ついてくるべあ〜。I'll follow you wherever you may go!
top page⇒うぇ〜ん!『共犯新聞』NEW YORK地図やっぱ、映画館で観たい♪映画パラパラ・・・BOOK共犯音楽祭★Music〜音という抽象芸術♪Rock ☆コーヒーの湯気。cafe
moto_kubo@hotmail.com
ジョンの殺され方。Wow! ★言葉ジャンキー♪ 歌人 大塚陽子 短歌、共犯の系譜
Youko Ohtuka




パラパラ・・・共犯図書館

夕刊についての号外。
差出人: うぇ〜ん!久保AB-ST元宏
送信日時: 2008年10月28日(火) 5:26Pm
宛先: 東出センパイ、小川道子嬢、ケーコちゃん、ローラに花束を!ミカキチ@映し合い中、田原 洋朗BB翁

共犯よりぬき青春部のみなさん、こんばんは。沼田の町久保AB-ST元宏 @人生転 げ道です。
今日は家内とケーコ食堂でランチをしたところ、最新の雑誌
パラパラ・・・『ス ロウ』に、余市の牧野氏&ミカキチ友人のお食事とお酒&カフェ!ガンゲット・ ダイマが大特集!
★スロウで旅立てジャック♪
毎 号、充実♪
★PTA会長たち(笑)♪
牧野 氏は農民音楽家♪
行っチャイナ、でも、パリだもんねぇ?がくっ。
ダイマテラダヤを連れて行きたいね♪

おお。いよいよ、世間に秘密は無くなってきた・・・と思いつつ、
レジでケーコちゃんにチップ90円をはずもうと思ったら、
「今宵、我、東出センパイと逢うのよ。うふふ。」な話。
帰宅すれば玄関に北 海道新聞の夕刊が30度ぐらいの角度で突 き刺さっており、
抜けば、Hey, ついてくるべあ〜。田 中綾ちゃ んがパラパラ・・・東出さんの書物『大塚陽子論』
好意的に論じているじゃぁー あーりませんか♪
夕刊をとっていない山の上の方々にもお伝えしようと思ったしだいです。
こーなりゃ、酒豪の綾さんを囲んで、呑めない我らで短歌談義でもします かっ!
早く雪が降ればいいですねー。もっと寒くなれ。
では。
雑誌『スロウ』、ライフっ。またしても、交差した書物。 ★脳味噌の棚卸し♪共犯カフェからずっと。
北 海道深川市プチ・レストラン『にれの木』、パスタ・ランチ \870♪

短歌の自由。Wow! ★辺境の反モラルという自由♪
君は もう読んだ か!?

メー ルどうも。
差出人: 東出センパイ
送信日時: 2008年10月28日 6:24Pm
宛先: うぇ〜ん!久 保AB-ST元宏

こんばんは。久保さん、
メールどうもありがとう。

今、ビックリして、
道新の夕刊を買いに走り、
田中綾さんの短歌時評を
読んだところです。

田中綾さんには、敬意を表して
拙論の冊子を1部お送りして、
先月に懇切なお葉書を
いただいていました。

それから、山川純子さんの本も、
先日にパラパラ・・・加藤多一先 生から借りて、
私も今読んでいるところでした。
久保さんの『共犯新聞』での批評も、
嬉しく思いましたが、
何か中城ふみ子と大塚陽子さんには、
不思議な因縁を感じますね。
それでは、本当に近いうちに、
共犯仲間で一杯やりながら、
語り合う時を持ちましょう!
お元気で。 東出

センパイの自由。Wow! ★自由の学園の真実と嘘と、そして真実♪
2007 年11月 18日(日) 6Pm
会場: プチレストランにれの木
『加藤多一 「ホシコ」とモンゴルを語る
 〜 スローフード付き講演会』
左から、東出センパイ、
星野ケーコ嬢、
文豪★加藤多一♪

夕刊についての号 外
ありがとう。
差出人: 小川-karasu-道子
送信日時: 2008年10月28日 8:53Pm
宛先: うぇ〜ん!久 保AB-ST元宏

夕刊を開いてびっくり。
なんだかすごくうれしくなりました。

で、さっき夏は、ビール・パーティに来てね!ビールを買いに
走りました
(我が家から歩いて
2分の所で売っている)、

でも、
「早く雪が降ればいいですねー」
も、
「もっと寒くなれ」も、
勘弁してくたさい。
昔ならそう言えたんだけれど・・・。
小川道子

うぇ〜ん!私 がヘンなことを
書いたばっかりに(?)、
翌日、初雪!
Yeah! 田中綾★Oh! 水の川♪Hips!

あやぱん!『権力と抒情詩』は貸し出し禁止本のみ。ローラに花束を!
田中 綾
『権力と抒情詩』
ふわりんこ、夕刊が届く。短歌の自由。Wow! ★辺境の反モラルという自由♪
2008 年10月 28日の北海道新聞・夕刊に掲載された田中綾による東出センパイ本。
短歌で賞。Wow! 2007年度楡文賞。1995年に「現代短歌評論賞」。★評価の彼岸へ♪
北大・文学部同窓会による
『2007年度楡文賞』を受ける田中綾。
田中綾(たなか・あや)
1970年、札幌市生まれ。
1992年、北大言語学専攻課程卒業。
1995年、「現代短歌評論賞」。
著書に『権力と抒情詩』。
短歌作者、短歌選者、短歌評論家。
北海道新聞と朝日新聞とで
長年にわたって短歌選者。

田中綾さんには、敬意を表して★辺境の反モラルという自由♪
評論 集『水の川・ 加藤多一』(2004年3月31日、初版、北海道新聞社)に書かれた
田中綾の加藤論。
加藤は「児童文学者」として高名だが、歌人とゆー視点から新鮮に論じ ている。
ここで、加 藤 に短歌を始めさせたのが大塚陽子であ ると書いている。
うぇ〜ん!私はこの論文を読んで、 びっくりした。それまで田中綾を知らなかったのだ。
彼女の明晰で論理的な文章の底には明らかに、「戦い」の姿勢がある。
それにしても、「通 学の列車で」創作の機会と出逢うなん て、
ロンドンのバスで偶然に出会ったミック・ ジャガーキース・ リチャードみたい!

雑誌『短歌』(1997年9月号、角川書店)掲載!
雑誌 『短歌』 (1997年9月号、角川書店)掲載の、
三枝タ昂之「歌壇時評 短歌に新しい動きが起こる・・・・・・か」。
この中で、田中綾が『アクション97』という短歌イヴェントを札幌で 企画したこと を
伝え、その可能性の魅力を論じている。
27歳の女性が札幌から、短歌の爆弾を日本中に向けて投げてい たのだ。
・・・知らなかった!がくっ。
夕 刊見れなくて。
差出人: ローラに花束を!ミカキチ@ろーら
送信日時: 2008年10月28日 8:18Pm

東出さん、共犯青春部のみなさん、
こんばんは。
香聡庵のミカです。

東出さん、今日の午前中寄って
下さったようで、すみません・・・
私、在宅してはいたんですが、
手が離せなくて出られないでいて
後で見たら本が入っていました。
いつもいつも恐縮です。
慌しくしてる自分で申し訳ないです。

最新の雑誌『スロウ』、今号も洩れなく
うちの店にも置いてあります(笑)。
余市の牧野さん
&フレンチ・ダイマは勿論、
函館の手回しオルガン職人
谷目基さんは、うちの庭の奥で
麦わら置き場になってる
赤い廃車を厚沢部から運転して
うちまで運んでくれた人で、
通販のスロウセレクションに載ってる
北広島のパン屋『麦の香』
岩見沢時代に一緒に
保険委員をやってた子が
うちの店にお客として来てくれて
再会した、という友人です(笑)
パンの自由。Wow! ★白いパンよ、さようなら〜♪
そんなこと言ってたら
きりがないんですが。

田中綾さんの
東出さんの本についての書評、
近々図書館で読んできます。

うちの店のお客様に、
娘さんが歌集も出してる歌人だ
という方がいらしたんだけれど、
その方のお名前、戴いていたはずが
どうしても探し出せなくて・・・
年恰好からいって、
私よりちょっと年下くらいの
娘さんがいそうだったんですよね。
綾さんの御母堂だったら
どうしよう(笑)。

さっき、今期初めて
暖房を入れました。
週末には冬囲いの予定です。
皆さまも御自愛くださいね!では。

夕刊記事
差出人: ローラに花束を!ミ カキチ@ろーら
送信日時: 2008年10月28日 9:18Pm
宛先: 東出センパイ

東出さん、記事届きました。
早速送ってくださって
ありがとうございます。

あれ以来、自分の中でまた
ちょっと短歌ブームで(笑)
いろいろ読んでいます。

邑書林から出ている
『現代短歌100人20首』を
図書館から借り出して読んでいたら、
中に3つ納められている短歌論の
一つ、山田富士郎氏の
「『歌壇』の変容について」で、
窪田空穂が昭和8年に書いた
文章からの引用があり、
その大意を
「言いにくそうに空穂は書いているが、
創作は鑑賞、研究と
切り離せないのに、
そちらには興味を持たずに
歌を作る人が多い
あるいはそれでよしとする風潮が
あることを慨嘆してる」とあって、
その辺りのことを丁度
考えていたところだったので
印象深かったです。

別に短歌に限った話では無く、
もちろん創作や表現・芸術に
限ったことでもない。
全てに関して、私が普段仕事した り
生活しててよく引っかかることは
大方がこの辺りのことに
置き換えて説明できる
なあ〜なんて思いました。
『権力と畑』は貸し出し禁止本なんでした〜。ローラに体力を!
でもこういう文章を読んでまた
勇気付けられる、
その繰り返しがいいんでしょうね。
いい歌に出逢えることを
喜べることが全てです。
もちろん、出逢いは
歌だけのことでもなく。
ではまた! 美香@香聡庵

創作と鑑賞&研究の共犯透視図。
差出人: うぇ〜ん!久 保AB-ST元宏
送信日時: 2008年10月30日(木) 12:02Pm
宛先: 東出センパイ、小川道子嬢、ケーコちゃん、ミカキチ、田原 洋朗翁

『共犯新聞』1面トップで、絶賛より道中の久保元宏です。

さて、ミカキチから東出センパイに届いたラブレターに
書かれたことで
連想して想い出したコメントがあったので、
ご紹介させていただきます。

これ、みかメール。

ローラに花束を!窪 田空穂が昭和8年に書いた文章からの引用があり、
その大意を
「言いにくそうに空穂は書いているが、
創作は鑑賞、研究と切り離せないのに、
そちらには興味を持たずに歌を作る人が多い
あるいはそれでよしとする風潮があることを慨嘆してる」 とあって、
その辺りのことを丁度考えていたところだったので印象深 かったです。
共犯 透視 図上を疾走する車の両輪とその向かう先。
差出人: ローラに花束を!ミ カキチ@ろーら
嘘についての小説を書いて、いちど整理したら。→それが、私が焦ってる理由の一つだろうね。またしても、交差した書物。 ★脳味噌の棚卸し♪共犯シアター。
送信日時: 2008年10月30日(木) 10:57Pm
宛先: 東出センパイ、小川道子嬢、ケーコちゃん、久保AB-ST元宏、田原 洋朗翁

創 作と批評の関係は、
たとえば、企業で言えば、営業と企画の関係み た いな(笑)、
お互いに必要だけれど、間違いなく距離と温度差がある、
ようなものなのでしょうか。
→いい比喩だね(笑) どういう風にいい比喩か、というと、
 企業における「営業」と「企画」の関係のように、
 互いに必要なはずなのに間違いなく距離と温度差がある・・・ 
 というコトから見えるのは、
 要するに、その2つが相手の存在意義を正しく認識できていない と、
 敵(何と闘うべきか)を見失ってる結果になる
 という危険性が生じる。
 ってことが明白に判るという点ですね(笑)
■今、『共犯新聞』でとりあげている田中綾さんもそうですが、
良い実作者は、良い批評家になります
で、ミカキチ引用に似たコメントをどこかで読んだなぁーと、
昨夜、NHK−BS2映画『地下鉄のザジ』を観ながら考えていたら、これ でした。
→これは、以前
 ローラに花束を!私のブログで歌詞の翻訳について久保兄とやりとりし た、
 いい表現者は、いい受信機でもある。に通じますね。
 私が引用した評論を書いた、山田富士郎の作品は、こんな感じ。
「ぼくはきみをしばし照らして消えるんだ裸電球みたいにパチリ  山田富士郎」
雑誌パラパラ・・・『ユリイカ』 1972 年12月号
「総特集=現代の詩論」の、共同討議「詩論とは何か」より。

吉 本隆明 たとえば詩を書くとき詩論なんてのはないですよね。
だけど、自分が書いた詩があるでしょう、
その結果について自分で説明ができなければ、ぼくは嘘だと いう気がするんで す。
初めから別に詩論があって、あるいは説明があって、
それで詩を書くということはないだろうけれども、
書いちゃったものについて、なぜこの行をこう書いたかということは、
自分で説明できなければ、ぼくはいけないと思うんです。
→「その結果について、自 分 で説明できなければ、嘘」というのは、
 「嘘」という表現は語弊をもたらすかも知れないけれど、確かに、
 本当は、誰しも、「説明」を持ってるはず。というコトは、感じますね。
 私が感じるのは、「自分で説明できなければ、ぼくはいけないと思う」
 というのと同じだと思いますが、
 その自分の出した「結果」について、語ろうとしないところに、
 「逃げている」姿勢、つまり 「誤魔化し」や、「美しい言い訳へ の逃げ」
 感じることはよくある。
 そして、やはりそういう姿勢を目の当たりにすると、
 まあ、すごく「がっかり」しますね(笑)
井上まさじ画伯登場!
井 上まさじ画伯。
長年の砂澤ビッキとの交流を思い出させる雰囲気。

清 岡卓行 ぼくもその点、つまり
自分の詩に対しては自分の批評が成立しなければならない
という点では、そう思いますよ。

吉 本隆明 だけど、この前の、ユリイカ7月号の高村光太郎特集の座談会で、
彫刻家の高田博厚氏に、
「どうしてこうつくったんだ」と訊いても、答えられないんですよ。

鮎川信夫 絵描きとか音楽家とか、
とかく芸術家というのには、そういう人が多いんだよ、
どういうわけか知らないけど。
→現代アートの井上まさじさんて、隣人なので、製作に疲れると時々
 うちの店に来て本読んでいたんだけれど。
 ナンだったかなあ、すごく有名な、基本的な本を読んでいて、
 「へー」と思って見ていたら、
 「時々、迷いが出ると、読むんだよね。
 原点に戻れて、気持ちが落ち着くから さ」って、
 その本、正確に思い出せないんだけれど、 誰でもタイトルを知ってるような
 (でも読んでる人は少ないかもな)本だったの。
 ソシュールだったかなあ。ラカンとか、ロラン・バルトとか、
 とにかく、「みすず書房」系的(笑)、思想書だったの。
 で、確か、その時だったと思うけれど、
 やっぱり、絵を描く人には、言葉に置き換えることが出来ない(苦手な)ために
 自分の内側に、「戻るところ」をつくれないため、
 どうしても精神的に不安定になりやすい人が多い気 がする・・・・
 って、話してくれたんだ。
 やはり、「言葉に置き換えて」整理することは、ものすごく自分を救う。
 彼は、絵を描く人には珍しい?くらいに、理論的に語れる人だったから
 周囲のそういった「芸術家」たちの苦しみと、
 その不器用さによって落ちていくさまを見ていて
 思うところが多かったんだろうね。
 私自身は、丁度そのころ、「言葉に置き換えること」が「考えるこ と」そのも ので、
 そして「考えることは限定する=閉じることであり、それは解放することであり、
 そして次に行くことである」ということに ついてやっと辿り着いて、
 だから考える自分を許そう、と思っていた ところだったから、
 すごく印象に残っているの。

 言葉じゃない表現をしてる芸術家が、「説明できない」ことは、
 あまり不思議な気はしないんだよね。
 で、そういう人たちを追い詰めたくはないと思う。
 でも、「表現出来ない」というところに、立ち止まっていて欲しい、と願うことは
 芸術を求める者の姿勢として、正しいことだと考えているな。
 友人としては、逃がしてやりたいと思うのが正しいかもしれないけれどね。
吉本隆明 「おれのじゃないから知らないよ」というけ れども、
しかし自分のじゃなくとも、なぜここをノミでこういうふうに彫ったかとか、
結果については説明できなければ嘘だと思う。
書くときは別に説明でやっているわけじゃないですよ。
こうやればこうなるなと思ってやるわけじゃないけれども、
現れた結果については、
なぜこの行の次にこうやったかというようなことは、ちゃんといえると思う。
いえるほうが本当な気がするんです。

そ れにしても、
差出人: 東出センパイ
送信日時: 2008年10月30日 11:24Pm
宛先: ローラに花束を!ミカキチ@ろーら

それにして も、鮎川、吉本、清 岡、大岡の批評に対す る確信には、感 心します。
そのうちに、私の考えも披露しようと思います が。

ひとつだけ、詩や小説や戯曲などに対する批評の 関係、
音楽などの作曲と演奏や歌を歌う(ある意味で作 曲に対する批評でもあ る)こと、と
絵画や彫刻など美術作品を言葉に置き換えること は、
根本的に違うことではないでしょうか。
絵や彫刻は、言 葉以前の人間の持っている
原始的な感性(感覚)をも総動員しないと、出来ないと思います。
だから、美 術批評というものが、言葉によって可能だとは
なかなか思えません
そこは考えどころかなと。ほんの走り書きでし た。東出
→作り出してみないと、それが「ナンだったか」が解らない、というのは
 どの表現においても(音楽でも、絵画でも、言葉でも)あることなんだと思う。
 確かに感じはする(自分を捉えて放さない)けれど、それが何なのかは勿論、
 その「感じてる」こと自体、「感じてる自分」自体すら疑うことから
 表現の手探りは始まるよね。
 その混沌と不安の末に得た「カタチ」は、
 まず、それにカタチを与えた自分を救ってくれてるはずなんだ。
 だから、それに対して、つまり「自分が救われた」ことに対して、 誠実な人間なら、
 責任を持とうと考えるべきだ、と、私は思 うんだ。
 たぶん、吉本隆明が言ってることも、そういうことだと思う。
 自分がカタチに落としたもの、
 そうして云わば「客体化」することに成功することに拠って
 救われたのは、双方の筈だし、
 そこにいる「自分」は、実は「他者」でもあるのだから。
 「他者」に対して誠実でなく、無責任でいることと
 「自分」に対して不誠実で無責任なのは、全く同じことだよね。

 そして、そういった、不誠実と無責任は、
 結果として、主体を失った「暴力」になるん だ。
 その「暴力」から身を守る為に、「表現」は生じた筈なのに・・・

 そのことを知っているから、彼らは、こんなにもはっきりと、
 「意味と意義のある」討論をしてるんだろうね。
 曖昧さを避け、自分を安全な場所に置かず

 公で語ることが「自分の知性」や「リベラルさ」をアピールすることでしかないような
 討論ばかり目につくような中、
 こういうのを読むとすがすがしくて(笑)心が洗われるね笑笑
鮎川信夫  ぼくは実際書かれたものは詩論の影響を受けていなくて も、
書かれた結果については受けると思う。
詩論によってバックアップできない詩や歌は駄目だとぼくは思う。
当人が説明しなくても、だれかがいい詩だといえなかったら、
やはりいい詩じゃないんじゃないか。

大岡 信 同感だな。
嘘と愛情と巫女。雑誌『ユリイカ』(1972年12月号)掲載!
王国ではなく、「現在」。
雑誌 『男の隠れ 家』2004年12月号で紹介された吉本隆明の書斎♪

そりゃそうだよね。毎週真剣勝負したら、どんな人でもレベルが向上する。でも、それに合わせて、創るものが自分に求めるものも、やっぱり向上する(笑)。
文豪 ミカキチの書 斎♪
→私も同感だな(笑)
 当人が「上手く」説明できなくても構わないし、
 それはまあ、当たり前のことでもあったりするんだとも思うの。
 (だからと言って、説明することを投げ出してはいけない、
 ということを言ってるんだよね、ここでは)

 私、今度の自分の番組で、
三角山から生放送だぞ。ミナさまー!
76.2MHz
ローラに花束を!ミカキチ@ろーら嬢の生放送は、
毎月、第1土曜日 5Pm〜6Pm 志羅山 美香 『花 よりダンゴ』
再放送は、その12時間後、日曜朝、 5Am〜6Am♪
←コレをクリックすれば、生放送&再放送が聞けちゃうぞー♪
次回は、2008 年11月1日(土)5〜6Pm

 ル=グィンの『ゲド戦記』について語ろうと思っているんだけれど、
 でも、前にも語ったことがあったりはするんだけれど(笑)
 ゲド戦記て、最初の巻が出てから完結まで30年くらい経っているでしょう。
ベラのように強くなりたい(笑)はみだしたままでいいから。 ブラの紐も笑笑


ローラに花束を!『ゲドを読む。』は、
やっぱ、映画館で観たい♪映画化の際に、
すっごいお金かかった
ポケットブックを
タダで紀伊國屋で配布。
ということが
大層話題に
なったものです。

勿論私は、
ほかになんの用事もなく
滅多に下界には
行かないのに
わざわざこれを貰いに、
紀伊國屋へ出かけて
ゲットしました。

 で、翻訳家で文芸評論家の清水真砂子が、
 確か、グィンが自作について語ったことに対して
 「そんなことを言ったら、作品が台無しになる!!」と思って、
 その作者の発言に対するエクスキューズをしてしまった・・・
 という体験について、確か、新聞かなあ。に載ってたことがあるの。
 割りに最近のこと。
 私、それ切りぬいていたのに見つからない(笑)。
ローラに花束を!そ の、新聞の切り抜きが出てこないのと、
また、その記事自体にも、具体的なことは書かれてい なかったから
書きにくいんだけれど、
要するに、『ゲド戦記』のようなファンタジーって、
大間違いな読み取られ方もされやすいものだよね。
ものすごく、もっともらしく、ユング的(笑)な、
薄っぺらな捉え方で、「武器」として使われて しまう、みたいな。
その、「間違った」「薄っぺらな」捉え方を追従する ような解釈を、
作者のグィン自身が、公でしてしまったんだね。
(と、いうのが私の記憶にあるそこに書かれていた内 容)
確かに、グィン自身=作 家自身が、作品のもつ豊かさを
把握しきれていない部分があるんだと思う。
そのことは、清水真砂子も指摘してるんだ。
グィンが、女性の感性を男性の理性で解釈して
SF作家の技とファンタジーの文法で書ける、という
「賢さ」が、その危うさを冗長してる・・・・
ということが、確かに有るんだと思う
(注・これは私の解釈。清水真砂子はそこまでは言っ ていない)。
清水真砂子は、
作品は、解釈した人のもの。読者のもの、という考え だから
映画化に際して、「協力してくれ」と声が掛かって も、
それは「その製作者のものだから」と参加しないし、
もう既に、翻訳者として、自分は関わりすぎている。 と
その責任にすごい重圧を感じ続けている。つまりものすごく誠実な んだ。
もっと言うと、そのくらい、「コミットした」んだろ うね。翻訳に際し て。

それでも、作家本人の発言から、さらにまだ、 「作品」を守ろう とする。
その、誠実さが、やはり全てだと思うんだよ。

送信日時: 2008年10月31日(金) 9:50Pm

 で、重要なのは、清水真砂子は、作者が見つけられなかった意味 を、
 読者が見つけていくのは普通のこと、
 それが作品の豊かさだ、と発言している人 なんだ。
 だから、当然、作者という読者が
 意味をそこにつけてしまうこと自体を全く否定してはいない筈。
 だからかの女がやろうとしたことは、作者の行動に対する封印やギモンではなく、
 そうして「全員が誠実であろうとすること」によって辿り着けると ころを
 目指し続けることだけが救うものが、確かにこの世にはある
 ということそのものだったんだと思うの。

 つまり、間違った発言でも、その作者の発言が、
 作品を「駄目にしてしまう」と思わせるものでも、いいんだ。
 そんなことで潰れてしまわない、
 「現実」という名の切実さがこの世界には厳然とあり、あり続け、
 全ての人が対峙し、含み、そこを生きてるのは、その切実な「現実」なんだから。
 そのことから「離れた」「目を逸らした」表現に、詩に、
 一体何の力があるっていうんだろうか・・・
 っていうことなんだと思う。
 (もちろん、そうした作品が救うものは沢山有るし、
 それでも力を持つ詩は存在する)

■吉本は1924年11月25日生まれだから、当時、47歳か。
今の私の学年だ(がくっ。)。
もちろん、吉本も詩人であり、批評家です。
若いからか、やはりアグレッシブな発言。
語られている話題は、ディスカッションの技によって、どうとでも転びそう なテー マ。
しかし、彼ら4人は、力強く、上記のように明言しておく必要があったので すね。
「議論が苦手」とか、「とにかくいいものは、いいんだ。」とか、
言ってられない芸 術家の切実さと誠実さ、ですね。

んじゃまた。
相手に何か言われた時、じぶんがそこに(も)いるのかな?って思うだけ、な感じ。・・・・・・♪共犯カフェからずっと。
→得意なものを極めていくうちに、どうしてもバランスを取るために、
 苦手に息を止めて目を瞑って手をつっこんで・・・
 掴みあげようともがかなければならない崖っぷちで見えるもの。
 それを捜して見つけ出す果てしの無い旅なんだろうな。表現することは。
 「とにかくいいものは、いいんだ。」でも、良いんだよね(笑)
 だったら、それを100回言えばいいんだし。
 100回、人前で、繰り返し、どもりながら、身振りしながら、泣きながら、
 悔しがりながら、恥ずかしがりながら、怒りながら、恥をかきながら、
 同じことを、バカみたいに、馬鹿になって、言えばいいんだよね。
 それが、「何かを言う」ことだし「責任を取る」ということなんだから。

 何かを「生み(膿み)出してしまう」「生み出さずにいられない」という力は、
 やはり、「偏り」でもあることが多いよね。
 だからこそ、それは薬にもなる。何かを治癒するほどの力を持つ。
 でも、薬にもなるものは、当然、毒にもなる。
 そのことで、表現した当人そのものが、また傷付くことが、絶対にあるんだ。
 私は、「評論」「批評」というものは、
 その、「偏り」を正確にこの地平に置いて出来るだけ公平に、
 正しく「マッピング」してみせることによって 「肯定」するものだ と思う。
 そういう風に、偏りなら偏りとしてきちんと「評価」されることで、
 やっと、それはそこに「存在することを許される」訳だから。
 偏ってること自体は、何の罪でもないはずだけれど、
 それをどう「位置付け」したらいいかが解らないが為だけに
 排斥されてしまう危険が、常にあって
 より「効果的」に効く「薬」であればあるほど、「危険物=毒」として
 排斥や生贄の対象になりやすい。

 その為に、表現と、評論は、車の両輪であるはずなんだよね。
 「評論家」と「作家」は、「文学」という車の両輪である、という説明は、
 昨年くすみさんのソクラテスのカフェで行われた「カフェで本談義」
 ゲスト書評家の豊崎由美さんの際、かの女が使った言葉なんだ。

 そして、「表現」と「評論」の車輪を持つ車が載せているのは、
 たぶん「人間が生きる営み」なんだと思うよ。

「蛇行せよ詩よ詩のための一行よ天国はまだ持ち出し自由   千葉聡」
「あはれ詩は志ならずまいて死でもなくたださっくりと真昼の柘榴  紀野恵」
「ぼくたちの詩にふさわしい嘔吐あれ指でおさえる闇のみつばち  加藤治郎」

「手探りに歩むに疲れここからは来るなとふ強きこゑも欲りゐつ  横山未来子」
「撃たばおまへでなくなってしまふ輪郭の鳥になりなさい、鳥になりませう  辰巳泰子」
「きがくるうまえにからだをつかってね かよっていたよあてねふらんせ  穂村弘

 ではまた。


☆思想の湯気、言葉の香り。隆明パラパラ・・・書斎の3は、魔法の数字〜♪三度笠。
差出人: 東出センパイ
送信日時: 2008年11月1日(土) 8:44Pm
宛先: うぇ〜ん!久保AB-ST元宏、ローラに花束を!ミカキチ@ろーら

久保さん、みかさん、零細企業の本屋のおじさんは相変わらず、連休無関係で、仕事やらなにやら多忙です。

さっき会社で『共犯新聞』拝見したら、隆明書斎がアッ プに なっているじゃあありませんか!
文字を拡大。思考を拡大。ルーペで読書。終わらない脳味噌。
←真ん中あたりに
かかっている三度笠が、
藤田まことより、贈られた
白木みのるとの伝説のお芝居
(でもないか)
From a "てなもんや三度笠" concert  !『てなもんや三度笠』
に使用の簑笠ですよ。

『てなもんや三度笠』に使用の簑笠ですよ。

藤田まことは、厖大な書物とむきあい思索を重ねてきた思想家吉本隆明。その思索の全体を、アンソロジーに仮託した戦後最大の思想家の集大成。『思 想のアンソロジー』(筑摩書房)にも、堂々登場していて、吉本さん の義理堅さがしのばれます。
まあ、もうすぐ満で84才だ から、いつお迎えが来てもおかしく ないけど、まだまだ発言を続けていて、私などは感無量ですね。
あの三島由紀夫の割腹自殺した日 が、
吉本さんの誕生日だから、
それも私には、偶然ではない因縁を感じます。

最近、その三島由紀夫が跋文を寄せていた
『模写と鏡』(1964年12月、初版)も
復刊されたようです。
ここ!吉本隆明の記念碑的評論集。批評の傑作「丸山真男論」をはじめ多数の論稿を収録。古典的な党派性の観念をどう棄揚してゆくかという課題を文学上、思想上の批判的な検討を通じて論理化する。
★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴史から飛び出 せ!
★たとえば→11 月25日の歴史★
♪制服の夢を
Au revoir, auf wiedersehen
You wont see another morning
You wont see another evening
Good night
Buenos noches o senor
Senorita see ya later
Buenos noches bye-bye
There are many here among us
You feel that life is a joke
And for you we sing this final song
For you there is no hope

Sayonara
oh suicide Harakiri
Kamikaze you wont
See another evening
Goodbye
Bye-bye so long, farewell
See you later....suicide
Suicide
Suicide
Suicide

吉本さんのことを書き出したらきりがないので、もうやめますが最後に
名だたる日本の歴史上の人物と並んで引用されている、その藤田まこと の言葉をひと つ。
「恥ずかしながら一生芸人です」
ついでに吉本さんの<解説>

 子どもの友人の奥さんが愉しい人で、藤田まことの色紙を頂戴してきてくれた。
そんな私的な色紙のなかの言葉を意図的に択んだ。
なぜかと強いていえば、言葉そのものが著名な芸能家がファンに与えるという位置に立っていないし、
とうていそんな気持ちをもてないような謙虚な人柄が滲みでているからである。
わたしも自前の色紙を頼まれたら、一度は、恥ずかしながら、生涯物 書きですという模倣をさしてもらおうとおもった。
 誰にとっても生涯の職業は恥ずかしいものだ。何故なら、他の何にもなれな かったから、そうなってしまって米塩の資を得てい るからだ。

太宰 治は昭和13年9月13日から同年11月15日までの約2ヶ月間、御坂峠の天下茶屋に滞在しました。そこで初の長編小説である「火の鳥」の執筆を行いましたが、残念ながら未完に終りました。♪太宰治と夢を  太宰治の「みみずく通信」のなかに、
旧制の新潟高等学校に講演にいったときのことが書いてある。
講演を了えて、文芸部の学生さんと一緒に海岸の方へ散歩に出かけたとき、
学生から「太宰さんはどうして作家になったのですか?」と聞かれる。
かれは「他の何にもなれなかったからだ」と答える。
学生は「それじゃ僕にもその資格があるわけだ」と半分笑わせるつもりで言う。
太宰治は、たぶんきりっと真面目になって(だろうとおもうが)
「きみはまだ何もやったことがないじゃないか」と切り返す。

わたしはこの場面が好きだ。 藤田まことの「恥ずかしながら」のなかにはおなじ思いがあるに違いない。
「てなもんや三度笠」から現在の「はぐれ刑事純情派」まで、その演技や話芸をテレビで、好きだとい うだけで視聴してきた。
その芸は自然体のまま資質の深さを滲ませ、話芸はまた呼吸自体が人柄になり、静かなままで謙虚を映 している。
(引用は、吉本隆明『思想のアンソロジー』の藤田まことよ り)

なんか、涙腺がゆるんで、しみじみとしますねー。
いつか古田武彦さんの「わたしひとりの親鸞」にならって、「わたしひ とりの吉本隆 明」を書きたいと思っている、東出センパイのひとりごとでした。
ではまた。


吉本隆明の色紙。
差出人: 東出センパイ
送信日時: 2008年11月2日(日) 0:39Am
宛先: うぇ〜ん!久 保AB-ST元宏、ローラに花束を!ミカキチ@ろーら

すいません、追伸です。
さっきのは藤田まことよりの色紙でしたが、
吉本さんの自筆の色紙
(ただし言葉は宮澤賢治)も、
添付ファイルで送ります。
ロケンロー。またしても、交差した文字。 ★脳味噌の棚卸し♪共犯書斎からずっと。
ついこの間刊行の「五十度」は5万円(CD115枚+DVD-ROM1枚+解説書)もするのにおどろくほどよく売れてます!『吉本隆明 五十度の講演』
(糸井重里事務所発行 紀伊国屋書店発売 CD115枚+DVD-ROM1枚+解説書、定価なんと5万円です!)の記念頒布品。
この講演集は今まで、弓立社から出ていたのを糸井重 里事務所が引き継 いだもので、
じかに吉本さんの声で、吉本さんのあらゆる領域の発 言を聴ける空前絶 後の企画ですよ!
色紙の言葉を最後に書いておきます。
「ほんとうの考えと嘘の考 えを、分けること ができれば、その実験の方法さえ決まれば−宮澤賢治より−吉本隆明記」

以上でし た。東出

東出さんの本、急遽増刷決定。
差出人: 小川-karasu-道子
送信日時: 2008年10月30日 7:40Pm
宛先: うぇ〜ん!久 保AB-ST元宏

なんだか楽しそうなメールが続けて入ってきますね。

お知らせその1 東出 隆 『大塚陽子論 大地の母神 向日葵のごとく』 、急遽増刷決 定。
こんなことなら、最初から多目につくっておけば良かったと、後悔しても後のまつり。
で、少しでも東出さんの経費原価償却のお手伝いをしてあげたいので、買ってくださる方にはお売りすることにしまし た。
郵送費込みで、一冊1000円にします。
ご希望の方がいましたら、私のところ(このメー ルアドレス) まで申し込んでください。

あ、その2もあったんだけれど、急がないので、またにします。
道子
ロケンロー。またしても、交差した書物。 ★脳味噌の棚卸し♪共犯書斎からずっと。

モラルの辺境における最後の杭としての 表現
〜 東出 隆 『大塚陽子論 大地の母神 向日葵のごとく』 を読んで 〜
text by. うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (更新;2008年10月4日 2:46Am)

 まだ2回しか逢っていない(←最近は、こんな人、ばっかだ・笑。)東出さんか ら、著書を 送っ
ていただいた。東出さんは、まっとうに熱くて正しい人、だ。正しくない私(がくっ。)から観れば、
まぶしすぎる人だ。しかし、最近、「正しい」人が少ないからこそ、東出さんのまぶしさから目を
そむけるのは、もったいない。
記念写真は、これでOK!多一であ〜るぅ?
写真、後部で一番背が高いうぇ〜ん!久 保(がくっ。)の右から、
ローラに花束を!ミカキチ@ ろーらパラパラ・・・加 藤多一Oh ! うめぇ〜♪ジューシーな豚肉ソティ!星 野ケーコ、名も知らぬガードマンさん、
前列は、
飛島詩子@『絵本屋・ぽこぺん』、そして、われ らが、東出センパイ♪

 今回、突然、送っていただいた小冊子も、『〜論』と名付けるにはまだ考察の余地は広そう
だが、それでも、私のような大塚陽子をまったく知らない者にとっては何よりの贈り物である。
 そう。すべての本は、贈り物なのだ。
短歌の自由。Wow! ★辺境の反モラルという自由♪
そえられた手 紙には、
「久保さんも是非、「句 集」をまとめてく ださい。」(苦笑)。
この著書は、私家版なので、
欲しい方は下記へ連絡されると、安く(?)分けていただけると思う。
有限会社 共育舎
札幌市東区北18条東16丁目2−10
でんわ;011−780−7112
FAX;011−780−7113

大塚陽子-08P ★辺境の反モラルという自由♪
東出隆『大塚陽子論』8〜9P。
短歌史における大塚の位置が説明される。
 東出『大塚陽子論』はまず、大塚本人を登場させる前に、
大塚と「古くから交流が」あった加 藤多一(児 童文学)に
はじまり、寺山修司、菅谷規矩雄、吉本隆明、三浦つとむ
と言った碩学の面々による文学論の紹介から始まる。
 これらがはたして、大塚だけに対する必然なのか?という
疑問は沸くが、私としては、その「青年っぽさ」が東出さんの
魅力でもあると思うし、いまどき衒学ぶるのも、かっこいい(笑)。
それに何よりも、東出さん自身の文学的自伝として読んでも
興味深い。こっそりと東出さんの書斎の本棚をのぞき見する
感覚だ(笑)。で、のぞき見したら私と同じ蔵書が多い(笑)。

Hey, mama. 多くの歌人と交差した人。 ★大塚陽子 歌人♪
大塚陽子 歌人

 この本の特権性は、大塚の最晩年に書かれ、しかも東出さん
本人と交流し、亡くなる直前(!)に本人に読まれた、という
決定的な事実だ。大塚を論じた文章は世に多いが、そんなめぐり
逢わせの幸運を得たのは、唯一、これだけだろう。

 しかし、そのことがこの本のグレードを担保するわけでもない。
私たち後衛に立つものにとって重要な本とは、知らなかったもの
を知ることができる、そして、その面倒な作業に向かう熱をどれ
ぐらい著者が放熱して怠惰な読者たちにより多くの熱を分け
てくれているかということだ。
 その点から見れば、本作はあまりにも魅力的だ。

 大塚陽子の”凄み”の源泉は、独特のたくましさにあるのだろう
が、その内面と作品を媒介したのが、現実社会での「不倫」行為
であったのだろう。
 日常に物語性は薄く、非日常は物語の親である。歌を作るため
に不倫をしたのではないだろうが、結果的に、若い大塚の住む地
域における短歌の最高権威であった歌人・野原水嶺との恋は、
作品を生んでゆくには充分すぎる”素材”であったことは間違いな
い。

 ここで傾注したいのは、作品を作る行為を中心に置いて存在す
る、
1.現実
2.虚構
であり、その両者の中間とも言うべき、
3.誇張
である。
 この後、ふれてゆく中城ふみ子と寺山修司の「問題」とは、まさ
にそこに(も)ある。その露悪趣味(!)が読者の不快を引き出す
場合も多いだろうし、だからこその真摯な姿勢が感動を誘発する
場合もまた多い。

 2008年9月25日に92歳で亡くなった古代文学研究、西郷信綱
への藤井貞和の追悼文では下記のことが書かれている。
虚構性とは作者の自己を客観的に社会 化す ること
〜「朝日新聞」2008年9月30日

 まさにその通りだが、このことは誰にでも許されているわけでは
ない。では、誰が許されているのだろうか。それは、「才能」のある
者、のみである。それ以外の者が行うと、痛く滑稽なだけだ。

 であるから、デビュー時の中城ふみ子と寺山修司の短歌が、
先人たちからの賑やかな批判とともに世に流通されたのは、そこ
で指摘されていた「虚構」と「誇張」の欺瞞性ではなく、むしろ彼
らの「才能」の尺度の問題のみがその本質であったと私は思う。
「才能」の尺度を老人が語る時、「羨望」はまた付き物であるし。

 ひるがえって、大塚陽子、である。大塚は中城&寺山と比較す
れば、圧倒的に「虚構」&「誇張」が薄い。そこに華やかさの少な
さを感じもするが、むしろ、だからこそ貴重な作家なのだ。
18P ★辺境の反モラルという自由♪
東出隆『大塚陽 子論』 18〜19P。
いわゆる略奪婚で、30歳年上(!)の歌人・野原水嶺と結婚。

子供を作らない、という自己バインド♪
東出隆『大塚陽子論』36〜37P。
略奪婚であるからか、
子供を作らないことを自分の十字架と決意。
 左記に引用したように、東出隆『大塚陽子論』では、妻子のいる
野原水嶺との結婚の結果、大塚が選んだ「ただ一人も生まず」の
人生と、彼女が持つ圧倒的な母性の同居を見事に指摘している。
 東出さんが引用した短歌から射程すれば、下記の中にある。
ただ一人も生まず終 わむわれを思ふ月の 宵夕顔のしろき花見ゆ
駒岡の畑の夕顔♪久保源氏の物語に続くかな?2007年の7月の花。
ミ カ キチが自宅の、自給自足有機農業畑で育てている夕顔

春の稚魚とらむとする児はげましつつ母性の嘆 きまたふかくする

子を成さぬことをわれへの誓ひと し放恣 のままの年月ならず

祝福を受けざることを励みとし二 人にて ふたりの日を記念せり

〜赤文字は、久保による。

 一方、妻子ある水嶺は、下記のように、なさけなさを歌う(笑)。
この父 をつひに許さぬ二 人子のわが子ながらにいさぎよかりし

 陽子にも中城&寺山のような「虚構」が無かったわけではなく、下記
の歌などはそれであろう。
美しき 潮の荒れ方た とへばふたり入水するならば今をえらべ

 それでも私は、上に引用した「現実」や「虚構」よりも、高度に「抽象」
化させた下記の歌を読む時に陽子の才能を最大に感じる。
みづからを律するこころ弱くしてわ れは何にでも刺繍したがる

 陽子は第一歌集『遠花火』と第二歌集『酔芙蓉』のあと、歌集の出版
をしなかった。水嶺の死後、「私の歌集は二冊で充分です」と言いき
ったそうだ。その言葉に嘘は無いだろうが、
東出さんの『論』24Pから引用すれば、
大塚さんの「水 嶺に丸を 付けて、褒めてもらいたい・・・」(インタ
ビュー『聞き書き』)、「私が詠い続けてまい りましたのは、師でも
あります水嶺に喜ばれたい一心の雅さでありま した・・・」(歌 集
『遠花火』あとがき)、という水嶺のための、渾身を込めて書かれた
作品群

なのであれば、水嶺の死後、歌集はもう必要無かったのかもしれない。

 それにしても、水嶺に愛されようと短歌の修行をし、その結果、中城&
寺山の系譜につらなる栄光を得た第七回現代短歌女流賞を受賞し、
その賞の正賞として得た陶器の壺を、水嶺の骨壷にしたエピソードに
は「虚構」をしのぐ「現実」の恐ろしさと深みがある。
 すでに目が見えなくなっていた水嶺が、この壺を両手で撫でながら
「私の骨壷にしてほしい」と言ったエピソードと、その時に同時に一言、
「いい気になるなよ」と、やんわりと言って陽子をぎくりとさせたエピソード
は別々に発表されているが、今回、東出さんの著書で並べられ、その
二つがさらに「現実」の凄みを冷たく投げ出している。

 不倫などと言うと、もちろん反モラルなのだが、優れた表現者の前で
モラルという概念の出所など無意味である。モラルなどという基準などは
才能のはるか後にこそこそと出てきたせこくて鈍いどぶねずみのような
生き物なのであろう。しかし、それが「生き物」であるからまた、ややこし
くもあるのだが(笑)。
 であれば、むしろ陳腐な幻想にしか過ぎないモラルの存在を認め
たフリをして、モラルの位置から相対的に自分が立っている場所
を言葉によって正確に位置づける行為が、作品の社会化な のであ
ろう。
 大塚陽子の短歌人生とは、それだけだったのではないだろうか。
「裏切る」自由♪現代短歌女流賞まで!
東出隆『大塚陽 子論』 50〜51P。
短歌論ではじまった本著は、短歌論と大塚の作品の一致でクライマックスを迎える。

うぇ〜ん!さ て、ここまで大塚陽子を知ると、彼女と同世代で競い合い、モラル概念の相対化で は引けをとらない(笑)、中城(なかじょう)ふみ子を 再び知りたくなる。
♪中城ふみ子(なかじょう ふみこ、1922年11月25日 - 1954年8月3日)は、日本の歌人。 北海道帯広市出身。北海道庁立帯広高等女学校(現北海道帯広三条高等学校)、東京家政学院卒。池田亀鑑に師事し短歌を始める。本名は野江富美子。中城は離婚した夫の姓。
パラパラ・・・渡辺淳一『冬の花火』
(1975年11月29日、角川書店、初版)
装幀は、林静一!1975年に林静一を使うセンス♪
あとがき。中城ふみ子は、北海道帯広市出身。★辺境の反モラルという自由♪
渡辺淳一『冬の 花火』の 「あとがき」。
とーぜん、大塚陽子の名前も謝辞の中に含まれている。
小説では名前を変えて書かれている方も、ここではもちろん、本当の名前で出ています♪

これは、妹の野江敦子さんのサイン。・・・妹は生きた。 ★ 中城ふみ子♪
渡辺淳一『冬の花火』の「裏表紙」と、「帯」。
裏表紙には、中城ふみ子のの サインが書かれて いた。
・・・古本屋で買ったものですから(笑)。初版本でしたが。
「野江」は、ふみ子の旧姓。実家(=帯広の海産物商。)の苗字。
離婚したため、最後の本名は、野江富美子、である。
癌病棟に果つ、天才美女? ★ 札幌の布団の上ででも♪
当時としては
長身の美人だった、
中城ふみ子。
これは、渡辺淳一原作のずーっと、前。
映画『乳房よ永遠なれ』。
昭和30年代の札幌の大通りや
駅前の町並みなどがロケされている。
チラシは、2004年の
没後50年追悼上映時のもの。
 上記に引用した渡辺淳一『冬の花火』の「あとがき」の中ででも、
さすがの渡辺ですら、「没後21年経っ たとはいえ」と早い時期で
の暴露的な内容に恐縮しているが、乳がんでの死の直後(!)に
もうすでに若月彰『乳房よ永遠なれ』(第二書房、1955年)が出版
され、それを原作に死後わずか1年3ヵ月後には映画化ま でさ
れ『乳房よ永遠なれ』(監督;田中絹代、主演;月丘夢路、日活、
1955年)が大ヒットした。
 映画の原作を書いた若月彰は、わざわざ東京から来て臨終間際
の中城を取材した時事新報社の若く野心的な記者で、渡辺淳一
『冬の花火』の中でも末期がんで危篤状態の中城と連夜のセックス
を病室で繰り返したことが描かれている。
 私が書けることなど虚構かもしれない不確かで少ない情報からの
想像だけだが、明らかに、渡辺淳一が恐縮する以上のことが死後
直後に、全国的に暴露されていたようだ。実像がどうかは分らない
が、間違いなく中城は、スキャンダラスで好色な女として世間に広
く記憶されたことだろう。
 それはまた、若月の「実録」とは違い「小説」としてカモフラージュ
した『冬の花火』であっても、同様だと思う。

 これらを思うとき、「常識」であれば、乳がんで両方のおっぱいを
失って若くして亡くなった女性のセックス歴を暴露し、さらにそれで
金を稼いだことは反モラル行為と糾弾されるかもしれない。まして
や死の直後、さらに21年後の、まだ知人が50歳前後で多く健在で
ある時に、である。
 しかし、私はこれらの暴露によって、ようやく中城ふみ子の人 生
は完成したのだと思う。
 それは、短歌という抒情(じょじょう)が宿命でもある文学が 持っ
てしまう露悪への傾向の延長線上のこと であるのかも しれない。

 中城と肉体関係を持ったと描かれた『冬の花火』の登場人物名と
実際の本当の名前は、下記のようだ。
年齢
本名
小説での名
素性
1939 17歳 樋口徹也
慶応大生。
1941 19歳

旭川の歯科医。見合い。
1942 20歳 中城博 中城弘一 夫。国鉄の技師。離婚。
1949 27歳 大森卓 諸岡修平 短歌会の先輩。51年没。
1950 28歳 高橋豊 大島 帯広畜産大学の学生。
1951 29歳 木野村英之介 五百木伸介 ダンス助教師。
1952 30歳 2月、左乳腺単純癌と診断。4 月、左乳房切 断。
1953 31歳 10月、右乳房へ転移した癌を 手術。11 月、右胸を再手術。
1954 31歳
遠山良行 北海タイムス記者。歌人。

中川純 インターン医学生。
若月彰 高木章次 時事新報文化部記者。

 そして、8月1日、享年31歳で亡くなる。中城ふみ子は、
1922年11月25日生まれである。つまり、大正11年生まれだ。
同年に生まれた有名人は、漫画家の水木しげるや、俳優の
丹波哲郎、野球選手の別所毅彦らで、作家では山田風太郎、
三浦綾子、瀬戸内寂聴、鶴見俊輔、清 岡卓行、塚本邦雄 が
いる。確かに新しい時代の担い手がそろってはいるが、私の
周囲の大正11年生まれと比較すれば、中城の人生はあまりに
もブッ跳んでいる。

 離婚したとは言え、健康な前夫と二人の子供がいながらにしての
この奔放な「恋愛」遍歴、である。いや、奔放などではなく、もはや
これは、疾走する「恋愛」、だ。
 そしてまた疾走しない恋愛は、はたして恋愛であるのか、 という
逆の問いが準備されている人生の実験室だったのかもしれない。

 右に紹介したページは、北海道の無名の歌人=中城ふみ子が、
一夜にして歌壇のスターになった1954年「乳房喪失」発表直後の
情況だ。私がピンク色にマーキングした部分などを読むと、かなり
赤裸々に厳しく批評されている。現在は短歌と言っても無限の種類
があるよーなので、このようなストレートな批判に巡り会えることは無
い。批判された中城にとってはかわいそうだが、ここまで批判者も、
自信を持ってののしっていることは、現在の中途半端な批評情況か
ら見れば、むしろうらやましいぐらいに健康的だ。

 それよりも一読、あっと思うのは、これらの「ののしり」は、この半年
後に18歳で同賞の第二回を受賞する寺山修司に向けても通用す
る言葉ばかりであることだ。

 こうも2受賞者が連続して、似たような傾向を持っているのは、選
ばれた側にではなく、選んだ側に、ある種の意図があったと勘ぐり
たくなる。もちろん、この場合の「ある種の意図」とは、否定的なもの
ばかりではなく、ややもすれば硬直化しやすい師弟制度の根強い
歌壇という業界に「爆弾」を投げ込み、歌の本質から業界を再編し
ようという高いココロザシからの生産的なたくらみが主な動機である
と私は思う。
 それを裏付けるのが、下記に引用した当時の編集長、中井英夫
の回顧だ。
この強さ。そして、弱さ。最後まで、生きた。 ★ 中城ふみ子♪
渡辺淳一『冬の 花火』 182P〜183P。
1954年、「乳房喪失」が、中井英夫に見出され第1回「短歌研究」50首詠に入選。

これもまた、「戦い」。編集という作品。★ 中井英夫(なかい ひでお、1922年9月17日 - 1993年12月10日)というスフィンクス♪
小笠原賢二「現代文学のスフィンクス 〜『中井英夫作品 集』によ せて〜」より。
(雑誌『季刊 月光』1988年4月号 1号に掲載。)
 中井英夫が編集者人生を賭けるかのように捜し出し、選んだ新人
たちの名前がスゴすぎることに驚く。
 私にとって、1950年代、とゆーよりもビートルズがデビューした、
1962 年(= 私の生まれた年・がくっ。)以前の、つまりロック以前の
文化状況というのはよく判らないものであった。しかし、こうして知っ
た名前をながめていると、1950年代の青春、表現への激しい焦燥
感が見えてくるような気がする。

 もちろん、そのキーワードは「短歌」、だ。
この大きな磁場の渦中に大塚陽子も、いたのだ。
・・・「いた」。その手前が、「選んだ」、である。なぜ、1950年代の
敏感な若者は「短歌」を選んだのだろうか。
 文学であれば、詩、小説、もしくは俳句でも良かったはずなのに。

 まさに、始まりの1950年、中城が28歳の時の作品を紹介しよう。
北風に青き事務服吹かれゆく母には母のかなしみありて

たとえば、この短歌の前半の5・7・5の部分だけ、
北風に青き事務服吹かれゆく

でも、「北風」とゆー季語が含まれた俳句として成立する。
しかし、その事象の写生だけでは満足せず、さらに
母には母のかなしみありて

加えなければならない抒情 が、短歌 の過剰なのだ。
若さとは、「過剰」ということなのだ。
ときに、言いすぎ、ときに、過激に走り、いつも、無駄を繰り返す。

 で、さっそく過剰な蛇足(がくっ。)だが、
「なぜ、久保のように無駄ばかりな男が短歌に向かわないのか?」
とゆー疑問も出てくるであろう(→出ないか・笑。)。
 それは、私の俳句にはすでに短歌の過剰さが内包されている
から、なのだ。
 たとえば、この中城の短歌を、『共犯 句集』風にすると、
北風や母には母のかなしみが

と、なるから、私には短歌に向かう必要が無かったのだ。
・・・え?「それが無駄話」?・・・がくっ。

 それでも(?)、一瞬にして俳句から短歌へ転向した男がいる。
寺山修司(1935年〜1983年、享年47歳!)、だ。
 寺山の人生は他ジャンルへの越境の繰り返しだ が、そのスタート
が、「俳句から短歌へ」だ。
 青森高校の生徒だった寺山は、全国の俳句少年に呼びかけて
同人誌『牧羊神』(1954年〜1957年)を発行しているが、高校卒業
の間近に次のような手紙を書いている。
十代ばかり の爆弾的なグ ループを結成して俳句史に残る
運動をしよう。

僕の俳句観。私小説性を排してモ チーフの範囲をひろげること

インスピ レーションは待 つものではなくて、
自分で導かなければならない

いかにも、寺山らしいアジテーションである。
寺山は最初から、寺山だった、わけである。

 しかし今、考えたいのは、こんなに熱い俳句熱を持っていた寺山が
なぜに一夜にして俳句を捨て、短歌に向かったのか?という点だ。
 実は、その答えが、中城ふみ子なのである。

 早稲田大学に入学した寺山は、中城の短歌「乳房喪失」に感動
し18歳で短歌に転向する。中城は「乳房喪失」発表から4ヵ月後に
死んでしまうのだから、この1954年春の、中城、中井、寺山の一瞬の
奇跡のような交差がもし、少しでもバランスが崩れていたら・・・、と、
歴史の不思議を想ってしまう。

 寺山が俳句には無く、中城の短歌に見出したものは、圧倒的な
「物語」だと思う。しかも、中城が描く「物 語」に は、甘美な「虚構」の
誘惑も存分に含まれていた。それこそがその 後の寺山 を寺山にしたも
のなのだ。
 その後の寺山の変遷を見ると良く分る。
 「俳句」→「短歌」→「詩」→「ドラマ」→「演劇」
 物語の度数は過剰に駆け抜けてゆき、虚構の魔法が息苦しいまで
にばらまかれてゆく。その最初のトリガーになった「短歌」を寺山に差し
出したのが、中城なのだ。

 そして、中井が選び、捜し出した寺山の受賞作「チエホフ祭」(原題
「父還せ」)50首が、中城に続く第二回「短歌研究」新人賞を受賞。
先に述べたように中城に引き続き、寺山の受賞作も大批判を受けた。
ただし、寺山の場合は有名な俳句からの”盗用”も大きな問題となっ
たのだ。今風に良く言えば、リミックスなのだが(笑)、当時はリミックス
とゆー言葉も概念もまだ無かった。
 このことを述懐して、歌人の岡井隆は、
盗まれた方が負けなら、それだけのこと
と、言い放つ。・・・かっこいい(笑)。
若き寺山修司のスタート・ライン。 ★ 俳句を去り、中城ふみ子から始まった♪
中井英夫「さむ き視野」 より。
(雑誌『現代詩手帳』 臨時増刊『寺山修司』1983年11月、に掲載。)

帯広から中央へ。 ★ 中城ふみ子の危篤セックス♪
渡辺淳一『冬の花火』268P〜269P。
末期がんで危篤の女性が、イケメンにセックスをねだるシーン。
 ついでに(笑)、渡辺淳一のブンガクについても少々。正直、私は
渡辺淳一なんぞ一生、読まないで終わるもんだと思っていた。
 どーも、『失楽園』やら、『愛の流刑地』のイメージがあり、セックス
描写が得意な大衆小説家、って印象からはみ出ていなかった。まぁ
その両方の小説が連載されていた日本経済新聞を愛読している私
は、いつのまにか、ちゃぁ〜んと、新聞で読んでいたんだけど(笑)。

 で、この『冬の花火』も、主人公の奔放な男性遍歴が有名なものだ
から、私は読む前は、その男性遍歴を利用してセックス・シーンを
書きたかったのか?などと、みごとにゲスのかんぐりんぐしてた。

 ところが、この小説の最初のセックス・シーンは、こうだ。
十月の末に、諸岡から十勝川温泉に誘われて以来、二人は単
なる恋人同士ではなくなっていた。

・・・おいおい、これだけかよ(笑)。これじゃ、テレビじゃん。

 それが、小説が進むにつれ、少しづつ、表現が大胆になってゆく
のだ。左に引用した箇所も、文学的技術の向上が見られる。

 つまり、この1970年代初期、渡辺の40歳前後に書かれた本作は
書きながら作家が文学的成長をした時期なのではないだろうか。
それが分るぐらい、前半と後半ではブンガク度数がグンと違うのだ。

 そして医療小説家としてスタートした渡辺のブンガク的「成長」を
準備したのが、描くことによって擬似的伴走者となった中 城より
子であったのではないだろうか。実際、『冬の花火』の書き出しは、
まだ存命中のモデルが多い中、必要以上の気配りにより、小説とい
うよりも、読者の興味を引くために演出を少し加えたノンフィクション
という色合いが強い。
 ところが、1年8ヶ月に渡る連載の中で、渡辺は中城の短歌に強く
影響されていったのだと思う。さらに、連載されたのが雑誌『短歌』
であったことにより、歌人たちからの注目も意識せざるをないだろうし
その環境の中で短歌を吸収する能力も開花していったのだと思う。
 そして、小説は時系列に進むのだが、それは当時の中城の短歌
が深みを増してゆく時間でもあり、渡辺が短歌の深みにより堕ちて
ゆく時間でもあったのだ。
 俳句と比較しての短歌の「過剰」さとは、小説家にとっては、 ず
ばり「物語」のことなのだ。中間小説 家、渡辺にとっ て、あまりにも純
文学な中城の短歌はまぶしい存在として日々、光を増してゆき、それ
がフラクタルに創作中の渡辺の作品に「物語」の魔境を超えさせたの
だと思う。

 そして私は、『冬の花火』と同時期に書かれた渡辺の青春時代の
甘く厳しい回顧小説『阿寒に果つ』を想い出す。ここで描かれた高校
3年生で自殺する渡辺の恋人、天才美少女画家を思い出して、彼は
2006年に朝日新聞のインタビューでこう回顧している。
 「常 識を覆す芸術な るものと、女性の不可解さを教えられた」

 この言葉は、そのまま中城にも向けられるはずだ。それを証明した
のが、小説『冬の花火』でもあったと思う。
 つまり、『冬の花火』は作家=渡辺淳一自身の「成長小説」でもある
のだ。

 二人の子供がいながら次から次へと肉体関係をともなう恋愛を重ね
る中城の日常生活は、帯広のような田舎では常識ハズレであり、反
モラルであったはずだ。しかし、だからこそ中城は自分の反モラルぶ
りを肯定も否定もせずに、短歌という美をともなった「物語」にとじこめ
ることで「生」のバランスを保ち続けたのだと思う。
 渡辺が『冬の花火』を書き出した当初は、スキャンダルのデパートの
ような中城に芳醇な「物語」を求めたのだろうが、書き進み、短歌の奥
に触れられるようになった時、既存の存在であると思っていた「物語」
とは中城が命がけで生きた「虚構」であり、それこそが「文学」であると
気がついたのであろう。もちろん、渡辺が気がつくことができたのは、
高校時代の天才美少女画家との「常識を覆す」体験があったからだ。

 小説を本気にさせる純粋な「物語」を抱え込んでいる「短歌」。そこ
にこそ、短歌論の中心があるような気がしてならない。
 そして、大塚陽子もまた、そんな短歌の歌い手の一人だったのだ。

『共 犯新聞』パラパラ・・・文学部Eメ〜ル部室
ローラに花束を!ミカ キチ部長 VS うぇ〜ん!久 保部員

うぇ〜ん!ミカキチ部長、渡辺淳一の小 説『冬の花火』の中で、
大塚陽子は、どの登場人物なのかな?
たぶん、短歌の結社『新墾(にいばり)』に誘った
「村尾祥子(=しょうこ;ようこ、で音も似てるし。)」か、
その「新墾」に最初に参加した時に、村尾から
「あの人が逢坂満里子よ、いま売り出し中の女流よ」と小声で
教えられた「逢坂満里子(=おうさか;おおつか、も似てる。)」か?
それとも、その両者を合わせたのがモデルかな?
私はたいていのことは判るんだけど(がくっ。)、
これはミカキチ部長から教えてもらいたいとこです(笑)。

ローラに花束を!わかんない。どっちも私が東出さんの文章で得た
大塚陽子の印象とは全然違うんだもん(笑)。

うぇ〜ん!あと、ミカキチ部長は、渡辺淳一パラパラ・・・『阿寒に果つ』は、読んだ?
これは、渡辺淳一がミカキチ部長の母校でもある札幌南高校の
生徒の時、学校の図書館で夜ごとあいびきを重ねて、
酒とたばこと接吻の味を覚えた相手、天才美少女画家、
加清純子(かせい・じゅんこ、1934年〜1952年)がモデル。

ローラに花束を!例によって、読んでないけど内容はだいたい把握し てる(笑)。
何で読んだかわすれちゃったけど、
今はもう一般常識になってるんだろうけれど
死ぬ前に付き合ってた男の窓辺に花を置いて廻ってるでしょ。
で、それ、どの人も(渡辺淳一も)、最初、
「やっぱり自分こそが本命だったんだ」って
創作意欲を猛烈に上げられたらしいよね。
で、後に他のヤツも花を貰ってると知って、がくっ。みたいな〜(笑)
でも私そのエピソードにすごく胸が詰まったんだよね。
なんていたましいんだろうって。
美人が、美人の役割に潰されちゃったん だね。
若い時に成功してしまうという、罠だよね。
わがままのままで、最後まで、生きた。 ★ 中城ふみ子♪
渡辺淳一『冬の 花火』 280P〜281P。
おそらく、書名はこのシーンから。
渡辺はここで、ふみ子特有のオリジナルな孤独の描写に成功している。

阿寒に果つ、天才美少女? ★ 札幌南高校から始まった♪
渡辺淳一『阿寒に果つ』の
時任純子のモデル・加清純子。
五十嵐じゅん!渡辺淳一原作の、映画『阿寒に果つ』。加清純子と渡辺淳一。画家にもカーネーション?・・・1970年代の渡辺淳一。 ★ 札幌南高校から始まった♪
渡辺淳一原作の、
映画『阿寒に果つ』。
主演は、五十嵐じゅん。

加清純子と渡辺淳一。画家にもカーネーション?・・・1970年代の渡辺淳一。 ★ 札幌南高校から始まった♪
加清純子と、小説家・渡辺淳一『阿寒に果つ』
(『朝日新聞』 日曜版「be on Saturday」2006年3月11日、1面に掲載。)
うぇ〜ん!ミカキチ部長なら、何人の 男性の窓辺に
自分の使い古しの引退ブラジャーを置いて回るのだろうか。

ローラに花束を!私はそんなことする必要ないんだよ。
ちゃんと、愛したことがあるからね。 愛されたこともあるしね。
彼女は、結局、その経験をしないで終わったから、
「証」が欲しかったんだろうな。覚えていてもらいたかったんだろうな。

うぇ〜ん!きっと、あの女は、単 なる「あわてんぼう」なんだろうな。
偶然にも、『阿寒に果つ』が扶桑社から35年ぶり(!)に
文庫化されたらしーよ。
またしても、ぐうぜん(笑)。
で、今 回の文庫化は、渡辺淳一の主人公の評伝などが
加わっているリミックス版(笑)らしいね。

ローラに花束を!『阿寒に果つ』、もう借りてきた(笑)こーゆーことは素早い。

うぇ〜ん!加清純子は、中学校3年生の時に、画家の
菊地又男(1916年〜2001年)と阿寒湖に写生旅行に行ってる。
菊地又男は、故・ 坂本順子と同じ美術グ ループ『新道展』の仲間だよ。
『阿寒に果つ』は1973年に刊行され、1975年には、
五十嵐じゅん(現;五十嵐淳子=中村雅俊の奥さん、だよね。)
主役で映画化もされたんだけど、
作者自身も登場する小説『阿寒に果つ』が、
1972年〜1973年に連載され、1975年に単行本化され た
『冬の花火』とパラレルのような気がする私 なんでし た〜。

ローラに花束を!それは、読みながら私も思った。
うぇ〜ん!ミカキチ部長のおともだち のカフェ☆コーヒーの湯気。『キコキコ商店』
裏手にある(笑)、『渡 辺淳一文学館』には、
加清純子が渡辺淳一にあてた詩の形式をしたラブレターや、
ツーショットの写真、純子が参加した同人誌『青銅文学』も
展示されているんだって。そこでおませな(笑)純子は高校生で
「二重SEX」という大胆な小説や挿絵を寄稿していたらしいよ。
で、その同人誌『青銅文学』主宰の岡村春彦(現・演出家)とも
恋人だったらしい!文学館、行きたくなったでしょ(笑)?

ローラに花束を!行く(笑)。文学館、コンサート聴きには
何度も訪れているのに、展示を見たことが無いの!
そうそう、キコキコご主人のキコキコご主人の絵〜。☆コーヒーの湯気。末木氏は、
せっかく『渡辺淳一文学館』の傍に来たのだからと、
渡辺淳一を読破しようと、読み始めて、初期の作品の素晴らしさに
びっくりした。と言ってたよ。えらいなあ(笑)そうでなくちゃ。

うぇ〜ん!2014年オープン予定の『ミカキチ文学館』にも、
ラブレターは展示されるのかな?

ローラに花束を!お判りのように、屈折したかっこつけぇの私は「文 学館」などと
いうダサいもの設立を許す気はございませんの。でも、
ラブレターは、『乱暴者の仔うさぎ日記〜Strauberry Fields Forever』
というタイトルで、発表されるかも知れない。

うぇ〜ん!それは生前?


美少女の社会的役割。最後まで、生きた。 ★ 画家と、赤いカーネーションの旅♪
加清純子と、画家・菊地又男
(『朝日新聞』 日曜版「be on Saturday」2006年3月11日、2面に掲載。)

1948年、ねずみ年の旅。純子と、菊地又男★ 中学生の旅から始まった♪
展覧会『菊地又男 展』図録100P 「年譜」より
(1998年9月5日〜10月11日 札幌、芸術の森美術館で開催。当時、菊地は82歳。)

坂本順子さんも交差した人。 ★菊地又男1953年アトリエ訪問♪
展覧会『菊地又男 遺作展 1916−2001』図録26P
(2001年12月6日〜11日 札幌、大同ギャラリーで開催。)
加清純子は高校三年生の、1952年1月23日に自殺した。
自殺直前の深夜、男たちの家の前に、一輪のカーネーションを残して失跡した。
雪道にひっそりと置かれた、謎めいた花の「赤」。
雪解けの4月、純子は阿寒湖を見下ろす釧北峠で凍死体となって発見された。
上記の写真は加清の美しい死体が発見されてから、ちょうど1年後のものだ。
私が、ふきたんぽぽ嬢から、菊地又男の画趣をもらった時の礼状。
2006 年11月30日 (木曜日) 3:09pm
菊地又男 『遺作作品 集』
4年〜5年前に新道展の企画展「ドローイング今、この空間展」で、今は亡き菊地 又男・阿部 国利さんらが6日間制作過程を公開し、その翌々年には「紙によるインスタレーション展」で、同じく6日間制作過程を公開した展覧会を行ったのを思い出しました。
ふきたんぽぽ 姉さん、久保元宏 です。

今日、菊地又男さん(1916年〜2001年) の
『遺作作品集』(2001年12月6日発行)が 届きました。
ありがとうございます。
2001年7月1日に菊地さんが亡くなり、あのNY911を 挟んでの年末。
まだ私が土足で入っていない時期の札幌画壇です が、
何か虚無的な匂いが今も届いてきそうです。

後付の「協賛」に、坂本順 子さん、灰ORALの 名前がありますね。
作品「バルセロナによせて」(1992年)、
「レジャーランド」(1993年)は、カラフル な坂本順子という感じ ですね。

菊地さんの若い頃の髪型がいいですね。自由、で すね。

巻頭の挨拶文を書いた阿部国利さんも、この後、 すぐに亡くなりました ね。
阿部さんが亡くなり、坂本順子さんが新道展をや めた直後からが
私のギャ ラリー通いが始まりましたの で、
明日の「ギャラリーどらーる」最後のオープニン グ・パーティの前日 に、
この画集を手にできた偶然がまた、『共犯新聞』 的です。
がくっ。

いずれにせよ、もし坂本順子さんが亡くならず、
「ギャラリーどらーる」がまだ続けば、
北海道の画壇にもまだ&まだ魅力的な磁場が継続 できたと思います。
もし、そうでなくても、私のような者がソレを引 き継ぐべきだったの か?
いえいえ、ソレは下手なジョーク。

また明日、 「ギャラリーどらーる」最後のオープニング・パーティ
下手なジョークを言い合うことでしょう。
菊 地 又男
(1916年〜2001年)
札幌生まれ。
審査なしで自由に出品できる展覧会
「北海道アンデパンダン美術連盟」や、
北海道初の前衛的集団「ゼロ美術同人会」を結成。
兄は、画家の菊地精二。


うぇ〜ん!さて、ハナシは例によって、どん&どん脱線する(笑)が、下記のよなブ ログがある。


うぇ〜ん!反モラルは、「世間」の前では殺 される。しかし、優れた表現は「世間」を超えることができる。
そも&そも、「モラル」とはナンだ?とゆー相対的な原点に立ち返ることができるし、それは「モラ ル」に とっても常に必要なこと。
もしも、私たちが遠くまで来てしまい、ここがモラルの辺境か、と立ち尽くした時に、
口からこぼれる短歌があったとしたら、全身でそれにしがみ付いていればいい。
その最後の杭を手放すな。
そして&いつか、お前がその杭になる日もくることだろう。
ロケンロー。またしても、交差した書物。 ★脳味噌の棚卸し♪共犯書斎からずっと。
今回の共犯特集で参考にした共犯書斎に転がっていた文献 たち。
夜が明けたら、 東出さん にお礼のハガキを出しに行こう。
夜が明けたら、東出さんにお礼のハガキを出す。 ★脳味噌の棚卸し♪共犯書斎からずっと。