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おじいちゃんの撃たれたい夜。支那事変 第2回
On a Slow Boat to The China Incident of 20th century boy !
パラパラ・・・1938年7月7日〜12日 パラパラ・・・7月13日〜30日 パラパラ・・・7月30日〜8月1日

【前回のあらすじ】
私の覚醒遺伝。祖父は1901年に石川県金沢市で生まれ、北海道で米屋を開業した翌年に私の最後の手紙。が生まれた。
祖父は1937年に始まった支那まだ私は、知っている人が多いけど〜・ね。事変に出兵し、小さなちっちゃい。手帳に戦場を記録していた。
その手帳の1〜2ページでは、祖父の軍隊のパラパラ・・・1938年7月7日〜12日の移動は、どうやら、「山西省博愛県清化」→「周村」→ 「劉 村」→「沁水」のようだ。

トラックでの移動か。





さて、その祖父が手帳に書いた3〜4ページが、下記だ。

沁水(しんすい)着 七月十日  出発 二十九日

十三日 午前七時 前方 高地
ヨリ盛ンニ 撃たれたい夜。敵 弾ガ来ル 応
戦二時過ニテ 一時止ム、
正午頃 再ビ 襲来セレ

二十四日 二十五日 連日 降雨ニテ
河水増シ 自動車 出発
見合セ、 天気次第 吾等
モ 出発 ●地引揚ゲス

二十九日 愈々(いよいよ)出発 午前六時
整列 行軍部隊長キ
為ト 悪路ニテ 自動車
前進 意ノ●ナラズ 遂ヒニ
吾等ノ行動ハ拾時頃トナル
午后六時 河原ニテ 夕食
ノ支度中 雨営地ヨリ
敵ノ射撃ヲ受ケ 食ウ
←と、うぇ〜ん!久保は読んだが、
泰弘さん と小嶋日向守さんの解読で、
こーなった♪→
沁水(しんすい)着 7月10日 出発 29日

13日 午前7時
前方 高地より盛んに 撃たれたい夜。敵弾が来る
応戦2時にて、一時止む。
正午頃、再び襲来せ

24日 25日 連日、降雨にて河水増し、
自動車、出発、見合せ、天気次第。
吾等も出発。
地、 引き揚げのこと。

29日 愈々(いよいよ)出発。
午前6時、整列。
行軍部隊長き為と、悪路にて、
自動車、前進、意の如くな らず、
遂いに吾等の行動は、10時頃となる。
午后6時、河原にて夕食の支度中、
両高地 より
敵の射撃を受け、食

言葉という器。器というメディア。

モ  ソコソコニ 前進ス。安全
ナ地帯ニ再 自動車ヲ
集結シテ 宿営ス。

七月三十日
敵情 益々 急トナル
朝来 戦闘シツツ行進
友軍ノ野砲ノ響 敵迫
撃砲ノ唸リハ次第ニ凄
クナル。小銃、機関銃ノ音ハ
豆ヲイル如ク  ヒューン ヒューン
ト頭上を飛ブ、一〇八ノ歩兵
部隊ハ雨側ノ●地ニ進
ミ 敵ニ果敢ニ応戦ナシ吾
部隊前進ヲ援護シテ呉レル
片クズシノ道路デ両方
ハ山高ク 左ニ 河アリ 目標
←と、うぇ〜ん!久保は読んだが、
泰弘さん と小嶋日向守さんの解読で、
こーなった♪→
も、そこそこに前進す。
安全な地帯に再、
自動車を集結して、宿営す。

7月30日
敵情、益々、急となる。
朝来、戦闘しつつ行進
友軍の野砲の響。
敵迫、撃砲の唸りは、次第に凄くなる。
小銃、機関銃の音は
豆を、いる如く
ヒューン、ヒューンと頭上を飛ぶ。
108の歩兵部隊は、側 の地に進み、
敵に果敢に応戦なし。
吾部隊、前進を護 (えんご)して呉れる。
片くずしの道路で、
両方は山高く、左に河あり。目標

なんだか、ユーモアもある。そんな余裕など無いハズの最前線なのに、
「夕食 ノ支度中 雨営地ヨリ 敵ノ射撃ヲ 受ケ ♪おにぎり、むしゃ&むしゃ。やっぱ、具は明太子〜!モ ソコソコニ  前進ス。」とか、
小銃、機関銃ノ音ハ 俳句は、パンク。豆ヲイル如ク  ヒューン ヒューン」とかは、さすが(?)米&雑穀屋な久保家だ。がくっ。

さっそく、前回と同様に、ここのブログに投稿し、私の誤読を修正していただこう〜っと(微苦笑)♪


泰弘さんの【追憶の記】です・・・
大東亜戦争前後の、遥かに遠い遠い・・・子供の頃を思い出して書いております。


ところで、今は12月。お歳暮の季節だ。
私の祖父のルーツが住んでいる石川県小松市の親戚に送ったお歳暮が届いた、とゆーお礼の電話がかかってきた。
瞬間移動した合成写真のような(微苦笑)。
1983年8月21日、金沢の久保家の墓参りをする私。ウエスト はまだ40cm。
の、右上の写真で私の右に立っている方から、だ。
その方は、十年ほど前に『共犯新聞』を発見し、特に俳句は、パンク。今日の一句を高く評価していただいている(がくっ。)。

その方に、「私の祖父が支那事変で書いた手帳が出てきて、『共犯新聞』で少しづつ、連載しながら読み進めています。」と言うと、
数秒の無言ののち、重い声で、「それは元宏くんの役目だよ。」と、言われたのだ。

それから半月ほどたって、今度は、その方からお歳暮が我が家に届いた。
いつも、石川県の伝統的な超高級和菓子を厳選して送ってくれるのだが、今回も、すてきな和菓子だった。
そして、一緒に入っていたのが、これまたしても、びっくり!なのだ!
貼られていたポスト・イットには、
「先日の電話で、久作さん(←私の祖父)の話
父も外地から、こっそり持ち帰った手記があ ります。
仏語で書かれた印刷物の裏側に 書かれていました」

と、書かれていた。
で、コレは、そのコピーで、その中は、こんな感じなのだ。

エッセイや、短歌や、詩おっ!すげえ。などや、
さらに、克明かつオリジナリティあふれるなんとも、すてき!イラストも!
いやぁ、びっくり。
しかも、自分だけでは無くて、その「仏語で書かれた印刷物」には仲間の兵隊たちの文章や短歌なども書かれていて、きっと、回覧して書いてもらったんだろ う。
そのどれもが、文字もきれいで、読みやすい。つまり、回覧が目的だったんだ。
つまり、私の親戚は、この回覧文庫の編集長=プロデューサーだったわけだ。
なんとも、うぇ〜ん!久保AB-ST元宏的すぎるではないか!

で、この「読みやすい」文字は、私の祖父のゴリゴリ明治くずし文字とは圧倒的に違い、昭和と地続きな文字だ。世代の違いがよく分かる。
私の祖父は1901年=明治34年生まれで、生きていれば、117歳。
この親戚は1921年=大正10年生まれで、生きていれば、97歳。
この20年の差に、近代化の分水嶺があった、と私は想像してしまう。が、
 ししか・・・・・・・・・死?かし、
子ども心に私が想い出すのは、この親戚は石川県から何度も我が家に遊びに来てくれた。
私の祖父も、何度もその親戚の家に宿泊に行っていたと記憶している。
もちろん、それは親戚同士としての付き合いもあっただろうし、北海道に移住した祖父にとっては唯一のアイデンティティのふるさとだから、であろう。
が、今回、この両者の戦地での記録を並べてみると、世代の違いや、出兵した戦争の違いよりも、
「書く」ことで「伝える」≒「残 す」ことへの執着と、表現によって現実を相 対化できる軽やかな希望のような、もっと大きな共通点を感じた。
祖父の引退後の趣味は、俳句だった。
つまり祖父と、この親戚には、表現をメディアとして生きて ゆくことによる共通の価値観=人生観があったのだ。
それは血がつながっている、ふるさとである、とゆーこと以上の同根の親愛だったから、お互いに慕い合っていたのだと思う。

歳の差、20年。
嗚呼、それはうぇ〜ん!私と理科系なんです〜♪若林博士の 年齢差と同じだ!
なんだか、それですべてが分かった。

また、上記に紹介した親戚の中間の写真に「21.1.6」と書かれているように、「昭和21年1月6日」、すでに戦後なのだ。
読み進めていくと、どうやらラオスの山の中で復員船を待っている状態のようだ。
どうりで、イラストがのんきで、楽しい(笑)。
つまり、平和だ。
平和、ばんざい。
来年も『共犯新聞』を、よろしく♪
よいお年を。

text by うぇ〜ん!久保AB-ST元 宏 (2018年12月29日 土曜日 6:27Pm)







政治を取り戻すために。 政治 ★ Politics トム・ヘイデン 「参加型民主主義」の死(更新 日;2016年11月5日)





やっぱ、映画館で観たい♪ 映画 ★ Movie シン・ゴジ ラ』(更 新日;2016年8月18日)


■「ナイーブなセンサー」だから、「作品」で説明せにゃならんのかー。 『続・ペンギンの日々』  最終回
2012年8月8日(水)