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5Pm
2009年11月 10日(火)〜15日(日)
10Am〜7Pm
15日(日)5:30Pm〜
ライブ;植村恵亮(ギター)
&太田ひろ(メタルパーカッション)
コンチネンタルギャラリー
札幌市・中央区南1条西11丁目
コンチネンタルビルB1
地下鉄東西線「西11丁目」駅
2番出口徒歩1分 | |
企画者が、まったく違うスタイルのアーティストに、
「遠くを聴く」
という言葉だけを提示し、それらを集めてギャラリーの空間を作った。
面識の無いアーティストを、
自らの足で歩いて探し、自らの感性だけを信じて決めたバラバラの作風の7人。
なんだか、その黒澤明の映画『七人の侍』のような物語が、会場に緊張を持続させる。
最終日のこの日は、フリー・インプロビゼーション(自由即興)のライブもあるので、
さらに濃い空間が体験できるのではないかと、
楽しみに出かけた。
まず会場の入り口に門構えのように出迎えてくれたのが、
左右の対になっているヘッドフォンをした赤い人物像。山里さんの作品だ。 | |
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▲山里 稔 (造形) 「静かなる空間シリーズ「遠くを聴く 1」、「遠くを聴く 2」
山里さんの作品に見とれていると、
私の背中に油絵が2点あった。
中里 麻沙子 (油彩)
「昨日の花」
中里の今までの作品は、
気持ちは分かるのだが、
背伸びをした発展途上の
悪く言えば、
ヘタウマぎりぎりの作品だったが、
今回の2品には初めて感動した。
ここまで来たら、
雑さも自分のものにできるだろう。 |  |
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山岸 せいじ (写真)
「hitobito 1」
「hitobito 2」
「hitobito 3」
「hitobito 4」 | |
左から、
久保AB-ST元宏、
山岸せいじ、
山里稔。
このグループ展を
企画したのが、
山岸さん。
出展者を選んだ基準は、
知人だから、ではなくて、
札幌市内などの
展覧会を観て回って
気になった作品に
出会ったときに、
作家に会って決めたそうだ。
その手法は、
なんだか、
雑誌の編集のようだ。 |  |
山岸さんは写真家。
我々の後ろに
飾られているのが
その作品。
アウト・ウォーカスな
視線が
抽象的な都市の概念に
触れようとしている。
さらに
露出過多の光によって
肉が削られた人体は、
ジャコメッティの彫刻のように
社会性がはぎとられ、
告白をさらけ出す。
そして偶然だか、
山岸さんは私と同学年で、
生まれたのも
私の近くの街であり、
私の卒業した高校がある
深川市。 |
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会場に、本田征爾画伯がいた。
久しぶりに、だら&だら話す。
話題は、函館市文学館で発見されたとゆー、長谷川四郎と久生十蘭の未発表文献
から、平岸界隈にできた「ゴールデン街」(がくっ。)とゆー飲み屋街など。
▲本田くんの後ろにあるのは、山岸 みつこ (水彩) 「せいめいのき」。
印象派の精神が宿ったインスタレーションと、感じた。
同じ姓だが、山岸せいじとは家族でも親類でもないそうだ。 |
なんのアナウンスもないまま、
ギャラリー全体の照明が消され、真っ暗な中で、
植村恵亮(ギター)と、太田ひろ(メタルパーカッション)のライブが
突然、はじまった。
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吉成 翔子 (金属) 「あちらからそちらから」
四足の動物のように見えるが、
近くで見ると、小さな穴にハシゴがかかり、
カッパドキアのような巨大な洞穴のようでもある。
その姿と作品名は、
作者の照れが生んだユーモアなのだろうが、
この会場のこの位置に置かれると
重厚な思想を感じる。
それは、企画者=山岸の力だろう。
ただ、「遠くを聴く」とゆー課題に
どこまで接近できたのかは分かりにくい。
巨大な洞窟が、四足の小動物になったとき、
肉体の内部から原始の音が聴こえてくる、
とゆーことか?
いずれにせよ、
この作品が本展のヘソになっている。 |  |
石黒 翔 (映像) 「今、私に遠くを、聴く」
水と電気を利用した偶然が生む青い光。
つまり、原始と電子。過去と未来。
そのアイディアは新しいものではなく、
むしろ、古臭い、使い古されたもの。
しかし、「サッポロ」という田舎で
また力を取り戻した。
ポイントは、そのゆるやかなスピードだろう。
そのために利用されるのは、
振り子。
そのゆっくりでありながら、
振り幅が大きいことが
約束されている回路の宿命。
企画者=山岸が与えたタイトルの言葉は、
「聴く」よりも「遠く」に
重き(=興味)が置かれている
のではないだろうか
と思わせる作品の時間感覚だ。 |
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「外部に向けて
再生しようと試みるべき」
東 浩紀
『新潮』2010年1月号 「情報革命期の純文学」より |
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「内側から考えるのも大事だが、
今は外側から考える時期」
平野 啓一郎
『新潮』2010年1月号 「情報革命期の純文学」より | |
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「これを前進とか後退で語ることではなくて、
これが現在なのだ」
和合 亮一
『現代詩手帖』2009年12月号 「詩と世界の繋留点を探る」より |
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「文体とは構造であると同時に、
音韻でもある」
古井 由吉
『新潮』2010年1月号 「詩を読む、時を眺める」より | |
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「読書っていうと、
すぐ内容的な話になってしまうんですが、
僕も坂本龍一さんも、どちらかと言えば、
ある種のインターフェイスというか、
「装置」としての本のことを
考えているタイプだと思うんです。」
後藤 繁雄
『InterCommunication』 2000年夏33号 「21世紀に伝えたい本」より |
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「熱のある作品を送って下さい。
表現技巧よりも
生命の充実した感のあるものを。
できれば全ページを
一人の作品に当ててもいいのですから」
福井県の詩の同人誌 『木の実』 1968年 6号 「あとがき」より | |
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「『文学界』の創刊当時、
藤村も秋骨(しゅうこつ)も禿木(とくぼく)も天知も
みな童貞で、
彼らの恋愛至上主義やロマン主義は
経験の、けがれの、あるいは罪の意識の
裏づけのないプラトニックなものであった。
透谷が高い恋愛の理想主義を説きながら、
同時にリアルでもある的確な
冴えた議論を展開することができたのは、
同人中彼一人だけが
好色と恋愛の両面の
深刻な体験者だったからである。」
勝本 清一郎
『図書新聞』 1954年4月10日号 評伝「北村透谷」より |
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▲以上、引用した7つの言葉は、この展覧会とはまったく関係の無い場で語られたもの。
それを久保が、勝手に編集した。
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神谷 泰史 (オト) 「遠くを聴くための装置 1」
北大での学生時代から天才と呼ばれた神谷は、
現在は某大企業で音響の研究をしている世界的権威。
小さな箱の作品だが、本展のキーワードの基だ。 |
そして、山里さんの作品が、
会場全体の全ての音を、
遠くで聴いていた。ずっと、ここで。 |