店」抜きの個人旅行でした。

レコード店も、ガンガン回りました。
個性的な店舗が多かったようです。
と、言うか、この「情報過多」の時代、全てのレコードを陳列できるワケがありません。
その事情はレコード店経営者の方が熟知されていらっしゃるでしょうが、
大切なのは、「何を陳列するか」という判断ですよね。

で、ブロードウエイのヴァージンみたいなのには、とーていかないませんし、
かと・言って、その「ヴァージン・メガ・ストア」が、
世界中&過去の全てのレコードを陳列しているわけでもありません。

最近、「アーカイブ」という言葉が流行していますが、
そこには「レコード」という言葉を、
さらに二重括弧でくくらなければならないような情況への病的な反応が感じ取れます。


今、日本の地方のレコード店(=本屋も)は、
「陳列=仕入れ」のリスクにビビリ、最大公約数の入荷しかしていないのでしょう。

コンビニのヒット・チャート5品と、まったく変わりません。

ですから、
かつては
都会=没個性
田舎=個性的
だったのですが、

今では、
都会=大型店の大量在庫という限られているが相対的に広い空間が生む選択による、個性の分類化。
田舎=どこの町でもベスト5しか知らない、没個性。
ですよね。

で、インターネットなわけなんですが、
じゃあ、現実空間としての「ショップ」って何?と、思っちゃいますよね。

私は、旭川に「サンハウス」があって、本当に良かったと思います。

で、
今、札幌には、「ブックセンター1/2平岸店」という中古店舗があります。

なんて、ストイック(笑)な店名!本気かよ?

ここは10年前から通っているのですが、特にここ数年、良い・のです。
その「棚」が、メッセージ(←う〜ん、古くて恥ずかしい言葉だ)を持っているのです。

私はここで、「ブンブン・サテライツ」や「ズボンズ」を棚から学びました。
ビーチボーイズや、フレンチ・ロックの魅力も、ここの棚が教えてくれました。

かと思えば10年ほど探していたホレス・シルバー『6ピース』が、ある日、さりげなく入荷していたり。

今日、ニューヨークから帰ってきたら、買いたいCDが4枚ほどそこの店にあったので、寄りました。
まだその4枚は、在庫していましたが、
私は棚に、ジョニ・ミッチェル『ミンガス』(1979)が在るのを発見。
これだけを買って帰りました。
これも、10年、探していたCDです。まぁ、新譜屋に行けばいつでも買えるのでしょうが。

それにしても、
なんてニューヨーク帰りにぴったりなCDなんだ!と、思ったワケです。

(ご存知でしょうが、ジャズ・ベーシスト=チャールス・ミンガスがセリフと4曲の作曲をして、製作中に他界した、フォーク・シンガー=ジョニ嬢の自由でスゴイ作品)

実は3年程前にここの店員と、札幌のクラブでのセルジュ・ゲンズブールのパーティで一緒になりました。
偶然で、向こうから声をかけてきて、私は誰だか分かりませんでした。
それからも店頭では会うのですが、
何分、ショッチュウ髪型が変わる私ですので、お互い会話はしません。
「サンハウス」の店長とは交流したらいいのでは?又は、もうしている?

ま、言いたいコトは、
ニューヨークには、「Etherea」や「Footlight-Record」があるじゃないか。
俺達には、「サンハウス」や「ブックセンター1/2平岸店」があるじゃあないか。
と、いうこと。



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