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2009年7月11日 土曜日 午前10時59分私よりずっと深く気温15.1℃←■昨夜、東出センパイが送ってくれた姫野カオルコのFAXを読む。これを中心にまたインソムニア語りをしたいな(笑)。

また遅い返信です‏ 「人を殺す」ことと、
「人を産む」こと、
そのどっちのほうが
罪深いのだろうか?


もうずいぶん前のことになるけれど、
「人を殺す」ことと、「人を産む」こと、そのどっちのほうが罪深いのだろうか?と、考えていたことがある。
それは私に初めての子供が産まれたときのことだ。
生きたい人にとって、その人を「殺す」ことは間違いなく暴力だけど、
同じように、
死にたい人にとっては、その人が「産まされる」ことはつらいんだと思うのだ。

しかし、当然のように産まれてきた私の子供はまぶしいぐらいに「生きること」を全身で喜んでいるようで、
そうなれば、「産む」ことの罪深さを考えること自体が、罪深いのではないかという永遠の地獄ループにはまってしまった。

そして今夜、
「小説を読む」ことと、「小説を書く」こと、そのどっちのほうが罪深いのだろうか?と、考えている自分に気がついた。
そう。私はまた今夜、姫野カオルコを読んでいたのだ。

2009年1月12日、私はやっぱ、映画館で観たい♪2本の映画を観る前に、ブック・オフ札幌南2条店で姫野カオルコの古本を3冊買った。
4つの血が立っていた。桃をひとつ、むいた。永劫回帰するから生きている。
私が、この3冊を買ったのは、これしか売っていなかったからであって、この組み合わせは偶然にすぎない。
しかし、この3冊は、それぞれ、特異なシチュエーションをあえて設定することにより、
その自らしつらえた高いハードルを飛び越える「芸」そのものに劇的な環境を準備した作品群、とゆー大きな共通点を持っていた。
ここ数年、登場してきている「達者」なエンターテイメント系の小説家は、ほとんどが、
このようなシチェーション・プレイの設定の奇抜さと、その「つじつまあわせ」の手品で客を呼び込んでいるかのようだ。
古川日出男しかり、恩田陸しかり、伊坂幸太郎しかり、森見登美彦しかり、などなどしかり、だ。
たしかに、戦争も革命も無い現在、「劇的」なるものを求めるとすれば、それは人工的なシチュエーションとならざるをえないのかもしれない。
で、私が買った姫野カオルコの3冊も同様に、まずはそれぞれに奇抜なシチュエーションが与えられている器である。
本が売れない時代のエンターテイメントとは、時代への嗅覚であり、たいこもち芸でもあるのだろう。
姫野カオルコの「入り口」がそれであることは私も認めるし、またそれすらも「達者」である非凡さに心地よい驚きも感じてきた。

しかし、それは「入り口」にしかすぎないのである。
我々は、自ら喜んで入っていった「入り口」の奥地で、体験してしまうのだ。

できれば後ろ触るのはやめて欲しい・・・痛い方が大きいし。
作品名シチュエーション★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
活字のすきまへ、ツ、イ、ラ、ク。姫野カオルコ
『四角関係』
(1992.10.30、初版、
講談社)
定価\1200
→古本\650
またしても姫野らしい
トリッキーなタイトルだが、
なんのことはない、血液型の話。
つまり、A型、B型、AB型、O型の
それぞれの血液型が違う4人が
同じシチュエーションで、
どう違う行動をするかを描き分けた。
良薬の
ふりをした
毒(笑)。
活字のすきまへ、ツ、イ、ラ、ク。姫野カオルコ
『桃』
(2005.3.31、初版、
角川書店)
定価\1470
→古本\750
名作『ツ、イ、ラ、ク』で書かれた
「あの出来事」が、同じ時に
長命中学にいた脇役たち
6人には、どんなふうに映ったか。
彼らそれぞれに流れた時間を
慈しむように丁寧に描かれた
6人づつ6つのスピンアウト短編集。
『ツ、イ、ラ、ク』を
読んでしまった者には
いとおしさがある世界
なのだが、実はその
世界も現実世界と同じ
ように複眼的である
というさらなる魅力。
山奥のすきまへ、ツ、イ、ラ、ク。姫野カオルコ
『コルセット』
(2006.9.20、初版、
新潮社)
定価\1365
→古本\700
第一話のラストが第二話の冒頭、
第二話のラストが第三話の冒頭で
ラストが第四話の冒頭、
そしてラストはまた第一話の冒頭に
もどるというロンド形式になった四編。
それぞれを違う「わたし」という女が
語っている。4人の女の4つの告白。
『桃』のような
深みは無い分、
あえて擬古的な
言葉の多用などの
実験を行っている。
言葉こそがエロス
だから。その発見。
って、こんなこと真面目にメールで書いてるなんてさすがの自分でもどうかと思う。

「罪深い」、とは何だろうか。
私は、それは「神の目線」に侵犯することだと思う。
「人を殺す」、「人を産む」、そして、「小説を読む」、「小説を書く」。
それらは、人間の分際で「神の目線」に侵犯しようとする行為だから、「罪深い」のだ。

ひとりの人間は、ひとりの人生しか生きられない。
しかし、同じ時を、複数の人間が生きているわけで、それら全ての人生をわしづかみにしてしまうのが、「神の目線」だ。
姫野カオルコが執拗に手を変え品を変え繰り返すシチュエーションは、より複眼的に時を見つめようとする方法であり、
そこにこだわる彼女が愛しているのは、ひとりの人間ではなく、無数の人間が同時に生きている、「時」そのものなのではないだろうか。

神と罪のパラノイアからはみだそうと、物語を自分のものにする方法として「自殺」と、「小説を燃やす」、がある。
それらは、自らが完璧な支配者になることである。つまり、その行為によって、自分が擬似的な神として完成されるということだ。
私はいつか「自殺」の代償として、「小説を燃やす」かもしれない。
そのときに選ばれる本として、ドストエフスキーはもっともふさわしいが、
ふさわしいばかりが正解ではないのが、またしても神の世界だ。

もしかしたら、そのときに燃やされるべき本は、姫野カオルコの小説なのではないか。
と、思いながら私はまた今夜、姫野カオルコを読んでいたのだ。

text by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (更新日;2009年4月4日 夜)

「下手に上手く説明できてしまう自分であるが故に、つい相手を説得できてしまう(自分をも説得できてしまう)論理を展開できることへの怯えと罪悪感」みたいな。
2009年4月6日、姫野カオルコ『コルセット』の中で効果的に登場するミネラル・ウォーター「Contrex (コントレックス)」を、ケースで(笑)買った。
フランスのコントレックス村で採れる湧き水。
コントレックス村は、フランス北東部・ヴォージュ山脈にある。
コントレックス村の隣町は、Vittel(ヴィッテル)。こちらも日本ではお馴染みのミネラル・ウォーター・ブランド。どちらも高級リゾート地として有名。
硬度が1468と極めて高く、カルシウム、マグネシウム、サルフェートの含有が特徴。
マグネシウム塩のためか、薄い生臭さがあり、それが無味ではないことになり、水道水や他のミネラル・ウォーターとの違いを感じさせる。
私は好きな味なんだけど、難点は、あまりにも、うさんくさい(笑)ラベル・デザインだな。
それにしても、小説に登場しただけでこんなに買うなんて、我ながらミーハーだなぁ。
がくっ。


人喰い部会長〜♪ノンちゃん純情


text by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (更新日;2009年3月11日 4:24Am)

ノンちゃん、とゆー天才がいる。
凡才な君のために、あえて「天才」の定義を書いておくと、
(あー!めんどくせーな。いいか、一回しか言わねぇーぞ!)
天才とは世間を超えている存在である。
つまり、「天」の「才」だから、天才なのである。
だから、おろかな世間が理解できるものは、なべて天才ではない。
それは、単なる「秀才」にしかすぎない。

たとえば、ノーベル賞とゆーものがある。
それは、凡人が与えるものである。
つまり、凡人でも理解できるものにしか、与えられない。
もちろん、天才であるノンちゃんにはノーベル賞は与えられていない。
ノーベル財団ごときが、ノンちゃんの才能を理解できるわけはないのである。
ノンちゃんにノーベル賞が与えられていないという事実が、
ノンちゃんが天才であるとゆーことを、はからずも証明しているのである。
ほら、みろ。
お次は、ワインだべさ!
今宵もパチンコ屋のネオンを見つめながら・・・♪
ぷぴー!で、がんす。
時には美しい調べに身をまかせ・・・♪
そんなノンちゃんは、ジョン・レノンが嫌いである。
嗚呼、なんてすてきなんだ君は。
ジョン・レノンが嫌い、なんて、サイコーに勇気がいる発言である。
ノンちゃん以外でそんなことが言えるのは、
エルヴィス・プレスリーと、ニクソン元・米大統領ぐらいではないだろうか?
(蛇足だが、プレスリーもニクソンも、ノーベル賞を受賞していない。)

その他、ノンちゃんは白洲次郎も嫌いだ。
(たぶん、白洲次郎もノーベル賞を受賞していない。よっちゃんが言ってた。)
で、すごく嫌いなのに、すごくいっぱい白洲の本を読んでる(笑)。
なぜムカムカするのか?が解りたくて、ついつい色々読んでしまうらしい。

でも、ジョンも白洲も生身でノンちゃんの前に現れたら、
ノンちゃんは惚れるんだろうな。
私が「文章がいっぱい湧いてくるものが好き」とゆーのと、同じ意味合いで、
ノンちゃんはそれらを「嫌い」≒「解りたい」、というのがあるんだろう。たぶん。

だからノンちゃんの「嫌い」は凡人の「好き」より、深いところで「愛」に近い。

凡人がジョンや白洲を「理解」せぬままに、
「かっこいい」とか、「好き」とか、ましてや「尊敬するなりけり」とか言うことの
愚かさと、危険さと、罪と、飛び降り自殺と、ちょっぴりのうらやましさを、
ノンちゃんの「嫌い」発言はあぶり出しているのであ〜る。
そんなノンちゃんの、巨乳の小箱を開いてみたいと思うのは、
凡人の初夢♪

と、そこへ飛んで火にいる虫の息。
右の写真を見ていただきたい♪えへん(自慢)。→
昨年末に、ノンちゃんが私へクロネコ冷蔵でクールに送ってくれたギフト箱♪
まぁ、開ければ、すてき、すてき、すてっきー♪ステッキー・フィンガーズ♪
和モノ&洋ピン(?)♪

んが、チョコ箱を開ければ、いやぁ〜ん、ノ・ノ・ノ・NONボーイ♪
新庄カードに、ラブ・レター♪
文学美少女ならではの、『初体験物語』ほか3冊の古典文学♪
そして、ノンちゃんの口紅跡がついている、『ウコンの力』♪んで、
最終&最強メッセージ・ティッシュに書かれたラブ・メッセージは……、
「もっと慎重に、考えて。」

がくっ。

ノンちゃん、どーも、もーど、ありがとーしょこら♪

世界中の愛を、ノンちゃんに!
世界中の抗議を、イスラエルに!
(しかし、届いてから3ヶ月以上過ぎてのお礼って、何?)
年末の侵入者。
ノンちゃんから、久保に届けられた2009年のお年始(?)♪

メ〜ル差出人: 人喰い部会長〜♪ノンちゃん
送信日時: 2009年1月5日(火) 3:57Pm
宛先: うぇ〜ん!久保AB-ST元宏

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします♪

ペニンシュラホテルのチョコの箱のみ、すみません。
中身はかなりおいしかったのだ♪ないけど…

テイッシュはパッキンのつもりだったのだが、愛のメッセージになってしまった?

買い物に行けなくて、面倒は健康。☆コーヒーの湯気。私のお店の下の市場と、いつも何冊かおいてある「みんなにあげたい本」ストックからチョイスしてみました。
こ洒落た便箋もなくて、新庄のハガキになってしまい、しかも書き切れないと言う格好悪さ。

忘れた頃に年賀状を送ります〜

ノンちゃんが、「いつも何冊かおいてある『みんなにあげたい本』ストックからチョイスしてみました。」と語っているよーに、
常にプレゼント用に本を用意しているようだ。
私には、もー、そのノンちゃんの行為だけで、たまらんっ、なのだが(笑)。
ちなみに、いまだに年賀状は届いていない。

パラパラ・・・M・B・ゴフスタイン『ブルッキーのひつじ』 Brookie and her lsmb
訳;谷川俊太郎
(初版1989.3.1、1999.10.11第14刷、ジー・シー)
定価\945
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
ひつじは、「めえ めえ めえ」しか言わない。言えない。歌えない。なのに、ぴったり、よりそうことができる。
「私たちは言葉を知りすぎた。」、とは言わない。言いたくない。
「知りすぎた。」のではない。まだ、私たちの「めえ めえ めえ」が見つかっていないだけだ。
パラパラ・・・姫野カオルコ『愛は勝つ、もんか』
(初出1997.11、1998.11.25、角川書店)
定価\500
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
かつて歌謡曲は、ニッポン人の無意識の偉大なる来賓であった。しかし、同時に恐るべき侵入者でもあったわけで。
姫野はこのエッセイで、来賓の暴力を暴き、告発し、ついでに自分の恥ずかしい過去を告白する(なんで?)。
最大公約数の無意識はキモチが悪いけれど、同時に憎めない。「憎めない」ものが嫌いなんだから、しょーがないじゃん(笑)。
パラパラ・・・姫野カオルコ『初体験物語』
(初出1997.11、1998.11.25、角川書店)
定価\600
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
思わせぶりの書名と、いやらしい表紙の絵。中年男性の私が持ち歩くだけで、多くの誤解の眼が待っていることだろう。
んが、この本もまた、姫野が「はじめてやってみたもの」をめぐるその「商品」の暴力を暴き、告発し、ついでに自分の恥ずかしい過去を告白する(なんで?)。
たとえば、「アイシャドー」。たとえば、「オロナミンCドリンク」。たとえば、「セックス」。・・・・・・うっ。やっぱり?・・・・・・いや、違うのである。

このノンちゃんによって選択された3冊の、ゆれ具合。それって、美しい「純情」だと太い鉄の棒のように思った私。
私はノンちゃんに幸せになってもらいたいなー、と、思うのである。
天才には、よけいなお世話だろーが。
がくっ。
その前に、また
♪おにぎり、むしゃ&むしゃ。北海道米、食ってるかー?呑み&喰いに行きましょ(笑)。


自分の持っているものを人と比べて一生を終るほど空しいことはない。(よしもとばなな『YOSHIMOTOBANANA.COM』)

秋光(しゅうこう)を
瓶に閉じ込め
海へ撃(う)つ
(久保元宏 2001年9月)

★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴史から飛び出せ!
たとえば→3月生まれの、久保元宏。4月19日の歴史

丸顔団子3姉妹♪トーテム・ポール・モーリア・オーケストラっ♪
Happy birthday to Ms.ドリップ、トリップ、トラップ・コ〜ヒ〜♪Non !

kaoruko himeno 姫野カオルコパラパラ・・・『ツク』
だから今日も やつらと トモダチのふりを していろよ。
いつか きっと 俺が 
おまえの悲しみを 見つけてやるからな。
――― 「螺旋形の夢」(1983年、久保元宏)より。
West side skyline crying
Fallen angel loving
Risk a life to make a love
恋とは、脳味噌と肉体との共犯。もしくは、共犯は堕ちるもの。
text by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏(更新日;2008年12月3日 3:49Am)

日曜の早朝のNHKテレビ、と言えば老人(だけ)のサンクチュアリと思っていたら、
今週の日曜の朝6Amはなんと、糸井重里と中沢新一が、キノコ採りの話題。
こいつら、もうジジイか?ああ。たしかに、子どもの頃の私は彼らの年齢を「老人」に入れていた。
中沢新一は無防備に、「仏教的」という言葉をするうううと使っていた。
それも、「老人」だけが許されるすてきな無防備だし、
そうなれる「時間」が担保されている加齢の強さ、だな。

「時間」はだれにでも平等に与えられている、と言うけれど、
なまけてばかりで46歳になっちまった私には、「ほんとかよ?」、ってなもんでも、ある。
■頭脳警察、解散。これもまた、「1975年問題」。PANTAX’S WORLD! ■頭脳警察の1972年3月に発禁処分にあったファースト・アルバム『頭脳警察1』★いいわけなんて、いらねぇよ。PANTAの名曲♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die「マーラーズ・パーラー」(1976年)には、
♪時間を書いた小説家

とゆー歌詞があるけれど、
実は「時間」を書くことって、めちゃムズいんじゃないのか?

たとえば、いわゆる歴史小説作家は、「時間」を書けたのか?
そもそも、彼らは「歴史」を書いたのか?
彼らが書いたのは、「年表」なのではないのか?
時間という同居人。 で、お見事に「時間」を書く小説家、
姫野カオルコの紹介なのである。
ギャグのような落ちを
最初に書いておくけど、
姫野は司馬遼太郎のファンである。
ほんとか(笑)?
・・・・・・ほんとーなのだ。

小説を書こう、と思った者なら一度は、
手紙だけの小説を書いてみようかな、
と思うんじゃないかな。
姫野カオルコのパラパラ・・・『終業式』は、
そんなモロ、手紙だけが
時系列で並べられているだけの小説。

初出は1996年4月、
光文社からの単行本『ラブレター』。
1999年3月に新潮社より『終業式』と
改題のうえ文庫化。
さらに、2004年2月に角川文庫で再版。
2007年10月に電子書籍で配信が開始。
・・・・・・って、まるで
イマ風な身の上の小説でもある。
小説自体も高校から20年後までを、
複数の男女の手紙のみで
「記録」されている、かのよう。

小説ってーのは、「物語」である前に、「文体」である、と思っているゆがんだ私にとっては、
いわば、しろーとの「文体」である手紙のみを読まされる、って、どうよ?で、あった。
特に時系列で書かれているため、最初は稚拙な高校生の「文体」である。
それを読ませるのは、まぁ、「のぞき」の興味をくすぐる姫野のテクニックなのかもしれない。
人物や時代、土地などの設定を複数の人物が書く手紙から読み取る、とゆー、
ゆがんだ推理小説、だと読み始めてもいいかもしれない。
とにかく、読者に「先を読みたい」とドライヴをかけるテクニックが姫野には、ある。
私がまず最初に感心したのは、そこだ。

手紙の書き手たちは高校を卒業し、大学に進学したり、就職したり、恋をしたり、する。
オトナになったとはいえ、やはり最後まで、しろーとの「文体」だ。
ここまで読ませるのは、バラエティにとんだ「文体」を編み物のように織ってゆくところに
作家のテクニックがあるのだろう。これはひとつの、群集劇なのだから。
つまり、「構成」が「文体」へと昇華されているのだ。
と、私が次に感心したのは、それ。

そして小説の最後に突然、抽象的な議論のような「文体」が出てくる。
小説の最後に。  小説の最後に、息子へ。
それまでは同級生同士や恋人同士の手紙が中心だったのが、
これは父から幼い息子「淳」への手紙だ。だから、分かりやすい「文体」が選ばれている。
しかし、ここで書かれていることは、「時間」の否定である。
とつとつと、一見、不器用なように(しかし、実はきわめて巧みに)長々と「時間」を書いてきて、
それを否定するように、ざくっ、と、刺し込むものがある。
それを、作者は、「恋」と呼ぶ。
「ジョー、君は何処へ落ちたい?」・・・物語の最後に、002からジョーへ。 さらに、パラパラ・・・『ツ、イ、ラ、ク』(2003年)では、「時間」と「恋」のコントラストが
より鮮やかに描かれている。

そも&そもタイトルは、石ノ森章太郎のマンガパラパラ・・・『サイボーグ009』で、
009 と002が抱き合って空から落ちてくるシーンからきているそうだ!

『ツ、イ、ラ、ク』もまた群集劇であり、
小学校からアラサーまでの時間が描かれている。

「学校」という「器」にます、仕掛けがある。
「学校でトモダチを作ろう。」とオトナは言うけれど、
実は学校にはあらかじめ限られたトモダチしかおらず、
その中での選択のことを「友達になる」と名付けているのだから。

しかし、限られた選択肢の中であっても、
一緒にツイラクしても良い相手を見つけることもある。
たとえばそれが、「恋」、だ。

姫野の巧みさは、「恋」の瞬間を鮮やかにするために、
じっくりと「時間」を書くところ。
学校でのささいなことにでも敏感になる子供の心理を、
彼らがまだ表現できない「文体」でとらえる。
子供同士の謙遜と悪意が同居するコトバが選択されたときに立ちあがる
ユーモアを受け止める「力」がある人が会話の輪の中にいることは
学校の休み時間のうれしい発見なのだ。

たとえば、まちがいなくネガティヴなコトバであろうはずの「ひまつぶし」が、
世界中で最もいとおしいコトバとして暗い道の遠くから微笑みながら、
お下がりの古い自転車に乗って(→もしくは乗らないで手で押しながら)
やってくるのを待つのは幸福な時間だ。
ただ、そのときであってさえ、気持ちの中には、それが、自分のほうに向かってきているのか、
もしくは、ただ、偶然に今だけ自分のほうを向いているだけなのか、そんな不安と疑いはあるもの。
それを、「青春」と名付けてみる。
で、そんな泥沼の「めんどくささ」が妖怪の集団のように、しらたきで作られた知恵の輪のように、
まとわりつくのを、正確な表情で受け止める職業が、「教師」、だと思う私。

薬が、「猛毒」であるか「良薬」であるかは、薬本人(?)には無関係のこと。
薬に罪は無い。
ましてや、他人(!)が勝手に調合した中に紛れ込まされた科学のひと粒にとっては。
むしろ、薬を「調合した人」、「処方した人」、「呑んだ人」側の「問題」。
「教育」とか、「社会」とか、ガレージでギブソンで暴力を振るう少年とか、「政治」とかが、
ばれないように口を空けている宇宙のなかでの小さなお話。

「大きな物語」と「小さな物語」のヒエラルキー・バランスは、「恋」の前でぐちゃぐちゃになる。
だから「時間」を「管理」しようと思う者にとっては、恋は危険なもの。
それは「文学」や、「思想」や、「考えること」が危険であるのと同じ意味で。

それを正確につまみ出すために、姫野には「時間」を描く必要があったのだ。

『ツ、イ、ラ、ク』には後日談(?)として、『桃』がある。
「恋」は終わっても、「時間」は終わらない、から、か?・・・・・・いや、違うのである(笑)。
桃をひとつ、丸善の書棚に置いた。時間という同居人。
冷蔵庫の侵入者。
コーヒーミルの内側へ、ようこそ。侵入者さま。
この黒いものの侵入者。
いつの間にかの侵入者。
山の上の侵入者。

2009年3
29日 日曜日 山の上から太陽が転げ落ちてくる♪ 8Amの気温;1.8℃
あふれ出してきたCDたちのために、段ボールでCDラックを作る。すると、モーリス・ジャールが84歳で死んだ。
→100日雛で1050円かな。あとは日割りで一日単位で値段が上がっていく。2009年 向こう側にあるものは、そうすることでしかたどり着けない。(灯台守の話)。お買いもの日;2009年3月29日(木)

2010年221日 日曜日 原始的なものの処理の仕方の洗練、というのが、きっととても大切なんだろうな。人間にとって。 8Amの気温;−12.8℃
次女の誕生日プレゼントのゲーム・ソフトを買いに行ったブック・オフで、自分へおとな買い!がくっ。
→100日雛で1050円かな。あとは日割りで一日単位で値段が上がっていく。2009年「意志のオプティミズム」とは「知性のペシミズム」に裏打ちされた、それと対になったものである。(安田南『男と女』 アンソロジー「FOR LADIES BY LADIES」近代ナリコ編 より)。お買い物♪;2010年2月21日(日)