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柴田翔パラパラ・・・『されどわれらが日々―』

パラパラ・・・栗本薫 & 中島梓

リミッター 機能障害

もしくは、

過剰なるもののゆくえ


栗本 薫 (くりもと・かおる、1953年2月13日〜2009年5月26日)
小説家、評論家。
代表作は『グイン・サーガ』、『魔界水滸伝』、『伊集院大介』シリーズなど。
『グイン・サーガ』は序盤が英、独、仏、伊、露の各国語に翻訳されている。

中島 梓 (なかじま・あずさ)の名で、評論活動や作詞作曲、
ピアノ演奏、ミュージカルの脚本・演出なども手がけた。
最初の評論集『文学の輪郭』は、1977年に群像新人文学賞評論部門を受賞し、
彼女の出世作となった。

本名は、今岡 純代。旧姓は、山田。

夫は元『SFマガジン』編集長の今岡清(現・天狼プロダクション代表取締役)。



text by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (更新日;2009年9月18日 金曜日 1:58Am)
★私好みのものを拾ってる、というのもあるから、私の好みがつかめた、でもあるとは思うのだけれど
死亡を伝える新聞各紙。
しかし、のりピーマンモスらりピー騒動の百億分の一以下。

★作家という野生。
朝日新聞 2009年8月9日 日曜日
うぇ〜ん!これから私が書くのは、
栗本薫=中島梓とゆー二つのペンネームを持った作家を
めぐることなんだけど、
それは、「めぐる」だけで、「について」では、ない。

それは、彼女の短い生涯ながら鬼のように書きまくった
400冊の著書を、私はほとんど読んでいないことからも、
「について」を書く資格も、興味も、ない、とゆーことでもある。

栗本薫=中島梓「について」であれば、
←左に添付した朝日新聞の追悼記事がすばらしい。
これがあれば充分だと思う。
だから、「反則」を承知で添付した。

それでも私が、彼女を「めぐる」ことを書かずにいられないのは、
左の記事に書かれている狂気の過剰な筆力にいたる、
その最初の姿を、私は強く印象付けられているからだ。

「最初の姿」、とは、
マンガ評論誌『だっくす』1978年12月号に
彼女が書いた、
「マンガ戦線 共闘せよ!」とゆー文章だ。

1978年、栗本薫=中島梓はまだ始まったばかりだった。
  • 1953年2月13日 - 東京葛飾区の裕福な家庭で、生まれる。
  • 1971年3月 - 跡見学園高等学校、卒業。
  • 1971年4月 - 早稲田大学文学部、入学。
  • 1975年3月 - 早稲田大学文学部文芸科、卒業。
  • 1976年7月 - 評論『パロディの起源と進化』(別冊新評『筒井康隆の世界』掲載)で、商業誌デビュー。
  • 1976年 - 『都筑道夫の生活と推理』で、第2回幻影城新人賞評論部門佳作を受賞。
  • 1977年 - 『文学の輪郭』(中島梓名義)で、第20回群像新人文学賞評論部門を受賞。
  • 1978年 - 『ぼくらの時代』で、第24回江戸川乱歩賞を受賞。

★その話を受けてこの話にすぐいける人って、他にいないな。と思って 本当になんて非凡な人だろうと思ってこっそり殆ど震えながら聴いていた私なのでした(笑)
私が何度も引越しを重ねながらも、
高校時代から捨てられない(笑)、マンガ評論誌『だっくす』。
1979年から書名が『ぱふ』に変わって、現在も続いている。

しかし私が熱心に読んでいたのは、
今も手元にある、「1978年6・7月号」から、「1979年10月号」の時期のみ。
それは私の高校2〜3年生の
ナマイキで情けなかった時期。
栗本薫=中島梓は、25〜26歳の新人文芸評論家だった。
★だっくす奮闘。
★『だっくす』の歩みは、ハイタカよりも速く、そして遠くまで。
うぇ〜ん!思い返せば、『だっくす』は、
あの誰もが失語症になってしまってもおかしくない1970年代、
希望と可能性の吹き溜まりのようだった。
ただし、すべての革命が無名の場所で無名の者によって
中央とは無関係に自然発生されるように、
『だっくす』は当時の思想情況とはまったく無縁であった。
そのことを書き手も編集者も、そして読者も無自覚であったからこそ、
今、振り返ると愛おしい。
彼らは「時代の思想を背負おう」とは思わずに、
ただ単に「マンガが好き」なだけであり、
そしてそれがまっすぐ「時代」と「思想」を貫通していたのだから。

『だっくす』のクオリティの説明を担保するために、
ライターの一部を紹介してみよう。
真崎守、村上知彦、竹宮恵子、斉藤次郎、やまだ紫、秋竜山、畑田国男、
まついなつき、白井佳夫、香月千成子、橋本治、小野耕世、柴門ふみ、
湯田伸子、才谷遼、森雅之、川本三郎、石森史郎、矢崎泰久、北川れい子、
竹中労、斉藤正治、持田幸雄・・・・・・
そして、栗本薫=中島梓、である。
時代がまだ1978年であることを忘れないでほしい。
柴門ふみなどは、まだ漫画家ですらなかった。
橋本治も全共闘くずれの、『桃尻娘』のエロ小説家にしかすぎなかった1978年。

うぇ〜ん!私が今、語りたい「マンガ戦線 共闘せよ!」は、
A5サイズの雑誌に、たっぷりのイラストを含んでの5ページ。
ここに添付したのは、その最初と最後のページだ。
中抜きで恐縮だが、たぶん下書き無しで(=締め切りが過ぎていたんだろうな。)
一気に自動筆記のように書かれた文章だが、スピード感だけではなくて
全体のバランスも情報の取り入れ方も完璧だ。
なにより彼女には、言いたいことがまずあり、
それを読者に100%伝えることができる文章の魅力がある。

←最後のページに書かれている
いつも必ずマンガというジャンルは
底のほうで怪獣誕生の地鳴りがきこえているジャンルなのだ

とゆーフレーズは、感動的だ。
そして、それははからずも雑誌『だっくす』自身の自己紹介にもなっていると思う。

私が何よりも強く印象付けられたのは同じ最終ページの、ここだ。
マンガをかきたいものはマンガをかき、
かきたいのに絵のかけない私みたいな子は文章を書こう。
事情は絶対によくなりつつあるのだ。

ここを読みたいがために、高校生の私は何度も最初から読み返したものだ。

当時の私は気がつかなかったが、この部分は、
当時、世界中の音楽シーンで同時多発に起こりだしていた
パンク=ニューウェーブの流れと完璧にシンクロしている。
絵も文章も書けないものが、ギターを持ったのだ。

うぇ〜ん!そして、栗本薫=中島梓はそれから31年間、鬼のように書きまくった。
その数、400冊。
「初志貫徹」?
いや、たぶん下書き無しで(=締め切りが過ぎていたんだろうな。)一気に自動筆記のように、書いただけなんだろうな。
あのまんま。
あの、1978年の、そのまま。ずっと。
書きながら彼女の頭にあったことは、ただひとつ、「事情は絶対によくなりつつあるのだ。」、のままだったのだと私は思うのだ。

そして、それが私が書きたかった栗本薫=中島梓を「めぐる」ことの、ぜんぶだ。



ジョンの殺され方。Wow! ★映画ジャンキー♪