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共犯の海へ。室蘭の鉄の赤へ。山里 稔2005〜2008 (更新日;2008年7月30日 5:11Am)
共犯の海へ。室蘭の青へ。山里 稔2009 (更新日;2009年12月18日 3:57Am)
共犯の海へ。室蘭の青へ。山里 稔アトリエでワイン♪2009年8月8日 (更新日;2010年3月11日 0:11Am)

共犯の海へ。室蘭の青へ。
2009年11月15日 ()
インソムニア

打てば、ひびく、すき間だらけ。
text by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏
(更新日;2010年4月9日 金曜日 1:51Am)

共犯の海へ。室蘭の青へ。山里 稔さんのアトリエでワインを呑んだ8月8日
私は山里さんから

「久保さん、一緒に雑誌を発行しませんか?」

とゆー、ありがたいお誘いをいただいた。
しかし、すべてのことに自信が無い私は、保留の形で、お断りしてしまった。

その夏が終わり、秋になったころ、山里さんから展覧会の案内状をいただいた。
しかも、今回は個展ではなくて、グループ展、だ。
山里さんはどちらかと言うと、公募展や団体展から距離を置いてきたアーティストだ。
もちろん、公募展や団体展で成長するタイプもいるし、
そこで社会的役割を果たすタイプもいるので、それらは豊かな多様性ということだ。
山里さんは造形の才能を生かして、
都市計画や建築の環境美化整備などの大きなプロジェクトを
大人数の部下や社外の仕事相手と無数にこなしてきた方でもあるので、
むしろ作品の発表も単独の個人での個展よりも、
団体展やグループ展に参加するほうが不自然では無い、とゆー見方もできる。
しかし、山里さんはずっと、いわば「一匹狼」のように、
ありきたりの会場から少しずれた意外な空間を選び、個人での個展にこだわってきた。
そしてその発表のスタイルそのものも、山里さんの優れた表現になっていた。

その山里さんが、なんと!今回は個展ではなく、グループ展を行うというのだ。

「グループ展の発表としては実に38年振り」

とゆーことだそーだ。
今回のグループ展は山里さんによる企画ではなくて、さそわれての参加だそうだが、
雑誌グループ展には、共同作業という表現活動とゆー
共通概念がつながっているように感じた私だった。
パンのみに。
4Pm パン屋『ムーラン・ド・ギャレット@旭が丘本店』で、
パンを買って、奥のコーヒーを呑むんだ。カレーを喰うんだ。カフェでスープ・カレー♪


5Pm
2009年11月 10日(火)〜15日(日)
10Am〜7Pm

遠く聴く
この言葉で繋がる
7人の世界

企画;山岸せいじ

出展;山岸せいじ(写真)、
石黒翔(映像)、神谷泰史(オト)
中里麻沙子(油彩)、
山岸みつこ(水彩)、
山里稔(造形)、吉成翔子(金属)

15日(日)5:30Pm〜
ライブ;植村恵亮(ギター)
&太田ひろ(メタルパーカッション)

コンチネンタルギャラリー
札幌市・中央区南1条西11丁目
コンチネンタルビルB1
地下鉄東西線「西11丁目」駅
2番出口徒歩1分
あれから、何回、山里さんのアトリエに行ったことだろう。

企画者が、まったく違うスタイルのアーティストに、
「遠くを聴く」
という言葉だけを提示し、それらを集めてギャラリーの空間を作った。
面識の無いアーティストを、
自らの足で歩いて探し、自らの感性だけを信じて決めたバラバラの作風の7人
なんだか、その黒澤明の映画『七人の侍』のような物語が、会場に緊張を持続させる。

最終日のこの日は、フリー・インプロビゼーション(自由即興)のライブもあるので、
さらに濃い空間が体験できるのではないかと、
楽しみに出かけた。

まず会場の入り口に門構えのように出迎えてくれたのが、
左右の対になっているヘッドフォンをした赤い人物像。山里さんの作品だ。
才能の底力と、技術の底力だった。(よしもとばなな『YOSHIMOTOBANANA.COM』)??
じっと。 砂場でグランド・ピアノを弾きたい夜に。
山里 稔 (造形) 「静かなる空間シリーズ「遠くを聴く 1」、「遠くを聴く 2」
山里さんの作品に見とれていると、
私の背中に油絵が2点あった。

中里 麻沙子 (油彩)
「昨日の花」

中里の今までの作品は、
気持ちは分かるのだが、
背伸びをした発展途上の
悪く言えば、
ヘタウマぎりぎりの作品だったが、
今回の2品には初めて感動した。
ここまで来たら、
雑さも自分のものにできるだろう。
見てないふりして、見てる。見てる、見てる、見てる。
山岸 せいじ (写真)
「hitobito 1」
「hitobito 2」
「hitobito 3」
「hitobito 4」
ふっと。
左から、
久保AB-ST元宏、
山岸せいじ、
山里稔。

このグループ展を
企画したのが、
山岸さん。
出展者を選んだ基準は、
知人だから、ではなくて、
札幌市内などの
展覧会を観て回って
気になった作品に
出会ったときに、
作家に会って決めたそうだ。

その手法は、
なんだか、
雑誌編集のようだ。
以後、よろしく。 山岸さんは写真家。
我々の後ろに
飾られているのが
その作品。

アウト・ウォーカスな
視線が
抽象的な都市の概念に
触れようとしている。
さらに
露出過多の光によって
肉が削られた人体は、
ジャコメッティの彫刻のように
社会性がはぎとられ、
告白をさらけ出す。

そして偶然だか、
山岸さんは私と同学年で、
生まれたのも
私の近くの街であり、
私の卒業した高校がある
深川市。
会場に、本田征爾画伯がいた。
久しぶりに、だら&だら話す。
話題は、函館市文学館で発見されたとゆー、長谷川四郎と久生十蘭の未発表文献
から、平岸界隈にできた「ゴールデン街」(がくっ。)とゆー飲み屋街など。
きっと、魚の目は海の底で。
本田くんの後ろにあるのは、山岸 みつこ (水彩) 「せいめいのき」
印象派の精神が宿ったインスタレーションと、感じた。

 同じ姓だが、山岸せいじとは家族でも親類でもないそうだ。
言葉が置かれる。
なんのアナウンスもないまま、
ギャラリー全体の照明が消され、真っ暗な中で、
肉が置かれる。橋の上で犬がくわえていたのを・・・見た。
植村恵亮(ギター)と、太田ひろ(メタルパーカッション)のライブが
突然、はじまった。
月が置かれる。
兄さんの線香花火。
吉成 翔子 (金属) 「あちらからそちらから」

四足の動物のように見えるが、
近くで見ると、小さな穴にハシゴがかかり、
カッパドキアのような巨大な洞穴のようでもある。
その姿と作品名は、
作者の照れが生んだユーモアなのだろうが、
この会場のこの位置に置かれると
重厚な思想を感じる。
それは、企画者=山岸の力だろう。
ただ、「遠くを聴く」とゆー課題に
どこまで接近できたのかは分かりにくい。
巨大な洞窟が、四足の小動物になったとき、
肉体の内部から原始の音が聴こえてくる、
とゆーことか?
いずれにせよ、
この作品が本展のヘソになっている。
にごりえ。 石黒 翔 (映像) 「今、私に遠くを、聴く」

水と電気を利用した偶然が生む青い光。
つまり、原始と電子。過去と未来。
そのアイディアは新しいものではなく、
むしろ、古臭い、使い古されたもの。
しかし、「サッポロ」という田舎で
また力を取り戻した。
ポイントは、そのゆるやかなスピードだろう。
そのために利用されるのは、
振り子。
そのゆっくりでありながら、
振り幅が大きいことが
約束されている回路の宿命。
企画者=山岸が与えたタイトルの言葉は、
「聴く」よりも「遠く」に
重き(=興味)が置かれている
のではないだろうか
と思わせる作品の時間感覚だ。
差異の庭。
外部に向けて
再生しようと試みるべき」

東 浩紀

『新潮』2010年1月号 「情報革命期の純文学」より
「内側から考えるのも大事だが、
今は外側からえる時期

平野 啓一郎

『新潮』2010年1月号 「情報革命期の純文学」より
肉を知らんかね。肉を。
ここで一緒に、みごもる。
これを前進とか後退ることではなくて、
これが現在なのだ

和合 亮一

『現代詩手帖』2009年12月号 「詩と世界の繋留点を探る」より
文体とは構造であると同時に、
音韻でもある

古井 由吉

『新潮』2010年1月号 「詩を読む、時を眺める」より
夜な夜な、読む読む、寄れ寄れ。
欲望。
「読書っていうと、
すぐ内容的な話になってしまうんですが、
僕も坂本龍一さんも、どちらかと言えば、
ある種のインターフェイスというか、
装置としての本のことを
考えているタイプだと思うんです。」

後藤 繁雄

『InterCommunication』 2000年夏33号 「21世紀に伝えたい本」より
「熱のある作品を送って下さい。
表現技巧よりも
生命の充実した感のあるものを。
できれば全ページを
一人の作品に当ててもいいのですから

福井県の詩の同人誌 『木の実』 1968年 6号 「あとがき」より
語彙の地獄。
郷に入らずば、GO!GO!お嬢さん。
「『文学界』の創刊当時、
藤村も秋骨(しゅうこつ)も禿木(とくぼく)も天知も
みな童貞で、
彼らの恋愛至上主義やロマン主義は
経験の、けがれの、あるいは罪の意識の
裏づけのないプラトニックなものであった。
透谷恋愛理想主義きながら、
同時にリアルでもある的確
冴えた議論展開することができたのは、
同人中彼一人だけが
好色と恋愛両面
深刻体験者だったからである。」

勝本 清一郎

『図書新聞』 1954年4月10日号 評伝「北村透谷」より
以上、引用した7つ言葉は、この展覧会とはまったく関係の無い場で語られたもの。
それを久保が、勝手に編集した。

ルート54で深夜に言い争ったこと。その平行線のルート。
午後の曳航。
ゴロが表のイカ。
ゴナ・リーヴ・ユー・・・・
紅白って何。
神谷 泰史 (オト) 「遠くを聴くための装置 1」
北大での学生時代から天才と呼ばれた神谷は、
現在は某大企業で音響の研究をしている世界的権威。
小さな箱の作品だが、本展のキーワードの基だ。
そして、山里さんの作品が、
会場全体の全ての音を、
ほら、ここに、ずっと。
遠くで聴いていた。ずっと、ここで。

シリアの苦。後ろは、痛いの。
7:05Pm8:50Pm
蠍座 \800
やっぱ、映画館で観たい♪『シリアの花嫁』
監督;エラン・リクリス
脚本;スハ・アラフ、エラン・リクリス
出演;ヒアム・アッバス、マクラム・J・フーリ、クララ・フーリ
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
戦争とは、シチュエーション・プレイだ。笑っちゃうぐらいに演劇的な空間だ。
だから、いたるところに物語が生まれる。それは、チャップリンの『独裁者』から
スピルバーグの『スター・ウォーズ』まで共通している格好のネタの宝庫だ。この
映画もその系譜であり、理不尽な国境に挟まれた恋人同士による結婚の話で
ある。緊張を持続させて観客に集中力を産ませ、その緊張をタイミングよく切る
ことによって発生するまるで偶発的なユーモアで観客から共感を引き出し、映画
と観客が一体になったところで、お涙ちょうだいのピークに一気に観客を登らせ
る。これはやっぱ、映画館で観たい♪『迷子の警察音楽隊』のテイストと同じだ。
もちろん、これら全部に説得力を持たせるためには背景となる戦争を監督が
正確に把握し表現しなければならない。残念ながらこの映画には、「シリア側の
花婿一族や国境警備兵などは、典型的に不合理で滑稽な人物として描かれて
おり、他方で、イスラエルの内務省役人や警察官はギリギリのところで情をかけ
る優れた人情派として描かれている。この非対称性はイスラエルを正当化する
効果がある」とゆー批判がある。う〜ん、まぁ、そーなんだろう。そもそもシチュエ
ーション・プレイとは「図式化」のことでもあるので、このような罠は常に口を開け
て待っている。だから監督がもっとデリケートに扱わねばならなかったのは、たと
えば観客の共感を引き出すためにシリア人に必要以上に人間味を与えようとし
てマンガ的に「不合理で滑稽」にしてしまったことだろう。ここには演出が陥る甘
い誘惑がある。この映画のテーマは本来は「我々は理解し合えない」とゆーこと
なのに、「理解し合える」かのように同じ色に全体を染めてしまった。そうではなく
て、むしろ、たとえば異なった7つの言葉でひとつの物語を語るような「ぎこ
ちなさ」こそがこの映画のテーマにふさわしかった
つまり、理不尽な情況を伝えようと分かりやすく図式化し過ぎたがために、理
不尽さが抱えている残酷な不条理が映像上から消え去っている、とゆージレン
マだ。それは、「自律」と「操作」という極めて今日的な(=つまり、デジタルなど
のポストIT社会においての)課題なのだ。我々が「遠く」を「聴く」ときに、それ
を遠いままに聴くことができなければ、それは「近く」を「見た」だけに過ぎ
ないのだから。

定食屋でメシを喰い、
ごはんの道。
沼田町に日帰り。

遠く聴くための、7つ言葉を読むために、遠くから来た私。
北海道はひとつの大きな、がらんどう。打てば、ひびく、すき間だらけ。