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アートなオヤジの、文科系★不良日記!


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少年★『新田親子・三味線ライブ』&『四谷シモン・人形展』 2001,4,29
★「少年」よ、「悪友」を持て!★

■Zepp2001/04/29のライブ、39歳の私も行って来ました。
私が前回ゼップに行ったのが、BECKのライブだったので、
その時は、私の年齢の半分ほど(私の子供の世代?)の中で、
年甲斐も無く、飛び跳ねて踊りました。
で、今回は私よりも人生の先輩の方々が多かったよーですネ。

■今回のライブを見させていただいて、「芸能」というコトを考えさせられました。
会場でいただいた「(有)新栄芸能企画」のチラシに今回のライブのキーワードがいくつかあったからです。
■1987年に私の母方の祖父の77歳のお祝いに「金もいらなきゃ、名誉も要らぬ〜、あたしゃもうチョット背が欲しい」で有名な「玉川カルテット」を呼んでパーティをしたことがありました。私はそのステージに感動して、すっかり玉川カルテットのフアンになりました。⇒2001年の春の叙勲受賞者に決まった俳優の小沢昭一(72歳)の著書『日本の放浪芸』などで、「芸能」が日本の貴重な伝統であるという理解の手助けは豊富に用意されています。

■そんな「芸能」好きの私ですが、今回のライブは、あの『夕方Don!Don!』のオバさんのニャンニャンなコーナーと、後半の30人(?)バンドとのコーナーは、苦手でした。
■「踊るポンポコリン」が始まった時は、「あっちゃ〜」と思いました。司会の「三味線でも、こんなことも出来るんだというコーナーです」というMCで、私は『上を向いて歩こう』と『パイプライン』を演奏するコトを予想しました。・・・で、当りました。
■もちろん、私はマチコさんと同様、ベンチャーズも好きです。しかし、エレキを三味線に置き換えるのは、リコーダーを習いたての小学生がチャルメラをコピーするぐらいのオヤジ・ギャグです。ましてや、ヒット曲のメロディーのみをナゾルだけの演奏で、三味線の可能性を広げたことにはなりません。
■ただ、『上を向いて歩こう』が4ビートになった時、演奏にグルーブが生まれていました。ただ、何かが邪魔でした。……それが、三味線であると気づいた時、私は血の気が下がる思いでした。バック・バンドと三味線が、有機的に結びついていなかったのではないのでしょうか?
■いくつかの課題を乗り越えると、より可能性は生まれてくると思います。ドラムスは良い音であったと思います。シンセサイザーのセンスが古いのは認めなければなりません。今時、ホワイトノイズで嵐の音を出しても、現在のユーザーの音楽素養には届きません。⇒そのコトから、シンセの手法がいかに猛スピードで「進化(又はモードの移動)」しているかが、三味線&馬頭琴などの伝統楽器の普遍性と相対的に比較しても分かります。つまり、図らずも結果的に、シンセの古さが三味線の永遠の新鮮さを前面に摘出したのが、ライブのクライマックスでした。ベースはコードを追うことが中心であり、かつPAバランスからもほとんど無視されていたので、今回のライブでは評価が難しいのですが、パーカッションと生ピアノのオーソドックスな演奏に「力」を感じさせる魅力があったのは、三味線を含む生楽器の底力であったのかもしれません。
■私は「シンセを使うな」と言っているのではありません。新田親子に合うシンセも、あります。これらの問題は「練習」とか「アレンジ」といったことで、時間が解決してくれると思います。

■ひるがえって、時間が解決しない問題もあります。
それが、「芸能」をめぐる問題です。
新田弘志さんは、30年を超えるキャリアで、ありとあらゆる「場数」を踏まれて、観客が喜んでくれるテクニックを身に着けられていらっしゃると思います。お母様も、同じでしょう。
そこへ昌弘さんが、自己をアピールしようとする姿勢は、無理にMCにからもうとするコトからも推察できます。そのMCの入り方が失敗すると、弘志さんが「つっこむ」。この図式は、最近のテレビのトーク番組の手法です。若手が失敗覚悟でMCの主導をとろうとして、失敗した場合に、ベテランが「つっこみ」、小さな失敗を包む大きな成功を構築する。ここにはベテランの「つっこみ」という「保険」が準備されているのです。もちろん、新人のMCが成功するのもオッケーです。どちらでもイイのです。テレビ番組『踊るサンマ御殿』のイメージです。
■この『踊るサンマ御殿』パターンや、『踊るポンポコリン』選曲センスを一直線に並べたところにあるのが、(有)新栄芸能企画が培ってきたマーケティング理論であると思います。そしてそれらは、「夏祭りイベント」や「神社祭典余興」、「商店会・商工会」のショーでは成功を収めてこられたと思います。……私自身が、かつて田舎の商工会青年部長を2年間務めたので、その手法の熟練さには感心させられます。きっと今まで「鶴田浩二か、道路工事か」で百万回、笑いをとってこられたのだと思います。そして、その手法が通用するマーケットは現在でもあるのです。私はよ〜く、知っています。
■今回、私がZeppで座った席の隣は、新田家の住む札幌市東区のご近所の親子でした。新田親子3人がステージに並ぶと、「あら、いやだ、奥さんよ」という感じでした。
■確かに、松山千春のブレイク直前もこうでしたし、尾崎豊の新宿ルイードでのデビュー・ライブに私も招待されて行ったのですが、青山高校の尾崎の同級生が観客でした。・・・それらは、「私たちと同じ視線を持つ仲間の出世」という暖かいマナザシ?
■しかし、(有)新栄芸能企画の場合は違うのです。観客の中から出てきたヒーローではなく、最初からプロとして用意されたショー・マンなのです。私はここに悲劇の予想をしてしまいます。そして、これは、先に述べたバンドの解決方法と同様に解決できることなのです。「悲劇の予想」がされるトコロには、「解決」の道は必ずあります。

■話を三味線に近づけましょう。
『津軽三味線』は名曲です。『ソーラン節』や『江刺追分』もそうですが、あまりにも名曲すぎるので、この1曲ばかりを永遠に繰り返してもいいほどです。そして、その価値のある曲です。
しかし、それでは「芸術」です。それを「芸能」にするのが「芸」です。そこを再考していただきたいのです。

■また、「津軽三味線」は、パワーのある種類の三味線です。ですから、「ロック」に近いという誤解の誘惑が準備されています。
「ロック」とは、ナーバスなアナーキスト。単純なゴリゴリでは、横浜銀蝿になってしまいます。
そんな意味からも、今回の”かくし芸的”な『パイプライン』はロックではありません。

■弘志さんも、まだ49歳?若い。少なくとも、ミック・ジャガーや澤田研二よりも、若い。
若い2人が『津軽三味線』を演奏すると、どうしても、正確に弾く行為そのものがパワーの生産になると思います。
そこで、他の伝統曲を演奏しても、どこか「体育会系」的演奏になってしまいがちな印象を持ちました。
そんな「体育会系」三味線に、どうしょーもないくらい「文化会系」な嵯峨@馬頭琴さんを組み合わせた妙が、私には「可能性」を感じさせてくれたのです。
そうです。『SHAMISEN KID』は名盤です。
あのアルバムには、三味線の表情があります。
今回のライブでは、三味線に「色気」が無かったと思います。

■そう。「チントン、シャン」のかっこよさ。

■そんなにあせってサービス過剰な「芸能」をしなくても、それだけの素材があるのですし。

■又、昌弘さんは笑うとカワイイ。これをキングレコードは大切にしていただきたいものです。背が低くたって、キムタクを見よ!
ただ、諸刃の八重歯(?)で、三味線界の「ちび玉三郎」にはならないよーに。
あのカラー・パンフレットの黒の皮ジャン姿は、ライブ第三部の「光ゲンジ(私の隣のオバさんが名付けていた)」ファッションよりは、数段、かっこいいよね。

■で、私はこの日、ライブの前に札幌芸術の森で、「四谷シモン」の人形展を見てきたのです。
四谷シモン。・・・人形作家。若い時はロカビリー歌手、唐十郎のアングラ劇団「状況劇場」の狂気の女形、澁澤龍彦や瀧口修造ら文学者との深い交流、最近ではテレビの向田邦子ドラマに出演する森本レオ的俳優・・・。
1944年生まれ。父はタンゴの楽師、母はダンサー。新田家と同じ「芸能」一家だ。12歳から、人形を作り始める。
で、四谷シモンは昌弘さんと同じ17歳の時に、新宿のジャズ喫茶で、金子国義、コシノジュンコ、内藤ルネなどに出会い、名前をシモンにする。

■この展覧会は、そんな彼の人生の全体の紹介でもあります。
昌弘さん、5月27日(日)までやっています、是非、見に行くべきです。
先に述べた四谷シモンの人生のように、昌弘さんも、これから多くの「悪友」に出会う必要があります。そんな人生の魅力的なサンプルとして、四谷シモンは、います。
できれば、お母さんやお父さんと一緒じゃあなくて、カワイコちゃんと一緒に見に行って下さい。

■スデに、昌弘さんは、田原@Booxboxさんや、嵯峨さんなど、魅力的な人々と巡り逢っていらっしゃるでしょうが、もっと、もっと!
昌弘さんの驚異的なテクニックに、「悪友」たちが授けてくれる情報が加われば、キングレコードはキングギドラになれるでしょう。

■そのために、本を読み、美術館や映画館に通うべきでしょう。
それが、特権的な才能を得た者の「翼」になると思います。

■私が見たBECKも「少年」です。
「世界」を口にしたからには、飛び出さなきゃ。

■楽しみです。


民芸★『柳宋悦(やなぎ・そうえつ)』 2001,4,20
■◆田原@BBからのメッセージ◆■
●久保AB-ST元宏さん

 神田古書街に、生まれて初めて行きました。
 面白かった。もっといたかった。

 巌松堂(GANSHODO)という店で、柳宗悦の「私の念願」という本を購入。
 昭和十七年刊。

 「美の歴史は新しい観点から見直されなければならない。文藝復興期この方、
歴史は余りにも美を個人の名において解し過ぎた。それは余りにも美を狭き一
隅に追いやってしまった。そうして幾多の優れたものを見忘れてしまった。個
性の名において美を計り過ぎてはならない。個性を必要としない領域において、
驚くべき美の王国が見出せるからである。自由の名のもとに、その時代のもの
を誇ってはならない。不自由でなかった自由はないともいえるからである。少
なくとも個人の自由にはそういう限界が見える。天才の名を掲げて、これに無
上の讃辞を呈してはならない。無名の民衆が支え得た美の深さがかつてあった
ことを忘れてはならない。

 ある作物を稀有であるがために讃美してはならない。又それが普通であるた
めに平凡となる場合を恐れてはならない。美と多量とが結合する時ほど栄誉あ
る場合はないのであるから。それは美の内容を痛めはしない。多に交わってま
すます冴える美のあることをこそ讃嘆していい。もしこれらの事実を知ること
が出来たら、すべての作はもう一度見改められるであろう。

 美には自由の美と秩序の美とがある。前者は天才が背負い、後者は時代全体
が背負う。個人主義の近代はひとり前者のみを讃えた。しかし大衆も美に参与
する後者の道は、更に深い意義を示しはしないか。少なくとも未来の美は、後
者を等閑にしては成り立たない。今までの美の歴史は片手落ちである。」

 六十年前の文章。
 今が「未来」なのか、今「未来の美」が実現しているのか。


■◆上記への、私のアンサー◆■
ふきのとうの「ゆがんだ才能」。
◆おかえり&柳ジョージ「♪ういっぴにあれん!」
今日の沼田町も雪!その中で消防のボランティア団員として、放水訓練をしてきた
よ。風邪ひきそー!

◆で、柳。
まず、私は懐疑的な文章を田原@BBさんへのアンサーとする予感がします。

今、私は山口昌男『内田魯庵山脈』(2001年1月刊)というマニフエスト的大著を読
んでいます。さらに佐多稲子『夏の栞』を読んで以来、”昭和初期の文科系の鬼・山
脈”の研究を地味に独学しています。

それらを体験して感じるのは、歴史に埋もれた魅力的な「個人」がいかに沢山、存在
していたのか。彼らを知らずに人生を終えるもったいなさ。
そして、今、現在の世の中にもどこかに魅力的な「個人」がいるのであろう。インタ
ーネットが、その出会いを作ってくれるのであれば、私たちは爆発的な「出会い」の
可能性の入口にいる。・・・このBBのHPでも、果せているしね。

そこで、いくつかの示唆される参考文章を私の観点から紹介したいと思います。

@戦中という「暗い季節」のなかで、「ルネサンス研究」が輝いた時期があった。
 羽仁五郎、花田清輝、福本和夫と、そして杉浦明平氏だ。
 (『朝日新聞』2001年3月17日、川村湊による杉浦明平の追悼評論より)

Aいままでは身分や肩書が一つの資格でしたが、デジタルワールドでは通用しませ
ん。
 自分の個性こそが参加資格になる。
 自分を鍛えて商品価値を高めることが何よりも求められる世界になるでしょう。
 (『日本経済新聞』第二部 2001年4月20日、荒俣宏の発言)

☆私が今から述べようとするのは、「イデオロギー」の問題ではありません。むし
ろ、イデオロギーから解放されるための、反イデオロギー議論です。
Aの論も、Bの論も正しいのに反目し合っているケースがあります。
時を経た後、AとBをそれぞれ単独に見た時、ソレが正しく思えるのはアタリマエ。
そして、埋もれた「正論」を発見した熱のエナジーで議論が進められる場合がある。
もしそこに、発表当時の、AとBの背後の情報が無いとしたら、それぞれの論は別の
立ち上がりを見せます。
もちろん、最近の「保田與重郎」再評価のように、意味のあるものもあります。
が、そこに新しい別の「イデオロギー」が現れて、博物館の奥でホコリ(=誇り?)
をかぶっているAorBが「利用」されるのが、最悪の不幸です。

☆まず、田原さんのお買いになった柳宋悦『私の念願』が、昭和17年発行であるコ
トに注目したいのです。おそらくは、太平洋戦争前夜の昭和16年に執筆されている
と思います。
そこに、上記の@の「ルネッサンス」派は明らかに対立します。
国家が「一億玉砕」「八紘一宇」を掲げる時、柳宋悦の「秩序の美」は利用されるに
ふさわしい危険があります。もちろん、平時であれば、「無名の民衆が支え得た美」
という論にうなずかない者はいないでしょう。柳氏の論理の説明の組み立て方には、
そのように万人が納得できる前説を広げてから、ある種の「ナショナリズム」「民族
主義」への入口に向かわせる意思がある。
☆「ルネッサンス」派とは、「天才」主義者ではなくて、「自由」主義者であった。
それを「天才」主義者と置換して、その落とし穴を広げる説明を、柳氏は試みている
のではないでしょうか?(←この点、読後の田原さんの意見を聞きたいところで
す。)
☆私の下記のURL内の「日記」に田原さんのメッセージを添付させていただきまし
た。そこに、柳さんの説明をリンクしておきました。それをご覧になると分かるよう
に、柳さんは北海道にて民芸の大家となります。この民俗学への流れは、柳田国男と
同じベクトルであると、言っても暴論では無いでしょう。
☆上記Aのように、現代は一億「天才」の時代です。個人のコンテンツの質が重要な
アイデンティテイとなる時代です。そんな時、田原さんが紹介してくれた柳宋悦の
「大衆も美に参与する」ことの重要性を読み、むしろ柳氏は「大衆」を信用していな
かったのではないのか、と思いました。
☆今も昔も、「大衆」なんて存在したことなど、一度もありません。「個人」の総体
が存在しているだけです。確かに「縄文文化」とか「アイヌ文化」「ガングロ&ヤマ
ンバ」とかのモードは発生するでしょう。しかし、それすらも「天才」の総体なので
す。「自由の美」バンザイ!・・・これが今夜の私の結論です。


■◆↓上記の私の意見に対する、田原@BBさんの返答◆■
[1072] (2001/04/21 10:39:35) 田原ひろあき@ブックスボックス
井戸@モノレス系
●久保AB-ST元宏さん

 柳宗悦さんは、文章を書くことを本業とした人ではありません。運動家です。
その運動の体系が、日本民藝館のコレクションとして、この世に残されていま
す。その体系と離れたところで、柳宗悦を語るのは不毛かと思われます。(安
易にその文章を引用したのはまずかったですかね)

 といいつつ、新たなる柳宗悦文の引用を持って、レスといたします。
 「喜左衛門井戸」という、茶器の名品について書かれた文章です。
 16世紀、朝鮮から渡ってきた朝鮮の飯茶碗(作ったのは無名の職人、使う
のは一般庶民の「下手物」「雑器」「並物」)が、日本の当時の茶人たちによ
って「発見」され、名品として愛されます。柳さんがその茶碗を目にしたのは
昭和六年。
 「「喜左衛門井戸」を見る」という文章がその年に書かれます。

 「非凡を好む人々は、「平易」から生まれてくる美を承認しない。それは消
極的に生れた美に過ぎないという。美を積極的に作ることこそ吾々の務めであ
ると考える。だが事実は不思議である。如何なる人為から出た茶碗も、この
「井戸」を越え得たものがないではないか。そうして凡ての美しき茶碗は自然
に従順だったもののみである。作為よりも自然が一層驚くべき結果を産む。詳
しい人智も自然の叡智の前にはなお愚だと見える。「平易」の世界から何故美
が生れるか、それは畢竟「自然さ」があるからである。
 自然なものは健康である。美に色々あろうとも、健康に勝る美はあり得ない。
なぜなら健康は常態だからである。最も自然な姿だからである。人々はかかる
場合を「無事」といい、「無難」といい、「平安」といい、また「息災」とい
う。禅語にも「至道無難」というが、難なき状態より讃うべきものはない。そ
こには波瀾がないからである。静穏の美こそ最後の美である。『臨済録』にい
う、「無事はこれ貴人、ただ造作することなかれ」と。」

 四世紀にわたり「美」でありつづけるもの、ってすごいですね。
 十五世紀の「目利き」もすごい。少なくとも四世紀、見通したことになる。
 その点、文章家の文章ははかない。「造作」なく書ける文章・人間て、ほ
とんど稀ですからね。

 こうしてみると、柳宗悦ファンの田原が、等々力政彦という「造作」のな
い人間と、その彼が歌うこれまた「造作」のないトゥバ民謡、この二つに出
会ったことが、ブックスボックスの始まりだったのだなあ、と改めて思いま
すです。余談でした。

http://www.booxbox.com/


■◆↓さらに、私の返答◆■
[1082] (2001/04/26 10:18:30) 久保
ふきのとう的『唯文論』。
先日、吉本隆明がNHKで2DAYSやっていてびっくりしたが、
忙しくて見られなかった。非常に、残念!
どうやら三好十郎について語っていたようなので、
田原@BBさんとの柳をめぐるお話の参考にもなったかもしれないね。
どなたか見ていたら感想を聞かせてね。ビデオ、貸してくれてもイイけどさ。

■ちなみに、「柳宋悦」さんに関しては、下のURLに説明があります。

で、↓

井戸@モノレス系
●久保AB-ST元宏さん

 柳宗悦さんは、文章を書くことを本業とした人ではありません。運動家です。
その運動の体系が、日本民藝館のコレクションとして、この世に残されていま
す。その体系と離れたところで、柳宗悦を語るのは不毛かと思われます。(安
易にその文章を引用したのはまずかったですかね)


■「引用」は悪意のある限られた「部分」のみの場合でしたら、罪ですが、
この場合は問題ないと想います。
■田原@BBさんは「日記」などで、「引用」癖がありますが、
それらを読むのも読者の楽しみです。
■ゴッホの『手紙』や、深澤七郎から須賀敦子を経て町田町蔵にいたる「文学」への
侵犯者の系譜を考えても、「文章を書くことを本業とした人ではありません。運動家
です。」というのは、文章を軽視してよい理由にはなりません。
■むしろ、人は「文章家」として生まれてきたわけではなく、個別の「運動」の偉大
なる副産物として「文章」が生まれるダケなのですから。
■(余談)☆仮に「文章家」として生まれてきた人がいたとすれば、我々は彼を「詩
人」と名付けた時もありましたが。

■そんな点からも、田原さんの引用された柳さんの文章のボリュームに問題は無いと
想います。むしろ、ここで議論が発生したとするならば、
@なぜ、田原さんは、その部分を選んだのか。
Aあの文章&2回目に田原さんが引用した文章は、同じことを述べています。
Bですから、私の意見は変わりません。
C私は柳さんに対しては、青山次郎、吉田健一、小林秀雄、柳田国男的興味がありま
す。←上手な説明でなくて、スミマセン。
・・・などのポイントからかなぁ。

えっと、さらに田原@BBさんの文章の引用です。

 といいつつ、新たなる柳宗悦文の引用を持って、レスといたします。
  「非凡を好む人々は、「平易」から生まれてくる美を承認しない。
作為よりも自然が一層驚くべき結果を産む。
 自然なものは健康である。美に色々あろうとも、健康に勝る美はあり得ない。
『臨済録』にいう、「無事はこれ貴人、ただ造作することなかれ」と。」

 四世紀にわたり「美」でありつづけるもの、ってすごいですね。
 十五世紀の「目利き」もすごい。少なくとも四世紀、見通したことになる。
 その点、文章家の文章ははかない。「造作」なく書ける文章・人間て、ほ
とんど稀ですからね。


■おっしゃりたいコトは分かります。
ただ、その価値観からすり脱落してゆくモノもあると、私は感じます。
たとえば、巻上公一@ヒカシューは「造作」のないアジアの技法を利用したところ
で、上記の柳氏の論とは遠いところで表現してしまうのではないのでしょうか。
■情報過多の時代、我々の価値基準の「無垢」も、すでに相対化の渦の中で座標軸の
指示を受けながら移動しています。
「「かっこいいことはなんてかっこわるいんだろう」っておもうことはなんてかっこ
わるいんだろう」という無限地獄。これを、「モード」と言うのでしょう。
■こんな時代ですから、なおさら、「無垢」は魅力ある価値です。
■昨年のカナダ旅行で、ネイティブ・カナディアンと交流した後、バンクーバーでイ
ヌイット美術のギャラリーを見て、新鮮な感動を味わいました。・・・全ては相対的
な価値観のモードにしかないのでしょうか?

さらに、田原@BBさんの文章。


 こうしてみると、柳宗悦ファンの田原が、等々力政彦という「造作」のな
い人間と、その彼が歌うこれまた「造作」のないトゥバ民謡、この二つに出
会ったことが、ブックスボックスの始まりだったのだなあ、と改めて思いま
すです。余談でした。


■タルバガンも、新田クンも、CDで私が面白く感じるのは、「可能性」。
それは、意外な楽器やミュージシャンとのコラボレーションであったり、「曲」であ
ったり、・・・という「出会い」の面白さ。
■シルクロードのどんずまりで、ぼくらはどんな夢を見るのだろうか?
・・・又は、どんな夢を見ることができるのであろうか?




映画『ビートルズ映画と、ビリー・ワイルダー』 2001,4,18
2001 04/18 01:18

★ワイルダーがやってくる!ヤァ!ヤァ!ヤァ!★


■ただ今、NHK-BS2でビリー・ワイルダー監督『お熱いのがお好き』を観終わったところです。
■もちろん、あのマリリン・モンローで有名な作品ですが、私としては、最近、映画監督のキャメロン・クロウがインタビューした話題の本『ワイルダーならどうする?』(キネマ旬報社)つながりで、再チェックしたかった作品でしたので、ナイスなタイミングのテレヴィ放映でした。
しかも、キャメロン監督作品『あの頃ペニー・レインと』を先日、映画館で観てきたばかりの私にとっては、立体的に味わえました。(←この映画に関する私の感想は、私のホーム・ページ内の「日記」にあります。)
■んで、『お熱いのがお好き』を観て、まず気になったのが、モンローの髪型でした。特に前髪をたらして首を振るシーンなどは、シェア・スタジアムでのポールの『シー・ラブ・ズ・ユー』の「ゆの〜ゆぅーしゅうびっくらああああいぃいー」に続く「ふぅうううー」のシーンを彷彿させられました。それを観て、ドキリ!としたのですが、ハナシはさらに続き、モンローにからむ俳優のジャック・レモンとトニー・カーチスが女装してジャズのビック・バンドのメンバーとして汽車で旅をするのですが、その男2人の女装の髪型が、初期のマッシュルーム・カットじゃあないですか、社長っ!
■この映画は1959年の白黒映画ですが、ハンブルグでビートルズやスチュ・サトクリフの恋人も見たのではないか?・・・と、想像する楽しさ。
■ビートルズの名盤『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケットに、マリリン・モンローが出ているのは、あまりにも有名なハナシだし。ねっ。
■さらに!リチャード・レスター監督が、ビートルズの映画を撮影するとなった時、この映画を念頭においていた可能性は高いんじゃあないかなぁ?
<理由>
@白黒である。・・・1959年はすでにカラーの時代。アメリカで白黒を選んだのは、ある意味、ワイルダーの美意識でしょう。イギリスは確かにアメリカよりカラー化がおくれていましたが、レスター監督がワイルダーを意識して白黒に対して否定的ではなかったのは、今回のニュープリントでの美しさでも良く分かります。
Aバンドのロード・ムービーである。
B列車内で演奏するシーンがある。
C主人公が追いかけられるドタバタがある。・・・特に『お熱い』の後半はビートルズ的!
D全体にある品の良いユーモア・センス。
Eタイトルのロゴなんて、モロそっくり!

似ているから、「モノマネ」だとか言うのではありません。
ビートルズがバディ・ホリーやボブ・ディランらから素晴らしいインスピレーションをもらい、結果として、素晴らしい作品を作り上げたのに、なんだか似ているような気がしませんか?

まぁ、以上は私が、さっき見終わったテレビを観ての第一印象的な感想です。
どなたか裏付けられるような情報とか、意見があれば、教えてね。・・・んじゃ。


劇作家『唐十郎』 2001,4,16
ふきのとうは、もう何度も行きましたね。
田原@BBB氏が今日から東京へ行かれるとのコト。
この季節になると、唐組から紅テント公演の案内をいただき、
新宿・花園神社を思い出します。

昨夜のNHK『新・日曜美術館』の「ルオー特集」にも唐十郎さんが出演していまし
たね。
唐さんが、「感覚」で印象を語るだけの「解説」をしていましたが、
同席の美術評論家が、唐さんのインスピレーションにイチイチ感動していたのが可笑
しかったねぇ。
でも、あの美術評論家は「ルオー」よりも「唐十郎」に興味を持っている(又は、同
等に)ようで、その平衡感覚は重要。

ですから、『新・日曜美術館』は死んだ画家もいいが、唐十郎の特集をするべきでし
ょう。
ちなみに私は以前から、雑誌『ユリイカ』は、「平沢進」や「あがた森魚」の特集を
するべきだと思っています。「オーネット・コールマン」や「ザッパ」の特集ができ
るセンスがある雑誌であるので期待しているのですが・・・。『月刊カドカワ』じゃ
あちょっと、ですが。

で、唐組の5月5日から始まる公演は、『闇の左手』。
{左腕原案=四谷シモン}と、案内に大きく表記されている。
その四谷シモンの札幌芸術の森での展覧会は、現在、公開中。行きたいゾ。

1980年代初期、復活した”女形”四谷シモンの紅テント公演を花園神社で観たが、
過剰な化粧が怪しくも実存的(?)だった。
札束で作られた首飾りが、観客からプレゼントされていたっけ。

かつて劇中で役者を土に埋め、その上から踏み、そのままにしていたら、
劇が終了後、酒を飲んでいたら泥だらけの役者が怒って、シモンを襲ってきたとか。

まぁ、そんな地続きがあるだけでも、「東京」には、たまには行かなくちゃね。


チケット料金★『田舎のアメニティ』 2001,4,14
★ふきのとうのクレーメルを、くれmail.★

うふ。
田原ちゃん、ちゃんと、朝日町のチケット、2枚ゲット。
驚くなよ、な・なんと、あの世界のマイスキーが、
前売りで、2,500円!

・・・1984年、PILのシークレット・ライブだとの噂が流れ、
行ってみるとPILLというアマチュアバンドだったっーコトがあったが、大丈夫?

Akiller@ポンタ氏が、俺が吉田美奈子&渡辺カツミのライブを深川市でタダ(!)で
観たと、彼のHPに書いたら「それを、私は田舎のアメニティという」と名言していた
が、
こんなゼータクなアメニティ。
ただし、その価値を分かるやつが、どのくらいいるか。
行政が優れた準備をしてくれた時、試されるのは市民(試民?)。

あまった金で、クレーメル(5月25日)にも行くぞ!
田原さん、俺のチケット買っておいてください。
ヒロヒト誕生日ライブの時に、お支払いいたします。

なんだか盛り上がってきたぞ!

■別件
6月3日に、山陰の「城崎(きのさき)」に行きます。
志賀直哉『城の崎にて』を読んだ方いますか?感想を聞かせてね。
私、初めてなので、アチラの情報、知りたし。くれE-mail.

先日紹介した『動物の謝肉祭』のCDの後半は、
クレーメルが動物になって、詩を朗読(!)しています。楽器も弾かないで!
そんな、おちゃめなクレーメルちゃんの一面も、なんだかダダイズム的。

■鳥海賛、あの森魚ちゃん1984は、ヴァージンVSスタイルのライブじゃあなか
った。
同年のライダーズの水族館グループのパーティにも白シャツの森魚ちゃんが来てた
な。
きっと、ヴァージンVSの限界(?)から次を企んでいたのでしょう。
そして、それは、しっかり複数の形で実現しているよね。たいしたたま下駄。

今日は、エレファントカシマシ『グッドモーニング』を中古で買った。


クラッシック楽器★『チェロ』 2001,4,13
★ふきのとうの「祈り」の音。★

Yeah!田原さんと、5月22日に朝日町でマイスキー、となりそうです。

で、先の田原さんのカキコで紹介されていた久米さんのHPで、
ミーシャ・マイスキーをめぐるチェロの話題が繰り広げられていたので、
私の意見を、久米さんにE−mailで送りました。
が、今、届いていないとの管理メールが来ていた!
田原さん、久米さんのメール・アドレス、教えて下さい。

さて、その内容は例によって、超・長文なので、
一部を下記に、抜粋します。


<堕胎児としてのチェロ>
ロストロ・ポーヴィチ、カザルス、マイスキーと、ヨー・ヨー・マとの比較の件。
私は鈴木秀美は聞いたことがありませんが、
前者3人と比較してヨー・ヨー・マが「軽い」印象を持たれるのはサダメでしょう。
だって、3人の人生がヘビーすぎますもの。

しかし、アジア系のコスモポリタンとして、ヨー・ヨー・マもヘビーなサダメがある
ハズです。
彼が90年代にピアソラを演奏しても、
どーもコマーシャリズムと結び付けられるのは、彼が悪いのではなく、
彼固有のスター性がなせるワザと判断すべきでしょう。

ですから、私は、ヨー・ヨー・マは、
この際、ライ・クーダーと共演すべきだと思います。時代はそこまで来ています。

チェロを「人間の声の音域に一番近い楽器」という意見がありますが、
低音の私としては嬉しいのですが(笑)、
チェロを選んだ上記4人たちが、皆、「国」「国境」「民族」に翻弄されている偶然
に興味があります。
むしろ、私は「人間の声の中で、一番、”祈り”の声に近い音」と表現したいので
す。

マイスキーは、
1948年に、ロシアでユダヤとして生まれ、
1966年に、18歳で、同じ境遇のロストロ・ポーヴィッチに認められ、
1972年に、イスラエルに移住。

私は1990年にパレスチナ旅行を経験していますが、
あの地を選ぶ誇りと、緊張感は、ユダヤ人ならではの「民族性」でしょう。
と、同時に私はマイスキーの生年1948年に注目したいのです。
この年は、私の記憶が正しければ(笑)、
ねずみ年で、日本では、全共闘世代のピークの学年です。
確かに、マイスキーの風貌はクラッシック音楽家というよりは、
ロック・ミュージシャンか、ビート詩人のようです。
1966〜1972年は、世界中でスチューデント・パワーが盛り上がった時期で
す。
当時のロシアでのマイスキーの生活や、政治へのかかわり、
影響を受けた芸術、イスラエルへの移住の理由などに、
私は大きな興味を持ちます。
どこかで、そのインタビューなどの資料があれば、紹介していただきたいし、
今回の来日の機会に、是非、取材してほしい点です。

先日、プラハの春の『ヘイ・ジュード』についてNHKで放送していましたが、
同じ青春をマイスキーは天才少年として過ごしたのですし。


地方行政が運営するホール★『朝日町サンライズホール』 2001,4,12
★〜一番、「祈り」に近い音がする楽器。〜(「朝日町サンライズホール」掲示板への書き込み)
投稿者:久保   
投稿日:2001年4月12日 14時40分
◆私のつたないホームページの「日記」コーナーでも触れましたが、
ミーシャ・マイスキーが朝日町サンライズ・ホールに公演に来ます。

・5月22日(火)ミーシャ・マイスキー IN 朝日サンライズホール
・5月25日(金)ギドン・クレーメル IN 札幌

↑北海道のクラッシック・フアンにはたまらない1週間です。
なぜ、彼らが、同時期に北海道に来るのか?
東京で、アルゲリッチとの共演か、レコーディングがあるのでしょうか?
また、クレーメルのライブにマイスキーが飛び入りするという楽しい想像もできます。

◆それにしても、恐るべし、朝日サンライズホール!
たった人口2千人の町で、
超大物の北海道公演を独り占めするなんて!

◆その謎の推理ですが、
先日、私が入手した中古CD『サン=サーンス/動物の謝肉祭』にヒントがありました。
・・・これはあくまでも推理ですが、
そのCDはクレーメル、アルゲリッチ、マイスキーによる1981〜1987年の録音なのです。
ご存知のように、この3人はクレーメルが主宰するロッケンハウスの室内音楽祭の常連です。
で、その常連の一人として、このCDにコントラバスのゲオルク・ヘルトナーゲルが参加しています。
わたしは、ヘルトナーゲルのCDは、
『シューベルト/イタリア弦楽四重奏団「死と乙女」、ボザール・トリオ「ます」』をもっています。
彼は「ます」にゲストで参加していて、印象的な良い演奏をしています。
そして、別のアルバン・ベルク四重奏団とのCDでも、同じ曲でゲスト参加しているそうです。

!実はアルバン・ベルクは、2年ほど前に朝日町サンライズホールに、
これまた北海道単独公演に来ています。
もしかしたら、ヘルトナーゲルを媒介に、サンライズホールの評判を、
マイスキーが聞いていたとしたら・・・。まぁ、想像ですが。
マイスキー本人でなくても、エージェント間では情報のやり取りはしているでしょうね。


★ブリテン『戦争レクイエム』!
1996年に、私はパリのバスチーユ・オペラ座で、ブリテン『ビリー・バッド』を見ました。
前衛的でありながら、機能的(?)にして美しい船の舞台美術。
ラストに天井高く、首吊りをする衝撃的な演出。
なんだか、エイゼンシュタインの映画『戦艦ポチョムキン』を思い出しもしましたが、
バスチーユらしい今日的で新鮮なオペラでした。
ただし、あそこはトイレが汚い。デザインが優先して、はずす小水が多い。


Re:1 漢@サンライズホール >久しぶりにBBSを覗きました。馬鹿な毎日で、すっかり生活のリズムが崩れたままです^^; さてさて、マイスキーの件。さすがに久保さんは読みが深すぎる^^ そんなこともこんなこともなくて、単に洒落のようなものです。アルバンベルクの時もそうでしたが、蜘蛛の巣を張っておくと、どこからともなく引っかかってくることがあるものですよ。別段ヨーヨーマでも良かったんですけどね^^; 今回は定番とも言うべきバッハの無伴奏ですが、当初は林峰男さんと二日間連続で全曲という企画を立ててみたのですが、残念ながらそれば実現しませんでした。林さんには面白い企画だと褒めてもらったのですけどね^^;まだチケットは多少あります。どうぞお買い求めはお早めに^^ それと、貴重な提案をありがとうございました。ただいまサンライズホールのHPを新規に作成する予定です。そうなればちょっと仕掛けができるかもしれません。現在は茂住さんにあまえっぱなしですので、自力で繰りたいと思っています。ビルダーの6も買いましたしね^^ 遊びにきてください。お待ちしてます^^

Re:2 茂住 守@管理者 >久保さん、いつも投稿ありがとうございます。漢さん、HP製作頑張ってください。

Re:3 久保AB−ST元宏 >■シノポリも死んじまったし、「若いから、次に来道した時に行こう」なぁ〜んてゆーのは、ダメなのですねぇ。……なんだか、古本屋で見つけて買おうかと迷った本みたい。「ライフ・イズ・ベリー・ショート」(The Beatles)と云う、「ライフ」は「出会いのチャンス」ってコトか。
■それにしても、「バッハ無伴奏」とは、なんともストイックな企画ざんす。


中古CD屋&古本屋★『旭川市内の情況』 2001,4,8
ふきのとうの買出し
本日、旭川で爆買。

■中古CD(駅前のサンハウスにて)
@サイモン&ガーファンクル『Wednesday Morning,3AM』(1964年10月、米)
(定価2,500円⇒売価1,480円)
 ♪私にとって、生まれて初めてのS&Gのアルバム買い。39歳にして、何を今さ
らだが、何故か10代のころの1970年代には、S&G、ビーチボーイズ、カーペンタ
ーズらは「軟弱」であると思い、過小評価していた。しかし、1990年代にビーチボー
イズに目覚め、今や『ペットサウンズ』は聖典だ。カーペンターズも、バート・バカ
ラックつながりで気になっている。ただし、まだサイフを開く勇気は無いが。
 ♪で、21世紀のS&G。だいたい彼らを世に送り出したのはボブ・ディランのC
BSのプロデューサーだし、1964年にしてこの知的さ!1964年といえば、ビートルズ
でさえまだ映画『ア・ハード・デイズ・ナイト』の年。
 ♪その映画は今、リバイバル中だけど、私がS&Gを買ったのは、先日観た映画
『あの頃、ペニー・レインと』の中で一番最初に出てきたレコードがS&G
『Bookends』だったので。
 ♪先日、アンダー・ワールド『エブリスィング・エブリスィング』(2001年、英)
を札幌で中古で買ったが、同じ知的さでも37年の差で、こーも違うのか!

Aイギー・ポップ&ストゥージーズ『ロー・パワー』(1973年、米)
 (定価2,039円⇒売価1,380円)
 ♪その映画『あの頃、ペニー・レインと』の中で、ロック・ライターがラジオでド
アーズを批判したあとに、レコード・ラックから無造作に取り出してかけるのが、こ
のアルバム。映画の設定はまさに1973年。たしかストゥージーズはドアーズの空
いたマーケットをレコード会社は狙っていたので、キャメロン監督はこのシーンを歴
史の縮図として表現したのだろう。2年後にはパンクの時代がきて、全てのスタジア
ム級バンドは、「オールド・ウエイブ」と呼ばれるのだねぇ。
 ♪もち、イギーのアルバムは、私はけっこう持っているが、何故かこのアルバムは
持っていなかった。持つ必要が無いほど、1980年代初期の東京パンクスのオウチには
必ずこのアルバムと、ジョニー・サンダースの「チャイニーズ・ロック」の入ったラ
イブ・アルバムがあったのだ。あのぶっとびディストーションは、耳タコだった。た
だ、東京パンクスは皆、輸入レコード派であったし、当時、輸入盤をディスク・ユニ
オンなどで買うしか入手方法は無かったよーな記憶。ライナーノーツや歌詞カードを
じっくり読む派の私としては、どーも情報不足で、PILなんかにサイフを開いていた。
 ♪そんな私でも、当時はモヒカン頭であったし、1983年のイギー・ポップの来日コ
ンサートにも行った。そこで警備員とケンカしたり・・・、ただのいかれパンクスじ
ゃん!
 ♪で、時は流れ、今回買ったCDは、イギー自身の監修の元にリマスタリングした
スグレモノ!しかも、最新インタビュー&未公開フォト多数&英文ライナーと歌詞の
対訳。・・・あの時、買わなくてよかった!と、考えるのはオジサン的だが。

Bサン=サーンス『動物の謝肉祭』アルゲリッチ、クレーメル、マイスキー(1985
年、独)
 (定価2,039円⇒売価409円・・・ポイントカードの500円の値引きのため)
 ♪1985年、私が東京を離れる直前に某女性が、私にクラッシック音楽の魅力を教え
てくれた。その時、彼女が貸してくれた3枚のアルバムが、アルゲリッチ『ショパ
ン・リサイタル2』、グレン・グールド『ベートーベン、悲愴・月光・熱情』、サン
ソン・フランソワ『モーツアルト(作品名は失念!)』。全てピアノ曲だが、ロンド
ン・ニューウエーブどっぷりの耳にも、アルゲリッチの激しさ、グールドのエキセン
トリックさ、フランソワのプログレさ(?)が、素直に入ってきたものです。
 ♪で、アルゲリッチは先日、久しぶりにライブをした。しかも日本で!クレーメル
なんか、北海道に来た!そ、そ、そしてなんと、マイスキーが北海道朝日町サンライ
ズホールに5月22日に来る!(くわしくは下記URLからリンクしてね。)朝日町
は人口2千人の小さな町。北海道では、札幌や旭川をさておいて、ここでしか演奏会
をしない。すげぇ。これは、「北海道文科系の鬼・会員番号1番」の漢さんの力。田
原@booxboxさん、是非、一度、会ってみて下さい。
 ♪で、このアルバムは20世紀の作曲家の物語性のある曲ばかりを集めた意欲的な
コンセプト・アルバム。これもライナーノーツが親切なので西洋的神秘(画家で言え
ば、アンリ・ルソーの雰囲気であると私は感じた)を感じる手助けになる。実際、後
半は語り部が登場して、不思議な物語を語る。もちろん、訳詩あり!

C大江光『新しい大江光』(1998年、日本)
 (定価2,800円⇒売価1,180円)
 ♪日本の全ての文学オヤジ同様、私も大江健三郎の愛読者でござんす。そんで、光
ちゃんの1STは発売日に買い、感動。2NDも発売日に買ったが、どうもフルートの息
継ぎの音や、「自己模倣」的な臭いがイヤで、この3RDは買っていなかった。でも、
光ちゃん、いいじゃん、コレ。
 ♪彼を安易に「究極のイノセント」と祭り上げたくは無い。しかし、結果として彼
は世間からは無菌状態の環境で生活してきたわけだ。私は、彼にカスパール・ハウザ
ーを思い出す、と言えばヘンテコリン?
 ♪私は1984年に澁谷パルコで、若松武の舞踏演劇『カスパー』を観ているが、「言
葉」の孤児としての「肉体」をあの時、感じた。当時はまだ種村季弘すら読んでいな
かった無知な私だったが、むしろその無知さは芸術の前では「武器」になる時があ
る。光ちゃんも、「言葉」の孤児としての「音」なのであろうか?(この項、保留)
 ♪「親の話はするな!」と言われるかもしれませんが、レノン、手塚治虫、大江健
三郎は、私にとってもっとも影響を受けた音楽、マンガ、文学の3人です。その3人
の子供が偶然にも、ジュリアン、真、光と、私と同世代であるのも気になる点。もち
ろん、あちらは気にしていないでしょうが。

■古本(新進の”新古書店”の「本DE MART 忠和店」)
 この古本屋、昨年のオープンの時は「けっ、またゴミ古本屋が増えたな」との印象
しか無かったのですが、今日行って、ビックリ。新刊の話題のハードカバーが50作
ほどターゲットになって、「新品」で30冊づつ陳列してあるではないですか!それ
は、まるでスーパーマーケットで大根や缶詰が山盛りで安売りしている姿と、同じ!
その約50作の選び方も、バカにできない。本好きの欲しそうな&売れそうな本が、
ちゃんとマーケティングされている。これって「本パラ」現象?
 たとえばが、私が今回買った、下記の@とAだ。田口ランディは3作もあっ
た。・・・恐るべし、新古書店!

@大江健三郎『取り替え子 チェンジリング』(2000年12月、日本)
 (定価1,900円⇒売価1,400円)
▲これ、「古本」じゃあないのよ。新品で、しかも美麗本。さらに初版本。Aもそ
う。ど〜なっているの、書店業界?
▲先の光ちゃんのCDに「アイ・ティー・エー・エム・アイ〜おもいで」という曲が
入っている。つまり、ITAMI、伊丹十三だ。本の表紙は、光ちゃん。なぜか大江
の前作と同じ絵。

A堀江敏幸『熊の敷石』(2001年2月、日本)
 (定価1,400円⇒売価1,050円)
▲芥川賞の作品。タイトルが、彼の本の中では一番ジミなのが、おしい。
▲雑誌『リテレール』などで、私には馴染みの人。今月号の雑誌『東京人』(←『し
ゃりばり』の姉妹誌・笑)の特集の東京「古本道」にも堀江氏は登場するけど、そち
らもお買い得の内容。こちらは、スグ、本屋(古本屋じゃあ無いほうの)へ!

Bマイラ・カルマン『マックス、ニューヨークで成功する』(1994年、米)
 (定価1,800円⇒売価200円)
▲これは、ここで初見。しかも、絵本。いけてるよ。あーニューヨークに行きたい!

C個人旅行『ニューヨーク’99−’00』(1999年5月、日本)
 (定価1,667年⇒売価100円)
▲BもCも値段で買ったよーなものだけど、両方とも、いい本。「新古書店」の上手
な使い方。あー、ニューヨークに行きたい!S&Gもニューヨークで『水曜の朝、午
前3時』を作ったんだよなぁ。そう、ビートニクから続く、コーヒーハウスの時代。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/3973


映画★『あの頃ペニーレインと 〜 ALMOST FAMOUS 』(2000、米) 2001,4,7
★ニューヨーク研究家=Tommyさんへの手紙。★

★やっぱ7日からだった。くやちいぃ! 投稿者:久保AB-ST元宏 投稿日:2001/04/07(Sat) 11:50

> 久保チャン、ほら吹きにならないうちに訂正しておくけど、私は英語は話せませんのよ全然。多少日本語と北海道弁を話すだけ。

↑なんだ、俺と同じじゃん。
・・・でも、それって偉大なる謙遜?

> さて、「ハンニバル」は7日。

■と、いうわけで『おーるもすと・ふえいます』を鑑賞させていただきました。邦題『ペニー〜』と、あのポスターはちょっと苦手だったけど、アレン『ギター弾き』と比べて、「えいやっ」と選びました。
■最近、ビリー・ワイルダーとのインタビュー本でも話題のキャメロンちゃんですが、中途半端な印象です。
ワイルダー的ホーム・コメディ・ハッピー・エンド・ソープ・オペラ・21世紀バージョンと、いう感じ?
でもバンドのライブのドラムスの重たい音は、ジョン・ボーナム的で、よかったなぁ。・・・え?そこだけが良かったの?
まぁ、直接、ツェッペリンに取材していたキャメロン君だから、本物のゼップも、あ〜だったんでしょう。
んじゃ、真剣にジミー・ペイジのインタビューを読んでいた紅顔の美少年の私は厚顔無恥?
でも、今朝もAM6:30のお目覚めにアナログ・レコードを取り出して、ゼップ「河口堰が崩壊して、どじょうが出てきてこんにちは」(邦題命名=筆者)を爆音で聴いて、「かっこいいー」と、つぶやいた39歳。
んじゃ、こんなにスゴイならもっといい映画も作れるハズだぞ。
確かに、このロードムービーの最終地点は、NYだったが。
(話をなんとしてもNY関連にしなくては、気がすまない私)笑

> >・・ちなみに私はパレスチナでイスラエル兵のマシンガンに教わったのよ、英語。
> って、どんな英語?

▲火事場のバカ英語力・・・と、でももーしましょーか。

昨日は中古CD、アンダーワールド『エブリスィング、エブリスイング』と、雑誌『東京人』(5月号、東京の古本屋・特集)と、澤田珈琲でフレンチ800g(!)を買った。
どーやら、私は今夜はコーヒーで読書?
Tommyさんは、ぐっすり静養してくださいませ。

したっけ!


ロック歌手★『あがた森魚』 2001,4,5
★ふきのとう&ろんどんとう&リベラル市民党★

美唄の、あがたサンのライブの直前ライブが3月28日に行われた所が、
下記URLの芦別市「ロックハウス・ディラン」です。
私はそこに30日に行き、ニアミスでした。
でも、そこのHP掲示板で「大寒町」とか、ここの掲示板と同じキーワードが飛び交
っていて、なんだか、ウフフです。

んで、やっぱ、俺のあがた体験は1984年12月30日の澁谷ラ・ママでの、
俺の企画の「共犯GIG〜ノンセクト・ラジカル・パーティー」に
あがたサンが出演してくれたことですねぇ。
札幌のカフェ「バナナボート」を辞めて、東京に再上京した、
和田さん(元はちみつぱい、あがた1STにも参加、現・早川義夫マネージャー)も
バックを務めていました。

・・・そ、そ、そして「ほーんの・すぅこし〜♪」と、あの名曲を歌ってくれた!

かっこいいオジサンだと、当時おもったけど、今の俺の年齢より下なんだ。「!」

※はちみつぱい&ムーンライダーズのマニアへ
澤田研二の新譜『来るべき素敵』を聴くべし。
こりゃあ、あいつのギターの万国博覧会!
タイトル曲は、すごいぞ。ほんと。

http://city.hokkai.or.jp/~dylan/


エディター★『ロック雑誌の青春時代』 2001,4,4
ふきのとうでろんどんばーにん!
私の記憶が正しければ、ビートルズ来日時の『ML』編集長は、星加ルミ子さんだ。

http://www.ne.jp/asahi/miwa/sano/beatles/beatles.html

この時には、加山雄三もホテルに行っているので「唯一」ってことは無いでしょう。
このあと、星加は、アメリカ公演(最後のツアー?)や、「ミステリー・ツアー」録
音にも追っかけ取材に行ってます。
ここらへんは、MLの単行本『ビートルズ現役時代』に、当時の『ML』誌がそのま
ま載っているので、当時のビートルマニア少年少女の気持ちを味わえます。

で、東郷さんは、その後の編集長ですよね。
彼女は『レボリューション』(うう・・・時代を感じる誌名)というミニコミを19
70年前後に出していた・・・と、記憶しています。
現在はロンゲの教育評論家である、斎藤次郎さんの名著『共犯の回路』(ブロンズ
社)に、
『ロッキング・オン』創刊直前の澁谷陽一が『レボリューション』に投稿した記事
が、
取り上げられています。
ここですでに澁谷さんは、なかむらとうよう批判をしています。(笑)
それにしても、興味深いのは、
のちにロック雑誌の両極になる『ML』誌と『RO』誌の編集長が、同じ青春を共有
していたとゆーこと。
そー考えれば、東郷さんの文章、もし今も書いているのであれば読んでみたいです
ね。

斎藤次郎さんに関しては、彼が原作をしたマンガ『共犯幻想』は、必読書!

バラカンさんのは、レコード・コレクターズ誌『ブリティッシュVol.1』での
インタビューが興味深い!
キンクスやザ・フー、バン・モリソンなどのライブを、
60年代にロンドンで10代で体験している人の話を日本語で聞けるなんて、
人間国宝に値します。(?)
スターか?星加!


都市★『ニューヨーク』 2001,4,1
★レノンの享年の前に。 投稿者:久保AB-ST元宏 投稿日:2001/04/01(Sun) 20:28 [返信]

> 久保チャン お誕生日おめでとう!

◆ちなみに、戸川純、大島渚、デカルト、パット・マッグリン(←知ってる?笑)と同じ日でした。
30日は町内で火事があり、ボランティア消防団員として、修羅場で活躍しました。
で、サイレンが午前4時で、2時間のみの睡眠でヘトヘト。39歳、無理はできない?

◆んで、レノンの享年の前にはNYCを体験したいってのが、そもそもなのです。
◆あ、髪が長いので、ドライヤーのあるホテルがいいなぁ。
それとも切って行こうか。

> 丁度あった、メドックで私もお祝いさせていただきました。あっ違った、赤玉ポートワインと、書いてあるワ。

◆ははは。

> さて、「100ドルでもオッケー」でしたのね。ついつい、私と同じ貧乏な人かと思い込んでおりまして、失礼いたしました。

◆もち、金はかからない方がいいには、いい。
それに、だいたい俺は金持ちじゃあないしね。

> Hotel Thirty Thirty

◆ほー、カッコイーフロント・ページだこと。
でも、なぜか「日本語」ページに行けなかったぞ。
私のマシンの怠慢か?

> NYで「したいこと」。あれは、ハイ「欲張り」です。

◆じゃあ、@ACFでは、いかが?

> ワイン・バーなどの情報は、また追々お知らせします。いいとこあるのよグフフフ。

◆オー!イエー!

> * 蠍座のオーナーって、志はわかるけど、愛想なさ過ぎません?
> 私何もしてないのに、いつも怒ったような顔で見られると、つい「すみません」とか、言ってしまいそうになる。(ローカルな話題でしたね)

◆確かに。何だか万引きに過剰ナーバスになっている古本屋のオヤジみたいだよな。(きっといいヒトでしょーけど)
◆あの田中さんと、キノの中島さんて、あまり仲良くないのかなぁ?(まぁ、どーでもいいけどさ)
◆あの入り口のコーナー、スタバになればいいのにね。(狭いか?)

> ** ブライアント パーク ホテルに興味があるのは、アール・デコだからよ。

◆さては、君も海野弘で育ったな!?


うぇ〜ん!『共犯新聞』1面の下のほうに、★My Deep ART Diary !ってのがあるんだけど、
これが、かの有名だった(がくっ。)『共犯★日記』、だ。

クリックすれば、こーゆー感じ。

久保兄だよ。

アートなオヤジの、文科系★不良日記!


更新履歴

2004,10,30批評★『富田知子 展』論について その3
2004,10,29批評★『富田知子 展』論について その2
2004,10,28『共犯新聞』★カウンター、30000!
2004,10,27平常心!批評★『富田知子 展』論について その1
2004,10,26若林博士ログ日記2004★ 『第60回 留守中の訪問者』
2004,10,25テレビ★『NHK・小椋佳の世界』(1976年)

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『共犯★日記』は、私がホーム・ページ『共犯新聞』を始めた2001年当時、
写真のを含むもっともカンタンな編集システムだった「日記」とゆー手法を利用して書いていた。
しかし、その直後から、もっとカンタンなブログが登場し、やはりカンタン&便利なもんだから一気に普及した。
だから、「日記」システムを使う人はもういなくなった。
私はブログの便利さは分かるが、便利ゆえにパターン化を強制され、自由度が低いレイアウトが苦手で、いまだにホーム・ページ派(?)だ。

そのうち、こんな私でもホーム・ページの更新に慣れ、デジカメも買ったもんだから、「日記」システムからいつの間にか遠のいてしまっていた。

つまり、『共犯★日記』は私がホーム・ページの編集技術が無く、写真を使いきれていない時期の『共犯新聞』だったのだ。
だから今から読むと、とにかく文字ばっか、である。
我ながらよくもまぁ、こんなに書いていたものだと、あきれる。

そんな歴史的資料(?)『共犯★日記』だが、なんと、2009年6月末日から無料サーバーが廃止され、観れなくなってしまう!
私がそれに気が付いたのは、その直前の2009年6月24日だった。
びっくりした。
寝耳に水だ。スリーピー・イヤーに、ウォーターだ。

コンピューター関係で困った時は、カナダのサカタに聞くのが一番!

差出人: うぇ〜ん!久保AB-ST元宏
送信日時: 2009年6月24日(金) 1:22Am
宛先: 手紙からのカナダ?サカタ(カナダ、バンクーバー市)

サカタ。
さっき、気が付いたんだけど、『共犯★日記』の更新が今月でできなくなるらしい。

http://diary.cgiboy.com/1962/index.cgi?y=2002&m=7

http://www.cgiboy.com/Info/cgiboy200903_pc.html

しかも、これ、削除されるのか?
保存しておくべきか?
どーやって、保存するのかな?

ああ。
またしても、サカタ、たのみます♪
送信日時: 2009年6月24日(金) 2:38Am
宛先: うぇ〜ん!久保AB-ST元宏

 いやこれは全然わからん。
とにかく書いた記事を表示して(月ごとに表示できるのかな?)1ページずつ保存し(ファイル-保存-HTML のみ)、
共犯サーバーにそのままアップロードするというアナログ作業しかないんじゃないかな。
かなりめんどくさそうですが、あちこちに雑文を書き散らした自業自得とあきらめ作業すべし

 私もネット上にものを書き始めて15年くらいになるけど、散ってしまったものは数限りなくある。
自力で安全なところに保管しておかないと、いずれこうして消えてしまうからね。
Geocities は最初期からあるのに奇跡的に存続していてありがたいよなあ。
私が96年以降に Geocities に書いたものはまだ全部残っているみたいだ。

 共犯新聞が今後歴史を積み重ねていけば、
後世になって共犯研究家が消えてしまったクボ雑文をどこからか見つけて、全著作集に入れてくれるかもね。

じゃまた。

・・・・・・がくっ。
で、ある。

そこで今夜の私は、6月でサーバーのサービスが終了する『共犯★日記』を、手作業で(がくっ。)新しいサーバーに加工&転送中なのだ〜。
こんな感じ〜。

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/diary2002-12.htm

コンピューターとは、知らない人には「ボタンひとつで!」みたいなイメージがあるが、まったく、家内制手工業!
町工場以上にコンピューターって、原始的なのだ〜。

しかし、この作業中に超★久しぶりに読んだ私の「雑文」たち。
う〜む、これが、なんと、すばらしい(笑)。
そして、消してしまってはいけない「思い出」も、すごく、すごーくいっぱいあるのだ〜。
私が『共犯★日記』を書いていた2001年から、2004年は、
ニューヨークで同時多発テロがあり、若林博士が手作りでログハウスとブドウ・ジュース(?)を作り続け、
私は書評から、ギャラリーめぐりに文筆活動をスライドし、「ギャラリーどら〜る」と巡り合う。
そして、突然のあの日。

そこには、まだPTA会長になるなんて思いもしない私や、更正保護施設がない沼田町が記録されている。
写真で追えば、こんな感じだ。

これは終わりじゃなくて、始まり、だった。
ワールド・カップでジダンは、ける前に、転んじゃったな。ああ、ゴマキの時代って、あったよなぁー。その点、キムタク、長期政権!小説家になって再び私の前に現れた町蔵。バレエの日々。
うわっ。すげー、いろんな意味で貴重な一枚っ!歴史的資料だ。
42歳・・・・・・。博士は、家を建てながら、その建設途中の家に住んでいた。・・・すげー。ギョロメ支配人と、スペイン料理。

やはり、これらは記録して保存しておくべきだな。しこしこと、コンピューター移動作業をしよーっと。
すげーめんどくさいけどさ。

text by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2009年7月1日 水曜日 3:41Am)


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