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Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!美術★Artわんっ!吼えた2008年。全道展2009年 (更新日;2009年7月23日)

2009年7月26日(日)『會田 千夏 展』
Chinatsu AITA Exhibition
at
FUKAGAWA
2009.7.16 7.31
他にも何か書くことあった気がするのだけれど忘れてしまったからもう出す。

深川市での大回顧展を経て、また螺旋階段を昇る。
2009年11月 9日(月)〜14日(土)
10Am〜6Pm (最終日〜5Pm)


札幌時計台ギャラリー
札幌市中央区北1条西3丁目
札幌時計台文化会館2F・3F

2009年7月26日 日曜日 午後7時16分私よりずっと深く気温22.8℃←■なんだよー、竜馬翁、千夏ちゃんたちとディナーなんて、なんで私を誘わなかったんだよー。
語り、しましょう。
2009年7月26日(日)

『會田 千夏 展』
Chinatsu AITA Exhibition
at
FUKAGAWA
2009.7.16 7.31


text by うぇ〜ん!久保元宏 (2009年7月30日 木曜日 6:44Am)
語り、しましょう。
人が人を観ている。
東洲館の館長、渡辺貞之画伯。

技術という光。
2009年7月11日、千夏ちゃんから届いたDM♪
すげー楽しみにしていた〜♪

會田 千夏 (あいた・ちなつ)
1980年、札幌市生まれ。

1999年、全道展に初出品。以後、連続して毎年入選。

2003年、第58回『全道展』、超技巧の写実作品「雨の日の自画像」で最高賞である、協会賞。

2003年、札幌大谷短期大学専攻科美術専攻油彩コース修了。

2004年、第59回『全道展』、前年とはまったく違う画風の「katari-jima 2004.8」で画壇を驚かせる。

2005年2月、『ギャラリーどらーる』の「第一回 寒昴展」の3人の一人として参加。

2005年、多摩美術大学大学院美術研究科修士課程修了。

2005年、第60回記念『全道展』、2度目の全道展最高賞を受賞。

2006年、「momoco」シリーズ。

2007年、「sun people」シリーズ。

2008年、「windpipe-sleety 」シリーズ。

2009年、第64回『全道展』、今までの作風を融合したような「katari-jima 2009.6.10」を発表。
自慢しなきゃ。謙遜は、だめ!
今回は、初めての大回顧展だ。

1999年 2003年 (19歳〜23歳)
人が人を観ているのを観る人が私。
指導教師がスーパー・リアリズムの画家であった幸運もあり、
アカデミックな画風を短期間に獲得していった時期の作品群だ。
それまでは、
印象派のようなマチエールを意識した作風であったというから、
教師との出逢いと、具象を追及するという
この時期の方向性の選択は作家にとって大きな意義があった。
45分間、ずっと同じ玄関の前で16行の詩が待っている。
「島遊び」
私がいる。
「旅の入り口」」
蝶がペールラシェーズでずっと待っている。
「雨の日の自画像」
ぜんぶ出すために。
「そして、風は止む」
しかし、絵の全体は具象でありながら、背景は非現実的な抽象の感覚にあふれている。
たとえば、「そして、風は止む」の遠景の中央に描かれた木は木ではなく、浮遊感のある、まるで風船のようだ。
この浮遊感は、今となっては翌年からの「katari-jima」の予告となったと思う。これらの非現実性は、屋外を描いても密室のようだ。
會田はここから始まり、密室の持つ閉塞感を、密室のまま昂揚感に昇華しようと、長い孤独な戦いを続けることになる、その第一幕がこれらの作品群なのだ。


通り抜けられます。
展示は2つの部屋に分かれている。

書き島。
メモメモメモ。
2004年 (24歳)
ここから、第二会場。
なんか、かっこいーのである。
月を喰う。
「katari-jima 2004.7」

PLOのこちら側と、OLPのむこうで。
この作品が全道展に発表されたときの衝撃は忘れられない。
まったく前年までの作風と違っただけではなく、圧倒的なオリジナリティを持っていたからだ。
画家とは、こんなに激しく変われるほどに自由なのかと、すなおに感動させられた。

私の第一印象は、ローマ字だった。
この三連作、左から、「P」、「L」、「O」。つまり、P.L.O、PALESTINE◎Around the World of the パレスチナ★★★palestine-liberation-organizationパレスチナ解放機構だ(笑)。
漢字と違い、もともと1文字だけでは意味を持たないローマ字が、
長い時間を経てコケが生え、朽ち、有機物になり、植物化した、文字。
さらに、植物をたよって虫や小動物が集まり、文字は島となる。
もはや、文字ですらなくなったのだが、
またふたたび、その3つが集まり、並ぶと、PLOの意味が失われていない。
それが、「語り島」と名付けられた所以だ。
・・・・・・と、千夏ちゃんに説明すると、「へぇー。」、だって(笑)。
PLO
「katari-jima 2004.8 (三連作)」

影が3つの、2人。
島は、影を持ち、中空の海に浮かんでいる。
また、この作品は以後の「katari-jima」シリーズとは違い、暴力や、邪悪なものがある。
「katari-jima」シリーズは年を追うごとに、だんだん、天国のようにピースフルになるが、これは地獄だ。
また、彼女の作品の中で唯一、ストロークを感じさせる。
けっして、通常の作家のように筆を走らせた跡のストロークではなく、
微細に書き込んだものを、まるで島を上空から見たときに、草木の集合体が大きなひとつの動きに見えるかのごとくに、だ。

2005年 (25歳)
「katari-jima」、つまり、「語り島」。
私は「katari-jima」シリーズで描かれた島のようあものは、浮遊感のある「語り」が「島」になったのだから、
マンガのセリフが書かれたフキダシのようなものだと思う。
マンガのフキダシには、誰が語っているかを示す話者の口に続くとがった先があるが、
「語り島」は話者を失ってさまよっているのだから、フキダシの先は無い。
しかし、言葉に植物が生えるほどの長い時間、語り手を捜していたから、
フキダシの先、未満の糸のような植物の細い根が無数に垂れ下がったようになっちまった。
森を分割するものは。
「katari-jima」

ほら、コーヒー・カップの底にある占いの理由。
「katari-jima 2005.1.a」
白がはみだしてくる夜。
「katari-jima 2005.1.10」
白がはみだしてくる夜。
「katari-jima 2005.1.b」
自分が創ったものは、これからもずっと、どこへ行っても、自分を守ってくれると思う。
生命の存在。指という生き物。
夏休みの語り島。
ふわり。
この書斎は、無人島。
「katari-jima 2005.7.7」
白い指が待っている。
そして指は、つながった。

白が待っている。
「katari-jima 2005.1.12」
痛みとかとは違う辛さ。
「katari-jima 2005.5」

この手で。
この手が、創造主。その末端が、指。
ここから、またスタートするんだね。そう。コーナーのむこうで。
二年後には、ぜったいに北海道近代美術館で、史上最年少の大回顧展をやるべきだっ!

2006年 (26歳)

島は、地獄島から天国島へのベクトルを疑わず、
ついにこの年、ポップ路線へ踏み込む。

この手法は、それまでの會田の純文学性を否定することにもなり、
賛否両論がでた。
ただ、ここで得た「桃色」は、會田のものとなり、
その後の「katari-jima」に使われてゆく。
モモコの理由。
「momoco 2006.6」

笑うと、こぼれるもの。
またお逢いしましたね〜♪
痛みとかとは違う辛さ。
「katari-jima 2006.11」
こすると毛が抜けるんです。
納品の直前まで筆を入れていた。
やっぱり、女の方が、何かと「吸収」「抱え込み」に向かう性質強いのだと思うの。
島は、生き物。言葉が生き物であるように。
こすると毛が抜けるんです。
筆の白い毛がたくさん絵についているー。
身体としてね。だから
語られようとした言葉が、語られないままに、島になり、永遠にさまよっている。
集中力を持続できる作家は、
それゆえに末端恐怖症となる。
どこまでも細部に過敏になり続けるために、
末端の存在に畏怖し、それを描ききろうと、
終わりの無いフラクタルな迷路に突き進む。

さらに優れた作家は、
それらの無数の末端を描ききると同時に、
それらを含んだ全体を、
わしづかみできる。

全体は末端の奴隷なのか?

いや、
會田の世界では、
全体も末端も平等なのだ。
表出した時には奥からえんえんと出てくる、って言う感じがあるのだと思う。
生命の管は、何を吸おうとしているのか?「katari-jima」は一個の宙に浮く心臓か。
乳房のある東欧の旅人。
これは2003年の作品。「katari-jima」の原イメージのよう。
掘っても掘っても
人間の言葉を吸い取って、「katari-jima」はまた巨大化してゆく。
全体と末端の共犯。
圧縮して片付けたつもりだった悪いものが逆に爆発して溢れて止まらない、みたいなさ。
これは管か?乳房か?くちびるか?つながった指か?

2007年 (27歳)
ワンちゃんと。
幸福感が、桃色に続いて、黄色に手を伸ばす。
モモコの成長。
「sun people」

2008年 (28歳)

トレイン、という題だから、
「車窓から観た風景ですか?」と、よく聴かれるそうだ。

會田の答えはそうではなく、
寝ているときに起こる地震のイメージ。
つまり、地殻変動だ。

「トレイン」とは、名詞であると同時に、動詞だ。
「連結する」、「つながって動き出す」、
というイメージが語源に含まれている。

たとえば、「タクシー」もそうだ。
英語圏ではない我らは
単に自動車のタクシーしかイメージしないが、
「タクシー」には、地面にそって徘徊するという
語源のイメージがある。

日本人が翻訳によって、
名詞化した外国の言葉には、
このようにもともとは豊かな動詞のイメージがあったのだ。

「語る」ときに、名詞に閉じ込めるということは、
同時に、動詞を殺したことになるのだ。

「語り島」は何も殺さない。殺されない。
「train」は、「a」と「b」で連結された汽車のよう。
生きている。動いているから、つながっている。
3つの間接を持つ指のように。
双子の隠喩。
「train 2008.6.11.a」、「train 2008.6.11.b」
白が待っている。
姉妹は、つながっている。
女4人。
母は何も殺さない。殺されない。

さらにイメージは、したたる雪となる。
白は、爆発。
「windpipe-sleety 2008.11.18b」

その先の髪の毛の理由。
「windpipe-sleety」
いたるところで、白が待っている。
「windpipe-sleety 2008.11.18a」

白が待っている。
「katari-jima 2009.6.10」
2009年 (29歳)

美術を語ることを嗤う人がいる。ためらう人がいる。

「私は、作品を見るのは、結構好きなのですが、
あまり感動や感触を、言葉にしたくないと思っていて、
そのままほおっておくことがほとんどです。」

しかし、言葉はだれのものなのだろう。
作品がほおっておかれているように、
中空に無数の言葉が、ほおっておかれているのではないだろうか。

それを可視化したとき、それは「「katari-jima」。

言葉が白い雪になって降るように、浮かんでゆく。

それは意味という名詞ではない。
「語り」という動詞がどこまでも増殖しているだけだ。

なぜ、あなたは美術作品を言葉にしようとしないの?
なぜならば、批評の言葉よりも、
作品の「語り」のほうが饒舌だから。

でも、全体と末端が平等であるように、
「作品」と「あなた」も平等にこの世に生きているのですよ。
その証拠にほら、あなたの指が動いている。




そら、空夢だわん。
「シンホニー」?「シンフォニー」のことかな。
千夏ちゃんの個展は、
深川の例のパターンで同時多発に二箇所で行われている。
まるで、「トレイン」のように。「指」のように。

あなたの後ろにそっと入った「指」の感触を忘れさせないために。
北海道深川市9条17番44号 でんわ;0164-22-3597
★just imagine...♪アートだ!観て♪感じて♪うなかがめーゆ美術館
2009 スケジュール

休館日;月&金 10:30Am〜5:30Pm

5月16日(土)〜31日(日) 桔梗 智恵美
6月 2日(火)〜28日(日) 駒沢 千波
6月17日(水)〜28日(日)我が家コレクション
7月 1日(水)〜15日(水) 渡辺 通子
7月 16日(木)〜31日(金) 會田 千夏
8月 1日(土)〜15日(土) 福島 孝寿
8月16日(日)〜30日(日) 輪島 進一
9月 1日(火)〜15日(火) 尾澤 和子
9月16日(水)〜30日(水)林奈美「球体人形」
10月 1日(木)〜15日(木) 八子 直子
現代のチルチルミチル獅子舞は、過去の森で、未来の魔女に逢いに行く。


モモコの舞踏会。
東洲館の大作と違って、
こちらは軽やかなダンスのよう。
あらよっと。
まるでオートマティックに描かれたような、イメージのスケッチ。

このサイズが、このサイズに。
ゲ、ゲ、
羽が有ります。ちゃんと。
ゲゲゲの
モモコの理由。
ゲ〜♪

赤川さんが通り過ぎてゆく町。
あ、赤川さんだ。
通子さんの午後。
通子さんも、楽しそう。
アート・ゼネレーション・ノー・ギャップ。
平成の、『ゲゲゲの鬼太郎』実写版。

光が窓からこっそり人を観ている。
たしかに、會田は器用な画家だ。ただ、
白い男。
器用で終わっていないところが、彼女の悩みで、
犯罪大通り。
同時代の私たちの幸福なんだろうな。

もどってゆく緑。
うなかがめ〜ゆ美術館の緑は濃くなっていた。
合わせることが出来たら、合わせて行くのもいいなって思うので。
トレインは、「運ぶ」。
全てが緑になる日。
自然界に、全体と末端の区別なんかないんだよね。

君は、北海道深川市の『會田 千夏 展』に、間に合ったかい?