翼を持ったケモノが飛んでゆく。国境を超えることはできない。 かなり曖昧な記憶や夢が
相互浸透して、
そこかしこに織り込まれた
翳りのある伏線こそが、
お前だ。
輪郭の定まらない
未来の「思い出」として語られる
ほら、例の
『共犯新聞』のゲストブックだよ。
その向こう側にイクための、コトバ。

★ Guest Book from your brain ★
◆ 脳味噌は、「コトバ」の溶鉱炉! ◆

全てが詩になるための、今日。 君は、 人めのゲストですよ♪
手ぶらで、おいでよ。 『共犯新聞』1面は、こ・ち・ら Let's go to our home !
Eメールだけじゃ、ダメだよ。ここに書くことが、「共犯」。 書き込みは、こ・ち・ら If you want to write the message , please click here !
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1701
Reply 秋の恵みを有り難き幸せっ! ナベブルトン URL 2008/10/14 12:42


佐川急便の兄ちゃんが嬉しそうに「北海道から 男爵イモが届いてます〜♪」と電話をかけてきたのが昨日。もしやと思ったら!やっぱりっ。久保さんありがとっ。今年のは箱入り粒揃いやねぇ〜。綺麗キレ イ!おいもさんや。/共犯新聞いつも観てまっせ〜。なんだか最近は結構なアクセスっぽい共犯新聞やねぇ。ゲストブックも久し振りに拝見したけど、ついてい けましぇ〜ん。無人島の頃の共犯新聞が懐かしいっ。





1702
Reply 卑下男爵 久保AB-ST元宏 URL 2008/10/15 11:20


Mr.乙なべブルトン男爵 promised that she'd be right there with me♪
When I paint my masterpiece
>「北海道から男爵イモが届いてます〜♪」

■届きましたか♪
で、同封の達筆直筆おてまみにも書きましたが、毎年、こーれーの乙美人妻の生誕地「三重県鳥羽市」の高級グルメ牡蠣によるお礼返しは必要ないですから〜。
と、わざ&わざ書くと、久保風おねだり(がくっ。)に横読み(→「深読み」じゃなく〜・笑。)されそーですが、ほんとーに、ご心配なく♪イモだけ、黙って喰ってOKですから〜♪
なんせ、北海道では、まるでイモを洗うようにイモが手に入るんですから。

>ゲストブックも久し振りに拝見したけど、ついていけましぇ〜ん。

■んでも、最近の「加清純子と、画家・菊地又男」ネタなんて、共犯仲間(?)の中じゃぁー、ダレよりも乙なべブルトン男爵芋(がくっ。)が一番、くわしーんじゃない?
やっぱ、故・坂本順子画伯から生前にEメールなどで、画壇のことなどを広く&深く教わっていた美術シロートの私(←まぁ、美術に限らず、全てにシロートなんすが・笑。)にとっては、
彼女の亡き後は、美術関係のデーターバンク&美人美術個人教授を失っちゃったよーな感じもあるのよねん。
まぁ、そーゆー意味からも、イモ喰って、いろいろ&いもいも教えてね♪

>無人島の頃の共犯新聞が懐かしいっ。

■でへ&でへ&でへ。
浦澤えらんオヤジ登場時の『共犯新聞』も濃かったよね〜。って、『共犯新聞』は、最初っからずっとドス黒く濃いけど(笑)。
■そう&そう、乙画廊ホームページも、ブログに統一したんだね♪
ちゃぁ〜んと、もーすでに、『共犯新聞』各ページのリンク先URLも統一&修正しといたよ〜。
で、さっそき貴ブログに我が社の宣伝・・・あんがと(笑)♪
あと、mixi画像直リンいじわる(?)規制によって、ずーーーーっと、画像が空欄になっていた、『共犯新聞』内の貴「乙画廊ページ」も、この機会に画像を再UPして、マトモに戻りました〜。
■阪神がくっ。な関西でしょーが、ぐるぐる空回りも、関西人らしー(?)とこ。
ぐるぐるピート・タウンゼント、観に行きはるの〜?




1703
Reply 加清純子、WHERE? 知里幸恵、EVERYWHERE! 田原@BB URL 2008/10/16 21:00


>>入札してみます
>↑
>■もし落札したら、『渡辺淳一文学館』へ営業しに行くと、買ってくれるかもよ!?
>・・・って、ヤミ米屋の発想、だめ(笑)?
>でも、マジ、私が館長ならば是非、コレクションしておきたいなぁー!

 落札できませんでした。

 札幌近辺の古書店間を移動する漂流物件のようでもあります。
「加清純子案  『まんが水中もぐり』 、ぷかりと浮上 !」
http://www.d2.dion.ne.jp/~moegi/saikin.htm

 やがて、『渡辺淳一文学館』が安住の地となればいいですね。
 内容的には、広く世の中の人の目に触れる必要のまったくな
いものだと思います。

 で、昨夜は、桂子さんご案内のNHK『その時歴史が動いた』
「神々のうた 大地にふたたび アイヌ少女・知里幸恵の闘い」
見ましたが、知里幸恵と加清純子のそれぞれの一生を対照的
に考えずにはいられませんでした。

 知里幸恵は十九歳で病死、加清純子は十八歳で自死。
 生体として生きた時間はそう変わらないですねえ。
 
>>古書組合員になったのです
>↑
>■いよ&いよ、ですね!
>それにしても、(ほぼ)元祖バーチャル本屋さんが、リアル本屋さんに転向(?)とは、これは、

 引用部分に対して、ちゃんとしたレスになるかどうかわかりま
せんが、書き残しておきます。

 朝、自分のブログで、知里幸恵の「アイヌ神謡集」岩波文庫を
アマゾンのアフィリエイトでリンク張ったんですが、なんとその本
がアマゾン内での売上ランク6位(16日午前時点)。
 昨夜のTVの影響ありありなんだけど、びっくりするのはそん
な集計が、放映後十二時間後には、ウェブに反映されている
こと。当然、岩波書店に、アマゾンから、今日の時点で大量発
注入っていることでしょう。

 大手書店は、そんな瞬間風速的なベストセラーに、きっと気付
けない。これから客注で岩波にオーダーを入れても、一時的な
売り切れ状態になっているのでは。
 ましてや、TVを見たウェブに無縁の善男善女が近所の町の本屋
さん(もうすでにほとんどないんだけど)に、一昨日TVでやって
たあれある、と言ってももう完全に遅いだろうし。

 買う方の立場で考えると。たとえば、利尻島にいて、その番組
を見て、本が欲しいと思っても、十五キロ先の本屋にも、三十キ
ロ先の本屋にも、ましてや七キロ先のコンビににもないのはわか
っている。ネット環境にあり、アマゾンの存在を知っている人なら、
さっさとアマゾンで注文する。カーフェリーが欠航でもしなければ、
一週間以内に、「アイヌ神謡集」が、利尻島にいながら手に届く。

 そんなわけで、今、欲しい本を確実に早く欲しい人の手に届け
ることのできる、古書&新刊の万能本屋として、「リアル」に機能
しているのは、唯一アマゾンじゃないですかね。
 ネットに繋がっていない人の立場は、という話が出そうだけど、
リテラシーの持主と情報リテラシーの持主はほとんど重なってい
く(いる)というのが、現実かと。
 TVにしか繋がっていない人は、当面、「アイヌ神謡集」を手に
できない可能性がある。古書店で探しても、いまや大抵の本屋
がすでにネット販売もしてて、すでに情報リテラシーのある読者
が買ってしまっている(実際にアマゾンでは古書店出品の古書
が完売状態)。

 古書店として、リアルに生き延びるためには、すでに一年半前
から始めてはいますが、アマゾンマーケットプレイスに万単位で
古書登録するのが、一番確実かもしれません。
 リアル店舗はもちろん、自社サイトでの販売もなしで。古書市
場として成熟しているとは思えない札幌圏のほうが、注文に即応
できるように整理された万単位の本を収納できる書庫を他の都市
圏よりは安く借りられるという点で、むしろ有利かもしれない。

 ので、完全に「リアル本屋さんに転向」する、ことはないでしょう。
 今回、店舗の一部をお借りする某書店の某店と、アマゾンでは、
リアルさが格段に違います。某店は、いつ撤退するかもわかりま
せん。あの札幌の一等地にあった旭屋書店のように。アマゾンは、
撤退しようがありませんからね。どっちが仮想空間なんだ、という
話です。

 で結局、何が一番リアルかというと、知里幸恵と「アイヌ神謡集」
ですよね。その手のもの。
 優れたコンテンツであれば、それを必要とする人がいなくなるこ
とは決してなくて、そのコンテンツをそれを必要とする人のもとへ
届ける仕組みもなくなることない。これも現実ですね。

 ということで、ブックスボックスとしては、リアルなものを作る、
リアルなものを選ぶ、それらをリアルに売る、ということをしていけ
ばいいのかな、と。この中に、「ヴァーチャル」が入ってくることだ
けは避けなければならない。も一つ、三つ目のリアルは、激変するも
のだと認識しておかなければならない。
 それこそが、リアルなブックセラー&パブリッシャー? への道?

 知里幸恵は死んでしまっても生きている。
 そんなふうに、田原も死んでしまっても、BBが生き長らえてくれ
ればなあ、と最近はよく思います。それが自分にとっては、生きる
ということなのかな、と。だからもうすでに死んでるともいえるな、と。

>とにかく、田原@BBさん(←日本ハムのマスコットみたいだ・笑。)が店番している時に、邪魔しに
>行きますね〜♪

 はい、お待ちしてます〜♪
 店番でいる日程等、決定し次第、お知らせします。

 ではでは。





1704
Reply 知里も積もればヤマトなる 久保AB-ST元宏 URL 2008/10/17 17:52


We live and we die, we know not why♪
But I'll be with Mr.田原@BB when the deal goes down
>朝、自分のブログで、知里幸恵の「アイヌ神謡集」岩波文庫を アマゾンのアフィリエイトでリンク張ったんですが、
なんとその本がアマゾン内での売上ランク6位(16日午前時点)。

■つい今、Yahoo! JAPANから、
「貴ホームページで、アフィリエイトをしませんか?ホームページでお小遣い稼ぎ ―― 今ならYahoo!ショッピングの報酬料率が全商品3%以上」
っーお誘いメールをいただきましたが、それって、いいんですか?
田原@BBさんもやっていらっしゃるのであれば、私もやったほうがいいのでしょうか〜?

>大手書店は、そんな瞬間風速的なベストセラーに、きっと気付けない。

■それは、「気付けない」ではなくて、訓練がされていない、だけのことです。
<テレビで紹介>→<売れる>、の構図は、ほとんどの業界では常識です。
以前であれば、堺正章の『発掘!あるある大事典』、とか、みのもんたの『おもいッきりイイ!!テレビ』とかで紹介された「もの」は、瞬間風速的に売れましたし、今でも、そのようなテレビ番組はたくさんあります。
ですから、量販店のバイヤーはテレビ番組のコンテンツを早い時期に入手し、それをダイレクトに「仕入れ」&「店頭POP作成」のスケジュールに組み入れています。
以前、『発掘!あるある大事典』が日曜日の夜に放送されていたものですから、
この番組でたとえば「タマネギ」が取り上げられると、月曜日は「タマネギ」が売れる。「赤味噌」が紹介されると、月曜日は「赤味噌」が売れる。ってのが長い間、続いていましたよね。
で、ご存知のよーに、ここまで「社会化」されると、製作側も気合が入りすぎ、ついには、捏造問題が発生しちゃったわけなんですが。
こ の他に、ダイエット番組でカリスマ・モデルが、「白インゲン豆を炒って食べています。」と言った発言で、市場から白インゲン豆が消えて、さらに、白インゲ ン豆を食べて腹痛を起こした視聴者が現れると今度は、白インゲン豆の大暴落が起きました。・・・・・・もちろん、雑穀商の我が社も、この渦中で、あた&ふ た、いたしました(がくっ。)。
■そう&そう、今日だって、そーです。
「おぼろづき」とゆー北海道のコメの品種があるんですが、これ、2006年の12月にNHKテレビが3回連夜で紹介し、一気に高騰したのですが、2007年は逆にマスコミが取り上げず大暴落。
今年、2008年はその痛い経験があるので、コメ業界は、「おぼろづき」の仕入れにやや慎重だったんです。
が、昨夜、同業者から、「社長(←私のことです・がくっ。)〜、どっかに、おぼろづき、安く投売りする人、いませんかねぇ〜?」と、何気に「おぼろづき」を安く&大量に仕入れたい風な電話。
昨年の売れ残りの経験から、「まぁ、稲刈り直後の今なら出てきそうだな。」程度の対応をした私でした。
が、ついさっき、昼のテレビ朝日の情報番組で、「コシヒカリより美味しい、おぼろづき特集♪」をしているではあ〜りませんかっ!
・・・・・・がーーーーん。
■出版業界であっても、同じことなのです。
たとえば、NHKが大河ドラマで『篤姫』を取り上げなければ、ほとんどの読書家は、篤姫WHO?(笑)だったわけで。
田原@BBさんだって、『共犯新聞』「加清純子・特集」を読む前は、加清純子、WHO?だったのですから。
気の利いたリアル本屋であれば、新聞の各紙の日曜日に掲載される読書蘭を切り抜いて、店頭POPに使うぐらいのことはしていますよね。
映画化された原作本をレジ近くに積み上げることも、同様です。
ですから、マーケット・センスがある書店員と、ほんとうに本が好きな書店員であれば、今回も事前に知里幸恵『アイヌ神謡集』(岩波文庫)をきちんと入荷させていたことでしょう。
そして、にくったらしーことに(笑)、大手書店ほど、「マーケット・センスがある書店員と、ほんとうに本が好きな書店員」が、ちゃぁ〜んといるものなのです。がくっ。

>今、欲しい本を確実に早く欲しい人の手に届けることのできる、
古書&新刊の万能本屋として、「リアル」に機能しているのは、唯一アマゾンじゃないですかね。

■そうですね。
『共犯新聞』超常連の某氏の弟さんが務めているリアル超メガ大手書店にもネット部門もありますが、やっぱ、アマゾンの思想的先行性は絶対ですね。
■今、『共犯新聞』1面トップでも話題にしているこちら、Wow!★山形さん♪まず、ネットで!山形 浩生(やまがた・ひろお、1964年3月13日生まれ)は、
ロバート・スペクター『アマゾン・ドット・コム』(日経BP社)の解説も書いていますよね。
そこで山形が指摘しているのを永江朗が引用しているのを孫引きして、共犯整理(笑)すれば、こんな感じぃ〜。


  • アマゾン・ドット・コムの本質は流通業であり、インターネットは販売ツールのひとつでしかない
  • アマゾン・ドット・コムは、IT関連企業ですらない
  • だが、アマゾン・ドット・コムは、インターネットを使って情報のやりとりを高度化&高速化し、そこに意思決定と行動の迅速化結びつけて巨大ビジネスにした。IT革命の本質とは、これだ!



■まぁ、つまり、ここで私が最も興味を引くのは、「結びつけ」のセンスです。
共犯用語では、「編集」の一形態と分類してもいいかもしれない。

>古書店として、リアルに生き延びるためには、すでに一年半前から始めてはいますが、
アマゾンマーケットプレイスに万単位で古書登録するのが、一番確実かもしれません。

■私自身も、1981年8月からずーっと探していた唐木順三『中世の文学』の初版本が、つい今年、アマゾン古本で、いとも簡単&安価で入手できて、びっくりしたばかりです。
書棚の上下左右での偶然の出会いも魅力ですが、目的がはっきりしている熱量が高い場合は、アマゾンの「結びつけ」能力に抱かれたいキブンです(笑)。

>あの札幌の一等地にあった旭屋書店のように。アマゾンは、
撤退しようがありませんからね。どっちが仮想空間なんだ、という
話です。

■おお!さすがの指摘です〜♪

>優れたコンテンツであれば、それを必要とする人がいなくなることは決してなく

■ただ、やっかいなのは、「優れた」コンテンツとは、砂丘の中で砂粒を捜すようなもの。
そして、「必要とする人」を数値化する議論が田原@BBさんの上記の思考から欠落している点。
「良いものは、売れる。」幻想は1970年代をまたいでの岩波文庫の敗残兵が日焼けした背中で我々に悲しい無言の白旗を見せ付けてくれていたではありませんか。
今回の知里幸恵『アイヌ神謡集』が売れたのは、「優れたコンテンツ」であるから、とだけ考えるのは楽天的すぎるのですよね。
ただ、テレビでやってたから。・・・それ、です。
もちろん、「優れたコンテンツ」だからこそ、テレビで取り上げられる権利があるというものです。
ここらへんの順番を見失うと、正気も商機も(笑)見失います。
で、この順番に意識的だったのが、1970年代後半から展開した角川商法でもあったわけです。

>ブックスボックスとしては、
リアルなものを作る、
リアルなものを選ぶ、
それらをリアルに売る、
ということをしていけばいいのかな、と。
この中に、「ヴァーチャル」が入ってくることだけは避けなければならない。
も一つ、三つ目のリアルは、激変するものだと認識しておかなければならない。

■みっつの「リアル」は、お互いに違う意味ですよね。
リアルなものを作る、の「リアル」は、「優れた」。
リアルなものを選ぶ、の「リアル」は、「売れる」。
それらをリアルに売る、の「リアル」は、「効率的」。
■今回、田原@BBさんが、たとえば『共犯新聞』の記事で、加清純子;案の『まんが水中もぐり』を「リアル」に知り、
「さっぽろ組合特選市会」とゆー「リアル」なセリ市に入札し、
「リアル」に落札できず、
しかし、「内容的には、広く世の中の人の目に触れる必要のまったくないものだと思います。」と、「リアル」に感じた。
■これら全ては、不安定です。
なぜなら、田原@BBさんが住んでいる世界が、投機によって成立しているからです。
岩井克人はこの情況を、「極限まで推し進めたのがブッシュ政権だ。」と、今日の朝日新聞でのロング・インタビューで語っています。
今日の話題を考察するのに刺激的なキーワードに溢れているので、その続きを下記に転記しておきます。
規制をなくして、負債でもなんでも証券化し、世界のあらゆる部分を市場で覆い尽くそうとする。」

>田原も死んでしまっても

■全ての死は、犬死です。
なぜならば、そこにはもう「自分」がいないから(笑)。
それに、その情況こそ、田原@BBさんが避けたい(=唾棄したい?)と思っている、「ヴァーチャル」そのものなのですから。





1705
Reply 読書の秋。(含、夏休みの読書感想文提出『夜のピクニック』←井内さん、見てる?)『おやすみ、おやすみ、おやすみ、掌の中でくるくる回る、私は、私の、私も、それは西瓜糖。』 ミカキチ@ろーら URL 2008/10/24 06:47


今夜の札幌は、雨と風。
(大きな声では言えないけれど)私は嵐と雷と地震が大好きだなあ。猛吹雪とか(笑)
なんだか、世界の本当の姿が見える気がするからかな。

『共犯新聞』トップがブローティガン「西瓜糖の日々」なので、
保留にしてあるいっぱいの書きたいこと棚上げにして、書きたくなってしまった。

*でもその前に、遅れてた報告:井内さん!読んでるでしょうか(笑)
夏の終りの井内さんの書き込みに、「えーそんな、レスなんて、その気になった時でいーのに」とか思っていたのにその私がそのままレスしないままでいたという。
『夜のピクニック』を読んだんです。
そして、それを自分のラジオの番組でも取り上げ、
ブログ上でも報告した(笑)
という訳で、それらをまとめてここでお伝えせねば。と思っていたら2ヶ月過ぎちゃったのです。
私のブログでの報告はここです
 http://blog.livedoor.jp/lora2003/archives/65169588.html
 http://blog.livedoor.jp/lora2003/archives/65186873.html
2つも記事書いてしまいました(笑)暇があったら覗いてみて下さい。


で、『西瓜糖の日々』。

表紙に触っただけで読み終えてしまったなんて、久保さますごい。
私は、この本、再販がされる前で、本自体を持ってない頃から読んでる(笑)けれど、
今でもまだ読み終わってないような気がする。
まだ一度も通しで読んだことがない気がする(笑)
映 画『つぐない』みたく、あちこちに時空列が飛んでしまってる断片的な言葉とその言葉から入っていける無音の世界や光だけの世界のひらめきや哀しみの手触り をドアを開けるたびに見て、ドアを閉じて、黙ったまま布団に入って、真珠の歯で眠って、朝起きたら、すごく大事なことが昔あって、でもそのことを自分が ずっと忘れたまま生きていかなくてはならないっていうことだけが解っていて、そのことを寂しいって思ってることを隠していなくてはならない子供部屋の悲し み。
そんな風なことだけしか、まだ読んでいない気がするんだ。
でも、それってどっちも同じことだよね。

 共犯記事に引かれている、「それはわたしたちの気に入っている。」というののと同じタイプの文章に、
 うんと後の方、マーガレットが自殺したことでショックを受けているポーリーンの


 「ひどいことだわ」とポーリーンがいう。「とてもつらく。どうして自殺したの?あたしがあなたを愛したせいなの?」

 「とても仲良しだったの、姉妹のように。あたしのせいだと思うのはつらい。」


・・・っていうのがあって、これも私のすごく好きな部分。
ヘン、と云えば変だよね(笑)
「とてもつらく。」だって。
「姉妹のように。」とか。
でもそこがすごくいいの。



 たぶん、ずっと前に、ここのゲストブックで久保兄が大江健三郎を引いて言及した「翻訳調の力」と同じ効用なんだと思うけれど・・・・

 そして。実は、本来の会話では、ひとは、こういう風に「たどたどしく」語っているんだと思う。
 本当に「語るべき」ことや「口にせずにいられない」言葉って、まだ、発見されていなかった、その瞬間に初めて「人間の言葉に翻訳された」ものだと思うから、
 そういうカタチにどうしてもなってしまうんだと思う。
 それは、とても詩に近くて、そして、たぶんそれは、西瓜糖なんだと思う。

 「西瓜糖の日々」の中の、私の好きな部分て、みんなそういう感じだなあ。

 久保兄が引いてる、「いい気持ちだわ」「賛成」「そういうことをした」の流れの後のシーンの章が、本にはあるけれど、そこでポーリーンが虎についてお喋りしていて

 「どうしてあたしたちの言葉を話すことが出来たのかなあ」

 って言うんだけれど、
 そこも私はすごく好き。
 だって、その「言い方」がものすごく、その雰囲気を伝えているだもん。
 あの、愛し合ったあとの、くつろいで優しい気持ちでいる時の雰囲気そのものを、ものすごく上手に表現してる。
 だからいつもここ読むと泣けてしまう(笑)あんまり優しくて。
 誰かと愛し合ったことがある人なら、みんなそう感じるんじゃないかな。
 私は、映画では「アフター初えっちシーンベスト3」というのがあるんだけれど(笑)、小説とか文学ではあんまり覚えがないの。
 これが唯一無二な気がする。

 ポーリーンが「わたし」と恋人同士になってから、夜たくさん眠るようになってしまった、というところも好き。なんだかリアルで。お喋りしてる途中で突然ぐっすり眠り込んでしまったりするでしょう。いいなあ(笑)なんか、解る。

 「子羊は花の中に座ったのです」とかの女はいった。「子羊は、もうだいじょうぶでした」

 ポーリーンの寝言(笑)
 「子羊はもうだいじょうぶでした」だって笑笑笑
 いいなあ。
  

 ポーリーンのこと以外でも好きなところいっぱいあるんだけれどね。

 本が再版になって入手できるようになるまで、私はこの本をずっと図書館のを借り出して読んでいた。
 で、一番好きな部分、「わたしの名前」の章のところは、全文をレポート用紙に写して手元に置いてあって時々出して読んでいたの。
 まさか、再版にいつかなるとは思っていなかったから、一冊丸ごと、全部写してしまおうかなあ。と、何度も思ったんだ。
 だって、2秒とか、表紙に触っただけで読み終える人がいるくらいの短い作品なんだから。
 この何倍もの分量の文章を、私はいくつも書き写しているんだから。

 でも、なんだかそうする気になれなかった。
 書き写しても、写したことにならないような気がする本だったの。

 それは、今でもまだ、全部この本を読んだ気がしない、というのと同じことな気がする。
 読む度に、初めて読むところがあって、
 本を開くたび、中が変わっているような気がしたりするの。
 好きな部分は同じはずなのに、何かが変わっている気がしたり・・・
 何かが増えていたり、形を変えていたりする気がすることがある。
 減っていたりはしないんだけれど・・・・
 たぶん、西瓜糖で書かれているからなんだろうけれど。

 終末みたいに優しくて・・・・
 破滅みたいに淡くて
 絶望みたいに脆くて。
 西瓜糖。


 そうそう、今年は西瓜をいっぱい食べた年だったなあ。
 まだ今年は終わってないけれど。

 ではまたー
 BGMは吉田美奈子「かびん」と金延幸子「時にまかせて」。





1707
Reply わたしたちの気に入っている、ブローティガン。 久保AB-ST元宏 URL 2008/10/26 02:05


Ms.ろーら@ミカキチ'll love me or I'll love you♪
When the night comes falling from the sky
>井内さん!読んでるでしょうか(笑)

■古本出回り多し&初版発見ほぼ不可能の『夜のピクニック』話題も盛り上がっていますが、
井内さんが『共犯新聞』ゲストブックにて、アルミニウムマニアさんとともに盛り上げてくれた最初の小説、司馬遼太郎『坂の上の雲』、NHKドラマの撮影が好調のようですね♪
テレビ放送は2009年から3年かけて、1話90分を13回放送するらしー。
日本経済新聞の記事(2008年4月27日)によれば、菅康宏チーフプロデューサーは、「映画を13本撮るようなイメージ」と語っていて、かなりじっくり時間をかけて撮影されているみたい。
また、菅は「明治に生きた人々のすがすがしさ合理的な精神は、今の日本人にとって参考になるはず」、とも。
「すがすがしさ」ってわからん(→菅・スガさんだけに?)けど(笑)、「合理的」は歴史の進み具合と同時に進んでいたと思ったら、そーでもなく、平成よりも明治のほうが、「合理的」なのね。
そこで分る&感じるのは、構造がより本質から再構築されると合理性がむき出しになる、ってこと。
『江戸にフランス革命を!』(青土社)ってには橋本治大先生の名著だけど、やっぱ明治維新は「革命」だったよーで、少なくともそれ以降の時代の中では最も構造が変わり、それを維持するかのように「合理的」をめざしたんだね。
まぁ、その後の大きな構造変化は、「第二次世界大戦の敗戦」と、「バブル崩壊(笑)」なんだろーけど、やっぱ明治維新よりも構造変化の質も量も少ないので、「合理化」も相対的に少ないのかー。なるへそ。
で、なんでだべ?と、思ったら、菅康宏チーフプロデューサーが語ったもう一つのキーワード「すがすがしさ」、かぁ?
確かに明治維新よりも敗戦は「すがすがしさ」度が低い。さらに、「バブル崩壊」には、「すがすがしさ」のカケラも無い。
「すがすがしさ」で「革命」が説明できるのであれば、これほど文学的興味をそそられる話題も近年珍しい(笑)!
■で、共犯文学部の我ら(?)としては、『坂の上の雲』の登場人物としての正岡子規を思い出さざるを得ないわけなんでした〜。
まぁ、中学生みたいな発想ですが、そも&そも、「5・7・5」とゆー定型詩が、超デジタルなんじゃなーの?って、切り口。
『共犯新聞』キーワードのひとつでもある「本質」は、「文学」と「政治」にまたがるものだし、そこに大雑把(で、無駄にロマンチック)な「革命」を並べればテーマはそろったよーなもの。
雑誌『国文学』1986年10月号「特集;正岡子規・日本的近代の水路」に、平岡敏夫(ひらおか・としお、1930年3月1日生まれ。)が次のような文を寄せていたよ。

子規と自由民権運動 ―松山中学時代―

 明治17年の民権熱の昂揚が運動離脱により翌年再び失望落胆、脳病のために大いに困難するという透谷のありようは、子規には想像することができない。
ひたすら内部へ、あるいは宇宙へと向かう透谷の文学とは異なる、もっと野放図で、せまい出世主義者にもない、おおらかで柔軟な幅の広さが子規の文学にはあるようだ。
それは松山中学時代の演説草稿にもうかがわれるところである。
あくまで民権政治にかけようとした柳原極堂のシンセリティは疑うことはできないが、子規の<可能性>とはまた異なる。
極貧の中、四度目の海軍兵学校挑戦により、エリート海軍軍人の道を選びとりながら、結局は退役して軍縮に尽力する水野広徳も子規に通うところがあるがまたちがう。
子規は文科大学へとエリートコースを進みながら、それを退き、短歌・俳句の革新の道を歩いて早逝する。
ここには、早逝した透谷も、また極堂や水野をも包含してしまうような、<明治>こそが可能にした一種奇蹟的な存在があると言えるかも知れない。

>言葉から入っていける無音の世界

■たとえば、詩論を始める時に、「技巧論としての古典詩論」とか、「政治と文学」論争とかは、ブローティガン(および、その藤本和子の訳の)の文体を説明することから考えれば、単純で簡単なこと。
だって、それらは文学の外側の、モナカの皮みたいなものをゆるくなめているだけなのだから。
ブローティガンの文体を語る(=考える)ことは、文学というモナカの中心にあるアンコにまでをかじること。
と、たった今、チョー単純化して言い切っちゃったけど、もちろん、コレも脳味噌の中のことだから、下記のような入れ子状態を留保してのことだけど。

共同討議 『詩論とは何か』 吉本隆明清岡卓行/大岡信/鮎川信夫
(雑誌『ユリイカ』1972年12月号「総特集=現代の詩論」より)

清岡卓行 自分の貧しい経験ですけれども、何らかの詩論から直接的な刺激を受けて詩を書いたということは経験上ないんですよ。
ところが、たとえば埴谷雄高の政治論文とか、ボーヴォワールがある場所で独自に使った「冷感症」ということばとか、
渡辺一夫のエッセイとか、あるいは湯川秀樹のある講演とか、そうしたものから直接的刺激を受けて書いたことはあるんですね。
そういうほかの論では詩論ほどの抽象化が行われていないとぼくは感じるわけですね。

>光だけの世界のひらめきや哀しみの手触り

■上記に引用した雑誌『ユリイカ』1972年12月号「総特集=現代の詩論」には、まだ若い(笑)吉増剛造(←1939年生まれだから、当時、33歳か!)が子規から芭蕉をつなぐ詩のような詩論を書いてもいるよ。

古典詩論 『幻の道・幻の芭蕉』 吉増剛造
(雑誌『ユリイカ』1972年12月号「総特集=現代の詩論」より)


自らの観念を感覚総体を自らの視線(まなざし)でみることを一瞬たりも忘れず熱望しつづけるのが精神という現象、と仮にいうのなら、
机上の動かぬ花を正確、明らかとみてとる私の動揺、眩暉、そこに時間が激しく流れているしるし、それは花にも起こっている。
遠く、遠く、言葉なしに叫びかけたい願望のまま、私は座しつづけるが……。花と私の間に恐しい深淵がみえる。

 瓶(かめ)にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり (子規)

 何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさの涙こぼるる (西行)

 何の木の花とはしらず匂哉 (芭蕉)

 これらの声何故か浅く感ずる。一瞬の夢のごとく、ただ軽い眩暉だ。もっと中心へ。
 しかし外は地獄だ。

■吉増のたどたどしいステップのような眩暈のダンス。
彼のあふれる言葉は当時からだけど、イメージの上塗りのようなこの論文に、今、私たちがかぶりつこうとしているブローティガンのアンコが、突然、出てくる。
それは、安東次男『芭蕉――その詞と心の文学』について蛇足的に書かれた<付記>で、なんだけど。

安東次男氏においてはたとえば「どういうものか私には、芭蕉の発句よりも歌仙の方が面白くて……」という文章の
「どういうものか」という呼吸に含まれるあたりに非常に重大なものが秘められている。
適切な言葉がみつからないのだが、あえていえば、詩の発生する共同性というかなにか共同のもの、それがここには秘められている。

■これを書いた当時の吉増にはまだ理解はできていなかっただろうけど、さすが詩人だ。ちゃんと「感じ」て、それを逃がしていない。
これから数年後に吉増は青森県むつ市の恐山に行き、ついにこれが、「理解」でき、これをテーマのアンコにしたんだと思う。
で、その経験がダイレクトに書かれたのが、1977〜1978年に雑誌『海』に発表された1千行の3編の詩。
私が、1972年の『ユリイカ』で安東次男を考えることで不確定ながらも手探りで薄い確信へと近づけようとしていた吉増と、それが結びつく!と感じたのは、
つい最近、2008年10月15日の朝日新聞に掲載された恐山をめぐる吉増へのインタビュー記事からだ。
このインタビュー記事で私がゼブラのピンク色ラインマーカーを引いた部分と、その前後だけ、下記に抽出してみよー。

作品が他人の心に住みついていたことに興味をもった。


とっても深い感情とか、ユーモアとか、ぼろきれみたいな豊かさがあった。


不意に、底なしの感情が襲ってきました。逃げるように恐山から帰りました。そのあとです。長い詩を書いたのは。
 当時、30代後半。全詩集が出て、作品を形にしようとする動きに対して、僕自身は逆のこと、それまでの作風の破壊へと向かいました。
うまくいったとされることを敵にする。大きなうねりが生じたときでしたね。


郷愁とか、記憶に戻るのとは違うんです。起きたときに既にもう「予感していた未来」へ、戻っていく
詩を書くことは、改めて恐ろしい遭遇の場だ、と感じましたね。


詩や哲学、思想には、そうした怪物的なものが立ち現れるときがある。
世の中とまったく違う夜の道を歩き、世界の最も深いところまで降りていかなきゃいけない。

>ドアを開けるたびに見て、ドアを閉じて

■そして今、ようやく私は永遠に新鮮な言葉としての詩について語れる部屋に入るこができるドアの前に立っている。
まずは吉増がその直感を感じたきっかけの男、安東次男が『近世の秀句 芭蕉から一茶まで』(1971年6月25日、初版、読売新聞社)のドアを久しぶりに開いてみた。


  市人の物うちかたる霧の中   蕪村

 中七は、意味のうえからは物語ると言っても同じだが、その間の「うち」という強意・強調の接頭語を裁入れると、
市井の俗談平語、八つぁん熊さんの立ち咄(ばなし)もたちまち詩味ゆたかなものに印象を取替える、というところが見所であろう。
「物」には実態が添うし、「かたる」人の志も見えてくる。

>共犯記事に引かれている、「それはわたしたちの気に入っている。」というののと同じタイプの文章に、

■さて、共犯★連想ゲーム(笑)で、今まで登場してきた子規、蕪村をクロスさせた平出隆の、
これまた、つい最近、2008年10月20日の朝日新聞に掲載された下記のコラムでは、もっとダイレクトに「永遠に新鮮な言葉としての詩」を語ろうとしている。
ここではまず、違和感のある言葉(=つまり、私がブローティガン『西瓜糖の日々』の最初のページで交通事故にあってしまった「それはわたしたちの気に入っている。」、のような。)が
違和感の傷から発光している言葉の永遠性について、その「傷」をますは「破調の語法」と便宜的に名付けてから下記の考察の高みへと駆け上がる。

  蘭夕(らんゆうべ)狐のくれし奇楠(きゃら)をたかむ   蕪村

 『俳人蕪村』の中で子規は「蘭夕」の連続のごときは漢文より来たもので、従来の国語にない句法
それが明治の俳句界にも生気を与えたという意味のことを書いて、
文法的な変則も排斥するに足らずとした。

>「どうしてあたしたちの言葉を話すことが出来たのかなあ」

■そこんとこで連想しちゃうのは、
私が意訳したT.Rexプー横丁で、永遠をつかまえて。20th Century Boy(作詞&作曲&唄&ギター;マーク・ ボラン、1972年11月、来日時に東芝EMIスタジオで録音。)の
Well it's plain to see you were meant for me, yeah
おなじ言葉で話す人とめぐりあったんだ。ついに。

意訳;久保AB-ST元宏
(2008年9月21日日曜日 6:46Am)
ブギーをつかまえて。

なんだけど、同時に苺老人ホームで、永遠をつかまえて。Strawberry Fields Forever (作詞&作曲;Lennon/McCartney、1967年2月)の
Misunderstanding all you see
朝になれば君の目玉は生まれたての鶏卵。

意訳;久保AB-ST元宏
(2008年8月13日 1:23Pm)
も♪
奇をてらうことや、わざとらしいつまずきにはもう私たちは驚かされないけれど、どもる誠実な詩人の口から出てくる言葉には耳を傾けていたい。
ジャズ・メンはシンコペーションをきめ、ロッカーはギターをひずます。
画家はストロークの快楽を信じ、そこで得たドライヴ感を記録する塔を築くようにマチエールを目指す。
そしてまた、詩人は、どもる。
不器用な恋人達が、不器用なたびに濃くなってゆくように。

>何かが増えていたり

■川上弘美は俳人でもあり、長嶋有たちと句誌『恒信風』を作り、時折、句会もしてんだってね。
そんな彼女は、海外の翻訳小説は知らない作家の作品でもどん&どん読んだのに、昭和の日本の小説はほとんど読まなかったそうなんだけど、
内田ひゃっけん『鶴』には、
「へんなものだけど、よその匂いがしなかった。
異様な内容の、見たこともない文章。
でももしかしたら、自分の身の内に、とても近いかもしれないもの。」
と、感じたそうな。
■そうだ!
今度さ、あの札幌ライラック病院で、通院患者&入院患者と一緒に、ぽちこ&ノンちゃん&ろーら嬢で、句会をしたらいい。
そして、みんなから出てきた俳句をセレクトして、並べれると面白い絵画と一緒に飾るんだよ。
■下記は、2008年10月23日の朝日新聞に掲載された『堂本右美(ゆうみ)展』(東京銀座のギャラリー小柳)への大西若人の短評。
これ、なんだかミカキチたちの『映しあう/照らしあう』展の批評みたいだと思っちゃったよ(笑)。

 絵画は自ら光を放つわけではなく、反射するに過ぎない。


二つの身ぶり重なって、画面には奥行きが生まれ陶然とさせられる。

>金延幸子「時にまかせて」。

「♪確かめるなんて むだなこと」、ってとこがいいな。
でも、ここは歌いだしの部分だから、歌詞が3行目になったころには、もう忘れている。
もちろん、
思いだす時に 思い出せばいいさ。




1708
Reply THE WHO あとがき TERA
2008/11/19 20:19


THE WHOのコンサートレポートに膨大な紙面を割いてくれてありがとう。
写真も挿入してもらったりして。
興奮してキーボードのジョン・ラビットのことを書くの忘れた(笑)。
コンサート後みんなで飲んだ。キース・ムーンが見たかったとか、ピートにはSGを弾いて欲しかったとか、みんないろいろ言っていたけど、俺は現在形のTHE WHOで満足だった。
でも大阪とかはけっこう空席があったらしいね。もう来てくれないかな。

ところで月見猫の歌ってる姿、かっこいいねぇ!





1709
Reply 塀の上でぼくは サカタ@カナダ
2008/11/21 03:12


テラよ、WHOのレポート面白かったです。こ ないだ飛行機の中でストーンズの映画を見て、キースのギターがつまらなかったとメールで書いたけど、ピートは全然違うみたいね。カナダじゃ去年なぜか 「Who Are You」がCMソングになり、ラジオでもWHOがよくかかって盛り上がりかけたんだけど、単発で終わってしまった感じだな。ラジオのクラシックロック局で よくかかるのは、わしがよく知らんアメリカカナダのドラムに切れがないタイプのロックと、ZEPとフロイドなのよね。あーもっといい音を聞きたいぜ。

ちなみに最近台所仕事のときはヘッドフォンではちみつぱいの「春一番コンサート」を聞いてます。みんなあんな昔なのにめちゃくちゃいい音を出してるよね。





1710
Reply 土手の向こうに監獄ロック 久保AB-ST元宏 URL 2008/11/21 11:57


'Fore the hurricane Mr.TERA begins♪ The hour when the ship comes in
>俺は現在形のTHE WHOで満足だった。

■それだよ。

>月見猫の歌ってる姿、かっこいいねぇ!

■なんだか、みんな40歳代になっちまったよな(笑)。
が、みんな、変わっていない不思議さ、かな(笑)。
あそこにいたやつら以外は、当たり前のよーに、ふつーに変わっちまったんだけど、なんだか、やっぱ、へんだな(笑)。
変わっちまったヤツにも、変われなかったヤツにも、LOVE。アゲイン、か。

--------------------------------------------------------------------------------

When You Awake you will remember ev'rything♪ Mr.サカタ@カナダ will be♪
>キースのギターがつまらなかった

■去年、じゃなくておととしだったかな。
いつもの芦別市『Rock House DYLAN』で、プー横丁で、永遠をつかまえて。三宅伸治のソロ・ライブを2〜30人で楽しんだんだけど、
その時はまだストーンズの来日の興奮が残っていたので、彼は「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」、だったかな、ストーンズのコピーをやったんだ。
胸を開いて両手を左右に開きながら、ギターの音数よりも弾かないすきまを楽しむキースの演奏スタイルをコピーしていた。
なんでもそうだけど、「ものまね」は、オリジナルの「かたち」を分かりやすく差し出してくれる。なるほどなぁ〜、と私は2m前で(笑)観察していた、わけ。
■ストーンズの2004年に発表された2枚組みライブ・アルバム『LIVE LICKS』を聴くと、明らかにキースは老いているよね。
まぁ、枯れたキースも味だし、実は私はこのアルバム、好きだ(笑)。マークXに合う。
それでも、やっぱ、それこそ1977年に何度も聴いた『ラブ・ユー・ライブ』や、1970年の『ゲット・ヤー・ヤーズ・アウト』の悪魔ぶりを知っている身には、やや距離を置いちゃうんだよな。
■で、それでも(アゲイン・笑)、私はやっぱし、映画『シャイン・ア・ライト』、楽しみにしてる(笑)。
あ、今夜はNHK-BS2で8:10Pmから、『沢田研二スペシャル 紅白映像蔵出し』、だ(笑)。

>ラジオのクラシックロック局

■いつのまにか、「クラッシックロック」って呼称、定着したね(笑)。
でも、バッハやモーツアルトの時代には彼らは自分たちが創り出している音を、「クラッシック」だなんて呼ばずに(笑)、最先端のニュー・ミュージッ(!)と思っていたのは間違いないから、
現代の私たちが「クラッシック音楽」と名付けていることも、かなり愚かなんだけどね(笑&がくっ。)。
■昨日、大雪の中、札幌まで往復で仕事で行ってきて、ついでに映画を観てきた(笑)。
観たのはやっぱり、ある種「魔女狩り」待ちしてるんだな、というのを感じる時のショック、みたいな。『JUNO』で、
2008年のアカデミー賞で作品、監督、脚本、主演女優の主要4部門にノミネートされて、脚本賞をとったし、
なによりもアメリカですげー大ヒットしたそーだから、カナダの君も知ってるよね。観たかな。
確かに脚本賞って感じだけど、私が思うのは、より正確に言えば、「セリフ賞」、だな。
たぶん、今のアメリカのティーンエイジャーの「言語感覚」を上手にすくいあげている、と思う。まぁ、そこんとこはネィティブ・ホースマンの君のほうがキャッチできるけどね(うらやましー)。
で、「言語感覚」ってのは、もちろん、まっすぐ「思考回路」なんだから、そこがこの映画を思わぬ(?)知的なポジションに置いた、ってことだな。
でさ、この映画の中で主人公の女子高校生と、中年白人男性の会話で、
女「へぇー。バンド、やってたの?いつ?」
男「1993年。ロックンロールの全盛期だ。」
女「ブーーーーー。バカ、ロックの全盛期は1977年だよ。パンクにイギー・ポップ、だよ。バカ。」
ってのがあって、まぁ、なんでしょ(笑)。そんな感じ(笑)。
し かし、1993年(←1992年って言ってたかな、まぁ、どっちでもいいや。)ってのは私はロックを聴かず(=実際、私は1985年プリンス以降、ロック をリアル・タイムで聴かなくなっていたし、あれほど熱中して毎月読んでいた雑誌『ロックング・オン』も買い忘れていくうちに、買うのをやめていたし。)、 ジャズやモーツアルトなどの「クラッシック」をかなり楽しみながら「おべんきょう」していた時期。
が、当時のヤング(がくっ。)にとっては、ニルバーナーやらパール・ジャムやらプライマル・スクリームやらレッチリ、ソニック・ユースやらで毎日届く新譜に興奮してたんだろーな。(私は新婦に興奮してたのか?がくっ。)
で、1977年は我ら15歳。
なんとも、理想の世代(笑)?がくっ。
ザ・フーにすら間に合ってしまったんだから、もうジミ・ヘンやドアーズに間に合わなかったことを嘆くのは、ただのゼータクか?

>はちみつぱいの「春一番コンサート」

■私たちが渋谷のライブ・ハウス『ラ・ママ』で、あがた森魚さんと一緒にやった時にベースを弾いていた和田博巳さんは、はちみつぱいのオリジナル・メンバーなんだけど、
先日、彼が2000年11月8日に札幌の三角山FM放送局で放送したDJ番組『Music Drifter』の録音をミカキチからもらった。
で、この日の特集は和田さん自身が製作に関わった曲の特集。
細野晴臣がジェームス・ブラウンを迎えてヒップ・ホップのアレンジでキメた「セックス・マシーン」のリ・メイクやら、あがた森魚『バンドネオンのジャガー』など&など。
なぜか、はちみつぱいの話題は出ず(笑)。また、早川義夫の復活後に押しかけ(?)マネージャーをした時期についても触れず(笑)。
が、番組の後半に意外にも(?)多く取り上げていたのが、1980年代後半のネオGSブームの連中たち。
そうか。和田さん、あの渦中でいいバンドを探していたのかー。
が、消えちまったけどね。でも、プロデューサー的存在が日本でもうずきだしていた、ってことだね。
■そうそう、メールでも書いたけど、君からの紹介サーバーにアクセスできなかったのだー。
で、『共犯新聞』サーバー、もうオーバー・フロー状態問題、いまだ解決せず。がくっ。
たすけて〜。




1711
Reply あああああTERAさん、ほめてくれてありがとう(汗) 月見猫
2008/11/30 23:22


今までAB-STの誰とも、カラオケなんて行ったことなかったじゃん。
それがひょんなことで、
この歳になって初めて外笑や他のメンバーとカラオケ行ってん。
まだ暑かった頃かな。
で、あたしは「ルビー・チューズデー」とかPPMの「ジェットマシーン」とか歌ったのよ。
そしたら「こいつは歌がうたえたのか…」って思われたらしくて
外笑があたし用に新曲書いてくれたんだよね。

あたし自身は自分の声が、鼻にかかっていて伸びがないし
コンプレックスだったんだけど。
もう乙女の恥じらいもないから、やっちまうか!…って。

40過ぎの手習いかよ(笑)?

こんな状況にとまどいつつも、ちょっと嬉しかったりするんだよね。




1712
Reply いけない!また間違えちゃった 月見猫
2008/12/01 06:16


「ジェットマシーン」じゃなくて
「ジェットプレーン」だよね。
すまん、またモウロクしちまって。





1714
Reply 牛も知ってる、カウシルズ。牛がロックすりゃ、モウロク。 久保AB-ST元宏 URL 2008/12/02 21:34


Karl Marx has got Ms.月見猫 by the throat, Henry Kissinger's got you tied up in knots
When you gonna wake up
>今までAB-STの誰とも、カラオケなんて行ったことなかったじゃん。

■その理由はいくつかあると思うけれど、その裏理由にして最大の決定的な理由は、私が音痴だ(笑)とゆーことだろう。
ステージではセカンド・ボーカル、とゆーか、リード・シャウト(?)みたいにギター以上にボーカル・マイクを使っていた(がくっ。)私だが、音痴は治らなかった(がくっ。)。
■今でもそうだけど、このご時勢、もし私がカラオケが大好き・か、少なくともカラオケで1〜2曲でも「お付き合い」ができれば、交友関係はより爆発もしくはスムーズに分かりやすく(笑)展開することでしょう(笑)。
が、そーじゃないところで、とゆーか、最後のインサートの直前でホテルを抜け出す、みたいなところが、またしても、私らしい(笑)。
■そー言えば、浦澤さんのマンガを私は「40過ぎの手習いかよ(笑)?」ってー感じで初めて読んだんだけど、
『20世紀少年』の中で、主人公の元ロッカーのオヤジが、「カラオケはぜったいやらねぇって、決めていた。」とゆーシーンがある(笑)。

>外笑があたし用に新曲書いてくれたんだよね。

■ほほー。それはプー横丁で、永遠をつかまえて。にUPされないのかな?
せめて、歌詞を読みたいねぇ。

>こんな状況にとまどいつつも、ちょっと嬉しかったりするんだよね。

■あは。

「ジェットマシーン」じゃなくて

■そりゃ、ジェームス・ブラウン「セックス・マシーン」と混同したな(笑)っ!




1715
Reply 「旋律をしずかに刻む打楽器のだんだんぼくは過剰になって」 加藤治郎 ミカキチ@ろーら URL 2008/12/05 05:11


12月になっちゃったね。

柴田翔について書き込もうと思っていたら、姫野カオルコまで記事になってしまって(笑)
相変わらず国際電話のようにタイムラグの大きなレスで申し訳ないとゆーかなんとゆーか。
でも書くんだけど。

姫野カオルコについては、私の中では久保兄と近縁種(笑)とカテゴライズされてるアミカのノンちゃんが、
赤塚不二夫との共通性を引いて私に論じてくれたよ。
しかも、私は『ツ、イ、ラ、ク』『終業式』を推薦していたんだけれど、
彼女は買ったその日に徹夜で完読。
「『ベルサイユのばら』以来の興奮と感動」という感想をくれました笑笑
↑これ、コピーとしては最上級では??

共犯記事にリンクされてるいろんな人の書評読んで思ったけれど、
『ツ、イ、ラ、ク』を代表に、姫野カオルコの頭の良さには、センスのいい人は皆気付いていて
ちゃんとそこを褒めてくれているよね。
誰のレビューだったか忘れちゃったけれど、
帯にある

「今年度最強の恋愛文学」
「忘れられなかった。どんなに忘れようとしても、ずっと。」
「心とからだを激しく揺さぶる、一生に一度の、真実の恋ー。」
「苦しかった。切なかった。ほんとうに、ほんとうに、愛していたー。」

・・・とゆー一連のコピーは、逆にこの小説を誤解させるだけであって、
この小説を真に求めるであろう読者を敬遠させてしまうのではないか??
と、あったけれど・・・・

まあ、言いたいことは解るし(「マディソン郡の橋」のコピーみたいだ、ってことだよね)そういう「賛辞」なのもわかるのだけれど、
私は、このコピーを書いた編集者は、誰だか知らないけれど、
確信犯でやってるんだろーな。と、思っているのです。

姫野カオルコが、全ての「真剣さ」「真面目さ」つまり「愚かさ」「ダサさ」「みっともなさ」に対して、いちいちその「重さ」に匹敵する「ギャグ」という受け皿を用意するのは、
つ まり、それがどんな事柄であろうと、何でも「つまみ出して」「表現しようとした」瞬間に、それはみっともない恥ずかしいものになるのであって、その瞬間に それが発しそうな「コッパズカシサ」への20通りくらいのエクスキューズを網羅しちゃえる別の物語をいちいちそこにはめ込んでいく、という手法を取ってい るのは、
その「恥ずかしい」と思う自分が既に「恥ずかしい」し
「照れてる」こと自体が何よりいやらしい。

でも。
実は、人間など、それしかないのだ。
と、ゆーことを書こうとしてる(=何を書いても、結局はそこを書いてることになるのだよよよん)ということを、同時に、
もしくは、それもまた『書かさっちゃう』ことが、「私が、正直に書く、ということなんですぅ〜。」ということだと思うからです。

そしてこれって、この部分って、
柴田翔についての共犯記事『去れど共犯の日々是好日』公開往復書簡のラストの方、
中野翠についての言及のところでやりとりした、

>「ダサさ」にあるものを抱き締めようとする意志(勇気?)
→つまり、「ダサさ」なんぞ、たかが一瞬のモードにしかすぎない。

・・・ってとこへ、ずばり繋がるとこだと思う。

因みに、『桃』は、後日譚というより、「外伝」って感じなんだ。
登場人物の、「その後」というよりも、時系列でいうと、『ツ、イ、ラ、ク』のラストよりは前のことや、「本論」の時間帯から外れた部分での物語、だから。

で、ヒロインの準子の物語がラストに収められていて、
まだそれは、「再会」前の、「喪失したままで生きている間」のことなんだけれど、
14歳の頃には解っていなかった、でも、受け取っていたことのことを、
32歳になって理解して、
理解できていなくても、正しく、「一番守りたいと思ってること」を守る為に
2人ともが、どんな風にどれだけ穢れていったかということを、
その2人きりさと、どれだけ他にはなにも無くしていたのかということを
描いていて、そこが本当に素晴らしいの。

だって、本当にそういうものだからね。

共犯記事には、「恋」と「時間」について書かれていたけれど、
『桃』の後書きには、本当に「時間」について書いてあるんだけれど(笑)、
そう。

作者が書きたくて、届けたいと思ったのは
「いつか」という日がある、ってことなのかも知れないなあ。
「いつか」という日は永遠に来やしない、と思って生きてる人たちへ向けての。

だって、何かを決定的に失った人にとって、
どんな日も二度と「いつか」にはなり得ない(としか思えない)んだからね。

それでも「いつか」が訪れる奇跡が、実は、人生にはあるんだよね。

雑な言い方になってしまうけれど、
やはり小説を書く人は、そういうことを書きたくて、文学を紡いでるんじゃないかな。って
そう思う。

  「いけないことはみんな本から教わったひとつの書架として君を抱く」 松野志保

で、ここで柴田翔へと話は移るけれど、
『ノンちゃんの冒険』を取り上げて、
旅立とうとする仙人さんが、
「名も知らぬ女の子の君。生き続けてくれ。」と言うところ、
柴田翔は、「されどー」を読んで自殺していった多くの女学生たちへのメッセージとして
これを書いたのでは?と
共犯記事のどこかに久保兄、書いてたと思うんだけれど、見つからないんだけれど(笑)、

私は、「されどー」でも、柴田翔は、「生き続けてくれ。」とメッセージしたつもりだったんだろうなあ。って思うんだよ。
実際にそれが届いたのかはどうかは、解らないけれど・・・

『ノンちゃんの冒険』を読んだ20歳当時に、私が線を引いていたところって、
仙人さんと年金さんのやりとり、

「国家は暴力なしには存続できない。だが、大学だけは道理に支えられなければならない」
「道理は無茶にはかなわないんじゃないか」
「もちろん、かなわない。だけど、学生たちが無茶ならば、大学はむしろ、その無茶によって立ち往生し、倒れなければならないんだよ」
「何百年も昔の先輩達は、道理のために何人も殺されたのだから。大学に行く以上それくらいは覚悟するべきなのだ。生産にたずさわらないことを許されている人間にとっては、当然の覚悟なんだ」
「道理は、無力であることで、道理であり続けるのだから」

・・・てな部分はいいとして、

もっと断片的な、描写の言葉にいっぱい線が引いてあって。
(そこに線を引きたくなったことに、私自身のことだけじゃない、何か、意味を感じちゃうってことを言いたいんだけれど)
「宵」とか「内側からすべすべ」とか「びっしり」とか「優しく、うっすらと冷たく」とか・・・・

そして、決定的なのが、「なしくずしに過ぎつつあること」。

『なしくずしの死』を連想してしまう。


柴田翔は、「されどわれらが日々ー」の他は、
「ノンちゃんの冒険」と「贈る言葉」を読めば、まあ勿論私にとってのということだけれど
彼の最良の?部分は押さえられる。って、私はずっと思っていたんだ。
(今もまあ、そう思っているんだけれど)

それって、「ノンちゃんの冒険」に至るまでに、柴田翔に「思想的破綻」があったのでは、と仮説する久保兄が感じたことや、
私が、今年トルストイ「アンナ・カレーニナ」を読み返していたら
グレアム・グリーンの「情事の終り」を再読したくなって、しかも次はスタインベックとディケンズだな。って思ってることと、繋がってくることではないかって。


そして、この2日間くらい、ロッキング・オンから1997年に出た、吉本隆明とばななの対談を渋谷陽一のインタビューの先導で行ってるヤツを読み返していたら、
ばななのことを、吉本隆明が「太宰に似てる部分がある」と言い、それについて、渋谷陽一が、
「要するに、その時代で最もポップな部分を目指してるものってことなんじゃないのかな」ってあるんだけれど、
それは、すごく鋭いというか、いい切り口での斬り込み方だって思うんだけれど、

で、それとすごーーーく近い意味で、
私が柴田翔について、
「読者にとってはより魅力的な方向へ。でも、作家(文学者)としては危険な方向へ」進んだ、というのが、まさしくその辺のことなんだ。

つまり、私の言葉で云うと、「通俗」という表現へ近寄ってる・・・・・
ということなんだ。


ばななを「太宰治」と並べて評したのは、高橋源一郎もうんと初期からそのことについて語っていて、確かばなな本人へのインタビューでも口にしてると思うけれど、
その高橋源一郎が、柴田翔を書評本で紹介した時取り上げていたのが
『贈る言葉』(笑)

以下、彼の紹介文:

「柴田翔のラブ・ロマンスというと反射的に『されどわれらが日々』を思いだしてしまうあなた。あなたはただの教養人。三度の飯を二度にしても、『贈る言 葉』を読みなさい。ここまで甘い小説があったかしらとあなたは思うでしょう。恥ずかしくって、少なくとも5回は鳥肌がたつはず。僕なんかこの原稿書くだけ で鳥肌たっちゃった。なお、これも政治と恋愛の相克です」  角川文庫『恋愛小説の快楽』ノン・ジャンルのラヴ・ロマンス(日本篇)ベスト50 高橋源一 郎選より

  「高橋源一郎を奪つて読みあつてほほゑみふかしいづれは寒し」 荻原裕幸


(ちなみに、他に取り上げられているのは、山本鈴美香「エースをねらえ」NHK[夢千代日記」富岡多恵子「女友達」岡本一生「Five O'clock shadow」小林信彦「世間知らず」橋本治「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」などなど。いいでしょ。)

「されどわれらが日々ー」文庫版には、1974年に書かれた、野崎守英による、めちゃめちゃ真面目な解説がついていて、それもすごーーく面白いんだけれど、
 もっと面白い解説が、作品としては私が「特に重要ではない」と見做していた、『立ちつくす明日』文庫版の真継伸彦の解説が、素晴らしい・・・・
 と、いうことが、今回読み返して新たに判ったの〜

 これは、たぶん、柴田翔を論じたもので最上級なのでは!!
 と、他の評論など殆ど読んでない私が思うところのものなので、信憑性がなさそうで、実はすごくあるでしょ(笑)?
 久保兄には絶対読んで欲しいと思うので、今、ブックオフを流して捜してることろ笑笑


「されど」の方の、野崎の解説の面白いところは、彼が、文学仲間である柴田翔のこの作品について、「この作品の世界造型の方向には不満である」ところから 出発していて、でもその不満が「主観的感性の相違に帰着させることができる事柄だけに拠るものではなかった」と思う、ところから、著者との、作品発表時か ら解説を書くまでの10年の間のやりとりや、自分がその間において、「かつて自分が感じたことを、今になってやっと正確に理解できるようになった」という ところを書いてる部分(←姫野カオルコ『桃』のように)。
 そして、その、
 「生を理解することが、『可能性としての豊かさを現実の豊かさとする』ことにつながる」
 「現実の生の豊饒は、人間関係における闘いをひきうけることによってこそもたらされる」

 と、いう、それ自体はさほど新鮮ではない(と、野崎自身が解説のそこのところで言及している)テーマを、柴田翔が、どう「彼にしか書き得なかった、斬り込み方で、挑戦していったのか」について。

 野崎が摘み出せなかったことを、
 『立ちつくす明日』の解説で、真継が描いてる!!

 っていうことなんですよ。

 私がどこかに書いたのが、共犯記事のどっかにも載ったような気がするけれど(でもこれまたもう、探し出せなかったりするんだけれど)
 村上春樹の『ノルウェイの森』を読んだ時、「これって『されどわれらが日々ー』だ」って感じた。
 それが、どうしてだったか・・・・
 の、説明も、真継伸彦の解説に書いてあったの(笑)

 解説しつつ紹介すると、長くなり過ぎるから、
 私が線を引いたところを部分的に抜いてみることにするよ。

「(作者は)寡作のほうである。つまり、青年時代に自分にあたえられた課題の、性急な解決を決して望まず、終生もちこたえようとする、本質的な作家である」
「(されどーが)言うなれば、時代を先取りしていたこと」
「ひとりの作家の孤独ないとなみが、のちの世代の意識全体をすでに生きていた」
「同時に、のちの世代の苦悩の解決を、すでに志していた」

「現代日本の意識状況を一言で要約するなら、人間関係の解体」
「人間関係の解体と孤独は、いわば時代の運命である」
「現在の社会においては、孤独者が勝利者である」

「すぐれた作家はそれぞれに時代の病を早くから病んでいたのであるが、その中にあって、柴田翔の作品の第一の特徴は、理性の抒情というべき、明晰で硬質で、しかも音楽的な文体の創造にある」

「登場人物たちはすべて、愛を喪失して理性的で孤独な自分たちの運命を明晰に自己分析して語りつつ耐えている」
「耐えかねて哀れみを乞う甘ったれは登場しない」
「ただ、運命を知っている者の透明な哀しみが、その文体におのずからあらわれでる」

ここまでが、確かに、柴田翔の第一の特徴であり、長所であり、
優れた作家に見られる特徴で長所、だよね。
村上春樹にも、これがあったから、多くの熱狂的な読者に迎えられたんだろうな。と思うところでもある。

次に、第2の特徴となるところ。

「孤独や狂気が時代の運命であっても、人間の運命であるはずがない」
「時代の末路を見て恐怖する者は、時代を変えなければならない」

そして、若い革命家集団の、孤独と不和を見抜いて、そのニセの連帯を断固として否定した態度をあげているの。

 その流れが、第3の、彼のいうトコロの(そして、私も同感なところの)この作家の、そして「されどー」が非凡な秀作である理由に辿り着くんだけれど。

「生きる者は孤独の不幸に耐え、できるだけ身に合った不幸をみいだすことが最も望ましい人生態度となる」
 これは要するに、彼が書くところの男の登場人物たちが出している結論だよね。
 真継の表現では
「柴田翔はきわめて理智的で孤独で自閉的な男達をえがく」

そして、一方で
「同時に、愛情ゆたかなゆえに、愛の不在に苦しむ女をえがく」。

「(されどーに登場する)さまざまな若い女たちは、もともと独自の愛をそなえた存在であって、孤独で機械的な人間関係を望む男性たちの批判者である。彼女らは、男たちとの関係に耐えかねて自殺したり、そばを去ったりする」


そして、真継伸彦は、柴田翔について、
「弱冠29歳の作家の、異性の表現力に驚いた」と書いてるの。
「この作家の本質を探ろうとすれば、女性の卓抜な描写力がどこからでてきていれうかを探らねければいけない」と。


「ノルウェイの森」を読んで「されどー」を連想したのは、この、絶望の構造が同じだから、であり、
でも、村上春樹が「その先」として用意したところよりずっとはっきりと、
柴田翔は気付いて、読み取っていて、
まだ読者においても「理解できない」風景を、「されどー」では登場人物に語らせている。
まるで、姫野カオルコが、『ツ、イ、ラ、ク』を外伝の『桃』で受けた、その受け身を、読者に委ねたのか、という位にね。

でも、本当にそれが、「時代」なのかも知れない。
柴田翔の生きた現実に積み重なっていた実体験と
村上春樹の生きた周辺に転がっていた物語と、
姫野カオルコが乗り越えようとしている時代の残渣と。

そーいえば、フーの報告記事後書きその他をこのゲストブックで読んでいたら、
私は90年代に入ったとたん、何を聴いたらいいのかよくわかんなくなって
リアルタイムのロックを聴くのを殆どやめちゃって
映画音楽とか、クラシックとか、ちょこっとだけジャズとか
あとRCとか(笑)聴いてて、
久しぶりに会った、中学時代の生徒会の仲間に
「最近、何聴いてる?」と訊かれて、何か共通して話題に出来るものって・・・と考えて
「あ、そうだ。最近ビートルズ聴いてるわ!!」と答えたら
「え、ホント?実は俺も」って言われたこととか思い出していたら、
そうそう、90年代後半に、唯一、当時のヒット曲として、すごく印象に残ってる
Fool's garden ていうオランダのバンドの lemon tree って曲、
私、テレビで見たビデオクリップも好きだったんだけれど、
you tube で捜したらその映像は見つからなかったんだけれど
曲はなんだかむしょうに懐かしくなって、CD出してきて聴いてしまった。

あと、私も三宅伸治のジャンピング・ジャック・フラッシュ聴いた(見た)ことがあるな。でも、彼のピンのライブに行ったことは無いから、誰かの前座で来たのを見たんだと思うんだけれど、誰のだろう・・・たぶん、札幌ペニーレーンでだったと思うけれど。

 で、こんなにあやふやな記憶なのに、ライブの後、「三宅伸治来てた。」って、友部正人を私に教えてくれたコに報告したら、にやっと笑って、「ジャンピン グ・ジャック・フラッシュやった?」って訊かれて、びっくりして「やった。」って答えた記憶があるんだよね(笑)だからもしかしたら定番だったのかな。

  
ブローティガンのレスへのレスも書こうと思っていたのに、又にしなくちゃ(笑)
ってか、実は8月に貰ったレスへのレスも、その内書こうとまだ諦めていないのでした。
農閑期の冬、私の農家の友人たちは、楽器を持って農民オーケストラに参加するのだけれど、
なんちゃって農家の私は、農閑期はゲストブックに書き込みするのです。


 「空青き昼がわたしをふり落とす こんなところに坐っています」 江戸雪





1716
Reply 80年代 月見猫
2008/12/06 12:24


■その理由はいくつかあると思うけれど、その裏理由にして最大の決定的な理由は、私が音痴だ(笑)とゆーこと

↑いや、それ以上に、カラオケという道具が80年代には、
中年以降の思考停止オヤジが、スナックで酔っ払って演歌を歌うためのモノ、という
非常にかっこ悪い位置づけだった記憶がある。

それがあたしも30過ぎて、杉並国際交流協会で知り合った子どもたち
(自身が台湾出身とか、親がホストファミリー登録してて、しょっちゅう留学生が家に泊まってる家庭の子とか)と一緒に飲みに行ったり遊んだりしたけど
ひと回り以上も歳の違う高校生たちは、カラオケ好きだったねー。

「俺、プリクラは撮らない主義」って言ってる子でも
カラオケボックスにはためらいなく入ってて、
「ほほー」と思ったもんだった。

しかし、彼らをよく観察してると、歌が得意な子ほど、他人の歌は聴いていない。
つるんではいるけれど、隣同士会話の必要はないし、
頭の中は当座『次に自分は何を歌おうかな』で埋められていて
デス・コミュニケーション・ツールだなと思ったもんだわ。

80年代ならウォークマン、その後カラオケときて
今携帯電話?

あたしとて、携帯電話には必要に迫られて毒され、今じゃ悲しいかな必需品。
そのどれにも毒されていない久保君って、やっぱエライよ。


■ほほー。それはYou TubeにUPされないのかな?
せめて、歌詞を読みたいねぇ。

んー、どうかな?来年あたりそんな可能性もあるかな?

あたしは動画を編集したり、You Tubeに投稿したりする技術を知らないんだけど(笑)。







1717
Reply おわんミュージックカンパニー代表 外笑 だよ  外笑
2008/12/09 17:36


 しかしおかし  クリスマスの夜に失業率は跳ね上がり!

         ってな 時代が 来たもんですなあ

        世界中の愛しい人 一人ずつ 歌を送ろう〜 

        せめての感情ですか・・・





1718
Reply 「旋律をしずかに刻む打楽器のだんだん久保は過剰になって」 加藤闘久保 久保AB-ST元宏 URL 2008/12/10 19:33


And Ms.ろーら@ミカキチ turns back the page of a book that no one can write♪
Oh, where are you tonight? (Journey Through Dark Heat)
>でも書くんだけど。

■人生は、俳句の過剰なるしっぽとしての、短歌の下の句の「七+七」みたいなもの。

>「コッパズカシサ」への20通りくらいのエクスキューズを網羅しちゃえる別の物語をいちいちそこにはめ込んでいく、という手法

■人生も、文学も、無数の選択肢の前のYES−NOゲームだけれど、
選択肢を「与えられる」のか「自分で準備する」のかは、大きな差なんだよねー。
その時に、「自分で準備する」ものは質より量、とゆーよりも、「大きな物語」でも「小さな物語」でも、どっちでもOK!ってことが、姫野カオルコの体力(→武力?)なんだよね。
その時、ユーモアってのはすげーたのもしい仲間になってくれる。

>まだそれは、「再会」前の、「喪失したままで生きている間」のことなんだけれど、

■今月7日(日曜日)の北海道新聞・書評欄は、伊坂幸太郎(1971年生まれ)『モダンタイムス』を、星野智幸(1965年生まれ)が書評する、ってゆーゴーカな組み合わせだったんだけど、
同じ日の日本経済新聞には、星野智幸の貴重なエッセイが掲載されたんだよ。
それは、「バリアフリーは人を善良にする」、なぁ〜んて、一見、ゆる&ゆるなヒューマニズム・コラムな題なんだけど、
彼の叔父の追悼エッセイなんだ。その叔父、ってーのが、車椅子生活者、つまり身体障害者だったんだ。
まぁ、ここまででも、「ああ、そうですか。それはおいたわしい・・・。」チ〜ンなんですが、
この叔父、
「団塊の世代である叔父も、全共闘運動に血道をあげた一人だった。
だが、内ゲバにより脊椎(せきつい)を圧迫骨折、重い障害を負うことになる。
私がものごころついたころには、叔父はすでに車椅子に乗っていた。」
とゆー人なのだ。
で、さすが(?)星野の叔父らしく、ブログを持っていて文章を書く習慣があったんだね。ただし、障害者だから、「息で操作できるパソコンを導入し、少しづつ書きつづっ」たようだ。
ブログは例によって、主人が死んでも、読める。
『トライアル60』ってのが、それで、星野はそのなかの一日について、こう書いているんだよん。
ブログを始めてから
「叔父はこれまでになく率直に、自分の考えや病状を明らかにしていた。
2007年8月6日の文章を読んだときには、ひどく衝撃を受けた。そこには私が聞けなかったことが書かれていたのだ。
38年前のこの日に怪我を負ったときの詳細、もし学生運動をしていなかったら・・・等々のさまざまな後悔。
毎年この日になると、その後悔と向き合い、重い障害を抱えた今の自分を肯定し直すこと。」

>2人きりさ

■ひとりで「孤独」は滑稽な場合があるけれど、2人で「孤独」は美しい場合がある。

共犯記事には、「恋」と「時間」

■一目惚れにも、「時間」が必要だ、という発見。

>それでも「いつか」が訪れる奇跡が、実は、人生にはあるんだよね。

「幸せになってもらいたい人がどれだけいるかで、その人の幸せが数値化できる。」と、書いたのは私、だっけ(笑)?
■奇跡は「待ち方」が問われる。

>ひとつの書架として君を抱く

■情報を裸にして、ページをめくり、文字に舌をはわす。

>共犯記事のどこかに久保兄、書いてたと思うんだけれど、見つからないんだけれど(笑)、

■あはは、それ、君のページだよ(笑)。
ほら、

志羅山美香文学の世界
これは、『されど われらが日々―』を読んで自殺していった
「名前を知らない女の子」へ向けての、柴田の叫びではないのか?


>「国家は暴力なしには存続できない。だが、大学だけは道理に支えられなければならない」

■あは。
みごとに私がピンクのライン・マーカーを引いたところとニア・ミス(笑)だね。
私は、そのセリフに続く下記に、二分割(?)で線を引いたんだ。

大学は小さく静かに光る瞳で、そのなかに国家が逆さまに映し出されなければならない。」

青春ユーモア小説(笑)を装って書き出されている『ノンちゃんの冒険』だけど、ここの会話は『されどわれらが日々―』ファンには、まるでサービス♪だよね〜。

『なしくずしの死』を連想してしまう。

■あー。それがススキノの古本屋『北海堂』に売っているのさ(笑)。
あ、まてよ。『夜の果てへの旅』、だったかな(がくっ。)。

>『立ちつくす明日』文庫版の真継伸彦の解説が、素晴らしい・・・・

■真継伸彦の『鮫』は読んだ?

>「すぐれた作家はそれぞれに時代の病を早くから病んでいたのであるが、その中にあって、柴田翔の作品の第一の特徴は、理性の抒情というべき、明晰で硬質で、しかも音楽的な文体の創造にある」

■このことを、渋谷陽一は、「要するに、その時代で最もポップな部分を目指してるものってことなんじゃないのかな」、と、「翻訳」して語ってみせた、ってことだよな。

>「耐えかねて哀れみを乞う甘ったれは登場しない」

■しかし、これが実は柴田翔の「インテリ小説」を脆弱にしたところであり、その克服として、より集団劇的な『われら戦友たち』は書かれる必要があったんだろーな。
で、『共犯新聞』「筑紫哲也・追悼特集」で引用した1980年代に入ってからの柴田翔の日大全共闘へのシンパシーは、その結果でもあると思うのさ。

>「柴田翔はきわめて理智的で孤独で自閉的な男達をえがく」

■「孤独」と「自閉」は、「箱庭」ということ。
完璧な庭園を男はめざす。そこが「男」のロマン(=「文学」)であり、「不幸」であり、「愚か」さであるんだよね。
「革命」の滑稽さと不幸は、<「孤独」と「自閉」であるところの、「箱庭」>を「共有」しようとしたところから起因している、と、定義してみようっか。

>「(されどーに登場する)さまざまな若い女たちは、もともと独自の愛をそなえた存在であって、孤独で機械的な人間関係を望む男性たちの批判者である。彼女らは、男たちとの関係に耐えかねて自殺したり、そばを去ったりする」

■つまり、「孤独」と「自閉」と、「箱庭」の反対側を立たせることにより、問題を前に転がす。
■男と女の共同行為としての「恋愛」は、それらの差異に亀裂を与えるわけで、まぁ、「恋愛小説」や「ラブ・ソング」が大量生産&大量消費される相関関係も、そこにあるんだけどぉー。
■(仮説として言い添えれば、)「ほんとうの」「恋愛」によって「孤独」を解消した男は、その境地において初めて、「孤独」という言葉を使っての「批評」が可能になるのではないだろうか。
小林秀雄までの時代は、そのような男のことを、「おとな」と名付けたのだと思う。
もちろん、村上春樹の時代は、違う。そして、柴田翔の時代は、その過渡期として、さらに大きな課題が与えられていたのではないだろうか。
それは、ここにつながる。

>「この作家の本質を探ろうとすれば、女性の卓抜な描写力がどこからでてきていれうかを探らねければいけない」

■たとえ柴田翔の女性経験が浅くても、この場合は問題ではないんだよね。
おそらく、柴田は『されど〜』を書くまでに、無数の空想の女を抱いてきた、はずだ。
「空想の女」のことを、思想、と世間では名付けている、のかも。

>だからもしかしたら定番だったのかな。

■2002年の春だったかに、芦別『DYLAN』で三宅伸治を観た時は、ジョージ・ハリスン追悼、とか言って「サムシング」を歌ったし(笑)。
器用な人なんだよね(笑)。
器用な人が不器用なモチーフを選択する時、オーディエンスの愉楽が準備されるんだよな。因果なことじゃ(笑)。

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There is a place Ms.月見猫 goes♪ Where teardrops fall
>そのどれにも毒されていない久保君って、やっぱエライよ。

■まぁ、宴会でカラオケで大盛り上がりのときに、「次、久保さん♪」と言われて拒否する時の空気の変わり具合の恐ろしさは、まぁ、罪な男になった気分(笑)。
PTA会長をやっていた時が、そのピークだったかな(笑)。
なんか、へんな久保幻想(がくっ。)があってさ、
「久保さんは、頭がよくて、スポーツ万能で、英会話もぺら&ぺらで、絵も上手で、音楽の才能もあって・・・・・・。」、みたいな(笑)。
あいかわらず、80年代と変わらず、今でもデタラメな私です(笑)。

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Who killed Davey Moore ? Why an' what's the reason for Mr.外笑 ?
クリスマスの夜に失業率は跳ね上がり!

■労働経済論が専門の君には猫に小判だが、
最近のマスコミで、わー&わー報道されていることの中で欠落しているトコを、『共犯新聞』は指摘しておきたい。
共犯新聞 経済社説

■いわゆる日本の「派遣労働者」の起源とは、1990年代バブル期直後の日本に起こったデフレの原因である
アジアの低賃金労働者への工場の海外流出を喰い止めるためのもの、であった、と思う。
■つまり、海外の「低賃金労働者」に対抗すべく、国内に人工的に(=「政策的」に)「低賃金労働者」を
生み出したのが、「派遣労働者」に代表される存在だ。
■と、ゆーことは、「派遣労働者」とゆー雇用システムが存在しなかったとすれば、1990年代の日本の工場の
海外流出はより大量に行われたことだろう。
現在、起こっている悲惨な「首切り」の連鎖は、実は1990年代のデフレ対策の遅延化された情況に
すぎないのである。今、起こっていなければ、1990年代に起こっていた、だけのことなのだ。
■今回の問題は、1990年代の段階で問題の解決を本質的に行わなかったために、場当たり的な対策をした
段階での「政策」の環境係数が少し変わっただけで、安易な対策のメッキがはがれただけのこと。
■では「本質的」な問題とは何か?それは、すべての労働は、「楽ちん」をめざす、ということだ。人類の歴史
とは、「楽ちん」への段階的スケジュールのことであった。すべての労働は、失業を目的としているのだ!
■現在の世界同時不況を説明する時に、「アメリカに端を発した」とか、「サブ・プライム・ローンが世界に波及」と
か語られるが、それらも瑣末な事象にしか過ぎず、実は、上記に述べた「本質」があるから世界同時、なのだ。
■人類は「楽ちん」めざす一方で、スポーツ・ジムやジョギングの隆盛や、オリンピックなどでの限界を知らぬ肉体
の更新が日々、行われている。労働は「楽ちん」をめざすが、人類は必ずしもそうではないのだ。そこの誤差に
こそ、今回の労働環境破壊の解決のヒントがある。雇用の創出とは、そのことである。
■また注意したいのは、人類は過去の歴史で、中長期的に次世代の雇用形態を創出しあぐねている時に起こる
社会的閉塞感から、政治的ガス抜きとしての「戦争」を行ってきた。ここはコントロールしたいところである。
■世界同時失業とは、世界規模での雇用デザインを行うことができるチャンスである。『共犯新聞』は下記の提案
をする。

  1. 国連に、『(仮称)雇用デザイン・センター』を、おく。
  2. 世界各国の失業者のデーターをセンターで管理する。
  3. 同時に、世界各地における未開発地区を調査し、そこに国連主導で失業者を送り込む。
  4. 未開発地区での主な作業は、生活関連土木(道路など)、食糧確保(農業など)、文化(教育など)。
  5. 就労者への賃金は国連が保証する。日本の南米移住などの悲劇を繰り返さないために。
  6. この一連の事業に協力する企業には、各国から免税や国連事業への参加権などの優遇を与える。
  7. これらの開発と平行して、新産業が誕生したときは、労働の供給も行う。
  8. 大きな自然災害などが起きた場合も、労働力の派遣をデザインする。
text by 久保AB-ST元宏




1719
Reply 補足に履かせるサンタの靴・ 『サンダルにつまさきのせて坐る椅子行きたいところは行けないところ』 江戸雪 ミカキチ@ろーら URL 2008/12/17 04:21


*今年は珍しく忘年会などしてしまったので、もう年末な気がしていたけれど
 まだクリスマス前なんだね。
 札幌の街は12月になると空気が滑らかな流れる固体みたいになって、街ごと水の底に沈 んだようになるけれど、それはどこの街もそうなんだろうか。

*共犯的忘年会の補足書こうとここ開いたら、その隙にトップ記事が差し換わってしまいました。どこに仕舞われてしまったのでしょー。

*その、今私が見失ってる記事に、キノに映画観に行って、「イチ押しハッピーエンド映画のVHSテープ」を持っていく、という企画で、ウディ・アレンの『スリーパー』持っていったようだけれど、その「イチ押し」の理由になんて書いたの?
 って、ずっと訊こうと思っていたのです(笑)

 因みに、『スリーパー』って、初めて見たのがテレビでだったけれど、私には初めて見たウディ・アレンの映画でもあった。でも、見た時はウディ・アレンなんて誰なのか知らなかったけれど。

 あと、数年前に、クレズマー文化の講演会というか、内輪の研究発表会があって、そこで友人のクレズマーバンドが演奏するというので観に行った ら、参考映画として『スリーパー』の上映(参考資料としてだったので、部分上映の予定だったんだとは思うけれど)があったんだよね(やや、あやふやな記憶 なんですが・・・)。
 といっても、機材の調子が悪くて上映自体も出来なかったんだけれど、私としては意外なところで自分にとって印象の深い映画が取り上げられて、ちょびっと興奮したので記憶に残っているのです。
 でも、詳しい内容を忘れてしまっているのだから、全然ダメだわん。

*2008年の久保さんの行動日誌も続々更新されているけれど、『アンナ・カレーニナ』のとこで、「主人公の自信」とされている、主人公って、やっぱりアンナのことなんだよね??
 ここで言われている「自信」については、私もちょっと思うことがあるので、自分が読了したら改めて考えてみるよ。まだ再読途中なので。

*で、忘年会記事で、補足しようと思ってたとこは、
 記事にも取り上げられていた、「軍隊について」のところ。

 あれ、もともとは確か、「軍隊について」というより、「戦争について」で話が展開していったんだと思うの。
 もっと言うと、「政治」「国家」について、ということからだったかな。
 あの話が始まるひとつ前の東出さんの台詞は、
 「オバマは2年しか持たないと思う」だったから・・・
(どこからそこに話が飛んだかは、思い出せない)
 
 で、あの日は何を話してもそうだったけれど、
 何かテーマが転がり出た時、そこのどこに対して反応するか、で
 その人らしさが出るものだなあ。
 ということをつくづく感じて、そこが何より楽しめるメンバー構成だったんだと思うのだけれど、
 そこから東出さんが話しを拓いていったのが、
 「日本も軍隊を持つべき」ってことだったんだ。

 そうしたら、久保兄が、すぐさま
 「それはでも、歪んだ真面目さだと思うな」って言ったの。

 で、聞いていて、私がコメントしたのが
 「つまり、東出さんとしては、軍隊を持つことが国としての責任だと考えているってことですね?」ということ。

 で、夫々の考えを述べる、という流れになった。
 
 山里さんは、戦争、というものを「死」「危機的状況」という風に捉えて、
 個人としての覚悟の持ち方と、その覚悟に繋がるものとしての自分の生き方について語ったんだよね(と、いう風に私は聞いた。)

 で、ここでまた共犯記事に戻るけれど、
 久保兄がそこで述べた意見というのが、「自分にはこれについては3つ言うことがある」で、
 一つが、軍隊は保険である、ということ。
 二つ目が、自分にとっては、国家というものはない、ということ(ここで東出さんとやりとりになった)
 三つ目が、自衛隊は救助隊になればいい、ということ。

 だったんだ。

 あの日は一度、私が我慢できなくて話しの途中で指摘してしまったけれど、
 記事に「久保は本気で茶化す。」とあったけれど、
 実はすんごく(多分)珍しく、久保さんが、普段なら茶化して、上澄みを上手に滑らせたり、トスを繰り返してる内にボールを消してしまったりしたんじゃな いかと思うところで、ものすごくしっかりレシーヴして投げて返して寄越すようなやりとりをしていて、勿論発言そのものは久保兄らしいんだけれど、複数が挟 んでるテーブルで久保兄がそれを始めてるのが何となく面白かったのです。
 やっぱり、共犯青春真面目倶楽部の先輩の東出さんと、宇宙で思考のインスタレーションしてる山里さんとの席だと、久保さんも素直になってしまうのだろうか。
 と、思ったりしていたんだけれど、
 考えてみたら、ああいう席での久保兄を観察したことが私自身にまだ3回くらいしかないんだった、と気付いたのでした。

*あと印象に残った対話といえば、
 東出さんが、共犯記事に載った私の文章の「怒りは肯定のエネルギーで、哀しみは否定のエネルギー」という言葉を取り上げたのに端を発して、
 「自殺は是か非か」。という話にもなったよね。
 一般の人と、作家など表現者とは、自殺ということの扱いも違うのではないか、という意見も取り混ぜながら、
 話は「作家本人にとって、才能とは何か。」みたいなとこまで発展した。

*他に、メモ代わりに書いておくとしたら、
 久保兄が口にした、珍しい「解りやすい台詞」として、
 物語の功罪について語った時の「直木賞的感動」と「芥川賞的感動」(だったかな。感動、じゃなかったかも。別の言葉だったかも。本人覚えてる?)という表現と、
 これは軍隊とか戦争について語った時の、
 「女は幸せを求めて、男はやりがいを求める。」っていうの(笑)
 話の前後を書くとすごく長くなるから省略するけれど、やっぱりこう書き留めてみても、すごく珍しい発言だったと思うから書いておくことにしよう。

*個人的に、私が印象に残っているのは、
 あの場では話さなかったんだけれど、
 割と早めの時間帯に、東出さんが、息子さんが不登校になったお陰で出来た体験、の話をされて、多様なスピードの時間の流れを複数保持することが子供のお陰で出来たのではないか・・・みたいなことを私が口挟んだ流れで、
 本に含まれてる時間、それと対峙するに必要な自分の中に流れてる時間のスピードの種類、についての私の考えを述べた時、
 私が割に雑に「文化」という言葉を使用したために、
 久保さんと山里さんに、その雑な部分の穴のとこを指摘されたんだけれど、
 その中の一つとして、久保さんが、
 「かつて児童文学に存在したってミカキチが指摘した数千年単位の時間の流れは、今は例えばゲームの中にちゃんと存在している」って言ったところ。
 それって、児童文学評論家の赤木かん子さんがよく言っていて、
 だから、児童書担当の図書館員は、ちゃんとロール・プレイング・ゲーム(っていうのか?)をやらないとダメ。って随分昔から発言してるの。
 やはり、図書館員になろうとするタイプには、私のように(笑)ゲーム系は一切苦手な人が多いんだろうね。
 でも、職業上それは責任です、って彼女は断言してて、
 そのことをその場で思い出してて、ああ後でどこかに書いておこうって思っていたのです。

*今日は、十勝で豆農家をやってる私の親友が、初めての子供を出産した日です。
 丁度一年前の今朝、厨房にいた私の携帯にメールが入って、
 「急に破水して今病院!出席番号飛ばしていきなり名前呼ばれた気分!!」って(笑)
 
 予定より3週間近く早かったけれど、元気な女の子が産まれた、一年前。
 そんなんで、ここ数日はずっと彼女のことと、彼女に書く手紙のことを考えていた。

 今年もあと半月。
 
 今、『ムーンリバー』と『サークルゲーム』の歌詞を訳してて、
 どっちもあんまりすごくいい歌詞なんでうっとりなんだけれど、
 歌うように訳そうと考えると難しくて(当たり前だ笑)
 ちょっと逃避してここに書き込みしてました。

「才能か?足りん!技巧か?足りん、足りん!私か?足りん!悪意か?足りん!」 加藤治郎

↑確か、穂村弘とかと、短歌論に白熱した後につくった歌、だったと思った。  

*以上、報告、ヲワリ。





1720
Reply 戦争の親玉と、政治の毛玉。 久保AB-ST元宏 URL 2008/12/18 02:25


Wiggle, wiggle, wiggle like a gypsy queen♪
Wiggle, wiggle, wiggle all dressed in green♪
Wiggle, wiggle, wiggle 'til the moon is blue♪
Wiggle 'til the moon sees Ms.ろーら@ミカキチ
>12月になると

■たとえ元旦からダイエーが開いていようが、真冬でもスイカが食べられようが、12月になると、やっぱ、12月は特権的な月だと感じてしまうね。

>どこに仕舞われてしまったのでしょー。

■それは、ここ、です(笑)。
『共犯新聞』1面からいく場合は、ほぼ最下段の「2008年に買ったもの」内のタイトル「2008年」をクリックして迷い込む「2008年」タイトル横の「共犯忘年会」をクリックすれば、たどり着けます(笑)。
さっそく、もーここに、「ミカキチ@ろーらの、共犯★忘年会、補記。 (2008月12年17日 4:21Am)」のリンクを貼っておいたよ♪

>ウディ・アレンの『スリーパー』持っていったようだけれど、その「イチ押し」の理由になんて書いたの?

■ってゆーか、私が持ってる市販VHSビデオって、映画じゃ、
『スリーパーズ』、『シェルタリング・スカイ』、『マルコヴィッチの穴』の3本しか無いんだよー(笑)。
ちなみに映画以外では、
ジョン・コルトレーンの1959年、1961年、1964年のライブ『コルトレーン・レガシー』
と、
『山藤章二のラクゴニメ1 古今亭志ん生「火焔太鼓」』(がくっ。)、の2本だけ。
中古じゃなく、定価で買ったのは最後の「ラクゴニメ」、だけ。
「ラクゴニメ」ってーのは、音声だけ残っている古今亭志ん生の落語を、山藤章二がアニメにして再現した・・・・・・とゆー、なんちゅーか、ある意味、トンデモ企画モノ(がくっ。)。
■しかし、本、レコード、CDは2つの部屋が埋まるほど漁っているのに、ビデオ、DVDへのストイックなまでの買い控え(笑)は、我ながらお見事&てってーしてんなぁー。
■で、『スリーパー』が「ハッピーエンド」「イチ押し」の理由なんだけど(笑)、
まぁ、本音は<『スリーパーズ』、『シェルタリング・スカイ』、『マルコヴィッチの穴』の3本>の中では、これが、唯一、なんとかー・だから、なんだけど(笑)。
シアター・キノのチケット・カウンターで後ろに並ぶ客を待たせて、速記(がくっ。)で書いたのは、

割引サービスあなたのイチ押しハッピーエンド作品を、
VHSテープでお持ち下さい。
お持ちいただいた方、
お一人さま¥1000!
(受付にて、イチ押し理由カードに
ご記入いただきます)
イチ押しハッピーエンド作品;

ウディ・アレン『スリーパー』

イチ押し理由;

この作品でウディ・アレンはブレイクし、
その後の成功は書くまでも無い。
そして、彼のすばらしい映画人生は、
どん&どん充実さを増し、
そのままハッピー・エンドを迎えようとしている、から。

Wow!★VHSの時代もレトロ♪テープって、もう恐竜時代の忘れ物、か。
右下は、一緒に持ってきた、

仕事で使う「観賞用(笑)ヤミ米」サンプル。


『アンナ・カレーニナ』のとこで、「主人公の自信」とされている、主人公って、やっぱりアンナのことなんだよね??

■そう。「ごめんねロリータ」キチイの存在が、アンナの「自信」をさらに輝かせている、よね。
私はキチイが鬱病(?たぶん、現代ならそう診断されるだろーな。)にかかってドイツの保養地に身を潜めたときに出逢った女性、ヴァーレンカも、もちろん好きなんだけど♪
■キチイが負の情熱を時間をかけて解決に導いたように、情熱とは持続される時にこそ驚くような展開を引きづり込ませる、と思うんだけど、
正の情熱には「自信」が担保されていなくてはならず、その代表がアンナなわけなんだろーな。
『源氏物語』で言えば、やはり、情熱を持続させ、近代自我の確立をも先取りしていた朧月夜が、アンナ的、だね。
■オブロンスキイの自信が滑稽で、カレーニンの自信が薄っぺらで汚れているかのように見えるのに対し、アンナの自信は強靭な印象を持ち、美しい。
大して魅力的な男たちは自信が無いように描かれている。ヴロンスキイも、レーヴィンも。
つまり、自信は男だけのものである、とゆー不文律があった(と、私は思うんでした〜。)1870年代の帝政ロシアの貴族社会とゆーシチュエーション・コメディならではの、立場(=役割分担)の軸としての「自信」、だ。
■転じて、自信を失いながら二転するキチイが、再会したレーヴィンからの申し出を喜んで受け入れる時には、「ごめんねロリータ」の身の上から転じて、自信が備え付けられている、ってゆートルストイの下ごしらえ。
■もちろん、自信は偏狭なイデオロギーにも結びつくから、ちょー危険でもあるんだけれど、トルストイが描きたかったのは、「情熱」なのだから、そこはブンガクの魔法だ。
で、そこを突かれる時にトルストイが準備したのが、レーヴィンの異父兄の農民を愛する作家コズヌイシェフというジャーナリスティックな通風路だよね。
■2008年にトルストイを読む理由とは、ガンジーがトルストイ主義者であったとゆーアジアと西欧の蝶番に指を挟めて血を流すためにこそ。

>「日本も軍隊を持つべき」ってことだったんだ。

■もちろん、東出センパイは(たぶん私以上に)平和主義者。

>「それはでも、歪んだ真面目さだと思うな」って言ったの。

■偏狭な平和主義者(←東出センパイのことじゃーないよー♪)が今まで犯してきた多くの残酷な戦争を思い出せばよい。

>軍隊を持つことが国としての責任

■もし、そうだとして、その判断は誰がするのか?その判断に至る議論は記録されているのか?責任の結果の責任は、誰が持つのか?
そも&そも、「自分にとっては、国家というものはない」などと言い出す不逞の輩の前では、そのロジックは成り立たないのではないか?
であるから、成り立たなくさせるためにこそ、国家の消滅、もしくは、その幻想ぶりを白日の下にさらけ出す作業に意味はある。

>個人としての覚悟の持ち方

■「国としての責任」と、「個人としての覚悟」は、まったく違うもの。
しかし、戦争とゆーシチュエーション・コメディが、それを、ぐちゃ&ぐちゃにして、同じものであると思わせるようにする。
その脳味噌の暴力に最後まで唾棄し続ける自信と情熱が持続できるか。
■共犯忘年会の時に東出センパイが『共犯新聞』に掲載された私の本棚の写真の中から見つけ出して、
「久保さん、『田中清玄自伝』(1993年)も読んでいるの?」と、言ってた、その田中清玄(1906年3月5日北海道亀田郡七飯村(現七飯町)生まれ。〜1993年12月10日)って右翼の大物なんだけど、その彼がこの本でこんなことを言ってるんだよ。

事故が起きても、万全だったとか言って、あとは平気で口をつぐんでしまう。
だから、そんなもの、私はもう自衛隊削減論だな。
日本の上から下まで平和を貫徹し、その力をもってアジアを平和の方向に走らせたら、
それこそアラブのラクダを砂漠に解き放って、突っ走らせた以上の効果がありますわ。
それで初めて、日本はアジアからも、世界中の人々からも、
本当の尊敬を勝ち得ることができるんです。


……。これ、右翼の大物の発言、だよ。
ペシャワール会の中村哲医師と、まったく同じコトを言ってる・・・。しかも、15年以上も前から〜。

>久保さんも素直になってしまうのだろうか。

■二度ねじれてみただけです(笑)。

>一般の人と、作家など表現者とは、自殺ということの扱いも違うのではないか

■私が今年、ぐーぜん手にした魅力的な本、ベスト3圏内間違いなし♪なのが、ブック・オフで105円だった、粕谷一希『二十歳にして心朽ちたり』(1980.11.10、初版、新潮社)。
粕谷は1930年生まれの『中央公論』元編集長で、雑誌『しゃりばり』に巻頭エッセイを長期連載している。
1990年代に私が『しゃりばり』に連載していた時、私のページはほぼ最終ページだったので、当時のインテリたちの間では、
「君は『しゃりばり』を、粕谷から読むか?久保から読むか?」と言わしめ、私は「『しゃりばり』を後ろから読ます男」と言われた(←うそ)。
で、粕谷の本は実際、面白いし、これ、105円だったし(笑)、買った。
タイトルから、粕谷の自伝かな、と思った愚かな私(がくっ。)。
なんと、これ、遠藤麟一朗の伝記!
遠藤麟一朗(えんどう・りんいちろう)とは、第二次世界大戦後に一高〜東大生が中心になって発行した全国大学高専生機関誌『世代』の初代編集長。
『世代』に書いていたのは、それぞれ無名時代の、加藤周一、中村真一郎、福永武彦、清岡卓行、いいだもも、吉行淳之介、中村稔、八木柊一郎ら。
遠藤周作が投稿した小説がボツになったとゆーぐらいの、今では考えられないハイ・クオリティな学生雑誌。
で、彼らの周辺にいたのが、『共犯新聞』でも書いた学生服のポケットに大量の石をつめて入水自殺をした『二十歳のエチュード』の原口統三
一方、そんな彼らから「エンリン(=遠藤麟一朗の愛称)は、われわれの青春のシンボルだ」と言われ続けた遠藤は、東大卒業後は、作家にも編集者にもならず
住友銀行に就職し、組合運動をし、アラビア石油へ転職し、自らの希望でクェートのカフジ石油基地に11年勤務(←私はここで、彼と田中清玄の交差をイメージする。)し、帰国後は若いかわいこちゃんと同棲し、1978年2月19日に胃潰瘍で急逝。享年、53歳。
粕谷は遠藤の世代から数年若く、一高〜東大法学部と歩んだ直後の世代。その粕谷が、遠藤の死をきっかけに『中央公論』を退社し、文筆業としての独立を決意し、遠藤の周辺をロード・ムービィ風(?)に聴き歩きしたものをまとめたのが、この本だ。そして、これが粕谷の処女作!
粕谷は遠藤とは府立一中、一高、『世代』からの友人にして、最後の職場となったアラビア石油の常務でもあった池田幸光の自宅へ、遠藤の死後直後に訪問して、池田が酔って語ったこんな言葉を記録しているんだ。

「そう、彼はよくサービスした。仕事でもそうだった。彼はサービスに逃げていたんだ。」

しかし要するに、彼は何をしたかったのだろうそれが最後までおれには解らない。」

「あの馬鹿野郎、インチキ野郎、ウンシャン野郎、なつかしい野郎自分を引っくるめて人間を軽蔑していたんだろうか
四修的秀才の露悪趣味だったのか。眼の前でバラバラ分解してゆくように死んでゆきやがった!
われわれは何一つ仕事は残していないじゃないか

なんだか、柴田翔『ノンちゃんの冒険』に出てきてもおかしくないキャラだよね。
■そして、遠藤は「作家など表現者」でもないし、「自殺」すらしていない。そんな遠藤は、「一般の人」、なのか。

>軍隊とか戦争について語った時の、
 「女は幸せを求めて、男はやりがいを求める。」

■共犯忘年会でもこの発言の補助線として私が語ったけど、
ここで言う「女の幸せ」は、「小さな物語」で、「男のやりがい」は、「大きな物語」。
つまり、ここでも物語の大小のヒエラルキーの無化こそが、またしても「やりがい」の愚かさを相対化させちまう。

>多様なスピードの時間の流れを複数保持することが子供のお陰で出来たのではないか・・・

■やっぱり、子供を持ち&育てる、ってことは(子供には迷惑だろうが・笑。)、二度生きる、ってことだし。
子供でなくても、共犯忘年会のアイリッシュ・カルテット(→または、妄想麻雀四銃士・笑。)のように、魅力的な出会いは、時間の多様性に気がつかせてくれる。

>今は例えばゲームの中にちゃんと存在している

■小説が「物語は死んだ」と言ってるそばから、ロール・プレイング・ゲームや、アニメなどで芳醇な新しい「物語」が繁殖を広げている。

>元気な女の子が産まれた、一年前。

■くりかえしは、いつも新しい。

> 今、プー横丁で、永遠をつかまえて。『ムーンリバー』ブライアン・ジョーンズのゆれる前髪で、永遠をつかまえて。『サークルゲーム』歌詞を訳してて、

■ニール・ヤングも19歳だった。

>穂村弘とかと、短歌論に白熱した後につくった歌

■今年の6月、穂村弘が『第19回伊藤整文学賞』を受賞したときに北海道新聞に書いたエッセイで、
彼が込み合った電車の中で見かけた若いカップルの、「髪をなで」→「うふふと見つめ合い」→「ちゅっとキス」の3つがランダム繰り返していることを見せられる不快(?)からできた短歌のことが書かれていた。
彼がその気分を「短歌をつくって元を取る」(笑)として生まれたのが、

   電車のなかでもセックスをせよ戦争へゆくのはきっときみたちだから

で、彼は「え?と思う。そのとき、私は「戦争」のことなんて考えてもいなかった。」のだ。
そして彼はこう書く。
「この例からもわかるように、短歌には現実の私の思いを述べるという以上に、作者自身も気づかなかった<私>の心=「思いがけない真実」をかたちにしてしまう力があるらしい。」




1721
Reply 考え抜き体現していることが今の到達点・・・  外笑
2009/01/13 23:55


 労働経済学専攻の私ですが、やはり労働には良い面も悪い面もあります。
それは、どういう状況下で どういう選択で 労働しているか・・
それに左右されるということもあるでしょうし。そして人間関係。
 独りで行えるものか、多人数での協力作業なのか。
仕組まれた労働というのは、かように退屈な余計な人間関係を生みますし。
それで生産性を上げたとて、時代の潮流によっては破綻を招きます。
 その人間関係は幻想となり、孤独な犯罪者を生む結果ともなりましょうし。
切られた人達にも責任があるのでしょうし。なぜ君は その職を望んだのか。
 決して彼らは被害者ではありません。盲目の紳士達なのでしょう。
創造という本来の働きを無視した工場労働者は考えることを辞めていたのですから。

 久しぶりに本ページを拝見しました。月見猫氏もえらいことになりましたな。
すっかり特集ページなどあり、その進化には驚いていますし。

 テラさん。年賀状ありがとう。君のシャイなところが好きです。
僕も君も自分の中の何かを体現しているはずです。

若い時、色々と音楽や人に出会いました。その都度 衝撃があったり
新しい感覚に襲われたり そして発見や。
 今って そういう音楽ありますか? 日本のバンドなどで。
あったら知ってみたいです。昔 新譜が出ると急いで買いに
 調布のレコード屋に行ってたのが懐かしいです。このバンド
 次は何やってくれるのかなって^^そういうの今あるんですか・・
それとも僕が歳老いてしまったのかしら。
 音楽にそんな革命 起こせませんか・・今って・・・

 もっぱらネット・携帯・新機種・・・そのデジタルな刺激って・・・







1722
Reply 社員 A LIGHT 久保AB-ST元宏 URL 2009/01/15 12:01


Wigwam and Mr.外笑♪
>創造という本来の働きを無視した工場労働者は考えることを辞めていたのですから。

ピーター・ドラッカー(1909年〜2005年)と、彼の主要著作をすべて翻訳している上田惇生(うえだ・あつお、1938年生まれ)は、
企業の実行すべきことは、


  1. マーケティング(顧客の創造) = 営業
  2. イノベーション(技術革新) = 開発
  3. 生産性の向上 = 工場


と、まとめています。
この3つをバランスよく進めないと、企業は破産します。また、その情況が国家単位、もしくは世界規模で起こった場合、「世界同時不況」になるのでしょう。
■つまり、「生産性の向上」は「歩留まり」の良い=経費のかからない企業環境をめざしますので、
その時点でマーケティングが成熟していなければ、「商品」はあまります。
「商品」があまる、ということは、


  1. 「商品」のダンピング → デフレ
  2. 「労働力」のダンピング → 失業


の、どちらか、または両方を誘発いたします。
そのことを私は先の共犯新聞 経済社説において、
「「本質的」な問題とは何か?それは、すべての労働は、「楽ちん」をめざす、ということだ。人類の歴史
とは、「楽ちん」への段階的スケジュールのことであった。すべての労働は、失業を目的としているのだ!」と、書いたわけです。
■さて、「労働力」のダンピングにより、「失業」または「午後3時には仕事が終わっちゃう」情況になった場合、企業が実行すべきことは何か?
まさしく、ドラッカーが示したバランス通り、「マーケティング(顧客の創造)=営業」と「イノベーション(技術革新)=開発」に余剰労働力を注入すべきなのです。
つまり、本質的な意味での、「教育」、です。
そして、本質的な「教育」とは、均一化された社員=「工場労働者」を大量生産することではありません。
それは上田惇生の言葉を借りれば、
「働く人にそれぞれの能力を発揮してもらう」、ということです。
■最初から「それぞれ」という概念を切り捨て、「均一化された」パッケージにソフィストケイトされた、システムとしての労働者が、まさに、派遣労働者、なのです。
近代経済学の超克ジョン・ケインズ(1883年〜1946年)を50年以上研究してきた、伊東光晴(いとう・みつはる、1927年生まれ)は、
『朝日新聞』2009年1月11日のインタビューで「派遣労働者」政策の異常さを下記のように語っています。
ケインズは派遣労働など想定していませんでした。これは日本と韓国ぐらいにしか存在しません。」
まぁ、この点には、「昨年末EUは派遣労働指令を正式に採択したんですけど。」ってゆー異論もありますが(笑)。
とにかく、伊東が言いたかったことは、
「派遣労働を政府が認めたことは、中間搾取をなくすという戦後の労働政策の原則の崩壊です。
本来、職業紹介は公的部門と学校以外はやってはいけない。」
ってこと。
まぁ、確かにやや古すぎる議論になっちゃっていますが、気持ちは分かる(笑)。
たとえば、性風俗産業を例にとれば分かりやすいんだけど、
「クローズされた労働環境」が求められる場合には、労働の斡旋者が社会的に必要になる。
つまり、閉じた労働環境、そのものに問題があらかじめ閉じ込められていたのではないのだろうか?
もう一度、ドラッカーの思想を紹介する上田惇生の言葉を引用しよう。
ドラッカーは、日本の競争力は企業が人を大事にするところにあると見ていた。
組織の良しあしは、共同体になっているか、生きた有機体になっているかがカギだと考えていましたから。
でも現在のような状態では、『日本よ、お前もか』と嘆くでしょうね」
がくっ。
■まとめれば、
労働が、余剰になるのは必然。
ならば、余剰労働を「それぞれ」に「教育」する体力が成長する企業の条件である。
って、ことだ。
短期的に「生産性の向上=工場」のみを満足させるために導入した「派遣労働」システムには、上記の条件が最初から無視されており、
それは、「マーケティング(顧客の創造)=営業」と「イノベーション(技術革新)=開発」に余剰労働力を注入する道を失わせていた。
となれば、企業の成長は、無い。
■また、私のように地球の僻地に住んでいれば、「下請け」企業のせつなさも見えてくる。
「派遣労働者」と同様に。「下請け」企業も、法人としての「派遣労働者」であり、それは元請のリスク配分の手段にしかすぎない。
個人が輝くこと。
今こそ、「light」は、「軽い」から「輝く」になるべき。
優れた人間論とは、企業論としてそのまま語れるのだ。





1723
Reply 自由と保護・・・  外笑
2009/01/20 02:23


 大変 参考になりました。そうですな。下請け企業という存在もまた
 、ここでは外せない話題でありますし。私も起業して3年目を迎えま
 すが、個人事業でありながら ひたすらメインは元請会社になること
 が最大の醍醐味と思い、顧客(良質なる・・お互いメリットとなる)
 開拓に励んで早3年。少しずつでも増やしている最中でふよ。
  しかし、一部 下請け仕事もこなしながら というのが今の現状。
 この下請け仕事というやつ。これをメインにして社員4名位もしくは
 20名位で、下請け仕事をこなしている同業もいる。私は独り事業で
 すが、断じて下請けメインの事業体などするつもりは無いナイナイ。
  ある意味 危険だと思うし・・大きな親が倒れりゃ子も倒れる図式。
 なにより中間搾取ってのが嫌い嫌いメン!なので。
  そんなことするくらいなら 暇の時ゃ 日雇い派遣で使われたほうが
 ましですし。極端な考えかもですが、それがモットーでやんす。
  派遣会社に利用されるより利用すべし。
 元請会社に利用されてる感が大きいなら 事業辞めちゃえ!
  って あくまで私の自由ないきさつでした。^^
 まあ、あくまで技術人工仕事が現状では母体となってる我が事業での見解ですし。






1724
Reply 冒頭の問いかけについて・・・  外笑
2009/01/22 21:33


  こはま コバマ? 昔 あいつにえらい目に合わされたよ 責任取って欲しかったけど
   どこいるか解らん
   私も甘かったけど・・・

  コバマ?   薬でも売り歩いてんじゃないの・・・ 





1725
Reply 「情報の非対称性」の破れ 久保AB-ST元宏 URL 2009/01/23 19:04


Winterlude, Winterlude, oh Mr.外笑♪
>メインは元請会社になること

■しかし、「元請」とは何だろう。
少し考えただけで、純粋「元請」などこの世に存在しないことが分かる。
その元請に発注する者がいるからだ。たとえば、行政。
では、行政が純粋「元請」かといえば、それも違う。
<市町村←都道府県←国>とゆー交付税ヒエラルキー(笑)があるが、この垂直図式では「国」にたどりつくが、
ではその「国」が純粋に事業を起業したのかというと、こりゃ、怪しい(笑)。
また、たとえば、自動車の最終組み立て工場が多くの下請けの垂直的頂点にいるというのも、まだ不完全だ。
今回の自動車不況が露呈させたように、「消費者」という発注者がメーカーの垂直的頂点の先に存在しているからである。
そして、「消費」というこの上ない具体的な存在であるはずの消費者が、すげー抽象的かつぼやけた存在に感じちゃうのは、
現在の「消費」とは、「マネー」である以前に「信用」&「信頼」、であるからだ。
「信用」&「信頼」に価値が生じた時、もちろん、それを商売にする動きが発生する。
それが、金融、だ。

>顧客(良質なる・・お互いメリットとなる)

■つまり、それが「信用」&「信頼」の幸福な情況。
そして、その反対が、現在の未曾YOU不況の本質的な原因だ。
現在の不況の情況を、2001年にノーベル経済賞を受賞したジョージ・アカロフ(1940年6月17日、アメリカ生まれ。)は、「情報の非対称性」という言葉で説明している。
これはその言葉ヅラほど難しいことではなくて、
売り手が持つ情報と買い手が持つ情報の質が異なるという「情報の非対称性」が市場経済に深刻な失敗をもたらす、とゆーこと。
■彼の提示した有名な例が、「レモン」の問題、とゆーやつ。
ここで言う「レモン」とは、フルーツのレモンではなくて、球体をつぶした形状の象徴としての、レモン。
つまり、不良品、とゆーこと。
不況になれば、少しでも安い価格のついた不良品(=レモン;アウトレットや、中古品も含む。)が売れ、良質品が売れ残る。
と、いう「逆淘汰」。つまり、悪貨が良貨を駆逐する。それによって、市場は劣化する。さらに、それが極端になれば、市場は崩壊する、とゆー論理。
■高級品よりも、低級品が売れる。三越デパートよりも、ドンキホーテが繁盛する。
そも&そも、昨年の世界大不況の引き金となった話題の(がくっ。)「サブ・プライムローン」だって、「プライム」と呼ばれる良品よりも、「信用」&「信頼」の低い「サブ」と呼ばれる低所得層のための住宅ローンだった。
■「低級品」ではなくても、価格のわりには良品だと消費者にメッセージが届く商品が売れる。
たとえば、アパレル業界は、ユニクロの独りがち。私のヤミ米業界で言えば、北海道の米の人気が上がっているのも、食味が向上したのに、いまだに価格は全国最下位レベル、だから。
■しかし、ここで、<良品>かつ<低価格>の両立が企業努力として求められると、一気に利益率の減少に結びつく。
そこで、<良品>「のように見せかけた」<低価格>商品が登場する環境がそろう。
その代表が、いわゆる「偽装食品」や、「偽装建築」である。
もちろん、これはモラルの問題であるが、利益率の急激な減少とは、実は生産者のプライドの失墜のことであるのだ。
「価格」とは、「評価」のことであり、「良品」が「安い」ということは、「評価」が低い、ということだ。もちろん、「売れる」ということも評価ではあるが、それは二次的なプライドであるという点が重要である。
人間は、貧乏もツライが、プライドを失うのも、もっとツライ。
つまり、かっこつけたがるのだ。
それらの構造的な環境が、、<良品>「のように見せかけた」<低価格>商品の親なのである。
モラルを失った企業を悪役にするだけでは解決しない構造的な問題があることを忘れてはならない。
■さて、そこで君が言う、<顧客(良質なる・・お互いメリットとなる)>の重みに戻るわけだ。

>大きな親が倒れりゃ子も倒れる

■『共犯新聞』で
おなじみの、世界を見つめるために。Wow!★1960年安保の時代も、今も!青木昌彦スタンフォード大学名誉教授は、1月5日の日本経済新聞で、またしても、目からウロコ〜な論文を発表した。
さすがだ。
そこで書かれているのは、<大きな親が倒れりゃ子も倒れる>という安易な垂直思考を止揚した、<それぞれの問題は、それぞれの得意分野で補うことができる>という、多様性と相互依存の奨励だ。
そして、多様性と相互依存は、世界平和がなければ成り立たないし、世界平和を目指すことになる。
青木さんは、それを、「多様性は相補性の親」と見事に言い切る。
さすが、『共犯新聞』仲間(?)だ(笑)。
あまりにもすばらしすぎるので、下記に前文を掲載しちまおう。

世界を見つめるために。Wow!★1960年安保の時代も、今も!

■先ほど、アカロフの「情報の非対称性」について触れた。
しかし、私のよーにヤミ米の相場を日々、切った&はったしている者にとっては、
売り手と買い手の「情報の非対称性」こそが、商売のチャンスではあるのだが。
ただし、世界という複雑でめんどくさいものを、複雑でめんどくさいまんまに抱きしめることこ青木さんは言ってるのであり、また、それが可能であると提案しているのだ。
我々がめざすべきものは、安易でフラットなグローバリズムではなく、「情報の非対称性」の破れなのだ。

>中間搾取

■で、中間搾取とゆー古典的な概念も、
青木さんの言う「アジェンダ(課題)と補完性」で乗り越えられる。
そこでは、もはや「元請」と「下請け」とゆーヒエラルキーは陳腐になり、
その結果、それぞれの違いがプライドとして屹立する。

>利用されるより利用すべし。

■とゆー「闘い」も、古っちー既成概念にすぎない。

>技術人工仕事が現状では母体となってる我が事業での見解

■アメリカの経済学者、デビッド・スミック(55歳)の著書『The World is Curved』(2008年9月、英語版US$26.95=2,245円)が海外で話題だが、
この本はたぶんもーすぐ日本でも『世界は曲がっている』とゆー書名で翻訳されることだろう。
このタイトルが意味するところは、「地平線のかなたの危険を見ることはできない。」。
つまり、財とサービスのグローバル・サプライチェーン(世界的な供給網)は世界をフラット化したし、やや遅れて金融も、それを果たした。
しかし、財とサービスのような具体的ではない金融の「信用」&「信頼」は抽象的で「地平線のかなたの危険を見ることはできない。」、とゆーこと。
そして、「信用」&「信頼」をキープするのが、「信認」「透明性」だ、とスミックは言う。
もし、新自由主義が息をついているのであれば、法はそこに集中力を持つべきだろう。
■あと、あえて言えば、「監督当局」の問題だ。
いわゆる「行政」のモラルの問題だ。
ここにも、的確な法が必要だ。
ユーモアのあるスミックは、
「なぜ監督当局は市場の発展に追いつけなかったのか?」と、現在の世界同時不況の行政側の責任を質問すれば、
「米証券取引委員会(SEC)の上級幹部クラスの年某はざっと20万ドルだからさ。」
とのこと(がくっ。)。
これが笑えない優秀なジョークであるのは、日本の高級官僚もまさに、高給取りであるからこそ、市場を読めないのだ。
経済政策担当者は、むしろ平均的な庶民の収入のものであるべきなのだ。

>責任取って欲しかった

■「信用」&「信頼」の罠は、あちこちで口を開いて待っている。




1726
Reply 情報トリップ  外笑
2009/01/31 01:32


 懐具合が顔に出るか 心具合が顔に出るか でないか。

同一性が気持ちいいのか 良くないのか。

昨年、埼玉スーパーアリーナで観た ザ・フー。

 ボーカリストに憑依して ひたすらエアーマイクで歌い続ける男。バンドを凝視している者。オレンジ色の声援の地味な女。
タイミングがずれて手を振り上げる人。演奏が止んで、次の一音を予期し、会場
で一番に足踏みと手拍子を始め、当たった! とばかりに 続く観客の手拍子
を聴き、やったとばかりに喜んだ私。帰りにダンナと飲んだ いずみやの酒。
初めて知った ダンナのピートへの入れ込み様。
 酒の強さと寒さと ザ・フーにより神経細胞を破壊されたゆえ大糞もらしながら帰った
 夜道・・・この日の予期せぬ出来事は一抹の情報として私の脳内に処理された。
  納得したくなかった最後。 いや納得などできないままだ。 

 25年前、僕は 浦沢先輩に憧れ、ライブも観たのだが、帰り際、車に乗り込む
先輩に握手を求めながら ミックー ミックー と叫んでいました。
僕はミックジャガーのファンでもありましたし、先輩がミックに似てるのを羨ましく
も思い、先輩も喜んでくれるとばかり思っていましたが、一言 ふざけんな!
と言われ^^あれれ・・・いい気持ちしなかったのかなあ、と自分勝手に不思議になりました。 でも怒った先輩 それも素敵でした。
 浦沢先輩 20世紀少年 で 本当に伝えたいことは・・・






1727
Reply 冗長トラップ 久保AB-ST元宏 URL 2009/02/04 15:23


Mr.外笑 was young♪ With God on its side
>懐具合が顔に出るか 心具合が顔に出るか でないか。

■それが「正直」ってことならば、「正直」って時に汚れているよな。
ただし、汚れているのが悪いとは限らない。そこがまた、めんどくさくもあり、いとおしくもあるのだ・が。ね。

>同一性が気持ちいいのか 良くないのか。

■「わかりやすい」人に付き合うのは、時に退屈(=無駄)だ。
まぁ、「なかよし&こよし」ならば、いいんじゃないの?

>昨年、埼玉スーパーアリーナで観た ザ・フー

■お次は、エリック・クラプトン&ジェフ・ベックか!
こりゃ、世界同時不況による、ロック・デフレの始まりかっ!?

>やったとばかりに喜んだ私。

■うん。いいなー。

>初めて知った ダンナのピートへの入れ込み様。

■ギロ男爵も(まぁ、私も)そーだけど、ピート・タウンゼントは、やっぱ、ある巨大なものを象徴しているよな。
村上春樹がシューベルトのソナタについて、モーツアルトとベートーベンと比較して次のように書いている。

シューベルトのピアノ・ソナタの持つ「冗長さ」「まとまりのなさ」「はた迷惑さ」が、今の僕の心に馴染むからかもしれない。
そこにはベートーベンやモーツアルトのピアノ・ソナタにはない、心の自由な”ばらけ”のようなものがある。

すげー雑だけど、モーツアルトをビートルズに、ベートーベンをザ・ローリング・ストーンズに置き換えれば、なんだか、ピートを想い出しちゃうな。

>納得などできないまま

■あと、遠くも同時に観る「体力」、だな。

>先輩も喜んでくれるとばかり思っていましたが、一言 ふざけんな!

■ふん。まぁ、そうなんだろうな。
ただ、ちゃんと怒ってくれ浦澤さんに感謝、だな。
少し違うかもしれないけれど、漫画家としてデビューしてからの浦澤さんは、大友克洋との「比較」でくだらない時間も何度も持っただろうしな。
で、ちゃんと、やっぱし、浦澤さんなんだしね。
それは、村越さん=ストリート・スライダースが、ストーンズでは無かったことと同じで。

浦沢先輩 20世紀少年 で 本当に伝えたいことは・・・

■マーク・ボラン(=魔久保乱?)、チープ・トリック、ジミー・ペイジ・・・・・・えとせとら、
そんなロック・スターたちは、ロック少年たちにとっては、ビニールで作られたウルトラマン人形や怪獣人形の延長=代償でしかなかった。
たしか私は、あのアイドル雑誌『アリーナ37℃』(音楽選科社)での連載第一回で、そんなことを書いたはずだ。
えーと。どれ&どれ・・・・・・。
あー、あった。ほんとだ(笑)。
ほら、ね。

『アリーナ37℃』1984年3月号★表紙は、浜田省吾でございましたぁ♪がくっ。

■私がラッキーだったのは、歌が音痴でギターも下手クソだったこと。
簡単に、ロックから逃げることができた(笑)。ほんと、我ながら自分の才能の無さに感謝している(笑)。
(いつも思うことだけど・笑)もう一度、バンドをやれ、と言われても、テラダヤのドラム以外では演奏する気になれない(=つーか、できない・笑。がくっ。)。
浦澤さんが、「本当に伝えたいことは」、それでも、「あの時と同じだよな。」ってことだな。たぶん。




1728
Reply あれれ・・・  外笑
2009/02/05 00:16


今回のクボのコメントやら共犯新聞紙面は、私のパソコン画面に
、調度よく収まっておりますなあ。
 前回の 情報のなんたら のコメントは非常に参考になったのですが
横スクロールしないと全文が読めないので苦労したんざんすよ^^
なんでやろか〜

それと追加で ピートの感想やけれど、
どっかの布袋みたいに ただ手を振り回してんとちゃうのよ。
それはギターカッティングの切れのよさと完全にリンクした計算された手の持ち上げ方
なのですわ。
 それと、テレビコマーシャルではギター壊してたけど、その日のピートは
見事に期待を裏切り ジャンプもしなければギターは壊さず。大事に弾いてました。
そういうのも新鮮でしたよ。






1730
Reply スクロール・オブ・ロック 久保AB-ST元宏 URL 2009/02/05 17:41


Woogie Boogie for Mr.外笑♪
>私のパソコン画面に、調度よく収まって

■たぶん、60文字ぐらいを超えると、君のPCでは横スクロールになっちゃうんだろーね。
それにしても、不便だねぇ。文字の大きさを小さくしてもダメなんでしょ?
まぁ、今後は私も横60文字以内を心がけます(笑)。

前回の 情報のなんたら のコメントは非常に参考になった

■その関連で、昨日、はる先生から参考図書の紹介メールをいただきました♪

Yeah ! はる先生もかつては、女子高校生だったのだ〜。
差出人: はる先生
送信日時: 2009年2月4日 6:02m
宛先: 久保AB-ST元宏


外笑さんとのやりとりを読んで、
お勧めの本を思いつきました。

渋谷望の『魂の労働』です。

青木さんの書いていた
「世代間保障」についても
さらにわかりやすく書かれています。

タイムリーだから、機会があったら、ぜひ。
Yeah ! はる先生、さすが社会科教師だなぁー。


amazonでの書評で、面白いものがあったから下記にコピペ。


ラストの「まとめ」が惜しい
2004年2月25日
By 永澤 護


本書は、「ネオリベラリズムの権力」(終章で概ね「<帝国>」と読み替えられる)に対する「敗北の考古学」であり、
こうした作業の「なかで初めて新たなプレイヤー(終章で概ね「マルチチュード」と読み替えられる)が生成し、
新たな闘争のサイクルの第二ラウンドの合図が聞こえるのではないか」とされる。
だが、現在、果たしてそう思える読者がどれだけいるのか、ちょっと興味あるところである。
ネオリベラリズムに「敗北」した「ポストモダンの言説」が、
ほとんど常に「決め言葉」として「ドゥルーズ・ニ-チェ」(という概念の枠組み)の引用を行ってきたのは周知の事実だが、
この敗北の物語のラストでも、ニーチェの「道徳の系譜」のドゥルーズによる二分法的対立図式による解釈「能動的VS反動的」が
「マルチチュードVS<帝国>」へと重ね合わされている。
ラストの決めになっているのだから、やはり「二分法的対立図式」になっていると思うが、これはあまりに酷だろうか?

しかし、オリジナルテキストにおいてそれがどれほど「正しく魅力的に」見えたとしても、
「二分法的対立図式」に依拠する一切の「抵抗」は、二進法によって完全装備した<帝国>に対しては全く無力であり、
敗北を果てもなく繰り返すだけになる。 
なお、参考までにドゥルーズの該当箇所は、『ニーチェと哲学』国文社 p.94-95.に述べられている。


>そういうのも新鮮

■かっこいいもの(=ほんもの?)は、いつも新しい




1731
Reply はる先生へ  外笑
2009/02/06 23:06


 魂の労働 ですか。なんとなく題名からして自分は心をくすぐられる感じです。
機会があったら是非読んでみたいです。ご紹介有難うございます。

 私も一応は商売人なもんですから、久保商店 のチラシ・・
こちらにも かなり心くすぐられますな^^ちょっと真似してもみたいのですが、
こういうチラシを私が近所に撒いたら どうですかね それこそ炎上してしまうのではないでしょうか ルス電に嫌がらせ一杯みたーいーなー@

 若かりし頃 カッコいい正義のロックンローラーにもなれずに、キャンパスでツッパリに 殴られているサカタを助けもしないで、俺には関係ないからと、
 そそくさと登校していた 時間厳守で そして こすい経済学部の私でしたので・・・。

 





1732
Reply On the 労働 Again 久保AB-ST元宏 URL 2009/02/11 15:52


Mr.外笑 can hang back or fight your best on the front line♪
Sing a little bit of these workingman's blues
魂の労働 ですか。なんとなく題名からして自分は心をくすぐられる感じです。

■「労働」についてもう少し。
今や悪名高き新自由主義の特徴のひとつ、「派遣労働」とゆーシステムは何が悪かったのか?
短期的には、労働力が海外へ流出することを抑えた効果は前にも述べたけれど、「労働」の概念を変えたこと、だろーね。
つまり、
労働を
プライド=絶対的・・・交換不可能。
から、

コスト=相対的・・・交換可能
に変えた。
ってコトだと私は思う。
文藝評論家の斎藤美奈子は2009年2月2日の北海道新聞で、マルクス『賃労働と資本』ですでに、
「労働者が売るものは、労働ではなく労働力である。」と書いていると指摘していたけど、同じことだね。

>機会があったら是非読んでみたいです。ご紹介有難うございます。

■世間では、ちょっとした経済学「本」ブームみたい。
あんたも読み済みアダム・スミスから、マルクス、ウェーバー、ポランニー、ベブレン、ケインズ、ドラッカー、シュンペーター、など&など、一気に在庫一斉♪
世界同時不況は人民を救いはしなかったけれど、不良在庫の経済「本」は救ったみたい♪
やっぱ、不安なんだな。
「本」ってのは、読む前には(がくっ。)万能の神に見えるもんね(笑)。

>私も一応は商売人なもんですから、久保商店 のチラシ・・

■まぁ、私もあのチラシを出した時は、「ちょっとヤリスギたか?」と思ったけれど、
麻生総理みずからがそんな私をその後、日々、助けてくれています(がくっ。)。
結果、あれでよかった(?)。

>こういうチラシを私が近所に撒いたら どうですかね 

ドレフュス事件(1894〜1899年)から、スマイリー・キクチ事件(がくっ。2000年〜2009年)まで、
「意見」と「固有名詞」の問題は現代的なテーマだよね(?)。
また、都会と田舎、とゆー環境の問題にも波及するよね。
都会のほうが田舎よりも「匿名性」が高いんだろーけれど、今回の我が社のチラシのよーに、田舎が都会&匿名性を凌駕する場合がある。

こすい経済学部

■昨年からご活躍がクローズ・アップされている反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠(1969年生まれ、東大法学部卒業。)が、
大佛次郎論壇賞を受賞した時のコメントで、

「90年代は、野宿の問題は自己責任論で片付けられてきました。
問題の本質を直視しないうちに、貧困がどんどん広がってしまって、中間層に迫っている。
自己責任論で片付けているだけでは問題はむしろ悪化するばかりだと、昨年暮れからの派遣切りで明らかになりました。

 もちろん一気に政治や社会の見方が劇的に転換することはありません。
個別対応社会運動政治的な折衝同時に取り組まないと事態は好転しません。

 貧困とは、単にお金だけではなく、豊かな人間関係や精神的な自信までも失って、生きる希望を見いだしにくくなる状態です。
そして知的な、技術的な要素も含まれます。
高度な知的財産と技術を保有した人たちが、その“溜め”を社会全体のために底上げするようにして活用する。
私は、そのような循環を夢想しています。

 論壇の役割は研究教育、そして知識の普及還元があるでしょう。
市民としての責任と言ってもいい。
知識を普及し、他人と補い合って活用し合っていくことが、社会を社会たらしめ、単なる人間の群れではない位相を作り出すと思います。」
(『朝日新聞』2009年1月29日)

上記、赤くマーキングしたところが私は感心したな。
彼が、「年越し派遣村」でのホームレスたちの前で演説している姿を見て
エライ人は、かつての左翼暴力(笑)学生を連想したと言い、
朝日新聞の早野透・記者は白土三平『カムイ伝』一揆のリーダー正助の姿を連想したそうだ。
何を見て、何を連想したかを語ることは、自身を語ることなんだな。




1733
Reply 共犯新聞だけは いつもホットで 醒めている・・・  外笑
2009/02/13 21:08


紙面の久保氏は今もヤングルッキングですし、ミカキチさんはとてもチャーミングですね。

 交換可能の、コスト重視の労働力・・・悲しいですな。

 派遣村に象徴された今回の事象ですが、組合運動とまではいかないまでも、
 契約破棄を強引にされた後の派遣社員達は団結も無くなすがままになっている。
 行き着く先 派遣村で一緒に蕎麦をすするくらいだ。
 やっぱり個々人それぞれの生き方の時代の象徴であろうか。労働争議にもならない。
 手を振り上げて皆の権利を主張しないのか。契約の内容を再度確かめ矛盾に対して
 戦わなかったのか。もう自分は交換可能と自覚したロボットになってしまっていたのか。
  おとなしいロボットは主人の命令に忠実だ。それでなければ生きていけない。
  それが彼らの そして時代の 習慣病か!

 40年以上前、欧米など海外の労働組合に比べ日本のそれは既に上下関係のある
 形だけの企業別労働組合だったらしいが・・・。
派遣社員同士は接点の無い希薄な関係なのは、私も現に現場を知ってるからよく解る。
 同時に首を切られても団結はしないだろうなあ。

 なぜなら 

   交換可能と判断された人間=個人の心すでにここにあらず=従う事が生きる道

  皮肉な構図は、人の感情すら消毒漬けにしてしまった。

 団結し手を振り上げ戦う相手に挑まず、個々人が関係ないところ腹いせに、強盗殺人した り放火して・・・ソフィストケイトされた人間が習慣を遮断されて、行き着く先は
 キレル ということですかね。

 仕組まれたカンフル剤注射を打たれて甘い麻痺の中で暮らしたマウスが
 いきなり放り出されて行き場を失った・・・かな


  

 
 





1734
Reply バレンタイン・ディの夜に、失言率は跳ね上がり。 久保AB-ST元宏 URL 2009/02/14 17:22


I can't be good, baby♪
Mr.外笑 and Honey, because the world's gone wrong
>契約破棄を強引にされた後の派遣社員達は団結も無くなすがままになっている。

■今回の「みぞゆー」不況が露呈させたのは、既存の「組合」は明らかに利権団体であるということの再確認。(まぁ、世間ではすでに常識でしたが。)
もちろん、権利を求めるために作られたのが組合だから、利権団体であっても、OK。
問題は、全ての人民に、それぞれの利権団体が無ければ、社会の構造がゆがむ、とゆーこと。
■そして、少なくとも無職には組合は無い
ここ、重要。
最近、クローズ・アップされている『ハケン組合』だって、彼らはハケンとゆー組織の中にいるからこそ。
■で、「利権」っーか「権力」とゆーのは、パワーの無い者こそが持つことによって、社会全体の構造バランスを均衡にするもの。
で、あるから、本来であれば、国家が組合になるべきだ。
そうすれば、無職も、中小零細企業社員も、農民も、主婦も、学生も、不良も、ロケンローラーも、麻生総理をなめた犬も、シャクシも、みんな平等にうなる。
それって、社会主義か?
いえいえ、福祉主義です(笑)。
国家が愚かだから、それに対峙する立場が求められるのであって、国家が優秀であれば必要は無い。
ここで求められるのは、全ての国民がより高度なリテラシー・センスを身につけておくこと。

>行き着く先 派遣村で一緒に蕎麦をすするくらいだ。

■そのすすられた蕎麦の反対側=ドンブリの底の向こう側で、やつらがすすっている。

>契約の内容を再度確かめ矛盾に対して

■困っているときはワラにもすがる。その時に契約を読み込む余裕などない。
その繰り返しがワナだ。
いつでも、ワラはワナだ。

>派遣社員同士は接点の無い希薄な関係

■権力は、個人主義社会を作ろうとする。

>交換可能と判断された人間=個人の心すでにここにあらず=従う事が生きる道

■『共犯新聞』では何度も書いてきたことだが、
権力は「従う」人間を求めるが、「従う」人間ばかりの国家は、破滅する。
リテラシー能力の欠如した組織は動脈硬化を犯し、破滅する。
それは古代ローマから、今のアメリカや日本から、人口4千人以下の田舎町から、ガキ大将グループまで、すべてに言えること。
真に優れた権力は、反権力を育てる。
このパラドックスを理解し、行動しえた組織だけが生き延びる。

>行き着く先は キレル

■リテラシー能力の低いものは、ゆがんだ表現としての「犯罪」を犯す。
1972年に出版された平岡正明の著書『あらゆる犯罪は革命的である』(現代評論社)の書名のまんま。
つまり、「従う」人間ばかりを作った組織は、犯罪によって内側から崩壊する。
もちろん私はそれを求めはしない。
求めるのは、蕎麦の1本&1本の美味さと、だしの知恵だ。




1735
Reply 読み比べ TERA
2009/02/19 23:47


村上春樹氏のイスラエルでの記者会見は僕も非常に興味を持って、
いろんな記事をネットで読んだけど、共犯新聞の記事が一番よかった。
興味深い部分が太字になっていたりと。
彼の姿を見る機会は少ないけど、写真もたくさんあって。
この記者会見に対しての世界の反響も追っかけていきたい。
文学者、芸術家たちが物申す、きっかけになればいいですね。





1736
Reply なんだか恐縮です・・・  外笑
2009/02/22 00:16


 テラダヤがそうだったのは、なんとなく知ってたけど、久保もクリーム聴いてたなんてのは初耳でした。ミスターDがピートの大ファンだったのも25年来、初めて聞いた話だったけど。それからジャックブルースにも興味が沸きました。記事のおかげです。
 
労働論については色々と参考になりました。どもです。
少し思ったんですが、労働論交わしている間、なかなか他のかたの書き込みなくて、
申し訳なく思ってた。気にせず出てきてねっと思ってたらテラが来たので一安心。

村上春樹の言葉で、読む人一人一人の自由な世界を・・・みたいな発言があって、
 久保が昔書いた、世界中の愛しい人よ一人ずつ歌を送ろう・・ってな
歌詞が思い出されました。

 どもども共犯新聞読者の皆様、恐縮でした〜






1737
Reply I am the eggman♪ タマゴ男だから、グ・グ・グ・グッ・ジョブ♪ 久保AB-ST元宏 URL 2009/02/27 17:55


Mr.TERA got those worried blues♪ Lord, I'm a-going where I never been before♪
村上春樹氏のイスラエルでの記者会見は僕も非常に興味を持って、

■ほんと、今回の村上スピーチはすばらしい。
そう簡単に手放しで、高名なブンガク者へ賛辞を公表しちょうと危険も罠もともなうけれど、ここは一発、まず、そう言い切りたい。
加藤典洋が最新評論集『文学地図 大江と村上と二十年』(朝日新聞出版)で、
大江健三郎と村上春樹という現代日本文学を代表する国際作家がまったく交流していない点を指摘し、
それでもお互いがインディビジュアリストから出発し、
大江は『ヒロシマ・ノート』以降、村上は『アンダーグラウンド』以降、社会発言を行うようになったという共通点の多さも指摘しているけれど、
今回の村上スピーチは、大江のノーベル賞スピーチと比較されて今後、何度と無く語られることになるね。
こうなれば、年内には大江と村上の対談がどこかで読めそうだな♪
それが吉本隆明との鼎談になったら、大興奮だけど(笑)。どこかの新聞社か出版社、テレビ局かネット・ラジオでもいいから、企画してほしい〜!
村上も還暦だし、いよいよ日本文学の堆肥が発酵を始めたような感じ♪
■村上がスピーチの中で「壁」を象徴に語っているけれど、私がパレスチナへ行った1990年、ちょうど東西ドイツの壁が崩れたあとの時期で、
テルアビブのホテルで、ベルリンの壁崩壊の大イヴェントのニュースを見た。
ピンクフロイドが彼らのコンセプト・アルバム『ザ・ウォール』の曲を巨大な白い壁をステージに作って演奏しているのが印象的だったなぁ。
壁は20世紀的存在だけではなく、21世紀に入ってからも、パレスチナにもエジプト側に壁が作られたし、
そうイメージを広げることが可能な今回の村上スピーチは、さすがに重層的だね!

>いろんな記事をネットで読んだけど、共犯新聞の記事が一番よかった。

■彼のスピーチは2009年2月15日に行われ、私はその第一報を日本時間2月16日のサニー・アフタヌーンに、北海道新聞の夕刊で知った。
「村上春樹」と「パレスチナ」と言えば、私のキーワードでもあるので、キーワードが交差したのならば『共犯新聞』で取り上げない理由は無い、とまず想った・わけ。
さらに、その短い記事を読むだけでも、このスピーチはかなり重要だ、とスグに気がついた。
で、まずは全文を英語の原文で読みたいとネットで探しまくったけれど、スピーチの直後なのか、2月16日の時点では世界中のネットにはまだ登場していなかった。
だから、私が『共犯新聞』にこの記事をUPしたのは、2009年2月17日 4:14Amなんだけれど、作業としてはネット上で全文を探すことにほとんどの時間をついやしたのだぁ〜。
私が今回の『共犯新聞』用に訳するために引用した、たぶんアラブ系の通信社のHPの原文もほんの一部で、
たとえば、「壁の側に立つ文学者に何の価値があるというのだ。」とゆー決まり文句すら無かったので、なんだか、さびしいんですが(がくっ。)。
まぁ、もうあれから10日以上が過ぎているので、村上春樹「エルサレム賞」授賞式講演全文もよーやく読める。
たとえば私が読みたかった「壁の側に立つ文学者に何の価値があるというのだ。」の原文は、
「But if there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?」だ。
なぁ〜るほど。原文では文学者その人よりも、作品について言ってるのね。書き手よりもテクストを重視する(?)村上春樹らしいレトリックだ。
原文を読む必要とは、こんなとこでも分かるな。
■今回、改めて全文を読むと、彼が父親について語っている部分がある。
スピーチ直後はこの部分はまったく報道されなかったけれど、村上文学を研究する立場であれば、全ての中でここがもっとも重要だろう。

 私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。
京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。
戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。
ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。
父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。
父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。
父が仏壇の前で正座している輝くような後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。

 父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。
しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。
以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。


■村上春樹はデビュー直後の1980年発表の「中国行きのスロウ・ボート」に代表されるように、時に中華街を利用するなどして中国が小説に登場することが多い。
それは、おしゃれな神戸の高級住宅街出身でビーチ・ボーイズと缶ビールの小説家として登場したのだから、当初は微妙なエスニック感覚だった。
それが、1994年発表の賛否両論渦巻いた長編『ねじまき鳥クロニクル』で、1939年のノモンハン事件を執拗に描いたとき、長年の愛読者の多くは彼の内部に潜む中国「問題」に気がつかされたと思う。
この作品が発表された当時、文芸評論家の富岡幸一郎は日本経済新聞に、
「かならずしもオトギ話めいたファンタジーの味わいではない。
もっと残酷な、或る深い喪失感が漂っている。」
と書評を書いたけれど、まさに、この直感は「父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げている」姿を見続けた少年が持つ感情を見抜いていたと私は思う。
『ねじまき鳥クロニクル』発表当時の否定的な書評は、
「謎が解決されずに、いたずらに謎が深まるばかりだ。それは、答えを描くよりも作家にとっては安易な逃げ道だ。」ってな感じのものだったと私は記憶している。
私にとっては少年時代に読んだマンガ、石森章太郎『幻魔大戦』や『サイボーグ009 天使編』が、膨らますだけ膨らませて連載が打ち切りになった苦い経験を思い出させるものだった(笑)。
だから、実は私にとっても、当時の否定的な書評は同意できるものだった。
しかし、村上春樹の父が中国の戦争で想像を絶する体験をされたことを知った今、ましてや、父が僧侶でもあった(!)と告白された今、
「謎が解決されずに、いたずらに謎が深まるばかり」なのにも、大きな説得力がともなって見えてくる。
そんな意味からも、今回のイスラエルでの彼のスピーチは重要なのだ。
■あと私の「駄訳」だけど、朝4時過ぎまでかけて訳した翌朝、読み返すと、うっかり私の下訳をそのまま掲載した箇所が中ほどに二つあった(笑&がくっ。)。
私は自分が書くときは一人称を「私」にするんだけど、今回は村上文体を模写しようと思ったので(笑)、「僕」とすべきところを、まだ「私」のままだった〜(がくっ。)。
で、それを読み返すと、最後の書物と共有の関係についての言葉が全体を貫く大きなメッセージになっていると気がつき、改めて最後の段落を膨らました。
ここ

So here is what I have come to say.
つまり、僕が言うためにわざわざやってきたものが、ここにはある。
それが何か?って?
その答えは、僕のこのつたないスピーチの最後に種明かししちゃおう。
それまで、もう少しの間、僕のめんどくさい、あいまいな、真にムラカミ・スタイルの話に付き合って欲しい。

と、
ここ

I am grateful to you, Israelis, for reading my books.
僕の本を読んでくれているイスラエル人に感謝している。
I hope we are sharing something meaningful.
僕たちは何か重要なものを共有しているからこそ、
同じ本を求め読むのだと思いたい。
僕の好きな本を、君も好きなんだ、という、うれしさ。
少なくとも、
君は僕の本を読んでいる。
君は僕の本を求めている。
僕らは重要なものを共有しているんだ。
同じ本を求めているということは、君を求める、ということ。
つまり、
You are the biggest reason why I am here.
君そのものが、僕が今ここにいる最大の理由なんだ。

の関係が面白い〜♪
日本での報道では、ガザ侵攻の批判が中心で、この部分の紹介はまだ『共犯新聞』だけ(笑)♪

>この記者会見に対しての世界の反響も追っかけていきたい。

■2月も月末になり、各新聞の文芸時評が出揃ってきた。
当然のように、村上春樹のスピーチについても多くが触れている。
なかでももっとも異彩をを放っているのが2009年2月25日付け朝日新聞での斎藤美奈子の文芸時評だ。
そこで彼女は、
 ただ、このスピーチを聞いてふと思ったのは、こういう場合に「自分は壁の側に立つ」と表明する人がいるだろうかということだった。
作家はもちろん、政治家だって「卵の側に立つ」というのではないか。
卵の比喩はかっこいい。総論というのは、なべてかっこいいのである。」

と切る。
たしかに、ヘソマガリな視点だが、村上春樹自身がイスラエルで、
Like most novelists, I like to do exactly the opposite of what I'm told.
たいていの作家がそうするように、僕は忠告とは正反対のことをするのが好きだ(笑)。
It's in my nature as a novelist.
それこそが作家としての僕の本能なんだ。

とスピーチしているのだから、斎藤美奈子の視点はかなり「作家」的「本能」だ。
また、この斎藤の視点については私も先週末に考えていた、
「感動」という罠
についてと同じ視点なので、またしてもその符合に驚いた。
このことについては私の先週末の行動の報告と合わせて、また近々『共犯新聞』1面トップに書くつもりだ。

>文学者、芸術家たちが物申す、きっかけになればいいですね。

■NY911米同時多発テロをきっかけに、ねじが巻かれたインターネット版『共犯新聞』だけど、
文学者の池澤夏樹宮内勝典もNY911をきっかけにインターネットで情報発信を始めている。
池澤夏樹は2009年1月23日付けの朝日新聞における対談で、

 ミニマムなリアリティーの実感は、芥川賞の候補作からも感じます。
男と女は友達のままで恋人にはならない。世界観はないし主義主張もない。でも感情はたっぷりある。
「大いなる物語」なんていらないと割り切って暮らしているんです。
公的な状況も私的に解釈するから、公憤の代わりに私怨(しえん)が炎上する。
イラク人質事件の高遠菜穂子さんらへ向けられた批判はその一例だったと思います。

と語っていた。
もちろん『共犯新聞』の立場は、「大きな物語」も、「小さな物語」も、両方とも、だ。

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Yazoo Street Scandal♪ Stranded out in the night♪ Mr.外笑 took me down♪
>久保も♪さよなら、くりくり!クリーム聴いてたなんてのは初耳

■君に町田町蔵のINU『メシ喰うな!』やP.i.Lを教えたのは私だからね(笑)。
まさか、そのほんの数年前は肩を超す挑発でクリームやらジェフ・ベックやらツェッペリンに夢中だったとは思うめぇ(笑)。
しかし、パンクが当たり前の世代じゃなくて、自ら長髪を切ってパンクになった体験がある世代は、ある意味、強いと思う(笑)。

>労働論については色々と参考になりました。どもです。

■今の情況って、「国家」が生き延びるために労働者が犠牲になっているよーな印象が私にはある。

>久保が昔書いた、世界中の愛しい人よ一人ずつ歌を送ろう・・ってな歌詞

■私が訳した、ここ
That is to draw out the unique divinity of the individual.
それは、読者ひとりひとりの孤独の中に潜んでいる
個性的な本質を引き出すこと。
To gratify uniqueness.
ひとり、ひとり、違うままに素敵でいてほしい。

だね(笑)。確かに私も自分で作った曲「核シェルターのメリークリスマス」を思い出しながら訳したから、そっちに引っ張られたのは、ある(笑)。
そしてやっぱり私は、
no matter how right the wall or how wrong the egg,
たとえどんなに壁が正しくて、どんなに卵が間違っていようとも、
の部分に、グ・グ・グ、グッときちゃうんだな。




1738
Reply もう森へなんか行かない。ニッケルオデオン・ソング。幻想的疲労。 ミカキチ@ろーら URL 2009/03/02 05:10


□フランソワーズ・アルディの日本語タイトルってどれもすごくいいと思うのだけれど、『幻想的疲労』はアルバム「私生活」収録。
 と、書いていたら欲しくなって(CD持ってないの)今調べたらamazonの中古で5000円くらいした。
 それはないだろう・・・

□セイラーの、THE OLD NICKELODEON SOUND って曲知ってる?

□2008年に私が見た映画を数えてみたらジャスト70本でした。
 ここ数年は30〜40本程度だったと思うから、いつものおよそ倍です。
 さすが、仕事を休んでいただけのことはある。

 特徴としては、普段、名画座のリバイバル中心に見てる私には珍しく、ロードショーでも何本か見たこと。
 あと、地元の映画館で、旧作の名画を特別上映するという企画があって、それで所謂「名作」を見直したこと。
 
 内訳を数えてみたら、
 封切り:16本
 旧作:19本
 あとの残りが昨年〜一昨年封切り上映のリバイバル。
 でした。

□久々に70本見て感じたのは、さすがに「見なくていいな(笑)」と感じる作品にぶち当たるな〜
 ってこと(笑)
 本数は多くなくていいんだけれど、ストライクに張り飛ばしてくれる映画を、きっちり追いかけてくことを自分は望んでいるみたいとはっきり確認。。

□70本全部に順位を付けるのは大変なので、上位のみ順位を付けてみました。
 以下、(誰も期待してないと思いつつ・笑)発表です〜


1位:『ラザロ』2007(日本)
   〜「共犯映画賞」では41位(笑)
    1位を決めるのは本当に難しかったけれど(特に今年は)いろいろ考えてこれ。
    主人公の動機やテーマとして設定されてること、登場人物の配置や特に台詞など、    全てがもう、突っ込みどころ満載、誤解される為の作為と言いたくなるような、
    わざとか??というほどの「深みの無さ」なのに、
    そういうことが全然実は「問題じゃない、関係ない」ってことがひしひしと迫ってくる。
    今の時代、そして映画という現場で「コレをやっちゃえる」人が
    やっぱりまだいるんじゃない!!と思うと
     足をばたばたさせたくなるくらい興奮した。色んな意味で。
    映画、ってことに関してはもちろん、表現ということでも、
    そして日本という国や、地域性の持つ可能性と限界を考える点においても。
    自分の世界の狭さについて、久しぶりに感じるタイプのものを感じた。
    というか、一見「反自然」と捉えられてる中に轟然と生きる
   「自然に匹敵する恐ろしさ」を感じたのだ。

    私が感じたのと同じことを『ソドムの市』監督の高橋洋が
    チラシ用のコメントで書いている。

   「マユミはたった一つのことしか言っていない。
    だが、周囲の人々はどうしてもそのことに気づけない。
    それぐらいマユミの『発見』は恐ろしい。
    マユミは『地獄の黙示録』のカーツ大佐と同じ場所にいる」

    インタビューにもっと詳しいこのコメントに関する説明があって
   「厳密に言えば、原作のコンラッドの『闇の奥』のクルツって書きたかったんだけれど、それじゃ誰もわからないだろうと。
   『闇の奥』が描いたのは、別に西欧文明というある種偏見に根差したものの見方が
    野蛮という現実を見てショックを受ける、というようなものじゃない。
   それを観てる自分の視点に気づくことによって、
   自分達が築いてきたものが全てバラバラになっちゃったって状態によるショックであり、
   だからこそ普遍性がある。
   『地獄の黙示録』でも出てくる有名な言葉ですけど、「ホラーだ」と
  (中野好夫訳も藤永茂訳も「地獄だ」)。」

   そう、現実って実は、物語(もしくは文明)という「翻訳」を外すと、
   ホラーなんだけれど、
   『ラザロ』に力があるのは、つまり、それを見せてくれているからだ。
   「ホラーである」ことを見せてくれている、ということではなく、
   見せることの出来るもの、
   表現という形で見せることの出来るもの、
   差し出せるものは、全て、
   既にそこに「在る」ものだけだということを。
 
   『ラザロ』は「在る」ものを「見せて」くれることに成功している映画なのだ。


2位:『イースタン・プロミス』2007(イギリス・カナダ)
   〜クローネンバーグ&ヴィゴ・モーテンセンのコンビでの前作
   『ヒストリー・オブ・バイオレンス』の時もそうだったけれど、
   主旋律として提示されてるテーマとは別の、でも実はそっちの方がもっと重く、
   名付けを拒否してるかのように存在しているものについて描いてるようで、
   そこが素晴らしい。トランプの、配られたカードの、表ではなくて、
   裏の、本来全部同じ模様の筈の
   背中が一枚別なのを配られて手元に来た時のようなざわっと感がある。
   
   一番好きなシーンは、ヴィゴがゲイではないことを証明する為に
   ウクライナ出身だったかの家出少女を後ろからする時のシーン。
   少女の顔の暗さとか、ヴィゴの集中の度合いの表情とか、ホントにすごいと思う。
   昨年映画で見た中では一番好きなシーンかも。

3位:『ラスト、コーション』2007(米・台湾)
   〜共犯新聞の評を読んで、我慢できなくてロードショーを観に行き、
   力いっぱいmixiで感想を書いた(笑)

4位:『フィクサー』2007(アメリカ)
   〜久保兄の評にも『グッドナイト&グッドラック』について書いてたけれど、       私もこの映画はジョージ=クルーニーの戦いの映画という感想をまず持った。
    で、彼のすごい所は、正攻法で、しかも、そこをきっちりと
    次に突き抜けて見せる処と私は思う。完成度といい、画面の美しさといい、
    沈黙や(画面の奥行きの)距離感といい、ほんとーに完璧なのに、  
   「次を見せてくれてる」。というすごい満足と圧倒を同時に与えられて、
   ああ実力って可能性そのものでそれってそのまま希望なんだなあ、と。
   ティルダ・スウィントン、もともと好きなんだけれど、彼女がすごーく良くて、
   しかも彼女の使い方としても今まで見た中で最高!

5位:『黒い土の少女』2007(韓国)
   〜主人公の女の子もかわいい(髪型を真似したい)けれど、
   俳優の顔が全部すばらしい。嫌な人が誰一人出てこないのに、そして、
   誰もさほど愚かでもないのに、
   もしかしたらほんの少し優しさを支える分だけ「弱い」ってだけなのに、        水が低い方へ流れていくようにするするとまっしぐらに
   全てが悲劇に滑り落ちて行って、そして精一杯なのに
   「子供ゆえに」「踏みとどまることしか選択肢を考えつかないが故に」
   決定的に間違う瞬間。
   彼女の全く甘えのない、でも頑なさもない沈黙の眼差しがすごく切ない。

   ちゃんとストーリーがあって、動いていくのに、
   とうにうんと深い水の底に沈んでるみたいな静止してる静けさに溢れていて、
   それがたまらなく哀しい感じ。

6位:『長江哀歌』2006(中国)
   〜私が昨年、70本中の50本以上をそこで観た
  (らしい・5本で一枚招待券をもらえるスタンプカードを10枚以上提出した人に送られるという特待カードが送られて来たから)札幌地元の名画座蠍座の御主人田中さんの評によると、
   「『長江哀歌』は立派な映画だがわかりやすい感動を見る者にひとしく与える映画とはいえない。ある意味「感動作」とも素直によべない。見終わって釈然としない不思議な茫洋とした感想をもたらすヘンな映画である」とあるんだけれど
   (この紹介文読むと、「見たい汁」がじゅわっと出る人がきっと、いるだろうと思う)   本当に言ってみればヘンな映画で、説明出来ないんだけれど、
   私が見てて途中ではっ。と思った(感じた)のは、
   「これ、テオ・アンゲロプロスだ!」。
   しかも、彼の、私が好きなところをつまみ出して、
   苦手なところをオミットしたって感じ(笑)うーん。
   で、わくわくして帰宅してネットでこの映画について調べたら、
   この監督(ジャ・ジャンクー)は前作でやはり
   テオ・アンゲロプロスに例えられて賞賛されてることが判って
   おおおなんだやっぱりそうなのか。と思いました。

7位:『ダークナイト』2008(アメリカ)
   〜私のテーマ「疲労感」について、描いてる映画。
    ちょうど、『ノーカントリー』と前後して観たので、
    私にはこの2つの映画が双子ってしまっている。
    共通点多いし。夫々と、そして共通点について、ちゃんと書いておきたいと思う。

8位:『つぐない』2007(イギリス)
   〜隅から隅まで私好みで、あまりに好みなので1位に出来ない。
    挑戦的に生きようとすることを選択する者たちが、
    どういう風に(そこにつけ込まれるカタチで)切り捨てられ、
    どういう風に(その純情さ故に)罠にかかるかについて、丁寧に描いてる映画。
    でもそれを恨みでも哀しみとしてでもなく、
    ただ「美しさ」の熱量として描こうとすることで、
    そのことでだけ残る上澄みについて描こうとした映画。

9位:『フローズン・タイム』2006(イギリス)
   〜これも、私の好みのど真ん中で、
    俳優の顔や画面の色合いや着てる洋服の柄の果てまで全部好き。
    主人公の髪型やオンとオフ(仕事中とプライベート)での顔の違いとか、
    制服のペラペラ感、
    時間が「フローズン」してる時に脱がされまくる女の子たちの
    表情&半裸の衣装の具合&肉と骨格の容&下着のレース具合と、
    全てパーフェクト。
    主人公の独り語りの幅もリアルだし、それに私は要するに、
    女の子がかわいい映画はすごく好きなんだと思う。正しい気がする(自分で)。

10位:『誓い』1981(オーストラリア)監督ピーター・ウィアー
   〜素晴らしいー。ピーター・ウィアー(大好き)の作品としても素晴らしいし、
    映画として実はこれが2008年の1位でもいいとは思ったけれど、
    リバイバル上映作品なのでこっそりとここ。

11位:『ネットワーク』1976(アメリカ)監督シドニー・ルメット
   〜観れて良かった。
   『グッドナイト&グッドラック』みたいな映画かと思っていたら、
   『フィクサー』の方に似ていて、
   他の今年見た映画の多くとも重なるところがあって、
   このタイミングで出逢えたことに感謝。
  
12位:『ノーカントリー』2007(アメリカ)
   〜『ダークナイト』と並んで私にはテーマ「疲労感」映画の一本だったのだけれど、    それと同じことかもしれないし、
    やはりそれは『ダークナイト』にも薄く流れていたことなんだけれど、
    ある種の「空しさが突き動かす静かな(寂しさに似た)狂気=前進する絶望」
    についての映画でもあったと思う。

    最初に、追われる側に回る、ジョシュ・ブローリンの行動全ての動機が、
    金目的であるかのように見せ掛けながら、実はそうではなく、ただ、
   「巻き込まれたい/追われたい」が為の、追ってくるもう一人の暴走した自分を待ち受ける為の罠を自分で仕掛けているような・・・・そこがものすごくリアルに迫ってくる感じが。
     あの2人(ジョシュ・ブローリンとハビエル・バルデム)は『ダークナイト』でのバットマンとジョーカーで、それぞれが互いの半身でもあり、互いの裏 でもあって、分かちがたく求め合って惹き合っているのだけれど、無理と判っていても、もう半身の一人の登場を必要とし、そこで手を差し伸べる術を持たない ことを確認しか出来ないことの中から見えるものを追い続ける闘い。

13位:『キャンディ』2005(オーストラリア)
   〜私は本当はジャンキー映画は嫌いなのだ。たぶん。
    なのに、幾つかの「名作」にはやっぱり捨てられない、
    生きてる限り忘れられない、記憶に残ってる悲鳴があって、
    それと出逢うと自分の還るところというか、自分の所属してる塵溜めと、
    同時に、そこにある救いについての自分の名前を囁かれたような気がしてしまう。

    説明の省き方も、展開も、ものすごく「危うい」のに、
    ティム・バックリィのSong to the siren で始まって終るこの映画の、ラストで、
    ああ。違った。この終わり方、この決着のつけ方、
    ここに気付ける主人公を設定できること、それが全て。って思った。
    そういうものと巡りあうために映画も見続けているんだし。

14位:『この道は母へと続く』2005(ロシア)
   〜私の好きなロシア映画。で、孤児の母探しなので、
    お涙頂戴ものだと思われそうでやだなー(笑)
    子供が貧しいということは、周囲の大人もやっぱり貧しいということで、
    皆が精一杯それなりに
   「これ以上傷付いたり、悲劇を深くすることをしたくないから」やってること、
    が作る閉塞の中で、そこを抜け出ようとするものの出現と、
    それが救っていくものについて描いた映画。
    って書くとまたやっぱりやだなー(笑)
 
   人身売買のボスの女性の愛人をやってる男と家出主人公のやり取りに並んで、
   私が好きなシーンは、孤児院でのお姉さん的存在の、
   売春をやってさくさく稼いでる少女が、
   母親を探しに行く為に字を教えて欲しいと頼む少年に、
   「欲しいものは2つ。愛とお金ね。だから、まあ、お金ね。」って言うところと、
   その時の主人公の少年の顔。フィルムを巻き戻してすぐもう一回、
   何度も繰り返し観たくなる表情だったの!!
   この少女の役回りは本当に素晴らしかったな。
   孤児院の掟と、そこの統治具合と、構成員が見せてくれる「倫理と悲しみ」も。
   めそめそした所は微塵もない、逞しさで溢れてる映画。

15位:『やわらかい手』2006(イギリス・フランス)
   〜「とびきりの大人の恋愛映画」であり、「愛の為す仕事」について描かれた映画。
   主人公の2人が(さすがに初対面の時ではないけれど)2度目に顔を合わしてる時点で   既に当人たちも自覚無いまま、はっきりと互いに相手を意識し始めてるところや、
   そのまま何も確認せずただ何かの拍子にふとこぼれ落ちるように素直に、断片的に、
   でもすごく確かに、相手へのはっきりとした気持ちが垣間見えてしまう、という
   表情の拾い方と、それだけで、彼らがどんな純情を抱えて生きてきたか、
   そのことが夫々をどれだけの長い間孤独のままにしていたかまでも
   一緒に見せてるところが堪らなく上手い。

   ヒロインの考え方や行動規範が、一般的には知的とは見做されないものであるに関わらず、何か最も大切な部分を逸れないものであること、を、一貫して描き続けることによって、「愛の為す仕事」をつまみ出して見せてるとこなどホント優れていると思う。
   本来、「愛」の為す最も偉大な仕事は、関わった人たちを捕らわれていたものから自由にすること。解放すること。 なんだけれど、
   下手すると、「愛が人を説得する」とか「愛が人を動かす」とかのように描かれちゃう気がするから。
   しかもそれを、「知的でない」主人公でもって描いて成功してることは、
   そのまま、『映画』という存在の性格をいとおしんでることにもなると思う。

16位:『愛の予感』2007(日本)
   〜18位の『休暇』と入れ替えようかかなり悩んだ。いい加減だなあ(笑)
    でも、どっちをもう一度見たい?と訊かれたら、
    『休暇』の方がまともな手応えも救いもある映画で、でも、
    すごく悩んでこっちをもう一度見ると思う。

    何かが下手くそなのか?もしかして判ってないまま描いてるのか?
    のギリギリさが殆ど不愉快な瀬戸際で、でも「どうしてもこれ」が
    しっかり存在してるモノが迫る説得力がある。
 
   「愛」の概念の、最も暗い部分を描き抜こうとしていて、そういうものは珍しい。
   この「愛」について描こうとする人は珍しい。それは、この「愛」を知ってる人は珍しいからなんだろうか。監督はこの「愛」を知ってるんだろうか。

17位:『パンズ・ラビリンス』2006(メキシコ・スペイン)
   〜ここんとこの私の3大拷問映画が『麦の穂を揺らす風』と『無防備都市』と
    この『パンズ・ラビリンス』(たぶん。)そしてこの3作に共通するのは、
    ものすごい残酷なことを、しっかりと、でも下品にならずに描いてること。
    
    描き方がすごく上品であることが、
    その卑怯さへの怒りと純粋に悲劇の傷ましさを混同せず
    でもどちらも切り捨てずに数値化することを可能にするのだと教えてくれる。

    異界の精霊達の造型にびっくり!まだこんな未知の、でも説得力もあって
    無理がない異形の容があったんだーとまで思った。
    しかもファンタジーとしても、精霊や妖精の扱い方が
    土着性や伝承を充分に消化した扱いで素晴らしいと思う。
    それら全てを置いても、すごーーーく好みの映画、でもあった。
 
18位:『休暇』2008(日本)
   〜これ観たらお見合いして結婚したくなる人多そうだなあ(笑)なところ
   (冗談じゃなく、家族を持つこと、誰かと人生を分かち合うことの喜びとか輝きを
    きちんと疎かにせずでも過剰にならないように気をつけて丁寧に描いている)
   も含めて、緻密な計算が隅々まで行渡っていて、凄い映画だった。
   
    人物も、優れた人間について、ではなく、人間の弱さ、でもなく、
    ただ、人間が人間として、ただそのありふれたものに含まれてる「その人」が人間であって、全ての人がそうであって、そして今生きている人が今、まだ、この世で生き続けていることというか・・・・

    あと、私が死刑制度の存廃問題が論じられる時にいつも一番強く思うことが、
    たぶん、この監督がこの映画を撮ろうと決意した理由と同じなんじゃないかと。

19位:『非現実の王国で〜ヘンリー・ダーガーの謎』2004(アメリカ)
   〜想像を超えて面白く、面白くてびっくりした。
    ここまで面白いとは思っていなかった。もう一度見たい。美術展も見たい。
    多分、インスピレーションの宝庫だ。優れてるかどうかとは無関係に、
    この執念深さぶりと、入り口はありふれて凡庸なのに深さが異常、
    という辺りのバランスの悪さがもう、他人とは思えない。

20位:『ミスト』2007(アメリカ)
   〜自分のところでも書いたけれど、フランク・ダラボンは、
    B級ホラーという形をとることで、
    『ショーシャンクの空に』や『グリーンマイル』では捉えにくくなってしまった、
    でも確実に彼にとっては最重要なテーマであることを、
    より判り易く描こうとしたのだと思う。
    そしてそれは、現実を描こうとしたということ。また、そのことによって
   (絶望を描くことによって)希望を与えたかったということ。
    だからこそのあのラストで、あのラストをあれとして描くには、届けるには、
    B級ホラーで描くのがベストだったのだ。

21位:『告発のとき』2007(アメリカ)
   〜原題の in the valley of elah (エラの谷)が、
    実はすごく重要だったのではないかなあ。と思う。

   実は、観る前に持っていた主題と全然違う流れの展開(と、結果)の映画だったのだけれど、
   見ていて、途中、「エラの谷」について語られた時
  (正しくはダヴィデとゴリアテのエピソードが出てきた時)、
  「ああそうか、そういう話なのか!!」と思って、なんだ気付かなかった。
  と思って心構えをまた転向して見直していたら、やっぱりそれが違ったのだ。

   でも、もしかしたら、その、
   私が「ダヴィデとゴリアテ」から連想したテーマを抱いて映画を観ていってそして
  「えっ。そうなの?」と思う・・・・というのこそが、
  監督が意図してたことだったんじゃないかって。

   蛇足だけれど、「いい仕事をする」為の戦いと、「本当に仕事を為す」為に
   捨ててはいけない(というか、捨てることがまるで正しいかのように求められるけれどそれを捨ててしまったら本当の意味では「仕事をした」ことにはならなくなってしまう柔らかい部分)ものについてもさり気無く描いてることろが、何となく嬉しかった。

22位:『ブリキの太鼓』1979ドイツ・ポーランド・フランス)監督フランツ・ザイツ
    〜観たの20年ぶりかも。で、こんなに素直に優しく
    「哀しみでいっぱい」を描いた映画だったんだ、と改めて(やっと)気付かされて、その痛みに泣けて泣けて、びっくり。

23位:『仮面の米国』1932(アメリカ)監督マーヴィン・ルロイ
    〜本来、映画って、こういうものを描かずにはいられなくて作るものだったんだよな。と思わせる。

24位:『無防備都市』1945(イタリア)ロベルト・ロッセリーニ
    〜伝説満載で、史上に刻まれる名シーンてんこもりで、なのに、なのに、なのに!という瑞々しさでやんなっちゃった(もちろん、ストライクに張り飛ばされたという意味)

25位:『アルジェの戦い』1966(イタリア・アルジェリア)
    〜ついこの間「チェ」2部作も観たし「望郷」も観たし
    ニュースでもドキュメンタリーでも映画でも文学でも旧作でも新作でも
    なんだか同じようなものばかり見てる気がしてる。

□旧作は、明らかに名作で心に残って順位つけるとなると正直に外せないんだけれど、、でもやっぱりこうして並べて書こうと思うとちょっと気が引けるね(笑)

□気が引けるから外したけれど、昨年見た旧作の中に、『仁義なき戦い』シリーズがあったの。
 深作欣二監督4本、『仁義なき戦い』1973、『仁義なき戦い・広島死闘篇』1973、『仁義の墓場』1975、『県警対組織暴力』1975。たぶんまとめて全部見たのは初めてで、やっぱりすごく良かった。

□共犯映画賞のラインナップと重なってる、私の観た映画の本数は、ざっと数えた限りでは35本。
 共犯1位の『悲しみが乾くまで』も見てます。選から漏れてるけど(笑)
 13位『ある愛の風景』も見てる。
 スザンネ・ビアは、『アフター・ウェディング』を見てないのは残念だけれど、『幸せな孤独』を見てからずっと気になってて、そして今のところ彼女のテーマは一貫してると思う。
 ちょっとまた一山長くなるからここでは書かないけど(笑)
 
□他に選から漏れたけれど一言書いておきたい映画として残ってるのは、
 『机のなかみ』2006(日本)監督:吉田恵輔
    〜全般的にすごく「やな映画」なんだけれど、ラスト。ラストがすごい。
     なんか、ああここを描くのに結構わざと
     あの嫌なところもべったり描いてきたのかあ。とも思わせるエネルギーがある。     
     最最終に置かれた、「言うぞ言うぞ・・・・言ったぁーーーっ!」の
     私的には「大間違い」の台詞、も、その大間違いさ故に
     すごくエネルギーがあって、きっと確信犯として
     監督はあれを描きたかったんだと思う。の映画だった。

□私が見てなくて、共犯映画賞ラインナップの中で、すごく見たいのは
 2位の『いつか眠りにつく前に』。蠍座でリバイバルしないかなあ。
 
 前にもどっかで書いたかも知れないけれど、原作のスーザン・マイノットって、私が大学生だった頃かな?にデビューして、ちょっと日本でも立て続けに紹介されて話題になった人で、
 デビューからの2作ほどが私、好きで、追いかけていた人なのです。
 でも、すぐ「行き詰った」感が出て、それきり消えてしまったと思っていた。
 だからこの久保兄の評に彼女の名前を見つけた時にはやや興奮しました(笑)

□以下、上記で名前が出てない残りの見た映画のタイトルだけ、観た順に書いておきます。
*『ロング・グッドバイ』*『リトル・チルドレン』*『エディット・ピアフ』*『題名のない子守歌』*『犯人に告ぐ』*『グッド・シェパード』*『ヒト ラーの贋札』*『国道20号線』*『オフサイド・ガールズ』*『シューテム・アップ』*『アウェイ・フロム・ハー』*『パラノイド・パーク』*『マジッ ク・アワー』*『ヴィーナス』*『Mr.ブルック』*『その名にちなんで』*『鳩を売る少年』*『少年』*『崖の上のポニョ』*『スリ』*『幻影師アイゼ ンハイム』*『アメリカン・ギャングスター』*『アクロス・ザ・ユニバース』*『マイ・ブルーベリー・ナイツ』*『ウォンテッド』*『デトロイト・メタ ル・シティ』*『迷子の警察音楽隊』*『青春の殺人者』*『赤ちゃん泥棒』*『最後の初恋』*『最高の人生の見つけ方』*『ゼア・ウィル・ビー・ブラッ ド』*『郵便配達は2度ベルを鳴らす』*『パリ・恋人たちの2日間』*『自転車泥棒』*『ハスラー』*『暴力脱獄』*『1408号』 

 →『少年』1969大島渚もすごくよかったな、一言書けるな(笑)でも前にここに何か書いたような気がする。閉塞感について。

□今の処今年はまだ9本です(笑)印象に残ってるのは『コレラの時代の愛』。

BGMは、二コレット・ラーソン、フィービー・スノウ、ポリス。





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Reply ♪苦墓喪吐疲労感 久保AB-ST元宏 URL 2009/03/03 05:34


The dead will arise and burst out of Ms.ろーら@ミカキチ's cloths
And ye shall be changed
何でもあるでぃ。フランソワーズ・アルディの日本語タイトルってどれもすごくいいと思うのだけれど、『幻想的疲労』

■でも、『幻想的疲労』ってまでイクと、「すごくいい」をはるか超えて、スゴスギ、だね。
日本におけるフランス語使いたちって、まるでサーカスにおける猛獣使いのように、社会から少し浮いたプライドと、わがままに近い自由さがあるよね。
元祖KYなのでしょうか(笑)。その代表が、やっぱ、イヤミざんす(?)♪
たとえばアテネ・フランセの社会的位置や、フランス文化(=映画や詩など。)マニアの浮世離れした(笑)特権意識(?)などにそれが現れているよね〜ん。
だから、英語のポップスの邦題に『幻想的疲労』なんて、絶対に付けないよな(笑)。しかも、これ、微妙ながらアイドル系の歌手でしょ(笑)?
もし、英語の曲名に「Fantastic tiredness」ってのがあっても、せーぜー、「恋はもうへとへと」(笑・なんか、ありそう〜)とかになるんだろーな。

>amazonの中古で5000円

■そりゃ、高いねー。
んが、価格ってのは、高度資本主義社会(笑)では、そのまんま「価値」のことだからねー。
まぁ、高度資本主義社会が瓦解した今(←ほんとか?)、ミカキチが高いと感じるのであれば、それはネット・オークション幻想の終焉の足音かもしれない・が。
ちなみに先日の日曜日の私は、こんな映画の日&ブック・オフ・ホリディでした♪

世界を見つめるために。Wow!★本と映画と、自分。

■『共犯新聞』グルーピー(がくっ。)のみなさんならば、上記の画像から多様なキーワードを読み取れることでしょう(笑)。
実は、ミカキチ、ここのブック・オフに、加藤治郎の第一歌集『サニー・サイド・アップ』(雁書館、1987年)が安値で売っていたんだよ!
が、私の古本購入原則からハズれる、初版ではなくて、第二版だったんでした〜。いやー、ビビりました。
■で、がくっ。と振り返ったとこにそびえていた「105円均一コーナー」に、
なんと、最近、東出センパイと熱い(笑)、増田みづ子の1979年のデビュー短編集が初版で売っていた!
さっそく読んでみましたよ。
うーむ。なるほど。もしやこれ、柴田翔の影響大!だよ。
もっとも古い作品、「死後の関係」は『新潮』1977年6月号に発表され、第9回「新潮新人賞」候補作になっている。以後、毎回、芥川賞候補になるわけだ。
本のカバーには、共犯青春部会メールで話題沸騰の顔写真と一緒に、<著者略歴>も書かれている。
全部、書き写す。

昭和23年 東京都生まれ
昭和39年 都立白鳳高校入学
       後に都立上野高校定時制に転校
昭和44年 東京農工大学農学部植物防疫学科入学
昭和48年 卒業後 日本医科大学第二生化学教室勤務
       現在に至る 雑誌「現代文学」同人

単純に、大学入学時の年齢が21歳である、とゆーのが気になるが、昭和23年=1948年生まれと言えば、全共闘世代のピークだから、
都立白鳳高校時代に高校全共闘でクビになったのだろうか?・・・・・・そこは、自伝かエッセイか、伝記が出版されていれば読んで確認したいところ。
いずれにせよ、彼女の小説が評価され始めたと言っていい、このデビュー短編集に収められている作品が書かれた1977〜1979年にはもう全共闘運動は終わった後、だ。
この3年間が私の高校時代とピッタリ重なっているので、私にも時代の空気を思い出すことができる(笑)。
つまり、『共犯新聞』でも書いたように、柴田翔が筆を折った年と、村上春樹がデビューした年の、ちょうどブリッジになっているのだ!
そこが増田みず子の不幸でもあり、デビューにありつけた幸福でもある、と私は思う。
彼女の不幸とは、真面目すぎる彼女にとって1977〜1979年という時代は、あまりにもモチーフが薄すぎたのだ。
もちろん、モチーフが薄くても、濃いブンガクは書くことができる。それを証明したのが村上春樹でもあったのだ・が。
・・・・・・どうでしょ、東出センパイ(笑)?増田みづ子初心者の第一印象のようなメモなんでした〜。

>セイラーの、プー横丁で、永遠をつかまえて。THE OLD NICKELODEON SOUND って曲知ってる?

■もちろん、若い私は知りません(笑)。
そも&そも、セイラーだつて、カーリー・ヘヤー・サイモンで、ございます、レオ・セイヤーか、小澤征良かと思っちゃった。がくっ。
ミカキチが言いたかったのはセイラーじゃなくて、
「Nickelodeon」=ニコロデオン=5セント映画館=名画座=ロードショーから遅れた名画を安く観れる映画館=札幌で言えば蠍座
ってことなんだろーけど♪

>2008年に私が見た映画を数えてみたらジャスト70本でした。

■うーむ。まさか、ミカキチよりも私のほうが映画を観ているとは思わなかった(マジ)。

>さすが、仕事を休んでいただけのことはある。

■ちゃんと仕事をしている(=ほんとだぞ!)映画館から60km以上離れている田舎町の普通の家庭人(=ほんとだぞ!!)なのに、映画館で75本、観ました。
がくっ。

>封切り:16本

■あー、ここだね、私とミカキチの映画鑑賞の決定的な差は。
『ラザロ』とか『愛の予感』とか、北海道での上映が東京よりも1年遅い作品も含めれば、
私が2008年に観た映画75本中、封切は74本だ。
旧作はウディ・アレンの『アニー・ホール』1本だけ。これも、時間つぶしに蠍座に入って観たから、カウントしたまでのこと(笑)。
■私が映画をビデオやDVDで観ないで映画館にこだわることと、自然と封切作品志向になることには共通の意味がある。
本は古本、CDは中古の私ではあるんだけれど、映画だけは世界と同時にリアル・タイムに味わう必要があるんだ。
単独者として暗闇の椅子に沈み込むのが映画なんだけど、だからこそ、無数の個人が同じスクリーンを世界同時多発で見詰めることにこだわるのだよー。
前回、TERAのゲストブック・カキコへのレスにも引用した池澤夏樹が朝日新聞での対談で語った言葉を引用しよう。
そこで池澤は、インターネットと新聞の本質的な違いについて語っているんだけれど、
私が今、書いた、個人と世界同時多発の関係について考えることになると思うから♪
池澤夏樹と船橋洋一(朝日新聞・主筆)による、2009年1月23日付けの朝日新聞における対談からなんだけど、
最後の池澤の発言に注目してほしい。
 船橋 米国でニューヨーク・タイムズを日曜日の朝、スーパーマーケットで買って、小脇にかかえて、
午前中時間をかけて日差しを浴びながら読む、あの楽しさ。
1日が新聞を読むことから始まる、日めくりのポータル(入り口)感覚。あれを朝日新聞で日本の多くの方々に味わっていただきたい。
ベネディクト・アンダーソンが「近代人には新聞が朝の礼拝の代わりになった」とのヘーゲルの言葉を引用し、
その上で「このセレモニーを行う数百万の人々は、お互いのことは全く知らないが、これは想像の共同体なのだ」と
著書『想像の共同体』に書いていますが、そういう新聞は市民・国民の共通項なのでしょう。

 池澤 もう一歩この論を進めると、県単位から全国まで、コミュニティーの束ねの役割も果たしている。
新聞を共有することで人と人はつながるという。テレビにその機能があるけれど、インターネットはむしろ逆に人を個人に戻す
新聞は、日本人の自意識に結構つながっているんだなと、今、気づきました。

>70本見て感じたのは、さすがに「見なくていいな(笑)」と感じる作品にぶち当たる

■あはは。やりたいことがたくさんあるヤング・レディの美女はそうだよね。
確かに、くだらないことに強制的に付き合わせられる暴力のような映画はあるよね(がくっ。)。
その一方で私は自分の空いた時間は、ぜんぶ、映画館に提供したいようなキモチもあるんだよね(笑)。
クソでもゴミでもいいから、まずは映画館で見届けたい、みたいな。

>本数は多くなくていいんだけれど、ストライクに張り飛ばしてくれる映画を、きっちり追いかけてくことを自分は望んでいるみたい

■我らには、いら姉さんとゆー大都会☆東京で北海道よりも一足先にミニシアター系を観ることができる優秀なシネマ・ソムリエを知っているし、
ミカキチは蠍座ガールズだし、なもんで、名画「歩留まり」に関してはリスクは少ないんだろーな。
だから&たぶん、昨年ぶち当たった「見なくていいな(笑)」と感じる作品は、ほとんどが「封切り:16本」の中なんだろーな。

>順位を付けてみました。

■あは♪ありがとー。
私はかつて井内さんたちと酒を呑みながら「ブンガク」とか「音楽」とかのカウント・ダウン方式マイ・ベスト告白(笑)をしょっちゅーやっていたぐらい、
他人のベスト・ランキングを知るのが大好きなんです♪
そんなわけで&さっそく、『第6回★共犯映画賞』のオプションとして、ローラに花束を!ミカキチ・ランキングをリンク貼らさせていただきました♪

>「共犯映画賞」では41位(笑)

■例年のように、年間で40〜45本ほどしか(=「しか」って、それでも充分多いんですけど・笑。)映画を観ない年に41位はさすがに低位置だけど、
75本も観ると、41位にもちゃんとポジティヴな意味&価値がある(笑)。
特に今回は私はまず、いくつかの指標となる映画を選び出した。
それが、私が観た、『崖の上のポニョ』『アニーホール』『えいがでとーじょー!たまごっち ドキドキ!うちゅーのまいごっち!?』の3作品。
つまり、私にとって『ダークナイト』(9位)は、『崖の上のポニョ』(11位)よりも上で、『ノーカントリー』(12位)は『崖の上のポニョ』(11位)よりも下、
さらに、『レッドクリフ パート1』(75位)は、『えいがでとーじょー!たまごっち ドキドキ!うちゅーのまいごっち!?』(67位)に、はるか及ばない、とゆーふーに。
もちろん、オール・タイム・ベストとなると、『アニーホール』がだんぜん1位になっちゃうけれど、2008年の段階で観て、『アニーホール』がどれくらい魅力的か、となるので、20位としたのさ。
順位とはやっぱり、雑だし乱暴な行為だよね。
それを承知のゲームだってとこも、まぁ、映画っぽいんだけどね(笑)。

>1位を決めるのは本当に難しかったけれど(特に今年は)

■あー。確かに(笑)。
実は私は例年のようにダントツの1位、ってのが無かったんでした〜。

>わざとか??というほどの「深みの無さ」なのに、
 そういうことが全然実は「問題じゃない、関係ない」ってことがひしひしと迫ってくる。

■なるほど。さすがミカキチ、魅力的な視点を正確な言葉で指摘してるね。
もう昨日の夜だけどさ、テレビで映画『チーム・バチスタの栄光』がやっていて、これは2008年公開映画だけど、ロードショー当時は私はまったく食指が沸かなかったんだけど、
ロードショー終了後、監督の中村義洋(1970年生まれ。・・・う〜ん、若い。私より。がくっ。)は、
過去に『共犯映画賞』で高順位を獲得した『アヒルと鴨のコインロッカー』(2006年)の監督でもあったと知り、観とけばよかった!と、後悔していた作品。
後悔、公開の後に立たず。
■で、30分遅れの途中から観たんだけど、よくできた映画だった。
でも、私がよく批判するように、これなら映画じゃなくて、テレビで充分、の作品であった。
私が言う「映画じゃなくて、テレビで充分」は、ミカキチ的には、「わざとか??というほどの「深みの無さ」」でもあるのかもしれない。
『ラザロ』なんか、もろ、テレビの「土曜ワイド劇場」的作風ですらあるから、その屈折ぶりは驚異的でもあるんだけどね。
で、もちろん、『チーム・バチスタの栄光』は、「そういうことが全然実は「問題じゃない、関係ない」ってことがひしひしと迫ってくる。」では無かった。
なるほど、やっぱ、さすがミカキチ。
でも、それでも私の『ラザロ』の順位は41位だけどね(笑)。

>それを観てる自分の視点に気づくことによって

■かつて遠藤ミチロウが、教壇から生徒を見ているつもりの教師が実はその背後から見られていることに気がついた瞬間の恐怖
みたいなことを言っていたのが私には印象的なんだけど、
私が大昔にやっていたバンドの「マリワナ」とゆー曲は、それをステージ上で実践して、
ステージを見ているつもりの客が、実はステージから見られていたという視点の逆転の恐怖を観客に与えることに成功した、とても美しいポップ・ソングです(笑)。

>主旋律として提示されてるテーマとは別の、でも実はそっちの方がもっと重く

■私たちが複雑を愛するのは、私たちが複雑だから。

>名付けを拒否

■その底なしへ降る雨。

>後ろから

■『ラスト、コーション』も、「後ろから」が印象的に使われていたね。どうしてだろう。
後ろからする場合は、背後になる男の顔を女は見ることができないままに自分が参加&支配できないリズムと速度で突き上げられる、その一方通行振りが何か(=愛?)を加速させるのだろうか。
もしくは(または同時に)愛は所有欲でもあるのだとすれば、主従の関係の図式をより克明にするのが、後ろから、なのかな。
そして、『イースタン・プロミス』で描かれた「後ろから」が美しいのは、
ヴィゴには「少女の顔の暗さ」が見えず、少女には「ヴィゴの集中の度合いの表情」が見えないという、
いわば、暗闇の映画館の椅子に沈み込んで同じ映画を観ていながら、映画を観ているお互いの顔は見えない、ということと同じだからなんだろうな。

>する

■能動も受動も、能動のうち。

>「これ、テオ・アンゲロプロスだ!」。

■あらま。おみごとな発見。確かにー。

>私のテーマ疲労感」

■そう&そう、2008年の映画ぜんぶを俯瞰した時、色濃く現れるテーマはまさに、「疲労感」、だよね。またしても、でかしたなミカキチ。
ミカキチと私が、2008年の映画をめぐるキーワード「疲労感」についてやりとりしたメールをついでだから(笑)、下記にコピペ♪
ここでの話題は、私が買った何でもあるでぃ。マリアンヌ・フェイスフルの中古CDアルバムマリアンヌ・フェイスフルの手で。『ビフォア・ザ・ポイズン』をめぐって。

うぇ〜ん!久保 マリアンヌのアルバムはけっこー持っている私だけど、これが私のセンスに一番あってるなぁー。

石が透明ではなかった頃のローラ。ミカキチ 聞きたくなる。

うぇ〜ん!久保 マリアンヌの私が今回買った2004年のアルバムは、ワイルド。
    9曲目の、歌詞;マリアンヌと、作曲;ニック・ケイブの共作「デスペラント」なんか、もうすごい。
    たぶんニック・ケイブだと思うけれど、ループされるコーラス「Everybody loves my baby」は炎のようだ。
    ライナー・ノーツに使われている写真もいいよ。

ローラに花束を!ミカキチ 良さそうだねぇ(笑)

うぇ〜ん!久保 つい数年前なんだけどマリアンヌの顔が(まだ)細い(笑)。
    きっと、マリアンヌが好きな人たちが集まったんだな。
    今、2004年と書いて気がついたんだけど、翌年は昨夜語ったストーンズ『ア・ビガー・バン』の発売年。
    ミック、マリアンヌのアルバム聴いたな。きっと、燃えたと思う(笑)。
    だって、よーく聴けば、つながってる。今、気がついた(笑)。誰かこれ、指摘して評論書いていないかな。あったら読みたい(笑)。

ミカキチ うー。
      マリアンヌ・フェイスフルのことを考えると、女の子の人生として、すごくシンクロして考えてしまって(笑)
      なんていうか、たとえ彼女くらいになったとしてもやっぱり辛い人生だあ。って思ってしまうんだけれど
      でも、それでも、彼女はやっぱり、自分でいることで人生全うするしかなくて、で、やっぱりそれが唯一最上なんだよね。

うぇ〜ん!久保 世界中が彼女の人生を知っているからねぇ。
    ストーンズの『スティッキー・フィンガーズ』を私はウオホールのジッパー・オリジナルLPで持っているんだけど、
    このアルバムをアナログで聴くと、何でもあるでぃ。「シスター・モルヒネ」迫ってくるよね。
    「ブラウン・シュガー」と「ビッチ」ばかりがクローズ・アップされるけれど、このアルバムは、
    そうだな、「疲労感」だね。
    どうして疲労感がしっくりくるんだろう。
    ブルーズや演歌も疲労感なのか?うーむ。この項、思索中。

石が透明ではなかった頃のローラ。ミカキチ 実は、私が「疲労感」という言葉を使用するようになったのって、
      渋谷陽一が、ストーンズの音楽を「疲労感」という言葉で説明していたのを読んでからなの。
      すごく、ものすごく、ぴったり。って思ったの。

うぇ〜ん!久保 ストーンズの疲労感って、70年代前半のルーズな時期がぴったりだな。
    80年代ストーンズの「ネイバーズ」とか、
    「スタート・ミー・アップ」(=実は私の父の携帯の着メロが、これ。がくっ。どこのホステスに入れてもらったんだ!?)などは、
    疲労感どころか、元気いっぱいだもんね(笑)。
    でも、確かに眼の下にクマ(=化粧もあるけどね。あー、私も真似しました・笑。)つくって、
    口を半開きに腰を落としてブルーズって時期のストーンズは、かっこいい。
    それとは別に、たとえ出所が渋谷陽一であっても、
    暗闇で不特定多数で観る光。『ノー・カントリー』暗闇で不特定多数で観る光。『ダークナイト』に「疲労感」の形容を持ってくるミカキチのセンスは、さすがだよね。
    あ、そうか、この2本ってストーンズっぽいってことかな?
    なるほど、『ノー・カントリー』は『メインストリートのならず者』っぽいし、
    『ダークナイト』は『アンダカバー』っぽいな。
    あと、「疲労感」というキーワードを使えば、そこから離れた距離も含めて、昨今のサブカルの多くが説明できる。
    やはりこれは末期ブッシュの時代、とゆーか、泥沼イラクの時代の気分、ということなんだと思うな。
    オバマの登場は、「疲労感」じゃないしね。


>前進する絶望

■犯罪者の「前進する絶望」には底なしの恐怖があるけれど、
絶望した「英雄」が「前進する絶望」の緊張感でやりとげた偉大なる事業ってのも、あるんだろうな。
でも、その場合の犯罪者と英雄って、五十歩百歩なんだよね。
私にとっての2008年の映画の「疲労感3部作」は、ミカキチが言う『ノーカントリー』『ダークナイト』に、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』が加わるんだけど、
この3作品って、「疲労感」なくせに、どんな映画よりもパワフルなんだよね。
ふつーは相反する疲労感とパワフルが同居するから、「前進する絶望」なのかな?
そして、この3作品以上に疲労した表情を見せるのが『フィクサー』のラスト・シーンでの長回しなんだけど、疲労しているはずのこっちには、疲労感は、無い。
かと言って、『フィクサー』は希望の映画である、とゆーほど単純でもない。
まぁ、そこが我らが『フィクサー』を「疲労感3部作」(笑)よりも上に評価した点なんだろーな。

>彼らがどんな純情を抱えて生きてきたか、
 そのことが夫々をどれだけの長い間孤独のままにしていたか

■ミカキチは、世間から離れた山の上でテレビも観ないで、届けられる新聞も開かないで鶏と兎と生きているけれど(笑)、
先月から北海道新聞の夕刊のの時評の担当者が、蜂飼耳(はちかい・みみ、詩人。1974年、神奈川県生まれ。)になったんだよ。いいだろー(笑)。
で、3月2日に今月分が掲載されていたんだけど、樋口覚『日清戦争異聞 萩原朔太郎が描いた戦争』(青土社)を紹介しているんだ。
朔太郎の注目されてこなかった散文詩「日清戦争異聞」は、「熱狂のあとに忍び寄る気分」を描いた、とゆーのが著者の論旨。
「熱狂のあとに忍び寄る気分」とは、まさに、「疲労感」、だよね。
蜂飼耳は、時評の最後の文章をこう締めくくっている。

個人が、考えたことを言葉で書けるかどうか。
というより、思考できるかどうか。
詩の言葉は眠るものを揺り起こす。
いまどこにいるか、考えるために。

>本来、「愛」の為す最も偉大な仕事は、関わった人たちを捕らわれていたものから自由にすること。解放すること。 なんだけれど、
 下手すると、「愛が人を説得する」とか「愛が人を動かす」とかのように描かれちゃう気がするから。
 しかもそれを、「知的でない」主人公でもって描いて成功してることは、
 そのまま、『映画』という存在の性格をいとおしんでることにもなると思う。

■で、これはマリアンヌ・フェイスフル主演の『やわらかい手』についてのミカキチの言葉だけど、すばらしい。
まだ私の中で未整理なんだけど、仮定としてメモっておくと、
『「感動」の罪』、のようなもの。
芸術家は感動が好きだが、権力者もさらに感動が大好き。
上記の「感動」を「愛」と置き換えてみれば、何かが見えてくることだろう。

>共犯1位の『悲しみが乾くまで』も見てます。選から漏れてるけど(笑)

■冒頭に書いたように、私も今年は例年のようにダントツの1位、ってのが無かったんでした〜。
そんな中で、もちろん『悲しみが乾くまで』は優れた作品だったけれど、
2008年が女性監督の良い仕事が多い年であり、その代表としてスザンネ・ビア監督がいてもいい、とゆー判断から。
また、「疲労感」とゆーキーワードをさらに引用すれば、まさにベニチオ・デル・トロの顔と表情と演技が、それであったわけで、
しかも、そんな彼のジャンキーの役どころが実は元・医者であったとゆー、まるで今年の『チェ』2部作につながるよーな設定。
それは「希望」と言う「物語の安易な着陸地点という誘惑に甘えない姿勢を追及」する監督の姿勢とダブる。
それらを総合すると、ほら、2008年を代表する作品でしょ(笑)?

>今の処今年はまだ9本です(笑)印象に残ってるのは『コレラの時代の愛』。

■あー、私も9本はもう観ているなぁ。
今んとこの1位は、『英国王給仕人に乾杯!』だったんだけど、日曜日に『少年メリケンサック』を観て、こっちにココロが移りかけ〜(笑)♪




1740
Reply 真夜中の女 HARU
2009/03/06 00:40


こんばんは。はるです。たぶん、寝不足は病気です。
遅れましたが、演劇に来てくださいまして、ありがとうございました。
今思えば、立ち見であっても、久保さんには中に入って見ていただけば良かったです。
そうすれば、俵の活躍ぶりも実感してもらえたかもしれません。
されに、あの席は寒かったでしょうし。
私も本番は映光のお世話で、ロビーでモニターの立ち見でしたので、状況はよくわかります。みづっきーと少しだけ探したのですが、人ごみで見つかりませんでした。
追悼文集は俵のお礼に、久保さんとみかさんにプレゼントします。
(みづっきーには、会場で、もう渡っています。)
私は追悼する会の動きと、戸塚さんの気持ちが、どこかでずれているような違和感をおぼえて、最後の方は戸惑いがちだったのですが、
演劇自体が成功したと思うので、ホッとしました。
違和感は私だけが感じていたようです。
共犯映画賞、楽しく見させていただきました。
みかさんのと比べるのも面白かった。DVDで観ようっと。
実は、私は映画館に行けない状況でも、「レッドクリフ」だけは見に行こうとしていたんですけど、結局行けませんでした。
75位(がくっ)だったら、見に行かなくてよかったー。
三国志が大好きで、金城武も好きなのです(私みたいのがごまんといたから、ヒットしたんですよね)。
でも、「レッドクリフ」という題名にはピンときませんでした。
黄巾の乱を「イエロースカーフ」という題で映画化したら、もっと腹が立つかも。

さて、3月に入ってしましましたが、香聡庵での共犯チャーリーズパーティー(チャーリーは久保さん、私たちエンジェル❤)実現したいのですが、久保さんはいつがいいですか?
みかさん、いつならできそうですか?







1741
Reply チャーリー・イズ・マイ・ダーリンミシン 久保AB-ST元宏 URL 2009/03/06 12:34


Well, the comic book and me, just us, we caught the bus♪
The poor little chauffeur, though, Ms.はる先生、授業ですよ!HARU was back in bed♪
On the very next day, with a nose full of pus♪
Yea! Heavy and a bottle of bread
>寝不足は病気です。

■ミカキチに言わせれば、私は小学校のころからずーっと慢性寝不足なんじゃないか?とか(笑)。
確かに、20歳前後のころは、3〜4日寝ないで遊んでいた(?)からなぁー。

>今思えば、立ち見であっても、久保さんには中に入って見ていただけば良かったです。

■あは。
すげータイミングで私の『未確認飛行ロケット+演劇2DAYS』共犯記事のUPとニアミスでしたね〜♪
そこにも書いたんだけど、結果的にあの窓際族的観劇で感激とはまた違った観劇ができて良かったっす〜(笑)♪
受付の方に、はる先生からもお礼を申し上げておいてください♪(←けっして、イヤミではありませーん・笑。)

>私は追悼する会の動きと、戸塚さんの気持ちが、どこかでずれているような違和感をおぼえて、最後の方は戸惑いがちだったのですが

■あー。さすが、ロケンロー界のカナリア嬢♪黄色がはる先生、キャバレー出演ですよ!ナカナカ、カナカナお似合い♪
たぶん、私がロビーのモニターで演劇を観る必要があったのは、はる先生のその違和感を共有するためだったのかもね。
改めて、受付の方に感謝(笑)♪

>演劇自体が成功したと思うので、ホッとしました。

■うん。そのことは、とてもたいせつにしたいよね。

共犯映画賞、楽しく見させていただきました。

■来年は、映光ちゃんも乳汁の必要は無いでしょうから、はる先生も参戦してください!

>実は、私は映画館に行けない状況でも、「レッドクリフ」だけは見に行こうとしていたんですけど

■おほおほ(笑)。それもまた、すばらしーぐうぜん(笑)♪
『三国志』と言えば、はる先生の同僚であられた、また、栄光の(?)『やさしい英会話教室すずめの学校』OGであられる、
高橋京子嬢が1993年に行った、『「三国志」の世界を訪ねて訪問団』の記念誌を私にくれました。
今でも私の書斎の宝物です(笑)。
高橋京子さんは千歳市以降、どこに消えたんでしょね?

>黄巾の乱を「イエロースカーフ」という題で映画化したら、もっと腹が立つかも。

■『三国志』を、「スリー・ファンキーズ」という題でミュージカル映画化したら、さらに腹が立つかも。

>3月に入ってしましましたが、香聡庵での共犯チャーリーズパーティー(チャーリーは久保さん、私たちエンジェル)

■いやぁ〜ん♪それがウ・ワ・サの、共犯ハ〜レム・シ〜クレット・パ〜ティですね♪
3月は世界的に、久保元宏生誕記念月間となっていますので、万障繰り合わせさせていただきます♪
なんだか、北の迎賓館=若林博士ログハウス、南の下品館(がくっ。)=香聡庵、ってパターンになりそうですね♪ひっひっひ・・・。
■あ、そう&そう、あの戸塚JV泉演劇の時、はる先生に、小川原脩記念美術館(Shu Ogawara Museum)での、エミリーの展覧会の無料招待券を差し上げようと思っていたんですよ。
が、逢えなかった〜。がーん。(←ミカキチ風。)
『くっちゃんART2009』、期間は2009年2月18日(水)〜3月29日(日)9Am〜5Pmです。
行くのであれば、無料招待券を何枚でも送りますよ♪何枚だぁ?
あ、みんなで観にいって、徳丸画伯のアトリエをじゃまして、その夜に香聡庵で、ミカ&はる料理でも、いいなぁ♪
美術館のHPに私の顔が掲載されているのに、今、気がついた。がくっ。




1742
Reply あっと驚くタメゴロー Non
2009/03/11 14:29


久保様、お久しぶりです。

なかなか16キロ痩せられないわ。新年会は今年末になるかも・・・

ところで、日課である、共犯新聞を広げてみたら私の顔が出てきてびっくりしました。

なんだか面白かったけど悪筆がくっきりわかる画像で恥ずかしいわ。

そしてなぜか私の嫌いなものについて書かれてあった・・・・

忘年会で嫌いなものについて語ったりしたのだろうか?

だとしたら感じの悪いヤツですね私。

書かれている嫌いなものには多分共通点があるのが薄ぼんやりとわかるのだけどね。

白洲は明治生まれにして身長180強、イケメン、財閥、おしゃれ、東北電力、妻は能に仏像、マッカーサーとタイマン、この時代に海外に行ってもまったくコンプレックスを持つことなく過ごしている。


ジョンはビートルズで有名人、ヒットばしばし、名曲、富と名声、妻が現代アーティストでフルクサスで財閥、人を馬鹿にしたような皮肉屋なやつで性格悪そう。

おお共通点「財閥」「妻有能」「富と名声」かな?

まあ簡単にいってしまえばやきもちなんだがね。嫌いな理由。鼻につく。・・・結局簡単なことでした(笑)

他に「財閥」「妻有能」「富と名声」な人で好きな人がいたら別の何か嫌う理由があるに違いない。

それとも「財閥」「妻有能」「富と名声」な人には何か私の鼻につく何かをもっているのかな?

でもうらやましいのと好きは違うよねやっぱり。

・・・・・・それにしても

みんなホントにジロー好きなのかな?

ジョンよりジョージのがかっこいいって思ってるんでないの?

年賀状はみかちゃんから久保さんが喪中という情報を得たので出さなかったのだけど

まったくめでたくない今ごろの季節ならいいかな〜と思っています。すごい年賀状で気合入ってますので爆笑です。


札幌にお越しの際はお立ちよりくださいね〜。

またいっしょにお寿司食べたいです〜。

あ、でも沼田町のお蕎麦屋さんにも夢を馳せているんだった〜。

そっちが先かな?

痩せる暇もないわ!!








1743
Reply 久保さんの怒った顔、初めて見た。モニターの前で。 HARU
2009/03/11 22:32


そうなんですか〜、久保さん、会場に入れてもらえなかったんですね。
そんなことがあっていいのか??
無理にでも引きずり込むべきだった。
無理やりひっぱたら、受付の人はどんな反応したのかな。
怒って、「モニターの前にも人がいないと困るんです!!」とか?
久保さんは、中に入って観ても、恐らく同じ感想を持ったんじゃないかと思います。
だとしても、観てもらいたかった。

nonちゃんさん、実は香聡庵でお会いできたのですが、
私、自己紹介をするのを忘れてしまったんです。
大変失礼しました。
なのに、新庄の話とかして、普通じゃないですよね。
すみません、共犯新聞のせいです。
初対面なのを忘れて、知り合いだと錯覚してしまうんです。
若干、引きつったnonちゃんさんの顔が思い出されます。
「ってか、あなたは誰?」ですよね〜。
 
演劇つながりで、思い出したんですが、戸塚さんも、白洲次郎のこと嫌いです。
理由は、かっこつけてるから、だったと思います。
ははは。

今朝、エミリーとスカイプで話しました。
イエローストーン内で引っ越すらしいです。
http://www.gardinerchamber.com/
→こういうとこです。
倶知安、いつ行こう?
写真送る約束なんですよ〜。だから、メールで”義務”と言ったんです。
もちろん、本当に行きたいんですけどね。
義務、とか言うと、行きたくないと誤解されては困るので(笑)。
ではでは





1744
Reply Re:久保さんの怒った顔、初めて見た。モニターの前で。 柴田 紀恵
2009/03/11 23:15


こんばんは。

先日はライブでいろんな方がいてゆっくりお話できず残念でした〜。

今度お会いしたら、WBCの話をしたいです(笑)

ロケット姉妹よかったですね。猛吹雪の中無事開催できてよかったよかった。


> nonちゃんさん、実は香聡庵でお会いできたのですが、
> 私、自己紹介をするのを忘れてしまったんです。
> 大変失礼しました。
> なのに、新庄の話とかして、普通じゃないですよね。
> すみません、共犯新聞のせいです。
> 初対面なのを忘れて、知り合いだと錯覚してしまうんです。
> 若干、引きつったnonちゃんさんの顔が思い出されます。
> 「ってか、あなたは誰?」ですよね〜。

あ、引きつっていました?

ごめんなさい〜失礼しました。

えへへ〜客商売でも案外人見知りなのです(笑)


>  
> 演劇つながりで、思い出したんですが、戸塚さんも、白洲次郎のこと嫌いです。
> 理由は、かっこつけてるから、だったと思います。
> ははは。
>
どなたか存じませんがやっぱりいたのだ。うん。

私は持たないもののヒガミ(笑)





1746
Reply 知らす?じらす?白洲?ジラース? 久保AB-ST元宏 URL 2009/03/12 23:09


Get 今日、ちょっと思い出していたんだ。☆琴似でまみれるコーヒーの湯気。Ms.Non's mind off wintertime♪You ain't goin' nowhere♪Whoo-ee! Ride 人喰い部会長〜♪Ms.柴田 紀恵 high♪
>新年会は今年末になるかも・・・

■じゃ、お先に今週末あたりに忘年会だけでも終わらせておきますか。
無理をせず、できることから順番に、ひとつづつ。
忘年会が終わったら、クリスマス・パーティをして、それから花見をして、落ち着いたころにぼち&ぼち、新年会ぐらいできる余裕ができることでしょう♪

共犯新聞を広げてみたら私の顔

■思わず呑んでいたモーニング・エビス・ビールを、新聞紙に噴き出したのではないでしょうか?眼に浮かびます。
なんせ、読者のアクセス数だけが生命線のマスゴミ稼業。
売れなくなりゃー、アイドル・グラビアで部数を稼ごう、と、そんな汚ねぇ魂胆なんでした〜♪
っーか、私、得体の知れないもの(→誰?)は一度、考察してみないと気がすまないんです。えへ(笑)。

>共通点「財閥」「妻有能」「富と名声」

■上記中、「財閥」&「富と名声」ってのは、ゴミの数ほどあるけれど、「妻有能」ってのが相対的に少数派でごんすよね。
ノンちゃんの天敵は、「妻有能」と見抜いたなり!
そこで、

★緊急企画!ノンちゃん「妻有能」アレルギー反応検査♪
下記で嫌いな有名人の□にチェックして、保健所に近日中に提出せよ!
□サルバドール・ダリ
□沢田研二
□三浦知良
□谷佳知
□久保元宏
・・・・・・自分で書いていて、あまり参考にならないサンプルしか思いつかなかった。がくっ。なので、保健所に提出は不要(笑)。

>うらやましいのと好きは違う

■やましいのと好きは近いが(笑)。

>みんなホントにいまさら?ごめんね。☆一郎の湯気。ジロー好きなのかな?

■そりゃ&まー、ミカキチの先輩の太郎&韓国に零封なイチロー&秘書が逮捕な一郎らがダメダメならば、次の手はジローか?
よく知られているように、「5大ジロー」と言えばもちろん、白洲次郎青山二郎坂上二郎田宮二郎イベット・ジロー(次点=谷口ジロー。)であるが、
ちなみに、「ぼくたちは秀才だが、あいつだけは天才だ」と小林秀雄に言わしめた男は、青山二郎である。
なにやら、今回の共犯ノンちゃん特集のテーマみたい(笑)。

>すごい年賀状で気合入ってますので爆笑です。

■それって、クリスマス・カードのこと?

>痩せる暇もないわ!!

■先日のテレビで、ダイエットをすれば必ずリバウンドがくる人がしていた切実な告白。
「ダイエット→リバウンド→ダイエット→リバウンド→ダイエット→リバウンド→ダイエット→リバウンド・・・・・・、
の繰り返しで、しまいにはダイエットしないでもリバウンドだけするようになりました。

>ロケット姉妹よかったですね。猛吹雪の中無事開催できてよかったよかった。

■なんだか、この次に札幌で猛吹雪があったら、告知もされていないのに、無意識に香聡庵へライブを聴きに行く人が3人ぐらいはいそうだな。
つーか、
「本日は晴天ですので、香聡庵ライブは中止なんでした〜♪」
って、貼紙が当日、バスの停留所に貼られそうー。

>どなたか存じませんが

この人、です(笑)♪

--------------------------------------------------------------------------------

You angel youMs.はる先生、授業ですよ!HARU got me under your wing♪
>怒って、「モニターの前にも人がいないと困るんです!!」とか?

■あはは。
実はそれ、相手に「優しいと思われたい」という意図だとしても、別のことをする。ミカキチとwake cafeででも同じこと言い出した(笑)んだけど、
それを『共犯新聞』記事にする時にセンスよく書かないと下品になっちゃうから避けたんだ。
この場合の「下品」って、ヘタクソな「教師」批判になっちゃう、ってこと。
それって、以前、はる先生が
ミカーだ。
はる先生、授乳か授業ですよ!ちょっとそれるかもしれませんが、最近、飲酒運転の罰金がとてつもなく上がりましたよね。
それについて、江別近郊の情報誌を編集してる人が、
「そのおかげで、野幌駅周辺の飲み屋街は閑古鳥がないている。」と書いたところ、批判が殺到したそうです。
そう、飲酒運転は悪いことです。
でも、飲酒運転を擁護したわけではなく、
ちょっとしたことで、どれだけの人が苦しむか、そういうことを言いたかったと思うのですよね。
その編集者は江別に住むアイヌ人が行った、イチャルパに出席されていたので、
一度だけお会いしたことがあったので、何がいいたかったのかが、よくわかったのかもしれませんが。


ローラにミシェルとパトリシアを!ルールって、本来は、対等な者同士が、効率的に助け合っていく為につくるものなんだと思う。


うぇ〜ん!それがつい、過剰になる。

 交差点の信号機は許せるが、無人のアスファルトが時速40km制限なんて、奴隷のキブンになっちゃう。

って話題を私たちにふったことと同じ「誤解」の罠を避けたんだけど、ね。
で、もちろん、はる先生とは上記の話題を交わしているから誤解は生じないけれど、
なんせ、ほら、『共犯新聞』はメジャーだから(笑)。インディーズじゃナイから(笑)。
愚かな米屋や、愚かな有機農業レストランもあるように、同じように、愚かな教師っているからね。
■と、ここまで回りくどい(笑)エクスキューズを書いてから、本題を書けば、
ミカキチとwake cafeで語ったことは、
「ルールを守ることを優先してしまうことにより、本質を考えることにたどりつけない教師の病。」、について。
もちろんこれは、教師にかかわらず、行政マンや、愚かな米屋や、愚かな有機農業レストランにもあるんだけどね(笑)。
なぜならば、楽ちんだから。
で、wake cafeで語った私たちのレトリックは、
「モニターの準備をしたから、それを利用しなければもったいない、に、久保は付き合わされた。」
みたいな言い方(笑)。
ほら、はる先生の指摘(=ギャグ・笑?)と、ほぼ同じでしょ?
■だから、私はより性格の悪い行為として、抗議よりも、言いなりを選択したんでした〜♪
えへっ。

>初対面なのを忘れて、知り合いだと錯覚してしまうんです。

■私も先日、ロンドンの男子便所でとなりに立ったミック・ジャガーに、「ハァ〜イ、ミック♪」と、出したまま振り向いてしまいました(うそ)。

>理由は、かっこつけてるから

■私も以後、注意します(?)。

>倶知安、いつ行こう?

■はる先生にそう言われると弱いね(笑)。
はる先生が29日が無理なら、22日に行く?
確かに言われてみれば、エミリーの絵を観にいくのは私&はる先生には「義務」だよな。
久しぶりに、「義務」とゆー難しくもいやらしい言葉の正確な使用方法に出会った(笑)。
■さて、みづっきーからは、こんなお誘いも♪

こんばんは
差出人: だからぁ、元ミスあんどんだってばぁー!ねばだぁー!みづっきー
送信日時: 2009年3月12日 8:07Pm


皆さんお元気でしょうか?
またまた久々に、すずめOBパーティーのお知らせです。
日時は3月25日(水)18:30から、場所は若林さんログハウスです。
飲み物&一人一品お料理を持参してください。
この度のパーティーは、私事で恐縮ですが(?!)橋向(みづっきー)拓大卒業パーティーとさせてもらいましょうか〜
いつものように持ち込み放題・連れてきたい人連れ放題です。
参加できる方は23日(月)までに橋向(みづっきー)までご連絡くださいではでは〜




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Reply 恋は窓から・後ろから?どうでもよくないどうでもいいこと・デジャヴュ ミカキチ@ろーら URL 2009/03/13 02:28


□同窓会スピーチの更新の時にかかってた曲って何?って訊こうと思ってたらもう次の曲になってた。確か、昨年の卒業式の時の更新記事の際に後ろでかかってた曲も名前を訊こうと思った気がしたんだったけれど、同じ曲だったりする??
 なんかすごい既視感だった。

□2月のロケット&お芝居はしご記事(あれどこに仕舞ってあるの?)がアップされた後、「wake cafe 前の若草色のコートのウーパールーパーの写真どう?」と久保さんに言われてうっかりものすごくウケてしまい、以来口を開くとウーパールーパーの話しかしな いんで、上司のシャレにたった一度愛想よく反応してしまった為それ以降ずっと周囲に生暖かく気の毒がられている新入女子社員のような気分だったので記事が 更新してホッとしたな。
 と、天才ノンちゃんの記事を見ていたんだけれど、それも更新しちゃった(あれはどこにあるの?)前置きが長い。

□ロビーのモニターの前で久保さん怒った顔してたのか。それはなかなか可愛いですね。
 でも私、久保兄の怒った顔って見たことがあるような気がするけれど、気のせいかな。
 怒った顔するって、すごく素直じゃないと出来ないことだから、「怒った顔だ」と判断するのは難しいことだよね。

□香聡庵ロケット姉妹ライブの日、ノンちゃんにはる先生を紹介しかけたんだけれど、でも、どう詳しく説明するか迷って中途になっちゃった(笑) 
 ノンちゃんの隣に戸塚先生繋がりで前からはる先生にも知らせてあったkyoさんが座っていたから、kyoさんとはる先生を引き合わせたら、あとは自然に繋がっていくだろー。と放置したのでした〜。
 次回から、「ほれ、共犯の。」とだけ言って、後は各自帰宅したら共犯新聞のバックナンバーで復習する、ということに決めてしまえばいいですね。
 どうでもいいけど、今「復讐」って変換されて、感動した。

□ノンちゃんが昨年12月の鮓佐忘年会で語ってたのは、ジョンが嫌いということと、ジョンが嫌いなのと岡田斗司夫を嫌ってる理由は実は同じなのでは?という話題だったの。
 で、久保兄が一言でその理由を説明してみせたんだけれど、
 その言葉を忘れちゃった(笑)勿体ないなー。
 久保兄覚えているかな。

□今回白洲次郎が出てきたのは、テレビでドラマをやってるのを見て、そーいえばノンちゃんは白洲次郎がキライなあまりに一時アミカのカウンターの後ろの本棚は白洲本だらけだったな(笑)ってこと思い出したんだよ。

 しかし、ジョンを挟んで片方が岡田斗司夫でもう一方が白洲次郎という辺りがやはり、天才としか思えない繋ぎだねぇ。

□私の分析だと、ノンちゃんはジョンや岡田斗司夫にある種の「鈍感さ」を見てるのではないかと思うの。
 実はカッコ悪いくせにそのことに自覚なくイイ気になってる人間を見てるムズ痒さ、みたいな感じ。
 「わきまえなよ!その程度のくせに!!みんな(私だって)わきまえて生きてるんだから!!!」って言う感じ。

□白洲次郎に対する不快感も、ノンちゃんは「ヤキモチ」と言ってるけれど、まあその表現でも正しいのかも知れないけれど、嫉妬というより上記の感情のバリエーションの方が近いような気がするの。
 つまり「わきまえて生きてる人間を(自分が恵まれているが故に)完全に無視してるんじゃないの?」感を感じてる、とか、そんな感じ。
 それは、何かに対して鈍感である、とも記号として呼べることだから。

□ちなみに(って、どうでもいいだろうけど・笑)私は岡田斗司夫は大好きで、
 ジョンと白洲は好きでも嫌いでもないんだけれど、
 この2人(ジョンと白洲)について抱く共通の感情を言うと、
 その「支持のされかた」に違和感というか、若干の危険とある種の不快感を感じることはあるんだよね。この間、ノンちゃんにも話したような気がするけれど。
 たぶん、こないだの、『天才ノンちゃんグラビア記事』で言われてることと同じか、少なくとも似た・同種のことだと思うけれど。

 近年の白洲次郎ブームには、なんていうか、スーパーヒーローを外側に求めてる行為、みたいな気がして、私にはなんか嫌なの(笑)それってそうは見えない形で権威を求めてるってことなんじゃないのかな、って感じるから。
 あと、ジョンで言うと、ノンちゃんが「ホントにみんなカッコイイって思ってるの?」って書いてるけれど、やはり、もちろん一部の支持者にってことだけれ ど、彼の容姿が所謂セックスアピール溢れるタイプ(それを現代語でイケメンって呼ぶのかな?)のカッコイイ男じゃないからこそ安心して崇めてるような匂い を感じて、その、「見た目じゃないよ、才能で評価してるんだよ」的な、実は隠れた自己愛みたいな汚さ(自己愛が汚いのではなく、それの隠し方とか誤魔化し 方がいや、っていうことです)がなんだかすごく私の「やだなー」のど真ん中にストライクなのです。

□で、この辺て、ずっと以前、2007年の夏かな?にここのゲストブックに書き込んだ、もしかして青木昌彦さんも読んだのか?!(笑)と話題になった (なってないけど)河合隼雄と谷川俊太郎のそれぞれ個人としてのありようや仕事ではなくて、その支持のされ方・持て囃され方・取り上げられ方に何かすごく 大きな問題があると感じてる、というのと、近いものの気がしてる。

□あと、どーでもよさそうで、でも掘り下げに成功したら面白そうなポイントだと感じたのはノンちゃん自身の分析に「有能妻」と入っていたこと。
 でも、ホントは、正確には「有能」だとは思ってないんでしょ??
 一緒に勘違いしてるバカップルだと思っているって感じじゃない?(笑)っていう点で。
 だってノンちゃん、白洲正子のことは判らないけれど、確かヨーコのこと嫌いじゃなかったっけ。
 嫌いだから評価しないということではないけれど、一般の、そしてノンちゃん的に使う意味での「有能」だとは感じてないように思っていたんだ。

 敢えて言えば、「勘違いしてる客観性のないバカを常識でしつけるのではなく、うまくのせて、自分もそのおこぼれを預かるのに成功するという利口さがある」という有能さを指して言ってる、という感じ。

 って、こんな性格が悪いことを堂々と書いていいのでしょうか。
 普段はいつもこんなことばっかり私は、身近にいる天才たちと語り合ってはいるけれど。


>ジョンよりジョージのがかっこいいって思ってるんでないの?

→繰り返しになるけれど、一般にカッコイイと感受されないであろうと自分自身がどこか無意識にでも見做しているからこそそれをカッコイイと持ち上げてみせることによって自分の中の何かを誤魔化してる精神のありようみたいなものが嫌い、というのは私にはあるだけれど、
 ただ、私はそれをジョンの罪だと思えないんだ。
 そういう誤魔化しに拠らない、正当な(っていうのか?)支持も存在してると思ってるっていうのもあるけれど・・・・

 その、自分(ここの例だとジョン)がそのこと(自分の支持のされ方に含まれてる何か)に気付けないことによって冗長されてしまっているものに対して、彼が鈍感だったとは思ってないっていうのもあるんだけれど、それ以上に、その責任を彼に対して問えないんだよね。
 どうしてだか私には判らないんだけれど・・・・
 結構、その点にについては、ずっと考えてる、私自身の大きな穴の部分でもあるんだけれどね。
 共犯新聞では『詩と詩論』の話の際にも、共犯青春真面目サークルで東出センパイや久保兄と議論が沸いた話とも繋がるところだと思っているんだけれど。

>年賀状はみかちゃんから久保さんが喪中という情報を得たので出さなかったのだけど
>まったくめでたくない今ごろの季節ならいいかな〜と思っています。すごい年賀状で気合入ってますので爆笑です。

→きっと、今後末永く共犯新聞のグラビアとして使用される年賀状になると思うよ(笑)
 選挙の度に登場かも笑笑

□私も、はる先生の「違和感」の存在の報告はとても興味深くて、実は、あの日ポルトホールを出た後、当然ながら共犯新聞記事に取り上げられた数十倍以上分も縦横無尽に複雑にどっさり対話したんだけれど(ほんと、久保兄には見てからの感想聴きたかったよ)
 何しろ、「どんな話?」って訊かれて、私も全然一言では感想を言えなくて、「一言ではいえない」ということが最重要のポイントで、めちゃめちゃ抽象的な 遠い処からの部分と具体的な連想の羅列になったので、それら、私に生じた「感想」の集合をはる先生宛てに書いて送りたい、って思っていたんだけれど、また 目茶目茶長くなりそうでまだ書けてないのでした(笑)

>実は、私は映画館に行けない状況でも、「レッドクリフ」だけは見に行こうとしていたんですけど、結局行けませんでした。
>75位(がくっ)だったら、見に行かなくてよかったー。

→えーーー、でも、ここ読んだら、
 だったら尚更、はる先生には「レッドクリフ」を観に行ってもらって、
 今年見た本数10本(←テキトーですみません・・・・)中堂々のダントツ第一位!
 その理由!!
 を、書いてもらいたかったなあ(笑)
 それが、複数でランキングしてみせる楽しみと醍醐味なんだから笑笑
(もちろん、みんながケナしても私もケナす、というのも有りで)

>(チャーリーは久保さん、私たちエンジェル❤)

→確かに久保さんてチャーリーっぽいかも。
 何て言うか、自分が見つけた、惚れこんだ逸材を、引き合わせて、それぞれにいい仕事をさせて、それを離れて見ているのが好き、みたいな感じ(笑)
 (そこのエンジェルに自分が入ってるかものとこで言うな!という辺りは不問ということで)


>「恋はもうへとへと」(笑・なんか、ありそう〜)

→ニール・セダカとか(笑)。
 あ、トニー・マコウレイの邦題もこんな感じだよね笑笑

>実は、ミカキチ、ここのブック・オフに、加藤治郎の第一歌集『サニー・サイド・アップ』(雁書館、1987年)が安値で売っていたんだよ!
>が、私の古本購入原則からハズれる、初版ではなくて、第二版だったんでした〜。いやー、ビビりました。

→買ってきて欲しい。。。。。
 
『サニー・サイド・アップ』(1987年)収録の加藤治郎の作品は、こんな感じ。

「ぼくたちは勝手に育ったさ 制服にセメントの粉すりつけながら」
「かげりゆく冬の一日(ひとひ)は文鳥の頭をくちにふくんでみせる」
「菜の花にすこし獣のにおいして思い出してるきみのおせっかい」
「耳たぶにひかりはふれてぼくたちの体が音をたてるさみしさ」
「ぼくはただ口語のかおる部屋で待つ遅れて喩からあがってくるまで」

□最新刊『雨の日の回顧展』(2008年)はロダンとカミーユ・クローデルをテーマとして本歌取り?した作品集なんだけれど、猛烈にいいよ。

「めざめたら仮死状態のパンであるきみをナイフで切り分けていた」
「悔いだけがのこるのだろう手にとればせつなくてせつなくて、キャメル」
「施錠した扉のこちら教え子というにはきみは夕立だった」
「ストローをのぼるミルクのゆるやかにあなたの息子にするようにして」
「沈黙はなにも救わず(だとしても)ふせたグラスにひかり差すまで」

>うーむ。なるほど。もしやこれ、柴田翔の影響大!だよ

→読みます(笑)

>ミカキチが言いたかったのはセイラーじゃなくて、
>「Nickelodeon」=ニコロデオン=5セント映画館=名画座=ロードショーから遅れた名画を安く観れる映画館=札幌で言えば蠍座、
>ってことなんだろーけど♪

→でも、これいい曲でしょ?セイラー好きなんだ。
 you yube で動画初めてみたけれど、そうか、ピアノの蓋(って言うのか?)開けてるのかあ。なんかあの音色が好きで。オモチャのピアノちっくな音、好きなの。
 NRBQとか、あと、今時期の私の愛聴盤・斉藤哲夫の『バイバイ・グッドバイ・サラバイ』のラストの「吉祥寺」の最後に流れるオモチャのピアノの音とか。

>■あはは。やりたいことがたくさんあるヤング・レディの美女はそうだよね。
>だから&たぶん、昨年ぶち当たった「見なくていいな(笑)」と感じる作品は、ほとんどが「封切り:16本」の中なんだろーな。

→うーん、まあどうでもいいことでもあるんだけれど、でもどうでもよくもないんだけれど(笑)私が書いた「見なくていいな」は、そう簡単でもなくって(笑)
 この映画を見てる時間、他のことしてれば良かったな、っていう単純な意味ではなくって。

 「封切り16本」も、久保兄の数え方に倣えば、私の映画の中でもかなりの本数が「封切り」に含まれるんだけれど、
 「つまらない」映画だから「見なくてよかった」ってだけでも無いし・・・・
 
 「歩留まり」ってことだけでもないんだ。
 ストライク=名作、ってことだけじゃないから。

 受け止める側を含めて、受け止める側がどこに生きてるか、どう生きてるか、そのエネルギーを含めての「映画」だから。

 「打ち返し」に本領を発揮する久保兄が「全ての映画を映画館で見届けたい」のと同じ意味合いで、私は
 「全てじゃない映画を、私のスピードとやり方でレシーヴしたい」ってことを含めての表記だったんだ。
 でも、上手く書けてなかったね(笑)

 だから、私も、映画は映画館でしか見なくて、ビデオやDVDやテレビでは見ないんだけれど、でも久保兄のように封切り直後に観に行く訳ではなかったりす るんだけれど、それでもたぶん、映画館で見る、というところには、久保兄の拘り?というか意味の見出しと同じものが含まれていて、レシーブのツールである 自分という能力の部分が違うから、その時期やその他で調整が必要になってくるのを感じたりしてて、それはまた面白い発見だったりもするんだ。
 自分についての観察も40年分あって、その変遷もまた、サンプルとして面白かったりするし。あ、映画は40年も見てないけど、見てない頃から私、なんかこの世に映画ってものがあることをずっと確信してた気がするの(笑)

>順位とはやっぱり、雑だし乱暴な行為だよね。
>それを承知のゲームだってとこも、まぁ、映画っぽいんだけどね(笑)。
>実は私は例年のようにダントツの1位、ってのが無かったんでした〜。

→うん。そういう中で、何を一位に持ってくるか?がまた試されて、メッセージ性を持つっていうトコロが面白い、っていうのが、まあランク付けの醍醐味なんだよね。

>でも、それでも私の『ラザロ』の順位は41位だけどね(笑)。

→だから面白いんじゃん(笑)私なんて、久保兄のラザロの評を読んだ後に自分の評を書いた時とか、順位を見て、自分のランク付けしててわくわくしたよ(笑)
 順位が一致しないとことやっぱり同感&共感のランク付けのバランスが絶妙で笑笑
 つまり上の「わくわく」はもちろん、自分がその映画の「よさ」を発見した、と感じたから、みたいなツマンナイ意味じゃないってこと。
 良さに気付いたとか気付かなかったから順位や評価が変わるとか批評が違ってくるとかそういうことじゃないからさ。
 そして、そうじゃない部分で、面白い、自分が切り取れなかった輪郭で切り取られて見せられたものを見る喜びとかさ。
 人を説得する為に映画の感動(←笑)を語ってるわけじゃないからね。

 そしてまた、でも、一方で、25年に一度くらい、「しまった。順位変えたくなった。変えていい??」とか言い出すヤツが出てきて、ウッソーって爆笑する喜びがあったりするデタラメにお茶目なところも愛おしい、ランク付け♪だと思うー
 ほとんどやったことないけど(笑)

>■『ラスト、コーション』も、「後ろから」が印象的に使われていたね。どうしてだろう。

→そうか。気付かなかった。ほんとだー

>後ろからする場合は、背後になる男の顔を女は見ることができないままに自分が参加&支配できないリズムと速度で突き上げられる、その一方通行振りが何か(=愛?)を加速させるのだろうか。

→最初これ読んだ時、違うんじゃないかなあ。って思ったの。
 顔合わせてるから息が合うってものじゃないんじゃないかな?って思ったから。逆に、顔見えない方が、気が散らなくていいんじゃないのかなあ、とか(笑)なんかものすごく個人的な意見みたいだけど笑笑
 
 でも、「一方通行振りが何かを加速させる」っていうのは、確かにそうだと気付いたんだ。
 で、加速するのは、「愛」というより、「切なさ」なんじゃないかなって。

 で、「一方通行振り」ってとこだけれど、もともと、その行為以前に、愛には薄くそれが流れているでしょう。
 薄くじゃないかも知れない。「求め合い」の根底には、どうしても擦れ違ってしまうものへのもどかしさとか、やりきれなさとか、届かなさとかが、・・・いわば、もはや身上でしょう(笑)
 どんなに互いに求め合ってても、両側からの片想いだっていうか・・・・・
 なんか、その辺をより「加速させる」って感じはあるような気がする。確かに。
 そこを「加速させて」消費してしまいたい、めちゃくちゃにして壊してなくしてしまいたい欲求、っていうものが切実にこもってる感じはするよね。

 『ラスト、コーション』だと、いら姉さんのレビューにあった

 「混沌とした世界を壊し真実を掴みたいと切望するかのようで、苦しく激しくせつない。」
 「とにかくせつなくて、せつなすぎて。」

 ってとこがその表現だし、

 私がmixiで書いたレビューだと

 「2人は、欲望や相手にのめりこんでいるのではなく、溺れてる者が何かにしがみつくようにしがみつきあっている。 」
 
 「相手の暗闇と空白に自分を打ち込んでいくことが、相手を求めることで、その手応えときりの無さに、何度も幾らでもくり返しそれをしてしまう感じ・・・
 本当にたまらなく切実にリアルで、その余剰のなさが、彼らのいる場所が本当に既に行止まりなことを見せ付けてくる。」

 ってとこかなあ。

>もしくは(または同時に)愛は所有欲でもあるのだとすれば、主従の関係の図式をより克明にするのが、後ろから、なのかな。

→村上龍が、初期の「すべての男は消耗品である」にだったか、エロスは暴力と差別と切り離せない存在だ、みたいなことを(彼らしく、頭悪そうに笑)書いていて、なるほどーと感心したことがあるんだけれど、確かにそことも共通して、それはあるかも。

>そして、『イースタン・プロミス』で描かれた「後ろから」が美しいのは、
>ヴィゴには「少女の顔の暗さ」が見えず、少女には「ヴィゴの集中の度合いの表情」が見えないという、

→でもね。ヴィゴには、彼女の顔は見えないけれど、確実にその絶望を、もしかしたら、実際に顔を見るよりも強く感じているんだと思うの。そして、そのことに対して「残酷」でいなければ、行為を遂行出来ないでしょう。考えたら、同情したら、出来なくなってしまうでしょう。
 その複雑さからくる「集中」なんだよね。自分に対しても残酷にならなければ、でも、一方ではそこで自分のすごく大事な部分を捨ててしまったら、最も自分 が達成しなくてはならない結果への情熱を失ってしまう・・・・だけれどその自分の中の「柔らかい部分」を保持しながら、今踏み潰さなくてはならないものが 潰れていくのを感じて、そのことで「する」方に自分を持っていくことの、比類ない辛さが、また、エロスだし、切なさそのものでしょう。 して又、くるっと 廻って、実は、こんな複雑な状況でない全ての愛し合ってる者達(なーんて、言っちゃっていいのかな)が追い込まれるところと、それって同じところだったり して、この、望まなくそこに追い込められたどん底の2人が位置が、ありふれた愛の罠に嵌ってる者たちと同じ断崖に位置してる、というところが美しくて切な いんだと思うの。

>いわば、暗闇の映画館の椅子に沈み込んで同じ映画を観ていながら、映画を観ているお互いの顔は見えない、ということと同じだからなんだろうな。

→それは、上記の「相手の顔は見えなくても、そこにある絶望と孤独と届かなさだけはひしひしと手の平の中で握りつぶせるほどに感じる」ってとこと同じってことだねー。
 
 なんか、世界中でもっとも近くにあるものを抱き寄せようとして、ものすごく遠くの彼方に手を伸ばさないといけなくて、焦点が合わない程近くにあるのに決して届かないものを求める。みたいな行為がセックスでしょう。
 相手を求めようとして、相手を越えようとしなくてはならなくなるような・・・
 相手だけを求めているんじゃ間に合わないとしか思えなくなってくるような。
 そのことが「後ろから」だとよりよく表現出来るってことなのかなあ。
 なーんて、思ったよ(笑)

 「うしろからするときぼくはせつなくてどこまでもどこまでも梨園」加藤治郎

 「後ろからすれば乳房を圧しひろぐる窓を越ええぬ僕らの息は」黒瀬珂瀾
 

>「これ、テオ・アンゲロプロスだ!」。

>■あらま。おみごとな発見。確かにー。

→うん。でも、これは、田中さんの解説とかが言い表してることがそう、というより、
 映画そのものを見てて、画像のマニエリスム的な遊びの挿入とか、あざとさスレスレのファンタジックさ加減とか、そういうことから感じたことなの。

>絶望した「英雄」が「前進する絶望」の緊張感でやりとげた偉大なる事業ってのも、あるんだろうな。
>でも、その場合の犯罪者と英雄って、五十歩百歩なんだよね。

→そうそうそう。
 まさしく、これらの映画を作った人たちは、そこの処をこそ感じてこれらの映画を創らずにいられないでいて、そしてそこにストライクに反応してそれを共有したいと願う多くの観客が今、世界中に存在してるってことなんだよね。

>まぁ、そこが我らが『フィクサー』を「疲労感3部作」(笑)よりも上に評価した点なんだろーな。

→まさしく(大岡信風合いの手)。

>先月から北海道新聞の夕刊の詩の時評の担当者が、蜂飼耳(はちかい・みみ、詩人。1974年、神奈川県生まれ。)になったんだよ。いいだろー(笑)。


→私、蜂飼耳って、名前も、書くものも、発言も、見た目も好き(笑)
 そして、それら全部にブレがないと感じる。
 今年、共犯青春哲学部室真面目サークルでこっそり水面下で盛り上がっていた「文学は顔なのか?!」論争的に云えば、彼女は美人、ってことなんだよね。
 いや、ただの美人じゃないかも(笑)

>まだ私の中で未整理なんだけど、仮定としてメモっておくと、
>『「感動」の罪』、のようなもの。
>芸術家は感動が好きだが、権力者もさらに感動が大好き。
>上記の「感動」を「愛」と置き換えてみれば、何かが見えてくることだろう

→ここって、私が『キャンディ』の評を書いた日記に久保兄がレスしてくれた際のやり取りに登場したことと、繋がってると思う。
 
 はる先生他にも読んで欲しいから、以下に編集して再録(笑)

*************

『ソング・トゥ・サイレン』2008年03月11日03:25

 解釈は人それぞれだろうとは思うし、状況と場合にもバリエーションはあると思うけれど
 私にとって「自殺」は「拷問を受けてる人が選ぶ安楽死」だ。
 もっとも身近な自殺は、と言った方がいいか。

 前にもここで書いたけれど、映画『めぐりあう時間たち』を見て以来、ずっとそのことについて考えていた。

 
 なぜ傷付くのか?という問いは
 なぜ生きるのか?というのと同じなんだろうな。
 なぜ人は人なんだろう。

 どうして自分は自分なんだろう。な。

−コメントー

□久保さま:2008年03月11日 09:38

 *私は昨日のEveningに、黄昏と川の町、旭川市で映画『いつか眠りにつく前に』を観てきました。
 金曜日に、1本。
 土曜日に、4本。
 日曜日に、1本。
 月曜日に、1本。
 と、またしても映画館ジャンキー。
 最近の私は、映画は7本観ないと気がすまないようです。

 *で、『いつか眠りにつく前に』は、ご存知、『めぐりあう時間たち』と同じマイケル・カニンガムが脚本。
 しかも、監督は『マレーナ』&『海の上のピアニスト』で撮影監督をしたラホス・コルタイなもんだから、なんとも美しい映像でした。

 *『いつか眠りにつく前に』の私の感想をランダムに、ここに書くことをお許しくださいませ&ませ。
 ↓
 ・結婚式での弟の酔ったスピーチでの真実。「英雄の銅像は建てられるけれど、愛に生きた人の銅像は建てられない。」
 ・映画の最大のメッセージは、「過ちは、すばらしい。」、か。
 ・想い出が多ければ&多いほど、人は泣くのだろう。では、想い出が少ない子供はどうして泣くのだろう?

□ろーら:2008年03月11日 22:41

 >・結婚式での弟の酔ったスピーチでの真実。「英雄の銅像は建てられるけれど、愛に生きた人の銅像は建てられない。」

 →この映画とは関係ない(かも知れない)コメントを書いてしまうことをお許しくださいませませ。
  愛は「汚れること」だな、と最近つくづく思うなり。
  穢れたことを引き受けることが、愛だったりするなり。
  その穢れを抱えて、自分もろとも存在を消すことが、すなわち愛なり。
  一体いつから、愛がヒューマニズムと両立するという誤解が定着してしまったのだろう?(そんなの定着してないか・・・)勿論、両立する部分は常にある。そして時間枠を飛び越えて捉えれば、それは確かに両立しているのだけれど・・・
  でも、常識で切り取れば、愛とは反社会的な行為なのに。

 >・映画の最大のメッセージは、「過ちは、すばらしい。」、か。

 →それは、「人生は旅である」と同意、かな。
  そして「失ったことだけが人生だ」から。か。

 >・想い出が多ければ&多いほど、人は泣くのだろう。では、想い出が少ない子供はどうして泣くのだろう?

 →世界が輪郭を持った瞬間から、そのひずみを持ちこたえる為に、この世は夢を見始めていて、だから生きることはきっと『片想い』なんだと思う。その記憶 を細胞に秘めて子供は生まれてくるから、幼ければ幼いほど、その自分にプログラミングされた記憶に揺すぶられて切なく遠くに呼ばれるのではないかなあ。呼 び声が聴こえるのではないかなあ。
  そしてその痛みに耐えかねて、耳を澄ますことを忘れようとする。
  
  そして老いた時に、自分が何ひとつ受け取らずに来た年月を思って、その通り過ぎてきたものたちを想って、失われほどけていく自分の輪郭の覚束なさに、また泣くのだと思う。
 
□久保さま:2008年03月12日 09:36

 >愛は「汚れること」
 ↑
 *早川義夫@ジャックスの、「お前はひなぎく」。

 >一体いつから、愛がヒューマニズムと両立するという誤解が定着してしまったのだろう?
 >愛とは反社会的な行為なのに。
 ↑
 *上記の「愛」を、「読書」と言い換えてみてもOKだぜ、ベイベエ。
 *でも、まだ「映画」とは置き換えられないなりけり、ベイブ。
 
 >それは、「人生は旅である」と同意、かな。
 ↑
 *そして、旅の添乗員は、「愛」と「読書」、かな。

 >記憶を細胞に秘めて子供は生まれてくる
 ↑
 *ってコトは、人生は記憶を忘れてゆくために、ある?

 >また泣くのだ
 ↑
 *まったく同じ行為(=「泣く」)だけど、子供と老人では、まったく違う意味(=理由?)なのですねぇ。
 *それなのに、まったく同じ行為にしてしまった神のイタズラは、わざと・か?



************************


>それらを総合すると、ほら、2008年を代表する作品でしょ(笑)?

→私も、それらを総合すると、『ラザロ』が2008年を代表する作品なの(笑)

 *なんだか、もうもしかして本当に巷で宣伝されてるように「失われて」しまったのか?と思っていた日本国内にある「暗闇の地域」のパワーを感じたこと。で、それが、ここのところ、日本映画にちょっと(私が)健闘を感じるのと繋がってる気がすること。

 *「通俗」を描くことをインテリが恐れているうちに、取りこぼしてきた、そしてそのことが「革命」を難しくする理由=政治や思想の問題点、を焙り出すこ とから遠のかせてきた部分に真っ向から切り込んで、しかもそれが「意図的ではない・少なくとも意図を覆すだけの原始的力を感じさせる」ものであること。

 *言葉、という概念そのものが有機的であることを、「映画」として提示していく表現になりつつ、またそこから自由であること。

 *「内側から負けていく=疲労」と、その際に人がなににすがろうとしどうそれに足をすくわれるか(同時にそこに確かに存在する聖性)をベタに描いていること。 
 つまり、これまで「希望」と呼ばれていた対立概念は既に役に立たないという地平から見える景色を、物語と言う輪郭を与えずに(これまでの物語を壊してみ せることによって)、でも、まだ「成り立ってる」景色を見せてくれることでそこにあるものを「見せる」ことをしてること(もしかしてそれってまんま疲労 感ってことかもー?)

 *そして、そこにすっごいポイントを感じるのが、2008年の私だっていうこと(笑)

 *でも、もう一つの重要な2008年のポイント「後ろから」は出てこなかったなあ。
 あ、でも「悲しみが乾くまで」にも出てきてないか?
 もしかして裏テーマだったのか?!

□裏の方が重要そうだなあ(笑)





1748
Reply 仲間  外笑
2009/03/13 03:14


 僕の26年前の裸の写真を掲載してくれて有難う。そうです僕も46歳になりました。
 
 確か あの出で立ちは、拾ったスニーカーに 布田の五宿で買ったピンクのジャージ。

 結構 高い位置が飛べましたね。

ふと昔の友人が弾き語りしていた曲に追加の歌詞が浮かびました。

    〜仲間〜

 僕たちは 仲間
 いつでも そこでも
 僕たちは 仲間
 時が流れても 一緒
 
 僕たちは 仲間
 喜びを 分かち合い
 僕たちは 仲間
 嘘も たしなめあう

 僕たちは 仲間
 時が 過ぎても
 僕たちは 仲間
 同じ 目線なんかじゃない
 僕たちは 仲間
 いがみあいながら
 僕たちは 仲間
 同じ 空の下
 僕たちは 仲間
 比べあい 落ち合い
 僕たちは 仲間
 息苦しい  ほどに・・・


グランドファンクのビデオ久々に観れて興奮しました。
うちの華がジョーク言ってた。大したギターフレーズ弾いてないのに顔がせつなく苦しそう

 そう 僕のようなロック老年は かつての久保もそうでしたように
ギターは表情で弾く そして体の動きで弾く・・・そういう世代です。
だからあまりテクニシャンのギタリストに興味を覚えないのでしょうか。
バンドのオリジナル音って各人の その時の感情や表情が交差する中で出来るのだと思う。
 だから僕には オアシス が あんなに売れたのが解らない。というか、一応は聴いて
みる気にもならないのは老年のせいですが。コマーシャルで流れてる曲を聴くとビートルズ
の曲調をパクったような音で間延びしたボーカル。僕は大嫌いだな ああいうの。
 よさが解る方 私のようなロック老年に手とり足取りリハビリ・ティーチして下さい。
習わなければ 自分からすすんで入れ込もうという気にはなれません。でも吐き気するほど
嫌いなものを好きにさせるのは潜脳しかありませんな。
 それは一つの教育でしょうか・・・






1749
Reply Re:恋は窓から・後ろから?どうでもよくないどうでもいいこと・デジャヴュ Non
2009/03/13 21:06


こんばんは。

みかちゃん私より私の嫌いな人のことわかっているみたいでおもしろく興味深く読みましたわ。



 >次回から、「ほれ、共犯の。」とだけ言って、後は各自帰宅したら共犯新聞のバックナンバーで復習する、ということに決めてしまえばいいですね。

わからなければ辞書をひくみたいな感じに「共犯新聞」を使うのですね(笑)
なるほど。

 
>□ノンちゃんが昨年12月の鮓佐忘年会で語ってたのは、ジョンが嫌いということと、ジョンが嫌いなのと岡田斗司夫を嫌ってる理由は実は同じなのでは?という話題だったの。
 で、久保兄が一言でその理由を説明してみせたんだけれど、
 その言葉を忘れちゃった(笑)勿体ないなー。

うん。私も多分同じなのでは?としかわからないけど違うかもしれない(爆)

 

>□今回白洲次郎が出てきたのは、テレビでドラマをやってるのを見て、そーいえばノンちゃんは白洲次郎がキライなあまりに一時アミカのカウンターの後ろの本棚は白洲本だらけだったな(笑)ってこと思い出したんだよ。

しかもマサ子までそろえてたりした(馬鹿)



□私の分析だと、ノンちゃんはジョンや岡田斗司夫にある種の「鈍感さ」を見てるのではないかと思うの。
 実はカッコ悪いくせにそのことに自覚なくイイ気になってる人間を見てるムズ痒さ、みたいな感じ。
 「わきまえなよ!その程度のくせに!!みんな(私だって)わきまえて生きてるんだから!!!」って言う感じ。

□白洲次郎に対する不快感も、ノンちゃんは「ヤキモチ」と言ってるけれど、まあその表現でも正しいのかも知れないけれど、嫉妬というより上記の感情のバリエーションの方が近いような気がするの。
> つまり「わきまえて生きてる人間を(自分が恵まれているが故に)完全に無視してるんじゃないの?」感を感じてる、とか、そんな感じ。

ああそう言われてみればそうかもしれない。

あと、ちょっと思ったのだけど

ジローは「かっこつけてるから」いやなんじゃなくて「かっこいいから」いやなんだって思った。
かっこつけてる人のほうがなんか応援してやりたい気分にもなるよ〜〜。

でさ〜「PLAY FAST」って背中にプリントしたTシャツ着てゴルフしたってじろーの本に書いてあってむか〜〜〜〜〜ばかじゃねこいつって思ったよ。

要するにじろーはせっかちであったってことのエピソード(だった思うが)でさ、他人にもそれを強要してしかもTシャツにプリントするってセンス!!!
鼻の穴に左手の人差し指と中指を突っ込んで、逃げられないようにした挙句、右手で交互に右と左のほっぺたをぶちつづけたくなったよ。

トシオはね〜−50キロになった時ダイエット本に

「自分が人に認識されるときに「太っている人」が一番にくるということに気付いた。
今までは他のいろいろな肩書きが先にきてオカダトシオであり最終的に「太っている人」がくると思っていたのだ!!」
みたいなことが書かれていて、−50キロになるまで気付かなかったの?????!!!
ということにあきれると同時に、「ああ、だから今まであんなことやこんなことや私の「鼻につく」発言をしてきたのだな〜」とわかったのだった。

ぜんぜん不確かな記憶なんだけど

ポールが犬といっしょのジャケットを撮ったときジョンは同じアングルで豚と撮ったとか
有名な「金持ちの人は宝石を鳴らせ」

とかとか・・・・アンタそ〜〜〜いう人たちのおかげで今の自分があるんでしょ!!
自覚がね〜〜よ!!
とか思ったよ。

>□ちなみに(って、どうでもいいだろうけど・笑)私は岡田斗司夫は大好きで、
 ジョンと白洲は好きでも嫌いでもないんだけれど、
 この2人(ジョンと白洲)について抱く共通の感情を言うと、
 その「支持のされかた」に違和感というか、若干の危険とある種の不快感を感じることはあるんだよね。この間、ノンちゃんにも話したような気がするけれど。
 たぶん、こないだの、『天才ノンちゃんグラビア記事』で言われてることと同じか、少なくとも似た・同種のことだと思うけれど。

 >近年の白洲次郎ブームには、なんていうか、スーパーヒーローを外側に求めてる行為、みたいな気がして、私にはなんか嫌なの(笑)それってそうは見えない形で権威を求めてるってことなんじゃないのかな、って感じるから。
  あと、ジョンで言うと、ノンちゃんが「ホントにみんなカッコイイって思ってるの?」って書いてるけれど、やはり、もちろん一部の支持者にってことだけれ ど、彼の容姿が所謂セックスアピール溢れるタイプ(それを現代語でイケメンって呼ぶのかな?)のカッコイイ男じゃないからこそ安心して崇めてるような匂い を感じて、その、「見た目じゃないよ、才能で評価してるんだよ」的な、実は隠れた自己愛みたいな汚さ(自己愛が汚いのではなく、それの隠し方とか誤魔化し 方がいや、っていうことです)がなんだかすごく私の「やだなー」のど真ん中にストライクなのです。

なるほど確かにそれはいやですな。



ってことで、確かにみかちゃんの言う通りなのかもしれない。

しかし私はジョンもじろーもとしおのことも何一つ理解などしていないのです(笑)なのにここまで悪し様に言うなんて私こそ「何様??」だよな。

でも久保さんの言うようにジョンもじろーも目の前にいたら惚れるかもしれないというのは鋭いです。





1750
Reply Re:知らす?じらす?白洲?ジラース? Non
2009/03/14 01:07


> ★緊急企画

> 下記で嫌いな有名人の□にチェックして、保健所に近日中に提出せよ!
> □サルバドール・ダリ
> □沢田研二
> □三浦知良
> □谷佳知
> □久保元宏
> ・・・・・・自分で書いていて、あまり参考にならないサンプルしか思いつかなかった。がくっ。なので、保健所に提出は不要(笑)。

チェックはつきませんでした(笑)

しいていうなら落合かな?妻有能かどうかはわからんちん。ノムさんは好きなの。

ジュリーは大好きだし。多分ユウキチホがジュリーを好いていることより好き度合いは上。



> ■先日のテレビで、ダイエットをすれば必ずリバウンドがくる人がしていた切実な告白。
> 「ダイエット→リバウンド→ダイエット→リバウンド→ダイエット→リバウンド→ダイエット→リバウンド・・・・・・、
> の繰り返しで、しまいにはダイエットしないでもリバウンドだけするようになりました。

そうなのよ。
リバウンドの怖いところはそこなのよ〜〜!!






1752
Reply ジャン・レノには無いけれど、ジョン・レノンにはある、「ノン」。 久保AB-ST元宏 URL 2009/03/14 04:18


Ms.ミカキチに元・常連の貸切パーティー商売を!ろーら@ミカキチ made my heart bleed♪ You changed my life
>同窓会スピーチの更新の時にかかってた曲って何?

SPEED1998年12月31日、人気絶頂期だったこの年、レコード大賞での事前の発表では、SPEEDはその年最高の売り上げと、社会現象を巻き起こした「my graduation」を歌うはずだった。が、急遽当日、その年の最高売り上げではない「ALIVE」を披露した。「my graduation」(笑)。
midiにしちゃうとチープになっちゃうけど、1分02秒あたりの「♪ずっと忘れない 離れてもくじけない 生きていく 今日から」とゆー急展開が、
アナクロな(笑)めっちゃドラマチック過剰演出の大げさプログレッシヴ・ロックっぽくて、私は好きなのだ(笑)。
ちなみに私はこの曲が入っているアルバム『RISE』(1998年4月29日)を中古で105円で買って、持ってる(笑)。今でも105円で簡単に帰るよ、これ。
私がこれを買った当時ちょうど、みづっきーちゃんがすずめの学校の旭町でのパーティの流れで私の書斎に初めて来た時で、
時刻は午後11時を回ったころ、私のいつもの5枚CDチェンジャーの1枚がこれで、
酔っ払ったみんなが、がん&がんフル・ボリュームでヘビロテされてるSPEEDを聴かされていたんでしたぁー。

>確か、昨年の卒業式の時の更新記事の際に後ろでかかってた曲も名前を訊こうと思った気がしたんだったけれど、同じ曲だったりする??

■そう。同じ曲。
よく憶えているねぇー!びっくり。

>2月のロケット&お芝居はしご記事(あれどこに仕舞ってあるの?)

■『共犯新聞』1面立て、立つんだ場〜!ステージ、に。舞台★Stageの「演劇◎PLAY」をクリック!→「戸塚&故・泉公演、本番当日! (更新日;2009年3月6日)」をクリック!
まとめると、
立て、立つんだ場〜!ステージ、に。演劇戸塚先生、故・泉先生の脚本を蘇らせる。
「感動」の罠、罠の可能性 演劇言語の海


☆コーヒーの湯気。wake cafe 前の若草色のコートのバス亭のおばぁさんによろしく。眼をつぶって話す被写体の限界。ウーパールーパー

■ミカキチと、ウーパールーパー・・・・・・。似てるかなぁ?
しかも、今ごろ(!)ウーパールーパーの話題が出てくるなんて、『共犯新聞』ぐらいだな(笑)。
似ているかどーか、まずは(?)並べてみようっと。
バス亭のおばぁさんによろしく。眼をつぶって話す被写体の限界。 えりまきとかげぇ〜。
・・・・・・あ(絶句)。

ところで、ウーパールーパーって、ほんとーの名前は、アホロートル(Axolotl)ってゆーんだよね。
「アホ」で、かつ、「ロートル」・・・・・・。
これ以上、この話題は(私からは・笑)封印させていただきます(がくっ。)。

>と、天才ノンちゃんの記事を見ていたんだけれど、それも更新しちゃった(あれはどこにあるの?)

■『共犯新聞』1面、偏愛書物★Bookの「小説」をクリック!→生まれた順番に書かれている小説家の中の「姫野カオルコ」をクリック!

>怒った顔するって、すごく素直じゃないと出来ないこと

■うーむ。そうかも。
私が前回、公式の場で(笑)怒った顔を見せたのは3年前の夜高あんどん祭りで、沼田中学校のPTA会長だったもんで、進行方向に太鼓同好会がいて、前に進めなかった時。
この時は、その先の会場で、沼田の小・中・高の3つの学校が初めて合同で同じパフォーマンスをするために時間通りにそこに行かねばならなかっいたんだよね。
その時、私が太鼓同好会の人に抗議した「顔」と「勢い(笑)」を観たPTA副会長が、今回の、はる先生と同じこと、
「久保さんの怒った顔を初めて見ました。」と、言ってた(笑)。
つまり、ふつーは怒るシチュエーションでも、私はそれを楽しんじゃって(?)怒らないんだよね。
または、怒らない私が相手をさらに怒らせる場合もある(笑)。
安っぽく、しょっちゅう怒っていることで自分の価値をキープしているような人は滑稽だよね(笑)。よくいるけど。

>その言葉を忘れちゃった(笑)勿体ないなー。

■忘れた。また、同じ鮓佐のカウンターに、同じ共犯三角山関係で並んで、呑み&喰いしたら思い出すかも(笑)♪

>近年の白洲次郎ブームには、なんていうか、スーパーヒーローを外側に求めてる行為

■オバマ・コンプレックスを満足させるためのジャパニーズ・ナショナリズムの秘密兵器。
オバマを批判した佐藤優などの論旨は、「ヒトラー的な熱狂」なんだけど、コイズミ・ポピュリズムすら忘れちまうぐらい、大衆はニュースタイルの魔法が大好き♪だからね。

>でも、ホントは、正確には「有能」だとは思ってないんでしょ??

■「有能妻」っていそーだけど、「有能妾」って少なそうだな。
つまり、「妾」には「有能」は求められていない・からか?
うーむ。
が、ヨーコも、樋口可南子も、登場は「有能妾」として、だったっけ?
このブログ『糸井重里さんが樋口可南子さんを必要とした理由』を読むと、
「ひとをひととして見るとき、名前とか肩書きとか仕事とか、全く関係なく見ている」、
「樋口可南子さんは自分のことを樋口可南子だとも思ってない」ってことで、
糸井重里は、「こういうとき、自分には彼女がとても必要だ、と感じるんだそうです。」、だそーです。
「女」は、こーゆーふーに、「社会」から自由な(?)視線を持てる場合と、
「女」だからという理由で、「社会」的ポジションをより意識しなければ存在できないとゆー脅迫観念が宿っている場合、
つまり、両極端、がありますよね。
これは「女」には二種類ある、んじゃなくて、同根からの枝分かれなんですよね♪
つまり、「女」とは「社会」コンプレックスの動物である、ってこと。ボーボワールの有名な言葉「女に生まれるのではなく女になるのだ」も、同じことだよねん。
で、<「社会」から自由な(?)視線を持てる場合>の「女」が、「有能」であるケースが多いのが、また同性が憎む種になる(笑)んでしょーね。
なんだか、OLのお茶くみ場での話題みたいだな(笑)。

>カッコイイと感受されないであろうと自分自身がどこか無意識にでも見做しているからこそそれをカッコイイと持ち上げてみせること

■ジョン・レノンのアルバム『ジョンの魂』は、私にとって永遠のベスト1なんだけど、
アナログLP発売当時に内田裕也がライナーノーツに書いていた、

 ポールはキング・コングだ!
 リンゴはラドンだ!
 ジョージは雪男だ!
 ヨーコはモスラだ!
 ジョン・レノンは人間だ!

ってのは、中学生の私には、「がーん。」、だったな。
そこには、「ビートルズを否定する権利をもっとも持っているのは、ビートルズだ。」みたいな恐ろしい崖の上での約束があったからかもしれないんだけど。
でも、それすらも、最初にやったやつだけが、いいんで、二番手以降は、またしても、つまらない喜劇として繰り返されるだけ。
「ぼくはビートルズを信じない」と、たった1行の詩を書くためだけに、あの8年間のザ・ビートルズをやってみた、って凄みが真夜中の電信柱のように今も立っているよーな気はするけど。

>だったら尚更、はる先生には「レッドクリフ」を観に行ってもらって

■そう&そう。しかも、もーすぐ、もろ、『三国志』って映画すらきちゃうよ(笑)。

>加速するのは、「愛」というより、「切なさ」

■「愛」が加速するときのガソリンが、「切なさ」、かもよ。
経験不足の私が申し上げるのも恐縮ですが(笑)。

>どんなに互いに求め合ってても、両側からの片想いだっていうか・・・・・

■「嫉妬」が「愛」のガソリンとして「有能」(笑)なのように、ね(笑)。

>そこを「加速させて」消費してしまいたい、めちゃくちゃにして壊してなくしてしまいたい欲求、っていうものが切実にこもってる感じはするよね。

■江戸時代に心中ものが流行したのも、<心中=愛の消費(=蕩尽=一体化=「嫉妬」と「切なさ」の終焉)>だから、かもん。

>余剰のなさが、彼らのいる場所が本当に既に行止まりなことを見せ付けてくる。

■でも、『ラスト、コーション』は完璧な名作には成りきれなかったよね。
すごくいいんだけど、やっぱり、悪い意味での通俗の物語に閉じ込められちまった。安っぽいウェットさに物語が逃げた。
ミカキチが指摘したこの映画の魅力は、本来は全体の「物語」としてもそう構築すべきだったんだけど。
ただ、それがベッド・シーンでは完璧に表現できていた。
ベッド・シーンが「物語」が成立させるべきものを、成立させていた。それこそが凄い到達なんだけどね。

>今踏み潰さなくてはならないものが潰れていくのを感じて、そのことで「する」

■あの少女は『イースタン・プロミス』の中では、あの「する」シーンにしか出てこなかったっけ?
なにやら、『イースタン・プロミス』は続編が作られるっー希望(笑)が盛り上がっているよーだけど、その続編に、あの少女が出てきたらすごいな。どんな顔で、どんな言葉をこぼして、どんなことを「する」んだろう。

>そのことが「後ろから」だとよりよく表現出来るってことなのかなあ。

■この点は、共犯研究部会を立ち上げて、あらゆる他の方法との比較を実践し、多方面での有益な研究を深める必要があるね(ほんとか?)。

>あざとさスレスレのファンタジックさ加減

■ミカキチ6位の『長江哀歌』(2006年、中国)のそれは、男女が廃墟のビルでしゃがんでいると、遠くの高層ビルが崩壊してゆくシーン。
→見たんだよ(笑)私らしいでしょ。言われたことには素直に従うもので・・・・
そのNY911トラウマな「絵」だけが、成功のピン・ポイントだと思う。

>「失われて」しまったのか?と思っていた日本国内にある「暗闇の地域」のパワーを感じたこと。

■でも、『ラザロ - LAZARUS』三部作には、「ロスジェネ時代の映画!」(がくっ。)とか、「ハケン切り時代の気分を描いた!」とか言われちゃうタイムリーさが、また微妙すぎておもしろいよね(笑)。
私がこの映画の批評で、「映画そのものが主人公の映画」と書いたのはもちろん、ホメ言葉なんだけど、
それは同時に製作者が観客に甘える(=悪い意味でのインディーズ的タコツボ。)許可を自分で発行しちゃうことにも近いんだよな。
その微妙さのくすぐったさを、気持ちいいと感じるか、ぬるいと感じるか、または、その他。
批評をする時、私にとって「中間報告」的作品は大好物だけど、ランキングをつける時、私は「中間報告」には厳しいんです(笑)。
ただ、その私の基準が同時にランキングには、順位の上下だけではない意味=価値があるとゆーことをも示しているんだよね〜♪

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Mr.外笑 can have anybody killed♪ You wanna ramble
僕の26年前の裸の写真を掲載してくれて有難う。そうです僕も46歳になりました。

■46歳だとまだ40歳代だけど、47歳となると、もーほぼ50歳代だよなー。う〜む・・・・・・。
私、こんな生活でいいのか?変えられないけど(がくっ。)。

>結構 高い位置が飛べましたね。

■あの後、尾崎豊がまねをして足を骨折したよね(笑)。

>嘘も たしなめあう

■嘘も足し 舐めあう

>大したギターフレーズ弾いてないのに顔がせつなく苦しそう

■ぐはは。
しかし、グランド・ファンクのボーカル=ギター君のむきむきボディ、黒帯の君を思い出した私・・・・・・。
えーと、ついでに何でもあるでぃ。キャロル・キングの「ロコモーション」で盛り上がる(?)グランド・ファンク。
繰り返すけど、これ、1974年なんだよなー。
いいのか(笑)?
1964年じゃないんだよ〜ん。
アメリカでこんなことしてるから、イギリスは安心しちゃってベイ・シティ・ローラーズをやらかしたんじゃないのかな(笑)。

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人喰い部会長〜♪Ms.Non made it there somehow♪ You're a big girl now
>でも久保さんの言うようにジョンもじろーも目の前にいたら惚れるかもしれないというのは鋭いです。

■で、そこにトシオは入らないのね(笑)。

>リバウンドの怖いところはそこなのよ〜〜!!

■めざせ!リバウンドしないでもダイエットだけするようなカーペンター妹!




1753
Reply Re:ジャン・レノには無いけれど、ジョン・レノンにはある、「ノン」。 Non
2009/03/14 10:59


> ■ミカキチと、ウーパールーパー・・・・・・。似てるかなぁ?
> しかも、今ごろ(!)ウーパールーパーの話題が出てくるなんて、『共犯新聞』ぐらいだな
(笑)。

最近、ウーパールーパー食用に養殖されているみたいね〜。
で、ロザンジンは「うなぎと、ふぐの間みたいな味」って言ってるってニュースで見てとても興味が湧きました。
でもみかちゃんはそれほど似てないよ。


> ■忘れた。また、同じ鮓佐のカウンターに、同じ共犯三角山関係で並んで、呑み&喰いしたら思い出すかも(笑)♪

わ〜〜〜い。

来月あたりの忘年会で!!

>
> ■ジョン・レノンのアルバム『ジョンの魂』は、私にとって永遠のベスト1なんだけど、

私もベスト1かも・・・
ジョンの魂聞いたら死にそうになる。
死んだら困るのであまり聞かないようにしているくらい。

> ■で、そこにトシオは入らないのね(笑)。

あはは。
入りません。
痩せて毒が抜けたらまた更に。


>
> >リバウンドの怖いところはそこなのよ〜〜!!
> ↑
> ■めざせ!リバウンドしないでもダイエットだけするようなカーペンター妹!

がんばろ〜〜〜っと。
>





1754
Reply ウー!パー!ルー!パー!ジン、ジン、ジーンギスカァ〜ン♪ 久保AB-ST元宏 URL 2009/03/15 05:44


人喰い部会長〜♪Ms.Non might be spoilin' me too much, loveYou're gonna make me lonesome when you go
>最近、ウーパールーパー食用に養殖されているみたいね〜。

■次回、2009年4月4日(土)5〜6Pm三角山から生放送だぞ。ミナさまー!三角山FM放送局の
ローラに花束を!ミカキチDJ番組『花よりダンゴ』内、「食材ピック・アップ」のコーナーは、ウーパールーパーで、き・ま・り♪

>でもみかちゃんはそれほど似てないよ。

■いえ、形状(笑)よりも、その稀有さ加減が・・・・・・(?)。

>来月あたりの忘年会で!!

■じゃ、こうしよう。
リバウンドしたら、忘年会。ダイエットしたら、新年会。
もちろん、何月でも、年に何回やっても、OK♪
「来月」っーことは、4月19日(日)、生誕23歳の日だなっ!?

>私もベスト1かも・・・

■ならば、これはもう読んだか?
それにしても、ノンちゃんの「嫌い」って、めっちゃ、複雑&怪奇でありまんがなぁー!




1755
Reply あらら・・・  外笑
2009/03/15 22:16


 なんで あんなに鍛えちゃったかしら〜^^
それにしてもビデオを観て自然と体が揺り動かせられるという感覚。
グランドファンクで久しぶりに そういう感覚になりました。
パソコンの前で裸で馬鹿踊りしたい そういう衝動にかられましたよ。

先日 エストリのリハで若いギタリスト(ジョーサトリアーニやバンへイレンを崇拝する30代のギタリスト)を加えて実験的に演奏してみたのだが、かみ合うには時間がかかりそうである。難しい気がする。
 やっぱり私は、テクニックだけではなく どちらかというと 下手とか上手いとか低レベルな比較で判断せず、ギターを自分の一つの表現または声のように大げさな顔してリードギター弾く感じが好きだ。腰が入ってるのが好きだ。格好悪いのが好きだ。
なんとなく笑えるのが好きだ。

 サトリアーニなぞ知らんわ^勝手に 悟っておれ。

ところで60年代の獅子 我らがミスターDですが、
前からグランドファンクが好きであり、あの伝説の 後楽園の豪雨のライブに行った
と 豪語していた。





1756
Reply 1971年7月17日、豪雨の東京後楽園球場! 久保AB-ST元宏 URL 2009/03/16 04:44


You're gonna quit me, baby Good as I been to Mr.外笑, Lawd, Lawd
>下手とか上手いとか低レベルな比較

■う〜む。演奏技術へのコメントには不適正な私だが(がくっ。)、そりゃ、なかなか至言だねぇ〜。
それに続く、「格好悪いのが好きだ。なんとなく笑えるのが好きだ。」ってのも、ロックン・ロールの本質を指摘したよーな気がする。
50年代のバディ・ホリーや変わらなさすぎ!リトル・リチャードなんか、
みんなそーだったし、ロック・バンドになりたてのこの当時(1980.4.4)は客席皆座ってたんですね〜!RCサクセションも、P−modelすらそーだったよね。
あ、私たちもそーだった(笑)。
そう考えると私がロック最前線から消えたのは、「かっこよく」なっちゃったからか(笑)?

>前からグランドファンクが好きであり、あの伝説の 後楽園の豪雨のライブに行った

■うむむむむむ。
そりゃ、あんた、すげー&すげーーーことですよ。
それにしても、やっぱ、東京人はふつーに生きて&年寄りになるだけで歴史の証人になりえちゃうんだなぁー。
うらやましくもある。
ふつーの人生記録がそのまま、映画『フォレスト・ガンプ』みたくなっちゃうみたいな。
まぁ、そー考えると日本の「社会史」なんて、単なる「東京史」にすぎないのかもな。




1757
Reply GIRLのころを思い出し いら
2009/03/19 00:21


●共犯新聞びびりました(笑。
バックにはGIRL!
わたしにリンクしてなくても、なぜか嬉しい。ありがとうござります。
でも、この歳になると誕生日は哀し嬉し、というところなんですけどねー。

そーいえば「少年メリケンサック」も哀し嬉し、という感じでした。
笑いが途中で未消化なまま空中分解するみたいで。
たぶん観る年代層によって味わいが違うのでは、とおもいます。

●GFRの大雨の後楽園!懐かしい。
ファンというわけではなかったのですが、チケットを頂いて踊り狂いにいきました(ちがうって!)だからまったく曲の記憶はZERO。
友人三人でびしょぬれになりながら(ノーブラだったし。)のりにのりました。
だからでしょうか、平凡パンチのカメラマンに狙われ、ずいぶん写真を撮られたみたいです。雑誌にはのりませんでしたけどね。

●ミクニのときにもうらやましかったのですが、ヒラマツもうらやましき。
さいきん居酒屋食ばかりで、美食に飢えております。
北海道展でつまみぐいするだけでなく、ほんものの北海道に行きたいなぁ。
アルディを聴きながらミカキチ嬢のお料理も味わってみたいしね。

●ではでは。
花粉症の薬が効きすぎてトリップしてますので、このへんで。





1759
Reply いらGIRL、おたんじょうび、おめでとーございます♪ 久保AB-ST元宏 URL 2009/03/19 02:37


You're No Good Well I don't know why I love you like I do♪
Nobody in the world can get along with Ms. ira
>バックにはGIRL!

■いら姉さんはチェックする前だったんでしょーが、昨夜、姉さんグラビア写真をUPした時は、サイズはこの2倍(!)で、
BGMは恒例のドノヴァン・レイチ「メロー・イエロー」なんでした〜♪

>わたしにリンクしてなくても、なぜか嬉しい。ありがとうござります。

■ところで、共犯ゲストブックの私の書き込みのタイトルは、ずっとボブ・ディランの曲をA〜Zの順番で使っていたんだけど、
ついに、今回で最後!
まぁ、最後がいら姉さん、しかも、ディランのデビュー・アルバムの曲、ってのがまたしても最高のシチュエーション♪
ただ、曲名が「You're No Good」ってのは、失礼こきました〜(がくっ。)♪
それでも、これ、ずーっと単純にアルファベット順だったんだけど、すげー偶然で、ほぼ毎回、相手にふさわしい歌詞だったんだよね(笑)。
それって、ディランもすごいけど、私もすごい(?)。あはは。
ただ、HTAさんへのレスのとき、曲がちょうど「Ugliest Girl in the World」で、こりゃ、あまりにも超☆失礼!と思ったのですが、
こーゆー自分で決めた規則だけは裏切ることができない私(笑)。
■さて、共犯ゲストブックのレス用の曲タイトル、ザ・ローリング・ストーンズ→デビッド・ボウイ→ボブ・ディランと使ってきて、次は何が良いでしょうか?

>笑いが途中で未消化なまま空中分解するみたいで。

■確かに『少年メリケンサック』は「観る年代層によって味わいが違う」のは間違いないけれど、
これを宮藤官九郎とゆー、1970年7月19日生まれの男が作ったことに私は興味深いものを感じるんですね〜♪
つまり、パンクは本来は彼よりも1962年の私の世代の音楽だし、プレイヤーはさらに上の世代。
ネタバレになるのでもったいなくて書けないけれど(笑)、映画に出てくる酒屋のオヤジを演じているパンクスは、1950年生まれ。←これって、いら姉さんの世代(笑)?
あー、めんどくせーから書いちゃうと、この人、遠藤ミチロウなんだけど(書いちゃった。)、いやー絶妙の登場でしたな(笑)。
ミチロウは早川義夫や友部正人とかに憧れてフォーク・シンガーになりたくて東京へ出てきたんだけど、いつのまにか豚の生首を客席に投げつけるパンクスになっちゃった(笑)。
で、ここらへんがこの映画の「世代」論的切り口で、
もうひとつ、パンクとゆージャンルの特異性があるのよねん。
つまり、パンクとは、「せつなさ」を殺してきた音楽だから。
確かに、シド&ナンシーやら、Live in Cold Blood(1982)!ジョニー・サンダースには、明らかな「せつなさ」の物語がつきまとうけれど、
ジョン・ライドンにとどめを刺す「せつなさ」を笑い飛ばし踏み潰すジャンルなのよねん。
だから、私はまるでジジイのように「パンクス・ノット・デッド」と黒い革ジャンを着ている「せつなさ」系パンクスはパンクの本質を理解していないと思う(笑)んです。
そーゆー意味から、パンクの世代ではないクドカンが、パンクがかかえる「せつなさ」問題(?)を相対化した作品をきちんと作り上げたことに拍手なんですね♪
で、だからこそ、そこから、いら姉さんが感じた「観る年代層によって味わいが違う」とゆー印象と、「笑いが途中で未消化なまま空中分解するみたい」な着地点のズブズブさも用意されちゃっていると思うんです。

>でびしょぬれになりながら(ノーブラだったし。)

■さすが、TPOをわきまえていらっしゃいますね♪
それにしても、『共犯新聞』浦和支部(?)のMr.ダンナと同じ酸性雨に濡れていたとは!びっくり&さもありなんぎうしっ!
白髪の60’s!アンチ・シンメトリッ「靴」宣言の夜のできごと。

>平凡パンチのカメラマンに狙われ、ずいぶん写真を撮られたみたいです。雑誌にはのりませんでしたけどね。

■きっと、可憐なGIRLには存在すら知りえない、ディープなマニア雑誌に掲載されたことだと思います。間違いない!

>アルディを聴きながらミカキチ嬢のお料理も味わってみたいしね。

■そうそう、半年ぐらい前かな、ミカキチと話していて、
うぇ〜ん!「ミカキチ、こんど、東京に行ったら、いら姉さんに逢ってくるといいよ。」と、私が言って、すぐに、
うぇ〜ん!「ああ。でも、いら姉さんだったら、娘さんと一緒に親子で北海道旅行に来そうだよね(笑)。」と付け加えて言うと、
ローラにウーパーを!「そう!私も今、そう感じたとこなのー!」と、ミカキチはいつものよーに、お調子よく話を合わせていたんでした〜。
そんなわけで、『共犯新聞』北海道本社は、いつでも、いら一家をウェル・カムですよ〜♪
ミカキチ香聡庵〜若林博士ログハウス、2泊3日3晩寝ないで酒盛りツアー♪、毛ガニと生ウニをそろえて、お待ちしています♪
■ところで、ただいま『共犯新聞』1面で絶賛後悔中のグラビア、いら姉さんのおとなりのGIRLは、誰だかわかりますか?
ヒントは、本質を追求する凛々しい眉毛と、感情豊かなふくよかほっぺたです。
私は別に意識して編集したわけじゃないんですが、いつのまにか、並んでる(笑)。いやー、偶然って、カミサマのいたずらなのね〜♪

今日の一句

握手だけしてもらえば、それで充分よかったのに、指も汚してくれてうれしかった。

「今ごろは
酉の市だ」と
蝦夷商人

(久保元宏 2000.12)


歴史から飛び出せ!
たとえば→3月18日の歴史

道玄坂からの、Drifter(ドリフター)。そんなワケで、かなり☆ねじれたバースディー・カードでした〜。

Happy Birthday to Ms. ira !




1760
Reply Aの物語・遠くからでも見える人・ベンツが欲しい ミカキチ@ろーら URL 2009/03/19 19:33


□いら姉さん、誕生日おめでとうございます〜♪

>■いら姉さんはチェックする前だったんでしょーが、昨夜、姉さんグラビア写真をUPした時は、サイズはこの2倍(!)で、
>BGMは恒例のドノヴァン・レイチ「メロー・イエロー」なんでした〜♪

→私、更新直後の、2倍大の写真見たんです(笑)
 で、それっていら姉さんの誕生日としてはフライング。の
 17日の夜のこと。
 ちえー、私の方が先にいら姉さんの誕生日に気付いていら箱に書き込みメッセージしようと思ってたのに・・・・
 と、一体何を競っているのでしょーか。

□で、「メロー・イエロー」の共犯意訳を読んで
 再び感動していたのでしたー。

>■さて、共犯ゲストブックのレス用の曲タイトル、ザ・ローリング・ストーンズ→デビッド・ボウイ→ボブ・ディランと使ってきて、次は何が良いでしょうか?

→楽しみだなあ(笑)
 誰か女性でいないかちょっと考えてみた笑笑
 書かないけど。

>>アルディを聴きながらミカキチ嬢のお料理も味わってみたいしね。

>■そうそう、半年ぐらい前かな、ミカキチと話していて、
「ミカキチ、こんど、東京に行ったら、いら姉さんに逢ってくるといいよ。」と、私が言って、すぐに、
「ああ。でも、いら姉さんだったら、娘さんと一緒に親子で北海道旅行に来そうだよね(笑)。」と付け加えて言うと、
「そう!私も今、そう感じたとこなのー!」と、ミカキチはいつものよーに、お調子よく話を合わせていたんでした〜。

→えーとね。
 いくら私でも、ここまでダサい受け答えはしません。
 ので、正確なやり取りを以下に再録します。


□始まりは、私が、昨年秋にフルックやダービッシュといった
 アイリッシュのバンドのライブと、ハンマースホイを観に東京行こうかな。と薄っすら考えていたことから。
 久保兄が
 「東京行ったらいら姉さんに会ってきたらいいのに。」と言うので
 ちくしょー、言われなくても連絡とって逢えたら逢ってきて
 後から報告して羨ましがらせようと思ってたのに!
 と思って
 「いや、そうしようと思っていたんだよね。」って答えたわけ。

□で、その後、結局東京には行かなかった出不精の私なんでしたが、
 最早目的は横滑りしていて、
   「ライブや展覧会はともかく、いら姉さんに会いたかったなあ。」と私が言っていたら
 久保兄が
   「いら姉さん、北海道旅行に来ないかなあ。美人の娘さんと一緒に。」って言うので
 私 「ほんとだ。来たらいいのにね。来るんじゃないかな?久保兄提案してみたら??」
  と言ったら
 久保兄「えーーー、美人の娘さん連れて旅行にこれば、なんて言えないよーーー
    目的が別だと思われるしょーーーー」
  と、北海道弁で言われた、というのが真相です。

□私よりも久保さんとの付き合いの長い共犯読者の方には
 どっちがより信憑性の高い報告か、きっと一目でお分かり戴けると思うな。

>そんなわけで、『共犯新聞』北海道本社は、いつでも、いら一家をウェル・カムですよ〜♪
>ミカキチ香聡庵〜若林博士ログハウス、2泊3日3晩寝ないで酒盛りツアー♪、毛ガニと生ウニをそろえて、お待ちしています♪

→ほんとです〜熱烈歓迎ウェルカムです〜〜
 いら姉さんの為だったら腕に縒りをかけて(ああ滅多に使わない言い回し)フルコースつくりますよ!
 香聡庵のコースは、ある意味、ミクニより貴重かも(笑)

>■ところで、ただいま『共犯新聞』1面で絶賛後悔中のグラビア、いら姉さんのおとなりのGIRLは、誰だかわかりますか?
>ヒントは、本質を追求する凛々しい眉毛と、感情豊かなふくよかほっぺたです。
>私は別に意識して編集したわけじゃないんですが、いつのまにか、並んでる(笑)。いやー、偶然って、カミサマのいたずらなのね〜♪

→これ、私も更新で見た瞬間、もういら姉さんに報告したくてしたくて(笑)
 早くいら姉さん共犯新聞見ないかな、って待っていたんです。

□因みに、左側の写真の、奥で、自分も写真に入ってることにも気付かず、仲間に入ってないくせに意味無くご機嫌で坐っているぷくっとしたほっぺたのが私です(笑)
 中央の、サングラスかけて真面目くさって立っているのが現在東京で働いている妹。
 で、丹前着てヒゲオヤジをやってるのが、久保さんの一つ年下で、
 彼の父親が久保さんのお父上と同級生である、私の従兄です。
 場所は、沼田町の母の実家です(笑)
 約35年ほど前でしょーか。
 おそらく、いら姉さんがボーイフレンド達からの降る様なデートの誘いをこなすのに苦労していた頃
 北の地の田舎ではこんなことして遊んでいたという歴史の証言です〜(笑)

> >確か、昨年の卒業式の時の更新記事の際に後ろでかかってた曲も名前を訊こうと思った気がしたんだったけれど、同じ曲だったりする??
> ↑
> ■そう。同じ曲。
> よく憶えているねぇー!びっくり。

→知らない曲だ、と思ったの(笑)でもいい曲だなって思ったから気になったんだよ。
 なんか、昨年も全く同じことを考えたんだけれど、
 たぶん、最近のJ-ポップとか言われちゃう分野に属してたりする中の名曲なのかなあ、とか。
 で、これは訊かないと永遠に曲名が判らないままだなって。
 でも、調べたら、全然最近じゃなくて、11年前の曲なんだね・・・・

> ■ミカキチと、ウーパールーパー・・・・・・。似てるかなぁ?

→久保さんが最初に言ったんですが。
 食用のウーパールーパーはきっと美味しいと思うな。
 あの全身ぬらりひょん具合から言って。
 でも顔がかわいいから、捌くときちょっと辛そうだな。
 口開けて「ああっ」とか言ったらどうする?
 形状とか、存在の稀有具合とかが似てるかどうかはともかく
 「味が似てる」って言われたら、褒められたと思っていいのか悩むねー(笑)
 
> または、怒らない私が相手をさらに怒らせる場合もある(笑)。
> 安っぽく、しょっちゅう怒っていることで自分の価値をキープしているような人は滑稽だよね(笑)。よくいるけど。

→「怒る」は素直じゃないと出来ないこと、と先に書いたけれど、
 要するに「同じ土俵に乗ってみせる」ってことだからね。
 だから「怒らない」というのは、暗に「相手にしてない」という表明だものね。

□で、「しょっちゅう安っぽく怒ってる人」というのは、つまり、自分の土俵にひたすら相手を引きずり込もうとすることでしか人とコミット出来ない、ということなんだよね。
 他の土俵に上がれる実力がないことや、自分の土俵に人が興味を示すだけの魅力がないことに気付けず、相手が「自分に構ってくれない」ことに駄々を捏ねてる、ということで、
 まあつまり、「甘えてる」とゆーことですね。
 
> >その言葉を忘れちゃった(笑)勿体ないなー。
> ↑
> ■忘れた。また、同じ鮓佐のカウンターに、同じ共犯三角山関係で並んで、呑み&喰いしたら思い出すかも(笑)♪

→来月はノンちゃんの誕生日〜♪
 
> ■「有能妻」っていそーだけど、「有能妾」って少なそうだな。
> つまり、「妾」には「有能」は求められていない・からか?
> うーむ。
> が、ヨーコも樋口可南子も、登場は「有能妾」として、だったっけ?

→オノヨーコと樋口可南子は「妾」というより「恋人」として登場したんじゃないかな?
 まあ、「妾」という単語を採用したのは
 「有能『妻』」というフレーズと対にする為に選んだんだろうけれど。

 で、有能な「恋人」だったら、しっくり来ると思わない?

 「妾」と「恋人」の違いは、そこに表現もされてると思うけれど、
 恐らく、(本来の意味での)「妾」という存在自体が、もともと「妻」と同じ運命共同体の中に組み込まれた役割なんだと思うの。
 で、「恋人」はその共同体の外部に存在してる異物。
 だから「妾」はその「共同体」にとっては脅威ではないけれど
 「恋人」は明らかに脅威に「なり得る」という意味で、全然成り立ちが違うんだと思う。

>ボーボワールの有名な言葉「女に生まれるのではなく女になるのだ」も、同じことだよねん。

→同じ意味だけれど、私、この関連だと橋本治の「女は女という思想と寝て女になる」という表現がすごく好きで(笑)

 高校時代だったと思うけれど、『広告批評』に橋本治の「まんが哲学辞典」が連載されてて、
 で、ここに書かれていた
 『つまり女は女という思想と一体なわけで、自立すると女は女じゃなくなります』
 『時々は「自立した女」という思想と寝る人もいます』←笑
 『私は女という思想から自立していない女が嫌いなだけです』
 に、大喜びした記憶がある(今改めて読んでも感動するなー)
 
 で、
 『女とは、自分が観念的であることを知ることを逸れている特権を持つものです』
 というのが、まあ、久保兄が書いてたこととそのまま重なるよね。

><「社会」から自由な(?)視線を持てる場合>の「女」が、「有能」であるケースが多いのが、また同性が憎む種になる(笑)んでしょーね。

→もちろんその通りなんだけれど、つまり、
 男の側から見て、「妻」とか「妾」とか「恋人」という役割を「自分が振った」ことに本当はしたくない、そこから自由でいたい、というのが本来の願望なんだと思うの(笑)
 もっと漠然と役割を名付けられてない「女」としてそこにあってて欲しい、みたいな。
 で、その時に応じて、もっとも相応しい容(=役割)を自分でとってて欲しい、というような(笑)
 それを上手く「出来る」のがここで使われてる「有能」という意味だと思うんだ。
 で、女って、たぶん、基本的には男に「保険」を求めてる(笑)
 だけど男は既にシステムに組み込まれてる段階で「保険」の中にいるから
 今更女との関係に「保険」なんて仕組みを持ち込んだりしたくないわけでしょう。
 つまり、男は女に「愛」を求める、みたいな(笑)

>なんだか、OLのお茶くみ場での話題みたいだな(笑)。

→「愛と保険」は小倉千加子が『結婚の条件』で書いていた「(結婚は)男の金と女の顔の交換」の言い換えとも言えるから(笑)

 まあ、どんなに確かに見える「保険」も決して確かなものではないのだから嫉妬に価するものだとは思わないけれど、ただ、
 その程度の「安全」さの積み重ねしか現実には存在しないのも事実だから、それを手に入れる為に必死になる気持ちは判る。
 というのが私の感想かな。

□で、話はすごく飛ぶんだけれど、
 橋本治と糸井重里のエピソードですごく好きなのがあって。

 まだ橋本治がぺーぺーのイラストレーターで貧乏だった頃、
 糸井重里がよく、「金無かったらいつでも言いなよ。金貸すなんて、一番簡単な友情なんだからさ。」って言ってくれてたんだって。

 私、この話を橋本治の本の後書きか何かで読んだ時、それまでずっと幾許か警戒をもって眺めていた糸井重里のことを好きになってしまったの(笑)

 「お金が絡むと友情が壊れる」みたいな言い方、私嫌いだったんだ。
 お金が絡んだくらいで壊れるのなら、それはもともと友情が存在してなかったんだろう、っていうかさ。

> ってのは、中学生の私には、「がーん。」、だったな。

→「がーん。」の模範的使用例だねぇ。

> そこには、「ビートルズを否定する権利をもっとも持っているのは、ビートルズだ。」みたいな恐ろしい崖の上での約束があったからかもしれないんだけど。
> 「ぼくはビートルズを信じない」と、たった1行の詩を書くためだけに、あの8年間のザ・ビートルズをやってみた、って凄みが真夜中の電信柱のように今も立っているよーな気はするけど。

→すごくよくわかる。

> >加速するのは、「愛」というより、「切なさ」
> ↑
> ■「愛」が加速するときのガソリンが、「切なさ」、かもよ。

→うーん、「切なさ」で加速するのは「恋情」なんじゃないのかなあ?
 もしくは「欲情」とか。
 まあ、どちらも「愛」の重要な構成要素ではあるけれど。

> ■「嫉妬」が「愛」のガソリンとして「有能」(笑)なのように、ね(笑)。

→「嫉妬」が「愛」のガソリンとして有能だというのにも、私は懐疑的だけれど、
 まあ、こういうトコロで突然個人差を持ち込むのはやや卑怯だけれど(笑)
 久保兄はそうなんだろうね、きっと。

 で、ここに書かれてる「加速する愛」っていうのは、なんだか久保兄に合ってるよ。
 「愛」は、私には「落下」をイメージはさせるけれど、久保兄が使用する「加速」とは何となく違う気がする。どことは上手く指摘出来ないのだけれど。

 こうして考えていくと、「愛って何?」に辿り着いてしまう(笑)
 プレヴェールの詩みたいだ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・

 きょうはなんにち
 きょうは毎日だよ かわいいひと
 きょうは一生だよ いとしいひと
 ぼくらは愛し合って生きる
 ぼくらは生きて愛し合う
 ぼくらは知らない 生きるってなんだろう
 ぼくらは知らない 日にちってなんだろう
 ぼくらは知らない 愛ってなんだろう。

 ・・・ジャック・プレヴェール 詩集『ことば(パロール)』より「唄(シャンソン)」
    小笠原豊樹・訳

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 手元の嶋岡晨の訳とも照らし合わせてみると、
 「何日」という問いかけって、要するに
 「永遠にも一瞬にも感じられるまだ名付けられてない、この、今分かち合っている今日と言う日を
  いったいなんて呼べばいいの?」と問いかける恋人に、
 「今日は、今は、全て。
  でも、そう改めて考えると
  自分が全ての確信を失ってしまっていることに気付いてしまう」
 「 あんなに確かに思えた、生きてるという実感と愛してるという確信が
  握り締めた手の平には残っていない」
 「そう、愛ってなんなのか、僕らは知らないまま。
  だけど・・・・」

 って感じ。

> ■あの少女は『イースタン・プロミス』の中では、あの「する」シーンにしか出てこなかったっけ?
> なにやら、『イースタン・プロミス』は続編が作られるっー希望(笑)が盛り上がっているよーだけど、その続編に、あの少女が出てきたらすごいな。どんな顔で、どんな言葉をこぼして、どんなことを「する」んだろう。

→あの少女はねー、顔が出てきたのはあれ一度きりだけれど・・・・
 これ以上はネタバレになるから、見てない人のために言わない(笑)
 そうかあ、続編つくられるかも知れないんだ。
 なら、尚更いえないな笑笑

> >そのことが「後ろから」だとよりよく表現出来るってことなのかなあ。
> ↑
> ■この点は、共犯研究部会を立ち上げて、あらゆる他の方法との比較を実践し、多方面での有益な研究を深める必要があるね(ほんとか?)。

→話ものすごい脱線だけれど、しかも真面目に答えるんだけれど(笑)
 西洋中世史の第一人者阿部謹也の『西洋中世の男と女』(ちくま学芸文庫)によると、
 「後ろから」っていうのは「犬のような交わり」ってことで、ものすごい禁忌だったようです。
 だから、我々が見てるのよりもっと深い意味を、キリスト教文化の刷り込みの下には、そこに見出せるのかも知れないねー。

> 批評をする時、私にとって「中間報告」的作品は大好物だけど、ランキングをつける時、私は「中間報告」には厳しいんです(笑)。
> ただ、その私の基準が同時にランキングには、順位の上下だけではない意味=価値があるとゆーことをも示しているんだよね〜♪

→何をもって「中間報告」と位置づけるか、がまた、その「枠組みの設置」を明確にしてくれるわけだしね。
 で、常にそうだけれど、「枠組み」そのものを否定するのではなく(否定が与えてくれるものは自由ではなく、無責任という放置)、その枠組みの役割を正しく認識し続けることによって常に相応しく解体可能な位置に互いを認識しあう為の訓練とメンテナンスなんだしね。





1761
Reply A感覚の物語・トークからっぽでも見栄張る人・パンツが欲しい 久保AB-ST元宏 URL 2009/03/20 00:56


Good Times, Bad Times, Ms.ローラに花束を!ろーら@ミカキチ knows I had my share♪
>で、「メロー・イエロー」の共犯意訳を読んで

■でも、サフランを赤毛の少女の陰毛にみたてて、それで作った黄色いサフランティーがメロー・イエローってアイディアは天才だ(笑)。

>目的が別だと思われるしょーーーー

■・・・・・・。
別にいじわる返しじゃーあーりませんが(笑)、いら姉さんの「美人の娘」の話題になったとき、
いら姉さんが、「ろーらさんって、私の娘に似ている。」と書いていたことを思い出した(笑)。
その展開をねらったな、こいつ!

>北の地の田舎ではこんなことして遊んでいたという歴史の証言です〜(笑)

■(言うまでもないが、でも、あえて書くが)そんなこと、雪に埋もれて娯楽が少ない北の地の田舎であっても、君の一族ぐらいしかしません。
と、書いてから思い起こせば、我が家にもそんな写真が・・・・・・。がくっ。
一瞬、だまされて(=誰に?)その写真をここに添付しそーになったじゃないかっ!
■思うに、これは「仮装」への興味以上に、「カメラ」とゆーメディアへの興味だね。(と、もっともらしく文化人類学的にまとめる。)

>口開けてああっ「ああっ」とか言ったらどうする?

■そりゃ、姫野カオルコ『桃』単行本77ページ最終行〜84ページ最終行でしょ。

>でも、調べたら、全然最近じゃなくて、11年前の曲なんだね・・・・

■どんなものでも、10年以上たたないと、愛せない性分(笑)。
もしくは、ネクロフィリア

>「怒らない」というのは、暗に「相手にしてない」という表明

■そうか。今後、怒っている人を愛するようにしよう(笑)。

>「しょっちゅう安っぽく怒ってる人」というのは、つまり、自分の土俵にひたすら相手を引きずり込もうとすることでしか人とコミット出来ない、ということ

■するどい(笑)。
思わず、ここに卑近な具体例を羅列しそーになったではないかっ(笑)。

>「恋人」はその共同体の外部に存在してる異物。

■「恋人」とは、「ずっと探していた理想の人」ではなくて、常に「ニュー・タイプ」なのね。

>高校時代だったと思うけれど、『広告批評』に橋本治の「まんが哲学辞典」が連載されてて

■さすが、高校生で『広告批評』を読むなんざ、おませさん(?)。
でもよく考えると、札幌の大きな本屋さんって、『広告批評』は雑誌売り場エンドの目立つところで平売りされていたよねー。
とくに、地下鉄・大通り駅を地下1階に上がったとこにある、三越デパートの向かいの本屋。
あそこで『広告批評』の平積みを見るたんびに、「ああ。札幌って広告業界がお盛んな第三次産業な町なのね。」と、思ったもの。
考えてみれば、沼田町の本屋に『広告批評』なんか売っていなかったし(笑)。
私が高校時代に毎月読んでいた雑誌、『ロッキング・オン』、『マンガ少年』、『ぱふ』も沼田町の本屋には売っていなかったな。
やっぱ、それだけでも都市はメディアか?
だから、「北の地の田舎」の図書館の社会的役割は大きいんだろーね。まぁ、今はネットがあるからもっとフラットだろーけど。
■で、その『広告批評』の廃刊、知ってた?

>女って、たぶん、基本的には男に「保険」を求めてる(笑)
 だけど男は既にシステムに組み込まれてる段階で「保険」の中にいるから
 今更女との関係に「保険」なんて仕組みを持ち込んだりしたくないわけでしょう。
 つまり、男は女に「愛」を求める、みたいな(笑)

■おみごと(笑)。

>どんなに確かに見える「保険」も決して確かなものではないのだから嫉妬に価するものだとは思わないけれど

「愛の値段が暴落するから 早いトコ 売っちまいな!」と、かつて歌ったものですが、
<どんなに確かに見える「保険」も決して確かなものではない>とは、まさに金融不安の世界同時不況的キブン。
恐慌とは、過剰生産を解消する内在的なメカニズムだから、
的場昭弘・神奈川大学教授が言うには、
マルクスが生きた19世紀には10年に1度くらい恐慌が起き1年ほどで終わった
そのつど,企業の整理非生産的部門の排除によって資本主義は洗練されてきました。
ところが19世紀後半から市場の独占化が進み,そのメカニズムが働きにくくなった
独占資本は,もだえ苦しんで暴れる強大な象のように人々をなぎ倒しながら,最後は国家と結託して生き延びる
過剰生産を生む内部矛盾は解消されないまま,ずるずると恐慌が長期化するようになりました」
ってこと、らしい。これ、2009年2月16日の朝日新聞より。
で、恐慌を脱するために、戦争が行われた。
1929年の大恐慌からアメリカを救ったのも、ニューディール政策じゃなくて、戦争だった、とか。
で、マルクスの考えでは、恐慌は革命をもたらす
■ここらへんを、愛に換言すれば、
確かに現代は、愛が過剰生産されているかも(笑)。
なにしろ、地球まで救うと言いながら、北の地の田舎の老人ホームに自動車を寄付しちゃうんだから。ただし、テレビ局のマークは忘れないで。
過剰な愛は、教育者や官憲の淫行事件を誘発し、そこに「愛のニューディール政策」としての、モラルの強化が叫ばれる。
しかし、愛の名の下、いったん加速した「欲情」は誰にも止めることができず、愛の市街戦が全面戦争として勃発する。
そのとき、山の上のレジスタンスは、愛のグローバル化の進展に乗じて「嫉妬」とゆー既成概念を無産化する世界革命の条件を整える。

>お金が絡んだくらいで壊れるのなら、それはもともと友情が存在してなかったんだろう、っていうかさ。

■まだ関係者がたくさん生きているから、おおっぴらには書けないけど、どーせ『共犯新聞』だから(笑)書くけど、
私が小学生のころかな、夜中に近所のおじさんがやってきて、玄関先で私の父に「お金を貸してくれないか?」って用件を話して、
父にとってはトモダチだったから、「ああ。いいよ。」と、ポンとお金を貸したんだけど、その一家は翌朝は消えてどこにもいなかった。
その話を私は大きくなってから思い出すと、やさしくて楽しいおじさんだったけど、ずいぶん勝手な人だったんだな、と、少し憤慨しながら思い出していたんだけど、
さらにずいぶん過ぎてから、ある日、父がこの話題になったとき、
「あいつには夜逃げする前の晩に金を貸したけれど、あいつからはたくさん儲けさせてもらったから、安いもんだった(笑)。」と、呵呵大笑しだした。
なんと、返ってこない金を貸すことすら、大きな取引の一部だったのだ。ぎゃふん。
まぁ、商売人の息子をやっていると、多くの夜逃げを見てきてもいるのよね。別に昨今のハナシじゃなく、むかしっから(笑)。
愛における「嫉妬」って、大きな取引の一部としての「返ってこない金を貸すこと」なのかもね。

>「愛」は、私には「落下」をイメージはさせるけれど、久保兄が使用する「加速」とは何となく違う気がする。

■加速しながら落下してんじゃないの(笑)?

>今日は、今は、全て。

■でも、それって結婚詐欺のイイワケみたい(笑)。
キスしながら、ブラジャーの背中の留め金をはずして、さらに、こっそり足で「保険」の契約書をベッドの下に押し込んでいるみたいな、さ(笑)。

>「後ろから」っていうのは「犬のような交わり」ってことで、ものすごい禁忌だったようです。

■キリンが「後ろから」しながら、キスしたら、ふたつの首でハート・マークが作れるかな(笑)?




1762
Reply ウーパー・ルーパーって。 HARU
2009/03/24 22:13


こんにちは。腰痛が良くなった、はるです。
ウーパー・ルーパーの動画がかわいくて、思い出したんですが、
美唄のアルテ・ピアッツァ内にある、廃校になった小学校、今は一階が幼稚園になっていて、素晴らしいんですが、その玄関の水槽に、なんとウーパー・ルーパーが二匹、色違いでいるんです。
ウーパー・ルーパーってピンクだけでなく、何か普通のサンショウウオっぽい色の方もいらっしゃるんですね。
今度は食材として、眺めてみようかと思います。
「少年メリケンサック」まだやってるかな。
すごく観たくなって。
クドカンという人は私と同じ年齢で、どうやってパンクを扱ってるのかが、興味あって。
私の世代は、中学校のクラスの音楽好きがパンク派とヘビメタ派に





1763
Reply Re:ウーパー・ルーパーって。 HARU
2009/03/24 22:26


間違って送信してしまったようなので、加筆します。
> 私の世代は、中学校のクラスの音楽好きがパンク派とヘビメタ派に分かれていたりしたんです。
この世代(のパンク派)って、もしかしたら、ストーンズより先に、セックス・ピストルズやクラッシュを聴いてしまってたんじゃないかと思います。
有頂天や戸川純がテレビに出てた、妙な時代ですものね。
バンドブームってやつかな。
私も中3でガールズバンドを結成して、ビートルズをコピーしてました。
今思うと、地味なバンドでした・・・。





1764
Reply 『「闘い」と「疲労感」』の彼岸としての、パンク。 久保AB-ST元宏 URL 2009/03/26 14:00


Babe, baby, baby, I'm gonna leave you
Ms.はる先生、授乳の後は、授業ですよ!HARU said baby, you know Im gonna leave you♪
>今度は食材として、眺めてみようかと思います。

■そうですね。古代ギリシアの歴史家ヘロドトスも、「歴史は繰り返す。一度目は、友人として。二度目は、食材として。」『贖罪ピックアップのコーナー』より)と、書いています(うそ)。

「少年メリケンサック」まだやってるかな。

■で、それを観てからでもいーけど、今の私のイチオシは、『フィッシュ・ストーリー』
近々、『共犯新聞』にも批評を書くつもりだけど、「クドカンという人は私と同じ年齢で、どうやってパンクを扱ってるのかが、興味あって。」とゆーHARU先生の疑問にも
斜めから(笑)答えてくれる快作です。
去年の映画は、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』から『靖国』『ラスト、コーション 色|戒』『光州 5・18』とつらぬく歴史へのコミットメントを、
『ノーカントリー』『ダークナイト』と広がる感情で統一されていた、ってのが75本観終えた私の印象なんだ。
つまり、2008年の映画は、『「闘い」と「疲労感」』、だった。で、その優れた止揚が、『悲しみが乾くまで』であり、『フィクサー』であったわけなんだけど。
そーゆー意味から、『少年メリケンサック』〜『フィッシュ・ストーリー』と続く2009年の映画のキブンは、パンクだな(笑)。
いや。もっと正確に言うと、パンクが生まれる必然性(=現場?)。
今月の斎藤美奈子の朝日新聞「文芸時評」の言葉をかりれば、
「エンタメ系の小説は「ワケがわかりすぎる」のである。」
「残念なのは強引に起承転結のそろった「出来のいいお話」に仕上げようとしている点で、その力をHOWにふりむけて、たとえば各編の語り手がハチャメチャな語り方をしだしたら、彼らが抱える切実なつらさはもっと際立ったにちがいない。」
「美しい結末に回収される物語はそこで終わりだ。後に引きずるものがないのは寂しいじゃないの。」
ぶちまける権利はある。心温まっている場合ではない。
って、こと。
■まぁ、そーゆー意味から(?)、ほんとーは今週末にHARU先生とミカキチと香聡庵のテラスで辛口の白ワインを飲みながら、
映画『青い鳥』をめぐる意見交換をしたかったんだけどね(笑)。
産後の腰痛と、タンゴ・ヨーロッパには勝てません(?)。

>この世代(のパンク派)って、もしかしたら、ストーンズより先に、セックス・ピストルズやクラッシュを聴いてしまってたんじゃないかと思います。

■うん。だと思う。
HARU先生よりさらに10年後(!)に生まれただからぁ、元ミスあんどんだってばぁー!ねばだぁー!みづっきーなんて、ストーンズ来道になんか、まったく反応ゼロだったもんね(笑)。
■そこで思うんだけどさ、ストーンズから「疲労感」を引いたら、セックス・ピストルズやクラッシュになったんじゃないか?って。

>バンドブームってやつかな。

■『イカ天』ね(笑)。

>私も中3でガールズバンドを結成して、ビートルズをコピーしてました。

■あ、私も。
ただし、ガールズバンドじゃなかったけど(そりゃ、そーだ。)。





1765
Reply ドラゴンの国の象さん・君の友達・ピンクフラミンゴ ミカキチ@ろーら URL 2009/03/26 23:36


□踊るウーパールーパー、ほんとかわいい〜〜♪
 で、

『ウーパー・ルーパーってピンクだけでなく、何か普通のサンショウウオっぽい色の方もいらっしゃるんですね。
今度は食材として、眺めてみようかと思います。』

 ↑っていう、はる先生の文章。 
 何気なく書いてますけれどすごい文章ですよね。震えました。
 世界中のウーパールーパーが毎晩はる先生に向かって踊りを捧げてると思いますよ。
 
> ■でも、サフランを赤毛の少女の陰毛にみたてて、それで作った黄色いサフランティーがメロー・イエローってアイディアは天才だ(笑)。

→私も歌詞のここのフレーズ読んでそう思いました(笑)
 でも、私が最も久保兄に「天才」を感じるのは、こういった「才能に愛されて る」という部分でよりも、その才能によって周囲に「賞賛される」ことや自分で「しまったまた名作を作ってしまった」という事実に打たれることによって、全 く消費されたり消耗したり左右されたりしないという点においてだな。
 考えてみたらそれって天才の条件だよね。
 才能に愛されてるか、才能を愛してるか、またそれを必要としてるかとかよりも、
 そのことによって生じるエネルギーから「影響を受けない」「自由である」ってことこそが稀有な能力だと思う。

> ■(言うまでもないが、でも、あえて書くが)そんなこと、雪に埋もれて娯楽が少ない北の地の田舎であっても、君の一族ぐらいしかしません。
> と、書いてから思い起こせば、我が家にもそんな写真が・・・・・・。がくっ。
> 一瞬、だまされて(=誰に?)その写真をここに添付しそーになったじゃないかっ!

→それって伝説の「シェー」写真かな??
 
 それは、いつか俳句のとこに是非使って欲しいな(笑)
 あそこに古い写真を置くのってなんか合ってるよ。

> >でも、調べたら、全然最近じゃなくて、11年前の曲なんだね・・・・
> ↑
> ■どんなものでも、10年以上たたないと、愛せない性分(笑)。

→それは、あれだ。村上春樹『ノルウェイの森』のナガサワさんだ。

> >「恋人」はその共同体の外部に存在してる異物。
> ↑
> ■「恋人」とは、「ずっと探していた理想の人」ではなくて、常に「ニュー・タイプ」なのね。

→橋本治の『恋愛論』にあったんだと思うけれど、恋っていうのは、本質的に「そこが実は闇であったことを浮かび上がらせてしまう光」なんだそうです。
 つまり、その「光」を見つけてしまう、という時点で既に、その当事者がずっと「真っ暗闇」の中で生きていた、ということを逆説的に証明してることになる。
 だから、かつて、世間が「恋」を禁忌としたのには正当な理由があって、
 だって、自分達が大切に維持経営してる世界を「闇だ」と弾劾してしまうのが「恋に落ちてる人間」の存在だから、そりゃー忌み嫌うでしょう。
 っていうことだって。
 (まあ、穏やかに言い換えるとそれが『秩序への反逆』ということになるのだろうけれど)

 でもそう思うと正しく「恋」が出来るだけの「現実の世間」を生きてる「正しい社会人」が現在どれだけいるのかが問われてしまいそうだね。
 
> ■さすが、高校生で『広告批評』を読むなんざ、おませさん(?)。
> でもよく考えると、札幌の大きな本屋さんって、『広告批評』は雑誌売り場エンドの目立つところで平売りされていたよねー。

→『広告批評』を購読して我が家に持ち込んだのは2歳年下の妹なの。
 情報に対して保守的な私にとって、彼女の存在はすごく幅を広げてくれたありがたいものだったのです。
 彼女は、付き合ってる友達も、その友達の選び方も秀逸で、実のところ私には彼女の友達からの影響も大きいと思う。
 当時、(あまりに面白いものを見つけてくるなあと感心して)『広告批評』はどうやって見つけたの?と妹に訊いたら、
 まず、『本の雑誌』も彼女は毎号読んでいたんだけれど、ある日ふと、本屋で、
 これと同じ版の雑誌っていろいろあるなあーと思って、
 手にとって見ていって、面白かったのが『広告批評』だったそうです。

> とくに、地下鉄・大通り駅を地下1階に上がったとこにある、三越デパートの向かいの本屋。
> あそこで『広告批評』の平積みを見るたんびに、「ああ。札幌って広告業界がお盛んな第三次産業な町なのね。」と、思ったもの。

→「リーブルなにわ」かな?
 札幌の本&本屋好きに、あそこが好きな人は多いよね。
 私も好き(笑)どことなく穴倉っぽいとことか・・
 本店の閉店の際にはすごく話題になった、札幌では本の業界を語るに外せない老舗だしね。

> だから、「北の地の田舎」の図書館の社会的役割は大きいんだろーね。まぁ、今はネットがあるからもっとフラットだろーけど。

→札幌市西区琴似のの久住書房も、一番の商売敵は地元の「山の手図書館」だそうです(笑)
 図書館によって品揃えって全然違うんだけれど、確かに山の手図書館の棚って、すごく「久住的」にスルドイんだよね(笑)

> ■で、その『広告批評』の廃刊、知ってた?

→知らなかった。
 村上春樹が、テレビ持ってないから『広告批評』のCMの説明を実物を見た事ないまま読むのがすごく面白い。全然わかんなくて。と書いてるのを
 私もテレビ殆ど見ないままで同じく読んでた日々が懐かしい。

> ■「愛の値段が暴落するから 早いトコ 売っちまいな!」と、かつて歌ったものですが、

→若い人が結婚を急ぐ理由みたい。

> <どんなに確かに見える「保険」も決して確かなものではない>とは、まさに金融不安の世界同時不況的キブン。

→そうそう。長くなるので端折ったけれど、
 橋本治の「漫画哲学辞典」には、その辺=世の中という枠組みが崩れることが、さまざまに及ぼしていく影響について描かれ述べられているんだー。
 つまり、しっかりした「枠組み」が存在していたときには実は
 かなり「確かな保険」もまた、存在していたんであった。

> 恐慌とは、過剰生産を解消する内在的なメカニズムだから

> で、恐慌を脱するために、戦争が行われた。
> 1929年の大恐慌からアメリカを救ったのも、ニューディール政策じゃなくて、戦争だった、とか。

→あは(笑)
 私、法学部政治学科在籍だったので、こーゆーこと大学で勉強していた(笑)

> ■ここらへんを、愛に換言すれば、
> 確かに現代は、愛が過剰生産されているかも(笑)。

→そうだね。現代は愛という名の暴力と脅迫による閉塞感で窒息してる疲労コンパニオンばっかりかも。

> しかし、愛の名の下、いったん加速した「欲情」は誰にも止めることができず、愛の市街戦が全面戦争として勃発する。
> そのとき、山の上のレジスタンスは、愛のグローバル化の進展に乗じて「嫉妬」とゆー既成概念を無産化する世界革命の条件を整える。

→そうか、閉塞感を打破するのには「欲情」という名の野生的エネルギーが必要ということなのかな。
 きっとそこでまた、「暴力」へのすり替えが生じたりして、
 間違った検閲活動が激しくなって・・・・と
 闘いは常に外部と内部と両方で行われていくんだにゃ。
 
> なんと、返ってこない金を貸すことすら、大きな取引の一部だったのだ。ぎゃふん。
> まぁ、商売人の息子をやっていると、多くの夜逃げを見てきてもいるのよね。別に昨今のハナシじゃなく、むかしっから(笑)。

→うん。
 私が言いたかったのはね。

 友達の処にお金を借りに行く状況ってところで既にそれはもう、「返すあてが現在ない状況に落ち込んでいる」っていうことに決まってると思うんだよ。
 返すあてがあったら、金貸しのところに借りに行くでしょう。
 もしくは、担保さえあれば金を貸してくれる親戚を頼るでしょう。
 もっと言うと、相手が、「トモダチだと思って甘くみて借りに来たのか、自分のところしかあてが

ない状態で恥を忍んで頼ってきたのか」を見抜けないのだとしたら、
 トモダチとは云えないのはもちろんだけれど、それ以上に
 自分がお金を稼いでる上で、ずいぶんと甘い仕事をしてるってことだと私は思うんだよ。
 
 で、そんなことはまあいいんだけれど、
 「お金が絡むと友情が壊れる」的なことをいかにも世の中を知った風に嘯くタイプの人って、
 例えば、知人や顔見知りが一家心中とかした際に、
 「そんなに困ってるならちょっと相談してくれれば良かったのに」的なことを言いそうでイヤなんだよ(笑)
 そういう、自分が犠牲をはらうつもりは一滴もないクセに、尤もらしい台詞だけは言う人がいるとすごーーくムカムカしてしまう、自分が子供っぽい人間なものでね。

 だから、橋本治と糸井重里のエピソード読んだ時、なんか嬉しかったんだよ。

 まあ、私なんて、友達が金借りに来て、通帳ごと渡しても惜しくないくらいの金額しか現実に持ってないって辺りがまたショボいんだけど(笑)

 だけど、こうして「善人ぶりたがり」にムカムカする平和ももう目減りしちゃって絶滅の一途なのかも知れないね。
 今はもう、一家心中だろうが行き倒れだろうが家庭内暴力だろうが、全部「目に入らないフリ」で終るまで息を潜めて無関係でいることを証明することに人生を使い果たしてる人の方が多かったりするのかも知れないな。
 
> 愛における「嫉妬」って、大きな取引の一部としての「返ってこない金を貸すこと」なのかもね。

→うーん。そうかなあ(笑)
 「関心を持つこと」は肯定的な行為である、というのはまあ基本だ、ということから出発すればまあ成り立つ気がするけれど・・・って、真面目に考えてると難しい(笑)
 「嫉妬」と一口で言っても幅があるね。 
 出典忘れちゃったけれど、女の人が自分の相手が浮気すると嫉妬するのは、男の人というのは女の人からエネルギーを「与えられて」ることを本能的に知って いて、だから自分の為の積み立てのつもりで注いでたエネルギーを他所で使われると腹が立つんだって(笑)私の貯金だったのに!!みたいな。
 で、男性にとっては女性は自分の「財産」だから、それを自分が正確に把握しきれてないことは不安を産む、っていう感じかな。

> >「愛」は、私には「落下」をイメージはさせるけれど、久保兄が使用する「加速」とは何となく違う気がする。
> ↑
> ■加速しながら落下してんじゃないの(笑)?

→「愛は物理学の法則を越える」ってわけ(笑)??

> >今日は、今は、全て。
> ↑
> ■でも、それって結婚詐欺のイイワケみたい(笑)。

→そうか。考えてみたら、恋愛って状況だけピックアップするならそのまま結婚詐欺と同じだ!!

> ■キリンが「後ろから」しながら、キスしたら、ふたつの首でハート・マークが作れるかな(笑)?

→かわいい(笑)
 きっとフラミンゴもそうだ!





1766
Reply ババールの国のプーさん・父の恋人・パンクフラミンゴ 久保AB-ST元宏 URL 2009/03/27 16:41


Ms.ローラにリバーシブル裏表人生を!ろーらああっミカキチ knows you shook me♪ You shook me all night long♪
I have a bird that whistles♪ And I have birds that sing♪ I have a baby, wont do nothing, oh!
>そのことによって生じるエネルギーから「影響を受けない」「自由である」ってことこそが稀有な能力

■たぶんそれは、「北の地の田舎」で長い間、どこまでも「評価されない」とゆー訓練を受けてきたからだと思う(がくっ。それでいいのか・笑?)。
その結果、私にとって「表現」とは誰かから評価されるものではないことがアタリマエになったからでしょう(がくっ。リプリーズ。)。
少なくとも私は「秀才」ではないから、「舞台発表会」とか、「ノーベル賞」とか、「町民栄誉賞」とかゆー、モチベーションのエンジンは必要ないんですね。
だって、自信ないもん(笑)。特に、努力をする自信が(「がくっ。」ばっかじゃん!)。
それでも私が「表現」を止めないのは、もしかしたらタフなのかもしれませんが、もーこの歳(=もーすぐ、47歳。嗚呼。)になると、こりゃ&もー、本能ですわね♪うふっ。

>それって伝説の「シェー」写真かな??

■いや、もっと面白くて笑えるやつ(笑)。
たとえて言えば、伝説の雑誌『ビックリハウス』向きな写真(笑)。

>自分達が大切に維持経営してる世界を「闇だ」と弾劾してしまうのが「恋に落ちてる人間」の存在だから、そりゃー忌み嫌うでしょう。

■つまり、「恋人」と、「革命家」は同意語、か。
■そう考えると、「革命」についての定義はさておき、北一輝もゲバラもレノンも太宰も与謝野もランボーもジュネも、色っぽいよな(笑)。

>正しく「恋」が出来るだけの「現実の世間」を生きてる「正しい社会人」が現在どれだけいるのかが問われてしまいそうだね。

昨日ここに、HARU先生へのレスで書いた「今月の斎藤美奈子の朝日新聞『文芸時評』」は、
実は斎藤美奈子による、「純文学と娯楽小説の違いの新定義」の話題について書かれた内容からの引用だったんだ。
整理すれば、こーゆーこと。


今まで斎藤が思っていた定義
今回、斎藤が発見(?)した新定義
純文学いかに描くか(HOW)に力点。
起承転結を壊す。
起承承転、承承転結、承承承承。
ワケがわからない。
娯楽小説(=エンタメ系)何を描くか(WHAT)に力点。起承転結すべてそろっている。ワケがわかりすぎる。


で、これをミカキチの「恋愛論(?)」に換言すれば、正しい恋は上記の純文学の定義に当てはまる。
で、「現実の世間」を生きてる「恋」は、むしろ、上記の娯楽小説の定義に当てはまる場合が多い。
つまり、本来、「恋」は「革命」でなければならないのに、むしろ、既成社会の鋳型に自らをはめ込もうとする「反革命」的「恋」が過剰流通しているのではないのか?
ってこと、なんだろーね。
■世の教師が「本を読め!」と指導する一方で、ホンモノの小説は危険だとゆーことの重ねての言及でありました〜♪

>『広告批評』を購読して我が家に持ち込んだのは2歳年下の妹なの。

■1981年当時の私の周辺では、私が『広告批評』を読んでいて、サカタ@カナダ(→当時は、サカタ@下高井戸・笑。)が『本の雑誌』を読んでいたな。

>山の手図書館の棚って、すごく「久住的」にスルドイんだよね(笑)

■実は、同郷のよしみである我らの沼田町図書館も、すごく「久保的」にスルドイんだよね(笑)。
オープン当時から、ジャン・ジュネ自伝や、山田稔、シド・バレットやジョージ・ハリスンの研究本、など&などがあるし、
先日の消防団”酔っ払い”総会の直前に立ち寄った時に発見したのは、穂村弘『短歌の友人』はあるし、姫野カオルコは『ツ、イ、ラ、ク』『桃』『ハルカ・エィティ』の3冊だし(笑)。
正直、それほど大きな図書館ではないからこそ、この歩留まりの高さ(?)には感心すんだよねー。
前も書いたけど、いったい誰が本を選んでいるんだろう(笑)?
是非、その方と仲良くなりたい(笑)。

>若い人が結婚を急ぐ理由みたい。

■ミカキチさんの中では、愛の値段は暴落していないようですね(笑)。

>「愛は物理学の法則を越える」ってわけ(笑)??

■いや、共犯愛の公式(笑)は、こう。
落下の加速度に与える愛の影響について

地球上の常識の範囲内の愛であれば、重力加速度g(9.8m/s^2) なので、
なににも影響されない定数です。

常識より離れると、重力によって受ける加速度はG*M/r^2となり、
愛の質量Mと感情の重心r が影響します。


まぁ、おそらく重力加速度gを使うのでしょう。
すると、自由落下の運動方程式は、
F=mg となる。

ここに、世間の抵抗だとかの力を加えて、
実際の加速度は重力定数よりも小さくなる。

つまり、重力以外に受ける力全てが影響する。

■我々は、「社会」の法則に縛られる必要は無いが、「自然界」の法則からは逃げられない(笑)。

>きっとフラミンゴもそうだ!

メビウスの輪
・・・・・・「永遠の愛」の証明(のポーズ)ってか(笑)。
「♪おー おまえと頭のところで裏返し」 〜遠藤ミチロウ「溺愛」(1981年)より
「♪脳味噌の中でなら 一番遠くまで行けるのだが」 〜久保元宏「空中ピラミッドの生活」(1984年)より




1767
Reply ハッピーバースデー Non
2009/03/31 13:46


お誕生日おめでとうございます。

今日はどんな一日でしたか?

誕生日の一日が今後一年の雛型になるって聞いてから気になっています。

年度末とも重なるので忙しい一日なのでしょうね。

横井庄一 と 舘ひろしが同じお誕生日のようでした。

1617年には江戸幕府が江戸に吉原遊廓の開設を許可したようですね!!

すばらしい一日と一年をお過ごしください!!








1768
Reply NONさんに続いて・・・ いら
2009/03/31 22:20


バースデーのころにはいい具合な髪型になっていて、
さらにハーフ・ヌードを披露しています久保さま。
はっぴぃ・ばーすでー♪

プレゼントを用意してないので心苦しいのですが、
ただいまバースデーソングをつぶやいていますので
かすかにでも聴こえていただけたら幸いです。なんちゃって。

三月生まれ列伝を拝見いたしました。
多くてびっくり。才能ゼロ不肖いらまで加えていただき恐縮しきりです。
ひとり、アホ芸人のようでお恥ずかしきですが。

北海道へのお誘いありがとーございます(ミカキチさんもありがとう♪)
いつか訪ねられる日がくればとおもうと、気持ちが宙を舞います。
娘は三年単位で動く転勤族なんですが、彼女の友人が今度は札幌。きっと訪ねることがあるとおもうので、共犯新聞で紹介されている美味しいお店を教えてあげようとおもっています。
4月から、娘は三重県。
お手伝いのために明後日、いらも三重に出発いたします。

では〜
またまた久保さまがエネルギッシュな一年になりますよう、
メタボ状況ともども見守っていますわ。えへッ♪
あ〜〜ん、わたしもダイエットしなくっちゃ(泣。





1769
Reply I was born. よこしま願望の法則・『この旅に終わりはない』 ミカキチ@ろーら URL 2009/04/01 02:18


□プレゼントを贈ったら、一日早く着いちゃうし、メッセージしようと思ったら日付が替わってしまってるし。

□ユグナンは、10代の終わりの頃に出逢った本なのだけれど、まあ文学好きにはよくあるパターンだけれど、主人公のオリヴィエを「自分みたいなヤツ。」と思った作品なの(笑)
 
 私の母がよく、私について、嘆いてたんだ。
 どうして、普通の人なら喜んで受け取ってそこで満足するものを、お前は平気で捨ててしまうんだって。
 私自身もそのことが辛かったけれど、もうそこを誤魔化していけないな、と思ってる頃に出逢って、もうバッチリだったんだね。

 で、久保兄に初めて会った時に、「この人私よりもオリヴィエに似てる」って思ったんだよ(笑)
 なんていうか、私よりもずっと上手に「自分がオリヴィエであることを隠して生きることに成功してる人だ」と感じたの。
 そして同時に、「この人のことを好きな人はみんな、でも、この人がオリヴィエだってことに気付いて、でも気付かないふりしていて、この人もそれを全部わかっててそうしてる人なんだなー」って。
 実際にどうなのかは解りませんが(笑)

□間章は、私は彼の名前を知ったのはたぶん、鈴木いずみから行ったんだと思う。
 鈴木いずみ→阿部薫→間章、って感じ。
 
 2冊とも、私は図書館で何度も借り出して読んでいた本だったので(どっちも絶版・品切れで手に入らなかった)
 図書館の本が、今でもコンピューター管理じゃなくて裏表紙のカードに貸出日のハンコや借り出した人のコード番号が記載されてく方式だったら、
 私の日付と番号ばかりたくさん、この15〜20年、繰り返し残ってる、んだろうな、って感じなのだ。

□Nonちゃんが言及してる「誕生日の一日の過ごし方がその一年の鋳型になる」ってゆーの、私もよしもとばななのウェブ日記にあるのを読んでどひゃん!!と思って慌ててその年の自分の誕生日の一日のことを思い出してみる・・・ということがあったの(笑)
 
 一日は24時間で一年は12ヶ月だから、その日の例えば0時半に起こったことが久保兄の場合だと4月の第一週の週末あたりの感じ・・・とかね。

 で、その年の誕生日が丁度私はラジオの出番の日だったのだけれど、
 よこしまなたくらみを抱いて失敗し、でも珍しい人に沢山あって、ばたばたしてたけれど全般的にいい日だった・・・
 と、思い出していて、ふと、
 その日のすごく遅い時間に、すごくいいことがあったことを思い出したのです。
 そしてそれは、自分が「よこしまな願い」を抱いてみて、やっぱり失敗したな〜、てへ。
 と考えていたことの、元々の部分が報われたって感じのことだったの。

 その時に、私が打ちたてた法則としてはかなり名作であるトコロの
 『よこしま願望の法則』というのがめでたく成立したのです!

 この法則は、願望の「よこしまな」部分というのはなかなか叶わないので一見当人にも願いが叶ったことがわかっていないことがあるけれど、
 実は願望の「本質的な部分」というのは結構叶っているものなのだ。
 だから、自分が本当は何を願っていたのか?なにが欲しくて、何を望んでいたのか・・・
 さえ明確に自分で捉えていれば、
 実は大抵の望みには手が届いてるものなのだー。
 とゆー、まるでインチキ啓蒙書に書いてあるみたいな法則なのだ。

□うちにある角川『誕生日辞典』に拠ると、同じ誕生日の人は、他にデカルト、クリストファー・ウォーケン、多田富雄だって。
  
> それでも私が「表現」を止めないのは、もしかしたらタフなのかもしれませんが、もーこの歳(=もーすぐ、47歳。嗚呼。)になると、こりゃ&もー、本能ですわね♪うふっ。

→それについては、久保兄は以前から、「表現する人にとって、表現は本能だから、ステージがあるかどうか、ギャラリーが存在してるかどうかは関係ないんだ」って言ってたよね。
 
 で、私が言いたかったことは、まず第一段階で「人は逆境に潰されることより順境にスポイルされることの方が多い」であり、第2段階で、「その逆境なり順境なりの状況とは、他者でもあるが、実は他者とは自分自身と同義ある」ってことだったのさ。
 それからえーと、なんだっけ(笑) 

> ■つまり、「恋人」と、「革命家」は同意語、か。
> ■そう考えると、「革命」についての定義はさておき、北一輝もゲバラもレノンも太宰も与謝野もランボーもジュネも、色っぽいよな(笑)。

→そう言えば、うちには、私がまだ沼田町での小学校時代に、親が既刊を全部一度に購入した(当時北大に通ってた私の従兄=母の甥っ子に頼んで、大 学生協で学割で一気に所謂今で言うオトナ買いしたらしい)初期の頃の講談社現代新書があるんだけれど、その中に太宰治論があって、そのタイトルが『恋と革 命』だった。でも読んでないけど。

>

今まで斎藤が思っていた定義
今回、斎藤が発見(?)した新定義
純文学いかに描くか(HOW)に力点。
> 起承転結を壊す。
> 起承承転、承承転結、承承承承。
ワケがわからない。
娯楽小説(=エンタメ系)何を描くか(WHAT)に力点。起承転結すべてそろっている。ワケがわかりすぎる。


→実に斉藤美奈子らしく、「ワケガワカラナイ」筈のことを「ワケがわかりすぎる」エンタメ的に説明してくれてるトコロが素晴らしい(笑)

 例をあげた方が面白いと思うから書くけれど、
 昔むかし大昔、私がまだ20代の頃のことだけれど、
 現在十勝清水で農家の嫁をやってる親友のまめこが、私について突然
 「ろーらに彼氏が出来ない理由」というのを考えてくれたの(笑)

 言っておくけど、「なんで私には彼氏が出来ないのかしら??」って悩んで相談してたって訳じゃないんだよっ!
 私としては「がびーん。私のお守りに飽きて、誰か男にバトンタッチしたくなったってことかしら。」と、どきどき。と思いながら
 私「そ、それってどんな結論?」と訊いたら、
 まめこ「ろーらは、好きな人が出来ると、ただひたすらその人のことが好きなだけで、具体的にその人とやりたいことがないところがきっと問題なんだと思う。」とのこと。

 私「ぐ、具体的にやりたいことって(どきどきどき)?」
 まめこ「一般に、女の子というのは、まあ男の子も同じなのかも知れないけれど、自分が年頃になったら、具体的に男の子とやってみたいことのイメージを持つの。例えば、腕を組んで街を歩いてみたいとか。」
 私「ああ、なるほどー。車で海に連れていって欲しいとか。」
 まめこ「そうそう。で、そういう具体的なイメージを叶えてくれそうな相手を捜してて、そういう人と関係を持っていくわけ。」
 私「そうか。そこで、その欲求を満たし満たされることで互いに自分を肯定してくれる存在としての相手を見つけるってことか。」
 まめこ「そうそう。だから、そういう具体的な欲求を持ってないと、次に進めないし、手も足も出ないんだよ、お互いに」
 私「すっげー。そのとーりだ!!」
 
・・・で、蛇足になるから私が出した結論(とは言わないか笑)は書かないでおくけど(笑)
 それは勿論、個人的なことじゃなくて、まあ、一般に応用できる結論なんだよね。

> つまり、本来、「恋」は「革命」でなければならないのに、

→正確に言うと、「恋は革命でなければならない」ではなくて、
 必然的に、それが「恋」である場合、「革命」を呼び込んでしまう・・・ってことだと思う。
 最初は「はずみ」で始まった筈でも、そうなってしまう場合もあるんだと思うしね。
 すごい文学的なこと言ってるけど(笑)
 あ、これは最近は映画の方が上手に掬い取ってるテーマでもある気がするけれど。
 
 で、

>むしろ、既成社会の鋳型に自らをはめ込もうとする「反革命」的「恋」が過剰流通しているのではないのか?
> ってこと、なんだろーね。

→これだけれど、「安定」は勿論悪いことではないし、世の中のしっかりした土台としての小さな単位としてのカップルや家族が成立してることは、本来はすごく望ましいことなんだと思うの。
 本来、そうあれかし・・・・と思って、
 それこそ、男女関係がそういう「無理のない」チームを組める状態であることが共同体をいいものにするはず、という考えが、自由恋愛(笑・笑っちゃいけないかー)を推奨もしたのだと思うのだわ。

 「過剰流通してる既成の鋳型にはめ込まれた恋愛(の、ようなもの)」がもし問題としてあげられるとしたら(勿論、私はそれは一つの助けを求めるサインだと思うから問題だと感じて受け取るけれど)

 以前、人は何にお金を払うか。について考えていて、
 人が求めるもの(それにお金=単純な意味での犠牲と捉えていいと思うけれど、を支払ってでも入手したいと願うもの)は
 「安心感と意外性」を満たすものなんだな・・・・って、
 それはまあ、商品として考えていた時のことなんだけれど、

 それと全く同じことについてなんだけれど、
 人が「恋」や「革命」を求めるっていうのは、
 今の閉塞感を打ち破って欲しい・何かに、今の自分もしくは今の生活や人生を変えて欲しい・・・という願望なんだと思うの。 

 でも、大方の場合、その一方で人は皆ものすごく怯えてもいる。
 特に、そうやって「外部の力でなんとかここから抜け出せないか」と思うタイプの人(まあ、大方はそういうものだけれど)は、
 そうやって自分の土台が「転覆」してしまうことへの根源的な恐怖感もあるから、
 本当に全てが打ち砕かれてしまうことも、本当は怖い。
 本当に今の生活が変わってしまったり、自分の人生が変わってしまうことは怖い・・・

 だから、すごく「中途半端」な変革や、本質的でない「弾劾」や、
 形だけの「恋愛みたいなもの」や現実を忘れさせてくれる「入れ込む対象」を熱望して、
 そこにエネルギーを注ぐことで、実際に自分が何かに風穴を開けてしまう当事者になってしまうことから逃げようとする。

 でも、そういう「欲求」が存在するということは、やっぱりそこには明確に
 耐え難いまでの「閉塞」が存在してるってことだと私は思うんだ。

 だから、その「中途半端さ」を糾弾するだけでなく、
 その「中途半端」が救いようなく肥大化する前に、そこから抜け出すための現実的な方法を考えること=実際には何に怯えているのかとか、何を求めているのかとか、出来ることは何なのか、とか。
 もしくは、「中途半端さ」が罪になる理由、つまり
 「中途半端さ」が見えなくしてるものの存在を明確して見せたり、
 「中途半端さ」が敵を間違って指し示す例を具体的に取り上げたり・・・
 そういうことを考える貴重なサンプルなのだとして、
 考えていくための状況なんではないかな〜。
 と、私は思うわけだよ。

> 前も書いたけど、いったい誰が本を選んでいるんだろう(笑)?
> 是非、その方と仲良くなりたい(笑)。

→あ、ナンパしてる〜〜
 会ったら紹介してね(笑)

> ■いや、共犯愛の公式(笑)は、こう。
> つまり、重力以外に受ける力全てが影響する。

→それは、加速とか落下というより暴走というべきでは(笑)

 でも、この「受ける力全てが影響する」って久保兄のことそのものみたいだね。
 受け取るもののベクトルに全く関係なしに、受けた力の熱量分を、久保兄って「受け取る」ものね。
 前も言ったけど(笑)

>■メビウスの輪。
>・・・・・・「永遠の愛」の証明(のポーズ)ってか(笑)。

→「かさかさの唇なれば両拳握る貴様の首に這はせつ」 黒瀬珂瀾

> 「♪おー おまえと頭のところで裏返し」 〜遠藤ミチロウ「溺愛」(1981年)より

→「わたくしの中に潜りて冷ややかな通路抜ければあなたに出たり」 野口恵子
 「たそがれの鏡の奥にある椅子にあなたはいないわたしもいない」 加藤治郎

> 「♪脳味噌の中でなら 一番遠くまで行けるのだが」 〜久保元宏「空中ピラミッドの生活」(1984年)より

→夢を見てたのかな
 僕はナイーブだったのかな
 みんなをずっとそばに歩かせて
 僕は物音ひとつ立てなかったんだ

 みんなも解っているのかな
 どうして僕が逃げなきゃいけなかったのかってこと
 いい方法を見つけなければ
 君から遥か、
 遥か離れなければいけなかったのか

 そしてみんなの目は
 かつて見ていたものを見てるのかい

 みんな解るのかな
 どうして僕が身を引かなきゃいけなかったのか
 よりよい道を見つけなければいけなかったのか
 君たちから遥か、
 遥か離れなければいけなかったのか

      −マシュー・フィッシャー「ジャーニーズ・エンドpart1」





1770
Reply 魔法の数字、「3」。 久保AB-ST元宏 URL 2009/04/02 14:01


Been dazed and confused for so long, it's not true
A-wanted a woman, never bargained for 人喰い部会長〜♪Ms.Non
>誕生日の一日が今後一年の雛型になるって聞いてから気になっています。

■なるへそ&デベッソ・ボウイ♪
私の場合の今年の日を思い出してみよう♪






































0Am ミカキチのメールへのレス中に、47歳になる。2009年 4月 ミカキチとノンちゃんの誕生日を祝う♪
2Am セルフ・ハーフ・ヌード撮影会(がくっ。)。2009年 5月 とっても、恥ずかしいことが起こる。
4Am 『共犯新聞』に3月誕生日カレンダーを更新♪2009年 6月 よーやく、年度計画を立てる。
6Am 惰眠♪2009年 7月 な〜んにもしない。
8Am 飯田商店に、きらら397を配達。2009年 8月 新米の直前に、在庫調整をする。
10Am 月見猫から赤ワインやグラスなどが届く♪2009年 9月 今年も、大豊作♪
正午 ランチ。2009年10月 ヤミ米、大もうけ♪
2Pm 午前中に納品した4施設へのA重油の請求。2009年11月 気温が下がりだし、燃料が売れる。
4Pm 午前中に出荷した玄米20トンの請求。2009年12月 年末商戦、大成功♪
6Pm 自宅でお誕生会♪スキヤキ&毛ガニ♪2010年 1月 寝正月♪
8Pm 小学校2年生の娘と、チェス♪2010年 2月 若い娘と遊びまくる。
10Pm 酔っ払いながら『共犯新聞』を更新。2010年 3月 酔っ払いながら『共犯新聞』を更新。

がくっ。

>横井庄一 と 舘ひろしが同じお誕生日のようでした。

■我が家の横にあるのは、吉井昭一さんとゆー方の館で、私の父・ひろしの同級生です。

>1617年には江戸幕府が江戸に吉原遊廓の開設を許可したようですね!!

■おっ!こいつは春から縁起がいいぞ!!
(共犯受験生のための、試験に出ぬ年号暗記メモ;色い〜な、1617年、YOUがくっ。)

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This is all I gotta say to Ms. ira, woman
Your time is gonna come
>さらにハーフ・ヌードを披露しています久保さま。

■すみません、その翌日には、さらにヌード・グラビアを公開&後悔して、なにやってんだ私。がくっ。
今回学んだのは、ワインを飲みながら酔っ払って更新すると、ああなる、ってこと。
クスリをガンガン打ちながら小説を書くようなものですね。
注意、注意。

三月生まれ列伝を拝見いたしました。

■そも&そも、3月生まれって、生まれたての時期は、同級生の中でもちっちゃいし、知識の蓄積も少ないんだよね。
私が生まれた時に、近所に住む私の同級生の4月生まれが歩いて病院にまで、かわいい赤ちゃん(=私。え?なにか?)を見に来たそーで、
私の母は、がくぜん!と、したらしいんです(笑)。
たぶん、我ら三月生まれ族は、みなさん、似たよーな経験をされていることでしょう。
で、それがまた我らの、不思議な「ゆるさ」と、「マイペース」を準備して、それがある種の「自由」を自然に求める性格を築いた、んじゃないでしょーか?
■ちなみに私の弟は、3月30日生まれで、
私の兄(=若くして老衰で死去。)は、4月1日生まれ。
こりゃ、もー家系かな(笑)。

>娘は三年単位で動く転勤族なんですが、彼女の友人が今度は札幌。

■「年単位で動く転勤族」で、しかも今度は、「重」!
嗚呼、なんてすんばらしい、「三」月族らしい展開♪
いきなり、いら姉さんや、いら令嬢さまにお逢いするのもなんですから、まず練習として(?)、その、令嬢友人をご紹介ください(笑)♪

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Black Mountain Side of Ms.ローラに花束を!ろーらああっミカキチ
>私よりもずっと上手に「自分がオリヴィエであることを隠して生きることに成功してる人だ」と感じたの。

■ミカキチからの誕生日プレゼント、ジャン=ルネ・ユグナン、訳;荒木亨『荒れた海辺』 (1965年12月20日、初版、筑摩書房)は、
ユグナンが若くして自動車事故で死んじまう前に書いた唯一の小説なんだよね。
まぁ、それだけで充分に誕生日プレゼントとしてはサイコーなんだけど、
さらにサイコなのは、彼が死んだのは私が生まれた1962年!
おお。こりゃ、ミカキチが原順のマンガ『はみだしっ子』について日の夜明けに書いたら、「0日が原順の命日だったなんて気付かなかった!」ってサイコみたい。
ユグナンは1936年日にパリに生まれ、4年間の作家生活の最中、1962年9月22日に自分が運転する自動車で26歳の人生を自分で終わらした。
またしても、月生まれ族。
「♪右手に爆弾を持ち 左手に薔薇(ローズ)を一輪かくし持ち 路なきミチを逝くのサ」 〜永山則夫「薔薇をかくして」(1970年12月6日)より
「♪だけど赤い薔薇を隠し持って 逃げ惑うなんて お前にはできないはずさ」 〜久保元宏「空中ピラミッドの生活」(1984年)より

>自分が本当は何を願っていたのか?なにが欲しくて、何を望んでいたのか・・・
 さえ明確に自分で捉えていれば、
 実は大抵の望みには手が届いてるものなのだ

■なるほどねー。さすが、インチキなんちゃって臨食卓心理士(笑)!
早川義夫「♪キレイと思う 心がキレイなのさ」、風ね。

>最初は「はずみ」で始まった筈でも、そうなってしまう場合もあるんだと思うしね。

■それは、「恋」なんか「はずみ」と「本能」(がくっ。)で始まったクセに、
えらそーに、「理由」とか「運命」とか言い出しやがって、
しかも、「恋」人「同志」でその幻想の理論武装を共犯して堅牢な擬似倫理にまででっちあげるから、
後付理論の訓練がなされて、その手法が政治の現場で再生産されるから(笑)。




1771
Reply 逃げられないことと、進んでいくことの  焦燥感・・・  外笑
2009/04/04 23:27


 同時多発的 多数の人の境遇そして人生。 他者の経験や考え方を知ることでの広がり

 俺は俺からだけは 逃げられない ということなんだろうか・・・





1772
Reply 孤独論序説 久保AB-ST元宏 URL 2009/04/06 01:00


Communication breakdown♪ It's always the same♪
Mr.外笑's having a nervous breakdown♪ Drive me insane♪
>同時多発的 多数の人

■もちろん、『共犯新聞』立場は、エヴリヴァディ・ウェルカム♪なんだけど、どこかで(ゆがんだ?)「厳しさ」(笑)が、ある。
それは、昨年、私が書いた映画評などに「孤独」という言葉が繰り返し、照らす角度を変えて用いられていたこととも、つながっているんだけど。
ミカキチは、そこんとを早い時期に指摘していたけど、彼女からさっき届いたメールを盗用して(笑)話題を続けると、
「外部への緊張感、とか、自分への客観性、みたいなものを私が重要視してることが解った。」
ってことだと思う。
まぁ、彼女は違うことを言いかけていたのかもしれない。でも、本質的なことを語るとき、するりと遠くまで流通できる言葉が登場するというもの。
ここらへんは、もしかしたら近い将来、『共犯新聞』1面トップ記事に、「孤独概論」って題で(笑)書くかもね。
■それを補足説明するかのような記事が先日の朝日新聞に掲載されていたので、下記に盗用する。

よかった、もういない人にメールを書いていたんじゃなくて。

■まぁ、松本健一はいっつも、何を書いても&語っても、北一輝にこじつけちゃうんだけど(笑)。
上に書いてあることを、また書き写すことは愚かだと分かっていて書けば、
ほらここにも友だちがいるよ、なんてことは必ず国家や権力が言い出す」。
そんな誘惑に抗して
友だちなんてどこにもいないんだと考え、
個人的な妄想を組み立てるそれが本当にインパクトのあるものなら、友は必ずついてきますよ。
それを、考える材料としての時代背景は整っているんですから」
ってことがすべて、だ。
『共犯新聞』のエヴリヴァディ・ウェルカム♪の立場を担保しているのも、この感情だ。
で、君も知ってのとおり、私はずっとこのまんまなんだよね。君と出会った1981年よりもずっと前から。
そして、まるでオカルトのように(笑)今もそうなんだよ(笑)。
「♪別に仲間なんて 一人か二人いればたくさんだ 完成する前に壊したくてしょうがないような奴らばかり」 〜ゆらゆら帝国「男は不安定」(2001年)より
「♪裏切られたい友情を あちこちにでっち上げ 全てがダメになる今夜 全てをゲームだと思い 〜久保元宏「空中ピラミッドの生活」(1984年)より




1773
Reply わがままで能書きだらけの悪餓鬼が自由に遊ぶべく選んだ場所  外笑
2009/04/08 20:04


 今回の久保のコメント分から、久々に ゆらゆら帝国のユーチューブを
拾い上げて すっかり堪能しましたよ。
 アルバム録音センスや単純なはずなのだが斬新で妙なアレンジ、そして何よりライブ
ショウならではのギミック(でいいんだったかなぁ^^)。
 坂本新太郎のギター弾きながらの、よれよれステップ。表現力ゆえ、
ここまでやるロックバンドは、ゆらゆら帝国と昔のアブノーマルストリッパー
以外には なかなか無いねー(笑)。

 どうですかねー 流行と言葉と文章力と 上手い(恐るべき低次元の評価)という
価値判断で演奏し、そして歌う バンドさん ラップ仲間さん!!そして 人間さん^

 あなたたちは これからも 自ら作ったんではなく 

 作られた 遊び場 で  遊びたいん    ですよね ^^・・・







1774
Reply 共犯とは、優しさの事ではないかしら。 久保AB-ST元宏 URL 2009/04/08 23:56


I-hi, I can't quit you, babe
So I'm gonna put Mr.外笑 down for a while
>久々に ゆらゆら帝国のユーチューブ

■この今夜2時から、脳味噌のなかでパーティがあるんだ。だれかぼくを山の上に飛ばしてくれよ。へのドイツ人らしき者からのコメント、
Youre not alone in europe YYT! I'm from germany and I love your great tracks with true emotions!
が、「孤独概論」の補足にそのままなってるね(笑)。




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Reply はじめ僕はひとりだった・異邦人・愛と同じくらい孤独 ミカキチ@ろーら URL 2009/04/14 06:28


□喪中だった久保兄宛てには出していないけれど、今年の私の年賀状はこの松本健一の記事冒頭に紹介されている石川美南の短歌

 『みるくみるくはやく大きくなりたくて銀河の隅で口を開けをり』 と

 口をあけてるひな鳥のイラストだったの(笑)

 丑年だから「みるくみるく」だったんだけれど、それに気づいた人は少なかったかも・・・・。


□石川美南は、1980年という、1970年以降生まれ派(←勝手に私がカテゴライズしてる)の中でも最若手だけれど、ものすごくいい。
 短歌も素晴らしいんだけれど、エッセイというか、文章も、なかなかいいのです。川上弘美みたいな感じ。
 で、この「川上弘美みたいな感じ」って、それこそ「椰子・椰子」とかの川上弘美みたいな感じ、ってことなんだけれど、
 真似してしまってすべる凡人が続出しそうな、そんな誰にも実は「真似では出来ない」とこがなんか似てるの(笑)
 頭の良さとリズム感と、自分のリズム感への客観性。 ってことかなあ。

 石川美南の短歌は、こんな感じ。

 「手品師に書く、手紙書く、てのひらの微かな温み感じつつ書く」
 「嬉しさうに報告されてゐたりけり『薔薇(ROSE)とエロス(EROS)はアナグラムです』」
 「みんなみの風が吹いたらみんな飛ぶ鳩ホッチキス花びらふたり」
 「あきらめてゐるから平気 微笑めば羊の群れが背後で動く」
 「失ひし言葉を捜す旅路にてななたび落とす命の話」

 写真の人と一緒にホームページもやってます。
 『山羊の木』http://www.yaginoki.com/

□「孤独」について書くこと(語ること)は難しいね。
  たぶん、自分についてとか、生きることについてとか、人間についてとか、文学についてとか、
 そんなことについて語ることが難しいのと全く同じ意味で難しいんだろうね。

 私は子供時代、本当にものすごく寂しかった。
 どこに行きたい、とか何をしたい、とか、そんなことが全て消えてしまうくらい、
 自分が「寂しい」ということしかなくって、それに支配されてしまわない為に何をしたらいいんだろう?
 どんな努力が自分に出来るのだろう。
 と、そいういうことを考えていたと思う。

 で、子供時代はやっぱり、「解ってくれる友達」が欲しい、という風になるよね(笑)
 たった一人でいいから、自分を解ってくれる人さえいたら、他は全て我慢する、みたいな。

 でもまあ、すぐに、
 「ああ、友達っていうのは幻想なんだな。
  憧れが創り出した概念に過ぎないんだな」って思うようになる。
 
 大人になってから眺めると、子供らしい、怖がり故の結論だなってやっぱり思うけれど、
 人生の初期に下す仮の解としては、まあ妥当だよね。
  
 その先の手さぐりが、まあそれぞれの青春(笑)なんだろうけれど 

 私の場合は、内側では一人ぼっちのままでもいいから、外側だけは独りでなくなりたいと思ったんだ。
 解って欲しい、のが目的なら、「判り易い」自分を提供して、人と繋がっていよう、と、そう考えたの。


 中途半端にそれをやっていれば、中途半端に無事幸せになれた気もするんだけれど、
 何事もやりすぎる私は、徹底してそれをやったために、あまりに外側と内側のバランスが悪くなりすぎて、
 表面的には大成功で、自分が望んだ通りの「外側は全く寂しくない」感じの人生が手に入ったんだろうけれど、
 でも全然幸せじゃなかった(笑)
 シャーリーンの『愛はかげろうのように』みたい笑笑だけれど
 「パラダイスも見たけれど 本当の自分は見つからない」ってね(笑)

 自分としては、「本当の自分」なんて幻想を捨ててしまえば、他のものは全て手に入る、
 安全も手に入るって思ったんだけれど、
 そしてそれは実際そうだったのかも知れないんだけれど、
 (下記の松本健一や久保兄の書いてる文章内の、国家や権力が、人間を個人から群集にしようとする罠と誘惑がまさにこれなんだろうから)

 そうして突っ走るには、私には、ちょっと人生は長すぎたね。
 若しくは、私に根性が無さ過ぎた、とも言えるし、
 私が抱えていた、内側の独りぼっちは(私には)大きすぎた。

□で、結局私は外側も独りぼっちでいいやと思って外側を捨ててしまうことにしたんだけれど、
 その途端に、実はその「独りぼっちの内側」を抱き締めて生きてる人たちが一斉に、浮かび上がるように目に入って(笑)
 本当に、世界中に点在してるたくさんのまだ、出会ってない人までもが一気に感じられるようになって、それ以来私は、ある意味全く寂しくはなくなってしまったんだけれど(笑)
 
 だけど、そうして「寂しさ」から解放されて始めて、私はちゃんと「孤独」について考えることが出来るようになった気もするんだ。

 それまで、いろんなことを、そこにぶち込んでごちゃごちゃにしていたことに気付いたから。

 例えば、若い頃って、やっぱり「寂しい」ことには、実は傷付いていたりする。認識しようとはしないけれどね、益々自分が惨めな気がしてしまうから。
 でも、やっぱり「寂しい」っていうのは、生き物にとっては不当なことなんだと思うんだ。
 だって、特別な何かをしていなくたって、ただ生きてるだけで、結構大変なものだからね、自分を維持しているのは・・・・・
 それを全く「無視」されていて、平気なわけはないよね。
 だけど、それを(自分が傷付いていること・不当だと感じていること・実は「怒って」いること)を
 どこかで「恥じて」いる。

□自分の「孤独」を抱き締める、ということは、
 自分の人生は自分のものなんだとはっきり認識することなんだとも思うんだ。
 つまり、自分の人生の主権を自分で握るということ。

 自分を振り返って思うけれど、私はそうして成人してからもう独りぼっちでいいやと思うまで、
自分の人生が自分のものだと思っていなかった。そのことに、そうなるまで気付かなかった。
 つまり、周囲に「借りがある」と考えていて、その「借り」を返してしまうまで、
 自分の人生は自分のものにならないと思っていた。
 たぶん、そういう呪いにかかってる子供ってけっこう多いと思う(笑)
 その呪いから生徒を自由にする為に、はる先生とか闘っているんだと思うんだよ。
 だって呪いを解けるのは、本人だけなんだけれど、
 呪いという檻の中に隠れている方が、楽だからね。
 そこにしがみついて、そのまま羽化することなく一生を終える子供たちを量産する繰り返しと
 呪いの連鎖っていうのがあるんだと思うの。
 
 そしてそこを「弱み」として、そこを培養地にして、
 何か大きな力と流れが動こうとしたりする、 っていうことなんだと思うんだ。

□「ごちゃごちゃ」に話を戻すけれど、「孤独」概論から話はズレてるかも知れないけれど、
 「寂しい」とか「独りぼっち」とか「孤独」とか「解って欲しい」とか「友達」とか
 「肯定・否定」とか「信じる」とか「認識」とか、
 それぞれ、重なって存在していて、でも、実はそれぞれが微妙にちゃんと別個に存在して
 成り立ってるものなんだよね。
 自分の「孤独」を抱き締める、というのは、そこに自分が「埋没する」ことではなく、
 そのごちゃごちゃから、それらを摘み出して検証し、それらに「囚われない」ように
 自分を律することなんだと思う。
 寂しさを捨てるわけでも、解ってもらうことを諦めるわけでも、孤独から逃げられるわけでも、
 愛を得られるわけでも(笑)実は、無いんだと思うんだ。
 いわば、孤独を自分の財産とか才能としてドライヴすることを覚える、ということなんだと思う。

□孤独って「才能」なんだと思うの。それは「感じる心」そのものだと思うから。
 
 そして、どんなものもそうだけれど、重量が大きいと、大きな仕事も出来るけれど、
 それを担いでる人を押しつぶしてしまう危険もある。
 だから大きな孤独を抱いてる人は大変だと思うよ。
 (それは、別に他人との比較の問題ではなく、私のように、人と比べたらタイしたことなくても、自分が自分のせいで押しつぶされてるって自覚だけある、っていうパター

ンもあるが・笑)

□「孤独」とは何か、を考えてしまったり、
 「友達なんていないんだ」と思おうとしなくてはならない、ということ自体が、
 もう既にごまかしようなく、誰のせいでもなく、
 「そうは言ってもやっぱり、人を求めずにいられない」ということなじゃないかな、と思う。
 「独りでだけ生きているのではない自分を認識し、
 自分だけの快楽だけではもう幸せにはなれない自分を自覚している」
 とも言い換えられるかな。

 「寂しい」とか「友達が欲しい」から出発して「孤独」に辿り着いている、のではなくて
 「人を求める気持ちを、どう定義づけて、肯定したら、自分は間違わずにいられるのだろう?
 こういうことで(自分も含めて)誰かが傷付いてしまう、という辛さから、
 どうやったら人間は自由になれるのだろう?」
 という問いかけこそがスタートだったんじゃないかな・・・・

 そんな風に思ったんだ。

□孤独とは、自分という輪郭を持つこと、とも表現出来るんじゃないかとも思うんだけれど、
 その輪郭をそれぞれが持ち合うことから「関係性」も生まれる。
 そうして生まれたものを互いにその都度「捉え直し」ていくことが
 また互いの輪郭を創り合う。トリミングしあう・・・・

 そしてその輪郭は有機的に常に揺らいでいるものなんだよね。
 生きてるんだからあたり前なんだけれど。もちろん、「関係性」も。
 そうやって、ずーーーーっと前の私の書き込みへのレスで久保兄が「ダンスだ」と言ったのが正にそのことだと思うけれど、それはダンスを踊るようなものなんだけれど、
 ただ、難しいのは、そうして関わった相手(や状況)には、人は責任があるからね。
 そこから先が難しくなってくるんだと思うの。

□「うつろい」ながら責任を果たし続けることの難しさというか・・・・

 「責任」について語ることもまた、難しい。もしかしたら、「責任をとる」ことより、責任とは何かを正しく認識することの方がはるかに難しいことなんじゃないかと思う


  それはまず、相手に「要求」をすることから無縁では成り立たないことであるから。
 つまり、はっきりと「関わる」ことを要求することだから。

 理解を求めること、認識しあおうとすること、つまり「関わる」こと「求めあう」ことは
 ほんの僅差で「縛ろうとすること」「脅迫すること」と似てしまう。

 
 「友達」「信じる」「愛」という言葉に懐疑的になってしまいがちなのは、
 その辺が大きいことが多いのがそういうことだよね。
 つまり、そこに存在した「関係」に誠実であろうとすればするほど、
 まるで相手に対する脅迫や決め付けになってしまいそうで、
 誠実である人をほど、追い詰めてしまうのではないかという恐れね。
 ほんとうは単に友達になりたかっただけなんだけれどね。
 って、ボブ・ディランの歌詞だけれどね(笑)

 与える一方、愛を注ぐ一方、許す一方だけでは
 友達にはなれないからね。
 
□責任をとる、ということは、不動になること、強固な壁として立ってみせることで、
 そうしてしまえば簡単だし楽。
 という風にも、単純には言いたくはないしね。
 だって、本当にそうするしかない場面だって、立場だって実際にはたくさんあって、
 そうして路傍の石になった物語はあちこちにあるし。
 それはやっぱり大変で辛いことだと思うから。

 ただ、それを美談とすることで、抵抗出来ない誰かを人柱にして物事を納めていくやり方が存在してることに対して、敏感でい続けることを、やめるつもりはないというだ

けのことなんだけれど。

□自分の孤独を自分で抱き締めるようになってから、寂しいとは思わなくなったと書いたけれど、
 痛いなあ、と思うことはやっぱりあって、
 それは、例えば自分を認識してくれている、自分と「目が合った」ことがある人が、
 私を見捨てようとしてるのが解る時(笑)
 より解りやすく説明すると、助けを必要としてる私に気付くだけの能力がありながら、でも、
 自分が犠牲を払ってまで私に加担する気はない、とはっきり判断してるのがわかる時。
 つまり、それだけの価値はお前にはない、と言われてると感じる時。
 それを辛いと感じなかったら嘘だよね。
 ただ、それを「不当」だとは感じないんだ。
 自分が「否定」されることは辛いこと。でも、そのことに「恨みを持たない」でいられる、
 というのは大きな力なんだよね。

 だって、その向こう側、「感じた痛み」の向こう側が、私が行きたい場所だと
 もう気付いたということだから。
 その手前で誰に見捨てられても、自分さえ自分を見捨てなければ、
 その痛みが見せてくれたものを持った私を必要とする出会いがあるってことを、
 もう経験したってことだからね。


 「感じる心」が才能である、っていうのは、そういうことだと思うの。
 才能とは、たくさんのものと出会わせてくれるもの、ってことなんじゃないかな。
 そして、そうやって「出会う」為に生まれてきたんだし、
 本当は、そうやって「求めることをする為に」生まれてきたのが、
 本来の自然のいのちの姿なんだって思うんだ。

 そして、才能は、それを乗せて生まれてきた人のものだけではないということも。
 それは正の才能も、負の才能も、どちらもなんだけれどね。

□本当は、「孤独」については、「自分」と「他者」ということで切り拓いて語って、
 文学としては90年代初頭にニューヨーク周辺でちょっと流行?した
 ミニマリズムに関連して書いてみようって思っていたのに、
 全然違う方向に流れちゃった(笑)

 それにやっぱり上手く書けなかった。上手く書こうとしたわけじゃないけれど、
 話があちこちに飛び過ぎだし、端折った部分がロマンチックなオチになってて、
 そこがまるで逃げになってるような緩さになる危険があって、ダメだね(笑)

□でも、〆として、「ごちゃごちゃ」という言葉から思い出した、
 サン・テグジュペリの『星の王子さま』に出てくる私の好きなシーンについて書くよ。

 王子さまが、主人公に対して、ものすごく怒る場面があるんだよね。
 もう、真っ青になってカンカンになって怒るの。
 その時の王子さまの台詞が
 「きみは、なにもかも、ごちゃごちゃにしてるよ・・・
  まぜこぜにしてるよ・・・・」
 なんだけれど。
 
 私が好きなのは、その、怒ってる原因より、その王子さまが「カンカンになって怒った」
 っていう事実なんだと思って。そう、今回思い出して、改めて思って、
 ちょっとしみじみしてしまったの。

 子供の時、若い頃、私が傷付いたことがあったとしたら
(一番寂しいと感じたことはナンだったかと考えたら)
 それは「退かれた」と感じた時だったな、と思ったから。
 共有していた、一緒に責任を負っているんだと思っていたことから、
 一斉に周囲が退いて、関係ないと、降りてしまわれた瞬間の気持ちっていうか。
 関わったら損、と見做した瞬間に全員が手を引いて、
 それに(自分が降りたことに)正当な理由をつけることに
 残りのエネルギーを注いでることに気付いた時、というか。

 そして、私の周りには、だから、ちゃんと「怒る」人ってあまりいなかったな、って。
 誰も怒るほど、「関わって」見せなかった。
 怒るって、同じ土俵にのってる表明だからね(笑)これまた、つい先々月に
 このゲストブックでも話題にしたことだけれど。
 私はたぶん、そのことが寂しいことだと思っていて、
 そのことに傷付いていたのかも知れない。 
 自分が生きてる世界で、誰も怒るほど真剣になってみせないのだとしたら、
 自分が「そこにいない」ことを証明することに全てを使い果たしているのだとしたら
 それはすごくつまらなくて寂しいことだから。

 だから、怒りまくってる王子さまのシーンが好きだったんだと思う(笑) 
 きっとこの飛行士の主人公が王子さまを好きになったように。

□バカにしか見えないと思うけれど、ちゃんと「カンカンになって怒る」ような
 そんな場面がある人生を自分で生きていたいと思うよ。
 それだけ真剣になる価値のあるものと、ちゃんと同じ地平で
 何かを分かち合って担い合って生きていたい。
 そして、自分の感じる心の分だけ、全部の痛みを逃さないでいたいし。
 そうやって、自分の孤独が見せてくれるものは全て、
 自分の痛みを使い切って生きていたいから
 まず、体力つけなくちゃね(笑)

 『仲のよいあいてができると、ひとは、なにかしら泣きたくなるのかもしれません』
    ・・・・内藤濯訳 サン・テグジュペリ「星の王子さま」第25章ラストの一行





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Reply 「孤独論」の終わり、と、孤独の終わり。 久保AB-ST元宏 URL 2009/04/18 02:45


How many more times
Treat me the way Ms.ローラに花束を!ろーらああっミカキチ wanna do?
>口をあけてるひな鳥のイラスト

■ミカキチは私のことを、「久保兄(くぼにぃ)」と呼んでくれているけれど、
”兄”とゆー文字は、「口をあけてるひな鳥のイラスト」みたいだね(笑)。

>自分のリズム感への客観性

■ああ、それって「表現」の重要な伴走者だね。
それがあるか、無いか、とか、多いほうがいい、とかが数値的に表現の質に比例して投影されるのではなくて、
表現者が表現するためのツールとしての要素のひとつだ。
で、この要素のユニークなところは、「無い」とゆー選択肢もあるし、むしろ「無い」場合が良い場合もある、とゆーこと。
たとえれば、肥料を使って野菜を育てる場合、肥料を使わ「無い」から、どれだけ使うかまでの選択肢があり、どれが有効かもまた生産者側の「表現」技術となる、ってなことだね。
■そしてこれは「現代」になるにしたがって重要度は増しているよね。
つまり、現代の表現とは、表現者だけで完結せず、オーディエンスの立ち居地によって最終的形態となる、ってことだから。
ここに含まれる「問題」として、「芸能」とか「収益」とか「パフォーマンス」などの現代「表現」ならではの重要なキーワードがあるんだよね。
(これらを考えることも、楽しい・笑♪前田愛とか、山口昌男、ベンヤミン、レヴィ=ストロース、ヤコブソンらの研究テーマでもあるな。)
■また、「セルフ・プロデュース」とゆー概念を導入して考察してみるのも面白いよね。
やっぱ、その代表はアンディ・ウオホールだな。
「売る」とゆーこと、売る「形態」も、「表現」にしたんだから。
自分が「大金持ち」であることすら、ウオホールは「作品」にしたんだと思う。
ここ、重要だよね。
<自分が「有名」であることすら、ウオホールは「作品」にした。>ってとこまでは凡庸な(笑)美術評論家は語るかもしれないけれど、
なんせ『共犯新聞』の社主は、ヤミ米屋だから(笑)考えるレベルが違う(笑)。






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Reply 続 ★ 「孤独論」の終わり、と、孤独の終わり。 久保AB-ST元宏 URL 2009/04/18 02:47


薔薇(ROSE)とエロス(EROS)はアナグラム

石川美南ってホントに期待されてんだね。
私がここのゲストブックに引用した『朝日新聞』の松本健一へのインタビューが掲載された2009年4月3日の二日後から同じ『朝日新聞』で始まった、
「気鋭の歌人、俳人、詩人の新しい作品を紹介」する新連載「あるきだす言葉たち」の初回が、いきなり石川美南だったよ。
こんな新作が掲載されていたよ。
 「私だけ覚えておけば良い名なり 枕木に降る柔らかな雨」
■ただ、松本健一がインタビューで引用していた石川美南の短歌、
 「飛ぶ夢を見た罰として永久に地上を走る地下鉄がある」
ってのは、私には友部正人の曲「銀の汽笛」モロ、に感じちゃうんですけどー。

 「暗くなった罰として
 夜を牢屋に閉じ込めた
 月が逃げださぬよう
 鉄格子を三本 窓にはめた」

>「孤独」について書くこと(語ること)は難しい

■そうは言っても、さすがミカキチ。今回のミカキチ風『孤独論』もすばらしかった。
おそらく、孤独を考察した論考においては、現在のところ人類が到達した最前線であることは間違いない。
これだけで新書を一冊書き上げても、世界中の多くの人の永遠のバイブルになりうるだろう。
そーゆー意味でミカキチのカキコミは完璧なのだが、唯一、問題があるとすれば、それが辺境のホーム・ページのたかがゲストブックに書かれたとゆーこと(がくっ。)。
しかし、ミカキチが「孤独」について考え抜いてくれたカキコミのおかげで、もう私は「孤独」について考える必要はなくなった。
言葉は、(次に進むために)終わらせることもできるのだ。

>どんな努力が自分に出来るのだろう。

■優等生の憂鬱(って書くと怒られるかな・笑)。
もしくは、若くて細かったころの(笑)松村雄策が書いていた、「美人だからこそある、辛さ。」。
■って、その松村雄策のコトバを正確に書き取ろうと彼の著作を読み返していたら、
『アビイ・ロードからの裏通り』(1981年)に下記のコトバが引用されていた。

 アーティストである事は、少しも楽しくはない。
 それは責苦だ。何も知らないバカのためにパフォームする事にいきどおりさえ覚えてしまう。
 彼等は、何も感じる事ができないのだ。
 感じているのは、私だ。表現しているのは、私なのだ。
 (ジョン・レノン)

これこそ、エリック・ドルフィーやトールさんのそれだと思う。

>解って欲しい、のが目的なら、「判り易い」自分を提供して、人と繋がっていよう、と、そう考えたの。

■『アビイ・ロードからの裏通り』(1981年)をもうすげー久しぶりにパラ&パラしていたら、
買った当時の19歳の私がライン・マーカーで引いた部分が目に入ってきた。

 「マイ・ラブ」のような薄汚ないのとは、訳が違う。

これは、雑誌『ロッキング・オン』1974年4月号に掲載された文章の転載なんだけど、
当時の新譜、ポール・マッカートニー&ウィングス『バンド・オン・ザ・ラン』のレコード評の中の一行。
これを読んじゃったから私はいまだにポールのアルバムの中で、「マイ・ラブ」が入っている『レッド・ローズ・スピードウェイ』は持っていない。
他のポールのはほとんど持っているんだけどね(笑)。
■まぁ、ただ、今にしてよーやく私でも、「薄汚ない」の必然性は、<解って欲しい、のが目的なら、「判り易い」自分を提供して、人と繋がっていよう、と、そう考えたの>だからだと思えることができるようになった。
■ザ・ビートルズに堕ちた者は、たとえジョン・レノンにしびれ、ジョージ・ハリスンのルックスに憧れ、リンゴ・スターに癒され(?)たとしても、ポール・マッカートニーから逃げられない。
つまり、分かり易すぎる謎としてのポール・マッカートニーが、いつまでも、デン!と居るのだ。
■そう思えば、ジョン・レノンの「孤独」は分かりやすい。
むしろ、ポールの「孤独」のほうが分かりずらく、複雑のような気がする。
そして分かりづらく、複雑な「孤独」のほうが、重たいのだろう。
もちろん、重たかろうが、軽かろうが、「孤独」は本人の絶対的な問題であって相対的な位置関係がどうであるかは興味の外なんだろーけど。

>孤独って「才能」なんだと思うの。それは「感じる心」そのものだと思うから。

■たとえば「才能」を昇華するものとして、「表現」があるけれど、
「表現」に興味の無い者にとっては、やっぱ、孤独はわずらわしいものにしかすぎないよね。
だったら、「表現」に興味を持ってもらうのが、いい。芸術の役割とは、そんなとこにもあるよね。
■さっき、ジョンとポールの孤独の比較で、<「孤独」は本人の絶対的な問題であって相対的な位置関係がどうであるかは興味の外>と書いたけれど、
それは、この孤独を救う装置としての表現(=ゲージュツ?)の前ではまた違う顔色で登場することになる。
■とどのつまり、孤独とは「違う」から孤独なのだろう。
そこで、無数に存在している「違う」に対しての価値観がどうであるかで、個の立ち居地が決まる。
違和感が、相対性を導き、芸術のモードが構築される。

>他人との比較の問題ではなく、私のように、人と比べたらタイしたことなくても、自分が自分のせいで押しつぶされてるって自覚だけある、っていうパターン

■分母と分子の個人差。
もしくは、「社会的」な分子と、「個人的」な分母がごっちゃになったままドライヴしちゃっている不幸。

>人を求める気持ちを、どう定義づけて、肯定したら、自分は間違わずにいられるのだろう?

■ミカキチが自分のブログにジャバラのライブ・レポートの中で書いていた、

 笑い満載で
 客が酔っ払ってくれてた方が気楽、
 なんてMCが入るようなステージなんですが
 私はこの3人の
 実はそれぞれすごく根が暗いところや
 気持ちが優しすぎて
 何か言おうとすると
 鋭いことしか云えないような、
 若しくは黙って
 何かをいちいち受け取ったままになってしまうような
 そんなところ、
 そしてそれを互いにきちんと
 音楽をやる上で受け止め合ってる処が好き。

って部分、すげーよくわかるよ。

>「責任をとる」ことより、責任とは何かを正しく認識することの方がはるかに難しい

「責任をとる」ことが、責任なんかじゃないっ!
って叫びたくなることが多い現代。

>「関わる」ことを要求することだから。

■バベルの塔の神話じゃないけれど、
神はわざと人間同士が分かり合えないようにしておいて、
その「分かり合えな」さが巻き起こす磁場のエネルギーで、「進化」を期待したのかもしれない。
■何度も書いたことだけど、
「労働」とは「社会」にコミットメントするための道具だな、やっぱり。

>私が好きなのは、その、怒ってる原因より、その王子さまが「カンカンになって怒った」
 っていう事実なんだ

「傲慢(ごうまん)」って、生産的なんだな。
■もしくは、「傲慢」って、真剣(=正直=裸?=捨て身?)。
だから、傲慢になるときには、何も守らない覚悟で傲慢になろう♪
■傲慢とほぼ同じ意味で、「倨傲(きょごう)」とゆーコトバがある。
で、プライドってなほどの意味なんだろーけど、「矜持(きょうじ)」ってのもあるよね。
プライドは大切なものかもしれないけれど、傲慢や倨傲に摩り替わる危険があるよね。
文芸評論家の故・磯田光一が太宰治を論じた中に、次のような文があるんだけど。

 だが、「てれる」とはどういうことであろうか。
 「てれ」は対人関係にのみあらわれる。自信の強い健康者は、「てれる」ことには縁がない。
 また、底意地の悪いひねくれ者は、「てれる」代わりに心をこわばらせる。
 他人に冷笑されたとき、自分の正しさを信じうる人間は、たとえ彼が被害者であろうと、精神的には倨傲(きょごう)な構えをもった人間である。
 そういう倨傲な正義派にたいして、太宰がどのくらい嫌悪感をいだいていたかは、彼の作品がそれを証明している。
 「てれ」とは何よりもまず謙虚な心のあらわれである。
 自分の内部に誇るべきものがなく、ただ自己卑下の心をもって恥ずかしそうに笑うのが、「てれ」である。
 それは孤独のむなしさを知った孤独者が、せめて他人とのつながりを回復しようとするときに、いやでも身につけざるをえない姿勢である。
 そして太宰は、「てれる」ことを通じてのみ、この世の生活とつながることができたのである。
 それは孤独の底にひそむ「やさしさ」となってあらわれる。

■ミカキチが王子さまが怒ったことが好きなのには、「怒り」からもっとも遠い「童話」であるかのような『星の王子さま』が「てれ」の孤独に小さく閉じられる物語を砕いたから、だと思う。
確かに、ここには示唆するものが多い。

>関わったら損、と見做した瞬間に全員が手を引いて、
 それに(自分が降りたことに)正当な理由をつけることに
 残りのエネルギーを注いでることに気付いた時、というか。

■店じまいの「政治学」

>誰も怒るほど、「関わって」見せなかった。

「いばる」ことが苦手な人種は、ときに「いばる」と「怒る」を、「なにもかも、ごちゃごちゃにして」&「まぜこぜにして」しまっていたね。
私たちに必要なことは、「てれ」や「黙認」じゃなくて、「いばる」を丁寧に除去した「怒る」なのかもしれない。

>自分が生きてる世界で、誰も怒るほど真剣になってみせないのだとしたら

■ちょっと、まぜかえしの挿入になっちゃうかもしれないけれど、
「傷だらけのロ〜ラ」でご存知のゲーノー人=西城秀樹(53歳)は、『朝日新聞』のインタビュー記事「おやじのせなか」(がくっ。)で次のように父を回想している。

 やさしくはできても厳しくはなかなかできない
 それも感情で怒るんじゃなくて、愛情を持った怒り方。
 親になった今、父はすごかったなあと思います。

>まず、体力つけなくちゃね(笑)

■なるほど、「怒る」のにも、(勝手に・笑)「孤独」になるのにも、体力は必要なんだなー。
でも、ミカキチは「考える」体力は間違いなくあるよ。
体力って興味に正直なのかな。

>『仲のよいあいてができると、ひとは、なにかしら泣きたくなるのかもしれません』

「不良とは、優しさの事ではないかしら。」 〜太宰治「斜陽」(1947年12月)より
「♪憎み合うバランス覚え 信じる勇気を失って」 〜久保元宏「失われたヒヤシンス」(1983年)より




1785
Reply 孤独論に思うこと はる
2009/05/12 17:47


こんにちは。
一昨日まで、jimono先生ファミリーと、もう一家族と岩内にある
私の親戚の所有するコテージに2泊3日でステイしていました。
jimono先生が教師とロックンローラーという顔以外にも、
薫製の達人の顔も持っていることが、発覚しました。
彼の作るベーコンは、今までのベーコンの常識を打ち破る、まさにロックンロールな一品でありました。あれは、ヤバいです。
今思えば、共犯新聞上で、jimono先生の存在を知ってはいたのですが、
エミリーと仲のよい同僚の先生と、jimono先生が同一人物だと気づいたのはいつだったのか、思い出せないのです。
久保さんが教えてくれたのかなあ。
そのコテージはログハウス風で天井が高く、大変音響がよさそうなので、いつか、共犯ライブをやりたいねー、なんて話もしてました。
おもしろそうですね。
jimono先生と初めてちゃんと話して思ったのは、
みかさんがだれかのバンドのライブ評で書いていた、「気持ちが優しすぎて
 何か言おうとすると
 鋭いことしか云えないような」
という人だな、ということでした。
そのときは家族と一緒でリラックスモードですから、そんな風でもなかったのですが、
きっと現場で闘っているときは、そうなんだろうな、と思えたのです。
素晴らしい奥さんが側にいて、こんな休日があるからその闘いを続けていけるんだと思いました。それは壮絶なものに違いないからです。

さて、私はずっとみかさんの「孤独論」について、書きたいことがあって、
やっと今、書けるようになりました(タイミングと脳の状態が)。
初めて私がみかさんのことを、「本当の孤独を知る人」と書いたときは、
本当に勇気が必要でした。
心からみかさんの才能として認識し、それを乗り越えるまでの茨の道についても敬意を持って、あえてそう表現したのだということが、本人に届くのか、と心配だったからです。
そして、管理者である久保さんも大いに焦ったと思います。
それについては謝りたいです。
「孤独であること」と、「孤独を知ること」は、全くと言っていいほど違うことです。
それをみかさんによって、鮮明に感じることができたのです。

□自分の「孤独」を抱き締める、ということは、
 自分の人生は自分のものなんだとはっきり認識することなんだとも思うんだ。
 つまり、自分の人生の主権を自分で握るということ。

 自分を振り返って思うけれど、私はそうして成人してからもう独りぼっちでいいやと思うまで、
自分の人生が自分のものだと思っていなかった。そのことに、そうなるまで気付かなかった。
 つまり、周囲に「借りがある」と考えていて、その「借り」を返してしまうまで、
 自分の人生は自分のものにならないと思っていた。
 たぶん、そういう呪いにかかってる子供ってけっこう多いと思う(笑)
 その呪いから生徒を自由にする為に、はる先生とか闘っているんだと思うんだよ。
 だって呪いを解けるのは、本人だけなんだけれど、
 呪いという檻の中に隠れている方が、楽だからね。
 そこにしがみついて、そのまま羽化することなく一生を終える子供たちを量産する繰り返しと
 呪いの連鎖っていうのがあるんだと思うの。

ここの記述で思い出したことがあって。
かつて、勤務校に強烈な生徒が入学してきて、彼は50代の教員でも、
女性教員を見たら、驚くほど過激な性的暴言を吐く生徒でした。
対教師暴言で停学に入れることもできたでしょうけど、それで何かの解決に繋がるとは到底思えないし、とりあえず、生理的な嫌悪感は殺して、できるだけ普通に話しかけることにしてたんです。
それで、彼から出た数少ないまともな言葉が「俺、何であの家に産まれちゃったんだろう」だったんですよね。
それを聞いてからしばらくは、その言葉が頭から離れなくて、何をすべきか悩みました。
その子は教師の心の揺れを読むこともできたし、どうやれば人の心を乱すことができるのかを心得ていたし、頭脳も明晰だったと思います。
何か話す機会が持てれば・・・と思っていました。
結局、いろいろあって学校は辞めてしまいましたが、まさに家庭の呪いにかかっているケースだったと思います。
あの頭から離れなかった言葉は、私にその子が家庭という密室の中で、どんな屈辱的な体験をし、どんな惨いものを見せられたのか、それを考えるとやはり、何もできなかったことを後悔してしまいます。
やはり、本当にいやだと思ったこともあったから、逃げて時間を無駄にしたのではないか、とも思うし。呪いから解き放つことはできなかったにしても、
自分の人生が自分のものであることに気づくきっかけを、与えられたかも・・・なんて、今更ながら思う。
何を言っても今となっては偽善的な感じがしてしまうので、これでやめます。
いや〜それにしても、美唄での、久保家、みかきち家の遭遇、面白い〜!!
みかきち家がそろって、沼田に行ったのも、すごく意味のあることだし、本当に感慨深いことだと思います。家族のスタートラインみたいな場所だろうから。
そして因縁の場所というのか・・・。
今は、仁木町にいらっしゃるようですね。
さっきメールがありました。
仁木町での花見、いいな〜♪
メールの内容もあとからゆっくり読もうっと。
私、ブラキストンラインの話って、どんな話でも大好きなんです。
何だか動植物や海流や地形など、自然全般の神秘を感じられて、しかも身近な話だから。
ちらっと読んで、後からのお楽しみに取って置くことにしました。
みかさん宛のメールもまとめて書きますね。
私のシワだけにシワの少ない脳みそでは、まだ理解できないことも多いし、
読んだことによって、新たな興味も涌いたので、
「孤独論」はまだ終了したくないのですよ。
久保さん的には孤独論と孤独を同時に終わらせたいのかも、と思うのですが。
全くの別物と見なすことはできると思って。
もう、我々、人と人とがどう繋がっていくかってことは分かっているし、
もう偶然とか、何となくなんてものでは片づけられないって事が、そういうことでも十分証明できていると思うんです。
はる






1786
Reply 孤独は、誤読のごとく。 久保AB-ST元宏 URL 2009/05/13 12:08


I'm gonna send Ms.はる先生、授乳の後は、授業ですよ!HARU back to schoolin'♪
Way down inside, a-honey, you need it♪ I'm gonna give you my love♪
I'm gonna give you my love, oh♪ Wanna whole lotta love
>彼の作るベーコンは、今までのベーコンの常識を打ち破る、まさにロックンロールな一品でありました。あれは、ヤバいです。

■けだものの肉は、なぜおいしいんでしょう。
私たちは、おいしいものへの能動的参加として、ベーコン的なものを作り続けなければならないんでしょうね。
それは、1962年のミックとキースとブライアンが、アメリカから届いたブルースのレコードを、ロックンロールに仕上げたように、ですね。

>エミリーと仲のよい同僚の先生と、たった2回しか逢っていないうちの、最初の1回♪jimono先生同一人物だと気づいたのはいつだったのか

■何度も書いたことですが、私とjimonoさんが知り合ったのは、芦別市のROCK HOUSE『DYLAN』のホーム・ページ掲示板で。
だから私はずいぶん長い間、私、jimono氏、芦別『DYLAN』の、ロックンロール・トライアングル(笑)のイメージを抱いていたんですが、
そこに、jimono→桔梗画伯渡辺貞行画伯→久保元宏、ラインや、
さらに、jimono→エミリー嬢→はる先生→久保元宏、ラインなどが、リゾーム状態にめぐらされて、まぁ、楽しい(笑)。
つまり単純に考えても、もし芦別『DYLAN』が無くても、私は他に2通りの方法でjimonoさんと知り合うチャンスがあった、とゆーことか(笑)。

>そのコテージはログハウス風で天井が高く、大変音響がよさそうなので、いつか、共犯ライブをやりたいねー、なんて話も

■アリーナ席、オトナ1枚。予約しときます(笑)。

>素晴らしい奥さんが側にいて、こんな休日があるからその闘いを続けていけるんだと思いました。それは壮絶なものに違いないからです。

■ジョンもポールもサルトルもダリも、みんな愛妻家でしたもんね♪
私も、ジョン・レノンを見習って日本人女性と結婚して、大成功です。

>管理者である久保さんも大いに焦ったと思います。

■いや、ぜんぜん(笑)。

>「孤独であること」と、「孤独を知ること」は、全くと言っていいほど違うことです。

■そうか。
その確認、とゆーか、前提をお互いが把握していることはたいせつだよね。
ハナシが噛み合っていても、深い井戸のようなところで平行線のように、お互いにまったく気が付かない透明な「誤読」、ってありますものね。

>その子は教師の心の揺れを読むこともできたし、どうやれば人の心を乱すことができるのかを心得ていたし、頭脳も明晰だったと思います。

■最低でも、そこまで見抜いてあげることは、対人関係(?)のエチケットですよね。
が、それを「現場」できちんとできちゃう人が少ないのも事実であると思います。
「何もできなかったことを後悔」してあげられることが、はる先生が教育「現場」に求められるまず最初の存在理由のような気がしちゃいます。

>逃げて時間を無駄にしたのではないか、とも思うし。呪いから解き放つことはできなかったにしても

■私は、ここで言う「呪い」とは、このような分かりやすい(?)不幸ばかりではなく、
幸福や希望の中にも、「呪い」はある、と思います。
ですから私は数年前からの論壇などでの「希望」ブームには懐疑的なのです。

>動植物や海流や地形など、自然全般の神秘を感じられて、しかも身近な話だから。

■う〜ん。私は積極的にそーゆーと(=理科の遊び場?)こには入らないで人生を終えようとしていますが、
やっぱ、鉱物、星座、草花、って理系だけど、文系のキーワードの宝庫なんですよねぇ。
■「ブラキストンラインの話」、と言えば、私もまんざら無関係ではない(がくっ。)メディア『しゃりばり』に、
日本メディア思想界の生き証人、粕谷一希翁が、ずーっと、「ブラキストン線」ってタイトルで連載されています。
月刊で続いての最新は、なんともう第165回(!)。
で、それは、たまたま(?)ブッキッシュな『共犯新聞』的話題。教育のことにまで話題が続いていますよ。

『図書館』……白水社から出された『図書館−愛書家の楽園』を通して語られる“書物”と人間の関係は、現代の「知」の領域をも撃つ。

>私のシワだけにシワの少ない脳みそでは、まだ理解できないことも多いし

■はる先生の苗字は「波(しわ)」。
ローラに花束を!ミカキチの苗字は「羅山(しらやま)」。
キヨシローの名前は、「清郎(キヨシロー)」。
志(こころざし)の時代、ですね。

>読んだことによって、新たな興味も涌いたので

■なるほど(笑)。
私が、「書かれたことによって、終了させることができた」と考えるのと、それはペアですね。
最強のウィンブルドン級ペアかもしれない(笑)。

>もう、我々、人と人とがどう繋がっていくかってことは分かっているし、
もう偶然とか、何となくなんてものでは片づけられないって事が、そういうことでも十分証明できていると思うんです。

■すてき、すぎ(笑)♪




1787
Reply 人にやさしく ・ トラスト ミー ・ ひとかげ  ミカキチ@ろーら URL 2009/05/26 05:52


□ディランでの友部さんのライブ、今年も素晴らしかったみたいだね。
 同時期に北海道を KIKI BAND がツアーってたというので、梅津和時のホームページを覗いてみたら、
 清志郎への追悼メッセージの中に
 『こんな時によく言葉にする「ありがとう」っていうのとはなにか違う気がする。
  誰よりも近くで君の声を聞いていたとしても、君はべつに僕に向かって音楽を発しているわけではなく、聴衆に向かって、いやそのもっと後ろの広い広いどこかに向かって声を発していていたのだから。
  僕はそれが手伝えて、共犯者になれて嬉しかった。』
 と、あったよ。

> ■ただ、松本健一がインタビューで引用していた石川美南の短歌、
>  「飛ぶ夢を見た罰として永久に地上を走る地下鉄がある」
> ってのは、私には友部正人の曲「銀の汽笛」モロ、に感じちゃうんですけどー。

→どうしても調べが付かないし、思い出せないんだけれど、
 そもそも「飛ぶ夢を見た罰として」っていう歌があったんだと思うの。
 で、私は、この石川美南の歌を見た時、その優れた「本歌取り」と感じて舌を巻いたんだ。
 だから、同じものの本歌取りとして、友部正人の曲も存在してるんじゃないかと思っているんだけれど
 「そっか、これだ!!」って判明する日がいつか来るのだろうか(笑)

> ■もしくは、「傲慢」って、真剣(=正直=裸?=捨て身?)。
> だから、傲慢になるときには、何も守らない覚悟で傲慢になろう♪

→80年代後半から90年代前半にかけてだったと思うけれど、
 『ぶ〜け』とかで作品を発表していた漫画家に「清原なつの」っていう人がいて、
 私すごく好きだったんだよね。
 コミクス未収録作品集が最近になって「本の雑誌社」から出たりしてる位だから、
 私のような隠れ(何が隠れ??)ファンが多かったんだろうなあ。と思うんだけれど、
 彼女の作品の、タイトルは忘れちゃったけれど、何かの中に
 「愛されてるからって傲慢になっちゃいけないわ。」という台詞があって、
 おおおおーー、私がずっと手探っていたののことはこれだ!
 と思ったことでありました。

> プライドは大切なものかもしれないけれど、傲慢や倨傲に摩り替わる危険があるよね。

→思うに、プライドって、意味するところ(と、役割)が広いけれど、
 自分を守る「殻」として持とうとすることが多くて、つまり
 そこに「捕まったり」する為のものだったり、ある意味部分的に「閉じる」為に持つものだったりもして、
 だからこそ、自分を守る為の攻撃的煙幕としての「傲慢」や「倨傲」と摩り替わってしまうことがあるんだろうね。

 で、もちろん、ここでの意味の、「自分を守る為の殻」っていうのは、
 そのまま、自分への「名付け」だったり、「呪い」だったりもする訳だよね。
 久保兄が時折、若い頃のことを書く時に使う「ニヒリズム」という言葉も、そういう「名付け」「呪い」の一種として機能するものだと私は思う。
 よく効く薬って、劇薬だから、
 中毒もするし、
 自分も危うくしてしまう。

 はる先生の書き込みにスライドして書いてしまうけれど、
 過酷な状況で育った人間の、その状況が何故呪いになるかというと、
 その過酷さという暴力だけが問題なのではなく(それだけなら、呪いというより、ただの暴力だということで一応の対処が可能だし)
 そのことから一時的にでも逃れることが必要になることが繰り返し起こる為に、
 一般には滅多に使われることのないような「劇薬」を日常的に使用しなくては、到底生き延びられない状況がそこにある、ということだと思うの。

 そしてそのことは、そのことが本当に問題として現れてくるのが、
 その過酷な現実から逃れることに成功した後で、後遺症や中毒症状が当人の中だけの現実として、存在し続けるということが、
 悲劇を重層的にする。という問題なんだよね。
 それは、表面上平和で安定した状況にたどり着くことに成功すればするほど、当人だけにしか見えない地獄として、
 その人を、周囲から決定的に切り離してしまうものとして、本人には悪夢として存在する、過去にならない現在進行中の過去なんだよね。
 当人しか闘えないことが、何倍にも増えている地獄。
 今の平和そのものが当人には悪夢だし、それを打ち砕きたくなる自分自身が敵だし、それをしたくないという闘いを誰とも共有出来なかったり、
 時には、それを共有してくれようとする、自分を愛して受け入れてくれる人を一番傷付け続ける存在でしかいられないことに耐えなくてはならない地獄。
 
> 「てれ」の孤独に小さく閉じられる物語を砕いたから、
> 私たちに必要なことは、「てれ」や「黙認」じゃなくて、「いばる」を丁寧に除去した「怒る」なのかもしれない。

→なんか、正論過ぎることを言うようで、ためらってしまうけれど、
 愛することや、許すことも難しいのかも知れないけれど、
 それは、先に多くを奪われたりしてる場合であって、
 実は、一方的に片想いでいることって結構簡単なことでもあるとは思うの。

 そういう風に、予め多くを奪われてる事実をチャラにすることを求められている、というのではないとしたら、
 逆に、愛されること、許されることの方が、はるかに難しいことなのだと思ったりするの。

 「犠牲」という言葉に、偽善を感じることが多いのは、それは状況に惑わされすぎてしまって、
 現実に触れる機会が極端に減ってしまったからであって、
 「犠牲」って、「なげうつ」ことだと思う。
 そしてそれは本当に、尊いことだと思うんだ。
 何かを動かす力を持つものだと思う。
 ちょっと話が飛躍し過ぎてるかな(笑)

> 体力って興味に正直なのかな。

→興味っていうか・・・・
 必死なだけだよ(笑)
 生きてるんだから、必死なのさぁ〜。

 でも、「生きてるんだから必死」と感じれることが、私のしあわせなのだと思う。
 そのことが、私を「孤独を知っていても、孤独ではない」人にしてるんだと思う。

□はる先生:

> jimono先生と初めてちゃんと話して思ったのは、
> みかさんがだれかのバンドのライブ評で書いていた、「気持ちが優しすぎて
>  何か言おうとすると
>  鋭いことしか云えないような」
> という人だな、ということでした。

→このライブ評について、久保さんが「・・・・って部分、すげーよくわかるよ。」と書き込んだ時、
 「久保兄がここをすげーよくわかる、っていうのがすげーよくわかるよ(笑)」とレスしたくなったものですが。

 このバンドのリーダー(2児の母である)、インフルエンザでマスク騒ぎが浮上した時、
 ものすごい久しぶりに日記を更新してて。

 「バイキンもウイルスも、どーせ無くならん。
  チマチマした清潔に感じるストレス。

  要らないものも取り入れて、それを排出できる強靭さが無きゃ
  どこまでも逃げ回るだけじゃ

  予防のマスクはきっとしない。外界と壁は作らない。
  いっそ皆でかかって、皆が治せばいいと思う。
  
  思うくらいは自由じゃろ。

  学校が休みになったら子供らはきっと喜ぶんだろうーな。
  混んでない公園行ってターザンロープ何周もしちゃうよ、きっと。」
 
 って書いてて、相変わらずかっこいーな〜〜(笑)♪
 と、思っていたら、共犯新聞トップで『風邪に引かれて』がアップされて、
 ほほう。と思っていたら、
 今度はまた彼女、酔っ払って日記を書いていて

 「前回の日記で私はアンチ予防マスク発言をしておりましたが
  マスクしてる方がかっこうよく見える男子や
  マスクの方が可愛く見える女子って
  意外と多いかもしれん。
  見えないから余計に想像力をそそられるっちゅーの?
  うーん
  そう考えると けっこう楽しいプレイかも。」

 と、書いてて、さすがーーー。やっぱりかっこいい♪
 と、思いました(笑)

> きっと現場で闘っているときは、そうなんだろうな、と思えたのです。
> 素晴らしい奥さんが側にいて、こんな休日があるからその闘いを続けていけるんだと思いました。それは壮絶なものに違いないからです。

→知人に、っていうか、親戚なんだけれど、
 ものすごく本人能力があって、現実に事業でも成功していて、
 子供も優秀で、なのに、すごくいつも疑心暗鬼でイライラしてるようで
 あまり幸福そうでない人がいて、何故あんなに疑い深いのだろう?
 皆彼を認めて尊敬していて、愛そうとしているのに、
 どうして利用されてるとしか思えないのだろう。
 なぜあんなに、いつまでも不幸なままでいるのだろう。と
 うちの家族で話していたことがあるの。私が10代後半のころかなあ。

 で、私が見てて思ったのが、彼は、配偶者選びの時に、配偶者というのが、自分の孤独を救ってくれるもの、もっと正確に言うと、自分がその孤独から抜け出す手伝いをしてくれるものだと思わないで結婚したんだなあ、ということだったの。
 もちろん、家族のことは愛してると思うし、身近に感じてると思うし、配偶者の奥さんが無能なわけでは全然ない。
 でも、彼は、自分の苦しみを「共有出来るわけがない」と思い込んでいるというか・・・・
 誰とも共有できないと思い込んでる、その根源に、まず、一番身近で味方で一番の運命共同体である人物に対して、
 自分を「なげうつ」ことを全然していない。
 相手が「敵ではない」という認識しかない。
 自分をなげうってみる、開いてみる、その訓練が出来る、その練習相手になってくれる唯一の相手を選ぶ時に、そういう訓練が自分に必要になってくる事態が
 未来においても(実は現在においても)生じる、という予測自体が彼には解らなかったんだろうな。
 頭のいい人だけれど、能力がありすぎるが故に、そういう落とし穴、
 自分の能力を利用されることを恐れるあまり、自分を「利用できない」相手を設定してしまって、
 そのままずっと来てしまったんだろうなあ。
 っていうのが、私の分析だったの。

 弱くなれないと、戦い抜けないっていうか・・・・

 まあ、それが、久保兄がレスで書いた

>> ■ジョンもポールもサルトルもダリも、みんな愛妻家でしたもんね♪

 ってとこに繋がるんだと私は解釈したんだけれど。


 で、実は、そういうことも勿論含まれてるのかも知れないけれど、
 私が知ってる限りの(ということはほんのほんの少しの情報に限られたってことだけれど)jimono先生とその御家族のイメージで
 このはる先生の書き込みを読んで私が受け取ったのは、
 それとは別に、私が以前、吉本ばななの「とかげ」で読んだことと似たようなことだったんだ。

 「とかげ」って、主人公の名前なんだけれど、治療者になることで、自分の「背負ってるもの」と闘ってる女性なんだけれど、
 彼女と恋をして一緒に暮らしてる、まあ語り手が、
 天職について、ほとんど人と普通に交流できなくなってる、少なくとも一般の意味では上手く人と付き合えないでいる「とかげ」にとって、
 今は自分がライフラインなんだろうな・・・と、思ってる、というくだりがあって。

 私は、はる先生が、jimono先生の奥さんに感じた、その「支える力」には、そこまでのものをちょっと感じ取ったりしたの。

 というのは、jimono先生の最も彼にしか為しえない仕事を成さしめている才能の部分、というのが、
 ある種、「無垢であるから出来ること」の域に達していると感じているから。
 何も知らないままでここまで言って(書いて)しまってごめんなさい(笑)
 もちろん、当人その人についてを断じて述べているのではなく、私が感じたことについて書いてるだけなので、
 その辺は考慮して許して読んで欲しいところなんですが・・・

 なんていうか、一人の人間の「無垢」を支え守ることは、すごく大変なことですし、
 それ(無垢な自分)を誰かに「委ねる」ことも、凡人にはなかなか出来ないこと。
 それを為しえるパートナーシップを組めていることの素晴らしさと、その大変さの両方に、はる先生が感動してることを、感じたということです。

> 初めて私がみかさんのことを、「本当の孤独を知る人」と書いたときは、
> 本当に勇気が必要でした。
> 心からみかさんの才能として認識し、それを乗り越えるまでの茨の道についても敬意を持って、あえてそう表現したのだということが、本人に届くのか、と心配だったからです。

> 「孤独であること」と、「孤独を知ること」は、全くと言っていいほど違うことです。
> それをみかさんによって、鮮明に感じることができたのです。

→どうしてはる先生が、いつの時点で、私について、そう感じ取ったのか、
 私から何を感じ取ったのかを正確にはまだ解らないでいるんだけれど(知りたい・笑)、
 少なくとも、その「孤独を知る人」という言葉を仲立ちに、出会おうとしてくれた時に、
 私の側には疑いや、そこに誤読があるとは感じてなかったです。
 あと、幻の3月誕生会(笑)の時に強く感じたのは、
 はる先生が、目の前の私のことだけでなく、私が守りたいと思っているものや、
 私が背後に持っているものや、私が愛してるものも、一緒に受け止めようとしてくれていること。
 つまり、私を抱き締めようとすることは、それらもまとめて引き受けようとすることなのだと
 ちゃんと理解してるうえで、私を見ようとしてくれること(愛そうとしてくれてること)がひしひしと伝わって、
 この人は本当に天職で先生をやる人だ、と、私は感じたんです。
 あまり「先生」とは呼ばれたくはないとは思うけれど、
 でも「先生」と呼ばれることを引き受けてるタフさと覚悟と同じものを、
 一対一の個人的な出会いにも必ず持ち込む誠実さというか、正しさというか。
 どうして共犯者はみんなバカみたいに真面目なんでしょう、と切なくなって思わず(笑)を付けてしまいたくなるくらいです。

> かつて、勤務校に強烈な生徒が入学してきて、彼は50代の教員でも、
> 女性教員を見たら、驚くほど過激な性的暴言を吐く生徒でした。
> 対教師暴言で停学に入れることもできたでしょうけど、それで何かの解決に繋がるとは到底思えないし、

→「自分が痛みを感じれば、その痛みを相手も感じると解って、
 酷い言葉を使うことは止めるはず」みたいな説教があるけれど、
 私、そういうのを聞くと、むかむかして(笑)

 ひとを傷つける言葉を吐く、というのは、
 自分がそれだけ「傷つけられた・傷つけられている」という表現であることがとても多いと私は思うから。
 ひとは、人にされたことを他人にするし、
 自分がされたことを伝える為に、それを仕方なくする場合はたくさんある。
 まともに話そうとしても、聞いてもらえない経験が多ければ多いほど、
 結局はそういう、本来「望ましくない」手段をとるしかなくなる。

 強い立場、安全な場所にいる人間が、
 それを読み取れなくてどうするんだろう。と、つい思ってしまうの。

 なんて、そんな偉そうなことを私が何故言う、と思いつつ。
 
> その子は教師の心の揺れを読むこともできたし、どうやれば人の心を乱すことができるのかを心得ていたし、頭脳も明晰だったと思います。

> それで、彼から出た数少ないまともな言葉が「俺、何であの家に産まれちゃったんだろう」だったんですよね。

> 何か話す機会が持てれば・・・と思っていました。

> 結局、いろいろあって学校は辞めてしまいましたが、まさに家庭の呪いにかかっているケースだったと思います。
> あの頭から離れなかった言葉は、私にその子が家庭という密室の中で、どんな屈辱的な体験をし、どんな惨いものを見せられたのか、それを考えるとやはり、何もできなかったことを後悔してしまいます。
> やはり、本当にいやだと思ったこともあったから、逃げて時間を無駄にしたのではないか、とも思うし。呪いから解き放つことはできなかったにしても、
> 自分の人生が自分のものであることに気づくきっかけを、与えられたかも・・・なんて、今更ながら思う。
> 何を言っても今となっては偽善的な感じがしてしまうので、これでやめます。

→その人を呪いから解き放つことが出来るのは、やっぱり当人にしか出来ないことで、
 だから、傍にいる人間に出来ることは、当人に「闘い続けることを諦めるな」というコトでしかないんですよね。
 そして、この子のように既に「周囲への暴力に転化しないと無理な位に戦い続けている」人に対しては、それを言うのは、普通の言い方では無理なわけで、(普通の言い方では、さらに彼に暴力を振るうだけのことにしかならない)
 そのことが感じ取れていたからこそ、はる先生は、どうしたらいいのか(どういう言葉でそれ=正しい意味で彼をサポートしようとすること・が出来るのか)を探り当てあぐねていたんだと思う。

 そして、その「本質を見出そう」「そこに本当に必要とされている言葉、そこで対話を成り立たせる為に生じる言葉」を探っている気配というのは、
 その子のような、本当に頭のいい子には感じ取れていたんだと思う。
 直接助けてもらえない、ということは、10代の子にとっては、それでもやはりむごいことではあるにしても、
 現実を誤魔化さないでいてくれる、同じ「無力」を共有してくれる人が少なくともこの世には存在する。
 という経験だけでも、実はけっこう貴重なものなのではないかな。
 と、私がここで、そう友人のはる先生に対して言うことも、ある意味、辛いことだけれど(彼のことを思うと)
 
 彼自身を引き合いに出して、もしかしたら彼自身から離れたことを語ることになるかも知れなくて、
 そのことは申し訳ないのだけれど、ここから連想されたことがあるので、話を続けると、
 私がここを読んで思い出したのは、はる先生が好きだと言ってくれた、私のブログの「ロックの心」の男の子のことなの。

 彼も、すごく感受性の強い子で、やはり中学で学校をドロップアウトして、
 定時制の高校で、「こうやったら殴られるんだ」「でも、殴られることで、退学にはならずに済むんだ」っていうことを、
 説明してみせてくれる子だった。

 彼に対しては、当人に言ったんだけれど、
 こういう、ものすごく能力があって、大人の表情を読める子って、
 いつも「賭けて」いる。
 こう言ったら、相手はこう反応するだろう。こういう顔をして、こう言い訳する為に、こういう罠をかけてくるだろう。
 こういう風に自分を守る為に、こういう策略に出るだろう。
 で、自分がこうしたら、待ってましたとばかり、こういう手を打ってくるだう・・・・・

 そして、いつもその賭けに「勝って」しまう。
 本当は負けたいのに。
 自分を完璧にうち負かして、自分のその「賢しげな読み」を完全に裏切ってくれる人に出会うことを
 自分の体と心を切り刻んで担保にしながら、挑み続けているのに。

 私は、少なくとも、はる先生は、彼のその「賭け」には「乗らなかった」大人の一人なのだと思います。
 彼を、賭けで「完敗」させてあげることは出来なかったかも知れない。
 でも、賭けを「無視する」ことくらいは出来るのです。
 それは、彼と「対等であること」なんですよね。
 相手という存在を、「片付け」「対処する」状況ではなく、
 同じ地平を生きてる存在として、「認識する」ことなんですよね。

 それをしてもらった経験があるだけでも、彼にはとても大きかったと私は思いたい。 
 それだけの能力のある子なら、そのことも(はる先生の内心の迷いや苦しみや弱さも)正確に見抜けているはず。

 はる先生には出来なかったことが沢山あったかも知れないけれど、
 少なくとも一度、はる先生に「みつけてもらえた」というラッキーを掴んだ彼なのだから、
 きっとこの後も、そんなラッキーを見つけてくれるものだと、願っていたいです。
 まあ、上記に書いたように、それでも地獄は続くのですが。
 でも、だからこそ、
 生き延びた後で、きっと彼は、また再び、自分がどこにいるのかを見ようとしてくれた先生がいたことを思い出して
 手を貸してもらいに来てくれるかも知れないし。
 そうして、互いに助け合える(彼に求められることは、はる先生を救うことにもなるワケだから)ことが出来ることが
 実際にある、ということも、また、事実だし。

>> ■私は、ここで言う「呪い」とは、このような分かりやすい(?)不幸ばかりではなく、
>> 幸福や希望の中にも、「呪い」はある、と思います。
>> ですから私は数年前からの論壇などでの「希望」ブームには懐疑的なのです。

>> >孤独って「才能」なんだと思うの。それは「感じる心」そのものだと思うから。

>> ■とどのつまり、孤独とは「違う」から孤独なのだろう。

→私が思うに、この子のような場合(というか、多くの場合そういうことが多いけれど)
 当人の感受性の強さや、見抜く力そのものが、当人の「呪い」になってしまう。

 例えば、上記のような子供は、自分の親や家族や家を、きっと、本当には「悪者」に設定できないんだと思う。
 そこに存在している弱さをも感じ取ってしまえるが故に、また、
 やはり自分と同じように「守ってもらえることなく」生きてきた大人たちを責めることが出来ないが故に、
 つまり、あまりにも他人の痛みを何もかも敏感に受け止めてしまいすぎるが故に、
 自分の何をも守れなくなってしまって、
 ただ、ごみためのように、雑巾のように、周囲が都合よく「なかったこと」にしてしまうしわ寄せを
 自分が引き受けてしまう・・・・・
 自分が逃げたら、また自分の後ろにいる人物が同じ暴力を受けるとわかっているから。
 自分が打ち返したら、そこに増幅された暴力の暴走が始まるとわかっているから。

 でも、少しでも余裕がありそうなところにしわ寄せを持っていこうとしても、
 そこでは、たんに「汚いもの」「削除してしまえば済む外部のもの」としてしか見做されない。

 でも、改めて書くまでもなく、「気付ける力」「感じる力」は才能なんですよね。

 当人だけでなく、多くの人を救えるくらいの。
 というより、多くの人の痛みを引き受ける(当人には辛い)十字架を、望まず背負って生まれて来た人なんだと思うから、
 だから、なんとかしたいと思ってしまうんですよね。
 他人じゃないのだから。
 本当は自分の一部であり、内部であり、
 自分の痛みを引き受けてくれている人なのだから。


 書いてるといくらでも長くなるのでこの辺にします〜
 あと、最初に書いた意味での「呪いを言い訳にしたりそこに閉じこもることで自分を諦めてしまう子供達」については
 また改めて説明したいです。

> 読んだことによって、新たな興味も涌いたので、
> 「孤独論」はまだ終了したくないのですよ。

→「孤独論」は、一旦の「完成をみた。」とお墨付きを突如戴いてしまって私もびっくりですが、
 つまりは叩き台が出来たのだからあとは自由な展開をその上に構築出来る・・・
 要を打ち込んだ分、遠くまで飛ばすことが出来るものになった。
 と、解釈したいところです(笑)

久保兄:

>> ハナシが噛み合っていても、深い井戸のようなところで平行線のように、お互いにまったく気が付かない透明な「誤読」、ってありますものね。

→これ、私はよく悩んでるかも(笑)
 もしくはこのバリエーションと。

>> やっぱ、鉱物、星座、草花、って理系だけど、文系のキーワードの宝庫なんですよねぇ。

→以前、私の妹が、フェイクファーって存在理由がわからない。
 フェイクなら、別に本物の真似しなくてもいいのに。って言ってて、
 でも私は、フェイクファーって可愛いと思う、って言ったら、
 妹が、「そっか、結局は全部、もともと存在してるものの真似ってことなのか。」って呟いて、
 それはなかなか鋭い意見かもー。と思ったのだけれど、
 つまり、私がフェイクファーを可愛い、と思う、というのは、
 毛皮の持ってる特色のある部分だけの価値を抽出してあるものの、その価値を私も評価してる。ってことで、
 それって、翻訳でもあるし。
 で、「理系だけれど、文系のキーワードの宝庫」っていうのも、まさにそんな感じ。
 以前私が一斉メールで書いて、共犯青春哲学部室の記事か何かで再録された
 「 数学と芸術は、同じく、自然を表現する言語である」っていうのと、また、同じよーなことだと思うんでした。





1788
Reply 昨夜の「チキンカレー」は、「チキンカレー」と名付けるのがもったいない「チキンカレー」だった。 久保AB-ST元宏 URL 2009/05/30 12:08


And if Ms.ローラに、じろうずのチラシを!ろーらああっミカキチ say to me tomorrow♪
Oh what fun it all would be♪ Then whats to stop us, pretty baby♪
But what is and what should never be
ディランでの友部さんのライブ、今年も素晴らしかったみたいだね。

■うん。
昨夜の、ミカキチ・プレゼンツ、じろうず Live in 香聡庵も、すばらしかったよ。
ざくっ、と昨夜のライブの感想を速報風(?)に言えば、
「紋切り型がかもし出す”うそ臭さ”が苦手だから、どう話していいかわからないまま、とりあえず、言葉に敏感になることによって誠実さを保ち、
また自分の誠実さに気が付いたときの照れを、”笑い”というエンターテイメントの着ぐるみを着て生き延びる都会の歩道の一番はじっこを目立たないように別々に歩くふたり。」、かな。
また近々、このライブは『共犯新聞』1面トップに書いておきたいので、よろしくねん。

>久保兄が時折、若い頃のことを書く時に使う「ニヒリズム」という言葉も、そういう「名付け」「呪い」の一種として機能するものだと私は思う。

前回のミカキチへのレスのトップに私は、「久保兄、の兄の字は、ひな鳥が口をあけてる絵みたいだ」と書いたけれど、
「呪い」の呪の字は、ひな鳥に口を近づけたら、ひな鳥も、もうすでに口をあけて待っていた午前4時の絵みたいだ。

>現在進行中の過去

■今の『共犯新聞』1面トップ記事、「友部正人JV三宅伸治DYLANライブ2009」の途中に私が書いた
「遅くなっても、いいんだよ。
若者ならば、急がなきゃならないけれど、幸い、我ら年寄りには時間はたっぷりあるから。」ってことだけど、
年寄りの脳味噌は豊かな地層が侵食し合いながら、ぜんぶが同時に、だら&だら散歩しまくっているんだよね。
5月3日の北海道新聞「読書欄」に、小説家・小島信夫(1915年〜2006年)の新著(!)『演劇の一場面』が書評されていて、思わず身を乗り出して新聞を破りそうになった(がくっ。)んだけど、
評者の芳川泰久(早稲田大学教授・仏文学)が、
「この散歩が魅力的なのは、演劇の場面について考えをめぐらせながら、それが常に別のことへの思いとともにあるからで、
複線の思考とでもいえるだろうか。」と書いていて、ああ、これまた『共犯新聞』的だな、と思ったわけ(笑)。
ならば、老人こそが「現在進行中の過去」を生き得るわけで、
嗚呼、ラッキーなことに、若くなることはもうできないけれど、歳をとることはできるんだ!と、大喜びな昼下がり(笑)。
■これは、さっき書いた私のじろうず所感「紋切り型がかもし出す”うそ臭さ”が苦手だから、どう話していいかわからないまま、
とりあえず、言葉に敏感になることによって誠実さを保ち」って態度と同じ感覚の成せる業だよね。
私たちが考えるときに、なぜだか、違うことを考えている瞬間があるのは、考えるという行為に不誠実なのではなくて、むしろ誠実「すぎる」から、なんだよね。

>相手が「敵ではない」という認識しかない。

■また&また引用だけど、今月の朝日新聞は免疫学者・多田富雄の短いエッセイ「私の収穫」を4回の連載で掲載されたんだけれど、
そこでスケッチされた彼の最近の「収穫」とは、コンテンポラリーダンサー・森山開次が、奈良・興福寺の「阿修羅像に似ていた」発見について。
「私は歌舞伎の「鳴神」を思い浮かべた。裏切りとそこに導いた慢心奢(おご)り、その悔恨怒り
それは改心前の阿修羅が持った情念でもある。能の「天鼓(てんこ)」も参考にしたと聞いた。
最近、能では収穫がなかったが、コンテンポラリーダンスで私の飢餓感は癒(いや)された。」
ここで見られるイメージの自由も、老人の特権だよね。
思えば、「ニヒリズム」とは中年の「保留」作業にすぎないのかもしれないな。
より正確に言えば、「青春」に裏切られる前に、こちらから先に「老化」を宣言して「青春」を殺す作業が、「ニヒリズム」のような気がしてきた。
その結果、「青春」の次のステージとしての「中年」が準備されている、というわけだ。
我々の不幸は中原中也やジム・モリソンの「中年」を知らないことであり、ランボーやジョン・レノンの「老年」を知らないことであった。
しかし、今や我々は多田富雄やミック・ジャガーの「老年」を知ったわけだ。
ますます、混沌された「完成品」の魅力が迫ってくる(=つまり、日々、老いてゆく、ってこと・笑&がくっ。)。

>訓練

■ああ、私は「訓練」なんて言葉はもうずいぶん使っていなかったけれど、なるほど。
■ところで昨夜、ミカキチ香聡庵ライブの駐車場として借りていた近所の、「道場」、始めてみた(笑)。
窓からちらりと見ると、真剣みたいなのを振っていたのが見えたんだけど。目の錯覚かな(笑)。

>弱くなれないと、戦い抜けない

■最強の戦士が、ダンサーである、という証明。

>(無垢な自分)を誰かに「委ねる」ことも、凡人にはなかなか出来ないこと。

■だから、そのバランスのためにも私たちは
僕たちが考えねばならなかったのは「なぜ優しい人たちが事件を起したのか」でした。」
(森達也の2008年10月15日の札幌での講演「メディアの現在」から。)
を、想い続けなければいけないのだし。

>でも「先生」と呼ばれることを引き受けてるタフさと覚悟と同じもの

■そうなんだよね。
昨日、香聡庵に行く前に、またしても山里稔さんのアトリエに行ったんだけど、
彼が、ミカキチは「きちんと自立して生活しているからね。」と、そこに感心していたので、私はまたしても山里さんを改めて深く信頼してしまった(笑)。
つまり、「現実」とか「生活」とゆー、時に「のろま」で「たいくつ」で、「わずらわしく」て「じゃま」なものも、きちんと、個人が個人として「処理」している果てで「表現」している、
甘えの無さを、いちいち言わずにも体感して、ここまでやってきている、まぁ、それも「タフさ」と「覚悟」、だね。
■あと、今、私が山里さんを思い出したのは偶然かもしれないけれど、彼は「先生」とか「画伯」とか「社長」とか呼ばれるのを拒否して生きてきたんだよね。
その<「先生」と呼ばれること>の拒否と、<「先生」と呼ばれることを引き受けてる>ことは、実は真逆じゃなくて、まったく同じことなんだ、ということ、だよね。

>既に「周囲への暴力に転化しないと無理な位に戦い続けている」人に対しては、それを言うのは、普通の言い方では無理なわけで、(普通の言い方では、さらに彼に暴力を振るうだけのことにしかならない)

■「法律」とか「立法の精神」が掬いきれないもの、もしくは、そこにあっても読解されないできてしまったもの。
オトナには、無限地獄(?)の時間がたっぷりあるから、宗教とゆーずらした「法&律」に整体(笑)してもらう選択ができる余裕があるけれど、
たとえば、高校生には3年間しかない。
そこでの「法&律」は、思想の暴力としての「教育」という名のシステムになってしまうんだろうね。
この場合の<3年間しかない>は、もちろん生徒だけじゃなくて、(意識的な)「先生」にとっても、同時に、なんだから、地獄の釜は熱いんだけど。

>自分の痛みを引き受けてくれている人なのだから。

■たとえば、保育園の先生は、高校の「先生」と比較して、相対的にそれができていると思う。
それは、幼少時の場合の「痛み」は、相対的に高校生のそれよりも、シンプルな「物語」だからだと思う。
問題が、シンプルか、複雑か、ならば、実は、それは、ほぐせばいいだけで。
だけど、高校というシステムは、ほぐすことが存在理由の第一義ではないし、またしても、<3年間しかない>し。
■だから、多くの人は、高校の(→それは、もちろん「中学の」とか「子供時代の」と言い換えてもいい便宜上のことで。)「痛み」を、一生かけて癒してゆくわけなんだよね。
以上のことは、すごくアタリマエのことなんだけど、
今、私たちが話題にしていることの卑近にテーマを戻せば、
<一生かけて癒してゆく>ことを、目の前でコンビニエンス・ストア的に「解決」せよと迫られる、「先生」の<タフさと覚悟>。
そりゃ、どーしても、機械的に処理しちまいたくなるのが勤め人の心情だよね。ふつーは。
んが。

>持ってる特色のある部分だけの価値を抽出してあるものの、その価値を私も評価してる。ってことで、
 それって、翻訳でもあるし。

■全てが終わったとき、翻訳してみたら、図書館の本はぜんぶ同じ内容だった。




1789
Reply 三バカ大将 ディラン
2009/06/08 19:05


久々にのぞいたら、能天気にへらへらしているわれわれの写真が・・・。
♩すべてはオーライって、歌声が聞こえてきそうな夜でしたね。

こんな顔して笑ってる奴を撃てるか?





1790
Reply 輝く!日本レコード大将 久保AB-ST元宏 URL 2009/06/09 16:11


The way you squeeze Mr.ディラン's The Lemon Song
>久々にのぞいたら、能天気にへらへらしているわれわれの写真が・・・。

■あは♪
ついでに、このレスの下にももう一枚、へら&へら、させときます(笑)。
■この女性、私は名前も知らないんですが、かつて『共犯新聞』ゲストブックに「ストーンズTシャツの女」名義でカキコしてくれた方ですよね、ってディランさんは知らないか(がくっ。)。
今回のストーンズのTシャツも、期待を裏切らず(?)かっちょいーね♪

♪すべてはオーライって、歌声が聞こえてきそうな夜でしたね。

■しかし、ライブ中に客席とステージで同等に会話して良かったのか!?この酔っ払い客の私!
■芦別市『Rock House DYLAN』での6月2日のリクオのライブでは、今夜2時から、脳味噌のなかでパーティがあるんだ。だれかぼくを山の上に飛ばしてくれよ。「すべてはALRIGHT」を歌ってくれたようですね。
ホンキートンク・ピアノをキックしてせつなく歌うリクオが目に浮かびます。
この名曲は1985年の発表でしたっけ?
たしか、RCがPARCOのCMにミイラのカッコしてスローモーションで出演した時のCMソング、ですよね。
「PARCO」で、「RC」なので、「でっぱるRC」とかゆーコピーだったっけ?糸井重里の(笑)。
なにしろ、CMディレクター川崎徹の過剰演出が仲井戸麗市のキモチと合わなくて、チャボが激しく落ち込んで撮影中に帰っちゃったんだっけ?
とにかく、1985年は私が東京から札幌へ逃避行(?)した年で、ロックに絶望(?)していたので、そんなことも、横目で見ておりました(笑)。
でも、この当時のLP『ハートのエース』にはチャボはほとんど参加せず、RCもこの後、約2年間の休業に入ったんだから、
やっぱ、『ROCKの1985年問題』(と、私が『共犯新聞』で何度も触れているが世間からは無視されている呼称。がくっ。)って、あるんだなってね。
■しかし、そんな&こんなでも、この曲「すべてはALRIGHT」は、すばらしい。
どー聴いても、「すべてはダメ&ダメ」なネガティヴ・メロディーに、ポジティブな歌詞をはめ込むキヨシローの言葉の天才ぶりには、たまらんっ。
今日が誕生日の渋谷陽一はキヨシローと同じ1951年生まれだから、急遽発売した追悼本のタイトルも、『忌野清志郎 1951 - 2009』なんだね。たぶん。
今回も『共犯新聞』にリンクを貼った日本経済新聞・夕刊でのキヨシロー追悼コメントで渋谷は、
「矛盾した表現のように思われるかもしれないが、
清志郎は誰よりロックが思想である事を理解し、
同時にロックは芸能でありビジネスである事を知っていた表現者であった。」
と、書き出しているんだよね。
私はこれを読んだときに、あの1985年のPARCOのCM撮影中、ナーバスになって帰っちまったチャボの純粋さもいとおしいし、
残って、ばかばかしいミイラを演じながら、それでも、「すべてはALRIGHT」とゆー名曲をきちんと書き上げたキヨシローのタフさもいとおしく思い出したんだよ。
まぁ、もちろん、ここにはいつもの渋谷陽一”節”とでも言おーか、他者を語りながら自分を語ってもいるんだけどね(笑)。
■だから、結論。
芦別市のDYLANは、へらへら、タフだ(笑)♪
YEAH。

>こんな顔して笑ってる奴を撃てるか?




1792
Reply それでも外笑!  外笑
2009/06/27 22:04


  一年に一回の 髪切り って解りやすくていいよな。
俺の場合は そうだな聞かれてもいないけど要するに基本的に夏は短めで冬は長めなんですな、
年に一回の床屋・・・よいうように 解り易く そして 対外的にも礼儀のある方法
じゃないんです。あくまで髪を切るのは自分でやるし年間の回数としたら、4〜5回
といったところかしら。気象状況もそちらとは違うし・・考えは単純で、暑けりゃ短め
寒いから風邪ひきたくもないから長め。だけど回数が多いのが、なんか解りにくい部分
だよね。髪かゆいならぬ 歯がゆし我が19年かな^^。

 インドで 爪を切るのは19年振りとか・・・そういう方もあられるようで

 鼻毛を19年伸ばしたら 俺 今の生活 持続できんだろうな





 





1795
Reply 19の久保の! 久保AB-ST元宏 URL 2009/06/29 00:07


Thank you it will be done, for Mr.外笑 to me are the only one♪
一年に一回の 髪切り って解りやすくていいよな。

■今宵はテレビ朝日で平成版(?)『チャーリーズ・エンジェル』を放送していて、我が家の小学校6年生女子は大爆笑でゲラ&ゲラ楽しんでいたよーだけど、
昭和版(?)の元祖『チャーリーズ・エンジェル』だったファラ・フォーセットが死んじまったけれど、
ファラ・フォーセットのおみごとな、★ファラ・レニ・フォーセット (Farrah Leni Fawcett,1947年2月2日〜2009年6月25日、享年62歳。)は、アメリカ合衆国の女優。1970年代のポップ・カルチャーの肖像、およびセックスシンボル。くる&くるパーマは、なんと、自分の毛&天然くる&くるだったそーで!
私も天然くる&くるパーマで、絶好の髪切り日和♪こうなっていたのよね。
パーマをかける必要はなくて、これまた経済的なんだけど、湿度の高い日や、雨の日は、もー、ぐるん&ぐるんして、爆発ゼンマイ・ヘアーになっちまうんだよなーこれが。
だから、頭のネジをまきすぎて、切れちまう前に、先手を打って、髪の毛を切るんですーが。

>気象状況もそちらとは違うし・・考えは単純で、暑けりゃ短め

■私が髪の毛を切るのも、ただ、それだけ。そして、伸ばすのも。
ここ数年は髪の毛を切るのは5月だったんだけど、去年と今年が6月になっちまったのは、去年と今年の6月が寒かったから(笑)。

>寒いから風邪ひきたくもないから長め。回数が多いのが、なんか解りにくい部分

■結果的に私の「一年に一回の 髪切り」って、究極の(?)エコ、なんだよ。
だから、政治屋さん&ネクタイ関係のみなさんも、クール・ビズ(or ウォーム・ビズ)なんて、中途半端で「解りにくい」ことやってないで、
「一年に一回の 髪切り」を実践すれば国民へのアピール度は高いぞっ♪
次回の京都議定書に、これ、盛り込んではいかがでしょーか?
■「暑いからネクタイをしない。」っーのは、エコじゃなくて、エゴ
ただし、エゴが悪いと『共犯新聞』は言わない。
エゴのハーモニーが、エコなんだ。

>髪かゆいならぬ 歯がゆし我が19年かな^^。

「19のボクのジュークボックス」なんてポップスを作詞&作曲してデビューした我らだけど、カンタンに19年なんて経っちゃうね(笑)。

>インドで 爪を切るのは19年振りとか・・・そういう方もあられるようで

■あはは。まぁ、それを言ったら私も荻窪でギターを弾いたらステージに立つのは19年振りだったか。がくっ。

>俺 今の生活

■今回の「ミニAB−ST」のライブ、YouTubeで興味深く観せてもらったよ。
まず、なによりも動いている池上を見るのも、19年振りだし(笑)。
あの今夜2時から、脳味噌のなかでパーティがあるんだ。だれかぼくを山の上に飛ばしてくれよ。YouTubeをめぐって、東京のテラダヤ、北海道の久保、カナダ・バンクーバーのサカタとでやりとりしたEメールを紹介して、お礼に代えさせていただきます(?)。




差出人: テラダヤ
練習、は要らない気もするけれど。

送信日時: 2009年6月24日 10:42Pm
宛先: 久保AB-ST元宏


なんで韓国から荻窪に直行しなかったの?(笑)

久保
■天候が良かったから(笑)。

アブストやりましたよ。
久保君不在の場所で、君の作った曲を演奏しましたよ。
やっぱりアブストを演奏すると、汗の量がハンパではない。

久保
今夜2時から、脳味噌のなかでパーティがあるんだ。だれかぼくを山の上に飛ばしてくれよ。「監獄ロックス」では、テラダヤもコーラスをしてた?
あれは、なかなか飯島の歌唱と合っていて良いね。

監獄ロックはコーラスを入れて欲しいと言われて、下のメロディーでハモるのを思いついてやってみました。
思ったよりハマってよかった。

久保
■ライブでの今夜2時から、脳味噌のなかでパーティがあるんだ。だれかぼくを山の上に飛ばしてくれよ。最初の曲 「うみ〜星になった猫」は、テラダヤのオリジナル?
部分的に記憶のある歌詞(=「大地にキスして」、とか。)があったから。

最初の曲は月見猫の詩に飯島が曲をつけたものです。たぶん(笑)。
スライダースみたいだよね。歌詞に「大地にキスして〜」と出てくるよね。
 たぶんエストリでやるつもりだったんではないかな。
飯島はあのテのリフ上手いよね。

月見猫のスタイルの良さにはたまげたよ。いつの間にあんなに進化したんだ!
ライブには井上姉も見にきてくれて、すごい楽しんでいたようです。

久保
■飯島の声はさすがだね。
バンド・サウンドで歌詞が聞き取れるのは、やはり天然記念物だ。

彼のヘビメタ(?)ギターも、なかなかオリジナリティ(?)があって楽しめた。
そもそも、アブストはギターが2本時代は音が整理されていなくて、うるさかったからね(笑)。  

サカタ
奴はギターにずいぶん苦労したそうだけど、その甲斐あるギターだよねえ。感心しました。

マネージャひろみ嬢がメインボーカルとして歌ってるのには腰が抜けたけど、
まああの子のああしたスーパーポジティブさには、
バンドの客入りが下げ下げでダウナーだった当時助けられたよなとなつかしく思う。

差出人: テラダヤ
どっちも実現したらすごく特別なことだなあ。




久保
■池上は頭部が薄くなったか(笑)?
でも、パレスチナでの池上のベースは健在だね。
改めて池上のアブストにおけるメロディーの役割を確認できたよ。

坂田にも書いたけどアブストは曲がいい!これは再確認した。やっぱり久保君はすごいよ!
アレンジとかドラムとベースのリズムパターンとか、どうして現存する形に至ったのか思い出せないが、
かっこいいし、よく練ってある。コード進行もかっこいいし、飯島のボーカルはあのパワーでしょう。
いいバンドだよ!

な、わけで今年の夏は久々に札幌に行きます。 時間が合えば飲みましょう。  

                                         TERA




1796
Reply アロマ・テトラポットの果て・・・  外笑
2009/06/30 01:59


 解りずらいことするのは管理社会ゆえ・・・か

 解りずらいことするのは管理社会への無意識の融合=影なる反発の形 なのか

 久保とサカタのギターは解りやすそうで解りずらかったなあ。なんで俺がアブスト
のギター弾くことになったのかも解りずらかったし^^考えてもなかった。
 僕なんか解りずらい、くどい半生を送っているなって感じるなあ。物凄く時間がかかることをしているような。多くは語れないことだけど。自らトラブってもきましたし。

 こないだのライブの時 馴れないヤマハのアンプ使って最初 好きな音質が出せなくて
もやもや気分してたら池上の神経テトラポットが沈んだのか、ベースの構成をケロッと途中忘れちまったらしく、
ごめんねラブリ0スマイルを俺に向けるもんだから、あれっ俺が間違ってんのかなあと勘違いテトラポットが動き出し、その後で俺もコーラスのとこでコード進行忘れちまって冷や冷や、
 こういうの相乗効果というんですかね。脳みそ悪い意味で真っ白状態。しかし
クレイジーレイジーから吹き飛ばしたけどね。身体に染み付いているというか、
何も考えん無くても演奏できちゃうのはテラや池上との呼吸がアブストの曲では
自然と合っている。   しかしテラさん調子ずいたのか、クレイジーレイジーと
犯罪大通りのテンポの速いこと!ケロッとした顔でドラム叩いてる。こっちはボトルネック拾うのにも苦労しましたし〜 カッティング痙攣と心臓麻痺起こしそうでしたわい、これじゃ昔の久保も指切りますわ、こりゃテラの仕業だったのかいな。
 パレスチナではテラのカウント忘れて自分から弾き出しましたが^^これで逆襲


  解りずらいゆえの快感テトラポットって僕には存在するんですね

  そこが 他者や管理社会との接合部で、そこはグラインド・ピストン部かなって

  でもね やっぱ人間であるいじょう  憤り ありますよね 本来0

  そこは クリアーにしとかんとねー  管理社会のもつれる糸口ってどこぞや


   







1797
Reply ムーン・ウォークの果て・・・ 久保AB-ST元宏 URL 2009/07/02 17:00


Heartbreaker, Mr.外笑's time has come, can't take your evil way
>解りずらいことするのは管理社会への無意識の融合=影なる反発の形 なのか

■セックスに前後や上下はあるが、恋に善悪や上下はない。
国家が幻想であるように、恋も革命も幻想であるから、幻想の敵は幻想なのだ。
管理者にとって、「解りづらい(=私の言葉で言えば、「得体の知れない」。)」ものは、まさしくむきだしの幻想ゆえに、統治しづらく、嫌悪の対象となる。
たとえを書けば、学校にとっては、「タバコを吸う学生」よりも、「タバコを吸わない学生」を管理するほうが、統治しづらく、嫌悪の対象となる。

>久保とサカタのギターは解りやすそうで解りずらかったなあ。

■こーゆーことをあえて書くのはちょー恥ずかしいが、
私の音楽遍歴(?そんなのあったのか・笑。)的に言えば、私は「ギタリスト」なんだけど。がくっ。
マイケル・ジャクソンが死んでからニューヨークのハーレムにあるアポロ・シアターの会場の内&外で、連日、黒人たちが明るいダンス追悼をしているらしい。
もちろん(?)、ご存知のように私の海外デビューも、ここアポロ・シアターであったわけだから(?・・・ごほん。)、
まぁ、私もマイケル・ジャクソンとはアポロ・シアターの同窓生みたいなもんだ。あと、ジェームス・ブラウンとかも、ね。
平井堅や、和田アキ子なんぞは、我らアポロ・シアター・レジェンズ(?)のずーっと後輩さ。がっはっは。
■で、そこで最近、「ダンス」の本質について考えることがあった。
それは、トロとヴェーセンのライブを二日続けて観た日で、観ながら、「ああ。以前の私ならば、考えないですぐに立ち上がって踊っただろうな。」と感じた。
「踊る」とは、本能的なことであるんだけれど、誰もが「踊れる」わけではない。
だから、本能で「踊る」ことができない人のために、「振り付け」、がある。
たとえば、クラッシック・バレエには、クラッシック・バレエの。たとえば、パラパラには、パラパラの。ピンク・レディーには、ピンク・レディーの。盆踊りには、盆踊りの。
しかし、それでもやっぱり、「踊る」とは本能なのだ。
だから、「白鳥の湖」に合わせてパラパラを踊ったり、「ペッパー警部」に合わせて盆踊りをするのが本能であれば、そう踊ればいいのだ。
重要なのは、「そう踊る」ことができるか、どうか、だ。
できなければ、すなおに、「振り付け」に従えばいいのだ。
確かに、「振り付け」には自由度は低い。
しかし、「振り付け」をガイドに、擬似的な自由を手にすることも可能であるし、訓練によって、その「振り付け」の範囲内であっても、絶対的な自由を手に入れることも可能なのだ。
■楽器の演奏も、それと同じことだ。
「音楽」は本能、なのだろう。しかし、不器用な本能のために、「楽器」が存在しているのだ。
そして、たとえばギターの場合には、ブルーノート・スケールという「解りやすい」「振り付け」がすでに発明(?)されている。
このことを私が考えたのは、圧倒的なブルーノート・スケールの洪水を演奏しまくっていた、じろうずのライブを聴きながら、だ。
■1984年、ロックは恥ずかしかった。
だから、みんな、長髪を切り、パンタロンを捨て、そしてブルーノート・スケールからも自由になりたかった。
私たちのあのバンドにギターが2人いたのは、偶然かもしれないが、
サカタの場合は、ブルーノート・スケールから「訓練によって、その「振り付け」の範囲内であっても、絶対的な自由を手に入れることも可能」な道を極めた。
そして私は、
・・・・・・以下、秘密(笑)。

>物凄く時間がかかることをしているような。

■うーん。
それ、とても美しい言い方だ。

>馴れないヤマハのアンプ

■でも私には、君はヤマハのSGを弾いていたイメージが強いな。
違うか(笑)。

>ごめんねラブリ0スマイルを俺に向けるもんだから

■こーゆー文章を無防備なままに読んじゃうと、はっ、とすることがある。
バンドって、やっぱり、それなりに複雑な「社会」、なんだよね。
私たちのあのバンドは5人だったけど、
久保 ― 飯島
久保 ― サカタ
久保 ― テラダヤ
久保 ― 池上
の関係と、飯島 ― サカタ
飯島 ― テラダヤ
飯島 ― 池上
の関係は、また(まったく)違うものなんだよね。

それは、さらに3人の組み合わせや、4人の組み合わせもあるから、かなり多くの「社会」が同時に平行して存在していたわけだ。
まるでパラレル・ワールドだけど、現実だったんだよね。
で、それが演奏(=表現)にもダイレクトにつながっていたわけだ。

今夜2時から、脳味噌のなかでパーティがあるんだ。だれかぼくを山の上に飛ばしてくれよ。クレイジーレイジーから吹き飛ばしたけどね。身体に染み付いているというか

■もう何度も書いているから(がくっ。)ほめ合いみたいですでにキモチ悪いけれど、すばらしいよ。ほんと。

今夜2時から、脳味噌のなかでパーティがあるんだ。だれかぼくを山の上に飛ばしてくれよ。犯罪大通りのテンポの速いこと!ケロッとした顔でドラム叩いてる。

■そうだな。テラダヤ、やっぱり、すごい。相変わらず創造性のあるドラムだし。
先日、ストーンズの90年代の演奏を聴いていて、チャーリー・ワッツのあまりもロックではないドラムのかっこよさに、今さらながらに大びっくり!した。
ロックって、そーゆーことなんだな。
まぁ&もちろん、ここの文脈は、さっき書いた「本能で「踊る」ことができない人のために、「振り付け」、がある。」につながる。

>これじゃ昔の久保も指切りますわ

■むかし、むかし、弦切りゲンちゃんだった私は、1曲の演奏が終わると必ず弦を4弦中心に1〜2本、切っていたよね(笑)。
しかも、右手の指からは血をだら&だら流して。
私の愛器テレキャスターは、毎晩、私の血を欲しがったものです。
それでも、当時、新宿ロフトでメトロファルスとやったときに、
オール・スタンディングでぎゅーぎゅー詰めの満席の客の中から演奏が終わるたびに女子高校生みたいなのが数人、
キティちゃんとかキキとララとかのかわゆいバンド・エイドをステージ上で、だら&だら指から血を流す私に差し出してくれたのには、ゆるくまいったが(がくっ。)。
私は、プロ・レスラーかっ?
・・・・・・はっ。今、気が付いたけれど、明らかに私はミュージシャンよりも、プロ・レスラーに近かった?
むしろ、ストリッパーかっ。がくっ。
■それにしても、君たちがバンドを再結成すると私が指を切ったのには、何か因果関係があるのかな?
次回、「ミニAB−ST」にさらにサカタが加わって、「ミドルAB−ST」(がくっ。)を再結成したら、私、交通事故っちゃうかもよ。

今夜2時から、脳味噌のなかでパーティがあるんだ。だれかぼくを山の上に飛ばしてくれよ。パレスチナではテラのカウント忘れて自分から弾き出しましたが^^これで逆襲

■「パレスチナの逆襲」・・・・・・。
なんか、ありそーなタイトル(笑)。意味はまったく違うけど。

>解りずらいゆえの快感テトラポット

■君にとっての「他者や管理社会との接合部」が、「憤り」というリトマス試験紙であるのも、なにやら長い付き合い(?)だから解かりやすい(?)。
■「解りづらい」の反対、「解りやすい」って、ポップってことだけど、
その「解りやすさ」の王様、マイケル・ジャクソンこそが、誰よりも「解りにくい」エキセントリックな人物にだん&だんエスカレートしていったのには、何か「業」のような、何かの「バランス」のような気がしてならない。
それは大昔の「芸能」から、「悪魔に魂を売った」的な解釈がされるけれど、その解釈もまたしても、「解りやすい」からこそ、本質が隠蔽されてしまっている。
今後、まちがいなく『マイケル学』みたいな研究が立ち上がることだろう。
もしそれが陳腐なものでないのであれば、私が知りたいのは、
本能をむき出しにするための訓練の中で違うものにスライドしてしまうシステムのあぶり出し、だ。
マリリン・モンローや、プレスリー、チャップリンが死んだ時には、
「もう、彼(or 彼女)のような存在は現れないだろう。」と口々に言われ、マスコミも常套句を垂れ流したけれど、
なぜか、マイケル・ジャクソンの死には、それは語られない。
つまり、マイケル・ジャクソンは「特別」ではないのだ。むしろ、彼は時代の「象徴」として必然であり、今後、彼のイミテーションが大量に「訓練」を経て登場してくるだろう。
よく、「歴史は繰り返される。二度目にはパロディとして。」と言われるが、悲しくて、そしてすばらしいことに、マイケル・ジャクソンは最初っから、パロディだったのだ。
ムーン・ウォークだけに、「おあと」がよろしいようで・・・・・・。


がくっ。




1798
Reply 僕と貴方の距離・・・そして覚醒との結婚  外笑
2009/07/04 01:39


 僕は既にアブスト80年の時に覚醒というやつと結婚していたのだな。
アブストでギターを弾かせてもらい、なんて久保とサカタは、ずっと気持ちのいい
思いをしていたんだなと19年過ぎて初めて理解した僕がいました。
 植物園の秘密 は当時の僕でもかなり覚醒と異常なる想いのある曲と歌詞でしたが
最近は自分流のギター創作をしています。当時以上の覚醒と出会えるはずだと
自負しています。言葉という鎖と肉体という規則から幽体離脱し宙に浮かぶ音楽を
体感するようです。こういう詩と曲は僕にはまだ出来ない。

長い時間を経て あの時に同時創作していた相手の感性と出会う。

今回 当時のジャーマネひろみ嬢をボーカル起用したのは私です。彼女は相当戸惑っていたが最終的には自ら立ち向かってきました。僕の想いとしては やはりアブストの音楽を、より彼女に体感してもらいたかったからだ。観るなら魅せてみろってか!
彼女なりには、どういう感慨があったか詳しくは聞いていないが、せめてお母さんと主婦業
の邪魔はしないようにと、僕も忍びない気持ちではおりましよ。

 色々な形ではありますし、またバラバラでもありますが、
アブノーマルストリッパー 5人の男達は 今も アブスト だと感ずられました

 ほんと 忍びない

 ほんとテレるし申し訳ないし媚じゃなし言葉ではどうにもならんし忍びないし(あれっ!またかよ^^)だがよ
  
  サカタの暖かいクールな評は嬉しいし、腰抜かすとかジジイみたいなこと言っちゃって  るし^^笑えるわぁ〜

  今 改めて実感してるが       久保の書いた曲は 凄いよ



ほんっと 忍びないっ00^^  



     何 謝ってのかね 俺?@@

 




 





1799
Reply 愛と覚醒のハッピー・バースディ・サカタ@カナダ♪ 久保AB-ST元宏
2009/07/07 18:08


With a Mr.外笑's umbrella and a fifty cent hat♪
Livin', lovin', she's just a woman
>覚醒というやつと結婚していた

■1983年、東京・目黒のライブハウス『キャット・シティ』の事務所で、そこのマネージャー氏と、『共犯GIG』の打ち合わせ中、
私が、「表現には睡眠薬と覚醒剤の二種類があって、おれたちがやっているのは、覚醒のほうだ。」と、言った瞬間、
そのマネージャー氏が一気に納得してくれたことを想い出した(笑)。

>サカタは、ずっと気持ちのいい

■今日はサカタの47歳の、おたんじょうび♪
プレゼント代わりに(?)、1984年8月20日、「白い夏」全国ツアーで行った京都のライブハウス「拾得」の写真を下記に添付しておこー。

>最近は自分流のギター創作をしています。当時以上の覚醒と出会えるはずだと

■我が家の17歳高校生男子は、まったくロックは聴かないし、たぶん、オタ・ソン(?)を聴いているのか?
久保家で毎晩、爆音でストーンズやプライマル・スクリームやクラッシュが流れてくるのは、オヤジ(=私だ。がくっ。)の書斎から〜。
明らかにロックは若者の音楽では無くなったな(笑)。
小学校3年生の娘がフォーク・ギターで、なんちゃってマーク・ボラン風ブギーを弾いているのが、せめてもの希望(?)かっ?

>長い時間を経て あの時に同時創作していた相手の感性と出会う。

■先日、死んだ舞踏家ピナ・バウシュの追悼文章を浅田彰が朝日新聞に書いていた。
こんな風に。

限りない忍耐をもって他者の恵みを待ち続ける存在だった。

その間、ダンサーが失敗しても、ピナは「ノー」とは言わず、ただ黙って深い溜(た)め息をつく

こうした姿勢は、私生活でも変わらなかった。
3時間に及ぶ舞台がはねた後も、ピナは仲間や友人たちと食事を共にし、深夜――いや、翌朝の4時、5時に至るまで、
ワインやタバコを楽しみながら濃密な時を過ごす。
「フラメンコの最高の瞬間を見ようと思ったら、朝7時くらいまで粘るのよ」と語ってくれたことがあるくらいだ。

■なんか、先週末の『インソムニア共犯の夜』、みたいだ。

>より彼女に体感してもらいたかったからだ。観るなら魅せてみろってか!

■ライブ前にはテラダヤから「緊張してる!久保、参加できないか?」メールを何度かもらっていたので、
YouTubeで観る本番では、月見猫が一番、ライブ(と、バンド)を楽しんでいるよね(笑)。
今夜2時から、脳味噌のなかでパーティがあるんだ。だれかぼくを山の上に飛ばしてくれよ。犯罪大通りでのサビの、
「♪注意しろよ 座長は 片足!酔いどれ!コミュニスト!」
ってとこの、「コミュニスト!」は、私の歌い方をまねたがっていたファンのようですらあった(笑)。
そう、ストーンズに入りたくてたまんなかったロン・ウッドのよーだ。・・・って、自分で何様っ(笑&がくっ。)?

>5人の男達は 今も アブスト だと

■特に池上の健在振りが私には最高の情報だったな(笑)。

>腰抜かすとかジジイみたいなこと言っちゃって  るし^^笑えるわぁ〜

■まぁ、サカタは日本語圏から離れて(彼の顔のよーに)長いから、使う日本語もすでに古臭い慣用句になっちゃっているんだねー。
ハワイ2世の私の知人は、「モノサシ」のことを、「さし」と呼ぶんだけど、これはハワイに両親が渡ってきた時点での日本語のまま、止まっているんだよね。
それもまた、言語文化人類学的に興味深いっ。
■このような言語の重層的な時間感覚と同様に、音楽などの「文化」も世界中で複雑に覚醒&創作しつつ、次の世代へ「運ばれ」ているんだろうね。

>久保の書いた曲は 凄いよ

■えー、あえて、ここ、書き抜きしておきます(笑)。

>何 謝ってのかね 俺?@@

■やっぱ、解散の原因は、君かっ!?
・・・・・・って、元祖★裏切り者の私が言うか(がくっ。)。




1800
Reply 不眠症の夜 と 素敵な ステッキ・・・  外笑
2009/07/08 19:42


  ローラ嬢が書いていましたが 年齢がカッコイイ!
  確かにそうですね。僕が朝まで久保と不眠症になりナチュラル・ハイになり、
  熱中したのは27年前の清原家のトランパーの集い以来です。
  
  この年齢になって色々と酒飲んで話す連中はいるけど、朝の7時半まで
なんてないすなあ。なんてナイスな不眠症なんでしょう。

昨夜は超マイペースな池上が浦和に来て私と居酒屋で七夕酒を飲んだ。ライブ当日は対バンのセクシーレディにべったりで俺らと話できなかったから今日の集いを開催したらしい。そしたら月見猫やらミスターディーやら、2度目の入院を逃れた華も来てくれた。
 次の日の仕事 帰ってからの生活 終電 そんな事情もあり、せいぜい23時には
解散だ。なかなか不眠症で語り明かせない諸々の事情があるが帰りの月空は美しかった。

 サカタ 誕生日おめでとう!久々に君のいい写真を見れて感激したよ。

 拾得 懐かしい写真ですな。京都は暑かったね。池上以外 みな袖なしだものな。でもいいライブハウスだったね。
貴重な写真を有難う。






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